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スワヒリ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
スワヒリ
Kiswahili
はなされるくに タンザニアの旗 タンザニア
 ケニア
ウガンダの旗 ウガンダ
 コンゴ民主みんしゅ共和きょうわこく
ルワンダの旗 ルワンダ
ブルンジの旗 ブルンジ
ソマリアの旗 ソマリア
コモロの旗 コモロ
モザンビークの旗 モザンビーク
マラウイの旗 マラウイ
マヨット
地域ちいき ひがしアフリカ
話者わしゃすう ~500まんにんだいいち言語げんご
3000まん~5000まんにんだい言語げんご
言語げんご系統けいとう
ニジェール・コンゴ語族ごぞく
表記ひょうき体系たいけい ラテン文字もじアラビア文字もじ
公的こうてき地位ちい
公用こうよう  ケニア
タンザニアの旗 タンザニア
ウガンダの旗 ウガンダ
ルワンダの旗 ルワンダ
統制とうせい機関きかん

ケニアの旗 国立こくりつスワヒリ協会きょうかい英語えいごばんスワヒリばん

タンザニアの旗 国立こくりつスワヒリ評議ひょうぎかい英語えいごばんスワヒリばん
言語げんごコード
ISO 639-1 sw
ISO 639-2 swa
ISO 639-3 swaマクロランゲージ
個別こべつコード:
swc — コンゴ・スワヒリ
swh — スワヒリ
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スワヒリ(スワヒリご、Kiswahili)は、ニジェール・コンゴ語族ごぞくベヌエ・コンゴぐん英語えいごばんバントゥーぐんぞくす、アフリカ東岸とうがんくにえてひろ使つかわれている言語げんごケニアタンザニアウガンダルワンダでは公用こうようとなっている。

スワヒリ自体じたいでは、「〜かたり」を意味いみする接頭せっとうki-[注釈ちゅうしゃく 1]けてKiswahili(キスワヒリ)という。なおWaswahiliはスワヒリけん人々ひとびとを、Uswahiliはスワヒリの人々ひとびと文化ぶんかす。

概要がいよう

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もともとスワヒリはアラビア文字もじかれていたが、19世紀せいきまつ以後いご宣教せんきょうだんによってラテン文字もじ記述きじゅつほう開発かいはつされ、主流しゅりゅうとなった。この文章ぶんしょうローマ・カトリックおもいのである。さい上部じょうぶにスワヒリでBaba Yetu(ババ・イェトゥ、われらのちち)との表記ひょうきがある[1]

スワヒリひがしアフリカ沿岸えんがん地域ちいきおおくの民族みんぞく母語ぼごとなっているバントゥー諸語しょごひとつである。 かず世紀せいきにわたるアラブけい商人しょうにんとバントゥーけいしょ民族みんぞく交易こうえきなかで、現地げんちのバントゥー諸語しょごアラビア影響えいきょうくわわって形成けいせいされた言語げんごであり、語彙ごいやく50%はアラビア由来ゆらいする(ただし、21世紀せいき初頭しょとうにおいて使用しようされているアラビア由来ゆらい語彙ごいは30%程度ていどであり、しかも英語えいごなどによってえられつつあるため減少げんしょう傾向けいこうにある)[2]。しかしあくまでもアラビア影響えいきょう語彙ごい借用しゃくようにとどまっており、語幹ごかんはあくまでもバントゥー諸語しょごのものであるため、ピジン言語げんごクレオール言語げんごではなく、バントゥー諸語しょごのひとつに分類ぶんるいされている。また、ペルシャドイツポルトガルインドの言語げんご英語えいごからの借用しゃくようられる。母語ぼごとしての使用しようしゃは、ザンジバル全域ぜんいき使用しようされているほかはケニアおよびタンザニアの沿岸えんがんにおいて使用しようされるのみであるが、現在げんざいひがしアフリカではおもだい言語げんごとしてすうせんまんにん使用しようされており、ことなる母語ぼご民族みんぞく同士どうし共通きょうつうとしての役割やくわりたしている。

タンザニアケニアでは公用こうようコンゴ民主みんしゅ共和きょうわこくでは国語こくごさだめられている。また、ウガンダは1992ねんにスワヒリ小学校しょうがっこう必修ひっしゅう科目かもく指定していし(実態じったいともなっていない)、2005ねんにはひがしアフリカ連邦れんぽう構想こうそう念頭ねんとう公用こうよう指定していした。スワヒリとそのきんえん言語げんごは、コモロのほぼ全域ぜんいきコモロ参照さんしょう)、ブルンジルワンダザンビア北部ほくぶマラウイモザンビークソマリア南部なんぶ沿岸えんがん地域ちいき一部いちぶでもはなされている[3]。コモロはスワヒリきんえん言語げんごであるが、アラビアからの借用しゃくよう要素ようそがよりおおいものである[4]。スワヒリ話者わしゃはかつてきたモガディシュまでひろがっており、紅海こうかい南部なんぶみなとアラビア半島はんとう南岸なんがんペルシャ湾ぺるしゃわんきしでも通用つうようした[5][6]。しかし、20世紀せいきなかばまでにソマリアにおけるスワヒリ範囲はんいキスマヨバラワおよび周辺しゅうへん海岸かいがん沿いと沖合おきあい小島こじまのみへとせばまり、1990ねんにはスワヒリ話者わしゃふくおおくのバントゥーけい内戦ないせんけてケニアへながれた。現在げんざいソマリアにのこっているスワヒリ話者わしゃ人口じんこうさだかでない。また、アフリカ連合れんごうにおいては英語えいごフランス語ふらんすごスペインポルトガルアラビアならんで6つの公用こうようのうちのひとつとなっている。スワヒリ話者わしゃ増大ぞうだい言語げんご地位ちい上昇じょうしょうともない、世界せかい各国かっこく放送ほうそうきょくがスワヒリ放送ほうそう開始かいししている。スワヒリけん以外いがいでスワヒリ放送ほうそうおこなっている、あるいはっていた放送ほうそうきょくは、BBCワールドサービスボイス・オブ・アメリカドイチェ・ヴェレロシアのこえ中国ちゅうごく国際こくさい放送ほうそうラジオ・フランス・アンテルナショナル、ラジオ・スーダン、ラジオ・みなみアフリカなどである。

