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かまど

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かまどは、煮炊にたきするさいかこうための設備せつびかまどともき、ぞくに「へっつい」や「クド」などともう。

概要がいよう

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日本にっぽんのかまど
かまどでインジェラく。エチオピアにて。
グアテマラのかまど。3つのいし土鍋どなべささえる

いしなどでかこみをつくるもので、上部じょうぶなべがまをかける構造こうぞうになっている。かまどのがこいにより、放射ほうしゃねつげることをふせぐことができる。調理ちょうりしゃはだか放射ほうしゃねつさらされなくてみ、より高温こうおんほのお調理ちょうり出来できるため調理ちょうり時間じかん短縮たんしゅくにもつながる。

日本にっぽんでは囲炉裏いろりとともにふるくからもちいられている。囲炉裏いろり暖房だんぼうねて使つかわれることがおおいが、かまどはおも調理ちょうり使つかう。 あたたかい西日本にしにほんでかまどが常用じょうようされた一方いっぽう東北とうほく北日本きたにっぽんでは暖房だんぼうねた囲炉裏いろり使つかわれた。両者りょうしゃ分布ぶんぷする地域ちいきもありはっきりした境界きょうかいせんけるわけではない。[1]

しばえだ)、たきぎすみ家畜かちくくそ乾燥かんそうさせたものなどが燃料ねんりょうとしてもちいられる。地域ちいきによっては石炭せきたん使つかわれることがある。

固定こていされたもののほか、移動いどうできるものもある。 日本にっぽんでは古墳こふん時代じだいの、中国ちゅうごくでははたかん時代じだいのかまどの遺跡いせきのこる。各地かくちでかまどにかみ宿やどるとされた。

原型げんけいがた

かまどより簡素かんそ構造こうぞうのものをふくにもれておくと、地面じめん直接ちょくせつたきぎいてくものを「ゆか」とい、周囲しゅういいしかこったものは「いしかこえ」とい、後者こうしゃがかまどの原型げんけいともされる。現代げんだいキャンプでの飯盒はんごうによる調理ちょうりなどでも使つかわれる。

沖縄おきなわ地方ちほうでは、カマドはそのがたである「みっつのいしならべたかたち」からそれほど発達はったつすることはなかった。みっつのいしならべたうえに「シンメーナービー」とばれる中華ちゅうかなべかたちだいなべせ、あさ主婦しゅふきつけて大量たいりょうのンム(サツマイモ)をしあげる。したンムにしょうさかな塩辛しおから味噌汁みそしる沿えて食事しょくじとした。みっつのいしあいだどろりこめていだ「ヤマトしき」とばれるかまど普及ふきゅうしたのは、明治めいじ以降いこうだった。

かまどと暖房だんぼう設備せつび

朝鮮ちょうせん中国ちゅうごくやロシアやヨーロッパ北部ほくぶなどでは、かまどが暖房だんぼう装置そうちとしても使つかわれた。朝鮮ちょうせんオンドルは、かまどの排気はいき床下ゆかしたとおして部屋へやあたためる合理ごうりてきゆか暖房だんぼうシステムである。部屋へやなかでは焚口たきぐちすなわち台所だいどころちか場所ばしょあたたかいため「上座かみざ」とされる。暖房だんぼう必要ひつようない夏季かきは、オンドルにつながらないなつ専用せんようのかまどを使用しようする。中国ちゅうごく北部ほくぶ(カン)は、原理げんり朝鮮ちょうせんのオンドルとおなじだが寝床ねどこのみあたためる。履物はきものいで部屋へやがりゆか位置いちたか朝鮮ちょうせんでは部屋へや全体ぜんたいあたため、室内しつないでも履物はきものゆか位置いちひく中国ちゅうごくでは寝床ねどこのみあたためた。 ロシアペチカは、かまどと暖炉だんろ機能きのうそなえ、排気はいきいしやレンガできずいたけむりどうとお蓄熱ちくねつしき暖房だんぼうシステムであり、極寒ごっかんあたたかく快適かいてき室内しつない空間くうかんつくる。ペチカのうえ寝床ねどこもうけることもある。幕末ばくまつカムチャッカ半島はんとう抑留よくりゅうされた高田屋たかだや嘉兵衛かへえはペチカで暖房だんぼうされた部屋へやを「襦袢じばんのみでごせる」と表現ひょうげんした。現在げんざい北海道ほっかいどうでは石油せきゆストーブわせたペチカが一部いちぶ使用しようされている。近世きんせいのヨーロッパ北部ほくぶにも、かまどと暖炉だんろねた設備せつびがあった。


