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井上いのうえひさし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
井上いのうえいのうえ ひさし
ペンネーム 遅筆ちひつどうちひつどう
服部はっとり 半蔵はんぞう[† 1]
エンリコ・トリゾーニ[† 2]
誕生たんじょう 井上いのうえいのうえ ひさし
(1934-11-16) 1934ねん11月16にち
日本の旗 日本にっぽん山形やまがたけん東置賜ひがしおきたまぐん川西かわにしまち山形やまがたけん
死没しぼつ (2010-04-09) 2010ねん4がつ9にち(75さいぼつ[1]
日本の旗 日本にっぽん神奈川かながわけん鎌倉かまくら
職業しょくぎょう 小説しょうせつげき作家さっか放送ほうそう作家さっか
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
教育きょういく 学士がくし
最終さいしゅう学歴がくれき 上智大学じょうちだいがく外国がいこく学部がくぶフランス語ふらんすご学科がっか
活動かつどう期間きかん 1964ねん - 2010ねん
ジャンル 小説しょうせつ戯曲ぎきょく随筆ずいひつ
代表だいひょうさくひょっこりひょうたんとう』(1964ねん - 1969ねん人形にんぎょうげき
手鎖てじょう心中しんちゅうの』(1972ねん
藪原やぶはら検校けんぎょう』(1973ねん戯曲ぎきょく
新釈しんしゃく遠野とおの物語ものがたり』(1976ねん
吉里吉里きりきりじん』(1981ねん
よんせんまんおとこ』(1986ねん
ちちくらせば』(1994ねん戯曲ぎきょく
東京とうきょうセブンローズ』(1999ねん
おも受賞じゅしょうれき 岸田きしだ國士くにお戯曲ぎきょくしょう(1972ねん
芸術げいじゅつ選奨せんしょう新人しんじんしょう(1972ねん
直木なおき三十五さんじゅうごしょう(1972ねん
読売よみうり文学ぶんがくしょう戯曲ぎきょくしょう)(1980ねん
日本にっぽんSF大賞たいしょう(1981ねん
読売よみうり文学ぶんがくしょう小説しょうせつしょう)(1982ねん
星雲せいうんしょう(1982ねん
吉川よしかわ英治えいじ文学ぶんがくしょう(1986ねん
谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうしょう(1991ねん
菊池きくちひろししょう(1999ねん
朝日あさひしょう(2001ねん
毎日まいにち芸術げいじゅつしょう(2003ねん
鶴屋つるや南北なんぼく戯曲ぎきょくしょう(2003ねん
日本にっぽん芸術げいじゅついんしょう恩賜おんししょう(2009ねん
配偶はいぐうしゃ 西舘にしだて代志子よしこ(1961ねん - 1986ねん
井上いのうえユリ(べいはらユリ)(1987ねん - 2010ねん
子供こども 井上いのうえみやこもとこまつ主宰しゅさい
井上いのうえあや編集へんしゅうしゃ[2]
石川いしかわ麻矢まや(こまつ社長しゃちょう
親族しんぞく 井上いのうえマス実母じつぼ
べいはら章三しょうぞう祖父そふ
べいはらあきら岳父がくふ
べいはら万里ばんり義姉ぎし
ウィキポータル 文学ぶんがく
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井上いのうえ ひさし(いのうえ ひさし、本名ほんみょう井上いのうえ 廈(おなじ)、1934ねん昭和しょうわ9ねん11月16にち - 2010ねん平成へいせい22ねん4がつ9にち[1])は、日本にっぽん小説しょうせつげき作家さっか放送ほうそう作家さっかである。文化ぶんか功労こうろうしゃ日本にっぽん芸術げいじゅついん会員かいいん

1961ねんから1986ねんまでの本名ほんみょう(うちやま ひさし)[† 3](ちひつどう)を名乗なのることもあった。

日本にっぽんげき作家さっか協会きょうかい理事りじ社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽん文藝ぶんげい協会きょうかい理事りじ社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽんペンクラブ会長かいちょうだい14だい)などを歴任れきにんした。晩年ばんねん自身じしん蔵書ぞうしょ収蔵しゅうぞうした遅筆ちひつどう文庫ぶんこつくり、運営うんえいした(後述こうじゅつ)。

先妻せんさい西舘にしだて代志子よしこ後妻ごさいのユリはもと衆議院しゅうぎいん議員ぎいんべいはらあきらむすめ長女ちょうじょもとこまつ主宰しゅさい井上いのうえみやこさんじょ株式会社かぶしきがいしゃこまつ社長しゃちょう石川いしかわ麻矢まや

来歴らいれき[編集へんしゅう]

幼少ようしょう時代じだい[編集へんしゅう]

1934ねん11月16にち井上いのうえやすしきそった文学ぶんがく青年せいねん井上いのうえ修吉しゅうきちちちとし、井上いのうえマスははとして山形やまがたけん東置賜ひがしおきたまぐん小松こまつまち中小松なかこまつげん川西かわにしまち)にまれる[3][4]修吉しゅうきち実家じっかくすりだったため薬剤師やくざいし目指めざ一方いっぽう農地のうち解放かいほう運動うんどうかかわり、地方ちほう劇団げきだん小松こまつ」を主宰しゅさいしたほか、1935ねんには小松こまつしげる筆名ひつめいいた小説しょうせつ『Hまる傳奇でんき』が『サンデさんで毎日まいにちだい17かい大衆たいしゅう文芸ぶんげい新人しんじんしょう入賞にゅうしょうしている。プロレタリア文学ぶんがく雑誌ざっし戦旗せんき』への投稿とうこう同誌どうし配布はいふ手伝てつだいもしていた[5]。マスが病院びょういん下働したばたらきをしていたときに薬剤師やくざいし助手じょしゅ修吉しゅうきちちしたが、井上いのうえせきにははいらず、ひさしたち3兄弟きょうだい戸籍こせきじょう嫡出ちゃくしゅつこん外子そとこ)としてまれた。廈(ひさし)という名前なまえは、『Hまる傳奇でんき』の舞台ぶたいとなった中国ちゅうごく厦門あもい(アモイ)に由来ゆらいする[6]。5さいのときちち脊髄せきずいカリエス死亡しぼう青年せいねん共産きょうさん同盟どうめい現在げんざい日本にっぽん民主みんしゅ青年せいねん同盟どうめい通称つうしょう民青みんせい加入かにゅうしていた父親ちちおやは3かい検挙けんきょれきがあり、そのときにけた拷問ごうもん影響えいきょう脊髄せきずいわるくしたともかたっていた[5]母親ははおやおっとわって薬屋くすりやりするかたわら、闇米やみごめ販売はんばい美容びよういん経営けいえいなどで3にんそだてていたが、旅回たびまわりの芸人げいにん同居どうきょはじめる。その義父ぎふから虐待ぎゃくたいけ、ストレスから円形えんけい脱毛だつもうしょう吃音きつおんしょうになる。その義父ぎふがねげされた。山形やまがたではちちのこした蔵書ぞうしょ乱読らんどくしてごし、「神童しんどう」とわれていた。

はは一関いちのせき飯場いいばいとなんでいた義父ぎふ居場所いばしょめ、会社かいしゃから義父ぎふしてみずか社長しゃちょうにつき土建どけんぎょう井上いのうえぐみ」をげた。当時とうじアイオン・カスリーン台風たいふう被害ひがいにより一関いちのせき市内しない復興ふっこう需要じゅようたい土建どけんぎょうになっていた。そのさい井上いのうえ自身じしんは、現在げんざいうれしいち酒造しゅぞうくらりて運営うんえいしていた新星しんせい映画えいがかんげん一関いちのせきシネプラザ)にて切符きっぷもぎりのバイトをしていた。しかし、井上いのうえぐみ経営けいえいはうまくいかず会社かいしゃほどなくして解散かいさん生活苦せいかつくのためははカトリック修道しゅうどうかいラ・サールかい孤児こじいん現在げんざい児童じどう養護ようご施設しせつ)「ひかりおか天使てんしえん」(宮城みやぎけん仙台せんだい)にひさしをあづける。そこではカナダひと修道しゅうどうたちが児童じどうたいして献身けんしんてき態度たいどせっしていた。カナダから修道しゅうどうふく修理しゅうりようおくられた羅紗らしゃもまず子供こどもたちの通学つうがくふくまわし、自分じぶんはぼろぼろの修道しゅうどうふくあまんじ毎日まいにちがくあせして子供こどもたちにべさせる野菜やさいなどを栽培さいばいしていた。このような修道しゅうどうたちのせいきかたは入所にゅうしょ児童じどう感動かんどうさせ、洗礼せんれいける児童じどう続出ぞくしゅつした。ひさしもその一人ひとりとなった(洗礼せんれいめい:マリア・ヨゼフ。上京じょうきょう、棄教している)。一方いっぽう井上いのうえ孤児こじいん時代じだい友人ゆうじんによると、この孤児こじいん理不尽りふじん体罰たいばついじめ横行おうこうする弱肉強食じゃくにくきょうしょく環境かんきょうであり、当時とうじ井上いのうえおとうと一緒いっしょだったが「ちいさなおとうとがいじめられていてもかばえないようなやつでした」「くちがうまくてそれでわたあるいたようなところがあった」、という[7]井上いのうえざいえん当時とうじ園長えんちょうつとめた石井いしい恭一きょういち修道しゅうどうも「ひさしさんはおとなしいでしたよ。おとうとさんはちいさくて、よくおねしょをしたので、みなにからかわれていました。かれはかばうことはせずに、はやしてる仲間なかまほうくわわっていました」と証言しょうげんしている[8]。この当時とうじのことは自著じちょよんじゅう一番いちばん少年しょうねん』にもえがかれている。

学生がくせい時代じだい[編集へんしゅう]

1950ねん宮城みやぎけん仙台第一高等学校せんだいだいいちこうとうがっこうすす孤児こじいんから通学つうがく[4]在校ざいこうちゅうおもはん自伝じでんてき小説しょうせつ青葉あおばしげるれる』にしるしている。在校ざいこうちゅう新聞しんぶん所属しょぞくし、同級生どうきゅうせい憲法けんぽう学者がくしゃ樋口ひぐち陽一よういち、1学年がくねん上級生じょうきゅうせいには俳優はいゆう菅原すがわら文太ぶんたがいた。在学ざいがくちゅう投稿とうこう読書どくしょ映画えいが野球やきゅう熱中ねっちゅうし、成績せいせき低迷ていめい東北大学とうほくだいがく東京外国語大学とうきょうがいこくごだいがく受験じゅけん失敗しっぱいして早稲田大学わせだだいがく補欠ほけつ合格ごうかく慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく図書館としょかん学科がっか合格ごうかくたすも学費がくひはらうことができず[よう検証けんしょう][9]孤児こじいん神父しんぷ推薦すいせん1953ねん上智大学じょうちだいがく文学部ぶんがくぶドイツ文学ぶんがく入学にゅうがく[4]代々木上原よよぎうえはらのラ・サール修道院しゅうどういんからかよ[† 4]。しかしドイツ興味きょうみてなかったうえ生活せいかつそこをついたため2年間ねんかん休学きゅうがくして岩手いわてけん国立こくりつ釜石かまいし療養りょうようしょ事務じむ職員しょくいんとなる。看護かんごへのあこがれから医師いしこころざ[10][11]東北大学とうほくだいがく医学部いがくぶ岩手医科大学いわていかだいがく受験じゅけんして失敗しっぱい1956ねん上智大学じょうちだいがく外国がいこく学部がくぶフランス語ふらんすご復学ふくがく[4]釜石かまいしはたらいてめた15まんえんは、あかせんかよめて2かげつ使つかたした[12]

