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IBM (アイビーエム、正式 せいしき 名 めい : International Business Machines Corporation )は、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく ニューヨーク州 しゅう アーモンク に本社 ほんしゃ を置 お くテクノロジー関連 かんれん 企業 きぎょう 。世界 せかい 170か国 こく 以上 いじょう [5] で事業 じぎょう を展開 てんかい する典型 てんけい 的 てき な多 た 国籍 こくせき 企業 きぎょう であり、世界 せかい 最大手 さいおおて 規模 きぼ のIT企業 きぎょう 。IBMの愛称 あいしょう はビッグブルー、 IBM社員 しゃいん の愛称 あいしょう はIBMer 。行動 こうどう 指針 ししん は、「お客様 きゃくさま の成功 せいこう に全力 ぜんりょく を尽 つ くす」「私 わたし たち、そして世界 せかい に価値 かち あるイノベーション」「あらゆる関係 かんけい における信頼 しんらい と一人 ひとり ひとりの責任 せきにん 」。社員 しゃいん への教育 きょういく 理念 りねん は、「教育 きょういく に飽和 ほうわ 点 てん はない」。社員 しゃいん の文化 ぶんか として、何 なに ものにもとらわれず「野 の 鴨 かも 」、「THINK 」などがあり、これらは創業 そうぎょう 時 じ から100年 ねん 以上 いじょう 続 つづ いている[6] 。
IBMは1911年 ねん にC-T-R として創立 そうりつ され、特 とく に1960年代 ねんだい 以降 いこう はコンピュータ市場 いちば で圧倒的 あっとうてき な影響 えいきょう 力 りょく を持 も ったが、1990年代 ねんだい 以降 いこう はコンサルティング を含 ふく めたサービス とソフトウェア 中心 ちゅうしん の事業 じぎょう に舵 かじ を切 き り、2010年代 ねんだい 頃 ごろ にはクラウドコンピューティング とコグニティブコンピューティング を提供 ていきょう する企業 きぎょう と自己 じこ 定義 ていぎ している。以降 いこう も、レッドハット の巨額 きょがく 買収 ばいしゅう (2019)やキンドリル のスピンオフ (2020)等 とう で絶 た えず事業 じぎょう を組 く み替 か え、近年 きんねん は、プラットフォームを中心 ちゅうしん とするハイブリッドクラウドやAI、ソフトウェア 、コンサルティング 事業 じぎょう をコア事業 じぎょう としている。IBMは企業 きぎょう 別 べつ 特許 とっきょ 取得 しゅとく 数 すう で29年 ねん 連続 れんぞく 一 いち 位 い を保持 ほじ してきた。2022年 ねん 現在 げんざい 、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の代表 だいひょう 的 てき 株価 かぶか 指数 しすう とされるダウ平均 へいきん 株価 かぶか を構成 こうせい する30銘柄 めいがら のうちの一 いち 社 しゃ である。
事業 じぎょう 内容 ないよう はコンピュータ 関連 かんれん のサービス およびコンサルティング の提供 ていきょう と、ソフトウェア 、ハードウェア の開発 かいはつ ・製造 せいぞう ・販売 はんばい ・保守 ほしゅ 、およびそれらに伴 ともな うファイナンシング 、メインフレームコンピュータからナノテクノロジーに至 いた る分野 ぶんや でサービスを提供 ていきょう している。
IBMの発明 はつめい : (左上 ひだりうえ )ハードディスクドライブ 、(右上 みぎうえ )DRAM 、(左下 ひだりした )磁気 じき ストライプカード 、(右 みぎ 下 か )UPCバーコード
IBMは研究 けんきゅう 機関 きかん としても有名 ゆうめい でもある、2016年 ねん 時点 じてん では米国 べいこく 特許 とっきょ 取得 しゅとく 数 すう が23年 ねん 連続 れんぞく の1位 い となった[7] 。IBMによる発明 はつめい はDRAM 、ハードディスク 、フロッピーディスク 、磁気 じき ストライプカード 、リレーショナルデータベース (RDB)、SQL プログラミング言語 げんご 、バーコード 、現金 げんきん 自動 じどう 預 あづ け払 ばら い機 き (ATM)などがある。
IBMは既存 きそん のコモディティ化 か した市場 いちば を脱出 だっしゅつ し、高 こう 付加 ふか 価値 かち な収益 しゅうえき 性 せい の高 たか い市場 いちば に着目 ちゃくもく することで、事業 じぎょう 構成 こうせい を絶 た えず組 く み替 か えている。例 たと えばプリンタ事業 じぎょう をLexmark に分社 ぶんしゃ し(1991年 ねん に)、レノボ へのパーソナルコンピュータ (ブランド、ThinkPad やNetVista など)およびx86ベースのサーバー事業 じぎょう を売却 ばいきゃく (2005年 ねん と2014年 ねん )。またファブレス 化 か として2014年 ねん にIBMのグローバルな商用 しょうよう 半導体 はんどうたい 技術 ぎじゅつ 事業 じぎょう を米 べい GLOBALFOUNDRIES に工場 こうじょう 、技術 ぎじゅつ 者 しゃ 、テクノロジー知的 ちてき 財産 ざいさん だけではなく、現金 げんきん 15億 おく ドルまでも付 つ けて譲渡 じょうと [8] 。2021年 ねん には成長 せいちょう 分野 ぶんや のクラウドとAIに集中 しゅうちゅう するため、売 う り上 あ げの四 よん 分 ぶん の一 いち を占 し めるITインフラの保守 ほしゅ ・更新 こうしん 事業 じぎょう を新 しん 会社 かいしゃ 名 めい はキンドリル としてスピンオフ。一方 いっぽう でPwCコンサルティング (2002年 ねん )、SPSS (2009年 ねん )、Weather Company (2016年 ねん )などの企業 きぎょう を買収 ばいしゅう している。
製品 せいひん やロゴの色 いろ から本国 ほんごく アメリカでは「Big Blue 」の愛称 あいしょう で呼 よ ばれている。これに由来 ゆらい してIBMのプロジェクト には「Blue」を冠 かん するものが多 おお く、広告 こうこく などのイメージカラーになっている。IBM社員 しゃいん はIBMの価値 かち 観 かん を体現 たいげん する者 もの として、IBMerという呼称 こしょう を用 もち いている。ダウ平均 へいきん 株価 かぶか の銘柄 めいがら に含 ふく まれる30社 しゃ のうちの1社 しゃ であり、2016年 ねん 時点 じてん で約 やく 38万 まん 人 にん [5] の従業 じゅうぎょう 員数 いんずう がいる世界 せかい 最大 さいだい 級 きゅう の規模 きぼ の企業 きぎょう となっている。基礎 きそ 科学 かがく の研究 けんきゅう にも力 ちから を入 い れワトソン研究所 けんきゅうじょ やチューリッヒ研究所 けんきゅうじょ からはノーベル賞 しょう 受賞 じゅしょう 者 しゃ を輩出 はいしゅつ 。IBM社員 しゃいん から5人 にん のノーベル賞 しょう 、6人 にん のチューリング賞 しょう 、10人 にん のアメリカ国家 こっか 技術 ぎじゅつ 賞 しょう 、5人 にん のアメリカ国家 こっか 科学 かがく 賞 しょう の受賞 じゅしょう 者 しゃ を輩出 はいしゅつ している。
IBMは企業 きぎょう 別 べつ 特許 とっきょ 取得 しゅとく 数 すう で長年 ながねん にわたり一 いち 位 い を保持 ほじ してきており、2022年 ねん にサムスン電子 でんし へ一 いち 位 い の座 ざ を譲 ゆず るまで、連続 れんぞく 一 いち 位 い 取得 しゅとく 記録 きろく は29年間 ねんかん 続 つづ いた。IBMは、2020年 ねん 以降 いこう 特許 とっきょ に注力 ちゅうりょく しない方針 ほうしん に転換 てんかん していた旨 むね の声明 せいめい を出 だ している[9] 。
元 もと CEO のジニー・ロメッティ は、米 べい Fortune誌 し が選 えら ぶ「ビジネス界 かい で最 もっと もパワフルな女性 じょせい 」 の一人 ひとり として長年 ながねん ランクインしている。
