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きものの記録きろく

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
きものの記録きろく
監督かんとく 黒澤くろさわあきら
脚本きゃくほん 橋本はしもとしのぶ
小國おぐに英雄ひでお
黒澤くろさわあきら
製作せいさく 本木もとぎそう二郎じろう
出演しゅつえんしゃ 三船みふね敏郎としお
志村しむらたかし
音楽おんがく 早坂はやさか文雄ふみお
撮影さつえい 中井なかい朝一あさいち
編集へんしゅう 小畑おばた長蔵ちょうぞう
製作せいさく会社かいしゃ 東宝とうほう
配給はいきゅう 東宝とうほう
公開こうかい 日本の旗 1955ねん11月22にち
上映じょうえい時間じかん 103ふん
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
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きものの記録きろく』(いきもののきろく)は、1955ねん公開こうかいされた日本にっぽん映画えいがである。監督かんとく黒澤くろさわあきらモノクロスタンダード、103ふんべいソのかく軍備ぐんび競争きょうそうビキニ環礁かんしょうでのだい福竜丸ふくりゅうまる被爆ひばく事件じけんなどで加熱かねつした反核はんかく世相せそう触発しょくはつされて、原水爆げんすいばく恐怖きょうふ真正面ましょうめんからげた社会しゃかいドラマで[1]原爆げんばく恐怖きょうふかれる老人ろうじんえんじた三船みふね敏郎としおは、当時とうじ35さいで60さい老人ろうじんえんじた[2]作曲さっきょく早坂はやさか文雄ふみお最後さいご映画えいが音楽おんがくさくでもある。

あらすじ

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三船みふね敏郎としおは60さい老人ろうじんえんじた
太刀川たちかわ洋一よういち三船みふね敏郎としお

歯科しか原田はらだは、家庭かてい裁判所さいばんしょ調停ちょうてい委員いいんをしている。かれはある家族かぞくからされた中島なかじま喜一きいちへのじゅん禁治産者きんちさんしゃもうての裁判さいばん担当たんとうすることになった。鋳物いもの工場こうじょう経営けいえいする喜一きいちは、原水爆げんすいばく恐怖きょうふからのがれるためとしょうしてブラジル移住いじゅう計画けいかくし、そのためにぜん財産ざいさんとうとしていた。家族かぞくは、喜一きいち放射能ほうしゃのうたいする被害ひがい妄想もうそうつようったえ、喜一きいちじゅん禁治産者きんちさんしゃにしなければ生活せいかつ崩壊ほうかいすると主張しゅちょうする。しかし、喜一きいち裁判さいばん無視むししてブラジル移住いじゅう性急せいきゅうすすめ、ブラジル移民いみん老人ろうじんれてて、家族かぞくまえ現地げんちのフィルムをせて唖然あぜんとさせる。

いちの「ぬのはやむをん、だがころされるのはいやだ」という言葉ことばしんうごかされた原田はらだは、かれ理解りかいしめすも、結局けっきょくもうてをみとめるしかなかった。じゅん禁治産者きんちさんしゃとなった喜一きいち財産ざいさん自由じゆう使つかえなくなり、計画けいかく挫折ざせつ家族かぞくをついてブラジルきを懇願こんがんしたのちたおれる。夜半やはん意識いしき回復かいふくした喜一きいち工場こうじょう放火ほうかした。精神せいしん病院びょういん収容しゅうようされた喜一きいち原田はらだ見舞みまいにくと、喜一きいちあかるいかおをしていた。かれ地球ちきゅう脱出だっしゅつしてべつ惑星わくせいたとおもっていたのだった。病室びょうしつまどから太陽たいよう喜一きいちは、原田はらだに「地球ちきゅうえとる」とさけんだ。

キャスト

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スタッフ

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製作せいさく

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ほんさく構想こうそうは、『七人しちにんさむらい』の撮影さつえいちゅう黒澤くろさわあきら友人ゆうじん早坂はやさか文雄ふみおたくおとずれたときに、ビキニ環礁かんしょう水爆すいばく実験じっけんのニュースをいた早坂はやさかが「こう生命せいめいをおびやかされちゃ、本腰ほんごしれて仕事しごと出来できないねえ」としたことがきっかけとなった[3]当初とうしょは『はい』と名付なづけられたこの企画きかくは、小國おぐに英雄ひでお橋本はしもとしのぶとの共同きょうどう脚本きゃくほんで、1955ねん1がつ静岡しずおかけん今井いまいはま旅館りょかん舞子まいこえん」に投宿とうしゅくして執筆しっぴつ作業さぎょう開始かいしし、3がつ初旬しょじゅんに『きものの記録きろく』と改題かいだいした決定けってい稿こう完成かんせいした[4][5]