在学ざいがくちゅうから、浅草あさくさストリップ劇場げきじょうフランス中心ちゅうしん台本だいほんはじめる。当時とうじのストリップは1かい2あいだ程度ていどのショーに先駆さきがけ1あいだ程度ていどしょう喜劇きげきものとしており、ことにフランス渥美あつみきよし筆頭ひっとうとしてたにみきいちせきたかしろく長門ながといさむったのち日本にっぽん代表だいひょうする喜劇きげき役者やくしゃ活躍かつやくであった。これらの大学だいがく時代じだい経験けいけんは、『モッキンポット後始末あとしまつ』に(かなりフィクションがまじえられているが)小説しょうせつされている。

放送ほうそう作家さっかげき作家さっか時代じだい[編集へんしゅう]

1960ねん上智大学じょうちだいがく卒業そつぎょう[4]放送ほうそう作家さっかとして活動かつどうし、1961ねん広告こうこく代理だいりてんつとめていた好子よしこ結婚けっこん婿養子むこようし)、1963ねんから年子としごむすめを3にんもうける。山元やまもとまもるひさともに『ひょっこりひょうたんとう』をがけ、1964ねん4がつから5年間ねんかん放映ほうえいされる国民こくみんてき人気にんき番組ばんぐみとなる。舞台ぶたいであるひょうたんとうが「ながいたくに」のひとつ、「国民こくみんすべてが郵便ゆうびん局員きょくいん」であるというポストリアの設定せってい郵政ゆうせい馬鹿ばかにしていると抗議こうぎがあり放送ほうそうりになった[13]。のち1970ねん4がつより『ネコジャラの11にん』が放送ほうそうされ、作風さくふう近代きんだいされたが時代じだいてき背景はいけいから体制たいせい批判ひはんであるとの抗議こうぎ[よう出典しゅってん]、『ひょっこりひょうたんとう』にくらべれば短期間たんきかんの3年間ねんかん放映ほうえい終了しゅうりょうとなった。また、このころ、おちゃあいだ人気にんきしゃとして台頭たいとうしつつあったてんぷくトリオのコント台本だいほん数多かずおおがけている(これらの作品さくひんは「コント台本だいほん」として出版しゅっぱんされている)。1969ねんに、『ひょっこりひょうたんとう』に声優せいゆうとして出演しゅつえんしていた熊倉くまくら一雄かずお主宰しゅさいする劇団げきだんテアトル・エコーに『日本人にっぽんじんのへそ』をろしたのを契機けいき本格ほんかくてき戯曲ぎきょく執筆しっぴつはじめ、小説しょうせつ随筆ずいひつとうにも活動かつどう範囲はんいひろげた。

直木賞なおきしょう受賞じゅしょうとその活動かつどう[編集へんしゅう]

1972ねん7がつ、「手鎖てじょう心中しんちゅうの」(『別冊べっさつ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう』119ごう)でだい67かい直木なおき三十五さんじゅうごしょう受賞じゅしょうした。選考せんこう委員いいんかいでは柴田しばた錬三郎れんざぶろうが「江戸えど爛熟らんじゅく風俗ふうぞく調しらべがゆきとどかず、挿入そうにゅう小唄こうた大正たいしょうせいであったりする不備ふびがあった」、司馬しばりょう太郎たろうも「作品さくひんそのものには多少たしょう瑕瑾かきん指摘してきできる」と消極しょうきょくてき意見いけんされるなか水上みずかみつとむが「軽妙けいみょうにしてずっしりとおもい。おそらく日本にっぽん文壇ぶんだんは、なんねんぶりかで、個性こせいゆたかな作家さっかたといえる」、松本まつもと清張せいちょうも「ふざけた小説しょうせつだとみるのは皮相ひそうで、作者さくしゃ戯作げさくしゃなかはいって現代げんだいの「寛政かんせい」をている」など、積極せっきょくてき意見いけんされるかたちでつなふちけんじょうの『』との同時どうじ受賞じゅしょうまった[14]

1974ねん1がつからはつ連載れんさい小説しょうせつとなる「熱風ねっぷういたる」を『週刊文春しゅうかんぶんしゅん』に連載れんさいした。新選しんせんぐみをモチーフとした時代じだい小説しょうせつで、掲載けいさい予告よこくでは「人気にんき絶頂ぜっちょう作家さっか長篇ちょうへん小説しょうせつはじめて週刊しゅうかん登場とうじょう」「ひさしの新選しんせんぐみ」などの文言もんごんおど物入ものいりの連載れんさいスタートだった。しかし、近藤こんどういさむ差別さべつ部落ぶらく出身しゅっしんだったとするなどの内容ないよう編集へんしゅう不興ふきょうい、連載れんさいまる2ねんつづいたのち完結かんけつたずに終了しゅうりょうとなった[† 5]

1982ねん2がつ、『吉里吉里きりきりじん』でだい33かい読売よみうり文学ぶんがくしょうだい2かい日本にっぽんSF大賞たいしょう受賞じゅしょうした。

1983ねん1がつ劇団げきだんこまつげている。だい1かい1984ねん4がつ5にちの『頭痛ずつうかたこり樋口ひぐち一葉かずは』であった。パンフレット「the」を発行はっこうしていて、前口上まえこうじょう後口あとくちじょうやシナリオを掲載けいさいしていた[16]1986ねん好子よしこ離婚りこん井上いのうえ好子よしこともに記者きしゃ会見かいけんをし、マスコミをにぎわせた。このあいだ1985ねん12月4にち自宅じたく睡眠薬すいみんやく服用ふくようしてくびり、自殺じさつはかったが未遂みすいわっている[17]翌年よくねん米原まいばらユリと再婚さいこん男児だんじをもうける。

日本にっぽんペンクラブ会長かいちょう日本にっぽん文藝ぶんげい協会きょうかい理事りじ日本にっぽんげき作家さっか協会きょうかい理事りじ2004ねん4がつ - )、千葉ちばけん市川いちかわ文化ぶんか振興しんこう財団ざいだん理事りじちょう2004ねん7がつ - )、世界せかい平和へいわアピールななにん委員いいんかい委員いいん仙台せんだい文学ぶんがくかん館長かんちょう初代しょだい)、もりおか啄木たくぼく賢治けんじ青春せいしゅんかん名誉めいよ館長かんちょう2002ねん - )などを歴任れきにんした。またおおくの文学ぶんがくしょうとう選考せんこう委員いいんつとめており直木なおき三十五さんじゅうごしょう読売よみうり文学ぶんがくしょう谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうしょう大佛だいぶつ次郎じろうしょう川端かわばた康成やすなり文学ぶんがくしょう吉川よしかわ英治えいじ文学ぶんがくしょう岸田きしだ國士くにお戯曲ぎきょくしょう講談社こうだんしゃエッセイしょう日本にっぽんファンタジーノベル大賞たいしょう小説しょうせつすばる新人しんじんしょうげられる。2009ねんより文化ぶんか学院がくいん特別とくべつ講師こうしとなっていた。以前いぜんあね文化ぶんか学院がくいんフランス語ふらんすごおしえていたことと、むすめらが文化ぶんか学院がくいん在籍ざいせき経験けいけんがあることからけたという[よう出典しゅってん]同年どうねん日本にっぽん藝術げいじゅついん会員かいいんえらばれた。

1にち40ほんたばこうという愛煙あいえんで、「喫煙きつえん肺癌はいがん無関係むかんけい」という見解けんかいをたびたび披露ひろうしていたが、井上いのうえ自身じしん2009ねん10月肺癌はいがん診断しんだんされ、「やはりはいがんとたばこには因果いんが関係かんけいがあるんだね。さすがに禁煙きんえんしたよ」とべていたという[18]治療ちりょうちゅう2010ねん4がつ9にち死去しきょした[19][20]。75さいぼつ

沖縄おきなわせん題材だいざいにした新作しんさく戯曲ぎきょくうえ軍隊ぐんたい』の上演じょうえん2010ねん7がつ予定よていされ、ゆたかちくさき大夫たいふもとめにおうじて井原いはら西鶴さいかく作品さくひんもとにした文楽ぶんらく新作しんさく台本だいほん2011ねん上演じょうえんする計画けいかくもあったが、いずれも執筆しっぴついたらなかった。

戒名かいみょうは「さとしひついんおどけどう廈法居士こじ(ちひついんぎどうかほうこじ)」。墓所はかしょきよし光明寺こうみょうじ[よう出典しゅってん]

命日めいにちの4がつ9にち没後ぼつご5ねんにあたる2015ねんより、代表だいひょうさく吉里吉里きりきりじん」にちなんで吉里吉里きりきり名付なづけられている(文学ぶんがく)。

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

  • ミステリー小説しょうせつきで『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』を購読こうどくしていた。自分じぶんいた芝居しばいも「ほとんどが、全部ぜんぶ推理すいり仕立したてなんです。推理すいり仕立したてで失敗しっぱいした作品さくひんはそうないんです」[21]かたっている。
  • 1982ねんおこなわれたインタビューで「ぼくエスペラントを、夢中むちゅうになってやった時期じきがあります」[22]かたるなど、エスペラントへの関心かんしんたかかった。戯曲ぎきょくイーハトーボのげき列車れっしゃ』では、登場とうじょう人物じんぶつである宮沢みやざわ賢治けんじがエスペラントの講習こうしゅうおこなっている。
  • いわれのない批判ひはんには猛然もうぜん反撃はんげきした。朝日新聞あさひしんぶん書評しょひょうで『吉里吉里きりきりじん』が大江おおえ健三郎けんざぶろうの『どう時代じだいゲーム』のパロディだとかれたことをめぐって「ぼくたいしては勿論もちろん大江おおえさんにも失礼しつれいです。書評しょひょう名前なまえわかったら、ぼく決闘けっとうもうみます。ぼくつえじゅつ使つかだからけません。あの書評しょひょう脳味噌のうみそをゴチャゴチャにきまわしてやります。批判ひはんしてはいけない、といっているのじゃありません。事実じじつ調しらべずに、また肝腎かんじんほんみもせずにきいたふうのことを文筆ぶんぴつこまるのです。毒虫どくむしです。人間にんげんじゃない。言葉ことば本当ほんとう意味いみで「馬鹿ばか」です」[23]かたっている。
  • プロ野球やきゅう東京とうきょうヤクルトスワローズのファンの著名ちょめいじんとしてられているが、数少かずすくない国鉄こくてつスワローズ時代じだいからのファン。これは1952ねん同郷どうきょう佐藤さとう孝夫たかおがもしも新人しんじんおうったらば未来永劫みらいえいごう応援おうえんつづけるとキリストいのったらそのとおりとなり、結果けっかやめたら「天罰てんばつくだるのがこわ」から応援おうえんつづけているとのことである。また、さんじょ石川いしかわ麻矢まやによると、パシフィック・リーグでは近鉄きんてつバファローズのファンであったという[24]