100年 ねん 以上 いじょう の歴史 れきし を持 も つ希有 けう なアメリカ企業 きぎょう であり、いまだ創業 そうぎょう 時 じ の理念 りねん や行動 こうどう 規範 きはん を尊重 そんちょう する文化 ぶんか を持 も つ。誠実 せいじつ さを象徴 しょうちょう するため、事実 じじつ 上 じょう のドレスコードであった青 あお いスーツに白 しろ いシャツからIBMの企業 きぎょう としての呼称 こしょう にビッグブルー が用 もち いられることが多 おお い。また、IBM社員 しゃいん のことをIBMer と称 しょう する。ビッグブルーとは、あまりにも強 つよ すぎるIBMの市場 いちば における存在 そんざい 感 かん に対 たい する畏敬 いけい の意 い として用 もち いることもあれば、保守 ほしゅ 的 てき で均一 きんいつ 的 てき なことへの揶揄 やゆ として用 もち いることもある。ルイス・ガースナー がIBMを抜本 ばっぽん 的 てき に改革 かいかく するため、CEO就任 しゅうにん 時 じ にあえてブルーのシャツを着 き て役員 やくいん 会 かい に出席 しゅっせき したことで、事実 じじつ 上 じょう のドレスコードは撤廃 てっぱい された[10] 。
1916年 ねん 、トーマス・J・ワトソン・シニアはIBM教育 きょういく プログラムを策定 さくてい し、社員 しゃいん への教育 きょういく をコミットメントした。この際 さい にできたのが、「教育 きょういく に飽和 ほうわ 点 てん はない 」という現在 げんざい まで続 つづ く理念 りねん である。
1962年 ねん 、当時 とうじ CEOであったトーマス・J・ワトソン・ジュニア がコロンビア大学 ころんびあだいがく でIBMの指針 ししん である、「個人 こじん の尊重 そんちょう 」「最善 さいぜん の顧客 こきゃく サービス 」「完全 かんぜん 性 せい の追求 ついきゅう 」についてスピーチした。この指針 ししん は21世紀 せいき の今 いま なお、IBMのDNAとして続 つづ くものである。また、IBMは企業 きぎょう のビジョンを示 しめ すことはなく、変化 へんか し続 つづ ける市場 いちば で重要 じゅうよう なのは「在 あ り方 かた 」であるとしている[11] 。
2003年 ねん の7月 がつ 29日 にち から31日 にち の3日間 にちかん 、当時 とうじ のCEOであったサミュエル・パルミサーノがオンラインジャムセッションを主催 しゅさい し、行動 こうどう 規範 きはん や価値 かち 観 かん について議論 ぎろん するため、数 すう 万 まん 人 にん のIBMerが参加 さんか した。当時 とうじ 、企業 きぎょう 理念 りねん を大 だい 規模 きぼ な社員 しゃいん が議論 ぎろん して策定 さくてい することも、オンラインでジャムセッションすることも極 きわ めて珍 めずら しいことだった。このジャムセッションを元 もと に、2003年 ねん 11月にIBMは新 あたら しい価値 かち 観 かん として、「お客様 きゃくさま の成功 せいこう に全力 ぜんりょく を尽 つ くす 」「私 わたし たち、そして世界 せかい に価値 かち あるイノベーション 」「あらゆる関係 かんけい における信頼 しんらい と一人 ひとり ひとりの責任 せきにん 」を発表 はっぴょう した。これは、「個人 こじん の尊重 そんちょう 」「最善 さいぜん の顧客 こきゃく サービス 」「完全 かんぜん 性 せい の追求 ついきゅう 」という40年 ねん 前 まえ の企業 きぎょう 理念 りねん を現代 げんだい 風 ふう にい換 いか えたものであり、IBMの行動 こうどう 規範 きはん が40年 ねん 以上 いじょう にわたってDNAとして続 つづ いていることをIBMが認 みと めている[12] 。
社員 しゃいん への教育 きょういく 理念 りねん は、「教育 きょういく に飽和 ほうわ 点 てん はない 」。社員 しゃいん の文化 ぶんか である「野 の 鴨 かも 」は、ビジネスでは飼 か い慣 な らされない野 の 鴨 かも のような挑戦 ちょうせん する精神 せいしん を持 も って欲 ほ しいということで、デンマークの哲学 てつがく 者 しゃ セーレン・キェルケゴール の書物 しょもつ から引用 いんよう して作 つく られた[13] 。
大文字 おおもじ で書 か かれた「THINK 」は創業 そうぎょう 者 しゃ トーマス・J・ワトソン・シニアが、「考 かんが えることがあらゆる前進 ぜんしん を生 う み出 だ す源 みなもと 」として1915年 ねん に講演 こうえん したことに起因 きいん する[14] 。
社員 しゃいん の尊重 そんちょう [ 編集 へんしゅう ]
1953年 ねん 、トーマス・ワトソン・ジュニアは社会 しゃかい の潮流 ちょうりゅう に先駆 さきが け、人種 じんしゅ 、肌 はだ の色 いろ 、宗教 しゅうきょう で差別 さべつ しないという規定 きてい を策定 さくてい した[15] 。これは1954年 ねん のブラウン対 たい 教育 きょういく 委員 いいん 会 かい 裁判 さいばん での連邦 れんぽう 最高裁 さいこうさい 判決 はんけつ の1年 ねん 前 まえ 、そして1964年 ねん の公民 こうみん 権 けん 法 ほう 制定 せいてい の11年 ねん 前 まえ にあたる。
1981年 ねん 、やがて到来 とうらい するネットワーク社会 しゃかい を見据 みす えて、オフィスシステムをネットワーク化 か し、リモート環境 かんきょう でも社内 しゃない システムにアクセスできるようにした。やがてインターネットの普及 ふきゅう により、この仕組 しく みはイントラネットに移行 いこう するが当時 とうじ としては時代 じだい の最先端 さいせんたん をいく試 こころ みであった。
1999年 ねん 、イントラネットを用 もち いて部分 ぶぶん 的 てき 在宅 ざいたく 勤務 きんむ が制度 せいど 化 か され、2009年 ねん には完全 かんぜん 在宅 ざいたく 勤務 きんむ が認 みと められた。一般 いっぱん 的 てき な企業 きぎょう の約 やく 10年 ねん から20年 ねん 前 まえ に実現 じつげん した取 と り組 く みだった。
2004年 ねん 、オンデマンドワークスタイルを取 と り入 い れ、オフィス内 ない をフリーアドレス化 か し、「社員 しゃいん に働 はたら く場所 ばしょ は自由 じゆう 」であることを明示 めいじ し、顧客 こきゃく エンゲージメントや在宅 ざいたく 勤務 きんむ に対 たい する心理 しんり 的 てき 抵抗 ていこう を下 さ げる施策 しさく をうった。
2017 年 ねん 、IBM はWorking Mother の100 Best Companies List に 32 年 ねん 連続 れんぞく で選 えら ばれた[16] 。
これ以外 いがい にも、週休 しゅうきゅう 2日 にち 制 せい (1972年 ねん )、産休 さんきゅう (1974年 ねん )、フレックスタイム(1989年 ねん )、長期 ちょうき 勤続 きんぞく リフレッシュ休暇 きゅうか (1990年 ねん )、介護 かいご 休暇 きゅうか (1991年 ねん )、ボランティア休暇 きゅうか (1991年 ねん )、短時間 たんじかん 勤務 きんむ (2004年 ねん )など、社員 しゃいん の働 はたら ける条件 じょうけん で働 はたら くという環境 かんきょう を作 つく るため、世界 せかい でも最先端 さいせんたん の試 こころ みを最 もっと も早 はや く行 い っている企業 きぎょう である。
日本 にっぽん 企業 きぎょう 的 てき な一 いち 面 めん [ 編集 へんしゅう ]
アメリカ企業 きぎょう として珍 めずら しい点 てん として、日本 にっぽん 企業 きぎょう のような社 しゃ 歌 か の存在 そんざい が挙 あ げられる。1931年 ねん に管弦楽 かんげんがく 団 だん を用 もち いてEver Onwardを策定 さくてい している[17] 。創業 そうぎょう から1980年代 ねんだい までリストラをしたことがなく、1950年 ねん に世界 せかい で最初 さいしょ に終身 しゅうしん 雇用 こよう 制 せい を確立 かくりつ したことから、日本 にっぽん 企業 きぎょう 以上 いじょう に日本 にっぽん 企業 きぎょう 的 てき な一 いち 面 めん があった。後述 こうじゅつ の1993年 ねん の巨額 きょがく 赤字 あかじ を機 き に企業 きぎょう 方針 ほうしん を転換 てんかん し、家族 かぞく 的 てき 経営 けいえい からハイパフォーマンスカルチャーへと移行 いこう した[18] 。