5がつ中旬ちゅうじゅん撮影さつえい準備じゅんびりかかり、6がつ20日はつかリハーサル開始かいししたが、7がつ6にち黒澤くろさわサナダムシのため入院にゅういんし、2週間しゅうかんリハーサルを中断ちゅうだんした[6]。8月1にち東宝とうほう撮影さつえいしょうちのセットで撮影さつえい開始かいしした[5]。9月8にち出演しゅつえんしゃ根岸ねぎし明美あけみ自動車じどうしゃ事故じこ頭部とうぶ怪我けがをし、やく2週間しゅうかんほど撮影さつえい中断ちゅうだんした[7]。10月11にちには台風たいふう25ごう工場こうじょうのオープンセットがほぼ壊滅かいめつし、つくなおすためにふたた撮影さつえい中断ちゅうだんした[7]。10月21にち撮影さつえい再開さいかいし、10月31にちにラストシーンの太陽たいようのショットの撮影さつえいでクランクアップした[7]

ほんさくでは、『七人しちにんさむらい』で採用さいようした、複数ふくすうのカメラで同時どうじ撮影さつえいする「マルチカム撮影さつえいほう」を本格ほんかくてき導入どうにゅうしており、3だいのカメラを別々べつべつ角度かくどから同時どうじ撮影さつえいすることで、俳優はいゆうがカメラを意識いしきせず自然しぜん演技えんぎしている[8]主人公しゅじんこう放火ほうかちた工場こうじょうのセットは、東宝とうほう撮影さつえい所内しょない新築しんちくされたばかりのだい8スタジオのまえまれ、新築しんちくのスタジオの壁面へきめんあと見立みたてて塗装とそうしたため、会社かいしゃおこられたという[9][10]。また、都電とでん大塚おおつかえきのセットは電車でんしゃ先頭せんとう部分ぶぶんふくめて、本物ほんものそっくりにつくられた[11]

撮影さつえい終了しゅうりょうの11月9にちから12にちまでダビング作業さぎょうおこなった[5]音楽おんがく早坂はやさか文雄ふみお担当たんとうしたが、撮影さつえいちゅうの10がつ15にち結核けっかくくなった。親友しんゆうだった黒澤くろさわはそのショックで演出えんしゅつちからず、黒澤くろさわ自身じしんも「力不足ちからぶそくだった」とべている[3][12]早坂はやさかはタイトルバックなどのスケッチをのこしており、弟子でし佐藤さとうまさるがそれをもと全体ぜんたい音楽おんがくをまとめて完成かんせいさせた[12][13]

評価ひょうか

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ほんさく興行こうぎょうてき失敗しっぱい[4]黒澤くろさわ自身じしんも「自身じしん映画えいがなか唯一ゆいいつ赤字あかじだった」とかたっており、その理由りゆうについて「日本人にっぽんじん現実げんじつ直視ちょくし出来できなかったからではないか」と分析ぶんせきしている[14]だい29かいキネマ旬報きねまじゅんぽうベスト・テンでは4にランクされ[15]だい9かいカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいではコンペティション部門ぶもん出品しゅっぴんされた[16]大島おおしまなぎさ鉄棒てつぼうあたまなぐられたような衝撃しょうげきけたとしており[17]徳川とくがわゆめごえは「この映画えいがったんだから、きみはもういつんでもいいよ」と激賞げきしょうしたという[18]佐藤さとう忠男ただおは「黒澤くろさわ作品さくひんなかでも問題もんだいさく」とべている[19]

鈴木すずき敏夫としお東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいのちほんさくあらためて解釈かいしゃくとして、「以前いぜんにくらべて「印象いんしょうがこうもちがうのか」とおもいましたし、すごくリアリティがあった。黒澤くろさわっていうひと面白おもしろいなと、つくづくおもいましたね」「いまるといたいこともはっきりしているからすごくリアリティがあって。おおくのひとに、いまてほしい作品さくひん」「黒澤くろさわ監督かんとくは、関東大震災かんとうだいしんさいたりにしているそうなんですね。たくさんの瓦礫がれきひと自分じぶん記憶きおくそこのこった、と著書ちょしょいていて、そういう意味いみでも戦争せんそうかく問題もんだいたいして敏感びんかんだったんでしょう。むかしたときは、『きものの記録きろく』はむしろ「喜劇きげき映画えいがかよ」っていう印象いんしょうでしたが、震災しんさいることによって、黒澤くろさわ監督かんとく作品さくひんめたかんがえが、やっとつたわってきたようながしています」とべている[20]

