この記事 きじ は検証 けんしょう 可能 かのう な参考 さんこう 文献 ぶんけん や出典 しゅってん が全 まった く示 しめ されていないか、不十分 ふじゅうぶん です。 出典 しゅってん を追加 ついか して記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく ください。(このテンプレートの使 つか い方 かた ) 出典 しゅってん 検索 けんさく ? : "標準 ひょうじゅん 語 ご " – ニュース · 書籍 しょせき · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2021年 ねん 2月 がつ )
標準 ひょうじゅん 語 ご (ひょうじゅんご、英 えい : standard language 、独 どく : Standardssprache )とは、公共 こうきょう の言説 げんせつ において人々 ひとびと の集団 しゅうだん (民族 みんぞく 、共同 きょうどう 体 たい 、国家 こっか 、組織 そしき など)によって用 もち いられる言語 げんご 変種 へんしゅ である[1] 。あるいは、言語 げんご 変種 へんしゅ は文法 ぶんぽう や辞書 じしょ における記述 きじゅつ のために整理 せいり され、こういった参考 さんこう 文献 ぶんけん において記号 きごう 化 か される際 さい に起 お こる標準 ひょうじゅん 化 か の過程 かてい を経 へ ることによって標準 ひょうじゅん となる[1] 。典型 てんけい 的 てき には、商業 しょうぎょう や政治 せいじ の中心 ちゅうしん で話 はな されている方言 ほうげん が標準 ひょうじゅん 化 か される言語 げんご 変種 へんしゅ となる。なお、同義 どうぎ 的 てき なものとして、特定 とくてい 言語 げんご や地域 ちいき を超 こ えて用 もち いられる「共通 きょうつう 語 ご 」が存在 そんざい する。
標準 ひょうじゅん 語 ご は複数 ふくすう 中心地 ちゅうしんち 言語 げんご (例 たと えばアラビア語 ご 、英語 えいご 、標準 ひょうじゅん ドイツ語 ご 、ペルシア語 ご 、セルボ・クロアチア語 ご 、フランス語 ふらんすご 、ポルトガル語 ご 、スペイン語 ご 圏 けん [2] )にも単一 たんいつ 中心地 ちゅうしんち 言語 げんご (例 たと えばアイスランド語 ご 、イタリア語 ご [3] 、日本語 にほんご [4] 、ロシア語 ご [4] )のいずれもが選 えら ばれる事例 じれい である[5] 。標準 ひょうじゅん 書記 しょき 言語 げんご は「シュリフトシュプラーヘ」(Schriftsprache、ドイツ語 ご で文章 ぶんしょう 語 ご の意 い )と呼 よ ばれることがある。
ある言語 げんご 変種 へんしゅ が標準 ひょうじゅん となるために唯一 ゆいいつ の必要 ひつよう 条件 じょうけん は、それが公共 こうきょう の場 ば または公共 こうきょう の言説 げんせつ において頻繁 ひんぱん に使 つか うことができることである[1] 。規範 きはん 的 てき な標準 ひょうじゅん 語 ご の創造 そうぞう は国家 こっか 主義 しゅぎ 的 てき (文化 ぶんか 的 てき 、政治 せいじ 的 てき 、社会 しゃかい 的 てき )一体 いったい 性 せい への願望 がんぼう から生 しょう じる。標準 ひょうじゅん 語 ご には以下 いか のような一般 いっぱん 的 てき 特徴 とくちょう がある。
歴史 れきし 的 てき には、国民 こくみん 国家 こっか 成立 せいりつ 時 じ に、国内 こくない の異 こと なる言語 げんご 話者 わしゃ 同士 どうし のコミュニケーション円滑 えんかつ 化 か 、ひいては国家 こっか ・国民 こくみん 統一 とういつ のために、主 しゅ 方言 ほうげん あるいは主 しゅ 言語 げんご を基 もと に国語 こくご として形成 けいせい されてきたものであり、多 おお くは方言 ほうげん および少数 しょうすう 言語 げんご の廃滅 はいめつ を念頭 ねんとう に置 お いていた。特 とく に、フランス の絶対 ぜったい 王政 おうせい 時 とき に打 う ち出 だ されたフランス語 ふらんすご の標準 ひょうじゅん 語 ご 政策 せいさく の例 れい が顕著 けんちょ である。
