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倉本くらもとさとし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
くらもと そう
倉本くらもと さとし
プロフィール
本名ほんみょう 山谷やまたに かおる(やまや かおる)[1]
誕生たんじょう (1934-12-31) 1934ねん12月31にち(89さい[1]
出身しゅっしん 日本の旗 日本にっぽん東京とうきょう渋谷しぶや
おも作品さくひん
テレビドラマ前略ぜんりゃくおふくろさま』シリーズ
だい都会とかい たたかいの日々ひび
さよならおりゅうさん
きたくにから
昨日きのう、悲別で
ライスカレー
用心ようじん
やさしい時間じかん
ふうのガーデン
やすらぎのさと
映画えいがえき STATION
受賞じゅしょう
受賞じゅしょうれき参照さんしょう
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倉本くらもと さとし(くらもと そう、1934ねん昭和しょうわ9ねん12月31にち[1][ちゅう 1] - )は、日本にっぽん脚本きゃくほんげき作家さっか演出えんしゅつ本名ほんみょうは、山谷やまたに かおる(やまや かおる)[1]東京とうきょう渋谷しぶや出身しゅっしんつま女優じょゆう平木ひらき久子ひさこ演劇えんげき集団しゅうだん えん所属しょぞく)。ちち俳人はいじん日新にっしん書院しょいん取締役とりしまりやく山谷やまたに太郎たろう祖父そふ医学いがく博士はかせ日新にっしん医学いがくしゃ社長しゃちょう山谷やまたに徳治郎とくじろう大伯父おおおじ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん山谷やまたに虎三とらぞう

東京大学とうきょうだいがく文学部ぶんがくぶ美学びがく卒業そつぎょうニッポン放送にっぽんほうそうてフリー。おもにテレビドラマの脚本きゃくほんとして活躍かつやく東京とうきょうから北海道ほっかいどうへときょうつし、『前略ぜんりゃくおふくろさま』『きたくにから』などおおくのヒットさくした。主宰しゅさいした「富良野ふらのじゅく」にて26年間ねんかんにわたり後進こうしん指導しどう。65さい紫綬褒章しじゅほうしょう、75さい旭日きょくじつしょう綬章じゅしょう受章じゅしょうした。1977ねん昭和しょうわ52ねん)より富良野ふらの在住ざいじゅう

経歴けいれき

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東京とうきょう渋谷しぶや代々木よよぎまれ。

父祖ふそ岡山おかやまけん[3]分家ぶんけした祖父そふだい東京とうきょう進出しんしゅつし、いえ代々だいだい医学いがく雑誌ざっし出版しゅっぱん新薬しんやく販売はんばいがけてきた。異色いしょくちち山谷やまたに太郎たろうみずかおこした自然しぜん科学かがくけい出版しゅっぱんしゃいとなかたわら、水原秋桜子みずはらしゅうおうし門下もんか俳人はいじんでもあった[3][4]はは太郎たろう後妻ごさい[3]両親りょうしんはともにクリスチャンだった[5]

戦時せんじちゅう山形やまがたけん上山かみのやま岡山おかやまけん浅口あさくちぐん金光こんこうまち (げん浅口あさくち )に疎開そかい[6][7]。このうち、上山かみのやまへの疎開そかい政府せいふ実施じっしした学童がくどう集団しゅうだん疎開そかいによるもので、都会とかいそだちの倉本くらもとおおきなカルチャーショックけた。東京とうきょうかえりたいとかんがえた倉本くらもと仮病けびょう使つかってすうげつには東京とうきょうもどることに成功せいこうした[8]。この体験たいけんは、『きたくにから』の最初さいしょ連続れんぞくシリーズにおいて、じゅん東京とうきょうかえりたがってこす行動こうどうのヒントにしたとしるしている[9]。 また、金光こんこうへは1945ねん4がつから1年間ねんかん一家いっか6にん疎開そかいしていた[10]

東京学芸大学とうきょうがくげいだいがく附属ふぞく小金井こがねい小学校しょうがっこうから麻布あざぶ中学校ちゅうがっこう高等こうとう学校がっこう進学しんがく中学ちゅうがく時代じだいより加藤かとう道夫みちお私淑ししゅくして演劇えんげき夢中むちゅうになり、2ねんつづけて浪人ろうにん[3]東京大学とうきょうだいがく合格ごうかくもほとんど学校がっこうかず、俳優座はいゆうざのスタジオ劇団げきだん仲間なかま」の文芸ぶんげい所属しょぞくして戯曲ぎきょくはじめた[3]大学だいがく2ねんときにデビューさく鹿しか」がラジオ(青森放送あおもりほうそう)でながれ、大学だいがく4ねんときにはしん日本にっぽん放送ほうそうげん毎日放送まいにちほうそう)から依頼いらいされたラジオドラマの脚本きゃくほんまき逸馬いつま原作げんさく「この太陽たいよう」)を執筆しっぴつしている[11]

1959ねんニッポン放送にっぽんほうそう入社にゅうしゃ本当ほんとうフジテレビだいいち志望しぼうだったが、このとしはフジテレビ・ニッポン放送にっぽんほうそう文化放送ぶんかほうそうの3きょく合同ごうどう新卒しんそつ採用さいようおこなっており、がついたらニッポン放送にっぽんほうそうまわされていたという。きょくでは本名ほんみょうディレクタープロデューサーとして勤務きんむするかたわら「倉本くらもとさとし」のペンネームで脚本きゃくほんとしての活動かつどうおこな[12]。『パパきてちょうだい』(日本にほんテレビ)が脚本きゃくほんデビューさく会社かいしゃ内緒ないしょ脚本きゃくほん活動かつどうおこなっており、当時とうじよる10会社かいしゃ帰宅きたくしてから脚本きゃくほん午前ごぜん4ごろ就寝しゅうしん、2あいだほどの睡眠すいみん出社しゅっしゃする毎日まいにちだった[13]

