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くどづくり

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出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
かわ住宅じゅうたくひだり)ともり住宅じゅうたくみぎ)、高台たかだいから望遠ぼうえん佐賀さがけん多久たく
かわ小屋組こやぐみ。部屋へやよこはばあいだ
大詫間おおだくまのじょうごづく住宅じゅうたく望遠ぼうえん四辺しへんだいむねたかさがことなる。

くどづくり(くどづくり)[1][2][3]は、日本にっぽん民家みんか形式けいしきの1つで、屋根やねだいむねが「コ」のじょうをしている。くどづくとも表記ひょうきする[4][5][c 1]佐賀さがけん福岡ふくおかけん熊本くまもとけん有明海ありあけかい周辺しゅうへんとく佐賀さがけん福岡ふくおかけんにまたがる筑紫平野つくしへいやおお分布ぶんぷする。くどづくりの発生はっせい理由りゆうには、たいふう構造こうぞうせつ佐賀さがはん倹約けんやくれいせつ既存きそん民家みんかからの影響えいきょう発展はってんせつ軟弱なんじゃく地盤じばん対策たいさくせつがある。

定義ていぎ

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字形じけい、ときにかたちともあらわされる平面へいめん民家みんかで、それが外観がいかんからかる屋根やねだいとう形状けいじょうにも反映はんえいされている。2つの手前てまえ部分ぶぶんおく横長よこながむねわさったかたち、あるいは一本いっぽんなが直家なおいえ(すごや)をコのときげたようなかたち[3][5][6]大抵たいていかやよせとう屋根やねで、3方向ほうこうからの屋根やね勾配こうばいたにつくるツボ(たにまたはりょうかぎともいう)部分ぶぶんそこ片流かたながれのかわら屋根やねあめといである[2][5]屋根やねざいちがやのほか、平野ひらのでは麦藁むぎわらあしもちいることがおおかった[6][7][8]

「くどづくり」の「くど」はかまど別称べっしょうで、コの字形じけいかまど (くど)見立みたてている[c 1][5][9]。くどづくりの呼称こしょう大正たいしょう末期まっきから昭和しょうわ初期しょき九州きゅうしゅう民家みんか研究けんきゅうはじまってからのもので、いま和次郎わじろうによる命名めいめいではないかとされる[10][11]。それ以前いぜん現地げんちではりょうかぎ[4]、「テノマ」(といあいだ[12][ちゅう 1]扇谷おうぎやづくり、さんすじつくり、りょうたにおとしなどの呼称こしょうがあった。あるいはたんに(L字形じけい鍵屋かぎや区別くべつできないが)かぎ(かぎいえ)、きょく/きょくなどともんだ[2][4][9]

九州きゅうしゅうにはぶんむねがた民家みんか鍵屋かぎやむねづくりふた分布ぶんぷするが、くどづくりはこれらとの類似るいじてんがあって起源きげんとするせつもあり、民家みんか分類ぶんるいではしばしば類縁るいえんとされる[1][2]

くどづくりの分布ぶんぷをみると、佐賀さがけんでは平地ひらち分布ぶんぷする一方いっぽう山間さんかんにはみられず、ひろふる佐賀さがはんりょう分布ぶんぷする一方いっぽうきゅう唐津からつはんりょうきゅう天領てんりょうにはほぼみられない。福岡ふくおかけんでは南部なんぶ筑後ちくご地方ちほう)の筑後川ちくごがわ流域りゅういき以南いなんにみられる。熊本くまもとけんでは北部ほくぶから中部ちゅうぶにみられ、八代やしろなど球磨川くまがわ流域りゅういき南限なんげん[4][13][14]。また大分おおいたけんうちでは筑後川ちくごがわ水系すいけい流域りゅういき日田にった少数しょうすう確認かくにんされている[15]