標準 ひょうじゅん 語 ご の一覧 いちらん [ 編集 へんしゅう ]
各 かく 言語 げんご における標準 ひょうじゅん 語 ご [ 編集 へんしゅう ]
日本語 にほんご においては、近世 きんせい 以前 いぜん は平安 へいあん 時代 じだい の京都 きょうと の貴族 きぞく 語 ご に基 もと づく文語 ぶんご 体 たい が標準 ひょうじゅん 的 てき な書記 しょき 言語 げんご として広 ひろ く通用 つうよう し、口頭 こうとう 言語 げんご についても、江戸 えど 言葉 ことば が成熟 せいじゅく する江戸 えど 時代 じだい 後期 こうき までは京 きょう 言葉 ことば が中央 ちゅうおう 語 ご であり、京都 きょうと を中心 ちゅうしん に新語 しんご が日本 にっぽん 各地 かくち に伝播 でんぱ していったとされる[7] (方言 ほうげん 周 しゅう 圏 けん 論 ろん やアホ・バカ分布 ぶんぷ 図 ず も参照 さんしょう )。京都 きょうと 方言 ほうげん がかつて中央 ちゅうおう 語 ご だった名残 なごり は現代 げんだい 共通 きょうつう 語 ご にも残 のこ っており、例 れい として、古風 こふう な文体 ぶんたい で「わしは知 し っとるのじゃ」のような近世 きんせい 上方 かみがた 語 ご 風 ふう の表現 ひょうげん が使 つか われること(老人 ろうじん 語 ご 参照 さんしょう )[8] 、「残 のこ っており 」「寒 かん う ございます」「ありません 」などの文語 ぶんご ・敬語 けいご 表現 ひょうげん 、「怖 こわ い」「しあさって」「梅雨 つゆ (つゆ)」などの語彙 ごい が挙 あ げられる。
明治維新 めいじいしん 後 ご 、標準 ひょうじゅん 語 ご はなかなか定 さだ まらなかった。標準 ひょうじゅん 語 ご の案 あん としては以下 いか のようなものがあった[9] 。
古語 こご 案 あん
古語 こご =みやび言葉 ことば を基 もと にする(天皇 てんのう が使用 しよう している言葉 ことば でもある)
現代 げんだい 語 ご 案 あん
西 にし の京 きょう 、鴨川 かもがわ のほとりの言葉 ことば を基 もと にする
東 ひがし の京 きょう の言葉 ことば を基 もと にする
日本 にっぽん 国 こく 中 ちゅう の言葉 ことば を調 しら べて、人口 じんこう 的 てき に最 もっと も多 おお くの人 ひと が用 もち いている言葉 ことば を基 もと にする
明治 めいじ 中期 ちゅうき から昭和 しょうわ 前期 ぜんき にかけて、主 おも に東京 とうきょう 山 やま の手 て の教養 きょうよう 層 そう が使用 しよう する言葉 ことば (山 やま の手 て 言葉 ことば )を基 もと に標準 ひょうじゅん 語 ご を整備 せいび しようという試 こころ みが推進 すいしん された[10] [11] 。
天皇 てんのう 及 およ び京都 きょうと の言葉 ことば をベースにする案 あん も有力 ゆうりょく ではあったが、明治 めいじ 初期 しょき の東京 とうきょう の山 やま の手 て は地方 ちほう 出身 しゅっしん の若 わか い官僚 かんりょう たちの居住 きょじゅう 地 ち であり、天皇 てんのう よりも社会 しゃかい 的 てき ・政治 せいじ 的 てき な力 ちから で勝 か った[9] 。これに文壇 ぶんだん の言文 げんぶん 一致 いっち 運動 うんどう が大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えて、「標準 ひょうじゅん 語 ご 」と呼 よ ばれる言語 げんご の基礎 きそ が築 きず かれた。なお、「標準 ひょうじゅん 語 ご 」という用語 ようご は岡倉 おかくら 由三郎 よしさぶろう によるStandard Language の日本語 にほんご 訳 やく である。官公庁 かんこうちょう の公式 こうしき 文書 ぶんしょ などには、普通 ふつう 文 ぶん が主 おも に用 もち いられる。