また、新卒 しんそつ から生 は え抜 ぬ きの人材 じんざい がCEOになるという伝統 でんとう を持 も っている。唯一 ゆいいつ の例外 れいがい が累積 るいせき 150億 おく ドルの赤字 あかじ を計上 けいじょう した1993年 ねん に、ハーバードビジネススクールMBAを持 も つプロ経営 けいえい 者 しゃ 、ルイス・ガースナー を外部 がいぶ から登用 とうよう し、ターンアラウンドしている。しかし、ルイス・ガースナー退任 たいにん 以降 いこう は再 ふたた び、現 げん CEOのアービン・クリシュナまで生 は え抜 ぬ き人材 じんざい のみがCEOとなっている。
2003年 ねん 、オンデマンド・コミュニティーと称 しょう するプラットフォームをリリースし、退職 たいしょく した社員 しゃいん とITのサポートが必要 ひつよう なNPOや学校 がっこう とのマッチングを行 おこな っている。創業 そうぎょう 時 じ から社会 しゃかい 貢献 こうけん 活動 かつどう に意欲 いよく 的 てき だった取 と り組 く みのオンライン化 か である[19] 。2004年 ねん 、スマトラ沖 おき 地震 じしん 救済 きゅうさい のため、IT機器 きき の無償 むしょう 支給 しきゅう の他 ほか 、IBMerによるボランティアを実施 じっし し、320万 まん ドル相当 そうとう の貢献 こうけん をした。創業 そうぎょう の年 とし 、トーマス・ワトソンは20以上 いじょう の慈善 じぜん 団体 だんたい に資金 しきん を寄付 きふ した他 ほか 、2001年 ねん 、2008年 ねん 、2010年 ねん など天災 てんさい の際 さい に寄付 きふ を続 つづ けている。これらは現在 げんざい のESGの先駆 さきが けであるといえる[20] 。
社会 しゃかい 課題 かだい 解決 かいけつ に対 たい しても積極 せっきょく 的 てき で、2007年 ねん にはストックホルム市 し の交通 こうつう 量 りょう 最適 さいてき 化 か プロジェクトでは、交通 こうつう 量 りょう 25%削減 さくげん 、公共 こうきょう 交通 こうつう 機関 きかん 利用 りよう 者 しゃ 1日 にち 当 あ たり4万 まん 人 にん 増加 ぞうか 、市内 しない の排出 はいしゅつ ガス14%削減 さくげん という成果 せいか を出 だ した。現在 げんざい 多 おお くの企業 きぎょう が取 と り組 く むサステナビリティーの先駆 さきが けとなる施策 しさく を、本業 ほんぎょう で社会 しゃかい 的 てき インパクトを与 あた えることを視野 しや に入 い れて果敢 かかん に取 と り組 く んでいる[21] 。
IBMは大 だい 規模 きぼ かつ多様 たよう な製品 せいひん やサービスを持 も っている。2016年 ねん 時点 じてん ではカテゴリーとして、クラウド・コンピューティング 、コグニティブ・コンピューティング 、コマース、データ&アナリティクス、IoT 、ITインフラストラクチャ、モバイル、およびセキュリティ 、に分類 ぶんるい されている[5] 。
コグニティブ・コンピューティング [ 編集 へんしゅう ]
IBM Watson は自然 しぜん 言語 げんご 処理 しょり と機械 きかい 学習 がくしゅう を用 もち いて大量 たいりょう の非 ひ 構造 こうぞう 化 か データ (例 たと えばメールやSNS、動画 どうが 、画像 がぞう など)から論理 ろんり 的 てき に推論 すいろん し意思 いし 決定 けってい に役立 やくだ たせるためのプラットフォームである。ワトソン は2011年 ねん に米国 べいこく の人気 にんき クイズ番組 ばんぐみ 「ジェパディ! 」でデビューし、3ゲームのトーナメント戦 せん で、人間 にんげん のクイズ王 おう であるケン・ジェニングス とブラッド・ラター を破 やぶ った。それ以来 いらい 、ビジネス、医療 いりょう 、研究 けんきゅう 開発 かいはつ 、および大学 だいがく などの分野 ぶんや で採用 さいよう されている。例 たと えばIBMは米国 べいこく スローンケタリング記念 きねん がんセンター と提携 ていけい しており、臨床 りんしょう データや最新 さいしん の研究 けんきゅう 論文 ろんぶん と患者 かんじゃ データの照合 しょうごう に活用 かつよう し、悪性 あくせい 黒色 こくしょく 腫 しゅ のスクリーニング検査 けんさ のがん患者 かんじゃ 一 いち 人 にん ひとりに最適 さいてき な治療 ちりょう 方法 ほうほう を見 み つける支援 しえん を行 おこな っている[22] 。また企業 きぎょう がコールセンター のためのワトソン を使用 しよう して、顧客 こきゃく サービスのオペレーターを支援 しえん し始 はじ めている。
Natural Language Classifier(2022年 ねん 8月 がつ 8日 にち サービス終了 しゅうりょう [24] )
Dialog
Retrieve and Rank(2017年 ねん 10月 がつ サービス終了 しゅうりょう を発表 はっぴょう [25] )
Document Conversion(2017年 ねん 10月 がつ サービス終了 しゅうりょう を発表 はっぴょう [25] )
Speech to Text
Text to Speech
Personality Insights(2021年 ねん 12月1日 にち サービス終了 しゅうりょう [26] )
Visual Recognition(2021年 ねん 12月1日 にち サービス終了 しゅうりょう [27] )
Watson Assistant
Watson Natural Language Understanding
Watson Discovery[28]
Watson Knowledge Studio[29]
クラウド・コンピューティング [ 編集 へんしゅう ]
クラウド・コンピューティング 関連 かんれん のサービスとしてPaaS 、IaaS 、SaaS を提供 ていきょう している。
など
企業 きぎょう 向 む けミドルウェア (ソフトウェア事業 じぎょう 部 ぶ によるもの、以下 いか の5ブランドで構成 こうせい される)
企業 きぎょう 向 む け(各 かく サーバー事業 じぎょう 部 ぶ によるもの)
1914年 ねん - 1956年 ねん にIBMを率 ひき いたトーマス・J・ワトソン・シニア
IBMの歴史 れきし は電子 でんし 計算 けいさん 機 き の開発 かいはつ の数 すう 十 じゅう 年 ねん 前 まえ に始 はじ まる。電子 でんし 計算 けいさん 機 き の前 まえ には、パンチカード によるデータ処理 しょり 機器 きき を開発 かいはつ していた。1911年 ねん 6月16日 にち 、ニューヨーク州 しゅう エンディコット にコンピューティング・タビュレーティング・レコーディング・カンパニー (C-T-R : C omputing-T abulating-R ecording Company)として設立 せつりつ された。
C-T-R社 しゃ のロゴ
C-T-Rは3つの別個 べっこ の企業 きぎょう の合併 がっぺい を通 つう じて成形 せいけい された。タビュレーティング・マシーン・カンパニー(1896年 ねん 設立 せつりつ )、インターナショナル・タイム・レコーディング・カンパニー・オブ・ニューヨーク(1900年 ねん 設立 せつりつ )、コンピューティング・スケール・カンパニー・オブ・アメリカ(1901年 ねん 設立 せつりつ )の3社 しゃ である。タビュレーティング・マシーン・カンパニーの当時 とうじ の社長 しゃちょう は創業 そうぎょう 者 しゃ のハーマン・ホレリス であった。この合併 がっぺい の鍵 かぎ を握 にぎ っている人物 じんぶつ は資産 しさん 家 か のチャールズ・フリント であり、彼 かれ は3社 しゃ の創業 そうぎょう 者 しゃ を集 あつ めて合併 がっぺい を提案 ていあん し、1930年 ねん に引退 いんたい するまでC-T-Rの取締役 とりしまりやく であった[31] 。
IBMでは1911年 ねん を創立 そうりつ の年 とし としている[32] 。1917年 ねん 、C-T-Rはカナダ 市場 いちば に参入 さんにゅう する際 さい にInternational Business Machine Co., Limitedの社名 しゃめい を使用 しよう し、1924年 ねん 2月 がつ 14日 にち に本体 ほんたい の社名 しゃめい を現在 げんざい と同 おな じInternational Business Machines Corporationに変更 へんこう した。