作家さっかとしての特徴とくちょう[編集へんしゅう]

  • むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことを愉快ゆかいに、愉快ゆかいなことを真面目まじめくこと」[† 6]創作そうさくモットーとしており、文体ぶんたい軽妙けいみょうであり言語げんご感覚かんかくするどい。
  • 言葉ことばかんする知識ちしきが、「国語こくご学者がくしゃ顔負かおまけ」としょうされるほどふかく、『週刊しゅうかん朝日あさひ』において大野おおのすすむ丸谷まるや才一さいいち大岡おおおかしんといった当代とうだい随一ずいいち言葉ことば使つかとともに『日本語にほんご相談そうだん』を連載れんさいする。また、『私家版しかばん日本語にほんご文法ぶんぽう』や『自家製じかせい文章ぶんしょう読本とくほん』など、日本語にほんごかんするエッセイひとしおおい。
  • 自他じたどもみとめるたいへんな遅筆ちひつ有名ゆうめいみずから「遅筆ちひつどう」というおどけごうもちいるほどで、とく戯曲ぎきょく『パズル』完成かんせいわず雲隠くもがくれした「パズル事件じけん」は有名ゆうめい休演きゅうえん初日しょにち延期えんき事態じたいになった場合ばあい損失そんしつには私財しざいとうじて補填ほてんしたという。1983ねん自作じさく戯曲ぎきょくせんもん上演じょうえんする劇団げきだんこまつ」を創立そうりつしたが、その唯一ゆいいつ座付ざつ作家さっかである井上いのうえ遅筆ちひつにより、公演こうえん中止ちゅうし幕開まくあ初日しょにち延期えんきによる公演こうえん期間きかん短縮たんしゅくなどの騒動そうどうなんこしている。
  • あまりの遅筆ちひつのため、ふつうは上演じょうえんまえ台本だいほん原稿げんこう仕上しあがると業者ぎょうしゃまわして謄写版とうしゃばんってもらうのだが井上いのうえ場合ばあいそれがわず、みずかガリ版がりばんることがおおかった[25]むすめ麻矢まやによると「はじめるとはやいのだが、それまでに時間じかんがかかった」とのこと[26]親交しんこうのあるえい六輔ろくすけによると「『遅筆ちひつがひどいのでパソコンでこうとかんがえている』とはなしていたが、どちらにしてもおなじだからやめなさいと説得せっとくし、結果けっかやめていた」という。ただし、みずか台本だいほんガリ版がりばんっていただけあって、井上いのうえ原稿げんこう丁寧ていねい大変たいへんみやすいものだった。
  • 戯曲ぎきょく完成かんせいたかさは現代げんだい日本にっぽんにおいてはだいいちきゅうのものであり、数々かずかず役職やくしょくふくめ、日本にっぽん代表だいひょうするげき作家さっかとして確固かっこたる地位ちい確立かくりつした。死去しきょさいしては「国民こくみん作家さっかにふさわしい」(別役べつやくみのる産経新聞さんけいしんぶん)「井上いのうえ作品さくひんのあのふかみとおもみ。おな方向ほうこうってもてるわけはないですから」(三谷幸喜みたにこうき朝日新聞あさひしんぶん)「ちちのような存在そんざいでした。いつか“ライバルです”って、ってみたかった」(野田のだ秀樹ひできどう)と、当代とうだい代表だいひょうするげき作家さっかたちからの最大さいだいきゅう賛辞さんじ追悼ついとうコメントとしてならんだ。また井上いのうえ作品さくひん『ムサシ』のえいべい公演こうえんひかえた演出えんしゅつ蜷川にながわ幸雄ゆきお訃報ふほうけ「井上いのうえさんの舞台ぶたい世界せかい最前線さいぜんせんにいるんだということをつたえたい」(報知ほうち新聞しんぶん)とかたっている。かれ書評しょひょうするどさにたいする賞賛しょうさんこえもまた存在そんざいしている。
  • 膨大ぼうだい資料しりょう収集しゅうしゅうして作品さくひんえがくことでも著名ちょめいで、蔵書ぞうしょ後述こうじゅつの「遅筆ちひつどう文庫ぶんこ」として寄贈きぞうされた。同様どうよう膨大ぼうだい資料しりょうもと作品さくひんえがくことで有名ゆうめい司馬しばりょう太郎たろうおな資料しりょうさがしていて、一足ひとあしちがいでさきされたエピソードもある。
  • 井上いのうえ政治せいじてき姿勢しせい抗議こうぎ電話でんわをかけてきた右翼うよくたいし「あなたは歴代れきだい天皇てんのう名前なまええるのか、自分じぶんえる」とやりこめた逸話いつわもある[27]
  • 井上いのうえには戯曲ぎきょくちちくらせば』や『紙屋かみやまちさくらホテル』、朗読ろうどくげき少年しょうねん口伝くでんたいいちきゅうよん』など広島ひろしまへの原爆げんばく投下とうか題材だいざいにした作品さくひんおおいが、これについて2009ねん7がつ広島ひろしまおこなわれた講演こうえんかいで「同年代どうねんだいどもが広島ひろしま長崎ながさき地獄じごくたとき、わたしなつまつりの練習れんしゅうをしていた。ものすごいがあり、いつか広島ひろしまきたいとねがっていた」「いまでも広島ひろしま長崎ながさき聖地せいちかんがえている」とはなした[28][29]
  • 浅草あさくさフランスは、ストリップかい東京とうきょう大学だいがくだった」とかたっている。[30]

ドメスティック・バイオレンス(DV)をめぐって[編集へんしゅう]

ひさしが電通でんつうのディレクターから寸借すんしゃく詐欺さぎったときに、前妻ぜんさいである好子よしこ被害ひがいしゃ一人ひとりであったことが交際こうさいするきっかけとなった。

ひさしのさんじょである石川いしかわ麻矢まやが1998ねんみずからのちと家庭かていについてつづった『激突げきとつ家族かぞく 井上いのうえまれて』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ)によると、ひさしと当時とうじ夫人ふじん好子よしこ麻矢まやはは)はともつよ個性こせいぬしで、たがいに妥協だきょうすることをしなかった。夫婦ふうふ喧嘩げんか大変たいへん派手はでで、場所ばしょをかまわず「やったらとことん」で、どもがにんあいだ介入かいにゅうすることもきらっており[31]どもにたいして暴力ぼうりょくをふるったことはなかった。当時とうじ家庭かていない険悪けんあくだったわけではなく、好子よしこはひさしにとって「優秀ゆうしゅうなプロデューサーであり、マネージャーであった」と石川いしかわしるしている[32]執筆しっぴつでひさしのあしがむくむと好子よしこはそれをるためのマッサージをした[33]。やがて、ふですすまなくなるなどで、ひさしはこう暴力ぼうりょくるうようになり、編集へんしゅうしゃも「好子よしこさん、あとさんはつなぐられてください」などと、ひさしの暴力ぼうりょくあおった[32]なぐられてかお変形へんけいしても「忍耐にんたいとかそんな感情かんじょうではなく、作品さくひんつくひとつの過程かていとでもおもっているような迫力はくりょくちちささえていた」と石川いしかわしるしている[32]

ひさしの作品さくひんせんもん上演じょうえんする「こまつ」の旗揚はたあげはにんにとって共通きょうつうおおきなゆめ実現じつげんだったが、石川いしかわはそのなか夫婦ふうふ方向ほうこうせいすこしずつずれてきたとしるしている[34]。その時期じきから、好子よしこはどんなに迷惑めいわくけても素晴すばらしい作品さくひんのこせばいいというひさしを傲慢ごうまんだとおもうようになった。さらに『パズル』の台本だいほん完成かんせいせずに上演じょうえんをキャンセルしたことで、好子よしこ作家さっかつま立場たちば関係かんけいしゃ迷惑めいわくをかけたこととのあいだくるしんだとべている[34]

この時期じきこうとこまつ舞台ぶたい監督かんとく西舘にしだてただしおっととの不倫ふりん発覚はっかく、1985ねん井上いのうえ翌年よくねん6がつ離婚りこん石川いしかわは“不倫ふりん”が発覚はっかくした当時とうじ好子よしこ座長ざちょう作家さっかつま立場たちば狭間はざまつかっていたこと、更年期こうねんきたっていたこと、ひさしがこうにとてもいかめしかったことをげている[35]

離婚りこん西舘にしだて好子よしこは『修羅しゅらいえ』(はまの出版しゅっぱん)でひさしからけた家庭かていない暴力ぼうりょくかした。このほんで「肋骨あばらぼねひだり鎖骨さこつにひびがはいり、鼓膜こまくやぶれ、全身ぜんしん打撲だぼくかおはぶよぶよのゴムまりのよう。みみはなからて…」[36]克明こくめいしるしている。ひさし自身じしん離婚りこん以前いぜんに「家庭かてい口論こうろんとうのエッセイで自身じしんのDVについてれている。一方いっぽうで、好子よしこがひさしに「嚙みく、ひっかく、道具どうぐ使つかう、嚙んだらはなさない」とう暴力ぼうりょく一方いっぽうてきるわれていたわけではなかったという矢崎やさき泰久やすひさ目撃もくげき証言しょうげんもある[37]

