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アメリカ空軍くうぐん

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United States Air Force
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく空軍くうぐん
  • 空軍くうぐんのエンブレム
  • ロゴマーク
創設そうせつ
  • 1947ねん9がつ18にち
  • 76ねん + 9かげつ
  • 陸軍りくぐんから独立どくりつ
国籍こくせき アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
兵科へいか 空軍くうぐん
任務にんむ
兵力へいりょく
  • 328,820にん現役げんえき
  • 152,231にん文民ぶんみん
  • 69,056にん予備よび兵力へいりょく
  • 110,000にん空軍くうぐん州兵しゅうへい
  • 5,217航空機こうくうき
  • 406はつ大陸たいりくあいだ弾道だんどうミサイル)
上級じょうきゅう部隊ぶたい アメリカぐん
本部ほんぶ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
バージニアしゅう アーリントンぐん ペンタゴン
標語ひょうご "Aim High ... Fly-Fight-Win"
Colors Ultramarine blue, Golden yellow[1]
   
行進曲こうしんきょく "The U.S. Air Force" The U.S. Air Force, 1998.ogg Play[ヘルプ/ファイル]
記念きねん 9月18にち
装備そうび アメリカ空軍くうぐん装備そうび一覧いちらん
ウェブサイト www.af.mil
www.airforce.com
指揮しき
最高さいこう指揮しきかん アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょう ジョー・バイデン
国防こくぼう長官ちょうかん ロイド・オースティン
空軍くうぐん長官ちょうかん フランク・ケンドール3せい英語えいごばん
空軍くうぐん参謀さんぼう総長そうちょう チャールズ・ブラウン・ジュニア 空軍くうぐん大将たいしょう
空軍くうぐん参謀さんぼうふく総長そうちょう デイビッド・W・オールビン英語えいごばん 空軍くうぐん大将たいしょう
空軍くうぐんさい先任せんにん上級じょうきゅう曹長そうちょう CMSAF ジョアン・S・ベース英語えいごばん
識別しきべつ
はた
国籍こくせきマーク
“ハップ” アーノルド
記章きしょう
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アメリカ空軍くうぐん(アメリカくうぐん、えい: United States Air Force, 略称りゃくしょう: USAF)は、アメリカぐん航空こうくう部門ぶもんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく空軍くうぐん、あるいはたん合衆国がっしゅうこく空軍くうぐん、ほかにべい空軍くうぐんともばれる。任務にんむは「アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく防衛ぼうえいし、航空こうくう宇宙うちゅう戦力せんりょくによってその国益こくえきまもること」である。

概説がいせつ[編集へんしゅう]

空軍くうぐん設立せつりつまえは、海軍かいぐんぞくさない航空こうくう戦力せんりょく陸軍りくぐんっていたが、国家こっか安全あんぜん保障ほしょうほう策定さくていにより陸軍りくぐんより独立どくりつ1947ねん9月18にち設立せつりつされた。設立せつりつから今日きょうまで、世界せかい各地かくちおおくの戦争せんそう紛争ふんそう関与かんよしてきた歴史れきしがある。2000年代ねんだい現在げんざい、アメリカ空軍くうぐんは7,000以上いじょう航空機こうくうき運用うんようする世界せかい最大さいだい空軍くうぐんであり、世界せかい各地かくち空軍くうぐん基地きちをもつ。

戦闘せんとうばくげき輸送ゆそう大陸たいりくあいだ弾道だんどうミサイルなどをようし、せいそら航空こうくう攻撃こうげき物資ぶっし輸送ゆそうかく抑止よくし能力のうりょく保持ほじ任務にんむ中心ちゅうしんである。また、軍事ぐんじ衛星えいせいげ・運用うんようにおいても中心ちゅうしんてき役割やくわりたしている。たいせん哨戒しょうかいおよび艦載かんさいアメリカ海軍かいぐん攻撃こうげきヘリコプターおよび長距離ちょうきょり対空たいくうミサイルはアメリカ陸軍りくぐん管轄かんかつとなり、それらはゆうしていない。アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく本土ほんど仮想かそう敵国てきこくからはなれていたこともあり、前方ぜんぽうへの戦力せんりょく展開てんかい侵攻しんこう戦闘せんとう能力のうりょく重視じゅうしし、基地きち空中くうちゅう給油きゅうゆ活用かつようにより東南とうなんアジア中東ちゅうとうをはじめ事実じじつじょう世界せかい各地かくちへの航空こうくう攻撃こうげき能力のうりょくゆうする。相対そうたいてき本土ほんど防空ぼうくう任務にんむ割合わりあいひくく、それは予備よび兵力へいりょく主体しゅたいとなっている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