ただし、外観がいかんじょうおなじようなコのがた屋根やねでも広間ひろまがた間取まどりと縦割たてわ間取まどりのものがある。もとは前者ぜんしゃのみをしていたものが後者こうしゃにも使用しようされるようになったとかんがえられ、宮澤みやざわさとし用語ようご混乱こんらんがみられると指摘してきしている[4][5][16][17]

いま和次郎わじろう著書ちょしょで「四角しかくいプランへきょくじょう屋根やねをかけた不思議ふしぎいえがある」と表現ひょうげんしており、くどづくりが目立めだ家並いえなみはこの地域ちいき特有とくゆう風景ふうけいせていた[1]。しかし現在げんざいはほとんどられなくなっている[c 2]

類型るいけい

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間取まどりおよび谷部やべ下屋げや形式けいしきから、ふるいくどづくりはふたつの典型てんけいいだされる。ひとつはゆか上部じょうぶ部屋へや)をよこ分割ぶんかつするがた/よっ間取まどり/広間ひろまがたたいら形式けいしきで、谷部やべはばひろ片流かたながれの瓦葺かわらぶき。もうひとつは部屋へやたて分割ぶんかつする間取まどりでつまりの形式けいしきで、谷部やべせまあめといとおす。後述こうじゅつのように、たいらがたたいら広間ひろまがた直家なおいえがLがた鍵屋かぎや経由けいゆして発展はってん縦割たてわがた平行へいこうむねづくり発展はってんしたとされる形式けいしき[4][5][18][19]

しかし、時代じだいくだって出現しゅつげんした左右さゆう3れつ前後ぜんこう2しつ谷部やべひろい)のむっ間取まどりはたいらがた縦割たてわがた両方りょうほう系譜けいふかんがえられる融合ゆうごう形式けいしきになる。いいかえると、谷部やべひろそとからはたいらがたえるもののなかに、むねきでは⎿⏌の⎿と⏌どちらかを土間どまとする縦割たてわ間取まどりもあれば、╷╷と└┘どちらかを土間どまとする広間ひろまがた間取まどりもある。青山あおやまけんしんによれば、このタイプは佐賀さがけん平野ひらのでも白石しらいしまち芦刈あしかりまちげん小城おぎ)などにみられるという[4][5][13][18][19][14]

3けん分布ぶんぷではいずれもたいらがた縦割たてわがた両方りょうほうがあり、総数そうすうではたいらがたほうおお[14]佐賀さがけんでは街道かいどうすじ町屋まちやなどに縦割たてわがた比較的ひかくてきおお一方いっぽう干拓かんたく村落そんらくではたいらがたおおい。福岡ふくおかけん南部なんぶ熊本くまもとけん北部ほくぶには縦割たてわがたおお地域ちいきがある[20][21]

玄関げんかん位置いちにも差異さいがみられる。とおりにめんするがわ玄関げんかんのあるがわ直家なおいえのようにせて、その裏側うらがわたに部分ぶぶんとするもの(うらたにがた後谷うしろだにがた)、たに部分ぶぶん玄関げんかんがくるもの(前谷まえたにがた)、たに部分ぶぶんよことする位置いち玄関げんかんがくるもの(横谷よこたにがた)とがある[4][18]佐賀さがけんではうらたにがた、かつたにきたき・玄関げんかんみなみきのものがおおい。福岡ふくおかけんでは前谷まえたにがた熊本くまもとけんではうらたにがたおお[4][9][13][20][21]

かわ住宅じゅうたくもり住宅じゅうたく佐賀さがけん多久たく)、きゅう伊藤いとう住宅じゅうたく熊本くまもとけん氷川ひかわまち)はたに瓦葺かわらぶき、平川ひらかわ住宅じゅうたく福岡ふくおかけんうきは)やきゅう石井いしい住宅じゅうたく福岡ふくおかけん朝倉あさくら)、きゅうさかい住宅じゅうたくもと所在しょざい熊本くまもとけん玉東ぎょくとうまち)はたにあめといである。かわもりうらたにがた平川ひらかわ前谷まえたにがた。なお、かわ住宅じゅうたくはくどづく初期しょき形式けいしきのこし、典型てんけいれいにもげられる[1][5][16][22][14]