これらのDVについて、ひさしがわ真偽しんぎもふくめて黙殺もくさつする対応たいおうをとり、公職こうしょく公的こうてき活動かつどう一切いっさいひかえることをしないまま、とく追及ついきゅうするこえおこらずに話題わだいとしては終息しゅうそくした。小谷野こやのあつしも『週刊しゅうかん新潮しんちょう追悼ついとう記事きじでのコメントでは、作品さくひんへの賛辞さんじ園遊会えんゆうかい問題もんだい政治せいじてき発言はつげんこう参照さんしょう)への批判ひはんえながら、この話題わだいには一切いっさいれていない。西舘にしだて好子よしこはその自著じちょで、ひさしが人気にんき作家さっかであることから、いかに出版しゅっぱんしゃ人間にんげんたちがひさしをまもっていたかをつづっている。また、上記じょうき出版しゅっぱん当時とうじ、ひさしと疎遠そえんであった石川いしかわすうねん長女ちょうじょわって、こまつ代表だいひょう就任しゅうにんするなど急速きゅうそく和解わかいぶりをしめし、さいしても異例いれい記者きしゃ会見かいけん悼辞とうじべるにいたった一方いっぽうぎゃく臨終りんじゅうにもばれなかったなど複雑ふくざつ家族かぞく関係かんけいが『週刊しゅうかんポスト』に指摘してきされた。なお『激突げきとつ家族かぞく 井上いのうえまれて』には、はひさしの離婚りこんに「いて抵抗ていこうしたにもかかわらず」こまつ代表だいひょうになったという記述きじゅつがある(189ページ)。なお、二女じじょあや臨終りんじゅう葬儀そうぎばれていない。

後妻ごさい井上いのうえユリはひさしぼつの2010ねん6がつ発売はつばいされた『文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう』7がつごう寄稿きこうした「ひさしさんがのこしたことば」において、ひさしとの結婚けっこん生活せいかつにおいて口論こうろんになったことはほとんどなかったとしるした。

また、西舘にしだて好子よしこは2018ねん2がつ20日はつか発行はっこうされた『家族かぞく戦争せんそう うちよりひどいいえはない!?』(幻冬舎げんとうしゃ)の「だいよんまく ってもれないふかむすびつき 家族かぞく晩期ばんき」において、「泥沼どろぬま離婚りこんをしたあと、わたしたちは真夜中まよなか電話でんわじゅうすう年間ねんかんつづけていました。(中略ちゅうりゃくいまかえれば、あのじゅうすうねんという歳月さいげつは、おたがいの憎悪ぞうお浄化じょうかするために必要ひつよう時間じかんだったのかもしれない、とおもいます。冗談じょうだんをいい、ふざけっていたときは、たんなるなかのいい友人ゆうじん同士どうしでした。」とべ、また「家族かぞく戦争せんそうえたいまは、井上いのうえさんのいた作品さくひんつぎ世代せだいがれ、おおくのひとわらったりいたりしてもらえることを、わたししんよりねがっています。」としるした。

社会しゃかい活動かつどう[編集へんしゅう]

1987ねん故郷こきょうである山形やまがたけん東置賜ひがしおきたまぐん川西かわにしまち蔵書ぞうしょ寄贈きぞう図書館としょかん遅筆ちひつどう文庫ぶんこ[† 7]開設かいせつされる。収蔵しゅうぞうされているほんにはせんなどのみがなされ、すべてのほんとおしていることが実感じっかんできる。また、同所どうしょにて「生活せいかつしゃだい学校がっこう」を設立せつりつかおひろさから数々かずかず言論げんろんじん講座こうざ開講かいこうした。農業のうぎょう関係かんけいもよおしがおおい。

1996ねん岩手いわてけん一関いちのせきで3日間にちかん作文さくぶん教室きょうしつおこない、このとき講義こうぎろくが『井上いのうえひさしと141にん仲間なかまたちの作文さくぶん教室きょうしつ』(のち新潮しんちょう文庫ぶんこ)になる。

1998ねんには仙台せんだい文学ぶんがくかん初代しょだい館長かんちょうげん大崎おおさき吉野よしの作造さくぞう記念きねんかんのち作造さくぞう兄弟きょうだい評伝ひょうでんげきあにおとうと」2003ねんく)の名誉めいよ館長かんちょう就任しゅうにんする。

社会しゃかいてき政治せいじてき事柄ことがらについての見解けんかい[編集へんしゅう]

1999ねん3がつ日本にっぽん共産党きょうさんとう委員いいんちょう不破ふわ哲三てつぞうとの対談たいだんしゅうしん日本にっぽん共産党きょうさんとう宣言せんげん』(光文社こうぶんしゃ)を出版しゅっぱんした。また、2004ねん6がつ、「きゅうじょうかい(きゅうじょうのかい)」の9にんの「びかけにん」の1人ひとりとなり各地かくちで「(日本にっぽん平和へいわまもるために)日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい9じょうえるな」とうったえるなど政治せいじてき活動かつどうふるくからっていた。国鉄こくてつ分割ぶんかつ民営みんえいについては「ナショナルアイデンティティ崩壊ほうかいにつながる」とし反対はんたいする議論ぎろんを『赤旗あかはた日曜にちようばん』に寄稿きこうした。

防備ぼうび都市とし宣言せんげん支持しじしており、「(しん国際こくさい貢献こうけんをなすためには、)たとえば医学いがく世界せかいで、日本にっぽん世界せかい最良さいりょう病院びょういんとなるようにし、ノーベル医学いがくしょう毎年まいとし日本人にっぽんじんもらい、日本人にっぽんじんがん特効薬とっこうやく開発かいはつし、世界中せかいじゅう医師いし日本語にほんごでカルテをくようになれば、ブッシュさんもプーチンさんも世界中せかいじゅう富豪ふごうも、日本にっぽん診療しんりょうしてもらいたくなり人質ひとじち同様どうようになれば、そんな日本にっぽん攻撃こうげきできない、してはいけないとおもうようになる。」と発言はつげんをしている[38]。なお、小説しょうせつ吉里吉里きりきりじん』には吉里吉里きりきりこく国策こくさくとして同様どうよう設定せっていられ、文明ぶんめいによる武装ぶそうとして作中さくちゅう登場とうじょうする自衛隊じえいたいいんうったえている。

前妻ぜんさい西舘にしだて好子よしこはひさしを「徹底てっていした天皇てんのうせい批判ひはんしゃ」としるし(『修羅しゅらいえ』)、むすめ石川いしかわ麻矢まやも「ちち基本きほんてきには天皇てんのうせい反対はんたい立場たちばってきた」とべている(『激突げきとつ家族かぞく 井上いのうえまれて』)。しかし、そのかんがえに変化へんかがあったのか、ひさしが文化ぶんか功労こうろうしゃ辞退じたいせず、その天皇てんのう主催しゅさい茶会ちゃかい出席しゅっせきし、大岡おおおか昇平しょうへい木下きのした順二じゅんじ武田たけだ泰淳たいじゅんら、はん体制たいせい文学ぶんがくしゃ辞退じたいした芸術げいじゅついん会員かいいんになったことを小谷野こやのあつし批判ひはんしており(『天皇てんのうせい批判ひはん常識じょうしきよういずみしゃ)、『週刊しゅうかん新潮しんちょう』の追悼ついとう特集とくしゅうでも、いくつかの戯曲ぎきょくへの絶賛ぜっさんえるかたちではあるが、あえてこのけんれた。また、秀実ひでみなども「天皇てんのうせい支持しじ反戦はんせんというのは『戦後せんご民主みんしゅ主義しゅぎ』だ」としてひさしを批判ひはんしていた(『しょうブル急進きゅうしん主義しゅぎ批評ひひょう宣言せんげん』)。

交友こうゆう関係かんけい[編集へんしゅう]

活動かつどう初期しょきテアトル・エコー座付ざつ作者さくしゃちか存在そんざいであり、主宰しゅさいしゃ熊倉くまくら一雄かずおらとの交友こうゆうながい。その木村きむら光一こういち栗山くりやまみん鵜山うやまじん晩年ばんねん蜷川にながわ幸雄ゆきおとのさく演出えんしゅつコンビがおおかった。『ひょっこりひょうたんとう』『忍者にんじゃハットリくん』など放送ほうそう台本だいほんおおくを共同きょうどう執筆しっぴつした山元やまもとまもるひさは1978ねん早世そうせいしている。

小説しょうせつ関係かんけいでは、晩年ばんねん大江おおえ健三郎けんざぶろう行動こうどうをともにすることがおおかったが、おなどしでやはりわらいを武器ぶきにする筒井つつい康隆やすたかとの親交しんこうふかく、このさんにん相互そうごにエールをおく文章ぶんしょうおおい。ともに娯楽ごらくしょくつよ小説しょうせつおおかったひさしと筒井つついが『吉里吉里きりきりじん』と『きょじんたち以降いこうつよ実験じっけんせいすようになったのもいつにしており、劇作げきさくとのそくのわらじなど共通きょうつうてんおおい。井上いのうえ数日すうじつ筒井つついはネットエッセイ「にせ文士ぶんし実録じつろく」(当該とうがい部分ぶぶんは2013ねん6がつ角川書店かどかわしょてんかん)で「井上いのうえひさしがんでしばらくは茫然ぼうぜんとしてなにがつかなかった」としるしている。なお、新潮社しんちょうしゃ一時期いちじき小説しょうせつ新潮しんちょう新人しんじんしょう」をひさしと筒井つついにんだけで選考せんこうさせていた。

いち世代せだいじょう司馬しばりょう太郎たろう尊敬そんけいしており、親交しんこうがあるほか、対談たいだんをし共著きょうちょで『国家こっか宗教しゅうきょう日本人にっぽんじん』をしている (のちにひさしは司馬しばりょう太郎たろうしょう選考せんこう委員いいんながつとめた)。親交しんこうはなかったが、安部あべ公房こうぼう尊敬そんけいしており、おな読売よみうり文学ぶんがくしょう選考せんこう委員いいんになった時期じきがあったものの、なかなかはな機会きかいがなかったという[39]

高校こうこう先輩せんぱいである菅原すがわら文太ぶんたとは中年ちゅうねん以降いこう交友こうゆう再開さいかいし、ベストセラー『吉里吉里きりきりじん』の映画えいがけん菅原すがわらゆだねられた。これは結局けっきょく実現じつげんしなかったにもかかわらず、30ねんちかくもげることなくあづけっぱなしになっていたことがさいあきらかになった(読売新聞よみうりしんぶんほか)。

マンガ本宮もとみやひろこころざしとは、市川いちかわなが隣家りんか関係かんけいだったことがあり、交流こうりゅうがあった。本宮ほんぐうはエッセイ『天然てんねんまんが』(集英社しゅうえいしゃ)で、井上いのうえへの尊敬そんけいしるしている。

げき作家さっか演出えんしゅつロジャー・パルバース井上いのうえ作品さくひん翻訳ほんやくおこなっているほか、個人こじんてきにも交流こうりゅうがあり、1976ねんかれまねきにより井上いのうえは、オーストラリア国立こくりつ大学だいがく日本語にほんご客員きゃくいん教授きょうじゅとして講義こうぎおこなっている。

イラストレーターでも安野やすのひかりみやび和田わだまことなど何人なんにんかのめいコンビが存在そんざいするが、やまふじ章二しょうじしておおく、共著きょうちょあつかいのほんすくなくない。やまふじの、おもって強調きょうちょうした井上いのうえぞう本人ほんにん写真しゃしん映像えいぞう以上いじょうひろ浸透しんとうしている[独自どくじ研究けんきゅう?]

