チャールズ・オーモンド・イームズ Jr (Charles Ormond Eames, Jr、1907年 ねん 6月17日 にち - 1978年 ねん 8月 がつ 21日 にち )は、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく のデザイナー 、建築 けんちく 家 か 、映像 えいぞう 作家 さっか 。妻 つま のレイ・イームズ と共 とも に、積層 せきそう 合板 ごうはん やプラスチック 、金属 きんぞく といった素材 そざい を用 もち いて、20世紀 せいき における工業 こうぎょう 製品 せいひん のデザイン に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた える作品 さくひん を残 のこ した。
人物 じんぶつ ・来歴 らいれき [ 編集 へんしゅう ]
チャールズ・イームズ は、1907年 ねん 、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく ミズーリ州 しゅう セントルイス に1男 なん 第 だい 5子 し として生 う まれた。12歳 さい の時 とき 、父 ちち が他界 たかい 。母 はは と姉 あね と共 とも に二 に 人 にん の叔母 おば の家 いえ に移 うつ り住 す む。その頃 ころ から写真 しゃしん を趣味 しゅみ にしていた父親 ちちおや の遺 のこ した機材 きざい を使 つか い写真 しゃしん 撮影 さつえい を始 はじ めた。14歳 さい の頃 ころ 、高校 こうこう へ通 かよ いながら放課後 ほうかご や週末 しゅうまつ にレイクリード・スチール社 しゃ で製図 せいず 工 こう 見習 みなら いとして勤 つと め、設計 せっけい や製図 せいず を身 み につけたといわれている。
イームズは、1925年 ねん から1928年 ねん の間 あいだ 、奨学 しょうがく 金 きん を受 う けセントルイス・ワシントン大学 だいがく 建築 けんちく 学科 がっか へ通 とお った。彼 かれ は、研究 けんきゅう 課題 かだい として建築 けんちく 家 か のフランク・ロイド・ライト を取 と り上 あ げることを教授 きょうじゅ らに提案 ていあん し、近代 きんだい 建築 けんちく に過度 かど に熱 ねつ をあげ過 す ぎたため、退学 たいがく となってしまう。その理由 りゆう としてある教授 きょうじゅ は、「彼 かれ の物 もの の見方 みかた はモダンすぎる。」というコメントをレポートに残 のこ している。ワシントン大学 だいがく 在学 ざいがく 中 ちゅう 、彼 かれ は最初 さいしょ の妻 つま 、キャサリン・ウォーマン と出会 であ い、1929年 ねん に結婚 けっこん 。ヨーロッパ旅行 りょこう へ行 い き、モダニズム建築 けんちく に触 ふ れる。その後 ご 、娘 むすめ ルーシアをもうけている。
アメリカへ戻 もど ったイームズであったが、世界 せかい 恐慌 きょうこう の折 おり 、仕事 しごと はほとんどなく、チャールズ・グレイ、その後 ご にはウォルター・ポーリーとパートナーを組 く み、1930年 ねん セント・ルイスで建築 けんちく 設計 せっけい 事務所 じむしょ を開設 かいせつ 。その間 あいだ に設計 せっけい した聖 せい メリーズ教会 きょうかい が「アーキテクチュアル・フォーラム」に取 と り上 あ げられ、それを見 み たエリエル・サーリネン が手紙 てがみ を送 おく ったことでサーリネンとイームズの交流 こうりゅう が始 はじ まる。
