原田はらだ眞人まさと

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
はらだ まさと
原田はらだ 眞人まさと
原田 眞人
生年月日せいねんがっぴ (1949-07-03) 1949ねん7がつ3にち(74さい
出生しゅっしょう 日本の旗 日本にっぽん静岡しずおかけん沼津ぬまづ
職業しょくぎょう 映画えいが監督かんとく脚本きゃくほん
ジャンル 映画えいが
活動かつどう期間きかん 1979ねん -
配偶はいぐうしゃ 福田ふくだみずほ
著名ちょめい家族かぞく 原田はらだゆうじん長男ちょうなん
事務所じむしょ スカイホーク
業務ぎょうむ提携ていけい:つばさプロジェクト)
公式こうしきサイト 公式こうしきプロフィール
おも作品さくひん
映画えいが
KAMIKAZE TAXI
バウンス ko GALS
金融きんゆう腐蝕ふしょく列島れっとう呪縛じゅばく
突入とつにゅうせよ! あさま山荘さんそう事件じけん
クライマーズ・ハイ
わがはは
駆込かけこおんな駆出かけだおとこ
日本にっぽんのいちばんなが
 
受賞じゅしょう
日本にっぽんアカデミーしょう
優秀ゆうしゅう監督かんとくしょう
1999ねん金融きんゆう腐蝕ふしょく列島れっとう 呪縛じゅばく
2002ねん突入とつにゅうせよ!あさま山荘さんそう事件じけん
2008ねんクライマーズ・ハイ
2012ねんわがはは
2015ねん日本にっぽんのいちばんなが
2017ねん関ヶ原せきがはら
優秀ゆうしゅう脚本きゃくほんしょう
2002ねん突入とつにゅうせよ!あさま山荘さんそう事件じけん
2008ねん『クライマーズ・ハイ』
2012ねん『わがはは
2015ねん日本にっぽんのいちばんなが
ブルーリボンしょう
  • 監督かんとくしょう
  • 1997ねん『バウンス ko GALS』
そのしょう
報知ほうち映画えいがしょう
監督かんとくしょう
1997ねんバウンス ko GALS
藤本ふじもとしょう 奨励しょうれいしょう
2012ねんわがはは
日刊にっかんスポーツ映画えいが大賞たいしょう
監督かんとくしょう
2015ねん日本にっぽんのいちばんなが
駆込かけこおんな駆出かけだおとこ
毎日まいにち映画えいがコンクール
脚本きゃくほんしょう
2015ねん駆込かけこおんな駆出かけだおとこ
テンプレートを表示ひょうじ

原田はらだ 眞人まさと(はらだ まさと、1949ねん7がつ3にち - )は、日本にっぽん映画えいが評論ひょうろん映画えいが監督かんとく脚本きゃくほん

静岡しずおかけん沼津ぬまづ出身しゅっしん。スカイホーク所属しょぞく業務ぎょうむ提携ていけい:つばさプロジェクト)。BS朝日あさひ番組ばんぐみ審議しんぎかい委員いいん

人物じんぶつ来歴らいれき[編集へんしゅう]

静岡しずおかけん沼津ぬまづまれ。静岡しずおか県立けんりつ沼津ぬまづひがし高等こうとう学校がっこう卒業そつぎょう東京とうきょう写真しゃしん専門せんもん学校がっこうげん専門せんもん学校がっこう東京とうきょうビジュアルアーツ)、ペパーダイン大学だいがく中退ちゅうたい1972ねんロンドン語学ごがく留学りゅうがく。『ラストショー』の評論ひょうろんを『キネマ旬報きねまじゅんぽう』にせたことをきっかけに映画えいが評論ひょうろんとなり、『キネマ旬報きねまじゅんぽう』や『宝島たからじま』にアメリカはつ映画えいが情報じょうほう寄稿きこう著書ちょしょしている。

ロサンゼルスにて6年間ねんかん映画えいが監督かんとく修行しゅぎょうみ、1976ねんジャーナリスト福田ふくだみずほと結婚けっこん一男かずお一女いちじょをもうけ、息子むすこ俳優はいゆう原田はらだゆうじん

1979ねん一時いちじ帰国きこくして『さらば映画えいがともよ インディアンサマー』で監督かんとくデビュー。1983ねん西にしドイツとの合作がっさく映画えいが『ウィンディー』をヨーロッパで撮影さつえいしたのち1984ねん帰国きこく以後いご監督かんとくぎょうのみならず、脚本きゃくほん執筆しっぴつ俳優はいゆうぎょうなど映画えいが関係かんけい多方面たほうめん活動かつどうテレビ映画えいがオリジナルビデオがけ、なかでも1991ねんから1992ねんにかけて監督かんとくした木村きむら一八かずや主演しゅえんの『タフ』シリーズは三池みいけ崇史たかふみ監督かんとくらが評価ひょうかしている[1][2]

