青森 県立 弘前高等学校
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1884 | |
10月 | 6|
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D102210000040 | |
02107F | |
〒036-8558 | |
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「ひろこう」は
概要
[歴史 - 1884
年 創立 の「青森 県 中学校 」(旧制 中学校 )を前身 とする。当初 は青森 新町 (現 ・青森 市 )に開校 。1889年 弘前 市 元寺 町 に移転 、1893年 弘前 市 新寺 町 の現在地 に移転 。5回 の改称 を経 て1948年 の学制 改革 により新制 高等 学校 「青森 県立 弘前高等学校 」に昇格 し現在 に至 る。2023年 に創立 140周年 を迎 える。 設置 課程 ・学科 ・定員 全 日 制 課程 普通 科 1学年 定員 240名 (6学級 )- かつては
通信 制 課程 も有 していたが2002年 3月31日 に廃止 された。
- かつては
校訓 存在 しない[1]が、実質 的 な校訓 のような言葉 として「誰 人 天下 賢 」が管理 棟 や第 一 体育館 などに飾 られてある。
教育 目標
人間像 -持 って生 まれたものを深 くさぐって強 く引 き出 す人 努力 目標 - 「自学自習 」・「規律 ある自由 」・「体力 の増進 」重点 目標 - 「授業 の充実 」・「高 い理想 と努力 の継続 」・「学習 と部 活動 等 の両立 」・「逞 しい心身 の育成 」
校章 官立 弘 高 の大鵬 の意匠 を継承 し、1948年 の新制 高校 発足 時 に制定 。1953年 に現在 のデザインに改定 された。八 稜 鏡 [2]と大鵬 の絵 を組 み合 わせたものを背景 にして、校 名 の「弘 高 」の文字 (縦 書 き)を置 いている。校歌 作詞 は相馬 俊介 、作曲 は木村 繁 による。歌詞 は2番 まであり、両 番 に校 名 の「弘 高 」が登場 する。同窓会 - 「
鏡 ヶ丘 同窓会 」(鏡 ヶ丘 の読 みは「かがみがおか」)と称 している。
沿革
[旧制 中学校 ・新制 高等 学校 (男子校 )時代
- 1884
年 - 8
月 20日 -東津軽 郡 青森 新町 (現 ・青森 市 )に「青森 県 中学校 」(旧制 中学校 )が創立 。 - 10月
日 -開校 式 を挙行 。初代 校長 に一町田 大江 が就任 。 6
- 8
- 1886
年 9月 -中学校 令 の施行 により、「青森 県 尋常 中学校 」と改称 。入学 資格 を中学 予備 科 を中学校 予備 の小学校 等 を卒業 した12歳 以上 の男子 、修業 年限 を5年 (現在 の中 1~高 2)とする。
- 1889
年 5月 1日 -弘前 市 元寺 町 に移転 [注釈 2]。 - 1892
年 6月 20日 -火災 により校舎 が全焼 。津軽 産業 倶楽部 を借用 し仮 校舎 として移転 。 - 1893
年 - 9月28
日 -八戸 分校 を設置 。 - 12月12
日 -弘前 市 新寺 町 に新 校舎 が完成 し移転 を完了 。
- 9月28
- 1895
年 - 3月16
日 -尋常 中学校 の新設 (八戸 分校 が第 二 尋常 中学校 として独立 )により、「青森 県 第 一 尋常 中学校 」と改称 。 - 4
月 1日 -八戸 分校 が分離 し、青森 県 第 二 尋常 中学校 として独立 。
- 3月16
- 1899
年 4月 1日 -中学校 令 の改正 により、「青森 県 第 一 中学校 」と改称 (「尋常 」を除 く)。 - 1902
年 6月 1日 - 「青森 県立 第 一 中学校 」と改称 (県 の後 に「立 」が加 えられる)。 - 1908
年 9月23日 -皇太子 が来校 。 - 1903
年 4月 1日 - 「青森 県立 弘前 中学校 」と改称 。青森 県立 第 四 中学校 を統合 し、木造 分校 とする。 - 1905
年 3月31日 -木造 分校 を廃止 。 - 1906
年 4月 -定員 を700名 に増員 。 - 1910
年 4月 -定員 を800名 に増員 。 - 1915
年 4月 -定員 を1,000名 に増員 。 - 1933