アメリカ陸軍りくぐん航空機こうくうき部門ぶもん (Aeronautical Division) が創設そうせつされたのは1907ねんのことである。これは陸軍りくぐん通信つうしんたい (Signal Corps) のなかいち部門ぶもんであった。通信つうしんたいない設立せつりつされたのは気球ききゅう部隊ぶたい通信つうしんたい職掌しょくしょうにあったからであった。1914ねん航空機こうくうき部門ぶもん航空こうくう (Aviation Section) に改編かいへんされている。

だいいち世界せかい大戦たいせん[編集へんしゅう]

1917ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくだいいち世界せかい大戦たいせん参戦さんせんした。航空こうくう部隊ぶたい拡充かくじゅうはかり、1918ねん5がつ軍事ぐんじ航空機こうくうき部門ぶもん (Division of Military Aeronautics)、つづいて5がつ24にちアメリカ陸軍りくぐん航空こうくう (U.S. Army Air Service, USAAS) に改編かいへんされた。

陸軍りくぐん航空こうくう人員じんいん20まんめいようし、アメリカ遠征えんせいぐん (America Expeditionary Force, AEF) の一部いちぶとして、とくにサンミエルのたたかいとムーズ・アルゴンヌの攻勢こうせいにおいて、アメリカ陸軍りくぐん戦術せんじゅつてき支援しえんおこなった。エディ・リッケンバッカー大尉たいいフランク・ルーク大尉たいいなどがエース撃墜げきついおう)となった。

1926ねん陸軍りくぐん航空こうくうは、アメリカ陸軍りくぐん航空こうくうたい (U.S. Army Air Corps, USAAC) に改編かいへんされた。この時期じき航空こうくうたいしん技術ぎじゅつ実験じっけん開始かいしした。B-9開発かいはつはつぜん金属きんぞくせい単葉たんよう爆撃ばくげきであるB-10開発かいはつ、そして新型しんがた戦闘せんとう開発かいはつなどがおこなわれた。1937ねんにはB-17 フライングフォートレスはじめてその姿すがたあらわした。航法こうほう技術ぎじゅつおおきな進歩しんぽによって、3のB-17がイタリア客船きゃくせんレックスを海上かいじょう捕捉ほそくすることに成功せいこうした。

だい世界せかい大戦たいせん[編集へんしゅう]

つぎなる変化へんかだい世界せかい大戦たいせんによってもたらされた。1941ねん、アメリカ陸軍りくぐんにおける陸軍りくぐん地上ちじょうぐん (U.S.Army Ground Forces) と対等たいとう部門ぶもんとして、アメリカ陸軍りくぐん航空こうくうぐん (U.S.Army Air Forces; USAAF) が設置せっちされた。この時点じてん陸軍りくぐん航空こうくうたい陸軍りくぐん航空こうくうぐん下位かい部局ぶきょく位置いちづけられていたが、1942ねん3がつ9にち発効はっこうしただい規模きぼぐんさい編成へんせいおり組織そしきとして統合とうごうされた。陸軍りくぐん航空こうくうぐん地上ちじょう部隊ぶたい従属じゅうぞくしない作戦さくせん指揮しきけんつようになり、陸軍りくぐん地上ちじょうぐん海軍かいぐん同等どうとう発言はつげんりょくつにいたった。