東洋とうようのかまど

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かまどの構造こうぞうは、調理ちょうりがわ焚口たきぐちがわ一致いっちする類型るいけい日本にっぽん朝鮮半島ちょうせんはんとうのほか、中国ちゅうごくのブイぞくウイグルぞくリーぞく住居じゅうきょなど)、調理ちょうりがわ焚口たきぐちがわ直交ちょっこう分離ぶんりしている類型るいけい中国ちゅうごくのサニぞく住居じゅうきょなど)、調理ちょうりがわ焚口たきぐちがわ平行へいこうめん分離ぶんりしている類型るいけい中国ちゅうごく華南かなん地域ちいき住居じゅうきょなど)などがある[2]

中国ちゅうごく

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中国ちゅうごくではしん石器せっき時代じだいには調理ちょうりよう火器かきとして住宅じゅうたくないもうけられたであるかまど出現しゅつげんした[3]地面じめんつくけのかまどをかまどといいかまどだいかまどあながある[3]かまどだいゆかめんから5cmほどたか位置いち水平面すいへいめんもうけたで、かなえなどの脚付あしつきの調理ちょうりてきした設備せつびである[3]一方いっぽうかまどあなゆかめんから15cmから20cmほどげてえん部分ぶぶんすこたかくしたで、がまなどあしかない調理ちょうり器具きぐてきしており、かまどの起源きげんとなった設備せつびである[3]

また壁面へきめんもうけたかべかまどもあり、龍山たつやま文化ぶんかでみられるこれらの設備せつび併設へいせつだんようかまど炊事すいじようくりやかまど機能きのう分化ぶんかとみられている[4]

さらにしん石器せっき時代じだいにはかまどかべかまどのほか、はこ可能かのうなコンロにがませた形態けいたいがまかまどがみられた[5]

日本にっぽん

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関西かんさいでは「へっつい」とばれることがおおいが、京都きょうとでは「おくどさん」という名称めいしょう使つかわれていた。

歴史れきし

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旧石器時代きゅうせっきじだいから縄文じょうもん時代じだい弥生やよい時代じだい古墳こふん時代じだい前期ぜんき4世紀せいき)までは日本にっぽん列島れっとうにはカマド[6]存在そんざいせず、屋内おくないがいゆかもちいられるケースがおおかった[7]弥生やよい時代じだい後期こうきから古墳こふん時代じだい前期ぜんきには、うえにおかれたあしのついたたいづけもちいられた。

5世紀せいき

その古墳こふん時代じだい前期ぜんきまつの4世紀せいきまつ5世紀せいき初頭しょとう須恵すえ焼成しょうせい技術ぎじゅつであるあなぐらかま(あながま)など、朝鮮半島ちょうせんはんとうから渡来とらいじんによってあたらしい技術ぎじゅつ文物ぶんぶつ日本にっぽん列島れっとうにもたらされるが、カマドもこのころ伝来でんらいしたと推定すいていされている[8]