イームズに大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えた人物 じんぶつ にフィンランド 人 ひと の建築 けんちく 家 か 、エリエル・サーリネン (後 のち にその息子 むすこ でエーロ・サーリネン とはパートナーとなり親友 しんゆう となる)がいる。1936年 ねん 、エリエル・サーリネンの招待 しょうたい で、イームズは妻子 さいし と共 とも にミシガンへ引 ひ っ越 こ し、「クランブルック美術 びじゅつ 学院 がくいん 」に奨学生 しょうがくせい として入学 にゅうがく 。後年 こうねん には同校 どうこう でインダストリアルデザイン学科 がっか 長 ちょう として教壇 きょうだん に立 た つ。イームズの入学 にゅうがく 申請 しんせい 当時 とうじ 、同校 どうこう の建築 けんちく ・都市 とし 計画 けいかく コースでは、新入 しんにゅう 学生 がくせい は前 まえ もって設計 せっけい 課題 かだい の決定 けってい と、そのための情報 じょうほう 収集 しゅうしゅう を行 おこな っておくことを必須 ひっす としており、彼 かれ はセントルイスのウォーターフロントに興味 きょうみ を持 も っていたという。
1940年 ねん 、イームズは、エーロ・サーリネンとともに、ニューヨーク近代 きんだい 美術館 びじゅつかん 開催 かいさい の「オーガニック家具 かぐ デザイン」コンペに応募 おうぼ する。成型 せいけい 合板 ごうはん を使 つか った椅子 いす 、棚 たな 、机 つくえ を出品 しゅっぴん し6部門 ぶもん 中 ちゅう 2部門 ぶもん で優賞 ゆうしょう した。彼 かれ らの作品 さくひん は、アルヴァ・アールト の開発 かいはつ した木材 もくざい 成型 せいけい の新 しん 技術 ぎじゅつ を見事 みごと に利用 りよう し、3次元 じげん の立体 りったい 曲線 きょくせん によって背面 はいめん と座 ざ 面 めん 、肘掛 ひじか けを継 つ ぎ目 め なしで繋 つな いだ物 もの であった。
イームズ邸 てい (1949年 ねん )
1941年 ねん 、妻 つま のキャサリンと離婚 りこん 。クランブルック美術 びじゅつ 学院 がくいん に勤務 きんむ する同僚 どうりょう であり、カリフォルニア州 しゅう サクラメント 出身 しゅっしん のレイ・カイザー と再婚 さいこん する。同年 どうねん 、クランブルックの教職 きょうしょく を辞 じ し、その後 ご の生涯 しょうがい にわたる活動 かつどう 拠点 きょてん となるロサンゼルス へ移 うつ る。メトロ・ゴールドウィン・メイヤー の美術 びじゅつ 部 ぶ に勤 つと めながら、合板 ごうはん を使 つか った家具 かぐ の大量 たいりょう 生産 せいさん に向 む けた製作 せいさく に取 と り組 く み始 はじ める。その後 ご もイームズは合板 ごうはん の成型 せいけい 装置 そうち を発明 はつめい するなど成型 せいけい 合板 ごうはん の技術 ぎじゅつ を発展 はってん させ、多 おお くの製品 せいひん を開発 かいはつ した。その作品 さくひん は、椅子 いす をはじめとする家具 かぐ にとどまらず、彫刻 ちょうこく 作品 さくひん 、骨折 こっせつ 時 じ に使 つか う添 そ え木 ぎ や担架 たんか 、飛行機 ひこうき の部品 ぶひん 、にまでおよび、中 なか でも脚 あし 用 よう の添 そ え木 ぎ 「レッグ・スプリント」は海軍 かいぐん で採用 さいよう され、第 だい 2次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 終了 しゅうりょう までの間 あいだ にのべ15万 まん 本 ほん 以上 いじょう も製造 せいぞう された。「レッグ・スプリント」はイームズの手 て がけた最初 さいしょ の大量 たいりょう 生産 せいさん 品 ひん でもあった。
積層 せきそう 合板 ごうはん を使 つか った製品 せいひん の大量 たいりょう 生産 せいさん の実現 じつげん に努 つと める一方 いっぽう で、1942年 ねん からはジョン・エテンザが中心 ちゅうしん となりロサンゼルス で発行 はっこう されていた芸術 げいじゅつ 雑誌 ざっし 「アーツ&アーキテクチャー(arts & architecture)」の編集 へんしゅう に加 くわ わる。1949年 ねん には、その企画 きかく であるケース・スタディ・ハウス に参加 さんか し、自邸 じてい であるNo.8を手掛 てが けている。太平洋 たいへいよう を見下 みお ろす崖 がけ の上 うえ に建 た てられたイームズ邸 てい は、建築 けんちく 費 ひ を抑 おさ えるため、鉄骨 てっこつ から内装 ないそう 材 ざい に至 いた る、その部材 ぶざい の全 すべ てがアメリカ国内 こくない で流通 りゅうつう していた既製 きせい 品 ひん によって構成 こうせい されており、工業 こうぎょう 化 か 時代 じだい の新 あたら しい建築 けんちく のあり方 かた を示 しめ すものとして、記念 きねん 碑 ひ 的 てき な位置 いち づけをされている。