1980ねん上映じょうえいの『スター・ウォーズ 帝国ていこく逆襲ぎゃくしゅう』、1982ねん上映じょうえいの『スター・ウォーズ』の日本語にほんごばん吹替はん翻訳ほんやく監修かんしゅう演出えんしゅつ担当たんとう1988ねん映画えいがフルメタル・ジャケット』において、完璧かんぺき主義しゅぎものといわれるスタンリー・キューブリック監督かんとくが、猥褻わいせつ表現ひょうげん直訳ちょくやくされていないため初稿しょこう戸田とだ奈津子なつこ日本語にほんご字幕じまくにNGをした。配給はいきゅうワーナーからの要請ようせい原田はらだ白羽しらはち、字幕じまく翻訳ほんやくとしてもデビューした。その原田はらだ兵隊へいたいスラングが映画えいがグッドモーニング・ベトナム』でも字幕じまく担当たんとうしたほか、キューブリックの代表だいひょうさく時計とけいじかけのオレンジ』ビデオよう字幕じまく新訳しんやくがける。

2003ねん映画えいがラスト サムライ』で「俳優はいゆうとして」ハリウッドデビュー。

インターネットじょうでの評論ひょうろん活性かっせいした近年きんねん風潮ふうちょうを「悪貨あっか」として否定ひていし、ネットにらない「本物ほんもの映画えいがファン」の意見いけんこそが重要じゅうようだとはなしている。また、2007ねんから日本にっぽん大学だいがく国際こくさい関係かんけい学部がくぶ教授きょうじゅとして後進こうしん育成いくせいにあたっている。

逸話いつわ[編集へんしゅう]

  • 2002ねん出演しゅつえんした『ラスト サムライ』の撮影さつえい初日しょにちトム・クルーズみずからの監督かんとく作品さくひんのビデオをすうほんわたしたという。そのなかの1ほんKAMIKAZE TAXI』とすうねんたトム・クルーズ主演しゅえんの『コラテラル』の設定せってい台詞せりふ酷似こくじしていたこといきどおりと絶望ぜつぼうかんさいなまれたという。原田はらだみずからのブログで「訴訟そしょうかんがえている」といたが、その訴状そじょうるいいをクルーズおよ製作せいさくドリームワークスおくったなどの報道ほうどうはない。
  • 2002ねん公開こうかいの『突入とつにゅうせよ! あさま山荘さんそう事件じけん』の撮影さつえい現場げんばで、スタッフの一人ひとり自分じぶんのブログで批判ひはん。これで原田はらだ批判ひはん矢面やおもてたされる。
  • 野球やきゅうロサンゼルス・ドジャース映画えいがハワード・ホークス監督かんとく作品さくひんをこよなくあいする。
  • 1990年代ねんだいにアメリカで原田はらだ監督かんとくさくガンヘッド』のVHSが発売はつばいになっているが、アメリカじんのテイストにわないと大幅おおはばさい編集へんしゅうされた。これに憤慨ふんがいした原田はらだ監督かんとくのクレジットから名前なまえ削除さくじょし、DGA(全米ぜんべい映画えいがTV監督かんとく組合くみあい)がさだめる偽名ぎめいクレジット「アラン・スミシー監督かんとく作品さくひんとした。なお、原田はらだ日本にっぽん映画えいが監督かんとく協会きょうかいいんだが、DGAとはまったく関係かんけいない。2004ねんにアメリカのADV FilmsからDVDが発売はつばい。DVDばん内容ないよう日本にっぽんばんおなじなのかは不明ふめい
  • サム・ペキンパー敬愛けいあいする映画えいが監督かんとく一人ひとりにあげて「ペキンパーは親日しんにちだった」とした原田はらだは、「友人ゆうじん日本人にっぽんじん女性じょせいがペキンパー監督かんとく通訳つうやくをやっていて、ものすごくられていた。彼女かのじょ小柄こがらだったけど、ウイットにんでいて、ペキンパーは彼女かのじょのことをマイ・リトル・ニンジャガールとんでしたしんでいました。ただ彼女かのじょわかくしてくなってしまった。日本にっぽんときにそれをらされたペキンパーは、だいさけんでれていたということをのちきましたね」と述懐じゅっかい。さらに「かれはもともとはシャイなひとなんです。しかし監督かんとくとして成功せいこうするために、シャイな自分じぶんさえつけて、現場げんばでもマッチョを気取きどるんですよね」と指摘してきした[3]

受賞じゅしょうれき[編集へんしゅう]

監督かんとく作品さくひん[編集へんしゅう]

映画えいが監督かんとく作品さくひん[編集へんしゅう]

テレビドラマ[編集へんしゅう]

配信はいしんドラマ[編集へんしゅう]

  • RETURN(2013ねんUULA) - 監督かんとく脚本きゃくほん同年どうねん劇場げきじょう公開こうかい

Vシネマ[編集へんしゅう]

  • タフ PART 1 誕生たんじょうへん(1990ねんジーダス) - 監督かんとく脚本きゃくほん
  • タフ PART 3 ビジネス殺戮さつりくへん(1991ねん、ジーダス) - 監督かんとく脚本きゃくほん
  • タフ PART 4 収穫しゅうかくへん(1991ねん、ジーダス) - 監督かんとく脚本きゃくほん