明治維新 めいじいしん から数 すう 十 じゅう 年 ねん 経 た った1903年 ねん 、初 はつ の国定 こくてい 教科書 きょうかしょ 『尋常 じんじょう 小学 しょうがく 読本 とくほん 』が刊行 かんこう され、「東京 とうきょう 山手 やまて の教育 きょういく ある中流 ちゅうりゅう 家庭 かてい の言葉 ことば 」が標準 ひょうじゅん 語 ご となっていった。1925年 ねん にラジオ放送 ほうそう が始 はじ まり、方言 ほうげん 忌避 きひ が強 つよ まった[9] 。
第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 後 ご は国家 こっか 的 てき 営為 えいい としての標準 ひょうじゅん 語 ご 政策 せいさく は行 おこな われなくなり、各地 かくち の方言 ほうげん を見直 みなお す動 うご きが現 あらわ れたり、国家 こっか が特定 とくてい の日本語 にほんご を標準 ひょうじゅん と規定 きてい することに否定 ひてい 的 てき な考 かんが えが生 う まれたりした[12] 。そのような中 なか 、進駐軍 しんちゅうぐん が用 もち いた「Common Language」を元 もと に「(全国 ぜんこく )共通 きょうつう 語 ご 」という用語 ようご が登場 とうじょう し[13] (一部 いちぶ 識者 しきしゃ は「Common Language」をして普通 ふつう 語 ご と解釈 かいしゃく した論文 ろんぶん が有 あ る)、NHKなど一部 いちぶ では「標準 ひょうじゅん 語 ご 」が「共通 きょうつう 語 ご 」にい換 いか えられるようになった。
現在 げんざい の日本 にっぽん には標準 ひょうじゅん 語 ご を規定 きてい する法律 ほうりつ や公的 こうてき 機関 きかん は存在 そんざい しないが、一般 いっぱん に「標準 ひょうじゅん 語 ご 」と言 い った場合 ばあい 、日本 にっぽん の首都 しゅと である東京 とうきょう の方言 ほうげん から特定 とくてい の地域 ちいき ・階層 かいそう に偏 かたよ る要素 ようそ (下町 したまち 地域 ちいき で見 み られるシとヒの交替 こうたい など)を除 のぞ いたものを指 さ すことが多 おお い。口頭 こうとう 言語 げんご ではアナウンサーのアクセント やイントネーション が標準 ひょうじゅん 的 てき として認識 にんしき されているが、時代 じだい と共 とも に変化 へんか している。例 たと えば、「電車 でんしゃ 」のアクセントは従来 じゅうらい 「デ ンシャ」が正 ただ しいとされてきたが、「デンシャ 」(太字 ふとじ は高 たか く発音 はつおん )も広 ひろ がりつつあり、メディアや駅 えき の案内 あんない 放送 ほうそう でも2通 とお りのアクセントが混在 こんざい している[14] 。
大韓民国 だいかんみんこく では、首都 しゅと のソウル方言 ほうげん を基 もと に国立 こくりつ 国語 こくご 院 いん によって標準 ひょうじゅん 語 ご が定 さだ められている(標準 ひょうじゅん 語 ご (大韓民国 だいかんみんこく ) も参照 さんしょう )。朝鮮民主主義人民共和国 ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく では、首都 しゅと 平壌 ぴょんやん の方言 ほうげん を基 もと にした文化 ぶんか 語 ご を標準 ひょうじゅん 語 ご として定 さだ めているが、実際 じっさい には文化 ぶんか 語 ご もソウル方言 ほうげん が土台 どだい となっている。