欧州おうしゅう戦線せんせん
ヨーロッパにおいて、アメリカ陸軍りくぐん航空こうくうぐん昼間ひるまばくげき開始かいしした。統合とうごう参謀さんぼう本部ほんぶでは英国えいこく空軍くうぐん計画けいかく立案りつあんしゃたちが反対はんたいしたが、それをってのことだった。合衆国がっしゅうこく戦術せんじゅつは、戦闘せんとう護衛ごえいなしに昼間ひるまのドイツ上空じょうくうばくげきなんじゅう緊密きんみつ編隊へんたい飛行ひこうさせ、ばくげき同士どうしたがいに装備そうびする機銃きじゅう機関きかんほうでハリネズミのように防衛ぼうえいうというものであったが、部分ぶぶんてき成功せいこうしかおさめられなかった。ルーマニアのプロイエシュチにある精油せいゆしょ、ドイツ中部ちゅうぶシュヴァインフルトボールベアリング工場こうじょう、ドイツ南部なんぶレーゲンスブルクにあるメッサーシュミット工場こうじょうへのばくげき作戦さくせんでは、おおくのばくげき撃墜げきついされ、おびただしいかず搭乗とうじょういん戦死せんしした。長大ちょうだい航続こうぞく距離きょりほこP-51マスタング戦闘せんとうばくげき護衛ごえい参加さんかするようになると、ばくげき搭乗とうじょういん戦死せんししゃ減少げんしょうした。1944ねん、2がつ20日はつかから25にちにわたるビッグウィーク (Big Week) とばれる1週間しゅうかんに、連合れんごうぐんは「アーギュメント作戦さくせんおこない、ドイツ空軍くうぐん熟練じゅくれんのパイロットをうしなった。
太平洋たいへいよう戦線せんせん
太平洋たいへいよう戦線せんせんにおいて陸軍りくぐん航空こうくうぐんは、中国ちゅうごく内陸ないりくからったB-29スーパーフォートレスによって日本にっぽん本土ほんど攻撃こうげきした。このばくげきぎょう兵站へいたん支援しえん行動こうどう空輸くうゆによっておこなわれ、ヒマラヤえ(ハンプえ)として有名ゆうめいである。おもばくだん燃料ねんりょう両方りょうほう運搬うんぱんせねばならず、さらにジェット気流きりゅうなかこう高度こうど飛行ひこうがB-29の航続こうぞく距離きょり影響えいきょうした。1944ねんにサイパンの航空こうくう基地きち確保かくほ本格ほんかくてき日本にっぽん本土ほんど空襲くうしゅう開始かいしされると、当時とうじ司令しれいかんであるヘイウッド・ハンセルじゅんしょう高々たかだかからの軍事ぐんじ拠点きょてんへのばくげきおこなったが、効果こうかうすいというぐん上層じょうそう判断はんだん解任かいにんされる。後任こうにんとして、英国えいこくだい8ばくげき軍団ぐんだんだい3航空こうくう師団しだん司令しれいかんインドカラグプルだい20ばくげき集団しゅうだん司令しれいかん歴任れきにんしたカーチス・ルメイ将軍しょうぐんだい21ばくげき集団しゅうだん司令しれいかんとして1945ねん1がつ20日はつかグアム赴任ふにんすると、ばくげき戦略せんりゃくえられた。それまでのこう高度こうどからの精密せいみつばくげきめて、てい高度こうどからの焼夷弾しょういだんばくげきへと変更へんこうされたことで、分散ぶんさんした日本にっぽん工業こうぎょう地帯ちたい破壊はかいするだけにとどまらず、おおくの都市とし壊滅かいめつてき被害ひがいけ、たとえば東京とうきょうだい空襲くうしゅうでは1ばんで10まんにん以上いじょう死亡しぼうした。B-29はまた、1945ねん8がつに、原子げんしばくだん日本にっぽん広島ひろしま長崎ながさき投下とうかした。

だい世界せかい大戦たいせん[編集へんしゅう]

ハリー・S・トルーマン大統領だいとうりょう国家こっか安全あんぜん保障ほしょうほう署名しょめいし、陸軍りくぐん航空こうくうぐん陸軍りくぐんより独立どくりつし、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく空軍くうぐんしょう設立せつりつされた。1947ねん9月18にち連邦れんぽう最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかんフレッド・M・ヴィンソンがスチュアート・サイミントンの初代しょだい空軍くうぐん長官ちょうかんへの就任しゅうにん宣誓せんせい承認しょうにんしたことでここにアメリカ空軍くうぐん正式せいしき始動しどうした。

1948ねんひがしドイツ共産きょうさん主義しゅぎ政権せいけんは、イギリス・アメリカ・フランスの管理かんりにあった西にしベルリンへの道路どうろ封鎖ふうさした。このため、西にしベルリンでは、生活せいかつ必需ひつじゅひん不足ふそくなど、市民しみん生活せいかつ多大ただい支障ししょうしょうじた。このため、空輸くうゆ軍団ぐんだんC-121 コンステレーションC-54 スカイマスターなどの輸送ゆそうによって生活せいかつ必需ひつじゅひんをはじめとする大量たいりょう物資ぶっし空輸くうゆおこなった(ベルリン空輸くうゆ)。

朝鮮ちょうせん戦争せんそう[編集へんしゅう]