この時代じだい朝鮮半島ちょうせんはんとうからの伝播でんぱをうかがわせる遺物いぶつとして、「かまどがた土器どき」とばれる土師はじただしの「移動いどうしきカマド」が遺跡いせきから出土しゅつどしている。これらは平安へいあん時代じだい905ねん延喜えんぎ5ねん)に編纂へんさんはじまった『延喜えんぎしき』で「かんかまど(からかま、からかまど)」としるされている祭祀さいしようカマドにあたるとかんがえられている[9]。20センチメートル未満みまん小型こがたかまど(ミニチュア)と、20センチメートル以上いじょう大型おおがたかまど分類ぶんるいでき、20センチメートル未満みまん小型こがたかまどは、古墳こふん時代じだいには渡来とらいじんけい被葬ひそうしゃ葬祭そうさい儀礼ぎれい使つかわれ、奈良なら平安へいあん時代じだいには都城みやこのじょうでのはらいなどの祭礼さいれい使用しようされたとかんがえられている。20センチメートル以上いじょう大型おおがたかまど実用じつようひんであろうが、大阪おおさか吹田すいたはんしま遺跡いせき(ごたんじまいせき)で出土しゅつどしたものは、がいしてススなどの付着ふちゃく顕著けんちょではない[9]

北海道ほっかいどう釧路くしろ北斗ほくと遺跡いせきこすぶん時代じだい(7世紀せいき-13世紀せいき)の竪穴たてあな建物たてもの復元ふくげん模型もけい内部ないぶ史跡しせき北斗ほくと遺跡いせき展示てんじかん展示てんじ)。おくかべ中央ちゅうおうつくけカマドがある。

上記じょうきの「移動いどうしきカマド(かまどがた土器どき)」のほか、5世紀せいき以降いこう集落しゅうらく遺跡いせき竪穴たてあな建物たてものうち北側きたがわ東側ひがしがわ壁面へきめんに「つくけカマド」がもうけられるようになる。その構造こうぞうは、建物たてもの壁際かべぎわ粘土ねんどをトンネルじょうげて焚口たきぐちとし、粘土ねんど天井てんじょうけたあな煮沸しゃふつである土師器はじきえ、そのなかこしきむようにくというものである[8]。カマドの焚口たきぐちりょうわきの「ソデ」とばれる部分ぶぶんには、いしや、せた土師器はじきかわらなどがしんざいとしてもちいられ、カマド中央ちゅうおうかれたをささえるためのささえあしにも粘土ねんどせいのものや細長ほそながいしせた須恵すえの坏などがもちいられることもあった[10]

古墳こふん時代じだい中期ちゅうき(5世紀せいき)における竪穴たてあな建物たてものへのつくけカマドの導入どうにゅうは、それまでのもちいた調理ちょうりよりねつ効率こうりつがよく、当時とうじ調理ちょうり様式ようしきに「台所だいどころ革命かくめい」ともひょうされる劇的げきてき変化へんかあたえたとられ、日本にっぽん列島れっとう広範囲こうはんい爆発ばくはつてき普及ふきゅうした[11][12]

5世紀せいきなか段階だんかいでは、早々そうそうにカマド竪穴たてあな建物たてものれて成立せいりつした神奈川かながわけん横浜よこはま都筑つづき矢崎山やさきやま遺跡いせき集落しゅうらくなどのれいもあるものの、集落しゅうらく遺跡いせきにおけるカマド普及ふきゅうりつはなお全国ぜんこくで10%、関東かんとう地方ちほうで4%程度ていどだったが、つぎ古墳こふん時代じだい後期こうき(6世紀せいき段階だんかいには全国ぜんこくで72.4%、関東かんとう地方ちほうで90%ちょう普及ふきゅうりつとなった[11]調理ちょうり用具ようぐにも変化へんかをあたえ、それまでまるどうだった土師器はじきはカマドにえやすくするためにちょうどうし、こしき普及ふきゅうし、それまで高坏たかつき主流しゅりゅうだった盛付もりつよう食器しょっきまるそこの坏(手持ても食器しょっき)が主流しゅりゅうとなっていった[11]