明 あきら では官話 かんわ 方言 ほうげん (北方 ほっぽう 方言 ほうげん )の一種 いっしゅ である南京 なんきん 官話 かんわ が官吏 かんり の間 あいだ で標準 ひょうじゅん 語 ご として使 つか われ、欧米 おうべい からは「官僚 かんりょう の言葉 ことば 」として「マンダリン」と呼 よ ばれた。清 きよし になり首都 しゅと が南京 なんきん から北京 ぺきん に遷ると、標準 ひょうじゅん 語 ご も南京 なんきん 官話 かんわ から北京 ぺきん 官話 かんわ に代 か わった。中華民国 ちゅうかみんこく が成立 せいりつ すると北京 ぺきん 官話 かんわ と近代 きんだい 白話 はくわ を基 もと に「国語 こくご 」が定 さだ められた。「国語 こくご 」は中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく でも「普通 ふつう 話 ばなし 」と名 な を変 か えて引 ひ き継 つ がれ、簡体字 かんたいじ の導入 どうにゅう などを経 へ て、義務 ぎむ 教育 きょういく やメディアなどで広 ひろ く使用 しよう されている。なお、普通 ふつう 話 ばなし は北京 ぺきん の発音 はつおん などが基 もと になっているため、普通 ふつう 話 ばなし のことを「北京 ぺきん 語 ご 」と呼 よ ぶことがあるが、普通 ふつう 話 ばなし と北京 ぺきん 市民 しみん が日常 にちじょう 的 てき に使 つか う北京 ぺきん 語 ご は完全 かんぜん に同 おな じではない。
台湾 たいわん の場合 ばあい 、元々 もともと は、台湾 たいわん の多数 たすう 派 は を占 し める漢 かん 民族 みんぞく (本省 ほんしょう 人 じん )は台湾 たいわん 語 ご や中国 ちゅうごく 語 ご の方言 ほうげん (客 きゃく 家 か 語 ご など)を母語 ぼご とする者 もの が多 おお く、また台湾 たいわん 原住民 げんじゅうみん の間 あいだ では様々 さまざま な少数 しょうすう 言語 げんご が使用 しよう されていた。日本 にっぽん 統治 とうち 時代 じだい の台湾 たいわん では日本語 にほんご が公用 こうよう 語 ご となり民族 みんぞく 間 あいだ の共通 きょうつう 語 ご として機能 きのう したが、戦後 せんご に中華民国 ちゅうかみんこく が台湾 たいわん に上陸 じょうりく すると北京 ぺきん 語 ご をベースとする「国語 こくご 」を標準 ひょうじゅん 語 ご とした。現在 げんざい では、標準 ひょうじゅん 語 ご の中国語 ちゅうごくご が浸透 しんとう している。1980年代 ねんだい までは学校 がっこう での台湾 たいわん 語 ご 使用 しよう を禁止 きんし したり、メディアでの台湾 たいわん 語 ご の使用 しよう を制限 せいげん したりしていた。そうした国策 こくさく の影響 えいきょう により、台湾 たいわん 語 ご を話 はな せる台湾 たいわん 人 じん は特 とく に若年 じゃくねん 層 そう で少 すく なくなっている。
イギリス英語 えいご において、標準 ひょうじゅん 英語 えいご (英語 えいご 版 ばん ) (Standard English、SE)と呼 よ ばれる標準 ひょうじゅん 語 ご は、中世 ちゅうせい イングランドの大 だい 法官 ほうかん 裁判所 さいばんしょ (英語 えいご 版 ばん ) の英語 えいご を歴史 れきし 的 てき に基 もと にしている[15] 。17世紀 せいき 津 つ と18世紀 せいき には、「上流 じょうりゅう 」社会 しゃかい の規範 きはん としてこの標準 ひょうじゅん 語 ご の確立 かくりつ を見 み た[16] 。口語 こうご の標準 ひょうじゅん 語 ご は、よい教育 きょういく と社会 しゃかい 的 てき 名声 めいせい のしるしであると見 み られるようになった[17] 。しばしば容認 ようにん 発音 はつおん (RP)の訛 なま りと関連付 かんれんづ けられるものの、SEはいかなる訛 なま りでも話 はな すことができる[18] 。BBCのアナウンサーが使 つか う英語 えいご が「英国 えいこく の標準 ひょうじゅん 英語 えいご 」と説明 せつめい されることもある[19] 。