1963ねんニッポン放送にっぽんほうそう退社たいしゃ退社たいしゃのいきさつについて倉本くらもとは、のちにインタビューで「ニッポン放送にっぽんほうそうには内緒ないしょでペンネームを使つかって脚本きゃくほんをやっていたから、ニッポン放送ほうそう担当たんとうしていた番組ばんぐみには(脚本きゃくほん同士どうしとして顔見知かおみしりである)若手わかて脚本きゃくほんではなくベテランの脚本きゃくほんばかり起用きようしていたが、それを上司じょうしとがめられたうえ『最近さいきん倉本くらもとって若手わかててきたから一度いちどってい』とめいじられ、そろそろ潮時しおどきだとおもった」とかたっている[14]。またのインタビューでは「(2あいだ睡眠すいみん生活せいかつを)2ねんつづけると「もたない」とおもいました」とかたっており、ちをつづけるのは体力たいりょくてきにも限界げんかいだったことをしめしている[13]岡田おかだしげる自伝じでんでは、倉本くらもとニッポン放送にっぽんほうそうのラジオのライターで一生いっしょうわりたくない、と東映とうえいせきかせてしいと中島なかじま貞夫さだおかいして岡田おかだたのんできたとかれている[15]

その東京とうきょうでフリーの脚本きゃくほんとなったが、NHK大河たいがドラマかつ海舟かいしゅう制作せいさくさいし、脚本きゃくほん演出えんしゅつ関与かんよ是非ぜひをめぐる問題もんだいがこじれたことで嫌気いやけがさし、脚本きゃくほん途中とちゅう降板こうばん1974ねん6がつ取材しゅざいけた週刊しゅうかんヤングレディ』の記事きじがNHKを攻撃こうげきする内容ないようわっていたので、最終さいしゅう稿こうまで確認かくにんして記事きじ修正しゅうせいされたが、広告こうこく見出みだしが「倉本くらもとさとし、『かつ海舟かいしゅう』を内部ないぶからばくだん発言はつげん」と修正しゅうせいされぬままてしまったことがきっかけだった。当時とうじ制作せいさく局長きょくちょうには軽率けいそつ謝罪しゃざいしたが、20 - 30にんからつるしげられたという[16][ちゅう 2]。その千歳空港ちとせくうこうび、そのまま北海道ほっかいどう札幌さっぽろ転居てんきょ。NHKとはこのあといったん和解わかいして1979ねん単発たんぱつ正月しょうがつドラマ『としはじめの』をきおろしたが、演出えんしゅつ姿勢しせい不満ふまんらしふたた絶縁ぜつえんとなる。

1977ねん富良野ふらの移住いじゅう[17][ちゅう 3]

1981ねん富良野ふらの舞台ぶたいにした家族かぞくドラマ『きたくにから』で話題わだいぶ。歌志内うたしない上砂川かみすながわまち舞台ぶたいとした『昨日きのう、悲別で』の脚本きゃくほん富良野ふらの舞台ぶたい父子ふしきずな断絶だんぜつ再生さいせいえがく『やさしい時間じかん』の原作げんさくなど、北海道ほっかいどう舞台ぶたいとした数々かずかずのドラマでも有名ゆうめい

1986ねん監督かんとく脚本きゃくほん担当たんとうした映画えいが時計とけい Adieu l'Hiver』が公開こうかいされる[ちゅう 4]

若手わかて俳優はいゆう脚本きゃくほん養成ようせいするために、1984ねんに、富良野ふらのぬのれいべつにて「富良野ふらのじゅく」を私財しざいとうじて開設かいせつし、26ねんにわたって主宰しゅさいした。塾生じゅくせい受講じゅこうりょう無料むりょうで2年間ねんかん共同きょうどう生活せいかつをし、夏季かき地元じもと農協のうきょう農家のうかなどの協力きょうりょくはたけ仕事しごと手伝てつだ塾生じゅくせいみずからが生活せいかつかせし、冬季とうき集中しゅうちゅう講義こうぎなどのほか、ふらの演劇えんげき工場こうじょうおこなわれる演劇えんげき公演こうえんけた稽古けいこをおこなうスタイルだった[20]としいちかい原始げんし電気でんき水道すいどう・ガスにたよらない、いわゆる原始げんし生活せいかつ体験たいけんする行事ぎょうじ)をもうけるなどのユニークな養成ようせいじゅつられ、脚本きゃくほん友澤ともざわ晃一こういちだい1)、吉田よしだ紀子のりこだい2)、田子たつこ明弘あきひろだい3)、久松ひさまつ真一しんいちだい5)、俳優はいゆう加藤かとうひさみやびだい4)、二階堂にかいどうさとしだい6)らをおくした。また、富良野ふらのじゅく活動かつどう市民しみんによって設立せつりつされたNPO法人ほうじん・ふらの演劇えんげき工房こうぼうにもふかかかわり、同市どうしてられた劇場げきじょう・ふらの演劇えんげき工場こうじょうにもおおきく貢献こうけんしている。2005ねんには、閉鎖へいさされた富良野ふらのプリンスホテルゴルフコースに植樹しょくじゅして、同地どうち自然しぜんもりもどそうとするNPO法人ほうじん・C・C・C富良野ふらの自然しぜんじゅく開設かいせつし、その塾長じゅくちょう就任しゅうにんしている[17][21]富良野ふらのじゅくは、倉本くらもと体力たいりょく限界げんかい理由りゆうとして2010ねん3がつまつをもって閉塾することが2007ねん3がつまつそつじゅくしき発表はっぴょうされ[20]発表はっぴょうどおり2010ねんに26ねん歴史れきしまくじた。閉塾そつ塾生じゅくせい中心ちゅうしん再編さいへんされた「富良野ふらのGROUP」にて全国ぜんこく公演こうえん脚本きゃくほん演出えんしゅつ手掛てがけ、2016ねんの『屋根やね全国ぜんこく公演こうえん最後さいご演出えんしゅつから退しりぞ脚本きゃくほん専念せんねんする意向いこうしめした[22]