PV[編集へんしゅう]

脚本きゃくほん作品さくひん[編集へんしゅう]

映画えいが脚本きゃくほん作品さくひん[編集へんしゅう]

劇場げきじょうアニメ[編集へんしゅう]

出演しゅつえん作品さくひん[編集へんしゅう]

映画えいが出演しゅつえん作品さくひん[編集へんしゅう]

著作ちょさく[編集へんしゅう]

  • 『ハリウッドインタVュー 俳優はいゆうへん』(ヘラルド出版しゅっぱん、1978ねん
  • 『ハリウッド映画えいが特急とっきゅう L.A.express』(早川書房はやかわしょぼう、1986ねん
  • 砂塵さじんのレーサーたち パリ・ダカール最前線さいぜんせん』(早川書房はやかわしょぼう、1986ねん
  • 原田はらだ眞人まさと監督かんとくじゅつ』(雷鳥らいちょうしゃ、2007ねん) - 原田はらだ監督かんとく経験けいけん映画えいが制作せいさくとき系列けいれつ沿っていている。
  • 黒沢くろさわあきらかたる』ききて福武書店ふくたけしょてん、1991ねん) - 後年こうねん文庫ぶんこされている。 

小説しょうせつ[編集へんしゅう]

翻訳ほんやく[編集へんしゅう]

雑誌ざっし連載れんさい[編集へんしゅう]

  • 原田はらだ真人まさとのロサンジェルスちょう特急とっきゅう(M.Harada's L.A.EXPRESS) - 雑誌ざっしポパイ連載れんさいのコラム(平凡へいぼん出版しゅっぱん、1976 - 1984ねん

その[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 原田はらだ個人こじんたいする受賞じゅしょう。ほかに作品さくひんしょうなども受賞じゅしょうした[5]
  2. ^ センデロ・ルミノソによる虐殺ぎゃくさつ告白こくはくする場面ばめんがある[7]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ とどろき夕起ゆうきおっとへん映画えいが監督かんとくになる15の方法ほうほうよういずみしゃ、2001ねん、p41
  2. ^ てき也寸志やすし原田はらだ眞人まさと」『<日本にっぽんせい映画えいが>のかた 1980-1999』フィルムアートしゃ、1999ねん
  3. ^ 生涯しょうがい監督かんとくさくは14ほん…トラブルメーカー、サム・ペキンパーを映画えいが監督かんとく原田はらだ眞人まさとかえる”. シネマトゥデイ (シネマトゥデイ). (2015ねん9がつ27にち). https://www.cinematoday.jp/news/N0076796 2020ねん4がつ22にち閲覧えつらん 
  4. ^ 原田はらだ監督かんとく昭和しょうわ天皇てんのうえが裕次郎ゆうじろうしょう監督かんとくしょう映画えいが大賞たいしょう. ニッカンスポーツ・コム (日刊スポにっかんすぽツ新聞社つしんぶんしゃ). (2015ねん12月8にち). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1576491.html 2015ねん12月8にち閲覧えつらん 
  5. ^ だい39かい日本にっぽんアカデミーしょう優秀ゆうしゅうしょう決定けってい!”. 日本にっぽんアカデミーしょう公式こうしきサイト. 2016ねん1がつ18にち閲覧えつらん
  6. ^ 毎日まいにち映画えいがコンクール 大賞たいしょう橋口はしぐち監督かんとくの「恋人こいびとたち」”. 毎日新聞まいにちしんぶん (毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ). (2016ねん1がつ21にち). https://mainichi.jp/articles/20160121/k00/00m/040/131000c 2016ねん1がつ21にち閲覧えつらん 
  7. ^ 映画えいが旅人たびびと朝日新聞あさひしんぶん2014ねん8がつ23にち
  8. ^ 岡田おかだじゅんいち原田はらだ眞人まさとが「関ヶ原せきがはら映画えいがはつタッグ、共演きょうえん役所広司やくしょこうじ有村ありむらじゅん. 映画えいがナタリー (ナターシャ). (2016ねん8がつ10日とおか). https://natalie.mu/eiga/news/197665 2016ねん8がつ10日とおか閲覧えつらん 
  9. ^ 岡田おかだじゅんいち主演しゅえんで「えよけん映画えいが共演きょうえんしばさきコウ、鈴木すずき亮平りょうへい山田やまだ涼介りょうすけ伊藤いとう英明ひであき. 映画えいがナタリー (ナターシャ). (2019ねん2がつ11にち). https://natalie.mu/eiga/news/319410 2019ねん2がつ12にち閲覧えつらん 
  10. ^ 最高さいこうにクレイジーな岡田おかだじゅんいち完全かんぜんノックアウト 映画えいが『ヘルドッグス』公開こうかい決定けってい”. ORICON NEWS (2021ねん12月1にち). 2022ねん3がつ14にち閲覧えつらん
  11. ^ ラストサムライ”. 日曜にちよう洋画ようが劇場げきじょう. 2016ねん7がつ17にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 日本にっぽん映画えいがテレビ監督かんとく全集ぜんしゅう キネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、1988ねん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]