ガスリーによるバントゥー諸語しょご分類ぶんるいほうでは、スワヒリはGゾーンにぞくする。

スワヒリというかたりは、アラビアで「海岸かいがんひと」を意味いみする「sawāhalii سواحلي」に由来ゆらいする(sawāhaliiは「sāhil ساحل」(海岸かいがん境界きょうかい)の複数ふくすうがた「sawāhil سواحل」の派生はせい)。

られているもっとふるいスワヒリ文献ぶんけんは、1711ねんキルワとうでアラビア文字もじかれた手紙てがみである。これはキルワ王国おうこくのスルターンが、モザンビークポルトガルじんと、地元じもと同盟どうめいこくけていたものである。この手紙てがみは、現在げんざいインドゴアにある歴史れきしてき公文書こうぶんしょかん収蔵しゅうぞうされている[7]。このほか、られている最古さいこのスワヒリ文献ぶんけんひとつには1728ねんの『Utendi wa Tambuka』(Tambukaの物語ものがたり)とだいするアラビア文字もじによる叙事詩じょじしがある。ラテン文字もじ一般いっぱんしたのはヨーロッパ諸国しょこくによる植民しょくみん以後いごのことである。

スワヒリは「メサリスワヒリばん (methali)」、すなわち言葉ことばあそび・洒落しゃれ韻文いんぶんかたちをとることわざ寓話ぐうわるい発達はったつしている(れいHaraka haraka haina baraka 英訳えいやく:Hurry hurry has no blessing)[8]。メサリはスワヒリラップ(Swahili rap, Swah rap)のなかにもることができ、音楽おんがく文化ぶんか歴史れきし地域ちいきてき質感しつかんあたえている。

歴史れきし

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スワヒリ由来ゆらい

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現代げんだいスワヒリにはアラビアペルシャ以外いがいにも英語えいごからなどの借用しゃくようおおふくまれており、とくに語彙ごいの5わりがアラビアであるとわれている[2]ため、クレオール言語げんごひとつとなされているが、学説がくせつじょうでは単一たんいつ言語げんご起源きげんせつ複数ふくすう言語げんごてきかく存在そんざい想定そうていするせつかれている。

単一たんいつ起源きげんせつ
マインホフやレールによれば、現在げんざいザラモぞく英語えいごばん祖先そせん(Washombiぞく)がスワヒリぞく英語えいごばんであり、スワヒリ海岸かいがんんでいたかれらが利用りようしていた言語げんごにアラブやペルシャ語彙ごいじったものがスワヒリだったというものである。根拠こんきょとしてはマサイでスワヒリがEnguduku ol-Ashumbaとすることがあげられている。
単一たんいつ起源きげんせつ
イスラームした海岸かいがんしょ民族みんぞくは、民族みんぞく区別くべつされアラブじん同一どういつ社会しゃかい構成こうせいした。その場合ばあい14-15世紀せいきにスワヒリ媒介ばいかいとしたうす連帯れんたいが16世紀せいき完成かんせいしたとなす。その場合ばあい発祥はっしょう中心ちゅうしんとしてラムとう想定そうていするクルムなどがいるが、アラビアじん最初さいしょ逗留とうりゅうはソマリア海岸かいがんであることから反論はんろんされている。

発展はってん伝播でんぱ

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アラビア文字もじかれたスワヒリのコイン。ザンジバルの1Pysar硬貨こうか。イスラムれき1299ねん(西暦せいれき1882ねん)発行はっこう
アラビア文字もじかれたスワヒリ。ケニア、ラムとう家屋かおくのドア
アラビア文字もじかれたスワヒリ。ケニア、モンバサフォート・ジーザス

上記じょうきのようなさまざまなせつがあるものの、アフリカ東部とうぶ沿岸えんがんポルトガル来航らいこうした16世紀せいき初頭しょとうまでにはスワヒリとしてある程度ていどととのった言語げんご体系たいけいがすでに成立せいりつしていたとかんがえられている。しかし、その範囲はんいはそれほどひろいものではなかった。スワヒリ沿岸えんがん全体ぜんたい拡散かくさんしていくのは、ポルトガルがこの地域ちいき覇権はけんにぎった16世紀せいきからとかんがえられている。アラブじんがポルトガルによって排除はいじょされたことから、それまでこの地域ちいき商業しょうぎょうよう言語げんごであったアラビア影響えいきょうりょく衰退すいたいし、かわってスワヒリ商業しょうぎょう言語げんごとして台頭たいとうしてきた。スワヒリ母語ぼごとするシラジひとがこのころザンジバルを中心ちゅうしん勢力せいりょく拡大かくだいしているのもスワヒリ拡散かくさん一因いちいんとなった。17世紀せいきにはポルトガルにわってアラビア母語ぼごとするオマーンのヤアーリバあさがこの地域ちいき覇権はけんにぎるが、ほどなくしてオマーン本土ほんど混乱こんらんしょうじたため強力きょうりょく統治とうちおこなうことができず、文化ぶんかてき影響えいきょうはそれほどおおきくなかった。