2010ねん4がつ北海道教育大学ほっかいどうきょういくだいがく旭川あさひかわこう演劇えんげき講座こうざ監修かんしゅう

2017ねん富良野ふらのGROUP特別とくべつ公演こうえんはしる』を最後さいご演劇えんげき活動かつどうから引退いんたい表明ひょうめいし、脚本きゃくほん制作せいさく専念せんねん[23]。3月7にち富良野ふらの演劇えんげき工場こうじょうでのだい千秋楽せんしゅうらく公演こうえんのカーテンコールに登壇とうだんして「今回こんかいわたしなが休息きゅうそくはいろうとおもいます」とかたり、「この演劇えんげき工場こうじょうがあるかぎり、富良野ふらのGROUPももうすこなんらかのかたちみなさんに感動かんどうとどけていく仕事しごとをしたいとおもっている」として稽古けいこ指導しどうもちいていたむち久保くぼ隆徳たかのりたくしている[24][25]

2017ねん4がつには、「テレビ局てれびきょく若者わかものけのドラマばかりつくっているから年寄としよりはても面白おもしろくない。だから、ゴールデンタイムに対抗たいこうする『シルバータイム』をつくろう」とテレビ局てれびきょくはたらきかけ、テレビ朝日てれびあさひ新設しんせつしたおびドラマわくおびドラマ劇場げきじょう」にて、テレビ全盛期ぜんせいきになった俳優はいゆう作家さっか・ミュージシャンなどが入居にゅうきょする老人ろうじんホームを舞台ぶたい現在げんざいのテレビのかたたいする批判ひはんんだ『やすらぎのさと』を執筆しっぴつした[26][27]

富良野ふらの演劇えんげき工場こうじょう隣接りんせつする民有みんゆうに、「きたくにから」「倉本くらもとさとし人生じんせい」「富良野ふらのじゅく」「点描てんびょう」など6テーマをかかげた倉本くらもとさとし関連かんれん資料しりょう展示てんじ施設しせつ倉本くらもとさとしミュージアム-きたくにから-」の開設かいせつ構想こうそうされている[28]

かつては山田やまだ太一たいち向田むかいだ邦子くにこわせて「シナリオライター御三家ごさんけ」とばれた[29]

人物じんぶつ

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  • ペンネームの由来ゆらいは、父祖ふそ岡山おかやまでの本家ほんけ屋号やごう蔵本ぞうほん[30]に、いもうと名前なまえ聰子さとこ」からいちもらってつけた[3]
  • さんめしよりもたばこ(ラーク・マイルド、パイプ)とコーヒーきなことでられる。18さいころから喫煙きつえんはじめており、喫煙きつえんりょうは1にちに60ほんから80ほんかた[31][32][33][34]受動じゅどう喫煙きつえん防止ぼうし目的もくてき禁煙きんえんすす昨今さっこん風潮ふうちょうを「禁煙きんえん差別さべつ」としょうして批判ひはんしており、受動じゅどう喫煙きつえん防止ぼうし条例じょうれい制定せいていした神奈川かながわけんや、生活せいかつ環境かんきょう条例じょうれいにより路上ろじょう喫煙きつえん禁止きんししている千代田ちよだへはあしれないようにしている[35]
  • 演劇えんげきでは、脚本きゃくほん演出えんしゅつをひとりでこなす。
  • こうこのんでおり、仕事しごとちゅうはおこうく。愛飲あいいんしているさけひとつに、ジャックダニエルがある[36]
  • 西田にしだひかるきなあまり、愛犬あいけんに「西田にしだ」という名前なまえをつけている[37]。「メイサ」と名付なづけた愛犬あいけんもいる。
  • ライフワークとして、もり樹木じゅもく題材だいざいとした点描てんびょうえがいている。ドラマ脚本きゃくほんたずさわるなかでスタッフとイメージを共有きょうゆうするためげきちゅうのシーンのイメージをコンテえがいたことを契機けいきにはまり、デッサンまなんだのち、「かげ濃淡のうたんてん密度みつどつよさでせないか」として点描てんびょうへとすすむ。徹底的てっていてき人物じんぶつ描写びょうしゃ得意とくいとする脚本きゃくほん同様どうように、樹木じゅもく1ほん1ほん個性こせい歴史れきし着目ちゃくもくし、そのしんこえ独自どくじ表現ひょうげんほうにより点描てんびょうあらわす。「もりのささやきがこえますか 倉本くらもとさとし仕事しごと点描てんびょう画展がてん」とだいした個展こてん各地かくち開催かいさいしている[38][39]
  • いま日本にっぽんのドラマについては、「幼稚ようちきわみにある」「大人おとな鑑賞かんしょうこたえうるドラマがくなった。その原因げんいんひとつは、役者やくしゃがいなくなったこと。もうひとつはシナリオがくないこと」「原作げんさくさが場合ばあいも、いま制作せいさくしゃ小説しょうせつよりもマンガからはなしさがしてくることがおおくなった。プロデューサーたちに小説しょうせつ能力のうりょくがなくなり、マンガならばという発想はっそうになっている。幼稚ようち制作せいさくしゃ幼稚ようちなドラマをつくっている」と批判ひはんしている[40]
  • きたくにから』終了しゅうりょうについては、「スタッフが高齢こうれいした」とするフジテレビの説明せつめいを「おかしな理由りゆうだ。スタッフをえればいい」と批判ひはんしている[40]

