磯崎 新
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1931 | |
2022 | |
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RIBAゴールドメダル(1986 ヴェネチア・ビエンナーレ プリツカー | |
つくばセンタービル ロサンゼルス | |
デザイン | モンローチェアー |
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経歴
[- 1931
年 -磯崎 藻 二 の長男 として生 まれる。父 の藻 二 は中学 卒業 後 中国 に渡 り、東亜 同 文書 院 を卒業 、帰国 して家業 の米穀 商 と廻船 業 を継 ぎ、1924年 に大分 合同 トラックを創業 、戦後 社長 を務 めた[1][2]。 - 1945
年 -母親 が交通 事故 で死去 [2]。 - 1950
年 -大分 県立 大分 第一高等学校 (現 ・大分 県立 大分 上野丘 高等 学校 )を卒業 。同級生 に赤瀬川 隼 がいた。 - 1951
年 -父親 死去 。 - 1954
年 -東京大学 工学部 建築 学科 を卒業 。 - 1960
年 -丹下 健三 研究 室 で黒川 紀章 らとともに東京 計画 1960に関 わる。 - 1961
年 -東京大学 大学院 数物 系 研究 科 建築 学 専攻 博士 課程 を修了 。伊藤 ていじ、川上 秀光 らと八田 利也 (はったりや)のペンネームを用 い「現代 建築 愚作 論 」を執筆 し、反響 を呼 ぶ。 - 1963
年 -丹下 健三 研究 室 (都市 建築 設計 研究所 )を退職 し、磯崎 新 アトリエを設立 。 - 1967
年 -大分 県立 大分 図書館 竣工 。(36歳 )初期 の代表 作 で、1997年 に改修 されアートプラザになった。 - 1968
年 -株式会社 環境 計画 代表 取締役 。 - 1970
年 -大阪 万博 のお祭 り広場 (1970年 )を丹下 と共同 で手 がけた。 - 1972
年 -宮脇 愛子 と結婚 。 - 1975
年 -著書 『建築 の解体 』、群馬 県立 近代 美術館 、北九州 市立 美術館 など多産 な年 。 - 1980
年 -写真 家 篠山 紀 信 とコンビで「建築 行脚 」シリーズを刊行 ( - 1992年 )。 - 1983
年 - つくばセンタービル竣工 。ポストモダン建築 の旗手 と目 されるようになった。(52歳 ) - 1986
年 -東京 都 庁舎 のコンペに参加 (8社 指名 )。超 高層 建築 の丹下 健三 案 (当選 )に対 して、シティホールのあり方 を問 う中層 建築 の案 を提出 した。 - 1988
年 -熊本 県知事 の細川 護 熙に招 かれる形 で、くまもとアートポリス事業 の初代 コミッショナーに就任 ( - 1996年 )。 - 1991
年 - 2000年 まで世界 各地 で開催 されたAnyコンファレンスを企画 、参加 。 - 1991
年 - 2002年 まで第 一 期 、二 期 、三 期 にわたり『批評 空間 』誌 編集 顧問 。 - 1996
年 -織部 賞 の選考 委員 長 に就任 。 - 1996
年 , 2000年 , 2004年 - ヴェネツィア・ビエンナーレ建築 展 ・日本 館 コミッショナー。
受賞 等
[- 1967
年 -日本 建築 学会 賞 作品 賞 (大分 県立 大分 図書館 ) - 1969
年 -芸術 選奨 新人 賞 美術 部門 - 1975
年 - 1984
年 -毎日 芸術 賞 (つくばセンタービル) - 1986
年 - RIBAゴールドメダル - 1988
年 -朝日 賞 [4] - 1993
年 -日本 文化 デザイン大賞 - 1996
年 - ヴェネツィア・ビエンナーレ建築 展 金 獅子 賞 (第 6回 ヴェネツィア・ビエンナーレ建築 展 日本 館 展示 「亀裂 」) - 2019
年
評価
[CIAM
そもそも
1980
その他
[- メタボリズムについて、「
一 九 六 二 年 頃 の私 の思考 を整理 してみると、私 はメタボリズムと明瞭 に逢遇している」と書 いている( http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/888/最終 段落 ) 読売新聞 で、バブル期 の東京 都 の公共 建築 である東京 芸術 劇場 、東京 都 庁舎 、江戸 東京 博物館 、東京 都 現代 美術館 、東京 国際 フォーラムの5作品 を「粗大 ゴミ」と評 した。ただ、これは建築 家 のデザイン力 だけではなく、東京 都 が建築 家 に要求 したプログラムに対 する発言 とされる[6]。- コンペの