こうしてイスラームした海岸かいがん中心ちゅうしん海岸かいがんしょ都市とし母語ぼごとなったスワヒリは、1800ねんごろから内陸ないりくへの伝播でんぱがはじまる。海岸かいがん内陸ないりくとの交易こうえきがさかんとなり、とくに海岸かいがんザンジバルシティ本拠ほんきょいたオマーン王国おうこくブーサイードあさサイイド・サイードおうしたでキャラバン交易こうえききゅう拡大かくだいする。奴隷どれい象牙ぞうげなどをもとめて内陸ないりくキャラバンはいっていき、それにともなってリンガフランカとしてのスワヒリ拡大かくだいはじまった。1880年代ねんだいキリスト教きりすときょう宣教師せんきょうしによってスワヒリラテン文字もじ表記ひょうき開発かいはつされると、それまでアラビア文字もじとおしてあったイスラム教いすらむきょうとのつよいつながりがよわまり、純粋じゅんすい交易こうえきよう言語げんごとなったスワヒリキリスト教徒きりすときょうとなどにもれやすいものとなった[9]19世紀せいきすえになるとザンジバル・スルタンこくりょうだった海岸かいがんはイギリスとドイツに分割ぶんかつされたが、両国りょうこくともに支配しはいよう言語げんごとしてスワヒリ重視じゅうしし、積極せっきょくてき普及ふきゅうおこなった。だいいち世界せかい大戦たいせんわり、ドイツりょうだったタンガニーカがイギリスりょうとなると、イギリスはこの地域ちいきえいりょうひがしアフリカ植民しょくみんとしてまとめ、域内いきないのリンガフランカとしてスワヒリ利用りようした。

しかし、この時期じきまでのスワヒリ方言ほうげん連続れんぞくたいであり、いわゆる標準ひょうじゅん存在そんざいしなかった。そこで1928ねん6がつモンバサひがしアフリカの植民しょくみんあいだ会議かいぎおこなわれ、そこで標準ひょうじゅん採用さいよう正式せいしき決定けっていされた。候補こうほはケニアのモンバサ方言ほうげんザンジバルのザンジバル都市とし方言ほうげんであったが、イスラムとむすびついているモンバサ方言ほうげんたい交易こうえきよう言語げんごとしてより広範囲こうはんいひろがっていたザンジバル都市とし方言ほうげんのほうが好適こうてき判断はんだんされ、1930ねんには領土りょうどあいだ言語げんご委員いいんかい設置せっちされてザンジバル都市とし方言ほうげんもととした標準ひょうじゅん制定せいてい開始かいしされた。この委員いいんかいにはスワヒリ母語ぼご話者わしゃ存在そんざいしなかったが、これによって正書法せいしょほう確立かくりつされ、また辞書じしょ編纂へんさんなどによって標準ひょうじゅんスワヒリはこの時期じき確立かくりつした[10]

音韻おんいん

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さまざまな言語げんご文化ぶんか背景はいけい広範囲こうはんい地域ちいき通用つうようする共通きょうつうとして発展はってんした経緯けいいがあるためか、スワヒリはサハラ以南いなん言語げんごとしてはめずらしく声調せいちょうたない。ただしモンバサはなされるMvita方言ほうげん例外れいがい

母音ぼいん

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標準ひょうじゅんスワヒリ/ɑ//ɛ//i//ɔ//u/ の5母音ぼいん音素おんそ /u/発音はつおんIPAにおける [u][o]なかあいだである(イタリアのuにる)。母音ぼいん弱化じゃっかつよいきおいにかかわらずこらない。欧米おうべい言語げんごおお重母音じゅうぼいんはなく、連続れんぞくする母音ぼいん別々べつべつ母音ぼいんとして発音はつおん[注釈ちゅうしゃく 2]される(れいchui [tʃu.i]ひょう))

子音しいん

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りょう唇音しんおん くちびる歯音しおん 歯音しおん 歯茎はぐきおん 後部こうぶ歯茎はぐきおん かた口蓋こうがいおん 軟口蓋なんこうがいおん 声門せいもんおん
鼻音びおん閉鎖へいさおん m /m/ n /n/ ny /ɲ/ ng’ /ŋ/
ぜん鼻音びおん閉鎖へいさおん mb /ᵐb/ nd /ⁿd/ nj /ᶮɟ~ⁿdʒ/ ng /ᵑɡ/
にゅうやぶおと b /ɓ/ d /ɗ/ j /ʄ/ g /ɠ/
閉鎖へいさおん p /p/ t /t/ ch /tʃ/ k /k/
ゆう閉鎖へいさおん (p /pʰ/) (t /tʰ/) (ch /tʃʰ/) (k /kʰ/)
ぜん鼻音びおん摩擦音まさつおん mv /ᵐv/ nz /ⁿz/
ゆうごえ摩擦音まさつおん v /v/ (dh /ð/) z /z/ (gh /ɣ/)
無声むせい摩擦音まさつおん f /f/ (th /θしーた/) s /s/ sh /ʃ/ (kh /x/) h /h/
ふるえおん r /r/
側面そくめん接近せっきんおん l /l/
接近せっきんおん y /j/ w /w/

註:

  • 鼻音びおん閉鎖へいさおん閉鎖へいさおん直前ちょくぜんあらわれるとき独立どくりつした音節おんせつをなす(れいmtoto [m.to.to]子供こども)、nilimpiga [ni.li.m.pi.ɠa]わたしかれなぐった))。また、ぜん鼻音びおん閉鎖へいさおん音節おんせつ分割ぶんかつされる場合ばあいれいmbwa [m.bwa]いぬ))があるが、普通ふつうこらない(れいndizi [ndi.zi](バナナ)、nenda [ne.nda]く) ※[nen.da]ではない)。
  • 摩擦音まさつおん th dh kh gh はアラビアからの借用しゃくようである。おおくのスワヒリ話者わしゃはそれぞれ [s] [z] [h] [r]発音はつおんする。
  • スワヒリ正書法せいしょほうおんゆうおん区別くべつしない。Nクラスの名詞めいし閉鎖へいさおんはじまる場合ばあいおびによって弁別べんべつする方言ほうげんもあるが(れいtembo [tembo](ヤシしゅ)にたいしてNクラス名詞めいし tembo [tʰembo]ぞう))、一般いっぱんてきではない。ゆうおんアポストロフィーあらわ方法ほうほうもある(t'emboぞう))。
  • lrおお混同こんどうされており(その程度ていどかく話者わしゃ母語ぼご音韻おんいん構造こうぞうによる)、どちらもしばしば [ɺ]日本語にほんごでは、語頭ごとうの「ら」ぎょうあらわれる)と発音はつおんされる。

表記ひょうき

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かつてはアラビア文字もじ使つかわれたが、現在げんざいでは公的こうてき場面ばめん学校がっこう教育きょういくではラテン文字もじ表記ひょうきもちいている。ただし、現在げんざいでもイスラム教徒きょうと私信ししんなどにおいてアラビア文字もじかれることがある。

ラテン文字もじ表記ひょうき

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スワヒリアルファベット
A B Ch D E F G H I J K L M N O P R S T U V W Y Z
/a/ /b/ /ʧ/ /d/ /e/ /f/ /g/ /h/ /i/ /ɟ/ /k/ /l/ /m/ /n/ /o/ /p/ /r/ /s/ /t/ /u/ /v/ /w/ /j/ /z/
dh gh ng' ny sh th
/ð/ /γがんま/ /ŋ/ /ɲ/ /ʃ/ /θしーた/
  • q と x は使用しようされない。
  • c は単独たんどく使つかわれることはなく、つねに ch とかれる。
  • ng' は子音しいん /ŋ/あらわすが、ng のようにアポストロフィーがないとじゅう子音しいん /ng/ となる。

アラビア文字もじ表記ひょうき

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アラビア文字もじ
スワヒリ
ラテン文字もじ
スワヒリ
ا aa
ب b p mb mp bw pw mbw mpw
ت t nt
ث th?
ج j nj ng ng' ny
ح h
خ kh h
د d nd
ذ dh?
ر r d nd
ز z nz
س s
ش sh ch
ص s, sw
ض ?
ط t tw chw
ظ z th dh dhw
ع ?
غ gh g ng ng'
ف f fy v vy mv p
ق k g ng ch sh ny
ك
ل l
م m
ن n
ه h
و w
ي y ny
アラビア文字もじかれたスワヒリふく女性じょせい。タンザニア、1900年代ねんだい初頭しょとう

スワヒリをアラビア文字もじ表記ひょうきする場合ばあい、アラビア由来ゆらいする単語たんごかんしては元々もともとのアラビアとおりにつづられる。そのさい、スワヒリでは発音はつおんじょう区別くべつされない音素おんそも、アラビアとおりに表記ひょうきけられる。

以下いかスワヒリ特有とくゆうのアラビア文字もじ表記ひょうきかんして説明せつめいする。nd、nj、nyにかんしてはそれに対応たいおうするアラビア文字もじならべて表記ひょうきする。p,chを表記ひょうきする文字もじはアラビアには存在そんざいしないが、スワヒリではペルシア同様どうよう、b、jのてんを3てんやしたかたち表記ひょうきする。gはアラビア文字もじのghのてんを2てんやし、てんよこならべたかたち表記ひょうきし、ngはnとghのてんを2てんにしたものをならべて表記ひょうきする。vはアラビア文字もじのwのものの上部じょうぶてんを3てんくわえたかたち表記ひょうきする。母音ぼいん表記ひょうきかんしては大陸たいりくのものとザンジバルのものとで若干じゃっかんことなる。スワヒリ原則げんそく母音ぼいん長短ちょうたん区別くべつしない言語げんごであり、アラビア由来ゆらいする語彙ごい以外いがいは、すべ母音ぼいん母音ぼいん符号ふごうのみで表記ひょうきする。a,i,uはアラビア母音ぼいん符号ふごう同様どうようのものを使用しようする。eにかんしては、大陸たいりくでは子音しいん下部かぶたて直線ちょくせんき、ザンジバルではレてんのような符号ふごう子音しいん下部かぶつ。oにかんしては大陸たいりくではuの符号ふごうを、180回転かいてんさせたものを子音しいん上部じょうぶち、ザンジバルではレてん子音しいん上部じょうぶつ。[11]

文法ぶんぽう

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名詞めいしクラス

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バントゥー諸語しょご全体ぜんたい特徴とくちょうでもあるが、名詞めいしはいくつかの部類ぶるい分類ぶんるいされ、部類ぶるいごとに特定とくてい接頭せっとうく。その部類ぶるい名詞めいしクラスしょうする。さらにどの部類ぶるい名詞めいし形容けいようするかによって形容詞けいようし変化へんかし、どの部類ぶるい名詞めいし主語しゅごあるいは目的もくてきにするかによって動詞どうし変化へんかする。このため、文脈ぶんみゃくじょうあきらかな場合ばあい主語しゅご目的もくてき省略しょうりゃくできる。

Meinhof systemのっとって単数たんすう複数ふくすう別々べつべつかぞえるなら、祖語そごには22クラスあったとされ、ほとんどのバントゥー諸語しょごすくなくともそのうち10クラスをゆうしている。スワヒリには16クラスあり、うち6クラスが単数たんすう名詞めいし、5クラスが複数ふくすう名詞めいし、1クラスが抽象ちゅうしょう名詞めいし、1クラスが動詞どうし不定ふてい名詞めいしてきあつかい)、3クラスが場所ばしょしゅとしてしめす。