人間にんげん関係かんけい

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西武鉄道せいぶてつどうグループオーナーのつつみ義明よしあきとは、麻布あざぶ中学ちゅうがく高校こうこう時代じだい同級生どうきゅうせいである[21]2005ねんつつみ証券しょうけん取引とりひきほう違反いはんわれた東京とうきょう地裁ちさい公判こうはんにおいては、倉本くらもとみずか弁護べんごがわ証人しょうにん申請しんせい出廷しゅっていした。また、こうした交友こうゆう関係かんけいがもとになって、富良野ふらの自然しぜんじゅくなどの事業じぎょう実現じつげんにつながっている。

麻布あざぶ中学ちゅうがく高校こうこう時代じだい同級生どうきゅうせい銀座ぎんざ山野やまの楽器がっき息子むすこえんで、山野やまの楽器がっきてんにあった当時とうじまだ高価こうかだったテープレコーダーを自由じゆう使つかこと出来できた。倉本くらもと友人ゆうじんらとともにそのテープレコーダーを使つかって音声おんせいドラマ(いわゆるラジオドラマとおなじもの)を1ほん仕上しあげた。本人ほんにんいわく「これが人生じんせい最初さいしょつくったドラマである」とのことである。

映画えいが監督かんとく中島なかじま貞夫さだおとは、東大とうだい在学ざいがくちゅうギリシア悲劇ひげき研究けんきゅうかいにともに所属しょぞくしており、中島なかじまの『くノいち忍法にんぽう』(1964ねん)、『旗本はたもとやくざ』(1966ねん)など、初期しょき監督かんとく作品さくひん脚本きゃくほんがけている。

自身じしんはは晩年ばんねんをモデルにしたドラマ『りんりんと』への出演しゅつえんがきっかけで、晩年ばんねん田中たなか絹代きぬよふか交流こうりゅうち、この交流こうりゅうが『前略ぜんりゃくおふくろさま』のヒットにつながる。田中たなか直後ちょくご彼女かのじょえんじる「おふくろさま」のえがいた『前略ぜんりゃくおふくろさま』の最終さいしゅうかい放映ほうえいされて話題わだいとなった。

前略ぜんりゃくおふくろさま』で主演しゅえんつとめた萩原はぎはら健一けんいちとの出会であいについて「のさめるおもいがした。そしてそのおもいは次第しだいぼくなかで『かつ海舟かいしゅう』の岡田おかだ以蔵転化てんかしていく。かれはじめて出逢であったことが、ぼくなか狂気きょうき安心あんしんさせ、そうしてつい平和へいわ温厚おんこうなNHKと衝突しょうとつしてしまう」とかたっている[41]

札幌さっぽろ在住ざいじゅう当時とうじがけたドラマ『まぼろしまち』に特別とくべつ出演しゅつえんした北島きたじま三郎さぶろうたのんで、一時期いちじきびととなり巡業じゅんぎょう同行どうこうした[42]。これはロケ小樽おたる地元民じもとみん北島きたじま熱狂ねっきょうする姿すがたて「この人気にんきなになんだ」と関心かんしんったことがきっかけだった。巡業じゅんぎょうちゅう北島きたじま観衆かんしゅうのどんなリクエストもうたうというコーナーで両者りょうしゃがおたがいに遠慮えんりょなにもなくやりりする模様もように、自分じぶんいままで庶民しょみんではなく「うえから目線めせん」で批評ひひょう業界ぎょうかいなどにられるような作品さくひんこうとしていたのではないかというおもいにられ、「おれわろう」とおもったがするとしるしている[42]

野沢のざわしょう三谷幸喜みたにこうきと3にん仕事しごとをしたさいかわ、いつかうみへ 6つのあい物語ものがたり)、企画きかく会議かいぎちゅう真剣しんけん討論とうろんしている倉本くらもと野沢のざわを、三谷みたに発言はつげんせず感心かんしんしながらいていたところ(三谷みたにはこのような討論とうろんをしたことがなかったため)、倉本くらもとさんたにむかって「もっと主張しゅちょうしなさい、きみ卑怯ひきょうだ」とったことがある[43]

作品さくひん特徴とくちょう

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語尾ごびにごすような独自どくじ口調くちょうかたられるモノローグ(ナレーション)を多用たようした脚本きゃくほん著名ちょめい(ただし、『前略ぜんりゃくおふくろさま』ではじめてれた手法しゅほうであり、それ以前いぜんにはもちいていなかった[ちゅう 5])。

また、映像えいぞう音楽おんがく(BGM)まで想定そうていした脚本きゃくほんくため、しばしば演出えんしゅつ映画えいが監督かんとく脚本きゃくほん改変かいへん禁止きんしすることもある。もっとも、倉本くらもと自身じしん台本だいほんよりもよい表現ひょうげん方法ほうほうをしてくれたときには「そっちのほうがいい!そのようにえてください」と諸手もろてげて賛成さんせいするとしており、「語尾ごびいちいちなおすとおこるとへんうわさてられたのはまったもっ心外しんがい」とべている[45][ちゅう 6]