「歴史 れきし 的 てき 原理 げんり 」で記述 きじゅつ されているオックスフォード英語 えいご 辞典 じてん には方言 ほうげん が数多 かずおお く記載 きさい されている。方言 ほうげん と綴 つづ り字 じ を統一 とういつ しようとしたのがサミュエル・ジョンソン が1755年 ねん に完成 かんせい させた『英語 えいご 辞典 じてん 』である。この辞書 じしょ 以降 いこう 、「方言 ほうげん の地位 ちい が急落 きゅうらく した。それは書 か き言葉 ことば の基準 きじゅん が定 さだ まり、文章 ぶんしょう は’正 ただ しく'書 か くべきだという圧力 あつりょく が高 たか まっていったことと関係 かんけい があった(中略 ちゅうりゃく )発音 はつおん 取締 とりしまり 隊 たい が登場 とうじょう した。率 ひき いるのはトマス・シェリダン (英語 えいご 版 ばん ) というアイルランド出身 しゅっしん の男 おとこ だった」[20] 。言語 げんご 改革 かいかく (英語 えいご 版 ばん ) 運動 うんどう が盛 さか んになった。19世紀 せいき にはウェールズ語 ご を取 と り締 し まるWelsh Not という「方言 ほうげん 札 さつ 」も登場 とうじょう した。正字 せいじ 法 ほう に対 たい して英語 えいご のfishをghoti とすべきと言 い ったされるジョージ・バーナード・ショー は方言 ほうげん 、特 とく に「コックニー 」をテーマとする『ピグマリオン (戯曲 ぎきょく ) 』を書 か いた。
ルイ13世 せい 治下 ちか の1635年 ねん 2月 がつ 10日 とおか 、アカデミー・フランセーズ が宰相 さいしょう リシュリュー によって正式 せいしき に設立 せつりつ された。当初 とうしょ の役割 やくわり はフランス語 ふらんすご を規則 きそく 的 てき で誰 だれ にでも理解 りかい 可能 かのう な言語 げんご に純化 じゅんか し、統一 とういつ することだった。その目的 もくてき を達成 たっせい するために辞書 じしょ と文法 ぶんぽう 書 しょ の編纂 へんさん を重要 じゅうよう な任務 にんむ にし、アカデミー・フランセーズ辞典 じてん が作成 さくせい された。詳 くわ しくはフランスの言語 げんご 政策 せいさく 参照 さんしょう 。
イタリア半島 はんとう には近代 きんだい になるまで統一 とういつ 国家 こっか が成立 せいりつ しなかったため、様々 さまざま な方言 ほうげん ・地方 ちほう 言語 げんご が存在 そんざい する。ルネサンス 期 き 、フィレンツェ がイタリア半島 はんとう の文芸 ぶんげい 活動 かつどう の中心 ちゅうしん 地 ち だったため、フィレンツェで主 おも に知識 ちしき 階層 かいそう が用 もち いていたトスカーナ 語 かたり が慣例 かんれい 的 てき に標準 ひょうじゅん 語 ご に準 じゅん じる地位 ちい となった。そのため、統一 とういつ 国家 こっか 成立 せいりつ 後 ご ローマ が首都 しゅと に定 さだ められたが、ローマの方言 ほうげん は標準 ひょうじゅん 語 ご にはならなかった。長 なが らく他国 たこく でいう標準 ひょうじゅん 語 ご と呼 よ ばれるものは存在 そんざい しなかったが、イタリア放送 ほうそう 協会 きょうかい (RAI)によって標準 ひょうじゅん 語 ご が定義 ていぎ され、普及 ふきゅう した。
スペイン語 ご はスペイン 本国 ほんごく のみならず中南米 ちゅうなんべい 諸国 しょこく や米国 べいこく などでも幅広 はばひろ く使 つか われており、標準 ひょうじゅん 語 ご の定義 ていぎ は簡単 かんたん ではない。特定 とくてい の国内 こくない であればその国 くに の首都 しゅと (スペインであればマドリード 、メキシコ であればメキシコシティ 、コロンビア であればボゴタ 、アルゼンチン であればブエノスアイレス )の方言 ほうげん が標準 ひょうじゅん 語 ご とみなされる傾向 けいこう にある一方 いっぽう 、レアル・アカデミア・エスパニョーラ はスペイン語 ご で最 もっと も権威 けんい のある辞書 じしょ を編纂 へんさん しているが、フランス語 ふらんすご におけるパリのフランス語 ふらんすご のように、スペイン語 ご 圏 けん 全体 ぜんたい において規範 きはん 的 てき な地位 ちい を持 も つ標準 ひょうじゅん 語 ご は存在 そんざい しない。また、米国 べいこく で制作 せいさく され中南米 ちゅうなんべい 諸国 しょこく 向 む けに放送 ほうそう されるテレビ番組 ばんぐみ あるいは映画 えいが の吹 ふ き替 か えなどでは、特定 とくてい の国 くに だけで使 つか われる単語 たんご を避 さ け中立 ちゅうりつ 的 てき な表現 ひょうげん を用 もち いる傾向 けいこう が強 つよ い。とはいえ、方言 ほうげん 間 あいだ での差 さ は比較的 ひかくてき 小 ちい さく、通常 つうじょう は意思 いし 疎通 そつう を妨 さまた げるほどではない。