トーマス・J・ワトソン・シニア はIBMの創立 そうりつ 者 しゃ と記述 きじゅつ されることが多 おお いが、1911年 ねん 時点 じてん の社長 しゃちょう は、ジョージ・W・フェアチャイルドである[33] 。トーマス・J・ワトソン・シニア は、1914年 ねん にNCR からC-T-Rの事業 じぎょう 部長 ぶちょう (ゼネラルマネージャー)として迎 むか えられ、1915年 ねん に社長 しゃちょう となった。彼 かれ は、C-T-RがInternational Business Machines Corporationに社名 しゃめい 変更 へんこう した1924年 ねん の時点 じてん も社長 しゃちょう の任 にん にあった。
C-T-Rの元 もと となった3社 しゃ は様々 さまざま な製品 せいひん を製造 せいぞう していた。従業 じゅうぎょう 員 いん 勤務 きんむ 時間 じかん 記録 きろく システム 、計量 けいりょう 器 き 、自動 じどう 食肉 しょくにく 薄切 うすぎ り機 き 、そしてコンピュータの開発 かいはつ にとって重要 じゅうよう なパンチカード関連 かんれん 機器 きき などである。時 とき とともにC-T-Rはパンチカード関連 かんれん 事業 じぎょう を中心 ちゅうしん とするようになり、他 た の事業 じぎょう は徐々 じょじょ にやめていった。
1933年 ねん 6月 がつ 20日 はつか にエレクトロマチック・タイプライターズ・カンパニー を買収 ばいしゅう して、タイプライター 事業 じぎょう にも乗 の り出 だ した[34] 。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん [ 編集 へんしゅう ]
IBMロゴの歴史 れきし [35]
ロゴ
年 とし
1924–1946
1947–1956
1956–1972
1972–現在 げんざい
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 期間 きかん 中 ちゅう 、IBMはブローニング自動 じどう 小銃 しょうじゅう BAR とM1カ か ービン銃 びんじゅう を製造 せいぞう した。同盟 どうめい 各国 かっこく の軍 ぐん ではIBMのタビュレーティングマシン は会計 かいけい 処理 しょり や兵站 へいたん 業務 ぎょうむ などの戦争 せんそう 関連 かんれん の目的 もくてき で広 ひろ く使 つか われた。ロスアラモス で行 おこな われた世界 せかい 初 はつ の核兵器 かくへいき 開発 かいはつ 計画 けいかく であるマンハッタン計画 けいかく ではIBMのパンチカード機器 きき が広 ひろ く計算 けいさん に使用 しよう された。このことはリチャード・P・ファインマン の著書 ちょしょ 『ご冗談 じょうだん でしょう、ファインマンさん 』に記 しる された。同 おな じく戦時 せんじ 中 ちゅう 、アメリカ初 はつ の大 だい 規模 きぼ な自動 じどう ディジタル計算 けいさん 機 き (自動 じどう でディジタル式 しき (計算 けいさん 機構 きこう としてアナログ的 てき な部分 ぶぶん が無 な い計算 けいさん 機械 きかい )ではあるが、リレーだけではなくローターなども含 ふく む、電動 でんどう だが完全 かんぜん に機械 きかい 式 しき )のHarvard Mark I の建造 けんぞう も担当 たんとう した。
大戦 たいせん 前 まえ からの流 なが れとして、ホレリス統計 とうけい 機 き が国勢調査 こくせいちょうさ に用 もち いられるようになってから事業 じぎょう が大幅 おおはば に伸 の びたことや、前述 ぜんじゅつ のように電気 でんき 機械 きかい 式 しき 計算 けいさん 機 き Harvard Mark Iに関与 かんよ したこともあり、企業 きぎょう や政府 せいふ の計算 けいさん 需要 じゅよう に目 め をつけてはいたが、戦後 せんご 、コンピュータ事業 じぎょう への進出 しんしゅつ は、コンピュータ黎明 れいめい 期 き の他 ほか のパイオニア的 てき な企業 きぎょう と比較 ひかく して必 かなら ずしも先進 せんしん 的 てき だったわけではない。
エドウィン・ブラック(IBMがOS/2販売 はんばい 方針 ほうしん をエンタープライズ向 む けに変更 へんこう した結果 けっか 、廃刊 はいかん に追 お い込 こ まれたコンシューマー向 む けパソコン雑誌 ざっし 『OS/2プロフェッショナル』『OS/2ウイーク』の編集 へんしゅう 発行 はっこう 人 じん であった)の2001年 ねん の著書 ちょしょ 『IBMとホロコースト』(ISBN 4-7601-2158-7 )では、IBMのニューヨーク本社 ほんしゃ とCEOトーマス・J・ワトソン が海外 かいがい 子会社 こがいしゃ を通 とお してナチス・ドイツ にパンチカード機器 きき を供給 きょうきゅう しており、ホロコースト の実行 じっこう にそれが使 つか われる可能 かのう 性 せい を認識 にんしき していたと主張 しゅちょう した。また同書 どうしょ は、ニューヨーク本社 ほんしゃ の協力 きょうりょく のもとでIBMジュネーヴ オフィスとドイツ内 ない の子会社 こがいしゃ Dehomag がナチスの残虐 ざんぎゃく 行為 こうい を積極 せっきょく 的 てき にサポートしていたと主張 しゅちょう した。ブラックはそれらのマシンを使 つか うことでナチスの行為 こうい が効率 こうりつ 化 か されたとも述 の べた。2003年 ねん のドキュメンタリー ザ・コーポレーション (The Corporation)でもこの問題 もんだい を追及 ついきゅう した。IBMはこれらを証拠 しょうこ に起 お こされた訴訟 そしょう で、それを裏付 うらづ けるだけの当時 とうじ の資料 しりょう を保有 ほゆう していないとし、これらを退 しりぞ けた。IBMはまた、著者 ちょしゃ や原告 げんこく によって提起 ていき された主張 しゅちょう を真剣 しんけん に受 う け止 と め、この件 けん に関 かん する適切 てきせつ な学問 がくもん 的 てき 評価 ひょうか を期待 きたい している、と述 の べた[36] 。
空軍 くうぐん と航空 こうくう 会社 かいしゃ のプロジェクト[ 編集 へんしゅう ]
1957年 ねん にNASA で使用 しよう されるIBM 704 電子 でんし データ処理 しょり 装置 そうち
終戦 しゅうせん 後 ご すぐの1946年 ねん に、エレクトロニクスによる「電子 でんし 」計算 けいさん 機 き であるENIAC が完成 かんせい し、電子 でんし 式 しき コンピュータの時代 じだい が幕 まく を開 あ けた。ENIACはIBMのパンチカード機器 きき を入出力 にゅうしゅつりょく に使用 しよう していた。当初 とうしょ 、コンピュータの世界 せかい で先行 せんこう したのは、ENIACの主要 しゅよう 開発 かいはつ 者 しゃ 2人 にん を雇 やと い入 い れることに成功 せいこう したUNIVAC であった。UNIVAC I は(当時 とうじ としては)ベストセラー機 き となった他 ほか 、1952年 ねん アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 大統領 だいとうりょう 選挙 せんきょ を予想 よそう するというデモンストレーションにも印象 いんしょう 的 てき に[注釈 ちゅうしゃく 1] 成功 せいこう するなどしていた。
IBMは、前述 ぜんじゅつ のHarvard Mark Iに技術 ぎじゅつ 的 てき に引 ひ き続 つづ くSSEC も建造 けんぞう しているが、電子 でんし 式 しき でない計算 けいさん 機械 きかい はすぐに時代遅 じだいおく れとなる趨勢 すうせい にあった。
IBMもIBM 701 に始 はじ まるIBM 700/7000 series やIBM 650 といったコンピュータを開発 かいはつ ・出荷 しゅっか したが、初期 しょき の機種 きしゅ は性能 せいのう や機能 きのう の点 てん でUNIVACに及 およ ばず(IBM 701には当初 とうしょ は磁気 じき テープが無 な く、650はより下位 かい 機種 きしゅ でドラムを主 おも 記憶 きおく としていたため遅 おそ かった)、IBMの成功 せいこう はコアメモリ を採用 さいよう した704 や、7090 などトランジスタの世代 せだい からであり、データ処理 しょり 業界 ぎょうかい でのその地位 ちい を確固 かっこ なものとしたのは、次 つぎ の1960年代 ねんだい で述 の べるSystem/360 である(たとえば、コンピュータのトランジスタ化 か についても、7090が1959年 ねん であるのに対 たい し、Philco のTransac S-2000 は1957年 ねん と、他社 たしゃ に先行 せんこう されている)。