審査 員 も多数 務 め、長谷川 逸子 の湘南台 文化 センターや、伊東 豊雄 のせんだいメディアテークの際 の審査 員 でもある。プリツカー賞 の審査 員 も務 めた。 丹下 健三 を最 もよく知 る一人 で、2005年 の葬儀 において弔辞 を読 んだ。若 い頃 に影響 を受 けたのはチェ・ゲバラと毛沢東 [7][8]。作家 の沢木 耕 太郎 と親交 があり、沢木 の紀行 文 『深夜 特急 』にも登場 する[9]。建築 模型 を数多 く制作 している建築 家 としても知 られている。1990年代 にロサンゼルス現代 美術館 を皮切 りに、国内 (群馬 県立 近代 美術館 、水戸 芸術 館 、北九州 市立 美術館 、ハラミュージアム・アーク等 )国外 (スペイン、ギリシア、イギリスなど)をサーキットした大 回顧 展 が行 われ注目 を集 めた。現在 それらの模型 や資料 は大分 市 のアートプラザ(磯崎 新 建築 記念 館 、磯崎 設計 の旧 大分 県立 大分 図書館 )に収蔵 され、3階 の磯崎 新 建築 展示 室 で順次 公開 されており、磯崎 建築 を知 る上 で最 も重要 な拠点 となっている。祖父 の磯崎 徳三郎 は大分 市議会 議長 も務 めた米 問屋 で、その米 倉庫 は三浦 義一 や林 房雄 が子供 の頃 遊 び場 としており、その縁 で三浦 義一 の寄付 により建設 された旧 大分 県立 大分 図書館 の設計 者 に指名 された。東京大学 2年 時 に父 を亡 くしたため、渡辺 一夫 の本郷 真砂 町 の自宅 に住 み込 み、渡辺 の息子 に数学 を教 えた。英語 を教 えていたのは高橋 康也 。父 の磯崎 操 次 (1901-1951)は大分 貨物 自動車 会社 を経営 する実業 家 であり、俳名を磯崎 藻 二 として吉岡禅寺洞 が福岡 で1918年 に創刊 した新興 俳句 派 の俳誌 「天 の川 」同人 であった俳人 。韓国 近代 建築 の巨匠 ・金 壽 根 (1931-1986)は東京大学 大学院 時代 に隣 の研究 室 に所属 しており、友人 。関西大学 名誉 教授 の古後 楠 徳 は磯崎 を数学 好 きにさせ、「"代数 "はダメだ。"幾何 学 "に進 め」とアドバイスし、結果 的 に建築 学科 へ導 いた高校 時代 の恩師 である。新 建築 住宅 設計 競技 など審査 員 を歴任 。1975年 の「新 建築 住宅 設計 競技 」では、「わがスーパースターたちのいえ」という課題 を出 し、1~3位 の入賞 者 すべてを外国 人 にしたことで主催 者 を驚 かせたが、賞金 の一部 は日本人 に行 くようにするという規定 があったため、選外 佳作 という賞 を急遽 設 け、日本人 応募 者 に受賞 させた[10]。1位 は当時 AAスクール在学 中 のトム・ヘネガンで、ハリウッドスターたちの家 の写真 にただ×(No!)が描 かれただけのもので、2位 、3位 も同様 にコンセプチュアルなものだった。磯崎 は審査 評 として、新 建築 の12月号 に「日本 の建築 教育 の惨状 を想 う 」を発表 し、建築 界 を騒 がせた。静岡 県 コンベンションアーツセンターの完成 から5年 後 の2004年 にスレート製 の外壁 が落下 してから、5年間 に合計 40回 の剥落 落下 が相次 ぎ、その責任 を巡 って問題 となっている[11][12]。一時 は、磯崎 への賠償 請求 も検討 された。落下 対策 には8億 ~14億 円 を要 すると試算 されている[13]。- 2014
年 、国際 コンペで選 ばれた新 国立 競技 場 案 に対 しての議論 が巻 き起 こったおり、「新 国立 競技 場 ザハ・ハディド案 の取 り扱 いについて」を発表 し、改 めてデザインをザハに任 せるべきだと主張 した[14]。
作品
[建築 作品
[1957 |
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1964 |
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( ロボットの「デク」・「デメ」) |
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ハウザーマン・ショールーム | 1982 |
シカゴ | |
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1983 |