受賞じゅしょうとう[編集へんしゅう]

作品さくひん一覧いちらん[編集へんしゅう]

ラジオ[編集へんしゅう]

  • Xマン(1960ねん きゅうTBSラジオ
  • モグッチョチビッチョこんにちは(1962ねん NHKだい1放送ほうそう
  • 吉里吉里きりきり独立どくりつす(1964ねん NHKだい1放送ほうそう。ラジオしょう劇場げきじょうわく。『吉里吉里きりきりじん』の前駆ぜんく
  • ブンとフン(1969ねん NHKだい1放送ほうそう。1970ねん小説しょうせつ

テレビ[編集へんしゅう]

小説しょうせつ童話どうわ[編集へんしゅう]

  • ブンとフン』(朝日あさひソノラマ 1970ねん のち新潮しんちょう文庫ぶんこ ISBN 978-4101168012
  • 『モッキンポット後始末あとしまつ』(講談社こうだんしゃ 1972ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4061312586
  • 手鎖てじょう心中しんちゅうの』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1972ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4167111274)
  • 青葉あおばしげるれる』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1973ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4167111267)(岡本おかもと喜八きはち監督かんとく同名どうめい映画えいが
  • よんじゅう一番いちばん少年しょうねん』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1973ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4167111021
  • 『イサムよりよろしく』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1974ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4167111045
  • 『いとしのブリジット・ボルドー』(講談社こうだんしゃ 1974ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4061313804
  • 『おれたちと大砲たいほう』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1975ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4167111052
  • ごうろうしゃ』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1975ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4167111069
  • ドン松五郎まつごろう生活せいかつ』(新潮社しんちょうしゃ 1975ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4101168043) - 中田なかた新一しんいち監督かんとく同名どうめい映画えいが[42]
  • 浅草あさくさ鳥越とりごえあずまゆか』(新潮社しんちょうしゃ 1975ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4101168081
  • 日本にっぽん亭主ていしゅ図鑑ずかん』(新潮社しんちょうしゃ 1975ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4101168050
  • しん東海道とうかいどうじゅうさん』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1976ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4167111076
  • にせ原始げんしじん』(朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1976ねん のち新潮しんちょう文庫ぶんこ ISBN 978-4101168067
  • 新釈しんしゃく遠野とおの物語ものがたり』(筑摩書房ちくましょぼう 1976ねん のち新潮しんちょう文庫ぶんこ ISBN 978-4101168074
  • 黄色きいろねずみ』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1977ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4167111083
  • じゅうにん手紙てがみ』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1978ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4122051034
  • 『ファザー・グース だい1しゅう』(青銅せいどうしゃ 1978ねん
  • 『さそりたち』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1979ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4167111090
  • 戯作げさくしゃ銘々めいめいでん』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1979ねん のち文庫ぶんこ、ちくま文庫ぶんこ
  • 他人たにん』(講談社こうだんしゃ 1979ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4102124048
  • 花石はないし物語ものがたり』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1980ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4167111106
  • 喜劇きげき役者やくしゃたち』(講談社こうだんしゃ 1980ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4061831049
  • 下駄げたうえたまご』(岩波書店いわなみしょてん 1980ねん のち新潮しんちょう文庫ぶんこ ISBN 978-4101168104
  • 吉里吉里きりきりじん』(新潮社しんちょうしゃ 1981ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4101168166
  • つきなきみそらの天坊てんぼう一座いちざ』(新潮しんちょう現代げんだい文学ぶんがく、1981 のち文庫ぶんこ
  • 『にっぽん博物はくぶつ』(朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1983ねん のち文庫ぶんこ
  • 『ライオンとソフトクリーム』ひさかたチャイルド(ひさかたメルヘン)1983
  • 四捨五入ししゃごにゅう殺人さつじん事件じけん』(新潮しんちょう文庫ぶんこ 1984ねん
  • 犯罪はんざい調書ちょうしょ』(集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 1984ねん
  • 忠臣蔵ちゅうしんぐら』(集英社しゅうえいしゃ 1985ねん のち文庫ぶんこ) - りに参加さんかしなかった赤穂あこう藩士はんしたちをえがく。ただし史実しじつことなる内容ないようもある。
  • 『モッキンポットふたたび』(講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ 1985ねん
  • 江戸紫えどむらさき絵巻えまき源氏げんじ』(文春ぶんしゅん文庫ぶんこ 1985ねん
  • 腹鼓はらつづみ』(新潮社しんちょうしゃ 1985ねん のち文庫ぶんこ
  • 馬喰ばくろうはちじゅうはちつて』(朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1986ねん のち文庫ぶんこ
  • よんせんまんおとこ 蝦夷えぞへん』 (「日本にっぽん歴史れきし文学ぶんがくかん講談社こうだんしゃ 1986ねん のち文庫ぶんこ
  • 野球やきゅう盲導犬もうどうけんチビの告白こくはく』(実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ 1986ねん のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • 『ナイン』(講談社こうだんしゃ 1987ねん6がつ のち文庫ぶんこ
  • よんせんまんおとこ 伊豆いずへん』(「日本にっぽん歴史れきし文学ぶんがくかん別巻べっかん)(講談社こうだんしゃ 1989ねん のち文庫ぶんこ
  • 『たそがれやくざブルース』(講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ 1991ねん ISBN 978-4061849150
  • ひゃくねん戦争せんそう』(講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ 1994ねん ISBN 978-4061856622
  • 『わがともフロイス』(ネスコ 1999ねん ISBN 978-4890360956
  • 東京とうきょうセブンローズ』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1999ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4163183800
  • 『イソップ株式会社かぶしきがいしゃ和田わだまこと中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ 2005ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4120036422
  • 京伝きょうでんてん烟草たばこ井上いのうえひさし江戸えど小説しょうせつしゅう』(講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ 2009ねん ISBN 978-4062900461
  • いち週間しゅうかん』(新潮社しんちょうしゃ 2010ねん)のち文庫ぶんこ
  • 『グロウブごう冒険ぼうけん ユートピア諸島しょとう航海こうかい』(未完みかん)(岩波書店いわなみしょてん 2011ねん
  • 黄金おうごん騎士きしだん』(未完みかん)(講談社こうだんしゃ 2011ねん)のち文庫ぶんこ
  • 東慶寺とうけいじはなだより』(未完みかん)(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 2011ねん)のち文庫ぶんこ(『駆込かけこおんな駆出かけだおとこ』のだい映画えいが(原田はらだ眞人まさと監督かんとく))
  • いちぶんいち』(未完みかん)(講談社こうだんしゃ 2011ねん)のち文庫ぶんこ
  • 熱風ねっぷういたる』(未完みかん)(まぼろしおどけ書房しょぼう 2022ねん

戯曲ぎきょく[編集へんしゅう]

情報じょうほう初演しょえんのもの。

  • 日本人にっぽんじんのへそ(1969ねん テアトル・エコー)※1977ねん須川すがわ栄三えいざ監督かんとく映画えいが
  • 表裏ひょうりげんないかえる合戦かっせん(1970ねん テアトル・エコー)
  • じゅういちぴきのネコ(1971ねん テアトル・エコー)
  • 道元どうげん冒険ぼうけん(1971ねん テアトル・エコー)
  • ちんやく聖書せいしょ(1973ねん テアトル・エコー)
  • 藪原やぶはら検校けんぎょう(1973ねん がつしゃ/西武せいぶ劇場げきじょう)- 『あめ』と「小林こばやし一茶いっさ』とともに「江戸えどさんさく」とされる[43]
  • 天保てんぽうじゅうねんのシェイクスピア(1974ねん 西武せいぶ劇場げきじょう
  • それからのブンとフン(1975ねん テアトル・エコー) - 井上いのうえ小説しょうせつ『ブンとフン』の自身じしんによる劇化げきか
  • たいこどんどん(1975ねん がつしゃ)※井上いのうえ小説しょうせつ江戸えど夕立ゆうだち』の自身じしんによる劇化げきか
  • 四谷よつや諧談(1975ねん 芸能げいのう
  • あめ(1976ねん がつしゃ/西武せいぶ劇場げきじょう
  • 浅草あさくさキヨシでん(1977ねん 芸能げいのう
  • 花子はなこさん(1978ねん がつしゃ
  • にちうらひめ物語ものがたり(1978ねん 文学ぶんがく
  • しみじみ日本にっぽん乃木のぎ大将たいしょう(1979ねん 芸能げいのう
  • 小林こばやし一茶いっさ(1979ねん がつしゃ
  • イーハトーボのげき列車れっしゃ(1980ねん 三越みつこし劇場げきじょう/がつしゃ
  • かららいさん(1982ねん しゃぼん玉座ぎょくざ)※井上いのうえ同名どうめい小説しょうせつ小沢おざわ昭一しょういちによる劇化げきか
  • 国語こくご事件じけん殺人さつじん辞典じてん(1982ねん しゃぼん玉座ぎょくざ
  • 化粧けしょう(1982ねん 地人会ちじんかい
  • 吾輩わがはい漱石そうせきである(1982ねん しゃぼん玉座ぎょくざ
  • 化粧けしょう まく(1982ねん 地人会ちじんかい
  • もとの黙阿弥もくあみ(1983ねん 松竹しょうちく
  • うかうかさんじゅう、ちょろちょろよんじゅう(1983ねん 劇団げきだん若草わかくさ
  • 芭蕉ばしょう通夜つやぶね(1983ねん しゃぼん玉座ぎょくざ
  • 頭痛ずつうかたこり樋口ひぐち一葉かずは(1984ねん こまつ
  • きらめく星座せいざ(1985ねん こまつ) - 『やみはな』『ゆきやこんこん』とともに「昭和しょうわ庶民しょみんでんさんさく」とされる[44]
  • 國語こくご元年がんねん(1986ねん こまつ
  • むしなまいき石川いしかわ啄木たくぼく(1986ねん こまつ
  • はなよりタンゴ(1986ねん こまつ
  • キネマの天地てんち(1986ねん 松竹しょうちく
  • きらめく星座せいざ(1987ねん こまつ
  • やみはな(1987ねん こまつ)- 『きらめく星座せいざ』『ゆきやこんこん』とともに「昭和しょうわ庶民しょみんでんさんさく」とされる
  • ゆきやこんこん(1987ねん こまつ)- 『きらめく星座せいざ』『やみはな』とともに「昭和しょうわ庶民しょみんでんさんさく」とされる
  • イヌの仇討あだうち(1988ねん こまつ) - 当夜とうや吉良きら義央よしなか生類しょうるいあわれみのれい反発はんぱつし、いぬのいない理想郷りそうきょう夢見ゆめみる。「登場とうじょう人物じんぶつ」は吉良きらかた男女だんじょじゅうめいあまりのみで、赤穂あこう義士ぎしこえのみの「発声はっせい人物じんぶつ[45]
  • 人間にんげん合格ごうかく(1989ねん こまつ
  • シャンハイムーン(1991ねん こまつ
  • ある八重子やえこ物語ものがたり(1991ねん 松竹しょうちく
  • 中村なかむら岩五郎いわごろう(1992ねん 地人会ちじんかい
  • マンザナ、わがまち(1993ねん こまつ
  • ちちくらせば(1994ねん こまつ)※2004ねん黒木くろき和雄かずお監督かんとく映画えいが
  • 黙阿彌もくあみオペラ(1995ねん こまつ
  • 紙屋かみやまちさくらホテル(1997ねん しん国立こくりつ劇場げきじょう
  • 貧乏びんぼう物語ものがたり(1998ねん こまつ
  • 連鎖れんさがいのひとびと(2000ねん こまつ
  • 化粧けしょうだい(2000ねん こまつ
  • ゆめ(2001ねん しん国立こくりつ劇場げきじょう)- 「ゆめなみだ」「ゆめかさぶた」とともに「東京とうきょう裁判さいばんさんさく」とされる[46]
  • 太鼓たいこたたいてふえふいて(2002ねん こまつ
  • イヌの仇討あだうちあるいは吉良きら決断けつだん(2002ねん オペラシアターこんにゃく
  • あにおとうと(2003ねん こまつ
  • ゆめなみだ(2003ねん しん国立こくりつ劇場げきじょう) - 「東京とうきょう裁判さいばんさんさく」のひと
  • みず(2003ねん 国民こくみん文化ぶんかさい・やまがた2003)
  • えんせいこころざしなま(2005ねん こまつ
  • 箱根はこね強羅ごうらホテル(2005ねん しん国立こくりつ劇場げきじょう
  • ゆめかさぶた(〜のかさぶた)(2006ねん しん国立こくりつ劇場げきじょう) - 「東京とうきょう裁判さいばんさんさく」のひと
  • わたしはだれでしょう(2007ねん こまつ
  • ロマンス(2007ねん こまつ/シス・カンパニー
  • リトル・ボーイ、ビッグ・タイフーン〜少年しょうねん口伝くでんたいいちきゅうよん〜(2008ねん 日本にっぽんペンクラブ
  • ムサシ(2009ねんこまつ/ホリプロ
  • 組曲くみきょく虐殺ぎゃくさつ(2009ねん こまつ/ホリプロ)