1950年代 ねんだい については、商用 しょうよう コンピュータ以外 いがい に特筆 とくひつ すべきことがある。この時代 じだい にIBMはアメリカ空軍 くうぐん の自動 じどう 化 か 防衛 ぼうえい システムのためのコンピュータを開発 かいはつ する契約 けいやく を結 むす んだ。SAGE 対空 たいくう システムに関 かか わることでIBMはMIT で行 おこな われている重要 じゅうよう な研究 けんきゅう にアクセスできた。それは世界 せかい 初 はつ のリアルタイム 指向 しこう のデジタルコンピュータで、CRT 表示 ひょうじ 、磁気 じき コアメモリ 、ライトガン 、最初 さいしょ の実用 じつよう 的 てき 代数 だいすう コンピュータ言語 げんご 、デジタル・アナログ変換 へんかん 技術 ぎじゅつ 、電話 でんわ 回線 かいせん でのデジタルデータ転送 てんそう などの最新 さいしん 技術 ぎじゅつ が含 ふく まれている(Whirlwind )。IBMは56台 だい のSAGE用 よう コンピュータを製造 せいぞう し(1台 だい 3000万 まん ドル)、最盛 さいせい 期 き には7,000人 にん が従事 じゅうじ していた(当時 とうじ の全 ぜん 従業 じゅうぎょう 員 いん の20 %)。直接的 ちょくせつてき な利益 りえき よりも長期 ちょうき にわたるプロジェクトによる安定 あんてい に意味 いみ があった。ただし、先端 せんたん 技術 ぎじゅつ へのアクセスは軍 ぐん の保護 ほご 下 か で行 おこな われた。また、IBMはプロジェクトのソフトウェア開発 かいはつ をランド研究所 けんきゅうじょ に取 と られてしまい、勃興 ぼっこう 期 き のソフトウェア産業 さんぎょう で支配 しはい 的 てき な役割 やくわり を得 え るチャンスを逃 のが した。プロジェクト関係 かんけい 者 しゃ Robert P. Crago は、「プロジェクトがいつか完了 かんりょう したとき、2000人 にん のプログラマにIBM内 ない で次 つぎ に何 なに をさせればいいか想像 そうぞう も出来 でき なかった」と述 の べている。IBMはSAGEでの大 だい 規模 きぼ リアルタイムネットワーク構築 こうちく の経験 けいけん を生 い かし、SABRE 航空 こうくう 予 よ 約 やく システムを開発 かいはつ し、さらなる成功 せいこう を収 おさ めた。
1960年代 ねんだい から1980年代 ねんだい までの成功 せいこう [ 編集 へんしゅう ]
System/370
IBM PC
1960年代 ねんだい 中 ちゅう には、IBMはバロース 、UNIVAC 、NCR 、CDC 、ハネウェル 、RCA 、GE の、他 た のコンピュータ主要 しゅよう 7社 しゃ を圧倒 あっとう して大 おお きなシェアを有 ゆう したため、「IBMと7人 にん の小人 こども 」と称 しょう された。その後 ご 1970年代 ねんだい 、IBMとバロース、UNIVAC、NCR、CDC、ハネウェルが市場 いちば に生 い き残 のこ り、その頭文字 かしらもじ から「IBMとBUNCH 」と改称 かいしょう された(英単語 えいたんご bunchには「束 たば 」「小 ちい さな(粒 つぶ などの)カタマリ」という意味 いみ がある)。その後 ご 、これらの企業 きぎょう はバロースとUNIVAC(スペリー )の合併 がっぺい で誕生 たんじょう したユニシス 以外 いがい はIBMの独占 どくせん するメインフレーム市場 いちば から事実 じじつ 上 じょう 撤退 てったい した。
1964年 ねん 4月 がつ に発表 はっぴょう されメインフレーム の世界 せかい に君臨 くんりん したSystem/360 は、IBM史 し にとどまらず、コンピュータ史上 しじょう において重要 じゅうよう なコンピュータである。主 しゅ 記憶 きおく へのアドレス付 づ けはバイト単位 たんい とし、4バイトなど[注釈 ちゅうしゃく 2] を1ワードとすること、科学 かがく 技術 ぎじゅつ 計算 けいさん 用 よう と事務 じむ 処理 しょり 用 よう で別 べつ の命令 めいれい セット・別 べつ のコンピュータとするのではなく、またハイエンドからローエンドまで命令 めいれい セットアーキテクチャを共通 きょうつう とした「シリーズ」とし、価格 かかく 差 さ は実装 じっそう 方法 ほうほう の差 さ とするなど、コンピュータの大 おお きな世代 せだい 交代 こうたい (メインフレーム→ミニコンピュータ →マイクロプロセッサ )を経 へ た今 いま も共通 きょうつう の標準 ひょうじゅん は、System/360で打 う ち立 た てられた。System/360は絶対 ぜったい 的 てき に成功 せいこう し、他社 たしゃ を圧倒 あっとう してメインフレーム市場 いちば をほぼ独占 どくせん した。またそのために、アムダール や日本 にっぽん の一部 いちぶ [注釈 ちゅうしゃく 3] メーカーなどは、いわゆる互換 ごかん 機 き (Plug-Compatible Machine[注釈 ちゅうしゃく 4] )による商法 しょうほう へと流 なが れることとなった。System/360のアーキテクチャは何 なん 度 ど かの(ちょうど30年 ねん 後 ご の1994年 ねん 4月 がつ 発表 はっぴょう のS/390 など)拡張 かくちょう を受 う けながらも、基本 きほん はそのまま引 ひ き継 つ がれ、こんにちのSystem z ・z/Architecture に至 いた っている。
一方 いっぽう でこの独占 どくせん は、政府 せいふ からも目 め をつけられる程 ほど のものであった。1969年 ねん には遂 つい に、司法省 しほうしょう により独占 どくせん 禁止 きんし 法 ほう 違反 いはん で提訴 ていそ されることになる(1969年 ねん 1月 がつ 17日 にち )。IBMが汎用 はんよう 電子 でんし デジタルコンピュータ市場 いちば (特 とく にビジネス向 む けに設計 せっけい されたコンピュータ)を独占 どくせん しようと謀 はか り、シャーマン独占 どくせん 禁止 きんし 法 ほう の2条 じょう に違反 いはん したとの訴 うった えである。具体 ぐたい 的 てき には、CDC 6600 対抗 たいこう 機種 きしゅ を発表 はっぴょう してCDC側 がわ の販売 はんばい に打撃 だげき を与 あた え、結局 けっきょく その対抗 たいこう 機種 きしゅ を発売 はつばい しなかったという件 けん である。訴訟 そしょう は1983年 ねん まで続 つづ き、IBMに多大 ただい な影響 えいきょう を与 あた えた[37] 。同 おな じ訴因 そいん でCDCからも訴 うった えられ、CDC側 がわ に有利 ゆうり な条件 じょうけん で和解 わかい している。なお、IBMは以前 いぜん から度々 どど 独占 どくせん 禁止 きんし 法 ほう 違反 いはん で訴 うった えられてきた企業 きぎょう ではある。古 ふる くは1933年 ねん 、パンチカード機器 きき とパンチカードの抱 だ き合 あ わせ販売 はんばい で訴 うった えられている。独占 どくせん 禁止 きんし 法 ほう にかかわる司法省 しほうしょう の闘争 とうそう は、IBMとのやりとりが史上 しじょう 最長 さいちょう である。
日本 にっぽん においては、国産 こくさん コンピュータメーカーを育成 いくせい するという政府 せいふ の意図 いと のもと、IBM製 せい コンピュータを導入 どうにゅう するには、政府 せいふ の認可 にんか が必要 ひつよう となる時期 じき があった[38] 。国産 こくさん メインフレーム六 ろく 社 しゃ 政策 せいさく のもと、IBMメインフレームを模倣 もほう した互換 ごかん 機 き を日本 にっぽん 企業 きぎょう が生産 せいさん していた時期 じき があった。しかし、IBMが圧倒的 あっとうてき シェアと投資 とうし 額 がく で設計 せっけい ・開発 かいはつ しているメインフレームの互換 ごかん 機 き を作 つく るのは極 きわ めて困難 こんなん であり、1981年 ねん に日立製作所 ひたちせいさくしょ や三菱電機 みつびしでんき など6名 めい によるIBM産業 さんぎょう スパイ事件 じけん が起 お こった。IBMはスパイ行為 こうい の被害 ひがい 者 しゃ だが、当時 とうじ の日本 にっぽん の潮流 ちょうりゅう としてはあたかもIBMが加害 かがい 者 しゃ であるかのような誤解 ごかい が長期間 ちょうきかん にわたって流布 るふ されていた。なお、この事件 じけん は日本 にっぽん 企業 きぎょう のIBMのUS本社 ほんしゃ に対 たい してのスパイ行為 こうい であり、日本 にっぽん IBM は関与 かんよ していない。