うちのホンカン』、『きたくにから』の初期しょきや、映画えいが『ブルークリスマス』では、(未知みち知的ちてき生命せいめいたいのものとしての)UFO登場とうじょうする描写びょうしゃがある。また、『用心ようじん』の登場とうじょう人物じんぶつ一人ひとりちょう能力のうりょくつなどの描写びょうしゃがある。『きたくにから』にUFOをしたことについて、倉本くらもと移住いじゅう当時とうじ北海道ほっかいどうでUFOを目撃もくげきしたというさわぎがよくあったことと、科学かがくりきれないものやメルヘンやファンタジーを大切たいせつにしたいというおもいが背景はいけいにあったことをべている[46]

脚本きゃくほん山田やまだ太一たいちは、刺激しげきけたどう業者ぎょうしゃとして向田むかいだ邦子くにこ田向たむかいただしけん倉本くらもとげた[47]。また、倉本くらもと作品さくひん魅力みりょくのひとつは「あいだがいい」てんだとひょうしている[48]

受賞じゅしょうれき

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おも作品さくひん

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テレビドラマ

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映画えいが

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舞台ぶたい

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  • たにねむっていた』(初演しょえん:1988ねん
  • 今日きょう、悲別で』(初演しょえん:1990ねん
  • ニングル』(初演しょえん:1993ねん
  • はしる』(初演しょえん:1997ねん
  • 屋根やね』(初演しょえん:2001ねん
  • 『オンディーヌをもとめて』(初演しょえん:2001ねん
  • 地球ちきゅうひかりなさい!』(初演しょえん:2002ねん
  • 歸國きこく』(初演しょえん:2009ねん[17]

テレビドキュメンタリー

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  • 三井みつい住友すみともフィナンシャルグループ presents もりのラブレターII』(2010ねん、TBSけい