年 10月 6日 -創立 50周年 を記念 し、財団 法人 弘前 中学校 奨学 会 (現 ・弘前高等学校 奨学 会 )を創立 。 - 1940
年 4月 -定員 を1,250名 に増員 。 - 1943
年 4月 1日 -中等 学校 令 の施行 により、この時 の入学 生 から修業 年限 が4年 となる。 - 1949
年 -勤労 動員 が開始 。 - 1945
年 - 3月 -
教育 ニ関 スル戦時 非常 措置 方策 により、修業 年限 4年 施行 の前倒 しが行 われ、5年生 と4年生 の合同 卒業 式 を挙行 。本来 であれば、中等 学校 令 の施行 された1943年 入学 生 が4年 を修了 する1947年 3月 に修業 年限 4年 が施行 されることとなっていた。しかし戦況 の悪化 などにより、中等 教育 令 施行 以前 の1941年 入学 生 にも修業 年限 4年 (修業 年限 の1年 短縮 )が前倒 して行 われることとなった。そのため1940年 入学 の5年生 と1941年 入学 の4年生 の合同 卒業 式 が挙行 された。
- 3
月 2日 -定員 を1,400名 に増員 。 - 4
月 1日 -学校 での授業 が停止 される。ただし勤労 動員 は継続 された。 - 8
月 -終戦 。 - 9月 -
授業 を再開 。
- 3月 -
- 1946
年 4月 -修業 年限 が5年 に戻 る(ただし4年 修了 時点 で卒業 することもできた)。 - 1947
年 4月 1日 -学制 改革 (六 ・三 制 の実施 )が行 われる。旧制 中学校 の募集 を停止 。新制 中学校 を併設 し(以下 ・併設 中学校 )、旧制 中学校 1・2年 修了 者 を新制 中学校 2・3年生 として収容 。併設 中学校 は経過 措置 のためあくまで暫定 的 に設置 されたため、新 たに生徒 募集 は行 われず、在校生 が2・3年生 のみであった。旧制 中学校 3・4年 修了 者 はそのまま在籍 し、4・5年生 となった(4年 修了 時点 で卒業 することもできた)。
- 1948
年 - 4
月 1日 -学制 改革 (六 ・三 ・三 制 の実施 )により、旧制 中学校 が廃止 され、新制 高等 学校 「青森 県立 弘前高等学校 」(男子校 )が発足 。通常 制 普通 課程 の生徒 定員 を1,200名 とする。また通信 教育 部 を併置 し、定員 を200名 とする。旧制 中学校 卒業 者 (5年 修了 者 )を新制 高校 3年生 、旧制 中学校 4年 修了 者 を新制 高校 2年生 、併設 中学校 卒業 者 (3年 修了 者 )を新制 高校 1年生 として収容 。併設 中学校 を継承 し(名称 :青森 県立 弘前高等学校 併設 中学校 )、在校生 が1946年 に旧制 中学校 へ最後 に入学 した3年生 を残 すのみとなる。77大鵬 の校章 を制定 。
- 10月
日 -鏡 ヶ丘 同窓会 を創立 。 6
- 4
新制 高等 学校 (男女 共学 )
- 1949
年 3月31日 -併設 中学校 を廃止 。 - 1950
年 4月 1日 -女子 生徒 (16名 )が初 めて入学 し、男女 共学 を開始 。 - 1952
年 - 「自治 会誌 」を創刊 。 - 1953
年 -第 1回 ねぷた運行 が行 われる。校章 の鵬 が現在 のものにリニューアル。 - 1958
年 - 8
月 31日 -本館 の移転 改築 工事 により、鉄筋 コンクリート造 2階 建 ての鏡 ヶ丘 記念 館 が完成 。 - 12月
日 -管理 棟 が完成 。 6
- 8
- 1959
年 4月 30日 -秩父宮 妃 と三笠 宮 妃 が来校 。 - 1961
年 10月 31日 -通信 教育 部 を通信 制 課程 と改称 。 - 1966
年 - 6月29
日 -第 二 体育館 が完成 。 - 11月27
日 -「あゆみ」同窓会 が創立 。
- 6月29
- 1971
年 3月 -硬式 野球 部 が第 43回 選抜 高等 学校 野球 大会 (春 のセンバツ甲子園 )に初 出場 。 - 1972
年 12月26日 -弘 高 野球 部 甲子園 出場 後援 会 からの寄付 により、運動 クラブ室 が完成 。 - 1973
年 7月 5日 -鉄筋 コンクリート造 4階 建 ての弘 高 会館 (同窓 会館 )が完成 。 - 1975
年 - 1
月 27日 -野球 場 が完成 。 - 6月30
日 -野球 会館 が完成 。
- 1
- 1978
年 9月30日 -野球 部 後援 会 鷹揚 会 からの寄付 により、硬式 野球 部室 内 練習 場 が完成 。 - 1979