1969年 ねん 、30年 ねん 続 つづ いてきたIBMとNASA の協力 きょうりょく により、アポロ計画 けいかく が成功 せいこう する。このために数 すう 多 おお くのIBMプログラマー、エンジニア、アナリストが参加 さんか している[39] 。
1970年代 ねんだい に、当初 とうしょ はIBMの住 す む世界 せかい とは遠 とお く離 はな れた(System/360は32ビット(アドレスは24ビット)マシンであり、似 に たようなスペックの68000 が登場 とうじょう したのは1980年 ねん である)電卓 でんたく 用 よう などのちっぽけな4ビットプロセッサ[注釈 ちゅうしゃく 5] から始 はじ まったマイクロコンピュータ は、しかし、革命 かくめい という言葉 ことば すら使 つか われるほどの(en:Microcomputer revolution )変革 へんかく となり、1970年代 ねんだい の末 すえ にはApple II に代表 だいひょう されるen:Home computer が一般 いっぱん への広 ひろ い普及 ふきゅう のきざしを見 み せ、1979年 ねん にVisiCalc が登場 とうじょう するに至 いた ってビジネスの世界 せかい へも進出 しんしゅつ が始 はじ まった。
IBMはこの乗 の り遅 おく れを挽回 ばんかい するために、1981年 ねん にパーソナルコンピュータ 「IBM PC 」をリリースする。同機 どうき はIBMエントリーシステム部門 ぶもん に雇 やと われたフィリップ・ドン・エストリッジ と "chess" と呼 よ ばれるチームにより、「IBMとしては異例 いれい ずくめ」「突貫 とっかん 工事 こうじ 」で開発 かいはつ されたもので、1981年 ねん 8月 がつ 11日 にち に完成 かんせい した。標準 ひょうじゅん 価格 かかく は1,565ドルで決 けっ して安 やす くは無 な いがビジネスに使用 しよう 可能 かのう であり、PCを購入 こうにゅう したのも企業 きぎょう だった。IBM PCはインテル の8088 を使 つか い、OSはIBM PC DOS という名前 なまえ だが中身 なかみ はマイクロソフト のMS-DOS であった。
1983年 ねん に「VisiCalcのIBM PC版 ばん 」と言 い えるLotus 1-2-3 が登場 とうじょう すると、企業 きぎょう の中 なか 間 あいだ 管理 かんり 職 しょく 層 そう がその可能 かのう 性 せい を見出 みいだ した。IBMの名前 なまえ に保証 ほしょう され、彼 かれ らはPCを購入 こうにゅう してビジネススクールで学 まな んだ計算 けいさん をPCで行 おこな うようになった。しかし、そのようにしてPCの成功 せいこう が広 ひろ まる一方 いっぽう で、それまでのビジネスである(PCから見 み れば)大型 おおがた のコンピュータの、下位 かい に相当 そうとう する部分 ぶぶん がPCに喰 く われる、というダブルバインドは1990年代 ねんだい には大 おお いに同社 どうしゃ を苦 くる しめることとなる。
パーソナルコンピュータ(パソコン)の世界 せかい では逆 ぎゃく に「先輩 せんぱい 」であったApple が1984年 ねん に発表 はっぴょう ・発売 はつばい したMacintosh は、洗練 せんれん されたGUIなど多 おお くの点 てん でIBM機 き に先行 せんこう するものであった(1995年 ねん のWindows 95 の際 さい に、Win95 = Mac84 などとも言 い われたほどであった)。しかし、ビジネスユースから広 ひろ まったIBM PC(後 ご には互換 ごかん 機 き )の牙城 がじょう をMacintoshはなかなか崩 くず せず、2000年代 ねんだい のAppleの起点 きてん は1998年 ねん のiMac を待 ま たねばならない。
このように挽回 ばんかい に成功 せいこう したIBM PCではあったが、他社 たしゃ (サードパーティー 供給 きょうきゅう )による周辺 しゅうへん 機器 きき にとどまらず、「母屋 もや 」であるコンピュータ本体 ほんたい の互換 ごかん 機 き を作 つく られてしまう事態 じたい に至 いた り、IBMのパソコン事業 じぎょう は多 おお くの試行錯誤 しこうさくご を繰 く り返 かえ すことになる。1987年 ねん 発売 はつばい のPS/2 では、MCA という高性能 こうせいのう ・高機能 こうきのう だがIBMが主導 しゅどう 権 けん を抑 おさ えたバスを採用 さいよう したが、普及 ふきゅう させることはできなかった。CPUについては、1990年代 ねんだい に自社 じしゃ のPower Architecture をベースとしたPowerPC により今度 こんど はAppleとも手 て を組 く み、PReP ・CHRP 、次世代 じせだい OSのTaligent 、クロスプラットフォーム開発 かいはつ 環境 かんきょう Kaleida というプラットフォームを打 う ち出 だ すも、いわゆる「ウィンテル」である、他社 たしゃ 製 せい PC/AT互換 ごかん 機 き とMS-DOS (後 ご にはWindows )というコンビを脅 おびや かすには至 いた らなかった。OSについては、MS-DOSのようなシングルタスクではない、次世代 じせだい の本格 ほんかく 的 てき なマルチタスクOSとしてOS/2 をマイクロソフトと当初 とうしょ は共同 きょうどう 開発 かいはつ していたが、マイクロソフトが「NT」(後 ご のWindows NT) を独自 どくじ 路線 ろせん で開発 かいはつ することを決定 けってい して決裂 けつれつ 、Windows NTは、旧来 きゅうらい のWindowsからの移行 いこう パスにこそ苦労 くろう した(当初 とうしょ は95の次 つぎ は、などとも言 い われていたものの、最終 さいしゅう 的 てき に2000年 ねん のWindows ME まで旧 きゅう Windowsが残 のこ った)ものの、既存 きそん シェアの強 つよ みでOS/2を寄 よ せ付 つ けず、「PC/AT互換 ごかん 機 き のOS」の座 ざ はWindows NTのものとなった。
1990年代 ねんだい の業績 ぎょうせき 悪化 あっか と回復 かいふく [ 編集 へんしゅう ]
1990年 ねん 代 だい にはダウンサイジング の潮流 ちょうりゅう によりIBMの主力 しゅりょく であったメインフレーム は「時代遅 じだいおく れ、過去 かこ の遺物 いぶつ (レガシー)、滅 ほろ び行 ゆ く恐竜 きょうりゅう 」と呼 よ ばれ、IBMの業績 ぎょうせき は急速 きゅうそく に悪化 あっか した。1993年 ねん 1月 がつ 19日 にち 、IBMは1992年度 ねんど 会計 かいけい での49億 おく 7000万 まん ドルの損失 そんしつ を発表 はっぴょう した。これは単 たん 年度 ねんど の単一 たんいつ 企業 きぎょう による損失 そんしつ 額 がく としてはアメリカ史上 しじょう 最悪 さいあく であったと言 い われた。なお1991年 ねん の赤字 あかじ は29億 おく ドル、1993年度 ねんど の赤字 あかじ は81億 おく ドル、3年間 ねんかん の赤字 あかじ は累積 るいせき 150億 おく ドルであり、通常 つうじょう の企業 きぎょう では事業 じぎょう 再生 さいせい が極 きわ めて困難 こんなん な数字 すうじ である。
この損失 そんしつ 以来 いらい 、IBMは事業 じぎょう の主体 しゅたい をハードウェアから、ソフトウェアおよびサービスへと大胆 だいたん な転換 てんかん を進 すす めた。また当時 とうじ は水平 すいへい 分業 ぶんぎょう モデルのマイクロソフト 、インテル 、サン・マイクロシステムズ 、オラクル などが好調 こうちょう であったため、米国 べいこく のPC事業 じぎょう 部 ぶ (IBM PC Company)やプリンター事業 じぎょう 部 ぶ など、IBM分社 ぶんしゃ 化 か の動 うご きも進 すす められた。ハードウェアは主力 しゅりょく のメインフレームの低 てい 価格 かかく 化 か を進 すす め、複数 ふくすう のサーバーシリーズのブランド名 めい や機能 きのう の共通 きょうつう 化 か が進 すす められた。IBMは伝統 でんとう 的 てき に、日本 にっぽん で日本 にっぽん 企業 きぎょう が採用 さいよう する以前 いぜん から、各国 かっこく で終身 しゅうしん 雇用 こよう を行 おこな っていたが、これを方針 ほうしん 転換 てんかん しリストラ の実施 じっし が開始 かいし された。後 のち には最終 さいしゅう 的 てき に、最盛 さいせい 期 き には全 ぜん 世界 せかい で40万 まん 人 にん いた社員 しゃいん を22万 まん 人 にん まで削減 さくげん することになる。