著書ちょしょ

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  • 『あなただけ今晩こんばんほし世界せかい夕子ゆうこ』(たてふう書房しょぼう、1975ねん
  • 倉本くらもとさとしテレビドラマしゅう』1・2(ぶっくまん、1976ねん-1977ねん
  • 『あにき』(冬樹ふゆきしゃ、1977ねん
  • ブルークリスマス : 倉本くらもとさとしオリジナルシナリオあお書房しょぼう、1978ねん11がつ10日とおか
  • きたくにから』まえ後編こうへん理論りろんしゃ、1981ねん
  • きみうみたか』(理論りろんしゃ、1982ねん
  • 『わが青春せいしゅんのとき』(理論りろんしゃ、1982ねん
  • 倉本くらもとさとしコレクション理論りろんしゃ
1-4 前略ぜんりゃくおふくろさま(1983ねん
5、6のかもめ (1983ねん
6、ガラス細工ざいくいえ(1983ねん
7、さよならおりゅうさん(1983ねん
8、まぼろしまち(1983ねん
9-10、ぶん捕物とりもの絵図えず(1983ねん
11、2丁目ちょうめ3番地ばんち(1983ねん
12-13、浮浪ふろうくも 1-2(1983ねん
14-15、あかひげ 1-2(1984ねん
16、坂部さかべぎんさんをさがしてください(1984ねん
17、たとえば、あい(1984ねん
18、あなただけ今晩こんばんは scénario 1975 1984
19、だい都会とかい(1984ねん
20、あにき : Scénario1977 1984
21、えきstation(1984ねん
22、ふゆはな(1984ねん
23、うちのホンカン(1984ねん
24、わが青春せいしゅんのとき :scénario1970 1985.
25、なみぼん・ガラスの知恵ちえ(1985ねん
26、ひかりのなかうみ(1985ねん
27-28、まつりおわったとき 1-2(1985ねん
29、きみうみたか : scénario1982 1985
30、昨日きのう、悲別で : scénario1984 1985
  • きたくにから 1983ふゆ』(理論りろんしゃ、1983ねん
  • 昨日きのう、悲別で』(理論りろんしゃ、1984ねん
  • きたくにから 1984なつ』(理論りろんしゃ、1984ねん
  • 『ニングル』(理論りろんしゃ、1985ねん新版しんぱん2023ねん
  • 『ライスカレー』(理論りろんしゃ、1986ねん
  • 時計とけい アデュー・リベール』(理論りろんしゃ、1986ねん
  • きたくにから 1987初恋はつこい』(理論りろんしゃ、1987ねん
  • たにねむっていた 富良野ふらのじゅく記録きろく』(理論りろんしゃ、1988ねん
  • うみへ See you』(理論りろんしゃ、1988ねん
  • きたくにから 1989帰郷ききょう』(理論りろんしゃ、1989ねん
  • うしなわれたときながれを scenario1990』(理論りろんしゃ、1990ねん
  • きたくにから 1981-'89』(理論りろんしゃ、1990ねん
  • 用心ようじん scenario1990』(理論りろんしゃ、1990ねん
  • きたくにから 1992巣立すだち』(理論りろんしゃ、1992ねん
  • きたくにから 1995秘密ひみつ』(理論りろんしゃ、1995ねん
  • きたくにから 1998時代じだい』(理論りろんしゃ、1998ねん
  • 玩具おもちゃ神様かみさま scenario1999』(理論りろんしゃ、2000ねん
  • 『ニングルのもり - 悠久ゆうきゅうなるものへ』(集英社しゅうえいしゃ、2002ねん童話どうわ黒田くろだただし太郎たろう
  • きたくにから 2002遺言ゆいごん』(理論りろんしゃ、2002ねん
  • やさしい時間じかん scenario2005』(理論りろんしゃ、2005ねん
  • 拝啓はいけい父上ちちうえさま scenario2006』(理論りろんしゃ、2006ねん
  • ふうのガーデン scenario2008』(理論りろんしゃ、2008ねん
  • ふうのガーデン貞三ていぞう先生せんせい花言葉はなことば365へん』(エフジー武蔵むさし、2008ねん)
  • 歸國きこく』(日本経済新聞にほんけいざいしんぶん出版しゅっぱんしゃ、2010ねん)
  • 獨白どくはく 2011ねん3がつ-『きたくにから』ノーツ』(フラノ・クリエイティブ・シンジケート、2011ねん
  • 倉本くらもとさとし戯曲ぎきょく全集ぜんしゅうぜん6かんしん日本にっぽん出版しゅっぱんしゃ、2017-2018) 
  • 『やすらぎのさとぜん3かん双葉社ふたばしゃ、2017
  • 『「きたくにから」異聞いぶん 黑板こくばんろう独占どくせんインタビュー!』講談社こうだんしゃ、2018
  • 『やすらぎのこく(とき)~どう~』ぜん5かん双葉社ふたばしゃ、2019-2020
  • きたくにから』3かんぐみ理論りろんしゃ、2021。集大成しゅうたいせい
作品さくひん以外いがい
  • 『さらば、テレビジョン』(冬樹ふゆきしゃ、1978ねん理論りろんしゃ、1991ねん)、だいいちエッセイしゅう
  • しんテレビ事情じじょう』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1980ねん
  • きた人名じんめいろく』(新潮社しんちょうしゃ、1982ねん)、新潮しんちょう文庫ぶんこ、2009ねん 
  • しんしんテレビ事情じじょう』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1983ねん
  • 『いつも音楽おんがくがあった』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1984ねん
  • 冬眠とうみんもり きた人名じんめいろくPART2』(新潮社しんちょうしゃ、1987ねん
  • 左岸さがんより いちきゅうはち年代ねんだいのエッセイしゅう』(理論りろんしゃ、1991ねん
  • 『ゴールの情景じょうけい 富良野ふらのふうばなし』(理論りろんしゃ、1998ねん
  • 富良野ふらのふうばなし』(理論りろんしゃ、2000ねん
  • 富良野ふらのじゅく序章じょしょう』(エフジー武蔵むさし、2003ねん
  • 愚者ぐしゃたび わがドラマ放浪ほうろう』(理論りろんしゃ、2002ねん
  • 『このくにのアルバム 富良野ふらのふうばなし』(理論りろんしゃ、2003ねん
  • きた動物どうぶつえん扶桑社ふそうしゃ、2004ねん扶桑社ふそうしゃ文庫ぶんこ、2010ねん
  • うしなわれた森厳しんげん 富良野ふらのふうばなし』(理論りろんしゃ、2006ねん
  • やましき沈黙ちんもく 富良野ふらのふうばなし』(理論りろんしゃ、2009ねん)
  • 『ヒトにう』双葉社ふたばしゃ、2013
  • 日本人にっぽんじんとして 富良野ふらのふうばなし財界ざいかい研究所けんきゅうじょ、2015
  • 昭和しょうわからの遺言ゆいごん双葉社ふたばしゃ、2015
  • まえんだ わたし履歴りれきしょ日本経済新聞にほんけいざいしんぶん出版しゅっぱんしゃ、2016
  • 昭和しょうわからの遺言ゆいごん 2 そくうら記憶きおく双葉社ふたばしゃ、2019
  • 『テレビのくにから』産経新聞さんけいしんぶん出版しゅっぱん、2019
  • やぶぼしながれた』幻冬舎げんとうしゃ、2022
  • やぶぼしえた』幻冬舎げんとうしゃ、2023
共著きょうちょ
  • 倉本くらもとさとし研究けんきゅう北海ほっかい学園がくえん北海道ほっかいどうから」編集へんしゅうしつへん理論りろんしゃ、1992ねん
  • 倉本くらもとさとし世界せかいきたくにから」の作家さっか 別冊べっさつ やま渓谷けいこくやま渓谷社けいこくしゃ、1993ねん 
  • 上流じょうりゅう思想しそう下流かりゅう思想しそう 対談たいだん紀行きこう理論りろんしゃ、1994ねん
  • 森繁もりしげ久彌ひさや 86才芸さいげい談義だんぎ』ききて小学館しょうがくかん文庫ぶんこ、1999ねん
  • 愚者ぐしゃ質問しつもん 対談たいだんしゅう林原はやしばら博光ひろみつ(「富良野ふらの自然しぜんじゅくふく塾長じゅくちょう)とききて日本経済新聞にほんけいざいしんぶん出版しゅっぱんしゃ、2010ねん
  • 黒板こくばんろう流儀りゅうぎ 「きたくにから」エコロジカルライフ』エフジー武蔵むさし、2012ねん
  • 倉本くらもとさとし姿勢しせい』エフジー武蔵むさし、2012ねん
  • 倉本くらもとさとしドラマ人生じんせい きき』北海道新聞社ほっかいどうしんぶんしゃ、2013
  • 愚者ぐしゃ対談たいだんしゅう林原はやしばら博光ひろみつとききて双葉社ふたばしゃ、2014。双葉ふたば文庫ぶんこ、2018
  • 『みんなどもだった 倉本くらもとさとし対談たいだんしゅう』BS-TBS『みんなどもだった』制作せいさくはん ちょ。エフジー武蔵むさし、2014
  • 愚者ぐしゃく その2 対談たいだんしゅう林原はやしばら博光ひろみつとききて双葉社ふたばしゃ、2018
  • 『ドラマへの遺言ゆいごん碓井うすい広義ひろよし共著きょうちょ新潮しんちょう新書しんしょ、2019
  • 倉本くらもとさとし言葉ことば ドラマのなか名言めいげん碓井うすい広義ひろよしへん新潮しんちょう新書しんしょ、2020
  • 『『きたくにから』黒板こくばんろう言葉ことば碓井うすい広義ひろよしへん幻冬舎げんとうしゃ、2021
  • 脚本きゃくほんりょく』ききて碓井うすい広義ひろよし幻冬舎げんとうしゃ新書しんしょ、2022