随筆ずいひつ[編集へんしゅう]

  • 家庭かてい口論こうろんせいつづけ中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1974ねん - 1975ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4122003095
  • 『ブラウン監獄かんごく四季しき』(講談社こうだんしゃ 1977ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4061315761
  • わらい談笑だんしょうはつ 対談たいだんしゅう』(講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ 1978ねん ISBN 978-4061315211
  • 『パロディ志願しがん エッセイしゅう1』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1979ねん のち文庫ぶんこ
  • 風景ふうけいはなみだにゆすれ エッセイしゅう2』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1979ねん のち文庫ぶんこ
  • 『ジャックの正体しょうたい エッセイしゅう3』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1979ねん のち文庫ぶんこ
  • 『さまざまな自画像じがぞう エッセイしゅう4』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1979ねん のち文庫ぶんこ
  • 私家版しかばん日本語にほんご文法ぶんぽう』(新潮社しんちょうしゃ 1981ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4101168142
  • 聖母せいぼ道化師どうけし エッセイしゅう5』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1981ねん のち文庫ぶんこ
  • 『ことばをむ』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1982ねん のち文庫ぶんこ
  • 井上いのうえひさしの世界せかい』(白水しろみずしゃ 1982ねん
  • ほんまくら草紙ぞうし』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1982ねん のち文庫ぶんこ
  • 自家製じかせい文章ぶんしょう読本とくほん』(新潮社しんちょうしゃ 1984ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4101168197
  • 『ああまくがあがる 井上いのうえ芝居しばいができるまで』(こまつ共著きょうちょ 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1986ねん
  • おくれたものがちになる エッセイしゅう6』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1989ねん のち文庫ぶんこ
  • 悪党あくとう幽霊ゆうれい エッセイしゅう7』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1989ねん のち文庫ぶんこ
  • 井上いのうえひさしのコメ講座こうざせいつづけ岩波いわなみブックレット 1989ねん - 1991ねん
  • 『やあおげんきですか』(集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 1989ねん
  • 『コメのはなし』(新潮しんちょう文庫ぶんこ 1992ねん
  • 『どうしてもコメのはなし』(新潮しんちょう文庫ぶんこ 1993ねん
  • 『ニホン日記にっきぜん2かん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1993ねん - 1996ねん のち文庫ぶんこ
  • ぬのがこわくなくなるくすり エッセイしゅう8』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1993ねん のち文庫ぶんこ
  • 文学ぶんがく強盗ごうとう最後さいご仕事しごと エッセイしゅう9』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1994ねん のち文庫ぶんこ
  • 餓鬼大将がきだいしょう論理ろんり エッセイしゅう10』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1994ねん のち文庫ぶんこ
  • 宮沢みやざわ賢治けんじく』(こまつ共著きょうちょ ネスコ 1995ねん のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • 井上いのうえひさしの日本語にほんご相談そうだん』(朝日あさひ文芸ぶんげい文庫ぶんこ 1995ねん ISBN 978-4022640888
  • 『ベストセラーの戦後せんごぜん2かん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1995ねん のち文春ぶんしゅん学藝がくげいライブラリーにて「完本かんぽんばん
  • 樋口ひぐち一葉かずはく』(こまつ共著きょうちょ ネスコ 1995ねん のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • ほん運命うんめい』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1997ねん のち文庫ぶんこ
  • 演劇えんげきノート』(白水しろみずUブックス 1997ねん
  • 井上いのうえひさしの農業のうぎょう講座こうざ』(こまつ共著きょうちょ いえ光協会ひかりきょうかい 1997ねん ISBN 978-4259545246
  • 太宰だざいおさむく』(こまつ共著きょうちょ ネスコ 1998ねん のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • 菊池きくちひろし仕事しごと 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう大映だいえい競馬けいば麻雀まーじゃん時代じだいんだ面白おもしろがり素顔すがお』(こまつ共著きょうちょ ネスコ 1999ねん
  • 物語ものがたりゆめ 対談たいだんしゅう』(岩波書店いわなみしょてん 1999ねん
  • 『わが人生じんせい時刻じこくひょう』(集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 2000ねん ISBN 978-4087472523
  • よんせんまんおとこ 忠敬ちゅうけいかた』(講談社こうだんしゃ 2000ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4062095365
  • 浅草あさくさフランス時間じかん』(こまつ共著きょうちょ 文春ぶんしゅんネスコ 2001ねん ISBN 978-4890361236
  • 日本語にほんごななとおりのにじいろ』(集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 2001ねん
  • 吾輩わがはいはなめねこである』(集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 2001ねん ISBN 978-4087473575
  • 井上いのうえひさしと141にん仲間なかまたちの作文さくぶん教室きょうしつ』(新潮しんちょう文庫ぶんこ 2001ねん ISBN 978-4101168296
  • 『にほん観察かんさつノート』(中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ 2002ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4122043510
  • 『あてになるくにのつくりかた フツーじんほこりと責任せきにん』(生活せいかつしゃだい学校がっこう講師こうしじん共著きょうちょ 光文社こうぶんしゃ 2002ねん
  • 井上いのうえひさしの大連たいれん 写真しゃしん地図ちず満州まんしゅう』(こまつ共著きょうちょ 小学しょうがくかん「ショトル・ミュージアム」 2002ねん
  • 井上いのうえひさしコレクション』ぜん3かん岩波書店いわなみしょてん 2005ねん4がつ - 6がつ
  • 『ふふふ』(講談社こうだんしゃ 2005ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4062125666
  • 井上いのうえひさしのどもにつたえる日本国にっぽんこく憲法けんぽう』(講談社こうだんしゃ 2006ねん
  • 映画えいがをたずねて 対談たいだんしゅう』(ちくま文庫ぶんこ 2006ねん
  • 『ボローニャ紀行きこう』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 2008ねん のち文庫ぶんこ
  • 『わが蒸発じょうはつ始末しまつ エッセイせん』(中公ちゅうこう文庫ぶんこ 2009ねん ISBN 978-4122051348
  • 『ふふふふ』(講談社こうだんしゃ 2009ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4062159364
  • 井上いのうえひさしぜん選評せんぴょう』(白水しろみずしゃ 2010ねん ISBN 978-4560080382
  • 日本語にほんご教室きょうしつ』(新潮しんちょう新書しんしょ 2011ねん ISBN 978-4106104107
  • 『ふかいことをおもしろく 創作そうさく原点げんてん』(PHP研究所けんきゅうじょ 2011ねん ISBN 978-4569781396
  • 初日しょにちへの手紙てがみ:「東京とうきょう裁判さいばんさんさく」のできるまで』(白水しろみずしゃ 2013ねん ISBN 978-4560082966

刊行かんこうされた戯曲ぎきょく[編集へんしゅう]

