あら正人まさと

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あら 正人まさと
誕生たんじょう 1913ねん1がつ1にち
福島ふくしまけん相馬そうまぐん鹿島かしままちげんみなみ相馬そうま
死没しぼつ (1979-06-09) 1979ねん6月9にち(66さいぼつ
墓地ぼち 小平こだいら霊園れいえん
職業しょくぎょう 文芸ぶんげい評論ひょうろん
言語げんご 日本語にほんご
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
最終さいしゅう学歴がくれき 東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく
ジャンル 翻訳ほんやく評論ひょうろん
代表だいひょうさく漱石そうせき研究けんきゅう年表ねんぴょう
おも受賞じゅしょうれき 毎日まいにち芸術げいじゅつしょう
子供こども 長女ちょうじょ植松うえまつみどり
次女じじょあらこのみ
所属しょぞく近代きんだい文学ぶんがく創刊そうかん
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あら 正人まさと(あら まさひと、1913ねん大正たいしょう2ねん1がつ1にち[注釈ちゅうしゃく 1] - 1979ねん昭和しょうわ54ねん6月9にち)は、日本にっぽん文芸ぶんげい評論ひょうろん

来歴らいれき人物じんぶつ[編集へんしゅう]

福島ふくしまけん相馬そうまぐん鹿島かしままちげんみなみ相馬そうままれ[2]旧制きゅうせい山口高等学校やまぐちこうとうがっこう在学ざいがくちゅう佐々木ささき基一きいちり、ともマルキシズム学生がくせい運動うんどう熱中ねっちゅうした。1938ねん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく英文えいぶん卒業そつぎょう[2]卒業そつぎょう東京とうきょう新聞しんぶん文芸ぶんげい評論ひょうろん委員いいんつとめた[2]

戦後せんご埴谷はにやゆうだか平野ひらのけん佐々木ささき基一きいち本多ほんだあき山室やまむろしずらと『近代きんだい文学ぶんがく』を創刊そうかん[2][3]。「だい青春せいしゅん」などの評論ひょうろん発表はっぴょうし、世代せだいろん知識ちしきじんろん加藤かとう周一しゅういち中野なかの重治しげはるらと論争ろんそうわした。夏目なつめ漱石そうせき研究けんきゅうでも一家いっかをなし、1975ねん漱石そうせき生涯しょうがい詳細しょうさい調しらべた『漱石そうせき研究けんきゅう年表ねんぴょう』で毎日まいにち芸術げいじゅつしょう受賞じゅしょう。ただし、この年表ねんぴょう典拠てんきょ不明ふめい記述きじゅつ明確めいかくあやまりがあると度々たびたび批判ひはんされている[4]

1979ねん6がつ9にち法政大学ほうせいだいがく文学部ぶんがくぶ英文えいぶん学科がっか教授きょうじゅ在任ざいにんちゅう東京とうきょう杉並すぎなみ駒崎こまざき病院びょういんにおいて、脳血栓のうけっせんのため死去しきょ[5]。66さいぼつ没後ぼつご著作ちょさくしゅう刊行かんこうされた。

北欧ほくおう文学ぶんがくにも造詣ぞうけいふかく、山室やまむろしずとともにアイスランド訪問ほうもんし、ノーベルしょう作家さっかハルドル・ラクスネスったことがある。また推理すいり小説しょうせつ愛好あいこうし、推理すいり小説しょうせつ関連かんれん著作ちょさく訳書やくしょもある。だい14かいまでの江戸川えどがわ乱歩らんぽしょう選考せんこう委員いいんをつとめ、西村にしむら京太郎きょうたろう発掘はっくつした[2]初期しょき日本にっぽんSF小説しょうせつ理解りかいしゃとしてもられる。

えい文学ぶんがくしゃ植松うえまつみどり長女ちょうじょ、アメリカ文学ぶんがくしゃあらこのみ次女じじょ親戚しんせき一人ひとりしん左翼さよく党派とうは戦旗せんき共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい」のもと代表だいひょうあら岱介がいる。