1993年 ねん 、ナビスコ社 しゃ から引 ひ き抜 ぬけ かれたルイス・ガースナー がCEO に就任 しゅうにん し、不 ふ 採算 さいさん 部門 ぶもん の売却 ばいきゃく 、世界 せかい 規模 きぼ の事業 じぎょう 統合 とうごう 、官僚 かんりょう 主義 しゅぎ の一掃 いっそう 、顧客 こきゃく 指向 しこう の事業 じぎょう 経営 けいえい を行 おこな い、独自 どくじ システムと独自 どくじ OSによる顧客 こきゃく の囲 かこ い込 こ みをやめ、オープンシステム を採用 さいよう したシステムインテグレーター 事業 じぎょう へ戦略 せんりゃく を大 おお きく転換 てんかん した。また顧客 こきゃく の要望 ようぼう を聞 き き、顧客 こきゃく はトータルなサービスを望 のぞ んでいると考 かんが え、IBM分社 ぶんしゃ 化 か の動 うご きを停止 ていし した。これによりIBMはLinux を推進 すいしん する大手 おおて コンピュータ企業 きぎょう の筆頭 ひっとう となった。ルイス・ガースナーの考 かんが えとして、IBMを分社 ぶんしゃ 化 か した場合 ばあい 、同 どう 規模 きぼ の競合 きょうごう 他社 たしゃ との競争 きょうそう にさらされるが、誰 だれ も一 いち から今 いま のIBMのような統合 とうごう された会社 かいしゃ を作 つく ろうとは思 おも わないだろうという願 ねが いがあった。IBMは代々 だいだい 、生 は え抜 ぬ きの人材 じんざい がCEOとなる文化 ぶんか であったが、ルイス・ガースナーが初 はじ めて外部 がいぶ から招聘 しょうへい されたCEOである。このことからも、当時 とうじ のIBMがいかに危機 きき 的 てき な状況 じょうきょう であったかがうかがえる。
1995年 ねん にはネットワーク・コンピューティング 、1997年 ねん にはe-ビジネス を提唱 ていしょう した。
1995年 ねん 、IBMはLotus Notes を持 も つLotus を買収 ばいしゅう した。以後 いご も運用 うんよう 管理 かんり ソフトウェアを持 も つTivoli 、データベース のInformix 、ソフトウェア開発 かいはつ ツール を持 も つRational などを買収 ばいしゅう し、従来 じゅうらい からのIBMソフトウェア(DB2 、WebSphere など)と統合 とうごう した。この結果 けっか 、2003年 ねん にはソフトウェア事業 じぎょう の5ブランド(Information Management、WebSphere、Lotus、Tivoli、Rational)を形成 けいせい した。なお、それぞれのイメージカラーは緑 みどり ・紫 むらさき ・黄 き ・赤 あか ・水色 みずいろ である。
1999年 ねん 、IBMはソフトウェア戦略 せんりゃく を全 ぜん 世界 せかい で方針 ほうしん 転換 てんかん し、IBMは今後 こんご はアプリケーションパッケージは開発 かいはつ せず、ミドルウェア までに集中 しゅうちゅう し、各 かく 業務 ぎょうむ に強 つよ いアプリケーション・ベンダー とパートナーシップを組 く んで、ユーザーにソリューション を提供 ていきょう することを発表 はっぴょう した。
コアと位置 いち づけた事業 じぎょう の買収 ばいしゅう と投資 とうし を進 すす める一方 いっぽう で、コモディティ化 か と価格 かかく 低下 ていか が進 すす みIBMの強 つよ みを活 い かせないと判断 はんだん した非 ひ コア事業 じぎょう の売却 ばいきゃく を行 おこな い、「選択 せんたく と集中 しゅうちゅう 」を進 すす めている。1991年 ねん にはタイプライター 事業 じぎょう 、1998年 ねん にはネットワーク 事業 じぎょう を売却 ばいきゃく した。ルイス・ガースナーの当時 とうじ の判断 はんだん としては、ハードウェアとミドルウェア、サービス事業 じぎょう をIBMの主軸 しゅじく とし、アプリケーションパッケージは開発 かいはつ しないという戦略 せんりゃく であった。アプリケーションパッケージが中心 ちゅうしん となった2020年代 ねんだい においてもIBMのこの変 か わっておらず、ERPやCRMのようなアプリケーションパッケージを自社 じしゃ で持 も っていない。
2000年代 ねんだい 以降 いこう [ 編集 へんしゅう ]
IBMはコンサルティング を含 ふく むサービス、ソフトウェアなどからなるビジネスソリューションに重心 じゅうしん を移 うつ しており、ユーザー企業 きぎょう の業務 ぎょうむ 分析 ぶんせき 、提案 ていあん から構築 こうちく 、保守 ほしゅ までのワンストップ型 がた のサービスの提供 ていきょう を目指 めざ している。
2002年 ねん 7月 がつ 、IBMはプライスウォーターハウスクーパース (PricewaterhouseCoopers、PwC)のコンサルティング部門 ぶもん を39億 おく ドルで買収 ばいしゅう し、従来 じゅうらい からのコンサルティング部門 ぶもん と統合 とうごう し、IBM ビジネスコンサルティング サービスとなった。(なお日本 にっぽん 市場 いちば のみ、当初 とうしょ は別 べつ 法人 ほうじん のIBMビジネスコンサルティングサービス が設立 せつりつ されたが、後 のち に日本 にっぽん IBMと合併 がっぺい した。)
またコンサルティング以外 いがい のサービス事業 じぎょう (IBMグローバルサービス、IGS)では、システム構築 こうちく (SI)に続 つづ き、ユーザー企業 きぎょう の情報 じょうほう システムの戦略 せんりゃく 的 てき アウトソーシング (SO)、更 さら には財務 ざいむ ・人事 じんじ ・顧客 こきゃく サービス・購買 こうばい など業務 ぎょうむ 自体 じたい のリエンジニアリング と受託 じゅたく を含 ふく めたアウトソーシング(ビジネス・トランスフォーメーション・アウトソーシング、BTO)などを提唱 ていしょう している。
「選択 せんたく と集中 しゅうちゅう 」によるコア事業 じぎょう への集中 しゅうちゅう と、非 ひ コア事業 じぎょう の売却 ばいきゃく も続 つづ いている。ソフトウェア事業 じぎょう では、2006年 ねん にはコンテンツ管理 かんり ソフトウェアを持 も つFileNet 、2007年 ねん にはBI ツールを持 も つCognos などを買収 ばいしゅう し、製品 せいひん に統合 とうごう した。また非 ひ コア事業 じぎょう として、2004年 ねん にはパーソナルコンピュータ 事業 じぎょう 、2006年 ねん には企業 きぎょう 向 む けプリンター 事業 じぎょう を、2010年 ねん にも、IBMの法人 ほうじん 向 む けアプリケーション・パッケージ・ソフトウェアのビジネスとして唯一 ゆいいつ 存続 そんぞく していたPLM 事業 じぎょう (CATIA 、ENOVIA)[40] を、それぞれ事業 じぎょう 部門 ぶもん ごと(製品 せいひん 、施設 しせつ 、従業 じゅうぎょう 員 いん など)会社 かいしゃ 分割 ぶんかつ し売却 ばいきゃく した。また、2012年 ねん にも、リテール・ストア・ソリューション事業 じぎょう (POSシステム関連 かんれん 事業 じぎょう ) の東芝 とうしば への売却 ばいきゃく が[41] 、2014年 ねん には、System xサーバー事業 じぎょう のレノボ への売却 ばいきゃく が発表 はっぴょう された。