しちりん」とばれる小型こがた江戸えど時代じだい誕生たんじょうし、現在げんざいられる木炭もくたんようふかいバケツがたのものは明治めいじ時代じだいからつくられるようになった。[13]

1923ねん大正たいしょう12ねん)には、ガスかまど登場とうじょう従来じゅうらいから使用しようされてきた羽釜はがま専用せんよう変形へんけいてきいちくちガスレンジだいであり、1970年代ねんだいまで使用しようされた[14]

西日本にしにほんでの常用じょうよう東北とうほく北日本きたにっぽんでの使用しよう
岐阜ぎふけん中津川なかつがわ阿木あぎ大野おおの八幡やはた神社じんじゃ境内けいだいの6れんかまど
京都きょうと賀茂かも祖神そしんしゃ下賀茂しもがも神社じんじゃ大炊おおい殿でんのかまど(重要じゅうよう文化財ぶんかざい)。煙突えんとついため、焚口たきぐち排煙はいえんねる。
江戸えど庶民しょみんらす長屋ながや台所だいどころのかまど。深川ふかがわ江戸えど資料しりょうかん
江戸えど後期こうき裕福ゆうふく商家しょうかどうせいつぼづけのへっつい。かまどがみず容器ようきね、く。煙突えんとつもうけられていない。深川ふかがわ江戸えど資料しりょうかん

みなみ西日本にしにほんでは、調理ちょうりはほぼカマドをもちいておこなわれていた。近畿きんき地方ちほう旧家きゅうかには大小だいしょうかまどを4・5つらねたふくあいカマド「おくどさん」がある。そのうちでちいさなかまどは日常にちじょう炊事すいじもちい、はしにすえられた大型おおがたカマドは、ハレ炊事すいじにのみ使用しようする。

一方いっぽう東日本ひがしにっぽんではカマドがいち普及ふきゅうしながらも、囲炉裏いろり再度さいど卓越たくえつし、カマドの使用しようはすたれてしまったところがおおかった。緯度いどたかいためにふゆながく、よるなが東日本ひがしにっぽん北日本きたにっぽんでは、暖房だんぼうよう照明しょうめいようとしていえ中央ちゅうおう囲炉裏いろり常時じょうじかれている。それとべつにカマドをもうけて調理ちょうり使つかうよりも、炊事すいじおこなったほうが燃料ねんりょう浪費ろうひおさえられるためである。岩手いわてけん山村さんそんでは、炊事すいじはすべて囲炉裏いろりおこない、めしがまではなくなべく。カマドは「とな」とばれる、うしうま飼料しりょう目的もくてきにのみ使用しようされる。北海道ほっかいどうでは、7世紀せいきごろのこすぶん時代じだいいちはカマドが普及ふきゅうしたものの、次第しだいすたれた。アイヌ民族みんぞく民家みんかチセには、おおきな囲炉裏いろりのみでかまどが存在そんざいしない。調理ちょうりはスワッ(自在鉤じざいかぎ)でられたなべおこなう。行事ぎょうじ野営やえいなどで野外やがい炊事すいじするさいも、いしなべささえようとはせず、三脚さんきゃくからなべる。

かまどと信仰しんこう

5世紀せいきなかばころにかまどしん信仰しんこう普及ふきゅうし、カマド構築こうちくざい粘土ねんどない祭祀さいしである「いしせい模造もぞうひん」を封入ふうにゅうしたれいや、竪穴たてあな建物たてもの解体かいたいするさいに「カマドしずめ」をおこなった形跡けいせき発見はっけんされている[15]

なお愛知あいちけんおくさんかわ地方ちほう長野ながのけん伊那いな地方ちほうには鎌倉かまくら時代ときよよりつたわるまつり「花祭はなまつり」があり、「湯立ゆだて神事しんじ」をおこなう。まつりのさいかまどをきずいてかし、クライマックスでおにふんしたおどしゅなかかれ、邪気じゃきはらう。神事しんじ以外いがいでも、神社じんじゃやおどうなどの公共こうきょう祭事さいじしやだんることを目的もくてきとしたかまどが併設へいせつされていることがある。