ポルトガル語 ご の場合 ばあい には、ポルトガル (イベリアポルトガル語 ご )とブラジル (ブラジルポルトガル語 ご )の2つの変種 へんしゅ が標準 ひょうじゅん 語 ご となっており、この両者 りょうしゃ の間 あいだ では特 とく に発音 はつおん 面 めん で、そして語彙 ごい 面 めん でも相当 そうとう の違 ちが いがある。欧州 おうしゅう 内 ない ではポルトガルがEU加盟 かめい 国 こく であることもあり、イベリアポルトガル語 ご が標準 ひょうじゅん 語 ご とされる傾向 けいこう が強 つよ く、1970年代 ねんだい までポルトガルの植民 しょくみん 地 ち であったアフリカ諸国 しょこく でもイベリアポルトガル語 ご が標準 ひょうじゅん 語 ご の扱 あつか いを受 う けているが、特 とく に南米 なんべい 諸国 しょこく や日本 にっぽん においては、ブラジルの圧倒的 あっとうてき な存在 そんざい 感 かん からブラジルポルトガル語 ご が標準 ひょうじゅん 語 ご とされている。ただ、ポルトガル語 ご 圏 けん ではブラジル以外 いがい であってもマスメディアや音楽 おんがく などを通 つう じてブラジルポルトガル語 ご に親 した しむ機会 きかい が多 おお い一方 いっぽう 、特 とく にブラジルではイベリアポルトガル語 ご に接 せっ する機会 きかい が少 すく ないことから、イベリアポルトガル語 ご のき取 きと りに支障 ししょう を来 きた す人 ひと も少 すく なくない。
ノルウェー語 ご の標準 ひょうじゅん 語 ご にはブークモール とニーノシュク の2種類 しゅるい が存在 そんざい する。ブークモールは、ノルウェー がデンマーク の支配 しはい 下 か にあった時代 じだい に成立 せいりつ したもので、デンマーク語 ご の文語 ぶんご の影響 えいきょう を強 つよ く受 う けている。一方 いっぽう ニーノシュクは、デンマークからの独立 どくりつ 後 ご 、デンマーク語 ご の影響 えいきょう を受 う ける以前 いぜん のノルウェー語 ご に回帰 かいき しようとして作 つく られたもので、ノルウェー語 ご の複数 ふくすう の方言 ほうげん が人工 じんこう 的 てき に組 く み合 あ わされている。現在 げんざい 、公文書 こうぶんしょ や放送 ほうそう ではブークモールとニーノシュクの両方 りょうほう が使 つか われているが、実際 じっさい にはニーノシュクが標準 ひょうじゅん 語 ご として使 つか われる場面 ばめん は少 すく なく、外国 がいこく 人 じん 向 む けのノルウェー語 ご 教材 きょうざい でも通常 つうじょう ブークモールが使 つか われている。
^ a b c Finegan, Edward (2007). Language: Its Structure and Use (5th ed.). Boston, MA, USA: Thomson Wadsworth. p. 14. ISBN 978-1-4130-3055-6
^ Kordić, Snježana (2014) (Spanish). Lengua y Nacionalismo [Language and Nationalism] . Madrid: Euphonía Ediciones. pp. 79–151. ISBN 978-84-936668-8-0 . OL 16814702W . http://www.euphoniaediciones.com/plataforma/libros/lengua-y-nacionalismo-17-89-7-2-1
^ Italian language . language-capitals.com
^ a b Clyne 1992 , p. 3.
