青森 県立 八戸 高等 学校
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須ク | |
1893 | |
9月29 | |
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D102210000077 | |
02110F | |
〒031-0021 | |
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概要
[歴史 - 1889
年 、青森 にあった青森 県 尋常 中学校 が弘前 の士族 の誘致 活動 の末 に移転 したのを機 に、県南 三 戸 地区 の代議士 有志 が誘致 活動 を展開 し、1893年 に「青森 県 尋常 中学校 八戸 分校 」として創立 。以後 、数 回 の改称 を経 て現在 に至 る。2023年 に創立 130周年 を迎 えた。 課程 ・学科 全 日 制 課程 ・普通 科 校風 文武両道 ・質実 剛健 ・自主 自立 綱領 (校訓 )
- 須ク
自重 スベシ(すべからくじちょうすべし) 唯 本分 ニ向 ツテ猛進 セヨ(ただほんぶんにむかってもうしんせよ)師 ヲ敬 シ友 ヲ愛 セヨ(しをけいしともをあいせよ)
校章 - 「
高 」の文字 。 新制 高等 学校 歌 作詞 は北村 小松 、作曲 は堀内 敬三 による。歌詞 は4番 まであり、最後 に校 名 の「八 高 」が登場 する。旧制 中学校 歌 とは歌詞 や曲調 が異 なるものの歌詞 における相互 交換 が可能 である。進路 卒業生 は、ほとんどが四 年 制 大学 をはじめとする上級 学校 へ進学 する。2007年 、春 の大学 入試 においては東北大 現役 合格 者 64人 の実績 を上 げ、現役 合格 力 ランキング全国 第 11位 となった[2]。他校 との連携 下記 に属 し、大学 入試 のデータやノウハウを共有 し合 っている。
- 「
北 東北 五 校 進学 連絡 協議 会 」-青森 県 3校 (弘前 ・八戸 ・青森 )・岩手 県 1校 (盛岡 第 一 )・秋田 県 1校 (秋田 ) - 「
東北 六 校 会 」-青森 県 (八戸 )・岩手 県 (盛岡 第 一 )・秋田 県 (秋田 )・山形 県 (山形 東 )・宮城 県 (仙台 第 二 )・福島 県 (福島 )
沿革
[- 1893
年 (明治 26年 ) - 1894
年 (明治 27年 )2月 29日 -分校 の修業 年限 を3年 と規定 。 - 1895
年 (明治 28年 )4月 1日 -青森 県 尋常 中学校 から分離 し、「青森 県 第 二 尋常 中学校 」として独立 。青森 県 尋常 中学校 は青森 県 第 一 尋常 中学校 に改称 。- この
時 の入学 生 から修業 年限 を5年 (現在 の中 1 -高 2)とする。
- この
- 1896
年 (明治 29年 )- 6月5
日 -火災 により、生徒 控 所 と雨天 体操 場 の一部 以外 の全 てを焼失 。 - 12月 -
校舎 の一部 を復旧 。
- 6月5
- 1899
年 (明治 32年 ) - 1901
年 (明治 34年 )6月1日 - 「青森 県立 第 二 中学校 」に改称 。 - 1906
年 (明治 39年 )9月9日 -校舎 が2度目 の火災 により、理科 室 1棟 を除 く全 てを焼失 。 - 1907
年 (明治 40年 )3月1日 -八戸 市 大字 糠塚 に新 校舎 を建設 開始 。 - 1908
年 (明治 41年 )3月 -新 校舎 を落成 。 - 1909
年 (明治 42年 )4月 1日 - 「青森 県立 八戸 中学校 」に改称 。 - 1923
年 (大正 12年 )7月 30日 -柔道 場 を落成 。 - 1926
年 (大正 15年 )8月 -第 12回 全国 中等 学校 優勝 野球 大会 (夏 の甲子園 大会 の前身 )に初 出場 。 - 1940
年 (昭和 15年 )12月20日 -寄宿舎 の北 半分 を教室 に改造 。 - 1942