  • 表裏ひょうり源内げんないかえる合戦かっせん新潮社しんちょうしゃ 1971ねん のち文庫ぶんこ
  • 道元どうげん冒険ぼうけん新潮社しんちょうしゃ 1971ねん のち文庫ぶんこ
  • ちんやく聖書せいしょ新潮社しんちょうしゃ(書下かきおろし新潮しんちょう劇場げきじょう) 1973ねん のち文庫ぶんこ
  • 天保てんぽうじゅうねんシェイクスピア新潮社しんちょうしゃ(書下かきおろし新潮しんちょう劇場げきじょう) 1973ねん
  • 藪原やぶはら検校けんぎょう新潮社しんちょうしゃ 1974ねん のち文庫ぶんこ
  • 井上いのうえひさしコントしゅう講談社こうだんしゃ 1974ねん井上いのうえひさし笑劇しょうげき全集ぜんしゅう文庫ぶんこ
  • 『たいこどんどん』新潮社しんちょうしゃ書下かきおろし新潮しんちょう劇場げきじょう) 1975ねん
  • てんぷくトリオのコント』ぜん3かん サンワイズ・エンタープライズ 1975ねん-1977ねん
  • 『しみじみ日本にっぽん乃木のぎ大将たいしょう新潮社しんちょうしゃ 1979ねん のち文庫ぶんこ
  • 小林こばやし一茶いっさ中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1980ねん のち文庫ぶんこ
  • 『イーハトーボのげき列車れっしゃ新潮社しんちょうしゃ 1980ねん のち文庫ぶんこ
  • 国語こくご事件じけん殺人さつじん辞典じてん新潮社しんちょうしゃ 1982ねん
  • 吾輩わがはい漱石そうせきである』集英社しゅうえいしゃ 1982ねん のち文庫ぶんこ
  • 『もとの黙阿弥もくあみ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1983ねん のち文庫ぶんこ
  • 仇討あだうち中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1983ねん
  • 化粧けしょう集英社しゅうえいしゃ 1983ねん のち文庫ぶんこ
  • 頭痛ずつうかたこり樋口ひぐち一葉かずは集英社しゅうえいしゃ 1984ねん のち文庫ぶんこ
  • かんユートピア』集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 1984ねん
  • 『きらめく星座せいざ 昭和しょうわオデオンどう物語ものがたり集英社しゅうえいしゃ 1985ねん のち文庫ぶんこ
  • むしなまいき石川いしかわ啄木たくぼく新潮社しんちょうしゃ 1986ねん のち文庫ぶんこ
  • はなよりタンゴ 銀座ぎんざラッキーダンスホール物語ものがたり集英社しゅうえいしゃ 1986ねん
  • ゆきやこんこん はな劇場げきじょう物語ものがたり朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1987ねん のち文庫ぶんこ
  • やみはな 愛敬あいきょう稲荷いなり神社じんじゃ物語ものがたり講談社こうだんしゃ 1987ねん のち文庫ぶんこ
  • 『ひょっこりひょうたんとうぜん13さつ 山元やまもとまもるひさ共著きょうちょ 1990ねん-1992ねん (ちくま文庫ぶんこ)
  • 『シャンハイムーン』集英社しゅうえいしゃ 1991ねん
  • 『ある八重子やえこ物語ものがたり集英社しゅうえいしゃ 1992ねん のち文庫ぶんこ
  • 『マンザナ、わがまち集英社しゅうえいしゃ 1993ねん
  • 井上いのうえひさしぜん芝居しばいぜん7かん 新潮社しんちょうしゃ 1かんから5かん 1993ねん-1994ねん 6かん、7かん 2010ねん
  • 黙阿弥もくあみオペラ』新潮社しんちょうしゃ 1995ねん のち文庫ぶんこ
  • ちちくらせば』新潮社しんちょうしゃ 1998ねん のち文庫ぶんこ
  • 『わがともフロイス』ネスコ 1999ねん
  • ゆめ小学館しょうがくかん 2001ねん
  • 紙屋かみやまちさくらホテル』小学館しょうがくかん 2001ねん
  • 太鼓たいこたたいてふえふいて』新潮社しんちょうしゃ 2002ねん のち文庫ぶんこ
  • あにおとうと』新潮社しんちょうしゃ 2003ねん
  • ゆめなみだ新潮社しんちょうしゃ 2004ねん
  • 箱根はこね強羅ごうらホテル』集英社しゅうえいしゃ 2006ねん
  • ゆめかさぶた集英社しゅうえいしゃ 2007ねん
  • 『ロマンス』集英社しゅうえいしゃ 2008ねん
  • 『ムサシ』集英社しゅうえいしゃ、2009ねん
  • 『うま —ってこのそとへ―』集英社しゅうえいしゃ、2022ねん 発表はっぴょう戯曲ぎきょく

共著きょうちょ[編集へんしゅう]

  • 『ひょっこりひょうたんとうぜん4かん 山元やまもとまもるひさ 日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい 1964ねん-1965ねん
  • 長靴ながぐつをはいたねこ山元やまもとまもるひさ 小学しょうがくかん文庫ぶんこ 1969ねん
  • 『ひさし・しょう巷談こうだん辞典じてん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう やまふじ章二しょうじ 1981ねん のち文庫ぶんこ ISBN 978-4163365305
  • つきのパロディだい全集ぜんしゅう丸谷まるや才一さいいち 1984ねん 朝日あさひ文庫ぶんこ
  • はなのパロディだい全集ぜんしゅう丸谷まるや才一さいいち 1984ねん 朝日あさひ文庫ぶんこ
  • ほしのパロディだい全集ぜんしゅう丸谷まるや才一さいいち 1984ねん 朝日あさひ文庫ぶんこ
  • くにゆたかにしてわすれ』つかこうへい 角川書店かどかわしょてん 1985ねん
  • 国鉄こくてつかんがえる』伊東いとう光晴みつはる 1986ねん岩波いわなみブックレット)
  • 『ユートピアさが物語ものがたりさがし』(1988ねん 大江おおえ健三郎けんざぶろう筒井つつい康隆やすたか岩波書店いわなみしょてん
  • 『「日本国にっぽんこく憲法けんぽう」をなおす』樋口ひぐち陽一よういち 講談社こうだんしゃ 1994ねん のち文庫ぶんこ
  • 拝啓はいけい水谷みずたに八重子やえこさま 往復おうふく書簡しょかん水谷みずたに良重よしえ 集英社しゅうえいしゃ 1995ねん
  • 国家こっか宗教しゅうきょう日本人にっぽんじん対談たいだん司馬しばりょう太郎たろう 講談社こうだんしゃ 1996ねん のち文庫ぶんこ
  • しん日本にっぽん共産党きょうさんとう宣言せんげん不破ふわ哲三てつぞう対談たいだん、1999ねん 光文社こうぶんしゃ
  • はな言葉ことば日本語にほんご平田ひらたオリザ 小学館しょうがくかん 2003ねん

コント台本だいほん[編集へんしゅう]

  • てんぷくトリオコント 1 - 3 さわ出版しゅっぱん 1973ねん のち講談社こうだんしゃ(「井上いのうえひさしコントしゅう」)
  • 井上いのうえひさし笑劇しょうげき全集ぜんしゅう 1976ねん 講談社こうだんしゃ文庫ぶんこうえ ISBN 4061313347 した ISBN 4061313355

校歌こうか[編集へんしゅう]

その[編集へんしゅう]

  • 映画えいが平成へいせいたぬき合戦かっせんぽんぽこ』(1994ねん高畑たかはたいさお監督かんとく) - 水木みずきしげるらとともに資料しりょう提供ていきょうなどに協力きょうりょくしておりエンドロールの「協力きょうりょく」にクレジットされている。井上いのうえ小説しょうせつ腹鼓はらつづみ」の執筆しっぴつにあたるために収集しゅうしゅうしたものなどで、井上いのうえ蔵書ぞうしょ寄贈きぞうして開設かいせつされた先述せんじゅつの「遅筆ちひつどう文庫ぶんこ」もこの映画えいがの「協力きょうりょく」にクレジットされている。
  • 文楽ぶんらく作品さくひんきむつぼ親父おやじこい達引たてひき』 - 1972ねんNHKラジオ放送ほうそうよう執筆しっぴつされ、1973ねん人形にんぎょうくわえて撮影さつえいされテレビ放送ほうそう。2016ねん国立こくりつ文楽ぶんらく劇場げきじょうにて上演じょうえん[50][51]

ドキュメンタリー[編集へんしゅう]

  • 井上いのうえひさしのボローニャ日記にっき(2004ねんNHK-BS[52]

