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小国おぐに英雄ひでお

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おぐに ひでお
小国おぐに 英雄ひでお
小国 英雄
1948ねん
生年月日せいねんがっぴ (1904-07-09) 1904ねん7がつ9にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (1996-02-05) 1996ねん2がつ5にち(91さいぼつ
出生しゅっしょう 日本の旗 日本にっぽん 青森あおもりけん八戸はちのへ
職業しょくぎょう 脚本きゃくほん映画えいが監督かんとく
ジャンル 映画えいが
活動かつどう期間きかん 1929ねん - 1985ねん
おも作品さくひん
ささえよる』 / 『きる』 / 『七人しちにんさむらい
四谷よつや怪談かいだん』 / 『蜘蛛くもじょう』 / 『どんぞこ
かくとりでさん悪人あくにん』 / 『わるやつほどよくねむ』 / 『赤穂あこう浪士ろうし
椿つばき三十郎さんじゅうろう』 / 『天国てんごく地獄じごく』 / 『あかひげ
トラ・トラ・トラ!』 / 『どですかでん』 / 『らん
 
受賞じゅしょう
毎日まいにち映画えいがコンクール
脚本きゃくほんしょう
1952ねんきる
1963ねん天国てんごく地獄じごく
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小国おぐに 英雄ひでお(おぐに ひでお、1904ねん明治めいじ37ねん7がつ9にち - 1996ねん平成へいせい8ねん2がつ5にち)は、日本にっぽん脚本きゃくほん映画えいが監督かんとく青森あおもりけん八戸はちのへ出身しゅっしん

来歴らいれき

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青森あおもりけん八戸はちのへ柏崎かしわざき新町しんまちはは実家じっかだまない誕生たんじょう旧制きゅうせい八戸はちのへ中学校ちゅうがっこうげん青森あおもり県立けんりつ八戸はちのへ高等こうとう学校がっこう時代じだい同郷どうきょうとも松下まつしたただし寿ことぶきあに正臣まさおみ影響えいきょう武者小路むしゃのこうじ実篤さねあつ作品さくひん傾倒けいとうし、小説しょうせつ実篤さねあつおくるなど文学ぶんがく目覚めざめた。実篤さねあつすすめで日本にっぽんバプテスト神学校しんがっこうげん関東学院大学かんとうがくいんだいがく)に進学しんがく卒業そつぎょう[1]白樺しらかんば影響えいきょうけ、実篤さねあつ主宰しゅさいあたらしきむら参加さんかする。関東大震災かんとうだいしんさい遭遇そうぐう帰郷ききょうするも、「大震災だいしんさい救援きゅうえん」のための演劇えんげき活動かつどう精力せいりょくそそいだ。

1929ねん昭和しょうわ4ねん)に実篤さねあつ紹介しょうかい日活にっかつ太秦うずまさ撮影さつえいしょ助監督じょかんとくとして入社にゅうしゃ。そのあし本部ほんぶ転属てんぞくする。おも阿部あべゆたかのもとで脚本きゃくほんく。1933ねん昭和しょうわ8ねん)に『モダンマダム行状ぎょうじょう記録きろく』でデビューする。

こののち日活にっかつ多摩川たまがわ撮影さつえいしょて、東宝とうほう入社にゅうしゃ。それ以後いご注文ちゅうもんおおはいるようになり、とく喜劇きげきのシナリオをおおいた。 このころ代表だいひょうさくに『エノケンの法界ほうかいぼう』、『エノケンの頑張がんば戦術せんじゅつ』などがある。一時期いちじき本城ほんじょう 英太郎えいたろう原作げんさく脚本きゃくほん手掛てがけたこともあった。

1939ねん昭和しょうわ14ねん)、音楽おんがく映画えいがロッパ』、『かねろう親爺おやじさん重奏じゅうそう』の作品さくひん監督かんとく

以後いご娯楽ごらく作品さくひん脚本きゃくほん専念せんねんドルばこ脚本きゃくほんとして活躍かつやくする。戦中せんちゅうにはマキノ正博まさひろ監督かんとく映画えいが脚本きゃくほん担当たんとうしたほか、戦後せんご黒澤くろさわあきら脚本きゃくほんチームのまとめやくになるなど脚本きゃくほんかいでも重要じゅうよう位置いちめ、のちフリーランスとなる。

1952ねん昭和しょうわ27ねん)、黒澤くろさわあきらから新作しんさくきる』の脚本きゃくほん依頼いらいける。この作品さくひんは、死期しきせまるガン患者かんじゃふか人間にんげんあいつめた傑作けっさくとして評価ひょうかされ、そのとし映画えいがしょうをすべて独占どくせんするとともに、脚本きゃくほん小国しょうこく有名ゆうめいにした。『きる』をきっかけとし、それ以後いご黒澤くろさわ映画えいが全盛期ぜんせいき次々つぎつぎ制作せいさくされた傑作けっさくのほとんどすべてに脚本きゃくほんとして参加さんかし、日本にっぽん映画えいが燦然さんぜんかがや作品さくひんささえた。

1966ねん昭和しょうわ41ねん)、TV番組ばんぐみ制作せいさく会社かいしゃC.A.L役員やくいん就任しゅうにん

おも作品さくひんに『あなたとべば』、『ささえよる』、『次郎じろうちょう三国志さんごくし』、『七人しちにんさむらい』、『ぜにがた平次へいじ捕物とりものひかえ』、『四谷よつや怪談かいだん』、『赤穂あこう浪士ろうし』、『あかひげ』、『トラ・トラ・トラ!』、『らん』などがあり、生涯しょうがい手掛てがけた映画えいがは300ほんかぞえる。

京都きょうと小国しょうこくシナリオじゅくひらいて、後進こうしんのシナリオライター育成いくせいにもつとめた[2]墓所はかしょ多磨たま霊園れいえん

人物じんぶつ・エピソード

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時代じだいげき映画えいが脚本きゃくほん多数たすう手掛てがけるが、「チャンバラっていうのは結局けっきょくおどりだとおもう」、「時代じだいげき虚構きょこう事実じじつ」とかたっている[3]

黒澤くろさわあきら作品さくひんでは、脚本きゃくほん競作きょうさくにおいて、裁判官さいばんかん(ジャッジ)の役目やくめになっていた。黒澤くろさわもその眼力がんりきたかさをっていた。『きる』において、主人公しゅじんこう途中とちゅうくなり、その葬儀そうぎがクライマックスになる展開てんかいかんがえついたのは小国しょうこく功績こうせきである。

日本一にっぽんいち脚本きゃくほんりょうたか脚本きゃくほん」としてられていた。100まんえん一軒家いっけんやえた時代じだいに、小国しょうこく脚本きゃくほん一本いっぽんにつき50まんえんしたという。

受賞じゅしょう[4]

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脚本きゃくほん作品さくひん

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映画えいが

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テレビドラマ

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監督かんとく作品さくひん

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  • 『ロッパく』(1939ねん)
  • かねろう親爺おやじさん重奏じゅうそう』(1939ねん)

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 週刊しゅうかんサンケイ臨時りんじ増刊ぞうかん だい殺陣さつじん チャンバラ映画えいが特集とくしゅう』(サンケイ出版しゅっぱん
  2. ^ 日外にちがいアソシエーツ現代げんだい人物じんぶつ情報じょうほう
  3. ^ 週刊しゅうかんサンケイ臨時りんじ増刊ぞうかん だい殺陣さつじん チャンバラ映画えいが特集とくしゅう』(サンケイ出版しゅっぱん
  4. ^ 日外にちがいアソシエーツ現代げんだい人物じんぶつ情報じょうほう

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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