煙突えんとつ有無うむ変化へんか

古墳こふん時代じだい後期こうきから平安へいあん時代じだいには全国ぜんこくてき普及ふきゅうしたカマドには、屋外おくがいけむり排出はいしゅつするためのけむりどう発達はったつしていた[よう出典しゅってん]

しかし、庶民しょみん住居じゅうきょ竪穴たてあな建物たてものから掘立柱ほったてばしら建物たてもの移行いこうするにしたがい、けむりどううしなわれた[よう出典しゅってん]。カマドはぐちなべがまをしかけるあなのみがもうけられた構造こうぞうとなり、たきぎ燃焼ねんしょうしょうじたけむり焚口たきぐちから屋内おくない排出はいしゅつされ、屋根裏やねうらとおって屋根やねもうけられた「煙出けむだし」のあなから屋外おくがいされるようになった。高温こうおん多湿たしつ気候きこう日本にっぽんにおいて家屋かおく腐朽ふきゅうシロアリからまもるには、カマドから屋内おくないけむりさせ、屋根やねざい家屋かおくを「燻製くんせい」にして防腐ぼうふ効果こうかねら必要ひつようがあったためである。瓦葺かわらぶきの家屋かおくでも、カマドやへっついには、あえて煙突えんとつもうけられていなかった。煙突えんとつ日本にっぽんのカマドに復活ふっかつしたのは、西洋せいよう文明ぶんめいだい規模きぼ渡来とらいした明治めいじ以降いこうになってからだった[よう出典しゅってん]

構造こうぞう

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のまわりのがこいが基本きほん構造こうぞう

日本にっぽんのものは上部じょうぶに「屋根やね」や「天井てんじょう」に相当そうとうするものがかかり、なべがまをかけるあなひらいている。燃料ねんりょう投入とうにゅうし、はいなどのかすすためのくちもうけられている。このくち火加減ひかげん調節ちょうせつするためにも使つかわれ、金属きんぞくせいぶたがついているものや、ぶたあなおおきさを調整ちょうせい可能かのうなものもある。くち手前てまえにあるのが基本きほんだが、かす排出はいしゅつこう戸外こがいもうけられたものもある。

昭和しょうわ以降いこう

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戦後せんごでも一般いっぱんてき使用しようされていた。しかし戦後せんごから高度こうど経済けいざい成長せいちょうにかけて、炊飯すいはんガスコンロってわられ、ごく一部いちぶひとしか使つかわなくなった。[1] 地方ちほう農家のうか土間どまのこるかまどもほこりをかぶった状態じょうたい放置ほうちされている。その一方いっぽうで、都市とし和風わふう飲食いんしょくてんでは、日本にっぽんしきのかまどを再現さいげんして煮炊にたきに利用りようし、それをアピールポイントとして宣伝せんでんしていることもある。

キャンプじょうやバーベキューじょうには設置せっちされていることがおおい。また屋外おくがいもよおものでも移動いどうしきのかまどが使用しようされる。キャンプきなひと個人こじん所有しょゆうしている。移動いどうしきのものは楽天らくてんやAmazonなどネット通販つうはんでも販売はんばいされている[16][17]

災害さいがいときには電気でんき・ガスが停止ていしした状態じょうたい避難ひなんしゃ食事しょくじ提供ていきょうする必要ひつようがあるので、避難ひなん場所ばしょ指定していされている学校がっこう公園こうえんなどに固定こていしきかまどを設置せっちする防災ぼうさい活動かつどうもある[18]平時へいじにはベンチとして使つかえ、災害さいがいにかまどとして使つかえるものも製造せいぞう販売はんばいされている。[19][20][21][22]