出演しゅつえん

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  • いのちのひびきTBS
  • NHK特集とくしゅう倉本くらもとさとしもり老人ろうじん北海道ほっかいどう富良野ふらの〜」(1985ねん6がつ9にちNHK)- 朗読ろうどくかた[54]
  • 三井みつい住友すみともフィナンシャルグループPresents「ふうがはこんできたもの~音楽おんがくげん風景ふうけい~」(TBS、2011ねん1がつ31にち~2がつ3にち
  • きたくにから』放映ほうえい30周年しゅうねん記念きねん特別とくべつ番組ばんぐみ いま五郎ごろうかた~2011なつ 倉本くらもとさとし~(BSフジ、2011ねん8がつ20日はつか
  • みんなどもだったBS-TBS2012ねん4がつ - 2015ねん3がつ
  • イブアイしずおか静岡放送しずおかほうそう、2016ねん11月17にち

えんじた俳優はいゆう

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社会しゃかいてき活動かつどう

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 戸籍こせきじょう1935ねん1がつ1にち[1][2]
  2. ^ NHKとはこのトラブルから20ねん以上いじょう絶縁ぜつえん状態じょうたいにあったが、1999ねんの『玩具おもちゃ神様かみさま』で復帰ふっきした。
  3. ^ この移住いじゅうさいしては、向田むかいだ邦子くにこから「あんたバカなことおやめなさい。東京とうきょうはなれたら仕事しごとなンてないわよ」と説教せっきょうされたという[18]倉本くらもと当時とうじかえって「仕事しごとはもうどうでもよくなっていた」とべている。
  4. ^ このときの経験けいけんについて後年こうねん、「もう二度にど監督かんとくはやらない」とべている[19]
  5. ^ 倉本くらもと日活にっかつ契約けいやくライターだった時代じだいにプロデューサーから「ナレーションと回想かいそう卑怯ひきょう手法しゅほう」とたたまれてそれを忠実ちゅうじつまもっていた。山田やまだ太一たいちが『それぞれのあき』(1973ねん)でナレーションを使つかっているのをて「こんなしゅもありだな」とおもい、導入どうにゅうすることにしたという。そのさい山下やましたきよし口調くちょう模倣もほうしたことで「 - なわけで」といった文体ぶんたいることになった[44]
  6. ^ ただ、語尾ごびについては「語尾ごび性格せいかく表現ひょうげんするので、語尾ごびほど大事だいじなものはない」ともかたっている。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e 倉本くらもとさとし(2) わたし履歴りれきしょ - 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん
  2. ^ エッセイしゅうきた動物どうぶつえん』(扶桑社ふそうしゃ、2004ねん)「生年月日せいねんがっぴ」のしょう参照さんしょう 72ぺーじ
  3. ^ a b c d e f 斎藤さいとう明美あけみいえ履歴りれきしょ文化ぶんかじん芸術げいじゅつへんキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、2011ねん、149-158ぺーじ
  4. ^ 倉本くらもとさとし碓井うすい広義ひろよし『ドラマへの遺言ゆいごん新潮社しんちょうしゃ新潮しんちょう新書しんしょ〉、2019ねん
  5. ^ 獨白どくはく 2011ねん3がつ』p142
  6. ^ “【天風てんぷうろく倉本くらもとさとしさん - 中国ちゅうごく新聞しんぶん. 中国ちゅうごく新聞しんぶん. (2010ねん5がつ1にち). オリジナルの2010ねん5がつ14にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100514083706/http://www.chugoku-np.co.jp/Tenpu/Te201005010094.html 2023ねん5がつ21にち閲覧えつらん }
  7. ^ 獨白どくはく 2011ねん3がつ』p44、p129
  8. ^ 獨白どくはく 2011ねん3がつ』p130
  9. ^ 獨白どくはく 2011ねん3がつ』p129
  10. ^ 倉本くらもと さとしさんが金光かねみつおとずれる 倉本くらもと さとし金光かねみつファンのかい”. 笠岡かさおか放送ほうそう. 2014ねん3がつ6にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2014ねん3がつ6にち閲覧えつらん
  11. ^ 倉本くらもとさとしまえんだ』日本経済新聞にほんけいざいしんぶん出版しゅっぱんしゃ、2016、43-44ぺーじ
  12. ^ "【放送ほうそう事故じこ伝説でんせつ】レジェンド脚本きゃくほん神業かみわざだい事故じこ回避かいひ?". リアルライブ. REAL LIVE. 2 October 2022. 2022ねん10がつ2にち閲覧えつらん
  13. ^ a b ペンネーム「倉本くらもとさとし」が会社かいしゃ内緒ないしょ脚本きゃくほん執筆しっぴつしていたころ - dot.・2012ねん12月22にち
  14. ^ 東芝とうしばスーパーサウンドグラフィティ The History of the Radio』(ニッポン放送にっぽんほうそう、1989ねん1がつ1にち
  15. ^ 波瀾万丈はらんばんじょう映画えいが人生じんせい 岡田おかだしげる自伝じでん』、角川書店かどかわしょてん、2004ねん、165-166ぺーじ
  16. ^ 愚者ぐしゃたび』(理論りろんしゃ、2002ねん