クラス 接頭せっとう 単数たんすう 意味いみ 複数ふくすう 意味いみ
1, 2 m-/mu-, wa- mtu ひと watu ひと(複数ふくすう)
3, 4 m-/mu-, mi- mti miti (複数ふくすう)
5, 6 Ø/ji-, ma- jicho macho (複数ふくすう)
7, 8 ki-, vi- kisu ナイフ visu ナイフ(複数ふくすう)
9, 10 Ø/n-, Ø/n- ndoto ゆめ ndoto ゆめ(複数ふくすう)
11 u- ua はな  
14 u- utoto 子供こどもであること

単数たんすうm-複数ふくすうwa-はじまる名詞めいしは「生物せいぶつ」、とくに「ひと」をしめす(れいmtuひと)・watu複数ふくすう)、mduduむし)・wadudu複数ふくすう))。 単数たんすうm-複数ふくすうmi-はじまる名詞めいしは「植物しょくぶつ」をしめすことがおおい(れいmti)・miti複数ふくすう))。動詞どうし不定ふていku-はじめられる(れいkusomaむ))。それ以外いがいのクラスは区分くぶん複雑ふくざつである。単数たんすうki-複数ふくすうvi-はじまる名詞めいしは、しばしば工具こうぐなどの「人工じんこうぶつ」をしめす。このki-/vi-交替こうたいは、語根ごこんki-はじまる外来がいらいにまで適用てきようされる(れいkitabuほんアラビアkitāb由来ゆらい)→vitabu複数ふくすう))。このクラスは「言語げんご」もしめし(れいKiswahili(スワヒリ))、ゆびしょうとしても使つかわれる。かつてのバントゥーでは別々べつべつだったクラスが合流ごうりゅうしたものである。u-はじまる名詞めいしはたいてい抽象ちゅうしょう名詞めいししめし、複数ふくすうはない(れいutoto子供こどもであること?))。n-m-または接頭せっとうなしではじまり、単複たんぷく同形どうけいのクラスもある。単数たんすうji-または接頭せっとうなし、複数ふくすうma-はじまるクラスは、しばしばゆびだいとして使用しようされる。

照応しょうおう

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名詞めいしだけかぎ所属しょぞくクラスが明確めいかく場合ばあいでも一致いっちたしかめればかる。形容詞けいようし数詞すうし通常つうじょう名詞めいし接頭せっとうをとる。動詞どうしべつ接頭せっとう体系たいけいをとる。(下記かき参照さんしょう

単数たんすう     複数ふくすう
 
mtoto mmoja anasoma watoto wawili wanasoma
子供こども 1 んでいる 子供こども複数ふくすう 2 んでいる(複数ふくすう
一人ひとりの)子供こども読書どくしょしている 二人ふたり子供こども読書どくしょしている
 
kitabu kimoja kinatosha vitabu viwili vinatosha
ほん 1 十分じゅうぶん ほん複数ふくすう 2 十分じゅうぶんだ(複数ふくすう
いちさつほん十分じゅうぶん さつほん十分じゅうぶん
 
ndizi moja inatosha ndizi mbili zinatosha
バナナ 1 十分じゅうぶん バナナ(複数ふくすう 2 十分じゅうぶんだ(複数ふくすう
一本いっぽんのバナナで十分じゅうぶん ほんのバナナで十分じゅうぶん

同一どういつ名詞めいし語根ごこんことなる名詞めいしクラスの接頭せっとう付加ふかすることで派生はせいつくれる。

れい1:「ひと」クラスmtoto (watoto)(子供こども)・抽象ちゅうしょう名詞めいしクラスutoto子供こどもであること)・縮小しゅくしょうクラスkitoto (vitoto)幼児ようじ)・増大ぞうだいクラスtoto (matoto)年長ねんちょう子供こども
れい2:「植物しょくぶつ」クラスmti (miti))・「人工じんこうぶつ」クラスkiti (viti)椅子いす)・増大ぞうだいクラスjiti (majiti)大木たいぼく)・kijiti (vijiti)ぼう)・ujiti (njiti)ほそたか

スワヒリ名詞めいしクラスのシステムは文法ぶんぽうせい一種いっしゅとされるが、ヨーロッパの言語げんごられる文法ぶんぽうせいとはことなるてんがある。ヨーロッパの言語げんご文法ぶんぽうせいがほぼ恣意しいてきであるのにたいし、スワヒリにおける名詞めいしのクラス分類ぶんるい多分たぶん意味いみてき関連かんれんせいもとづいているのだ。しかし、名詞めいしクラスを「ひと」や「」といった単純たんじゅんなカテゴリーととらえることはできない。意味いみ拡張かくちょうされ、拡張かくちょうされた意味いみ単語たんご意味いみがまた拡張かくちょうされ、ということがおこなわれた結果けっか名詞めいしクラスは意味いみつながったあみとなっている。いまでもそのつながりはひろ理解りかいされているが、スワヒリ話者わしゃにはかりづらいものがある。

スワヒリでは普通ふつうひと名詞めいしクラスは「ひと」だが、盲人もうじんなどの障害しょうがいしゃは「もの」で表現ひょうげんされていた。この障害しょうがいしゃ差別さべつてき語法ごほう反対はんたいし、近年きんねんおおくの障害しょうがいしゃ人権じんけん団体だんたいなどが障害しょうがいしゃを「ひと」クラスであらわ語法ごほうひろめている。

有名ゆうめいなスワヒリにはJamboがあるが、「物事ものごと」の意味いみで、"Hujambo.", "Hamjambo." のように人称にんしょう接頭せっとうをつけることで、挨拶あいさつ言葉ことばとなる。