えんじた人物じんぶつ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 山元やまもとまもるひさともだい1シリーズ実写じっしゃばん忍者にんじゃハットリくん』(1966ねん)、だい2シリーズ実写じっしゃばん忍者にんじゃハットリくん+忍者にんじゃ怪獣かいじゅうジッポウ』(1967ねん)をがけたとき共同きょうどうペンネーム。
  2. ^ 山元やまもとまもるひさともに『ピュンピュンまる』(1967ねん、1970ねん)をがけたとき共同きょうどうペンネーム。
  3. ^ 西舘にしだて代志子よしこ結婚けっこんしていた当時とうじは、西舘にしだて実家じっかである「内山うちやませい本名ほんみょうであった。これは結婚けっこんさいして、それまでの転居てんきょあいだ本籍ほんせきとおくなりせが手間てまになったことから、好子よしこ実家じっか婿入むこいりするかたちにすれば手続てつづきが簡便かんべんになるという理由りゆうであったと著書ちょしょ『ブラウン監獄かんごく四季しき』にしるしている。
  4. ^ しかし、井上いのうえ孤児こじいん時代じだい友人ゆうじんは「かれかがやかしい経歴けいれきというのをおくさんはしんじているのですか? ぼくかれ東北大学とうほくだいがく東京とうきょう外語がいご大学だいがく受験じゅけん失敗しっぱいして、早稲田大学わせだだいがく慶応大学けいおうだいがく合格ごうかくたしたが、学費がくひはらえずやむなく上智大学じょうちだいがくはいったという箇所かしょではわらいましたね。おまけに医師いしこころざして東北大とうほくだい岩手大いわてだい医学部いがくぶ(ママ)をこころざしたってうのですから、あきれてものえません。孤児こじいんがどんなところか、大学だいがく受験じゅけんなどどうしてできるんですか。有名ゆうめいになればなにってもいいんですね。たまたま学生がくせいすくない上智大学じょうちだいがく推薦すいせんしてもらっただけでしょう」とかたり、井上いのうえ自称じしょうする経歴けいれき多数たすう虚構きょこうふくまれていると主張しゅちょうしている。西舘にしだて好子よしこ表裏ひょうり井上いのうえひさし協奏曲きょうそうきょく』p.207による。
  5. ^ 1982ねんおこなわれたインタビューで井上いのうえ連載れんさいりとなった経緯けいいをこうべている――「たしかに出自しゅつじちがう、そだちがちがうというのはだれでもあるわけだから、それはあんまり問題もんだいじゃないんじゃないか。そこをハッキリ、キチッと整理せいりしたうえで、新撰しんせんぐみのやったことをとおして幕末ばくまつかんがえてみたかった。ところが、すすむにつれて、編集へんしゅうちょうあたりから、自己じこ検閲けんえつがはじまった。どっからもこないんですよ、その文句もんくは。こないのにくるんじゃないかとおそれはじめた。こっちもやるなくなって途中とちゅうでやめちゃった」[15]
  6. ^ ほうのっとり、比喩ひゆもちい、因縁いんねんかたるべし」という、えい六輔ろくすけ紹介しょうかいした仏教ぶっきょう説教せっきょうしゃ話術わじゅつ極意ごくいかりやすくいいかえたもの。
  7. ^ 遠藤えんどうただしこう遅筆ちひつどう文庫ぶんこ物語ものがたりちいさなまちおおきな図書館としょかん劇場げきじょうができるまで』(にちがい教養きょうよう選書せんしょ 1998ねんによれば、1980ねん1がつから翌年よくねん12がつまで大江おおえ健三郎けんざぶろうのちいで朝日新聞あさひしんぶん文芸ぶんげい時評じひょう」を担当たんとうすることになるが、時評じひょうのためにつきよんひゃくまんほん購入こうにゅうし、いちさつのためにその作家さっか全集ぜんしゅうまで読破どくはしたという)。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 市川いちかわ偉大いだい文化ぶんかじん 井上いのうえひさし死去しきょ 20年間ねんかん在住ざいじゅう文化ぶんか振興しんこう財団ざいだん理事りじちょうも”. 千葉ちば日報にっぽう (千葉ちば日報にっぽうしゃ): pp. 朝刊ちょうかん 1,15,18. (2010ねん4がつ13にち) 
  2. ^ 井上いのうえあやさん、ちちのこした仕事しごと世間せけんに くなって7ねん恩返おんがえしのおもめて出版しゅっぱん決意けついzakzak 2017ねん7がつ9にち
  3. ^ プロフィール 井上いのうえひさし公式こうしきサイト
  4. ^ a b c d e 井上いのうえひさし(こまつ
  5. ^ a b すばる2011ねん5がつごう座談ざだんかい 井上いのうえひさしの文学ぶんがく
  6. ^ 西舘にしだて好子よしこ表裏ひょうり井上いのうえひさし協奏曲きょうそうきょく』p.146
  7. ^ 西舘にしだて好子よしこ表裏ひょうり井上いのうえひさし協奏曲きょうそうきょく』p.206
  8. ^ 西舘にしだて好子よしこ表裏ひょうり井上いのうえひさし協奏曲きょうそうきょく』p.211
  9. ^ 井上いのうえひさし『ほん運命うんめい』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1997ねん)p.105
  10. ^ 井上いのうえひさし『ぞく家庭かてい口論こうろん』、中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ
  11. ^ 井上いのうえひさし『ブラウン監獄かんごく四季しき』、講談社こうだんしゃ
  12. ^ 井上いのうえひさし『モッキンポットふたたび』、講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ1985ねん)、巻末かんまつ年譜ねんぷ1984ねん10がつ著者ちょしゃ自筆じひつ)のなかべられている。
  13. ^ 井上いのうえひさし、中山なかやま千夏ちなつ宇野うの誠一郎せいいちろうちかむかし物語ものがたり ひょっこりひょうたんとう真実しんじつ 田中たなか角栄かくえい一言ひとことで『ひょっこりひょうたんとうり!?」『ろんだい107ごう朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、2004ねん4がつ、pp. 102-117。 
  14. ^ 候補こうほ作家さっか群像ぐんぞう 井上いのうえひさし”. 直木賞なおきしょうのすべて. 2023ねん7がつ11にち閲覧えつらん
  15. ^ 岡庭おかにわのぼる高橋たかはし敏夫としお へんななにん作家さっかたち』土曜どよう美術びじゅつしゃ、1983ねん9がつ、26ぺーじ 
  16. ^ 前口上まえこうじょうしゅう」は扇田おうぎた昭彦あきひこ責任せきにん編集へんしゅう井上いのうえひさし』(白水しろみずしゃ2011ねん再掲さいけい)。
  17. ^ 井上いのうえひさしぜん芝居しばいだい4かん、p.514。
  18. ^ 井上いのうえひさしさんく 闘病とうびょう半年はんとし最後さいごまで創作そうさく意欲いよくおとろえず
  19. ^ “「ひょっこりひょうたんとう」の井上いのうえひさしさん死去しきょ. 産経新聞さんけいしんぶん. (2010ねん4がつ11にち). https://web.archive.org/web/20100412023103/http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100411/acd1004110201000-n1.htm 2010ねん4がつ11にち閲覧えつらん 
  20. ^ 激痛げきつう闘病とうびょう井上いのうえひさしさんささえた創作そうさく意欲いよく さんじょかたる”. 朝日新聞あさひしんぶん. (2010ねん4がつ15にち). https://www.asahi.com/showbiz/stage/theater/TKY201004140508.html 2013ねん9がつ26にち閲覧えつらん 
  21. ^ 生島いくしま治郎じろう生島いくしま治郎じろう誘導ゆうどう訊問じんもん反逆はんぎゃくしんをとりもどせ』双葉社ふたばしゃ、1974ねん11月、221ぺーじ 
  22. ^ 岡庭おかにわのぼる高橋たかはし敏夫としお へんななにん作家さっかたち』土曜どよう美術びじゅつしゃ、1983ねん9がつ、16ぺーじ 
  23. ^ 岡庭おかにわのぼる高橋たかはし敏夫としお へんななにん作家さっかたち』土曜どよう美術びじゅつしゃ、1983ねん9がつ、19ぺーじ 
  24. ^ 石川いしかわ麻矢まや 1998, p. 50.
  25. ^ 井上いのうえひさしさんのこと文壇ぶんだんこぼればなし
  26. ^ 司馬しばりょう太郎たろうみとめていた「遅筆ちひつどう井上いのうえひさしの伝説でんせつ週刊しゅうかん朝日あさひ
  27. ^ だい42かい井上いのうえひさしとクニオ」鈴木すずき邦男くにお愛国あいこく問答もんどう
  28. ^ 中国ちゅうごく新聞しんぶん、2009ねん7がつ2にち13めん
  29. ^ 天風てんぷうろく井上いのうえひさしさん - 中国ちゅうごく新聞しんぶん
  30. ^ 井上いのうえひさし」“ストリップかい東京大学とうきょうだいがく”からった天才てんさい作家さっか!<だい3かい浅草あさくさろく芸能げいのうでん月刊げっかん浅草あさくさウェブ”. 月刊げっかん浅草あさくさウェブ【毎日まいにち10更新こうしん!】伝統でんとう革新かくしん交差点こうさてん浅草あさくさ」の魅力みりょく配信はいしん. 2021ねん6がつ27にち閲覧えつらん
  31. ^ 石川いしかわ麻矢まや 1998, p. 45-46
  32. ^ a b c 石川いしかわ麻矢まや 1998, p. 76
  33. ^ 石川いしかわ麻矢まや 1998, p. 73.
  34. ^ a b 激突げきとつ家族かぞく 井上いのうえまれて』55、77ページ
  35. ^ 石川いしかわ麻矢まや 1998, p. 103.
  36. ^ 西舘にしだて好子よしこ 1998.
  37. ^ 矢崎やさき泰久やすひさxえい六輔ろくすけの「ぢぢ放談ほうだん」、『そう』2013ねん4がつごう 創出そうしゅつばん
  38. ^ いま平和へいわかたる:小説しょうせつげき作家さっか 井上いのうえひさしさん 毎日新聞まいにちしんぶん 2008ねん2がつ4にち
  39. ^ すばる」2000ねん10がつごう 座談ざだんかい三島みしま由紀夫ゆきお安部あべ公房こうぼう」=『座談ざだんかい 昭和しょうわ文学ぶんがくよん』2003ねん集英社しゅうえいしゃかんにも収録しゅうろく
  40. ^ 朝日あさひしょう 1971-2000年度ねんど”. 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ. 2022ねん8がつ16にち閲覧えつらん
  41. ^ 山形やまがたけん名誉めいよ県民けんみん山形やまがたけん県民けんみん栄誉えいよしょう”. 山形やまがたけん. 2022ねん7がつ29にち閲覧えつらん
  42. ^ 中田なかた新一しんいち 『奔れ! 助監督じょかんとく奮闘ふんとう昭和しょうわ映画えいが〜』(早稲田わせだ出版しゅっぱん、2010ねん
  43. ^ 笹沢ささざわしん『ひさしでん』(新潮社しんちょうしゃ 2012ねんpp.238)。
  44. ^ 扇田おうぎた昭彦あきひこ「『昭和しょうわ庶民しょみんでんさんさくげた井上いのうえひさしにく」『井上いのうえひさし』(白水しろみずしゃ 2011ねんpp.99-111)。
  45. ^ 『イヌの仇討あだうち』(文芸春秋ぶんげいしゅんじゅう 1992ねんpp.11)
  46. ^ 笹沢ささざわしん『ひさしでん』(新潮社しんちょうしゃ 2012ねんpp.421-457)。『初日しょにちへの手紙てがみ: 「東京とうきょう裁判さいばんさんさく」のできるまで』。
  47. ^ 川西かわにし町立ちょうりつだいいち中学校ちゅうがっこう”. 山形やまがたけん川西かわにしまち. 2011ねん5がつ18にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2020ねん7がつ28にち閲覧えつらん
  48. ^ 川西かわにし町立ちょうりつだい中学校ちゅうがっこう”. 山形やまがたけん川西かわにしまち. 2011ねん5がつ18にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2020ねん7がつ28にち閲覧えつらん
  49. ^ 7/3情報じょうほう更新こうしんしました”. 川西かわにし町立ちょうりつ川西かわにし中学校ちゅうがっこう. 2020ねん7がつ28にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2020ねん7がつ28にち閲覧えつらん
  50. ^ 井上いのうえひさし文楽ぶんらく舞台ぶたいはつ上演じょうえん 拝金はいきんオヤジがこいしたら?”. Yahoo ニュース (2016ねん7がつ25にち). 2021ねん4がつ15にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん4がつ15にち閲覧えつらん
  51. ^ 井上いのうえひさし文楽ぶんらくはつ舞台ぶたい国立こくりつ文楽ぶんらく劇場げきじょうで”. 読売新聞よみうりしんぶん. (2016ねん5がつ24にち). http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20160524-OYO1T50009.html 2016ねん5がつ25にち閲覧えつらん [リンク]
  52. ^ 井上いのうえひさしのボローニャ日記にっき”. NHK (2020ねん11月13にち). 2021ねん4がつ24にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん4がつ24にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 西舘にしだて好子よしこ修羅しゅらいえ』はまの出版しゅっぱん、1998ねん10がつISBN 4893612700 
  • 石川いしかわ麻矢まや激突げきとつ家族かぞく : 井上いのうえまれて』中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1998ねん6がつISBN 4120028011 
  • 桐原きりはら良光よしみつ井上いのうえひさしでん白水しろみずしゃ(2001/05)
  • 高橋たかはし敏夫としお井上いのうえひさし 希望きぼうとしてのわらい』角川かどかわSSC新書しんしょ(2010/9)
  • 扇田おうぎた昭彦あきひこ責任せきにん編集へんしゅう日本にっぽん演劇えんげきじん 井上いのうえひさし』白水しろみずしゃ(2011/09)
  • 西舘にしだて好子よしこ表裏ひょうり井上いのうえひさし協奏曲きょうそうきょく牧野まきの出版しゅっぱん(2011/09)
  • 笹沢ささざわしん『ひさしでん新潮社しんちょうしゃ(2012/04)
  • 小田島おだじま雄志ゆうし井上いのうえひさしのげきことば』しん日本にっぽん出版しゅっぱんしゃ(2014/09)

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

文化ぶんか
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