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つくばセンタービル | 1983 |
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ザ・パラディアム | 1985 |
ニューヨーク | |
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ベルリン | ドイツ | |||
ビョルソン・ハウス/スタジオ | 1986 |
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2004 | |
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ロサンゼルス |
1986 |
ロサンゼルス | |
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カイロ | エジプト | |||
お |
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ハラ・ミュージアム・アーク | 1988 |
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1989 |
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イギリスの | |||
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ボンド |
1989 |
ゴールドコースト | オーストラリア | ||
1990 |
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JIA25 | |||
パラウ・サン・ジョルディ | 1990 |
バルセロナ | スペイン | ||
1990 |
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ティーム・ディズニー・ビルディング | 1991 |
フロリダ | |
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1992 |
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1993 |
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オプトハイツ | 1993 |
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クラコフ |
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クラコフ | ポーランド | ||
ルイジ・ノーノの |
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ヴェネチア | イタリア | ||
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ビーコンプラザ | 1995 |
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ア・コルーニャ |
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ア・コルーニャ | スペイン | ||
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パラフォルス | スペイン | |||
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なら100 |
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オハイオ | |
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1999 |
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カイシャ・フォールム | 2002 |
バルセロナ | スペイン | ||
セラミックパークMINO | 2002 |
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2003 |