くどづくりの分布ぶんぷではひろく、コのにさらに突出とっしゅつ部分ぶぶん角屋かくや)がいたバリエーションがみられ、ユがた(├┘がた)、Fがた、Hがた(├┤)、□がた、Eがたみっとう)などがある。おな地域ちいき鍵屋かぎや(L)のバリエーションとしてもTがた、Zがた(└┐がた)、ろがた(L2つ)などがある[4][18][23][20][21]とくに□かたはじょうごづくりとばれる[4][18]。ユがた屋根やねめんがつくるたにが3ヶ所かしょすみが7ヶ所かしょであることから現地げんちで「ミタニナナシギ」とばれ、いた角屋かくや南面なんめん座敷ざしきもちいるれいなどがみられるが、現地げんちではくどづくりの理想りそうがたわれることもある[4][23]

佐賀さが県内けんないにおける在来ざいらい民家みんかじき鍵屋かぎや、くどづくり・じょうごづくりの3類型るいけいおおい。青山あおやまけんしんらの調査ちょうさによりまとめられた『佐賀さがけん民家みんか』(1974)に分布ぶんぷしめされているが、くどづくりは佐賀さが平野へいや低地ていち目立めだち、南部なんぶ東与賀ひがしよかまち久保田くぼたまち芦刈あしかりまちにかけての地域ちいきおおく、むらかたちをとる白石しらいし平野へいや白石しらいしまち)では民家みんかのほとんどをめる。じょうごづくりは川副かわそえまち付近ふきん目立めだち、川副かわそえまち犬井道いぬいどう大詫間おおだくまとくおおい。これらにたいして、山間さんかんではじき山麓さんろくでは鍵屋かぎやおお[7][10][13][11][21]

青山あおやまけんしんによれば、3つ間取まどり(広間ひろまがた)のじき原型げんけいとして部屋へや拡張かくちょうされていく過程かていで、山間さんかんではじきのまま拡張かくちょうされる一方いっぽう山麓さんろく平野ひらのでは鍵屋かぎや変化へんかさら平野へいや分化ぶんかしてたいらがたくどづくりにいた変化へんかがあった。他方たほう熊本くまもとけんむねづくりも2つのむね接続せつぞくして拡張かくちょう縦割たてわがたくどづくりに変化へんかさらこうあいだがた分化ぶんかする変化へんかこり、幕末ばくまつには間取まど融合ゆうごう形式けいしきしょうじたという。なお、縦割たてわがたくどづくりの成立せいりつたいらがたよりおそ[21]。Lやコの角屋かくや付加ふかするバリエーションも、この変化へんか延長えんちょうにあるとほぐされる[20][21]

福岡ふくおか県内けんないにおける在来ざいらい民家みんかは、南部なんぶでくどづくりや鍵屋かぎや福岡ふくおかふく北西ほくせい鍵屋かぎや北九州きたきゅうしゅうふく北東ほくとうじきおお[20]

じょうごづく

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じょうごづく(じょうごづくり)はじょうごづくり漏斗ろうとたにづくり(じょうごだにづくり)、漏斗ろうとたにづくりとも表記ひょうきし、むね一周いっしゅうする字形じけい中央ちゅうおう漏斗ろうとのようにくぼんだ屋根やね民家みんか[2][7]現地げんちではふるくは「四方谷しほうだに」「四方しほうおとし」「たに(たにいえ)」「そこ(てい)のいえ」「桝形ますがた屋根やね」などの呼称こしょうがあった[2][9][24]