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • だい青春せいしゅん』(八雲やくも書店しょてん) 1947ねん
  • いぬ』(真善美しんぜんびしゃ) 1947ねん
  • だい青春せいしゅん いぬ』(冨山とやまぼう百科ひゃっか文庫ぶんこ) 1978ねん
  • 葉子ようこ伸子しんし充子みつこ 読書どくしょノート』(労働ろうどう文化ぶんかしゃ) 1947ねん
  • 戦後せんご』(近代きんだい文学ぶんがくしゃ) 1948ねん
  • あか手帳てちょう』(河出かわで書房しょぼう) 1949ねん
  • 市民しみん文学ぶんがくろん』(青木あおき書店しょてん) 1955ねん
  • 戦後せんご文学ぶんがく展望てんぼう』(三笠みかさ書房しょぼう) 1956ねん
  • わか人々ひとびとのための文学ぶんがく入門にゅうもん』(近代きんだい生活せいかつしゃ) 1956ねん
  • ゆきどけをえて(政治せいじ文学ぶんがく)』(近代きんだい生活せいかつしゃ) 1957ねん
  • 小説しょうせつ 現代げんだい英雄えいゆう』(光文社こうぶんしゃカッパ・ブックス) 1957ねん
  • 夏目なつめ漱石そうせき』(がつ書房しょぼう現代げんだい作家さっかろん全集ぜんしゅう) 1957ねん
  • 宇宙うちゅう文明ぶんめいろん』(平凡社へいぼんしゃ) 1957ねん
  • 思想しそうながれ』(毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ) 1958ねん
  • 宇宙うちゅう教室きょうしつ』(ひかり書房しょぼう) 1959ねん
  • 現代げんだい知性ちせい全集ぜんしゅう 37 あら正人まさとしゅう』(日本にっぽん書房しょぼう) 1960ねん
  • 評伝ひょうでん夏目なつめ漱石そうせき』(実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ) 1960ねん
  • 『ヴァイキングの末裔まつえい 北欧ほくおう紀行きこう』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ) 1962ねん
  • 世界せかい文学ぶんがく』(はなわ書房しょぼう) 1965ねん
  • 『「夏目なつめ漱石そうせき入門にゅうもん』(講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ) 1967ねん
  • 『ヴァイキング 世界せかいえたうみ戦士せんし』(中公新書ちゅうこうしんしょ) 1968ねん
  • 漱石そうせき研究けんきゅう年表ねんぴょう』(集英社しゅうえいしゃ漱石そうせき文学ぶんがく全集ぜんしゅう 別巻べっかん) 1974ねん
    増補ぞうほ改訂かいてい 1984ねん
  • あら正人まさと著作ちょさくしゅうぜん5かんさんいち書房しょぼう) 1983 - 1984ねん
    1)『だい青春せいしゅん
    2)『文学ぶんがくてき回想かいそう
    3)『市民しみん文学ぶんがくろん
    4)『宇宙うちゅう文明ぶんめいろん
    5)『小説しょうせつ夏目なつめ漱石そうせき全容ぜんよう
  • 夏目なつめ漱石そうせき 「こころ」をつめて』(宮木みやぎかおる岩崎いわさき書店しょてんあい真実しんじつひとびと7) 1986ねん

編著へんちょ共著きょうちょ[編集へんしゅう]