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パラスポーツ・オリンピコ | 2005 |
トリノ | イタリア | ||
2005 |
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2005 |
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2007 |
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2007 |
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イソザキ・アテア | 2008 |
ビルバオ | スペイン | ||
2009 |
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メガロン・コンサートホール | 2010 |
テサロニキ | ギリシャ | ||
2010 |
パイオニアタウン | |
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2010 |
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2011 |
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2011 |
ドーハ | カタール | |||
アーク・ノヴァ | 2011 |
アニッシュ・カプーアと | |||
2013 |
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2015 |
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シティライフ・アリアンツ・タワー | 2015 |
ミラノ | イタリア | ||
ハルビン・コンサートホール | 2015 |
ハルビン | |
-
大分 医師 会館 -
岩田 学園 -
福岡 相互 銀行 本店 -
現 アートプラザ(旧 大分 県立 大分 図書館 ) -
北九州 市立 美術館 -
北九州 市立 中央 図書館 -
西日本 総合 展示 場 -
つくばセンタービル
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東京 グローブ座 -
ロサンゼルス
現代 美術館 -
ベルリン
集合 住宅 /フォルクス銀行 本店 -
お
茶 の水 スクエアA館 (カザルスホール) -
パラウ・サン・ジョルディ
-
奈義 町 現代 美術館 ・奈義 町立 図書館 -
セラミックパークMINO カスケード
広場 -
京都 コンサートホール -
ア・コルーニャ
人間 科学 館 -
イソザキ・アテア
-
群馬 県立 ぐんま天文台 -
静岡 県 コンベンションアーツセンター -
なら100
年 会館
-
大友 宗麟 の墓碑 -
旧 大分 市 視聴覚 センター -
基督 兄弟 団 成増 教会 -
岡山 西 警察 署 -
中谷 宇吉郎 雪 の科学 館 -
東京造形大学 -
山口 情報 芸術 センター -
上海 交響 楽団 コンサートホール
都市 構想
[新宿 計画 (淀橋 浄水 場 跡地 開発 計画 )孵化 過程 ・空中 都市 (1960年 )丸 の内 計画 ・空中 都市 (1963年 )- スコピエ・ユーゴスラビア
都市 再建 計画 設計 競技 に参画 (1965年 ) 応答 場 としての環境 計画 (1969年 )- コンピューター・エイデッド・シティ(
計画 )(1972年 ) 珠 海 /海 市 計画 (計画 案 )(1995年 ) - 1997年 、東京 にて「「海 市 」-もうひとつのユートピア」と題 した展覧 会 が開催 された。その後 、海外 へと巡回 。
展覧 会
[第 14回 ミラノ・トリエンナーレ「電気 的 迷宮 」(1968年 ) - ミラノ。2002年 にカールスルーエと大阪 、2003年 に横浜 で再 制作 作品 を展示 。- 「
日本 の時 空間 ―間 ―」展 (1978年 -1979年 ) - パリ。2000年 、東京 にて帰還 展 「間 ―20年 後 の帰還 展 」を開催 。 - 「
磯崎 新 1960/1990建築 展 」(1991年 -1998年 ) - ロサンゼルス、東京 、茨城 、群馬 、大阪 、福岡 、ヨーロッパ各 都市 へと巡回 。 - 「Nara Convention Hall International Design Competition」(1992