くどづくりのひらいたたに部分ぶぶんつなげたような形状けいじょうで、起源きげんについてもくどづくりから発展はってんした形式けいしきだとする見方みかたがある。佐賀さがけん南東なんとう福岡ふくおかけん南東なんとうのいずれも筑後川ちくごがわ河口かこうちかせま地域ちいき分布ぶんぷする[7][9]青山あおやまけんしん平行へいこうむねづくり起源きげんとする縦割たてわがた間取まどりが発展はってんするなかたいら広間ひろまがた影響えいきょうけて成立せいりつしたとのせつとなえたが、むねづくり熊本くまもとけん北部ほくぶのみに分布ぶんぷしまたじょうごづくりも熊本くまもとけんには分布ぶんぷせず、太田おおた静六せいろく矛盾むじゅんがあると指摘してきしている[20][21]

そのかずいちじるしく減少げんしょうしており、1965ねんごろ調査ちょうさでは川副かわそえまち内外ないがいに900むねちょう確認かくにんされたが、『東与賀ひがしよかまち』によれば1985ねんごろには推定すいてい5ぶんの1程度ていどになっていた[24]

あめると雨水あまみず漏斗ろうとそこあつまり、いえなかもうけたとい使つかって排水はいすいされる。素焼すやきでながさ4 - 5メートルのかわらとい(といがわら)(またははしごかわら(ていがわら))をもちい、屋根やね中央ちゅうおうから土間どまとおがいへと、室内しつない貫通かんつうして設置せっちされる[7][9][24]。また、四辺しへんだいむねたかさはそろわず、一段いちだんたかあたり一段いちだんひくあたりをもつのがほとんどである[7][24]川副かわそえまち有明海ありあけかいちか地域ちいきでは、屋根やねふかろして軒先のきさきひくくするものがおお[25]

間取まどりをひろくとれるが、おくほう日光にっこうとどきにくかったり、大雨おおあめさいにはといから室内しつないみずあふれるおそれがあったりする欠点けってんもある。現在げんざいあしきの屋根やねのこすものは減少げんしょうトタンおおいつつも漏斗ろうとがたのこしたものもあるが、漏斗ろうと部分ぶぶん片流かたながれの屋根やねいだり、漏斗ろうととはぎゃくゆる勾配こうばいけたり[ちゅう 2]して雨水あまみずそとながすよう変更へんこうしたものがおおくなっている[9][24]

装飾そうしょく

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かわ住宅じゅうたくむねかざり(みんのす)

佐賀さが平野へいやのくどづくり・じょうごづくりでは、だいむね大型おおがた棟瓦むながわらをかぶせ、千木ちぎにも類似るいじするが、むね先端せんたんむねはし)の屋根やねきにみみのようにとがらせたむねかざりをつくる。単純たんじゅんにミミ、またうまみみていることからミンノス、ウマンミミとも[4][7][8][9]屋根やね作業さぎょうではミミをつくるのは職人しょくにんちょうとされている。ミミのかたちには地域ちいきがあり、ちゅう南部なんぶでは基部きぶ幅広はばひろく、これにたいして東部とうぶでは細長ほそなが上向うわむき、西部せいぶ北部ほくぶではぎゃくみじかがったかたちおおく、ミミをけない地域ちいきもみられる[8]屋根やねにトタンをかぶせてもその形状けいじょうのこしているものがみられる[4][9]。なお、ミミの装飾そうしょくには神仏しんぶつ加護かご象徴しょうちょうあるいは呪術じゅじゅつてきなものがあるともいわれる[8][26]

福岡ふくおかけん南部なんぶにも類似るいじむねかざりがみられる地域ちいきがあり、「うしかく」などの呼称こしょうがある[20]

棟瓦むながわらながさ50センチ程度ていど曲面きょくめんしゅうちょう80センチ程度ていど大型おおがたのもので、たけくししてめる[4][8]

だいむねなかすこひくたわませ、また屋根やねのシギサキ(すみ先端せんたん)を上方かみがたらせるといった、装飾そうしょくてき仕上しあげをほどこしたものもみられる。らせたシギサキにはむぎ藁葺わらぶきであってもその部分ぶぶんだけ強度きょうどのあるあし使つかうという[8]

