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流造ながれづくり

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側面そくめんから流造ながれづくり社殿しゃでんみぎ正面しょうめんこうはい
伏見ふしみ稲荷いなり大社たいしゃ京都きょうと京都きょうと伏見ふしみ
滋賀しが園城寺おんじょうじしんよしかみどう国宝こくほう)、さんあいだしゃ流造ながれづくり一間いっけんこうはい
香川かがわ神谷かみや神社じんじゃ(かんだにじんじゃ)本殿ほんでん国宝こくほう)、さんあいだしゃ流造ながれづくり
一間いっけんしゃ流造ながれづくり正面しょうめんから
苗村なむら神社じんじゃ滋賀しがけん

流造ながれづくり(ながれづくり)は、日本にっぽん神社じんじゃ建築けんちく様式ようしきの1つである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

賀茂かもべつ雷神らいじんしゃ上賀茂かみがも神社じんじゃ)、賀茂かも祖神そしんしゃ下鴨神社しもがもじんじゃ)に代表だいひょうされる流造ながれづくりは、伊勢神宮いせじんぐう代表だいひょうされる神明しんめいづくりから発展はってんし、屋根やねり、屋根やねまえ曲線きょくせんがたながびてこうはいこうはい、ひさし)となったもの。全国ぜんこくもっとおお神社じんじゃ本殿ほんでん形式けいしきである。

構造こうぞう[編集へんしゅう]

流造ながれづくり構造こうぞうは、切妻きりづまづくりひらいれであるが、側面そくめんから屋根やね形状けいじょう対称たいしょうがたではなく、正面しょうめんがわ屋根やねながばす。屋根やねには大社たいしゃづくり同様どうよう優美ゆうび曲線きょくせんあたえられる。このてん直線ちょくせんてき外観がいかん神明しんめいづくりことなる。

屋根やね[編集へんしゅう]

神明しんめいづくりことなり、かやかぎらず杮葺ひのきがわどう板葺いたぶきなど幅広はばひろい。 側面そくめん破風はふ懸魚かけざかななどで装飾そうしょくされ、優美ゆうび曲線きょくせんえがく。 屋根やね勾配こうばいはきつくなく、前面ぜんめんながながれるようにびるみのかぶと(みのこう)からこうはいにかけての曲線きょくせん強調きょうちょうする。

はしら[編集へんしゅう]

しゃ(もや)のはしら丸柱まるばしらこうはい角柱かくちゅうとする。

桁行けたゆき正面しょうめん)のはしらあいだが1あいだはしらが2ほん)であれば一間いっけんしゃ流造ながれづくり、3あいだはしらが4ほん)であればさんあいだしゃ流造ながれづくりという。

ゆか[編集へんしゅう]

土台どだいたかさにはまゆか階段かいだんじょう母屋もやゆかをはる。

流造ながれづくり歴史れきし[編集へんしゅう]

神明しんめいづくり発展はってんがたであることから歴史れきしあさく、現存げんそんする最古さいこのものは宇治うじ上神かずわしゃ本殿ほんでんで、平安へいあん時代じだい後期こうき建築けんちくである。

なお2008ねん平成へいせい20ねん)には、きむかい遺跡いせき滋賀しがけんひがし近江おうみ)において8世紀せいき後半こうはん-9世紀せいき前半ぜんはん掘立柱ほったてばしらさんあいだしゃ流造ながれづくり本殿ほんでんあと遺構いこうつかっており、国内こくない最古さいこきゅうれいとして注目ちゅうもくされる[1]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ きむかい遺跡いせき (PDF)ひがし近江おうみホームページ)。