年 -1993年 )- ニューヨーク近代 美術館 第 6回 ヴェネツィア・ビエンナーレ建築 展 日本 館 展示 「亀裂 」(1996年 ) -日本 館 コミッショナーを務 める。- 1996
年度 アーキテクチュア・オブ・ザ・イヤー「カメラ・オブスキュラあるいは革命 の建築 博物館 」(1996年 ) - プロデューサーを務 める。 - 「
海 市 」-もうひとつのユートピア(1997年 ) - ネオ・ダダJAPAN 1958-1998
磯崎 新 とホワイトハウスの面々 (1998年 ) -大分 市 アートプラザ。監修 を務 める。 第 7回 ヴェネツィア・ビエンナーレ建築 展 日本 館 展示 「少女 都市 」(2000年 ) -日本 館 コミッショナーを務 める。- 「
間 ―20年 後 の帰還 展 」(2000年 ) -東京 第 8回 ヴェネツィア・ビエンナーレ建築 展 日本 館 展示 「漢字 文化 圏 における建築 言語 の生成 」(2002年 ) -日本 館 コミッショナーを務 める。- 「アンビルト/
反 建築 史 」展 (2002年 ) -東京 。以後 、中国 へ巡回 。 - 「
磯崎 新版 画展 ―百 二 十 の見 えない都市 」(2002年 )岡山 - 「
磯崎 新 :7つの自選 展 」(2008年 ) -大分 、高崎 、ビルバオ、伊香保 、東京 、南京 、ミラノにて開催 。 - 「
磯崎 新 12x5=60」(2014年 ) - ワタリウム美術館 (東京 ・渋谷 )にて開催 。 - 「
磯崎 新 の謎 」(2019年 ) -大分 市 美術館 にて開催 。キュレーターにアリック・チャン、印牧 岳彦 、松井 茂 、藤村 龍 至 を迎 え「いき(息 )」と「しま(島 )」のふたつのテーマを軸 に構成 。[16]
著作 ・作品 集
[- 「
空間 へ」美術 出版 社 、1971年 - 「
建築 の解体 」美術 出版 社 、1975年 - 「
建築 の修辞 」美術 出版 社 、1979年 - 「
手法 が」美術 出版 社 、1979年 - 「
建築 の地層 」彰 国 社 、1979年 - 「
磯崎 新 著作 集 」全 4巻 、美術 出版 社 、1984 - 「
現代 の建築 家 磯崎 新 2」鹿島 出版 会 、1984年 - 「
週 刊本 ポスト・モダン原論 」朝日出版社 、1985年 - 「いま、
見 えない都市 」大和 書房 、1985年 - 「バルセロナ・ドローイング バルセロナ・オリンピック
建築 素描 集 」岩波書店 、1990年 - 「
見立 ての手法 日本 的 空間 の読解 」鹿島 出版 会 、1990年 - 「イメージゲーム-
異 文化 との遭遇 」鹿島 出版 会 、1990年 - 「<
建築 >という形式 1 」新建築社 、1991年 - 「
磯崎 新 の建築 30模型 、版画 、ドローイング」六 耀社、1992年 - 「
現代 の建築 家 磯崎 新 3-4」鹿島 出版 会 、1993年 - 「
始 源 のもどき-ジャパネスキゼーション」鹿島 出版 会 、1996年 - 「
磯崎 新 の仕事 術 建築 家 の発想 チャンネ」王国 社 、1996年 - 「
造物主 議論 -デミウルゴモルフィスム」鹿島 出版 会 、1996年 - 「
建築 家捜 し」岩波書店 、1996年 /岩波 現代 文庫 、2005年 - 「
空間 へ根源 へと遡行 する思考 」鹿島 出版 会 、1997年 /河出 文庫 、2017年 - 「オペラシティの
彼方 に エッジを測量 する17の対話 」NTT出版 、1997年 - 「
磯崎 新 の発想 法 建築 家 の創作 の秘密 」王国 社 、1998年 - 「栖
十 二 」住 まいの図書館 出版 局 ・星雲 社 、1999年 - 「
人体 の影 -アントロポモルフィスム」鹿島 出版 会 、2000年 - 「
建築 家 のおくりもの」王国 社 、2000年 - 「ル・コルビュジエとはだれか」
王国 社 、2000年 - 「
神 の似 姿 -テオモルフィスム」鹿島 出版 会 、2001年 - 「
反 回想 1」A.D.A.EDITA Tokyo、2001年 - 「
反 建築 史 /UNBUILT」TOTO出版 、2001年 - 「
磯崎 新 の建築 談議 」全 12巻 、六 耀社、2001-04年 - 「
建築 における「日本 的 なもの」」新潮社 、2003年 - 「アントニ・ガウディとはだれか」
王国 社 、2004年 - 「
磯崎 新 の思考 力 建築 家 はどこに立 っているか」王国 社 、2005年 - Japan-ness in Architecture, MIT Press, 2006