成立せいりつかんする議論ぎろん

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昭和しょうわ40年代ねんだいおこなわれたかくけん民家みんか調査ちょうさなどをつうじ、青山あおやまけんしんじ香月かつき徳男のりお太田おおた静六せいろくらがくどづくりやじょうごづくりの構造こうぞう成立せいりつについて分析ぶんせきし、既存きそん民家みんかからの変化へんか気候きこう制度せいど影響えいきょう提唱ていしょうした[11][17][20][21]。その地盤じばん影響えいきょうげられたが、決着けっちゃくをみていない[5][13]

たいふう構造こうぞう
台風たいふうなどの強風きょうふうえるため成立せいりつ普及ふきゅうしたとするせつ。くどづくりやじょうごづくりは屋根やねひくくしつつも間取まどりを拡張かくちょうできる。この地域ちいきでは有明海ありあけかいからの南風みなみかぜつよまることがあり、きたたに(⎿⏌)とするくどづくりがおおいことと整合せいごうする。正方形せいほうけいちかいほどつよ構造こうぞうになるとかんがえられ、くどづくりが発展はってんしてじょうごづくりがまれたとのせつもある。1828ねん文政ぶんせい11ねん)のねん大風おおかぜ多数たすう家屋かおく倒壊とうかいする被害ひがいがあったことが普及ふきゅううながしたとするせつされた。しかし、福岡ふくおかけんなどでみなみたに(⎾⏋)とするものがおおいことはこのせつ疑問ぎもんげかけている[1][2][5][13][27]
じょうごづくりのいえ高潮こうちょう洪水こうずい避難ひなんやくったという逸話いつわが『川副かわそえまち』にある。屋根やねくぎめなかったため増水ぞうすいときき、屋根やねにしがみついてたすかったという。なお、いえみはながされてもコロを使つかってもと場所ばしょもど復旧ふっきゅうしていたという[9][25]
梁間はりま規制きせい
江戸えど時代じだい前期ぜんき幕府ばくふ建物たてものさんあいだはり規制きせいおこない、しょはん類似るいじ追加ついか規制きせいおこなっていた。梁間はりませまいくどづくりではふとはり使つかわずに間取まどりを拡張かくちょうできる。しょはん庶民しょみんいえ梁間はりまさんあいだあいだはんにしていたのにたいし、いわゆる倹約けんやくれいされていた佐賀さがはんあいだ規制きせいおこなっていたとの推測すいそくがあり、きびしい規制きせいけながら庶民しょみん工夫くふうしてしたもの[ちゅう 3]だというせつである。あいだとの明記めいきはないが、佐賀さがはんが1831ねん天保てんぽう2ねん)に発布はっぷした『郷内ごうないしょ法度はっと』は建物たてもの構造こうぞう用材ようざい規制きせいしている。青山あおやまけんしん調査ちょうさでも、佐賀さが県内けんない民家みんか200むねあまりの梁間はりまのうち7わりちょうあいだ、2わりあいだはんだった。しかし、くどづくりの最古さいこれいは18世紀せいき前半ぜんはん・1700年代ねんだい初頭しょとうかんがえられ、矛盾むじゅんがある[1][2][3][4][13]
既存きそん民家みんかからの影響えいきょう発展はってん
ひとつは、熊本くまもとけん北西ほくせい中心ちゅうしん分布ぶんぷするふた平行へいこうむねづくり間取まどりをひろげるため発展はってんして、縦割たてわがたくどづくりになったというせつ土間どまゆか上部じょうぶ平行へいこうなら部屋へや縦割たてわり、玄関げんかんつまりというてん共通きょうつうし、むねせっする平行へいこうむねづくり片側かたがわ屋根やねつなげてコのにしのこりの部分ぶぶんといとおすとくどづくりになる。青山あおやまけんしん時代じだいさかのぼるとぶんとうがた民家みんか筑紫平野つくしへいや北部ほくぶまで分布ぶんぷしていたと推定すいていしている[1][2][3][4][13][16][18][11][21]
もうひとつは、たいらりの広間ひろまがた民家みんか、Lがた鍵屋かぎや間取まどりをひろげるため発展はってんして、たいらがたのくどづくりになったというせつ分布ぶんぷ重複じゅうふく隣接りんせつし、形態けいたい変化へんかとして連続れんぞくせいがある。しかし、日本にっぽん国内こくないひろ分布ぶんぷするかぎがこの地域ちいきかぎってなぜくどづくりに発展はってんしたのかというてん不明ふめいである[2][5][13][18][11][21]
軟弱なんじゃく地盤じばん対策たいさく
ゆる地盤じばん対処たいしょするために成立せいりつ普及ふきゅうしたとするせつ橋本はしもとまことぞうは、筑紫平野つくしへいや分布ぶんぷする軟弱なんじゃく地盤じばん有明ありあけ粘土ねんどそう分布ぶんぷ地域ちいきとくどづくりの分布ぶんぷ一致いっちすること、梁間はりまあいだせま間隔かんかくはしら配置はいちされて屋根やね荷重かじゅう分散ぶんさんされ不同ふどう沈下ちんかきにくいことを指摘してきした。しかし、この地層ちそう分布ぶんぷ地域ちいきでもくどづくりは従来じゅうらいがた民家みんかの4わり程度ていどにとどまり、どうそう分布ぶんぷ地域ちいきがい佐賀さがけん北東ほくとうにもくどづくりはみられると指摘してきされている[2][3][5][12][13]