^ Daneš, František (1988). “Herausbildung und Reform von Standardsprachen [Development and Reform of Standard Languages]”. In Ammon, Ulrich; Dittmar, Norbert; Mattheier, Klaus J. Sociolinguistics: An International Handbook of the Science of Language and Society II . Handbücher zur Sprach- und Kommunikationswissenschaft 3.2. Berlin & New York: Mouton de Gruyter. p. 1507. ISBN 3-11-011645-6 . OCLC 639109991
^ a b c Vahid, Ranjbar (2008). The standard language of Kurdish . Iran: Naqd-hall
^ 阪口 さかぐち 篤 あつし 義 よし 編 へん (1990)『日本語 にほんご 講座 こうざ 第 だい 六 ろく 巻 かん 日本語 にほんご の歴史 れきし 』(大修館書店 たいしゅうかんしょてん )の徳川 とくがわ 宗 そう 賢 けん 「東西 とうざい のことば争 あらそ い」
^ 金 かね 水 すい 敏 さとし 『ヴァーチャル日本語 にほんご 役割 やくわり 語 ご の謎 なぞ 』(2003年 ねん )
^ a b c 岡本 おかもと , 雅 まさ 享 とおる 「言語 げんご 不通 ふつう の列島 れっとう から単一 たんいつ 言語 げんご 発言 はつげん への軌跡 きせき 」『福岡県立大学 ふくおかけんりつだいがく 人間 にんげん 社会学部 しゃかいがくぶ 紀要 きよう = Journal of the Faculty of Integrated Human Studies and Social Sciences, Fukuoka Prefectural University』第 だい 17巻 かん 第 だい 2号 ごう 、2009年 ねん 1月 がつ 8日 にち 、11–31頁 ぺーじ 。
^ 金 かね 水 すい 敏 さとし (2000年 ねん 5月 がつ 18日 にち ). “役割 やくわり 語 ご の探求 たんきゅう ” (PDF). 大阪大学 おおさかだいがく . pp. pp. 1,3. 2009年 ねん 9月 がつ 29日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 宝 たから 力 つとむ 朝 ちょう 魯 「明治 めいじ 後期 こうき 以降 いこう における国語 こくご 教育 きょういく への上田 うえだ 万年 かずとし の影響 えいきょう 」(PDF)『東北大学 とうほくだいがく 大学院 だいがくいん 教育 きょういく 学 がく 研究 けんきゅう 科 か 研究 けんきゅう 年報 ねんぽう 』第 だい 53巻 かん 第 だい 2号 ごう 、東北大学 とうほくだいがく 、2005年 ねん 3月 がつ 、pp. 32-33、ISSN 1346-5740 、2009年 ねん 9月 がつ 29日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 「標準 ひょうじゅん 語 ご の設定 せってい は各 かく 個人 こじん がその設定 せってい 者 しゃ であるべく、少 すく なくとも責任 せきにん 者 しゃ であるべし」石黒 いしぐろ 魯平 (昭和 しょうわ 25年 ねん )『標準 ひょうじゅん 語 ご 』、「関西 かんさい 弁 べん を基盤 きばん とした標準 ひょうじゅん 語 ご の存在 そんざい を認 みと めよ」梅 うめ 掉忠夫 おっと (昭和 しょうわ 29年 ねん )『第 だい 二 に 標準 ひょうじゅん 語 ご 論 ろん 』(真田 さなだ 信治 しんじ (1987年 ねん )『標準 ひょうじゅん 語 ご の成立 せいりつ 事情 じじょう 』PHP研究所 けんきゅうじょ より)
^ 昭和 しょうわ 24年 ねん 国立 こくりつ 国語 こくご 研究所 けんきゅうじょ が福島 ふくしま 県 けん 白河 しらかわ 市 し を調査 ちょうさ した際 さい 、東北 とうほく 方言 ほうげん と標準 ひょうじゅん 語 ご の中間 ちゅうかん のような言葉 ことば を話 はな す人々 ひとびと がいることが分 わ かり、この言葉 ことば なら全国 ぜんこく 共通 きょうつう に理解 りかい しあえるとのことから、国立 こくりつ 国語 こくご 研究所 けんきゅうじょ がこれを「全国 ぜんこく 共通 きょうつう 語 ご 」略 りゃく して「共通 きょうつう 語 ご 」と名付 なづ けた梅 うめ 中 なか 伸介 しんすけ (2005年 ねん 10月 がつ 6日 にち ). “そもそも日本語 にほんご の「共通 きょうつう 語 ご 」ってどうやってできたの? ”. R25 . リクルート . 2009年 ねん 9月 がつ 29日 にち 閲覧 えつらん 。真田 さなだ 信治 しんじ (1987年 ねん )『標準 ひょうじゅん 語 ご の成立 せいりつ 事情 じじょう 』PHP研究所 けんきゅうじょ
^ 松村 まつむら 文衛 ふみえ 「若者 わかもの 言葉 ことば を“科学 かがく ”する 」『at home Time』、アットホーム 、2002年 ねん 10月 がつ 、2009年 ねん 9月 がつ 29日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Smith 1996
^ Blake 1996
^ Baugh and Cable, 2002
^ Smith, 1996
^ “BBC Englishの意味 いみ ・使 つか い方 かた ・読 よ み方 かた | Weblio英和 えいわ 辞書 じしょ ”. ejje.weblio.jp . 2020年 ねん 9月 がつ 7日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 教師 きょうし の父 ちち の友人 ゆうじん で名付 なづ け親 おや がジョナサン・スウィフト 、息子 むすこ は劇 げき 作家 さっか リチャード・ブリンズリー・シェリダン (メルヴィン・ブラッグ『英語 えいご の冒険 ぼうけん 』アーティストハウス )