- Arata Isozaki, ed. by Arata Isozaki and Ken Tadashi Oshima, London, Phaidon, 2009
- 「
日本 の建築 遺産 12選 語 りなおし日本 建築 史 」新潮社 、2011年 - 「
気 になるガウディ」新潮社 、2012年 - 「
磯崎 新 建築 論集 」全 8巻 、岩波書店 、2013-15年 - 『
挽歌 集 建築 があった時代 へ』白水 社 、2014年 - 『
偶有 性 操縦 法 (コンティンジェンシーマニュアル)何 が新 国立 競技 場 問題 を迷走 させたのか』青土 社 、2016年 - 『
瓦礫 の未来 』青土 社 、2019年 - 『デミウルゴス:
途上 の建築 』青土 社 、2023年
共著 など
[- 「
建築 および建築 外的 思考 磯崎 新 対談 」鹿島 出版 会 、1976年 - 「
現代 の建築 家 磯崎 新 」鹿島 出版 会 、1977年 - 「
建築 の1930年代 -系譜 と脈絡 磯崎 新 対談 」鹿島 出版 会 、1978年 - 「
磯崎 新 +篠山 紀 信 建築 行脚 1~12」六 耀社、1980-92年 - 「
建築 のパフォーマンス <つくばセンタービル>論争 」、編著 、PARCO出版 局 、1985年 - 「ポスト・モダンの
時代 と建築 磯崎 新 対談 」鹿島 出版 会 、1985年 - 「
建築 の政治 学 磯崎 新 対談 集 」岩波書店 、1989年 - 「
磯崎 新 作品 集 」第 1巻 、二川 幸夫 編 、A.D.A.EDITA Tokyo、1991年 - 「
世紀 末 の思想 と建築 」、多 木 浩二 共著 、岩波書店 、1991年 - 「Anywhere
空間 の諸 問題 」、浅田 彰 共編 、NTT出版 、1994年 - 「Anyway
方法 の諸 問題 」、浅田 彰 共編 、NTT出版 、1995年 - 「
季刊 ja no.12磯崎 新 」新建築社 、1994年 - 「
建物 が残 った-近代 建築 の保存 と転生 」岩波書店 、1998年 - 「
建築 と時間 対論 土居 義 岳 、岩波書店 、2001年 - 「
空間 の行間 」福田 和也 共著 、筑摩書房 、2004年 - 「Any-
建築 と哲学 をめぐるセッション 1991-2008」、浅田 彰 共編 、鹿島 出版 会 、2010年 - 「ビルディングの
終 わり、アーキテクチュアの始 まり 10 years after any 」、浅田 彰 共著 、鹿島 出版 会 、2010年 - 「
磯崎 新 の建築 ・美術 をめぐる10の事件 簿 」新保 淳 乃・阿部 真弓 共著 、TOTO出版 、2010年 - 『
磯崎 新 インタヴューズ』き手 日 埜直彦 、LIXIL出版 2014 - 『
日本 建築 思想 史 』き手 横手 義洋 、太田出版 atプラス叢書 2015 - 『
磯崎 新 と藤森 照 信 の茶席 建築 談義 』藤森 照 信 共著 六 耀社 2015 - 『
磯崎 新 と藤森 照 信 のモダニズム建築 談義 』藤森 照 信 共著 六 耀社 2016 - 『
磯崎 新 と藤森 照 信 の「にわ」建築 談義 』藤森 照 信 共著 六 耀社 2017
翻訳
[- バーナード・レイトナー
編 『ウィトゲンシュタインの建築 』青土 社 1989、新版 2008ほか
審査 員 を務 めたコンペ・コーディネートを務 めたプロジェクト
[1 |
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1982 |
パリ | フランス | ベルナール・チュミ | ||
1983 |
|
ザハ・ハディッド | |||
1986 |
|
||||
1986 |
|
ワークステーション | |||
せんだいメディアテーク | 1995 |
|
|||
1994-95 |
|
エフ・オー・アーキテクツ | |||
1995 |
|
ジョゼッペ・バローネ | |||
2002 |
|
レム・コールハース |
ネクサスワールド | 1991 |
|
||
1998 |
|
脚注
[- ^ 20
世紀 日本人 名 事典 . “磯崎 藻 二 (イソザキ ソウジ)とは?意味 や使 い方 ”. コトバンク. 2024年 10月 10日 閲覧 。 - ^ a b 「
私 の履歴 書 磯崎 新 」日本経済新聞 、2009/5/3 - ^ “Muere el arquitecto Arata Isozaki, autor del Palau Sant Jordi”. La Vanguardia. (29 December 2022) 29 December 2022