  17. ^ a b c 時代じだいける:倉本くらもとさとし:SOH KURAMOTO(1)」 『毎日新聞まいにちしんぶん』 2009ねん11月16にち、13はん、5めん
  18. ^ 獨白どくはく 2011ねん3がつ』p14
  19. ^ 獨白どくはく 2011ねん3がつ』p186 - 187
  20. ^ a b 時代じだいける:倉本くらもとさとし:SOH KURAMOTO(5)」 『毎日新聞まいにちしんぶん』 2009ねん11月24にち、13はん、9めん
  21. ^ a b 時代じだいける:倉本くらもとさとし:SOH KURAMOTO(2)」 『毎日新聞まいにちしんぶん』 2009ねん11月17にち、12はん、9めん
  22. ^ ふちさわ貴子たかこ (2016ねん1がつ12にち). 倉本くらもとさとしさん、舞台ぶたい演出えんしゅつ引退いんたい意向いこう「しんどくなってきた」”. 朝日新聞あさひしんぶんデジタル. http://www.asahi.com/articles/ASJ1D5RGDJ1DIIPE020.html 2016ねん5がつ31にち閲覧えつらん 
  23. ^ 脚本きゃくほん倉本くらもとさとし演劇えんげき引退いんたい 17ねんがつ舞台ぶたい最後さいご. 日刊にっかんスポーツ. (2016ねん11月17にち). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1739148.html 2016ねん11月17にち閲覧えつらん 
  24. ^ 倉本くらもとさとしさん最後さいご舞台ぶたい演出えんしゅつ 全国ぜんこく公演こうえんはしる」富良野ふらのまくなが休息きゅうそく宣言せんげん. 北海道新聞ほっかいどうしんぶん. (2017ねん3がつ9にち). http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/dohoku/1-0376724.html 2017ねん4がつ5にち閲覧えつらん 
  25. ^ はしる」だい千秋楽せんしゅうらく公演こうえん(2017ねん3がつ7にち終演しゅうえんのカーテンコールより 富良野ふらのGROUP主宰しゅさい倉本くらもとさとし挨拶あいさつ”. はしる 2017. 倉本くらもとさとし 界隈かいわい. 2017ねん4がつ5にち閲覧えつらん
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  27. ^ 佐藤さとう剛志たけし (2017ねん4がつ4にち). 倉本くらもとさとし×浅丘あさおかルリ子るりこ 若者わかものにこびない「ひるドラ」”. 朝日新聞あさひしんぶんデジタル. http://www.asahi.com/articles/ASK3P2PP2K3PUCVL004.html 2017ねん4がつ5にち閲覧えつらん 
  28. ^ 倉本くらもとさとしさん展示てんじ 6テーマで 演劇えんげき工場こうじょうとなり富良野ふらの施設しせつ整備せいび基本きほん構想こうそうあん. どうしん電子でんしばん (北海道新聞ほっかいどうしんぶん). (2019ねん8がつ27にち). https://www.hokkaido-np.co.jp/article/338380 2019ねん8がつ30にち閲覧えつらん 
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  30. ^ 出典しゅってんにより「蔵元くらもと」とも
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  32. ^ 倉本くらもとさとし「タバコの表現ひょうげんけずれとわれたらふでる」 ネットで「時代じだい変化へんかかっていない!」とだいバッシング
  33. ^ 喫煙きつえんシーン検閲けんえつ「たばこえがけないなら作品さくひんかぬ」と倉本くらもとさとし
  34. ^ 創作そうさくみなもとは「いかりのパッション」 脚本きゃくほん倉本くらもとさとしかたれいのメッセージ
  35. ^ ぼく煙草たばこ倉本くらもと さとし脚本きゃくほん演出えんしゅつ”. 愛煙あいえん通信つうしん. 喫煙きつえん文化ぶんか研究けんきゅうかい. 2020ねん10がつ11にち閲覧えつらん
  36. ^ 質問しつもん討論とうろんコーナー「きたくにから元気げんき工夫くふう”. 北海道ほっかいどう心臓しんぞう協会きょうかい (2012ねんがつ). 2022ねん5がつ17にち閲覧えつらん
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  47. ^ 別冊べっさつ宝島たからじま『シナリオ入門にゅうもん』(宝島社たからじましゃ、2004ねん
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  51. ^ 倉本くらもとさとし、ギャラクシーしょう授賞じゅしょうしき車椅子くるまいす登壇とうだん来週らいしゅう手術しゅじゅつ”. ORICON NEWS. oricon ME (2018ねん5がつ31にち). 2023ねん5がつ15にち閲覧えつらん
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  53. ^ テレビ朝日てれびあさひ、シニア世代せだいけにおびドラマわく新設しんせつ だい1だん倉本くらもとさとしオリジナル作品さくひん. ORICON STYLE. (2016ねん6がつ30にち). https://www.oricon.co.jp/news/2074293/full/ 2016ねん6がつ30にち閲覧えつらん 
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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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