動詞どうしふく合体がったい

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スワヒリ動詞どうし動詞どうしそのまま(動詞どうし語幹ごかんそのまま)で使つかわれるのは命令めいれいがたのみであり、通常つうじょう主語しゅご対応たいおうした接頭せっとうやめ時制じせい標識ひょうしき目的もくてきしめ接頭せっとうなど様々さまざま接頭せっとうふくあいてき付加ふかされる。さらに動詞どうし意味いみ拡張かくちょうする接尾せつび追加ついかされることもある。こうしたふく合体がったい動詞どうしふく合体がったいという。

なお目的もくてき接頭せっとう目的もくてき照応しょうおうしたものが使つかわれる。

方言ほうげん統制とうせい機関きかん

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標準ひょうじゅんスワヒリ1930ねんにザンジバル方言ほうげんもとさだめられているが、スワヒリにはおおくの方言ほうげん存在そんざいする。とく20世紀せいきにスワヒリ使用しよういききゅう拡大かくだいするのにともない、白人はくじん入植にゅうしょくしゃ各地かくちのアフリカじんとの混交こんこうからまれたケニア内陸ないりくのアップカントリー・スワヒリ(内陸ないりくスワヒリ)や、コンゴ盆地ぼんちのコンゴ・スワヒリなどといったあらたな方言ほうげんまれた[12]。とくにコンゴ民主みんしゅ共和きょうわこくマニエマ地方ちほうなどではなされる方言ほうげんはキングワナとよばれる[13]。スワヒリ統制とうせいする機関きかん1967ねん設立せつりつされたタンザニアの国立こくりつスワヒリ審議しんぎかい(Baraza la Kiswahili la Taifa、BAKITA)と、1998ねん設立せつりつされたケニアの国立こくりつスワヒリ協会きょうかい(Chama cha Kiswahili cha Taifa、CHAKITA)がある。

各国かっこく現況げんきょう

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タンザニア

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2012ねん現在げんざいもっともスワヒリ重要じゅうようせいたかいのはタンザニアである。タンザニアにおいてはスワヒリ元々もともとタンガニーカ海岸かいがんのスワヒリけい民族みんぞく母語ぼごであり、内陸ないりくにもひろ浸透しんとうしていた。これをけて1960ねんのタンガニーカ独立どくりつ同時どうじにおいてスワヒリ公用こうよう指定していされた。1964ねんには沖合おきあいにかぶザンジバル合併がっぺいしてタンザニア連合れんごう共和きょうわこくとなるが、ザンジバルにおいてはもともとスワヒリ母語ぼご話者わしゃがほとんどをめており、この政策せいさくはより推進すいしんされることとなった。このスワヒリ重視じゅうし政策せいさく立案りつあん推進すいしんしたのは、タンガニーカ初代しょだい大統領だいとうりょうジュリウス・ニエレレである。ニエレレは言語げんご統一とういつこそが国家こっか統一とういつにおいてもっと重要じゅうようなもののひとつであるとかんがえ、スワヒリ普及ふきゅう整備せいび多大ただい貢献こうけんをした。スワヒリ公用こうようはニエレレの政策せいさくであるが、ほかのアフリカしん独立どくりつこくにおいては、共通きょうつうとして現地げんち言葉ことばひろ地域ちいき通用つうようすることはあるものの、在来ざいらい言葉ことば公用こうようした国家こっか存在そんざいしない。1967ねんには国立こくりつスワヒリ審議しんぎかい設立せつりつし、語彙ごい文法ぶんぽう整備せいび政府せいふおこなった。

その結果けっか、タンザニアにおいて、政府せいふ関係かんけい文書ぶんしょ基本きほんてきにスワヒリつくられている。マスコミにおいてもスワヒリ積極せっきょくてき使用しようされ、また、初等しょとう教育きょういくはすべてスワヒリおこなわれ、政府せいふもさまざまなかたち普及ふきゅうはかっている。これはタンザニアじんとしてのアイデンティティ創出そうしゅつ一環いっかんとして推進すいしんされた。その結果けっか、タンザニアでは国民こくみんのほぼ100%がスワヒリするとされ、国家こっかない同一どういつ言語げんごつうじることはタンザニアの政情せいじょう安定あんていおおきく貢献こうけんしているとされる[14]一方いっぽうで、語彙ごい整備せいびおこなわれスワヒリ高等こうとう教育きょういくにも十分じゅうぶんえうる言語げんごとなっているにもかかわらず、高等こうとう教育きょういくにおいては英語えいご教育きょういくつらぬかれ、スワヒリでの高等こうとう教育きょういくおこなわれていない[15]。これはのアフリカ諸国しょこく同様どうよう、エリートそうにおいては英語えいご能力のうりょくがほぼ必須ひっすであり、高等こうとう教育きょういくをスワヒリすることでエリートそう優位ゆういせいひとつがくずれてしまうことへの反発はんぱつや、研究けんきゅうしょとうのスワヒリやくにはコストがかかり、そのまま英語えいご使用しようしたほう安上やすあがりに場合ばあいおおいなどの理由りゆうがある。また、小学校しょうがっこうから学校がっこうでは一貫いっかんしてスワヒリ中心ちゅうしん生活せいかつ子供こどもたちがおくるため、タンザニア国内こくない各地かくち点在てんざいする諸語しょご利用りよう低下ていかし、かく民族みんぞく継承けいしょう困難こんなんになるケースも散見さんけんされている[16]