タイガたいが魔法瓶まほうびんは2023ねんに100周年しゅうねん記念きねんして、「魔法まほうのかまどごはん」という、電気でんきやガスを使つかわず、新聞紙しんぶんし1朝刊ちょうかん1回分かいぶん)を燃料ねんりょうにしておいしいごはんをけるかまどを発売はつばいした。[23]

なお1950年代ねんだいころまでは一般いっぱん使つかわれていたため、かまどによるめし美味おいしいかたつたわっており、パナソニックはためきだけで20ねんほどの年月としつきと3トンものこめ消費しょうひ改良かいりょうかさね、製品せいひんめいに『かまど』をふくめた「プレミアム炊飯すいはん」を2008ねん発売はつばいした[24]

世界せかい進出しんしゅつする改良かいりょうがた日本にっぽんしきかまど

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日本にっぽんではその役割やくわりえたかまどではあるが、アフリカ東南とうなんアジアなどといった紛争ふんそう政治せいじてき混乱こんらんにより社会しゃかい整備せいびすすんでいないくにや、また古代こだいさながらの原始げんしてき生活せいかつをしている民族みんぞくもおり、これらの人々ひとびと戸外こがいはだかによる調理ちょうりをしている。しかしこれらのくににおける樹木じゅもくなどの燃料ねんりょう資源しげんかぎられ、難民なんみんなどのかたちいちきょく集中しゅうちゅうきたさいには、またた周囲しゅうい樹木じゅもくらん伐採ばっさいされてるなどのてき環境かんきょう破壊はかい発生はっせいしている。

このためそのような地域ちいきでは、より効率こうりつ調理ちょうり手段しゅだんもとめられてもおり、これにおうじて現地げんち日本にっぽんしきのかまどのつくかたつたえるなどといった運動うんどうをしているというはなしかれる。これらではすみ使用しようふくめて、森林しんりん保護ほご効果こうかがあるとひょうされているという。なお難民なんみんなど移動いどうおお場合ばあいには、ななりん利用りようといった運動うんどうかれる。(→ななりん

国際こくさい協力きょうりょく機構きこう(JICA)に所属しょぞくケニア在住ざいじゅう日本人にっぽんじん食物しょくもつ栄養えいよう学者がくしゃである岸田きしだ袈裟けさは、1994ねん西にしケニアしゅうのエンザロむらで、其処にある材料ざいりょう現地げんち需要じゅようそくして改良かいりょうした日本にっぽんしきのかまどをつくげた。これが現地げんちで「Enzaro Jiko エンザロ・ジコ」や 「Kamado Jiko カマド・ジコ」(Jikoはスワヒリで「かまど」の)とばれて、好評こうひょうんでいるという。彼女かのじょ現地げんち家庭かてい台所だいどころ事情じじょう調査ちょうさかたわらや地域ちいき援助えんじょさいにこのかまどづくりをつたえ、さらにそのかまどのつくかた現地げんち人々ひとびとあいだつたわれている。

このかまどは日干ひぼしレンガかいし土台どだいつく粘土ねんどがたととのえてつくられる。とくにおかねをかける必要ひつようもなく、ひとだけで数時間すうじかんつくることが可能かのうで、2週間しゅうかんほどかわかせば使用しようできるようになる。はだか使つかった従来じゅうらいでは1に1つの料理りょうりしかつくれなかったが、改良かいりょうしたかまどでは同時どうじに3種類しゅるい調理ちょうりおこなえることから主婦しゅふたち労力ろうりょく削減さくげんになる。また、従来じゅうらいちがってかがむ必要ひつようもなくったままで調理ちょうりができることから、腰痛ようつうり、主婦しゅふたち健康けんこう改善かいぜんにも役立やくだつ。さらに、たきぎ消費しょうひりょう従来じゅうらいの4ぶんの1でむため、たきぎあつめる時間じかん労力ろうりょく節約せつやくでき、同時どうじ森林しんりん保護ほごにもつながる。従来じゅうらい生活せいかつ廃水はいすい流入りゅうにゅうするようなかわみずでもかしてむのはむずかしく、子供こどもたちの7にん1人ひとりは5さいまえ病気びょうきんでいたが、従来じゅうらいの4ぶんの1のたきぎ同時どうじに3種類しゅるい調理ちょうりができる効率こうりついかまどの導入どうにゅうによってみず煮沸しゃふつ消毒しょうどく容易よういになり、衛生えいせいてき湯冷ゆざましめるようになってからは、子供こども死亡しぼうりつは135にんちゅう1にん激減げきげんした。エンザロ・ジコはいまではケニアのほかのしゅう隣国りんごくのウガンダにもひろがっている。[25][26]