出典 しゅってん は列挙 れっきょ するだけでなく、脚注 きゃくちゅう などを用 もち いてどの記述 きじゅつ の情報 じょうほう 源 げん であるかを明記 めいき してください。記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく をお願 ねが いいたします。(2009年 ねん 9月 がつ )
奥田 おくだ 靖雄 やすお 「標準 ひょうじゅん 語 ご について」(雑誌 ざっし 『教育 きょういく 』1957年 ねん 、通算 つうさん 77号 ごう に掲載 けいさい 。のち、『読 よ み方 かた 教育 きょういく の理論 りろん 』むぎ書房 しょぼう ,1974年 ねん ,ISBN 9784838400638 に再 さい 録 ろく 。)
井上 いのうえ ひさし 『國語 こくご 元年 がんねん 』 - 明治 めいじ 期 き に標準 ひょうじゅん 語 ご 制定 せいてい を任 まか された役人 やくにん の苦闘 くとう を描 えが く。
山口 やまぐち 美知代 みちよ 『英語 えいご の改良 かいりょう を夢 ゆめ みたイギリス人 じん たち』(開拓 かいたく 社 しゃ ) - 英語 えいご の改良 かいりょう 運動 うんどう を描 えが く。
Ammon, Ulrich (1995) (German). Die deutsche Sprache in Deutschland, Österreich und der Schweiz: das Problem der nationalen Varietäten [German Language in Germany, Austria and Switzerland: The Problem of National Varieties] . Berlin & New York: Walter de Gruyter. p. 575. OCLC 33981055
Baugh, Albert C. and Thomas Cable. 2002. A History of the English Language, fifth ed. (London: Routledge)
Blake, N. F. 1996. A History of the English Language (Basingstoke: Palgrave)
Clyne, Michael G. , ed (1992). Pluricentric Languages: Differing Norms in Different Nations . Contributions to the sociology of language 62. Berlin & New York: Mouton de Gruyter. p. 481. ISBN 3-11-012855-1 . OCLC 24668375 . https://books.google.hr/books/about/Pluricentric_Languages.html?id=wawGFWNuHiwC&redir_esc=y
Joseph, John E. 1987. Eloquence and Power: The Rise of Language Standards and Standard Languages (London: Frances Pinter; New York: Basil Blackwell)
Kloss, Heinz (1976). “Abstandsprachen und Ausbausprachen [Abstand-languages and Ausbau-languages]”. In Göschel, Joachim; Nail, Norbert; van der Elst, Gaston. Zur Theorie des Dialekts: Aufsätze aus 100 Jahren Forschung . Zeitschrift für Dialektologie und Linguistik, Beihefte, n.F., Heft 16. Wiesbaden: F. Steiner. pp. 301–322. OCLC 2598722
Kordić, Snježana (2010) (Serbo-Croatian). Jezik i nacionalizam [Language and Nationalism] . Rotulus Universitas. Zagreb: Durieux. p. 430. ISBN 978-953-188-311-5 . LCCN 2011-520778 . OCLC 729837512 . OL 15270636W . オリジナル の8 July 2012時点 じてん におけるアーカイブ。. http://bib.irb.hr/datoteka/475567.Jezik_i_nacionalizam.pdf 2015年 ねん 8月 がつ 5日 にち 閲覧 えつらん 。
Norman, Jerry (1988). Chinese . Cambridge: Cambridge University Press. ISBN 978-0-521-29653-3
Smith, Jeremy. 1996. An Historical Study of English: Function, Form and Change (London: Routledge)
Stewart, William A. (1968). “A Sociolinguistic Typology for Describing National Multilingualism”. In Fishman, Joshua A . Readings in the Sociology of Language . The Hague, Paris: Mouton. pp. 529–545. doi :10.1515/9783110805376.531 . ISBN 978-3-11-080537-6 . OCLC 306499