ケニアにおいてはスワヒリ国語こくごとされ、また英語えいごとともに公用こうようさだめられている。これまで正式せいしきにはさだめられていなかったが、2010ねん8がつ27にち発布はっぷされたしん憲法けんぽうにおいてその地位ちい明確めいかく規定きていされた。ケニアにおいてもスワヒリリンガフランカとしての地位ちいたもっており、かなりのかず人々ひとびと共通きょうつうとしてスワヒリすることができる。ただし、とく首都しゅとナイロビではなされるスワヒリ標準ひょうじゅんスワヒリからはかなりかけはなれたものであり、ナイロビ・スワヒリともばれる方言ほうげん使用しようされている[17]。いっぽうで、隣国りんごくタンザニアとことなり学校がっこう教育きょういくにおいては英語えいご教育きょういく言語げんごとして使用しようされており、初期しょき教育きょういくにおいてはしょ民族みんぞく指定していされているものの、母語ぼご話者わしゃすくないスワヒリ海岸かいがん母語ぼご話者わしゃ地域ちいきのぞいては教育きょういく言語げんごとはなっていない。また、公用こうようとしても英語えいご使用しよう優勢ゆうせいである。首都しゅとナイロビは本来ほんらいキクユけんであり、キクユ中心ちゅうしんはなすものも数多かずおお[18]

1970年代ねんだいより、首都しゅとナイロビ中心ちゅうしんに、上記じょうきのナイロビ・スワヒリとはまたべつの、シェン(Sheng)とばれるスワヒリ方言ほうげん発生はっせいした。シェン(Sheng)とはスワヒリ(Swahili)と英語えいご(English)の合成ごうせいであり、そののとおりスワヒリのナイロビ方言ほうげん英語えいごルヒヤキクユカンバルオといった近隣きんりんしょ民族みんぞく言語げんご語彙ごいおお導入どうにゅうしたもので、マタツ(いタクシー)の運転うんてんしゅなどから若者わかもの言葉ことばとしてひろまり、音楽おんがくなどのポップカルチャーなどにも使用しようされるようになった。

ウガンダ

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ウガンダにおいては、スワヒリ地位ちい上記じょうき2こくくらべてもなおひくい。ウガンダは首都しゅとカンパラようするきゅうブガンダ王国おうこく地域ちいき主導しゅどうけんにぎっており、共通きょうつうガンダじんはなガンダ使用しようされることがおおい。これに反発はんぱつするブガンダ以外いがいしょ地域ちいきはガンダ普及ふきゅう消極しょうきょくてきであり、国内こくないのどの民族みんぞく母語ぼごでもないスワヒリかれらの支持しじによって2005ねん英語えいごなら公用こうよう指定していされた。これは、スワヒリ重要じゅうよう役割やくわりたすケニアおよびタンザニアとのひがしアフリカ連邦れんぽう構想こうそう念頭ねんとうにおいたものでもある。しかし、ウガンダ国内こくないではスワヒリ北部ほくぶのナイロートけい民族みんぞく共通きょうつうとして使用しようしているだけであり、公用こうようとしてなが使用しようされてきた英語えいご共通きょうつうとしてちからつガンダくらべるとスワヒリ重要じゅうようせいひくいものとなっている[19]

コンゴ民主みんしゅ共和きょうわこく

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コンゴ民主みんしゅ共和きょうわこくにおいては、スワヒリ公用こうようではないが4だい共通きょうつうのひとつであり、リンガラルバコンゴとならんで国語こくご指定していされている。スワヒリ使用しよう地域ちいき東部とうぶおよび南部なんぶであり、きゅうカタンガしゅうきたキヴしゅうみなみキヴしゅうマニエマしゅうきゅう東部とうぶしゅう南部なんぶきゅう西にしカサイしゅう東部とうぶなどが使用しよう地域ちいきである。ただし、あくまでもリンガフランカとしての普及ふきゅうであり、母語ぼご話者わしゃ存在そんざいしない。また、教育きょういく言語げんごフランス語ふらんすごであり、スワヒリをはじめとする4つの国語こくご小学校しょうがっこう最初さいしょの2年間ねんかんのみ教授きょうじゅ言語げんごとされ、その学科がっかとしてもおしえられない[20]。コンゴは民族みんぞく多言たげん国家こっかであるが、首都しゅとキンシャサはリンガラけんぞくする。このため、モイーズ・チョンベローラン・カビラジョゼフ・カビラといったスワヒリけん出身しゅっしん政治せいじとのあいだ摩擦まさつきることがある。2006ねんのコンゴ大統領だいとうりょう選挙せんきょには、東部とうぶのスワヒリけんかためたジョゼフ・カビラにたいし、リンガラけん出身しゅっしん対立たいりつ候補こうほであるジャンピエール・ベンバ排外はいがい主義しゅぎをあおり、おおきな混乱こんらんきた。

ルワンダ

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ルワンダではほぼ100%の国民こくみんルワンダ普及ふきゅうしており、スワヒリ商用しょうよう言語げんごとして使つかわれる程度ていどであったが、周辺しゅうへんこくとの関係かんけいから2017ねん公用こうよう制定せいていされた。また、2015ねん以来いらい学校がっこう教育きょういくでの必修ひっしゅう言語げんごとなっている。なお、ルワンダでは2008ねんまではフランス語ふらんすごが、それ以降いこう英語えいご教授きょうじゅ言語げんごとなっている。

その

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日本にっぽんにおいて専門せんもんてきにスワヒリまなぶことのできる大学だいがくは、大阪大学おおさかだいがく外国がいこく学部がくぶスワヒリ専攻せんこう唯一ゆいいつのものである[21][22]。これは、大阪外国語大学おおさかがいこくごだいがく開設かいせつされていたスワヒリ専攻せんこうが2007ねん大阪大学おおさかだいがく大阪外国語大学おおさかがいこくごだいがく統合とうごうによって同大どうだいがれたものである。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ Kijapani = 日本語にほんご、Kiingereza = 英語えいご、など
  2. ^ 日本語にほんごでは母音ぼいん連続れんぞくは、はや発音はつおんでは重母音じゅうぼいんに、ゆっくりとした丁寧ていねい発音はつおんではヒアートゥスになる傾向けいこうがある。