年 12月30日 -財団 法人 弘前高等学校 奨学 会 からの寄付 により、体育 準備 室 と部室 が完成 。 - 1980
年 8月 10日 -運動 場 を整備 。 - 1983
年 - 1986
年 12月 8日 -駐輪場 が完成 。 - 1988
年 1月 11日 -校門 を新設 。 - 1989
年 -第 9回 全国 高等 学校 クイズ選手権 で準 優勝 。 - 1991
年 9月28日 -台風 19号 により管理 棟 の屋根 、記念 館 の屋根 が損壊 するなどの被害 を受 ける。 - 1992
年 - 4
月 1日 -通信 制 課程 が青森 県立 北斗 高等 学校 との定 通 併修(学校 併修)を開始 。 - 5月28
日 -前年 の台風 で損壊 した鏡 ヶ丘 記念 館 を復旧 。
- 4
- 1993
年 7月 19日 -鏡 ヶ丘 記念 館 (旧 青森 県 尋常 中学校 本館 1棟 ・棟 札 1枚 )が青森 県 指定 文化財 (県 重宝 )に指定 。 - 1995
年 - 3月25
日 -第 一 体育館 を改築 。
- 3月25
- 1996
年 4月 1日 -男女 併 せ募集 を実施 。 - 1997
年 -第 17回 全国 高等 学校 クイズ選手権 で優勝 。(番組 初 の海外 での決勝 開催 で優勝 ) - 1999
年 2月 10日 -特別 教室 棟 を改修 。 - 2000
年 3月23日 -管理 棟 を改築 。 - 2001
年 - 2002
年 3月31日 -通信 制 課程 を廃止 。 - 2003
年 - 1
月 24日 -創立 120周年 を記念 して生徒 会館 「北斗 館 」が完成 。 - 11月18
日 -御幸 町 の職員 公舎 B棟 (3戸 )を文学 的 遺産 (太宰 治 の下宿 )移転 のため解体 。
- 1
- 2004
年 2月 24日 -第 二 体育館 を改築 。 - 2006
年 -県立 高校 改革 により推薦 入試 を廃止 し、2月 に前期 選抜 、3月に後期 選抜 を実施 。 - 2008
年 10月 6日 -普通 教室 棟 (東側 )の大 規模 改修 を実施 。 - 2012
年 12月 20日 -特別 教室 棟 (東側 )の大 規模 改修 を実施 。 - 2020
年 5月25日 -新型 コロナウイルス感染 予防 と拡大 防止 の観点 から、「弘 高 祭 」の中止 を発表 。
学校 行事
[弘 高 祭 (文化 祭 )弘前 ねぷたまつりの前 に行 われている。弘 高 祭 の初日 に行 われるメインイベントの「弘 高 ねぷた」は、創立 70周年 を記念 して初 めて運行 され、以来 毎年 弘 高 祭 で運行 されている。当初 は大型 ねぷた1台 のみであったが、現在 は各 クラス1台 のねぷたと前 灯篭 を製作 し、クラスごとに囃子 をつけて運行 されている。通常 のねぷたであれば、製作 に数ヶ月 もの時間 をかけ、骨組 みも既成 のものを使用 するのが普通 であるが、弘前 高校 のねぷたは制作 期間 は約 10日 から11日 と短 く、その期間 で本体 の土台 や人形 の骨組 み、紙 貼 り、蝋 付 け、色 塗 りを行 う。これは学業 とのけじめを厳 しくつけさせるためである。また、弘 高 ねぷたは人形 ねぷたであり、弘前 ねぷたまつりで主流 となっている扇 ねぷたではない。人形 ねぷたは「ねぷた」ではなく「ねぶた」ではないかという議論 もあるが、「ねぷた」と「ねぶた」の違 いはその形状 で区別 するものではない。また囃子 、掛 け声 も「弘前 ねぷた」と同様 である。以前 は、朝 5時 から製作 作業 を行 う早朝 作業 が行 われていたが、騒音 等 周辺 住民 への迷惑 となるため、中止 となった。現在 では総合 的 な学習 の時間 の題材 としてねぷた製作 が行 われている。2020年 は新型 コロナウイルス感染 予防 と拡大 防止 の観点 から中止 となった。
生徒 自治 会 活動
[自治 会 ・各 機関 ・局
部 活動
[運動 部
[文化 部
[同好 会
[著名 な出身 者
[「青森 県立 弘前高等学校 の人物 一覧 」を参照
交通 アクセス
[最寄 りの鉄道 駅
[最寄 りのバス停
[弘 南 バス「弘前 高校 前 」下車 、徒歩 1分
関連 項目
[脚注
[注釈
出典
- ^
青森 県立 高等 学校 将来 構想 検討 会議 (第 2回 )概要 の弘前高等学校 の部分 を参照 - ^
瑞 花 双 鳳 八 稜 鏡 -文化 遺産 オンライン