その

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  • 題名だいめいについてクレジットには「丸岡まるおかあきら好意こういによる」とあるが、これはさき丸岡まるおかどうだい小説しょうせつがあり、丸岡まるおかがクレームをけたためである。なお、丸岡まるおか小説しょうせつほんさくとは内容ないようてきにはなん関連かんれんせいもなく、タイトルがおなじというだけである。
  • 当時とうじ衆議院しゅうぎいん議員ぎいんであった中村なかむら梅吉うめきち試写ししゃさい黒澤くろさわたいして「原水爆げんすいばくなにこわい、あんなものはへでもない。」とったと黒澤くろさわかたっている。それにたいして黒澤くろさわ東宝とうほうに「(中村なかむら発言はつげんを)新聞しんぶんしゅっせ」とったが、東宝とうほうはそうしなかった[14]
  • ブラジル移民いみん成功せいこうした老人ろうじんやく東野とうの英治郎えいじろう広島ひろしまべんはなす。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ きものの記録きろく”. allcinema. 2015ねん5がつ31にち閲覧えつらん
  2. ^ 都築つづき政昭まさあき黒澤くろさわあきら ぜん作品さくひんぜん生涯しょうがい東京書籍とうきょうしょせき、2010ねん3がつ、232ぺーじISBN 9784487804344 
  3. ^ a b 黒澤くろさわあきら自作じさくかたる―きものの記録きろく」(キネマ旬報きねまじゅんぽう 2010, pp. 46–49)
  4. ^ a b 浜野はまのたもつじゅ解説かいせつ世界せかいのクロサワと挫折ざせつ―『きものの記録きろく』」(大系たいけい2 2009, pp. 682–683)
  5. ^ a b c 黒澤くろさわあきら 関連かんれん年表ねんぴょう」(大系たいけい4 2010, pp. 814–815)
  6. ^ 製作せいさくメモランダ」『全集ぜんしゅう黒澤くろさわあきらだい4かん岩波書店いわなみしょてん、1988ねん1がつ、428-429ぺーじISBN 9784000913249 
  7. ^ a b c 本木もとぎそう二郎じろう「『きものの記録きろく』が出来できるまで」(『知性ちせい』1956ねん2がつごう)。大系たいけい2 2009, pp. 194–198に所収しょしゅう
  8. ^ 黒澤くろさわあきらだい1-PAGE8”. キネマ写真しゃしんかん. 2015ねん5がつ31にち閲覧えつらん
  9. ^ 黒澤くろさわあきらだい3-PAGE4”. キネマ写真しゃしんかん. 2015ねん5がつ31にち閲覧えつらん
  10. ^ 丹野たんの 1998, pp. 76–77.
  11. ^ 丹野たんの 1998, p. 81.
  12. ^ a b 西村にしむら雄一郎ゆういちろう黒澤くろさわあきら早坂はやさか文雄ふみお ふうのようにさむらいは』筑摩書房ちくましょぼう、2005ねん10がつ、809ぺーじISBN 9784480873491 
  13. ^ 野上のかみ照代てるよ監修かんしゅう黒澤くろさわあきらMEMORIAL 10 別巻べっかん+1「野良犬のらいぬ」』小学館しょうがくかん、2011ねん2がつ、27ぺーじISBN 9784094804515 
  14. ^ a b 黒澤くろさわあきら(出演しゅつえん)大島おおしまなぎさ(出演しゅつえん)『わが映画えいが人生じんせい 黒澤くろさわあきら監督かんとく日本にっぽん映画えいが監督かんとく協会きょうかいhttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=819702018ねん3がつ29にち閲覧えつらん 
  15. ^ キネマ旬報きねまじゅんぽうベスト・テン85かいぜん 1924-2011』キネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃキネマ旬報きねまじゅんぽうムック〉、2012ねん5がつ、120ぺーじISBN 978-4873767550 
  16. ^ Festival de Cannes: I Live in Fear” (英語えいご). festival-cannes.com. 2020ねん8がつ16にち閲覧えつらん
  17. ^ DVDばん冊子さっし18ぺーじより
  18. ^ 黒澤くろさわあきら井上いのうえひさし「ユーモアのちからきるちから」『全集ぜんしゅう黒澤くろさわあきらだい6かん岩波書店いわなみしょてん、1988ねん4がつ、351ぺーじISBN 9784000913263 
  19. ^ DVDばん冊子さっし15ぺーじより
  20. ^ きてほしくない未来みらい」をえが映画えいが 岩井いわい俊二しゅんじ×鈴木すずき敏夫としお対談たいだん”. CINRA.NET (2011ねん12月30にち). 2016ねん3がつ27にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 黒澤くろさわあきら浜野はまのたもつじゅ大系たいけい 黒澤くろさわあきら だい2かん講談社こうだんしゃ、2009ねん12月。ISBN 9784062155762 
  • 黒澤くろさわあきら浜野はまのたもつじゅ大系たいけい 黒澤くろさわあきら だい4かん講談社こうだんしゃ、2010ねん4がつISBN 9784062155786 
  • 丹野たんの達弥たつや へん村木むらき与四郎よしろう映画えいが美術びじゅつ「きき」黒澤くろさわ映画えいがのデザイン』フィルムアートしゃ、1998ねん10がつISBN 4845998858 
  • キネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ へんキネマ旬報きねまじゅんぽうセレクション 黒澤くろさわあきらキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、2010ねん4がつISBN 9784873763293 

外部がいぶリンク

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