  • 戦後せんご批評ひひょうしゅう 近代きんだい文学ぶんがくへん』(そうしゃ) 1949ねん
  • 日本にっぽん近代きんだい文学ぶんがく』(平田ひらた三郎さぶろう共著きょうちょ実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ) 1951ねん
  • 世界せかい人名じんめい百科辞典ひゃっかじてん』(村上むらかみ政之まさゆき共編きょうへんあおけい書院しょいん) 1951ねん
  • 昭和しょうわ文学ぶんがく研究けんきゅう』(へんはなわ書房しょぼう) 1952ねん
  • 文芸ぶんげい事典じてん』(へん河出かわで書房しょぼう) 1953ねん
  • 大衆たいしゅう文学ぶんがくへの招待しょうたい』(武蔵野むさしの次郎じろう共編きょうへん南北社なんぼくしゃ) 1959ねん
  • 近代きんだい日本にっぽん良心りょうしん』(へんひかり書房しょぼう) 1959ねん
  • 推理すいり小説しょうせつへの招待しょうたい』(中島なかじま河太郎かわたろう共編きょうへん南北社なんぼくしゃ) 1959ねん
  • ジョイス入門にゅうもん』(佐伯さえき彰一しょういちへん南雲なぐもどう) 1960ねん
  • エリオット入門にゅうもん』(小野おのきょういちへん南雲なぐもどう) 1961ねん
  • ドストエーフスキイ世界せかい』(編著へんちょ河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ) 1963ねん
  • 対話たいわ宇宙うちゅう探訪たんぼう 宇宙うちゅう科学かがくをめぐるここのつの対談たいだん』(へん講談社こうだんしゃブルーバックス) 1964ねん
  • 思想家しそうか名言めいげん』(編著へんちょ実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ) 1967ねん
  • 谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろう研究けんきゅう』(編著へんちょ八木やぎ書店しょてん) 1972ねん

翻訳ほんやく[編集へんしゅう]

  • 太平洋たいへいよう航海こうかい』(キャプテン・クック河出かわで書房しょぼう) 1955ねん
    のち現代げんだい教養きょうよう文庫ぶんこ 1980ねん
    のち植松うえまつみどり改訳かいやくはら書房しょぼう 1992ねん
  • やみからのこえ』(イーデン・フィルポッツ東京とうきょうそうもとしゃ) 1956ねん
    のち講談社こうだんしゃ世界せかい推理すいり小説しょうせつ大系たいけい 1972ねん
  • 予言よげん肖像しょうぞう』(ナザニエル・ホーソン時事通信社じじつうしんしゃ出版しゅっぱんきょく) 1956ねん
  • 現代げんだい文明ぶんめい科学かがく』(スミッソウニアン研究所けんきゅうじょへん法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく) 1969ねん
  • 赤毛あかげのレドメイン』(イーデン・フィルポッツ、講談社こうだんしゃ世界せかい推理すいり小説しょうせつ大系たいけい) 1972ねん
    のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ 1977ねん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 次女じじょあらこのみによれば、実際じっさいには前年ぜんねん12がつまれのところ正月しょうがつとどたものだという。[1]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ このあき再始動さいしどうした「西荻にしおぎ文学ぶんがく散歩さんぽ」。 - 西荻にしおぎブックマーク
  2. ^ a b c d e あら 正人まさと(あら まさひと)| うつくしま電子でんし事典じてん”. www.gimu.fks.ed.jp. 福島ふくしまけん教育きょういく委員いいんかい. 2024ねん1がつ27にち閲覧えつらん
  3. ^ 上田うえだただしあきら津田つだ秀夫ひでお永原ながはらけい藤井ふじい松一しょういち藤原ふじわらあきら、『コンサイス日本人にっぽんじんめい辞典じてん だい5はん』、株式会社かぶしきがいしゃ三省堂さんせいどう、2009ねん 61ぺーじ
  4. ^ 服部はっとり徹也てつや吉田よしだ昌志まさし笛木ふえき美佳みか福田ふくだ淳子じゅんこ福田ふくだせんだい山田やまだ夏樹なつき ちょ夏目なつめ漱石そうせき 修善寺しゅぜんじ大患たいかん前後ぜんこう──昭和女子大学しょうわじょしだいがく図書館としょかん近代きんだい文庫ぶんこぞう しん資料しりょうくわえて──』」『日本にっぽん近代きんだい文学ぶんがくだい107かん日本にっぽん近代きんだい文学ぶんがくかい、2022ねん11月、179ぺーじdoi:10.19018/nihonkindaibungaku.107.0_179 
  5. ^ 岩井いわいひろし作家さっか臨終りんじゅう墓碑ぼひ事典じてん』(東京とうきょうどう出版しゅっぱん、1997ねん)15ぺーじ