JICAによると、エンザロ・ジコ以外いがいにもどう機構きこう技術ぎじゅつ協力きょうりょくプロジェクトの派遣はけんさきにて日本にっぽんしきかまどを現地げんちにある材料ざいりょう使つかいながらつたえる活動かつどうおこなわれているとう。アフリカマリニジェールブルキナファソルワンダタンザニアのほか中南米ちゅうなんべいメキシコ、また南米なんべいではボリビアなどでもかまどづくりがつたえられている。こちらはエンザロ・ジコのような石組いしぐみに方式ほうしき以外いがいにも煉瓦れんが利用りようしている地域ちいきもあるようで、従来じゅうらいからある煉瓦れんが流用りゅうようした簡易かんいをかまどふうなお活動かつどうられる。(れい:ボリビア)

こういった活動かつどう地域ちいき健康けんこう促進そくしんするだけではなく、同時どうじ家事かじ束縛そくばくされる主婦しゅふ燃料ねんりょう調達ちょうたつわれる子供こどもたちの労働ろうどう時間じかん短縮たんしゅくされ、これによって農作業のうさぎょうおおくの時間じかんをかけられるようになり、地域ちいき農業のうぎょう生産せいさんりょく向上こうじょうしたり、女性じょせい地位ちい向上こうじょう子供こども学力がくりょく向上こうじょうにも好影響こうえいきょうあたえている。

インドなどではタンドールという伝統でんとうてきなかまどがあり、日本にっぽん本格ほんかくインド料理りょうりてんなどにいくと、このタンドールが実用じつようきょうされているところがられる(→タンドリーチキンナン)。

西洋せいようのかまど

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歴史れきし

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古代こだいローマではかまど女神めがみウェスタ)もおり、かまどのえないように管理かんりする巫女ふじょウェスタの処女しょじょ)も存在そんざいした。沖縄おきなわでは、「ヒヌカン」(かみ)のご神体しんたいは、かまどの基本形きほんけいである3つのいしである。

イギリスではベンジャミン・トンプソンが19世紀せいき後半こうはんあぶきによるあじ栄養えいよう損失そんしつと、「うまくすればゆうに50にんぶん以上いじょう夕食ゆうしょくつくれるほどの燃料ねんりょう使つかって、やかんのをわかすことがよくある」とひょうしたかまどのねつ効率こうりつわるさと、その燃料ねんりょう木炭もくたんから有害ゆうがいガスに対処たいしょしようと、かれ爵位しゃくいをとって『ランフォードのかまど』(en)とばれるかま作成さくせいした。これはミュンヘン貧民ひんみん収容しゅうよう施設しせつとう設置せっちされたが、オーブンちょくによるあぶき(ロースト)を厳格げんかく区別くべつする西洋せいようにおいてはオーブンと做され、あぶきをこのむイギリス文化ぶんかけんではれられなかった[27]

構造こうぞう

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イタリアなどのかまピザやパンをくだけでなく、なべれて煮込にこ料理りょうりつくることも。
ベルギーふるいかまど