年 (昭和 17年 )2月 28日 -講堂 を拡張 。 - 1943
年 (昭和 18年 ) - 1944
年 (昭和 19年 )-勤労 動員 が開始 。 - 1945
年 (昭和 20年 )- 3月 -
教育 ニ関 スル戦時 非常 措置 方策 により、修業 年限 4年 施行 の前倒 しが行 われ、4年生 と5年生 の合同 卒業 式 を挙行 [注 1]。 - 4
月 -学校 での授業 が停止 される。ただし勤労 動員 は継続 される。 - 9月 -
授業 を再開 。
- 3月 -
- 1946
年 (昭和 21年 )4月 -修業 年限 を5年 に変更 (ただし4年 修了 時点 で卒業 することもできた)。 - 1947
年 (昭和 22年 )4月 1日 -学制 改革 (六 ・三 制 の実施 )が行 われる。 - 1948
年 (昭和 23年 )4月 1日 -学制 改革 (六 ・三 ・三 制 の実施 )により、旧制 中学校 は廃止 され、新制 高等 学校 「青森 県立 八戸 高等 学校 」(男子校 )が発足 。通常 制 普通 課程 を設置 。修業 年限 を3年 とする。旧制 中学校 卒業 者 (5年 修了 者 )を新制 高校 3年生 、旧制 中学校 4年 修了 者 を新制 高校 2年生 、併設 中学校 卒業 者 (3年 修了 者 )を新制 高校 1年生 として収容 。併設 中学校 を継承 し(名称 :青森 県立 八戸 高等 学校 併設 中学校 )、在校生 が1946年 (昭和 21年 )に旧制 中学校 へ最後 に入学 した3年生 のみとなる。
- 1949
年 (昭和 24年 )3月 31日 -併設 中学校 を廃止 。 - 1950
年 (昭和 25年 )4月 1日 -男女 共学 化 。 - 1953
年 (昭和 28年 )- 6
月 20日 -女子 体育館 を落成 。 校旗 を制定 。
- 6
- 1954
年 (昭和 29年 ) - 1956
年 (昭和 31年 )- 3月 -
硬式 野球 部 が第 28回 選抜 高等 学校 野球 大会 (春 のセンバツ甲子園 )に初 出場 し、ベスト4に進出 。 - 9月8
日 -普通 教室 を落成 。
- 3月 -
- 1958
年 (昭和 33年 ) - 1959
年 (昭和 34年 )8月 31日 -本館 管理 棟 を落成 。 - 1960
年 (昭和 35年 ) - 1961
年 (昭和 36年 )3月 31日 -野球 場 を設置 。 - 1962
年 (昭和 37年 )6月29日 -男子 体育館 を落成 。 - 1964
年 (昭和 39年 )4月 15日 - プールを落成 。 - 1965
年 (昭和 40年 )6月 1日 -財団 法人 青森 県立 八戸 高等 学校 後援 会 が発足 。 - 1966
年 (昭和 41年 )7月 26日 -弓道 場 を増築 。 - 1968
年 (昭和 43年 ) - 1970
年 (昭和 45年 )11月10日 -正門 を設置 。 - 1974
年 (昭和 49年 )1月 14日 -八 高 会館 (同窓 会館 )を落成 。 - 1975
年 (昭和 50年 ) - 1976
年 (昭和 51年 ) -後援 会 が「八 高 の森 」を購入 。 - 1977
年 (昭和 52年 )10月 -第 32回 国民 体育 大会 にて弓道 ・軟式 野球 ・バスケットボールの会場 となる。 - 1983
年 (昭和 58年 )-創立 90周年 を記念 し、校旗 を新調 。 - 1986
年 (昭和 61年 ) - 1990
年 (平成 2年 )8月 21日 - 1学年 校舎 、芸術 ・家庭 科 校舎 を解体 し、新 校舎 を建設 開始 。 - 1991
年 (平成 3年 )6月12日 -一般 教室 棟 を落成 。 - 1992
年 (平成 4年 ) - 1993
年 (平成 5年 ) - 1994
年 (平成 6年 )1月 20日 -部室 (蒼穹 館 )が寄附 される。 - 1995
年 (平成 7年 )3月 31日 - ラグビー場 を整備 。 - 1996