出典しゅってん

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  1. ^ http://wikisource.org/wiki/Baba_yetu
  2. ^ a b 「アラビア世界せかい 歴史れきし現在げんざい」p478 ケース・フェルステーヘちょ 長渡ながわたりいちやく 三省堂さんせいどう 2015ねん9がつ20日はつかだい1さつ
  3. ^ Nurse & Thomas Spear (1985) The Swahili
  4. ^ 田辺たなべひろし島田しまだ周平しゅうへい柴田しばたただしたいら、1998、『世界せかい地理ちりだい百科ひゃっか事典じてん2 アフリカ』、朝倉書店あさくらしょてん  p197 ISBN 4254166621
  5. ^ Kharusi, N. S. (2012). The ethnic label Zinjibari: Politics and language choice implications among Swahili speakers in Oman. Ethnicities 12(3) 335–353, http://etn.sagepub.com/content/12/3/335
  6. ^ Adriaan Hendrik Johan Prins (1961) The Swahili-speaking Peoples of Zanzibar and the East African Coast. (Ethnologue)
  7. ^ E.A. Alpers, Ivory and Slaves in East Central Africa, London, 1975, pp. 98–99 ; T. Vernet, "Les cités-Etats swahili et la puissance omanaise (1650–1720), Journal des Africanistes, 72(2), 2002, pp. 102–105.
  8. ^ Lemelle, Sidney J. "'Ni wapi Tunakwenda': Hip Hop Culture and the Children of Arusha." In The Vinyl Ain't Final: Hip Hop and the Globalization of Black Popular Culture, ed. by Dipannita Basu and Sidney J. Lemelle, 230-54. London; Ann Arbor, Michigan. Pluto Pres
  9. ^ 新書しんしょアフリカだい8はん宮本みやもとただしきょう松田まつだもとへん)、2003ねん2がつ20日はつか講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ)pp244-247
  10. ^ 「アフリカのことばと社会しゃかい 多言たげん状況じょうきょうきるということ」pp388-392 かじ茂樹しげき+すなさいわいみのる編著へんちょ さんげんしゃ 2009ねん4がつ30にち初版しょはんだい1さつ
  11. ^ Taathira za Kiarabu katika Kiswahili pamoja na kamusi thulathiya (Kiswahili-Kiarabu-Kiingereza) / I. Bosha ; edited by A.S. Nchimbi Dar es Salaam : Dar es Salaam University Press 1993
  12. ^ 『アフリカを事典じてん』、平凡社へいぼんしゃISBN 4-582-12623-5 1989ねん2がつ6にち初版しょはんだい1さつ、p.232
  13. ^ 現代げんだいアフリカの民族みんぞく関係かんけい所収しょしゅう民族みんぞく共存きょうぞん交流こうりゅうのかたち いちきゅうなな年代ねんだい、コンゴ(きゅうザイール)東部とうぶにおける多言たげん併用へいよう動態どうたいから」赤坂あかさかけん 2001ねんISBN 4-7503-1420-X、pp.248-249
  14. ^ 民主みんしゅ主義しゅぎがアフリカ経済けいざいころす: さい底辺ていへんの10おくにんくにきている真実しんじつ』p92-93、甘糟あまかす智子さとこやく日経にっけいBPしゃ、2010ねん1がつ18にち
  15. ^ 「アフリカのことばと社会しゃかい 多言たげん状況じょうきょうきるということ」pp407-409 かじ茂樹しげき+すなさいわいみのる編著へんちょ さんげんしゃ 2009ねん4がつ30にち初版しょはんだい1さつ
  16. ^ 事典じてん世界せかいのことば141」p496 かじ茂樹しげき中島なかじま由美ゆみはやしとおるへん 大修館書店たいしゅうかんしょてん 2009ねん4がつ20日はつか初版しょはんだい1さつ
  17. ^ 「ケニアをるための55しょう」pp228-229 松田まつだもと津田つだみわ編著へんちょ 明石書店あかししょてん 2012ねん7がつ1にち初版しょはんだい1さつ
  18. ^ 言語げんごてき多様たようせいとアイデンティティ、エスニシティ、そしてナショナリティ ケニアの言語げんご動態どうたい品川しながわ大輔だいすけ(「アフリカのことばと社会しゃかい 多言たげん状況じょうきょうきるということ」所収しょしゅう pp335-336 かじ茂樹しげき+すなさいわいみのる編著へんちょ さんげんしゃ 2009ねん4がつ30にち初版しょはんだい1さつ
  19. ^ 「アフリカのことばと社会しゃかい 多言たげん状況じょうきょうきるということ」pp352-354 かじ茂樹しげき+すなさいわいみのる編著へんちょ さんげんしゃ 2009ねん4がつ30にち初版しょはんだい1さつ
  20. ^ 「アフリカのことばと社会しゃかい 多言たげん状況じょうきょうきるということ」p240 かじ茂樹しげき+すなさいわいみのる編著へんちょ さんげんしゃ 2009ねん4がつ30にち初版しょはんだい1さつ
  21. ^ http://www.sfs.osaka-u.ac.jp/jpn/edu_fl_swa.html 大阪大学おおさかだいがく外国がいこく学部がくぶスワヒリ専攻せんこう
  22. ^ 「アフリカがく入門にゅうもん ポップカルチャーから政治せいじ経済けいざいまで」p311 舩田ふなたクラーセンさやかへん 明石書店あかししょてん 2010ねん7がつ10日とおか初版しょはんだい1さつ

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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