チャールズ・イームズは、1978年 ねん 8月 がつ 21日 にち 、故郷 こきょう セントルイスへの帰省 きせい 中 ちゅう 、心臓 しんぞう 発作 ほっさ で息 いき を引 ひ き取 と る。71歳 さい 没 ぼつ 。現在 げんざい は、セントルイス・ウォーク・オブ・フェームにその名 な を刻 きざ まれている。妻 つま レイ・イームズが息 いき を引 ひ き取 と ったのは10年 ねん 後 ご 、奇 く しくもチャールズと同 おな じ日付 ひづけ 、1988年 ねん 8月 がつ 21日 にち であった。
Eames Lounge Chair Wood
1950年代 ねんだい もイームズ夫妻 ふさい は建築 けんちく 、家具 かぐ のデザインを続 つづ け、初期 しょき に手掛 てが けた合板 ごうはん 加工 かこう だけでなく、プラスチック、繊維 せんい 強化 きょうか プラスチック 、ワイヤー を素材 そざい とした椅子 いす をデザインし、家具 かぐ メーカーのハーマンミラー 社 しゃ に提供 ていきょう した。
一方 いっぽう で、ショートフィルム の製作 せいさく にも興味 きょうみ を示 しめ し、1960年代 ねんだい 以降 いこう は、ショートフィルム製作 せいさく と展覧 てんらん 会 かい プロデュースを主 おも な活動 かつどう としてゆくことになる。ショートフィルムの作品 さくひん には未完 みかん の処女 しょじょ 作 さく 「旅 たび する少年 しょうねん (Traveling Boy)」(1950年 ねん )、代表 だいひょう 作 さく 「パワーズ・オブ・テン(Powers of Ten )」(1977年 ねん )などがある。彼 かれ らの作品 さくひん は想像 そうぞう 力 りょく に溢 あふ れ、実験 じっけん 的 てき であり、当時 とうじ チャールズが講師 こうし を務 つと めていたカリフォルニア大学 だいがく バークレー校 こう では教育 きょういく の場 ば にも用 もち いられた。
イームズ夫妻 ふさい によって制作 せいさく されたショートフィルムには、旅行 りょこう 中 ちゅう に興味 きょうみ を惹 ひ かれて収集 しゅうしゅう した、おもちゃや土産物 みやげもの を記録 きろく したものが多 おお い。また、自 みずか らの展示 てんじ の制作 せいさく 過程 かてい や、伝統 でんとう 的 てき な家具 かぐ の製作 せいさく 風景 ふうけい 、あるいは駐車 ちゅうしゃ 場 じょう の路面 ろめん の上 うえ で動 うご く石鹸 せっけん の泡 あわ など、ありふれたものも撮影 さつえい している。おそらく最 もっと も有名 ゆうめい な 「パワーズ・オブ・テン」では、数量 すうりょう の比較 ひかく を視覚 しかく 的 てき に捉 とら え、視点 してん を地球 ちきゅう から宇宙 うちゅう の果 は てへと拡大 かくだい し、そして炭素 たんそ 原子 げんし の原子核 げんしかく へと縮小 しゅくしょう していく様 さま を劇的 げきてき に見 み せている。チャールズは写真 しゃしん 家 か としても多作 たさく であり、自身 じしん の家具 かぐ 、展示 てんじ 品 ひん 、収集 しゅうしゅう 品 ひん を75万 まん 枚 まい もの写真 しゃしん に納 おさ めており、これらは現在 げんざい 、アメリカ議会 ぎかい 図書館 としょかん に収蔵 しゅうぞう されている。