指定してい文化財ぶんかざい著名ちょめいなもの

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くどづく建物たてもののうち、保存ほぞんされ文化財ぶんかざい指定していされているものや著名ちょめいなものをげる。

  • かわ住宅じゅうたく佐賀さがけん多久たく) - くに指定してい重要じゅうよう文化財ぶんかざい江戸えど時代じだい中期ちゅうき建築けんちく推定すいてい移築いちくされもり住宅じゅうたくとも展示てんじ[c 2][c 3]たいらけいみっ間取まど[28]
  • 平川ひらかわ住宅じゅうたく おも福岡ふくおかけんうきは) - くに指定してい重要じゅうよう文化財ぶんかざい江戸えど時代じだい後期こうき建築けんちく推定すいていとなり納屋なやあわせてつまが3つなら特徴とくちょうてき外観がいかん。⎾⏋のひだり土間どまみぎ座敷ざしき台所だいどころ新川しんかわ田篭たごもり重要じゅうよう伝統でんとうてき建造けんぞうぶつぐん保存ほぞん地区ちくうち[c 4][c 5][29]
  • もり住宅じゅうたく佐賀さがけん多久たく) - 指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい[c 2]たいらけいみっ間取まど[28]
  • きゅう石井いしい住宅じゅうたく福岡ふくおかけん朝倉あさくら) - けん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい。1800ねん以前いぜん築造ちくぞう推定すいていむぎ藁葺わらぶきだが現在げんざいはトタンでおおわれている[18][16][c 6]平面へいめんにするとほぼ正方形せいほうけいをとるたてわりがた間取まど[30]
  • きゅう乗田のりた住宅じゅうたく佐賀さがけん鹿島かしま) - 指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい。19世紀せいき初期しょき築造ちくぞう推定すいていされる武家ぶけ住宅じゅうたく鹿島かしま浜中はまなかまち八本木はっぽんぎ宿やど重要じゅうよう伝統でんとうてき建造けんぞうぶつぐん保存ほぞん地区ちくない[c 7][31]
  • きゅう下村しもむら住宅じゅうたく佐賀さがけん嬉野うれしの) - 指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざいしお田津たづ重要じゅうよう伝統でんとうてき建造けんぞうぶつぐん保存ほぞん地区ちくない江戸えど時代じだい後期こうき建築けんちく推定すいてい[c 8]とお土間どまおくへとつづ町屋まちやで、▲ (▲は入口いりくちたてわりがたあいだり、横谷よこたにがた[32]
  • 前田まえだ住宅じゅうたく ぬし佐賀さがけん伊万里いまり) - くに登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい佐賀さがけん遺産いさん認定にんてい伊万里いまりきょうだい庄屋しょうや屋敷やしき主部しゅぶ座敷ざしき部分ぶぶん接続せつぞくしただい規模きぼなもので、屋根やねは⎿⏌のみぎじょうに - が接続せつぞくするかたち[18][c 9][c 10][33]