閲覧 。 - ^ “
朝日 賞 1971-2000年度 ”.朝日新聞社 . 2022年 8月 31日 閲覧 。 - ^ “プリツカー
賞 |現代 美術 用語 辞典 ver.2.0”. artscape.jp. 2019年 12月 20日 閲覧 。 - ^
磯崎 新 『磯崎 新 の発想 法 建築 家 の創作 の秘密 』王国 社 - ^ 『10+1』 No.13 (メディア
都市 の地政学 ) pp.25-32 - ^
八束 はじめ. “建築 と文学 をめぐる鉄人 同士 の知的 蕩尽 ”. 10+1 website. 2024年 10月 10日 閲覧 。 - ^
沢木 耕 太郎 『深夜 特急 4 シルクロード』新潮社 文庫 - ^ https://live.nicovideo.jp/watch/lv33643068 ニコニコ
生放送 「村上 隆 の芸術 闘争 論 #2」森川 嘉一郎 ・談 - ^
日経 クロステック(xTECH) (2011年 2月 4日 ). “外装 剥落 の責任 :管理 者 が設計 者 に求償 することも”.日経 クロステック(xTECH). 2024年 10月 10日 閲覧 。 - ^ [1]
- ^
日経 クロステック(xTECH) (2010年 11月22日 ). “スレート落下 対策 に8億 ~14億 円 、磯崎 氏 設計 の施設 で”.日経 クロステック(xTECH). 2024年 10月 10日 閲覧 。 - ^ “
磯崎 新 による、新 国立 競技 場 に関 する意見 の全文 ”. architecturephoto.net (2014年 11月7日 ). 2023年 1月 10日 閲覧 。 - ^
飛騨 市 神岡 図書館 - ^ “「
磯崎 新 の謎 」展 が大分 市 美術館 で開催 中 。「いき」と「しま」を軸 にその思考 を紐解 く”.美術 手帖 . 2019年 12月11日 閲覧 。
文献
[磯崎 新 アトリエ出身 の人物
[建築 家
[六角 鬼 丈 - 1965~68年 、所員 。建築 家 、東京芸術大学 名誉 教授 西岡 弘 - 1970~84年 、所員 。建築 家 牛田 英作 - 1976~83年 、所員 。建築 家 渡辺 誠 - 1976~84年 、所員 。建築 家 、渡辺 誠 アーキテクツオフィス主宰 菊池 誠 (建築 家 ) - 1978~2002年 、所員 。建築 家 、建築 評論 家 、芝浦工業大学 教授 八束 はじめ - 1979~85年 、所員 。建築 家 、建築 史 家 、建築 評論 家 、芝浦工業大学 教授 堀内 正弘 - 1980~81年 、所員 。建築 家 、都市 工房 主宰 、多摩美術大学 教授 渡辺 真理 - 1981~87年 、所員 。建築 家 、法政大学 教授 青木 淳 - 1982~91年 、所員 。建築 家 、青木 淳 建築 計画 事務所 主宰 岸田 省吾 - 1982年 ~91年 、所員 。建築 家 、建築 学者 、東京大学 教授 坂 茂 - 1982~83年 、所員 。建築 家 、坂 茂 建築 設計 主宰 吉 松 秀樹 - 1984~87年 、所員 。建築 家 、アーキプロ主宰 、東海大学 教授 城戸崎 和佐 - 1984~85年 、所員 。建築 家 、キカ (建築 組織 )主宰 、京都工芸繊維大学 准 教授 玄 ・ベルトー・進 来 - 1984年 ~90年 、所員 。建築 家 三浦 周治 - 1984~87年 、所員 。建築 家 今 永 和利 - 1985~96年 、所員 。建築 家 、今 永 環境 計画 主宰 彦根 明 - 1987~90年 、所員 。建築 家 、彦根 建築 設計 事務所 主宰 高橋 邦明 (建築 家 ) - 1992年 、所員 。建築 家 原田 真宏 - 2003~04年 、所員 。建築 家 、MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO主宰 、芝浦工業大学 教授 宮崎 晃 吉 - 2008〜11年 、所員 。建築 家 、HAGISO代表 取締役 京谷 友也 - 2009〜16年 、所員 。建築 家 、京谷 建築 設計 室 代表
他
[- ヴィヴィアン
佐藤 - 1996年 から磯崎 新 アトリエ
関連 項目 ・人物
[- マニエリスム
- ポストモダン
槇 文彦 谷口 吉生 大江 健三郎 - 「へるめす」同人 大岡 信 -同上 武満 徹 -同上 中村 雄二郎 -同上 山口 昌男 -同上 井上 ひさし - 「へるめす」の前身 である「例 の会 」メンバー清水 徹 -同上 東野 芳明 -同上 一柳 慧 -同上 鈴木 忠志 -同上 原 広司 -同上 吉田 喜重 -同上 渡邊 守 章 -同上