イームズ夫妻 ふさい は、展示 てんじ のプロデュースも数多 かずおお く行 い っている。最初 さいしょ の作品 さくひん は、IBM の依頼 いらい による「マスマティカ展 てん :数 かず の世界 せかい …そしてその向 む こう(Mathematica: a world of numbers...and beyond)」という展示 てんじ であり、これは唯一 ゆいいつ 現存 げんそん しているものでもある。元々 もともと は現 げん カルフォルニア科学 かがく センター(California Science Center)の新 しん 棟 むね のために制作 せいさく されたものであったが、現在 げんざい はニューヨーク科学 かがく 館 かん (New York Hall of Science)にて展示 てんじ されている。1961年 ねん 、シカゴ科学 かがく 産業 さんぎょう 博物館 はくぶつかん のために複製 ふくせい され、1980年 ねん にはボストン科学 かがく 博物館 はくぶつかん に移 うつ された。1964/65年 ねん のニューヨーク世界 せかい 博覧 はくらん 会 かい にて、IBMパビリオンで展示 てんじ されたものは、これの別 べつ バージョンであり、博覧 はくらん 会 かい 後 ご はシアトルのパシフィック・サイエンス・センターにて、1980年 ねん まで展示 てんじ された。マスマティカ展 てん は、今 いま も、科学 かがく を一般 いっぱん に広 ひろ めるための展示 てんじ の、モデルとして評価 ひょうか されている。その後 ご も、 「A Computer Perspective: Background to the Computer Age」(1971年 ねん 。1973年 ねん にエキシビジョンの内容 ないよう をまとめて書籍 しょせき を刊行 かんこう 。1990年 ねん に内容 ないよう を大幅 おおはば に追加 ついか された新版 しんぱん が刊行 かんこう 。日本語 にほんご 版 ばん は1994年 ねん にアスキーから。現在 げんざい はちくま学芸 がくげい 文庫 ぶんこ より)、「 フランクリンとジェファーソンの世界 せかい 」(1975-1977年 ねん )などの作品 さくひん がある。
イームズ夫妻 ふさい のデザインによるハンガーラック「ハング・イット・オール(Hang-It-All)」(1953年 ねん )
チャールズ&レイ・イームズ事務所 じむしょ は、40年 ねん 以上 いじょう (1943-88年 ねん )にも渡 わた り、カルフォルニア州 しゅう ロサンゼルス、901 Washington Boulevard in Veniceで活動 かつどう を続 つづ け、ドン・アルビソン(Don Albinson)やデボラ・サスマン(Deborah Sussman)といったデザイナーを輩出 はいしゅつ した。ここで生 う まれたデザインは、合板 ごうはん 成形 せいけい によるDCW(Dining Chair Wood)やDCM(Dining Chair Metal with a plywood seat)(1945年 ねん )、Eames Lounge Chair (1956年 ねん )、Aluminum Group furniture (1958年 ねん )、友人 ゆうじん である映画 えいが 監督 かんとく ビリー・ワイルダー のためにデザインした、Eames Chaise (1968年 ねん )、Do-Nothing Machine (1957)、ソーラー・エネルギーの実験 じっけん 、そして数 すう 多 おお くのおもちゃなど、多岐 たき にわたる。
ラウンジチェア&オットマン
建築 けんちく
1936年 ねん ディンスモア・ハウス ロバート・ウォルシュと共同 きょうどう 設計 せっけい
1938年 ねん マイヤー邸 てい ロバート・ウォルシュと共同 きょうどう 設計 せっけい
1949年 ねん イームズ邸 てい (ケース・スタディ・ハウスNo.8)
1949年 ねん エンテンザ邸 てい (ケース・スタディ・ハウスNo.9)エーロ・サーリネンと共同 きょうどう 設計 せっけい
家具 かぐ
映像 えいぞう
その他 た
注釈 ちゅうしゃく ・出典 しゅってん [ 編集 へんしゅう ]
EAMES DESIGN CHARLES & RAY EAMES(アプト・インターナショナル、2001年 ねん )
日本 にっぽん での展覧 てんらん 会 かい ・チャールズ・イームズ写真 しゃしん 展 てん [1]
全般 ぜんぱん 国立 こくりつ 図書館 としょかん 学術 がくじゅつ データベース芸術 げいじゅつ 家 か 人物 じんぶつ その他 た