  • きゅうえだ梅酒うめしゅづくり店舗てんぽけんおも佐賀さがけん佐賀さが) - くに登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい長崎ながさき街道かいどうめんした町屋まちやで、とおりからえない背後はいごむねびている[c 11]
  • くぎ町家まちや住宅じゅうたく佐賀さがけんたけ雄市ゆういち) - 佐賀さがけん遺産いさん認定にんてい。19世紀せいき中頃なかごろ築造ちくぞう推定すいていされる在郷ざいきょう武士ぶし居宅きょたく[c 12]
  • 宮地嶽みやじだけ神社じんじゃ民家みんかむら自然しぜんこうえんのくどづく民家みんか福岡ふくおかけんぶく) - 佐賀さがけん白石しらいしまち所在しょざいした民家みんか移築いちく展示てんじ推定すいていちく150ねん[c 13]
  • きゅうさかい住宅じゅうたく熊本くまもとけん和水わすいまち肥後ひご民家みんかむら) - くに指定してい重要じゅうよう文化財ぶんかざい。1830ねん築造ちくぞう。コのがた玉東ぎょくとうまち所在しょざいした民家みんか移築いちく展示てんじ[5][c 14]⎿⏌ ▲(▲は入口いりくちたてわりがた間取まどりで、むね造型ぞうけいくどづくり分類ぶんるいする資料しりょうもある[20]
  • きゅう山野さんや住宅じゅうたく熊本くまもとけん和水わすいまち肥後ひご民家みんかむら) - まち指定してい文化財ぶんかざい江戸えど時代じだい末期まっき建築けんちく推定すいていうらたにがた・コのがた[c 15]
  • 伊藤いとう住宅じゅうたく熊本くまもとけん氷川ひかわまち) - うらたにがた・コのがた[7]きゅうけん指定してい文化財ぶんかざいだったが、2015ねん台風たいふうと2016ねん熊本くまもと地震じしんにより被害ひがいけ、解体かいたいのため2018ねん指定してい解除かいじょ[c 16]間取まどりは└─┘▲ (▲は入口いりくち[20]
  • きゅう羽田はねだ住宅じゅうたく大分おおいたけん日田にった) - くに指定してい重要じゅうよう文化財ぶんかざい江戸えど時代じだい後期こうき建築けんちく推定すいてい屋根やねはコのがたで、復元ふくげんまえおおきな茅葺かやぶ屋根やねおおかくしていた。むねづくりとする場合ばあいもあれば、くどづくりとする場合ばあいもある[c 17][34]

同様どうようにじょうごづく建物たてものげる。

  • 山口やまぐち住宅じゅうたく佐賀さがけん佐賀さが) - くに指定してい重要じゅうよう文化財ぶんかざい明治めいじ時代じだい建築けんちく推定すいていちがや葺のじょうごづくりで馬屋うまや付属ふぞくする。屋根やね下端かたんのきあそび)がひくい。[7][35][c 18]
ギャラリー

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 鹿児島かごしまけん分布ぶんぷするといあいだ(てのま)ふたとはことなる。
  2. ^ マンサード屋根やねにあたると推定すいていされる
  3. ^ 伊藤いとうていじ封建ほうけん時代じだい民衆みんしゅう抵抗ていこうしめ造形ぞうけいの1つではないかという分析ぶんせきしめしている。

文献ぶんけん

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