年 (平成 8年 )- 1
月 22日 - サッカー場 を整備 。 - 4
月 1日 -男女 枠 を撤廃 し、男女 くくり募集 を開始 。
- 1
- 1997
年 (平成 9年 ) - 1998
年 (平成 10年 )12月11日 -八 高 の森 「山小屋 」を落成 。 - 2000
年 (平成 12年 )7月 7日 -山小屋 を「思惟 山荘 」と命名 。 - 2007
年 (平成 19年 ) - 2010
年 (平成 22年 ) -第 二 体育館 を改築 。完成 後 に北 東北 3県 合同 開催 のみちのくインターハイにてバレーボールの公式 会場 として使用 。 - 2013
年 (平成 25年 )4月 1日 - 6クラス編成 に変更 。
学校 行事
[- 4
月 -入学 式 、新入生 歓迎 式 - 5月 -
高 総体 壮行 式 - 6
月 - マラソン大会 (全校 生徒 対象 。男子 6000m/女子 4800m) - 7
月 -八 高 祭 (文化 祭 、球技 大会 、運動会 、ファイヤーストームの順 に開催 ) - 9月 - 1
年 野外 巡検 、3年 遠足 、創立 記念 日 - 11月 - 2
年 修学旅行 - 1
月 - 1年 スケート教室 - 2
月 - 2年 スキー教室 - 3月 -
卒業 式
部 活動
[運動 部
[全国 高等 学校 野球 選手権 大会 (夏 の甲子園 大会 )-(旧制 中学校 時代 )第 12回 ・第 14回 ・第 16回 ・(新制 高校 )第 47回 ・第 67回 ・第 76回 選抜 高等 学校 野球 大会 (春 のセンバツ甲子園 )-第 28回
軟式 野球 部 - ラグビー
部 - サッカー
部 - バスケットボール
部 - バレーボール
部 - バドミントン
部 - 1973年 、男子 ダブルスでインターハイ出場 。 卓球 部 水泳 部 -実績 のある部 であるものの、学校 のプールが老朽 化 の影響 で使用 不能 になっており、合同 練習 の際 には市営 の温水 プールを利用 。剣道 部 柔道 部 - ソフトテニス
部 硬式 テニス部 ‐男子 団体 で全国 選抜 出場 、女子 団体 でインターハイ出場 の実績 。個人 戦 で東北 大会 、全国 大会 への出場 多数 。- スケート
部 弓道 部 山岳 部 - アイスホッケー
部 - インターハイ常連 チームである。 - ソフトボール
部 空手 部 - ダンス
部
文化 部
[自然 科学 部 生活 科学 部 文芸 部 - 2019年 、全国 高校生 短歌 大会 にて優勝 。囲碁 ・将棋 部 吹奏楽 部 - 2009年 、A編成 で20年 ぶりとなる全日本 吹奏楽 コンクール東北 大会 への出場 を果 たし、銀賞 を受賞 。2011年 、2014年 、2018年 にも出場 。美術 部 演劇 部 茶道 部 華道 部 書道 部 放送 部 - ギター(バンド)
部 - JRC・インターアクト
部
廃止 した部 活動
[運動 部
文化 部
写真 部
特記 事項
[北上 夜曲
八 高 の森
1976
八 高 会館 の建 て替 え
2007
なお、
アクセス
[鉄道
[バス
[周辺
[著名 な出身 者
[大島 理森 (元 衆議院 議員 [7]、元 衆議院 議長 )神田 潤一 (元 日銀 職員 、衆議院 議員 )滝沢 求 (参議院 議員 [7])田名部 匡 省 (元 参議院 議員 [7]、冬季 オリンピックアイスホッケー代表 兼 監督 )工藤 堅太郎 (元 参議院 議員 [7])北山 陽一 (ゴスペラーズ)坂本 サトル(シンガーソングライター)櫻田 淳 (政治 学者 )中村 隆司 (日清製粉 社長 、オリエンタル酵母工業 社長 [7])田中 愛 智朗 (内閣 府 政府 広報 室長 、元 内閣 府 大臣 官房 政策 立案 総括 審議 官 )小 井川 潤 次郎 (民俗 学 者 、郷土 史 家 、日本 民俗 学会 名誉 会員 )三浦 哲郎 (芥川賞 作家 [7])星加 ルミ子 (音楽 評論 家 )梅内 美華子 (歌人 )松尾 和彦 (三戸 町 長 )山内 亮 (元 八戸 市 長 [7])秋山 皐 二郎 (元 八戸 市長 [7])中村 寿文 (元 八戸 市長 )小林 眞 (前 八戸 市長 )三村 申 吾 (前 青森 県知事 )北村 正 任 (元 毎日新聞社 社長 、北村 正哉 元 青森 県知事 の長男 [7])北村 小松 (作家 、当 校歌 の作詞 家 [7])松下 正 寿 (元 立教大学 総長 、数学 者 岡 潔 を招聘 した元 市民 大学 講座 学長 [7])加藤 博章 (京都大学 教授 )北山 兼 弘 (京都大 学 名誉 教授 )福田 弥 夫 (日本 大学 教授 )山脇 直司 (東京大学 名誉 教授 )柏崎 順子 (一橋大学 教授 )武尾 実 (東京 大学 名誉 教授 )内田 俊宏 (三菱 UFJリサーチ&コンサルティングエコノミスト)中島 淳一 (元 プロ野球 選手 [7])蔦 林 淳 望 (映画 監督 [7])福村 裕史 (東北大学 名誉 教授 、仙台 高等 専門 学校 校長 )木村 洋二 (関西大学 教授 )神 洋明 (弁護士 、日本 弁護士 連合 会 副 会長 、第 一 東京 弁護士 会 会長 、法務省 法制 審議 会 刑事 法 部会 幹事 )梅内 恒夫 (赤軍 派 [7])工藤 淳之介 (新潟放送 ・元 岩手 めんこいテレビアナウンサー)長谷部 剛 (日本経済新聞社 社長 )畑山 篤 (日本 テレビ報道 部 職員 )蛇口 浩 敬 (元 八戸 学院 大学 学長 )上野 由加里 (フリー・元 青森放送 アナウンサー)種市 桃子 (声優 )小泉 公 二 (元 NHK出版 社長 、元 NHK理事 待遇 、元 エグゼクティヴ・プロデューサー)大谷 能生 (音楽 評論 家 )能瀬 さやか -産婦人科 医 、国立 スポーツ科学 センター所属 鈴木 麻里 (タレント、女優 [8])三浦 隆一 (空想 委員 会 )本村 直樹 (ラグビー選手 )呉 勝浩 (作家 )九 月 (お笑 い芸人 )住 澤 整 [9](財務 官僚 、第 54代 国税庁 長官 [10])三 代目 桂 小 文治 (落語 家 )吉田 芳明 (アドバンテスト社長 )
脚注
[注釈
[- ^
中等 教育 令 の施行 される前 、1941年 (昭和 16年 )と1942年 (昭和 17年 )の入学 した生徒 にも修業 年限 4年 が適用 されることとなった。
出典
[- ^
久慈 、二 戸 、八幡平 (旧 安代 町 のみ)各市 および九戸 郡 各 町村 、下閉伊 郡 普代 村 、岩泉 町 安家 地区 - ^
読売 ウイークリー2007年 5月 13日 号 - ^ 「
北上 夜曲 」後世 へ/八戸 で作曲 70周年 祝 う - デーリー東北 、2012年 2月 20日 、2015年 10月 28日 閲覧 (47NEWS) - ^
財団 法人 八 高 後援 会 - ^
同窓会 機関 紙 「大 杉平 」 - ^
島守 光雄 『八戸 高校 物語 ―母校 賛歌 』北方 新 社 、1996年 3月 。ISBN 978-4-89-297005-4。 - ^ a b c d e f g h i j k l m n
島守 光雄 1996,卒業生 . - ^
鈴木 麻里 (2019年 1月 14日 ). “「おふくろの夜回 り」とポルベニールブックストア”. be amie. 2020年 3月 25日 閲覧 。 - ^
八戸 市 総合 政策 部 広報 統計 課 『広報 はちのへ(平成 23年 8月 号 )No.1236』(PDF)(プレスリリース)八戸 市役所 、2011年 6月 5日 、36頁 。オリジナルの2020年 1月 14日 時点 におけるアーカイブ 。2023年 8月 18日 閲覧 。 - ^ “
住 澤 整 国税庁 長官 がインボイス制度 の調査 方針 示 す(2023年 8月 14日 号 ・№991)”.新 日本 法規 WEBサイト.新日本法規出版 (2023年 8月 14日 ). 2023年 8月 20日 閲覧 。
参考 文献
[島守 光雄 『八戸 高校 物語 ―母校 賛歌 』(第 1刷 )北方 新 社 、1996年 3月 。