IBMは着実 ちゃくじつ に特許 とっきょ 件数 けんすう を増 ふ やしており、他社 たしゃ とのクロスライセンス契約 けいやく 時 じ にも重要 じゅうよう となる。IBMは1993年 ねん から2012年 ねん までの20年間 ねんかん 連続 れんぞく で米国 べいこく での特許 とっきょ 取得 しゅとく 件数 けんすう で第 だい 1位 い となり、20年間 ねんかん の合計 ごうけい は約 やく 67,000件 けん となった[42] 。知的 ちてき 財産 ざいさん 権 けん の保護 ほご はビジネスとしても重要 じゅうよう 性 せい を増 ま している。この期間 きかん にIBMは特許 とっきょ 使用 しよう 料 りょう などで100億 おく ドル以上 いじょう を得 え た。2003年 ねん 、フォーブス 誌 し の記事 きじ でIBMリサーチの Paul Horn は、IBMが知的 ちてき 財産 ざいさん 権 けん のライセンス供与 きょうよ によって毎年 まいとし 10億 おく ドルの利益 りえき を得 え ていると述 の べた。この特許 とっきょ 取得 しゅとく 記録 きろく 1位 い は2021年 ねん まで続 つづ き、29年間 ねんかん 続 つづ いたため、少 すく なくとも29年 ねん はこの記録 きろく が破 やぶ られることはないということになる。
2008年 ねん にIBMはコーポレート・ビジョンとしてSmarter Planetを提唱 ていしょう し、2009年 ねん にはその一部 いちぶ であるスマートグリッド 、IoTや人工 じんこう 知能 ちのう を活用 かつよう したSmarter Cities(スマートシティ)の取 と り組 く みが世界 せかい 的 てき に注目 ちゅうもく された[43] 。
2009年 ねん 10月 がつ 16日 にち 、ハードウェア事業 じぎょう の総 そう 責任 せきにん 者 しゃ で次期 じき CEOの有力 ゆうりょく 候補 こうほ の一人 ひとり と見 み なされていた[44] 上級 じょうきゅう 副 ふく 社長 しゃちょう のロバート(ボブ)・モファットが、サン・マイクロシステムズ との買収 ばいしゅう 交渉 こうしょう や仕入 しい れ先 さき のアドバンスト・マイクロ・デバイセズ (AMD)などに関 かん する情報 じょうほう をヘッジファンド に漏 も らしたというインサイダー取引 とりひき への関与 かんよ により、連邦 れんぽう 捜査 そうさ 局 きょく に逮捕 たいほ ・起訴 きそ され[45] [46] 、モファットはその容疑 ようぎ を認 みと めた[47] 。
2010年 ねん 5月 がつ 人事 じんじ 部門 ぶもん のトップであるティム・リンゴが「2017年 ねん までに、全 ぜん 世界 せかい で40万 まん 人 にん いる従業 じゅうぎょう 員 いん から30万 まん 人 にん を解雇 かいこ して正社員 せいしゃいん 10万 まん 人 にん 体制 たいせい とし、プロジェクト毎 ごと に契約 けいやく 社員 しゃいん を雇用 こよう するクラウドソーシング の雇用 こよう 形態 けいたい に移行 いこう する」と発言 はつげん した事 こと が報道 ほうどう された。しかし、2021年 ねん 末 まつ 時点 じてん 、後述 こうじゅつ のキンドリル分社 ぶんしゃ 後 ご のIBM従業 じゅうぎょう 員数 いんずう は28.2万 まん 人 にん であり、クラウドソーシングに移行 いこう したという事実 じじつ はない[48] 。
2020年 ねん 10月 がつ 、マネージド・インフラストラクチャー・サービス部門 ぶもん の2021年 ねん 末 まつ までの分社 ぶんしゃ 化 か 予定 よてい を発表 はっぴょう した[49] 。IBMの顧客 こきゃく 向 む けインフラ・サービス部門 ぶもん はキンドリルとしてスピンオフ が2021年 ねん 11月3日 にち に完了 かんりょう し[50] 、キンドリル株 かぶ (KD)は翌 よく 4日 にち よりニューヨーク証券 しょうけん 取引 とりひき 所 しょ で取引 とりひき が始 はじ まった。
売却 ばいきゃく 価格 かかく は6億 おく ドルで、2005年 ねん 3月 がつ に対 たい 米 べい 外国 がいこく 投資 とうし 委員 いいん 会 かい が承認 しょうにん したことで2005年 ねん 5月 がつ に取引 とりひき が成立 せいりつ した。IBMはLenovoに19%出資 しゅっし し、Lenovoはニューヨーク州 しゅう に本部 ほんぶ を移転 いてん して経営 けいえい 陣 じん にIBMの役員 やくいん も迎 むか えた。Lenovoは5年間 ねんかん 、IBMの商標 しょうひょう を使用 しよう する権利 けんり を有 ゆう する。結果 けっか としてIBMの最 もっと も成功 せいこう した製品 せいひん のひとつであるThinkPad シリーズを引 ひ き継 つ ぐこととなった。その後 ご Lenovoの業績 ぎょうせき が買収 ばいしゅう 前 まえ と比 くら べて良 よ くなってきたため2008年 ねん の北京 ぺきん オリンピック を前 まえ にIBMの商標 しょうひょう 使用 しよう を廃止 はいし した。
主 おも な企業 きぎょう 買収 ばいしゅう [ 編集 へんしゅう ]
なお2009年 ねん 3月 がつ 18日 にち にはIBMがサン・マイクロシステムズ の買収 ばいしゅう を交渉 こうしょう 中 ちゅう と報道 ほうどう されたが、最終 さいしゅう 的 てき にはオラクルが買収 ばいしゅう することとなった[76] [77] 。
詳細 しょうさい は「IBMによる合併 がっぺい 買収 ばいしゅう 一覧 いちらん 」に記載 きさい
海外 かいがい IBMの管理 かんり [ 編集 へんしゅう ]
IBMの海外 かいがい オペレーションは事業 じぎょう が大 だい 発展 はってん した1970~80年代 ねんだい には、ヨーロッパ ・中東 ちゅうとう ・アフリカ 地域 ちいき を統括 とうかつ するIBM Europe/Middle East/Africa会社 かいしゃ (本部 ほんぶ :ベルギー ・ブリュッセル 、略称 りゃくしょう :E/ME/A=エメア)、南北 なんぼく アメリカ ・アジア太平洋 たいへいよう 地域 ちいき を統括 とうかつ するIBM Americas/Far East会社 かいしゃ (本部 ほんぶ :ニューヨーク州 しゅう マウントプレサント 、略称 りゃくしょう :A/FE=アフェ)を設置 せっち して[78] 、後者 こうしゃ の下 した ではさらに日本 にっぽん ・韓国 かんこく ・台湾 たいわん ・オーストラリア などを統括 とうかつ するIBM Asia Pacific会社 かいしゃ (本部 ほんぶ :東京 とうきょう 、後 のち に香港 ほんこん 、略称 りゃくしょう :AP)があって、生産 せいさん ・販売 はんばい ・地域 ちいき 性 せい による開発 かいはつ はなるべく各 かく 地域 ちいき 内 ない で行 おこ なうような政策 せいさく を敷 し いた。しかし1990年代 ねんだい 以降 いこう は、日本 にっぽん IBM ・英国 えいこく IBM ・ドイツIBM のように事業 じぎょう が大 おお きな国 くに のIBMは本社 ほんしゃ へ直接 ちょくせつ 報告 ほうこく するように戻 もど り、新 あたら しいAP(本部 ほんぶ :シンガポール)はオーストラリア・韓国 かんこく ・インドネシアなどの諸国 しょこく を統括 とうかつ する組織 そしき になって[79] 、世界 せかい 全体 ぜんたい ではもう少 すこ し小 ちい さな地域 ちいき 性 せい を生 い かしてお互 たが いに協力 きょうりょく する体制 たいせい へ代 かわ った。
IBMの日本 にっぽん 法人 ほうじん は日本 に アイ・ビー・エム(日本 にっぽん IBM)株式会社 かぶしきがいしゃ で、米 べい IBM 社 しゃ の孫 まご 会社 かいしゃ にあたる。また、日本 にっぽん IBMの下 した には更 さら に複数 ふくすう の子会社 こがいしゃ と関連 かんれん 会社 かいしゃ が存在 そんざい している。2002年 ねん 以降 いこう はコンサルティング会社 かいしゃ のIBMビジネスコンサルティングサービス (IBCS)が並存 へいそん していたが、2010年 ねん 4月 がつ に日本 にっぽん IBMに統合 とうごう された[80] 。
^ 世間 せけん の予想 よそう と異 こと なる結果 けっか だったことから、報道 ほうどう では当初 とうしょ はその予想 よそう を控 ひか えめに扱 あつか っていたが、結果 けっか 的 てき に正 ただ しい結果 けっか を予想 よそう していた、といった伝説 でんせつ がある。
^ 近年 きんねん は8バイト
^ 日本電気 にほんでんき のように、互換 ごかん 機 き にしなかったメーカーもあった。
^ 皮肉 ひにく なことに、頭字 かしらじ 語 ご にすると以前 いぜん のIBMの商売 しょうばい であるPunched Card Machineのそれと同 おな じ「PCM」である。
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