ヨーロッパ西にしアジア中東ちゅうとう方面ほうめんでは、余熱よねつ使つか種類しゅるいのかまどもおおい(→石窯いしがま)。こちらはによって調理ちょうり器具きぐ加熱かねつするのではなく、なかでいったん大量たいりょうたきぎなどの燃料ねんりょうをくべて石造いしづくりの自身じしん加熱かねつ十分じゅうぶん過熱かねつされたところでまだあつはい左右さゆうしのけ、けたいしのうえになべかねがたなどの調理ちょうり器具きぐ食材しょくざいせ、ないねつ調理ちょうりする。これは「たきぎオーブン」ともばれ、パンパイくのにてきしており、また加熱かねつちゅう一定いってい以上いじょう過熱かねつされることがないことからはなっておけ、また大量たいりょう調理ちょうりにもてきしている(むしろ少量しょうりょう調理ちょうりには不便ふべんである)ため、とく農繁期のうはんき労働ろうどうしゃ食事しょくじ提供ていきょうするためにも利用りようされ、なべれた料理りょうりめないよう保温ほおん利用りようすることもあった。イタリアピザ本式ほんしきではそのようなたきぎオーブンで調理ちょうりされる。


しかまど

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しかまどは、陶器とうき上蓋あげぶたしたうつわなかがまをたく空間くうかんつつ構成こうせいしたもので、陶器とうきなかやし、こめくなどの調理ちょうりおこなうものである。1930ねん昭和しょうわ5ねん)に福島ふくしまけん磐城いわきぐんたいらまちしょう鍛冶かじ兼吉けんきち特許とっきょ取得しゅとくした[28]

かまどと文明ぶんめいろん

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かまどの発達はったつ文明ぶんめい発達はったつおおきく寄与きよしたともかんがえられる。調理ちょうり一極いっきょく専門せんもんみ、かまどを中心ちゅうしんひと集中しゅうちゅうするようになり、従来じゅうらい調理ちょうり手間てまかっていたためにしょくまかなえるひとかずはそれほどおおくなかったのにたいし、かまどでは高温こうおんでの連続れんぞく集中しゅうちゅう調理ちょうりおおくのひと食事しょくじまかなえ、これにより人口じんこう集中しゅうちゅう発生はっせい、そこに文明ぶんめいはぐくまれた。[よう出典しゅってん]

次第しだい文明ぶんめい発達はったつしていくなかで、調理ちょうりよう熱源ねつげんとしてガスコンロのようなほか燃料ねんりょうによる簡便かんべん調理ちょうりよう利用りようされるようになると、次第しだいにその役目やくめえて姿すがたしていった。[よう出典しゅってん]

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ a b 古代こだいのレンジだい「カマド」”. 横浜よこはま歴史れきし博物館はくぶつかん. 2024ねん7がつ8にち閲覧えつらん
  2. ^ 浅川あさがわしげるおとこまいの民族みんぞく建築けんちくがく』1994ねん、138-139ぺーじ 
  3. ^ a b c d 浅川あさがわしげるおとこまいの民族みんぞく建築けんちくがく』1994ねん、139ぺーじ 
  4. ^ 浅川あさがわしげるおとこまいの民族みんぞく建築けんちくがく』1994ねん、139-140ぺーじ 
  5. ^ 浅川あさがわしげるおとこまいの民族みんぞく建築けんちくがく』1994ねん、140ぺーじ 
  6. ^ 考古学こうこがくでは、現在げんざいかまど区別くべつして、かまど機能きのうつものという意味合いみあいで、慣例かんれいてきにカタカナ表記ひょうきもちいる。
  7. ^ 埋蔵まいぞう文化財ぶんかざいセンター. “ためになる?まめ知識ちしき-古代こだいのレンジだい「カマド」-”. 公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん横浜よこはまふるさと歴史れきし財団ざいだん. 2022ねん4がつ24にち閲覧えつらん
  8. ^ a b 横浜よこはま歴史れきし博物館はくぶつかん 2012, p. 5.
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参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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