1950ねん6月25にち朝鮮ちょうせん戦争せんそうはじまると、アメリカ空軍くうぐんはただちに国民こくみん退避たいひさせた。しかし、アメリカ極東きょくとう空軍くうぐん現存げんそんしない軍団ぐんだん)は韓国かんこく金浦このうら拠点きょてん空軍くうぐん基地きちうしなった。その結果けっか孤立こりつした釜山ぷさん守備しゅび部隊ぶたいたいして、日本にっぽんからって近接きんせつ航空こうくう支援しえんおこなわなくてはならなくなった。アメリカは日本にっぽん駐留ちゅうりゅうしていたF-80派遣はけんした。当初とうしょ北朝鮮きたちょうせん戦力せんりょく考慮こうりょして、数日すうじつ戦闘せんとう終結しゅうけつするとかんがえていたが、中国ちゅうごくソ連それん後押あとおしもあり、地上ちじょうぐん北朝鮮きたちょうせんぐんされ、さらなる南進なんしんゆるすことになる。当時とうじアメリカ大統領だいとうりょうH・S・トルーマンは、国連こくれん安保理あんぽり決議けつぎて、国連こくれんぐんとして1950ねん9がつダグラス・マッカーサー元帥げんすいによる仁川にがわへの上陸じょうりくおこなった(仁川にがわ上陸じょうりく作戦さくせん)。これをけて極東きょくとう空軍くうぐんもと基地きちへと復帰ふっきし、それらの基地きち拠点きょてんとして、北朝鮮きたちょうせん中国ちゅうごく国境こっきょう付近ふきんまでの進撃しんげき支援しえんした。航空こうくう戦力せんりょくでは、アメリカ空軍くうぐん完全かんぜん制空権せいくうけんにぎっており、連日れんじつのように北朝鮮きたちょうせんたいしてばくげき遂行すいこうした。しかし、1950ねん10がつ中国ちゅうごくぐん全面ぜんめんてき北朝鮮きたちょうせん支援しえん11月1にち後退こうたいつばさをもったきゅうソ連それんMiG-15登場とうじょうし、アメリカ空軍くうぐんのB-29が次々つぎつぎ撃墜げきついされたが、F-86セイバー投入とうにゅう反撃はんげきた。ちなみに、これが世界せかいはつのジェット戦闘せんとう同士どうし対決たいけつである。1950ねん12月の中国ちゅうごく人民じんみん志願しがんぐんによる反攻はんこうには、空軍くうぐん戦術せんじゅつ航空こうくう支援しえんおこなった。

朝鮮ちょうせん戦争せんそう休戦きゅうせんとなり、当初とうしょから戦力せんりょく不足ふそく指摘してきされていた戦術せんじゅつ航空こうくう軍団ぐんだん (TAC) の充実じゅうじつちからそそいだ。朝鮮ちょうせん戦争せんそう戦略せんりゃく航空こうくう軍団ぐんだん (SAC) から戦闘せんとう部隊ぶたい戦闘せんとう後方こうほう支援しえん協力きょうりょくさせており、三沢みさわ基地きち駐留ちゅうりゅうしたF-80飛行ひこうたい朝鮮ちょうせん派遣はけんされたときは、日本にっぽん防空ぼうくうのためにアメリカ本土ほんどからSACの保有ほゆうするF-84をローテーションで稼働かどうさせていた。当時とうじはSACにも戦闘せんとう飛行ひこうたい存在そんざいしており、TACと一線いっせんいていた。しかし、SACは戦略せんりゃくミサイルなどの部隊ぶたい傘下さんかおさめ、空軍くうぐんでは最大さいだい軍団ぐんだん成長せいちょうした。当時とうじ空軍くうぐん上層じょうそうたいソ連それんとの全面ぜんめん戦争せんそうにおいて、抑止よくしりょくとしてだい規模きぼ戦力せんりょく維持いじ布石ふせきしようとかんがえていたため、ミサイルやばくげき戦力せんりょくたか評価ひょうかしており、SACをTACや航空こうくう宇宙うちゅう防衛ぼうえい軍団ぐんだん (ADC) よりも優遇ゆうぐうするかたちとなっていた。

1954ねん空軍くうぐん士官しかん学校がっこう (USAFA) がコロラドしゅうコロラドスプリングス開校かいこうした。はつ女性じょせい士官しかん候補こうほせいは、1980ねん5月28にち卒業そつぎょうした。

ベトナム戦争せんそう[編集へんしゅう]

当初とうしょアメリカは、グリーンベレーなどの軍事ぐんじ顧問こもんだん派遣はけん武器ぶき提供ていきょうで、みなみベトナム援助えんじょしていたが、ジョンソン大統領だいとうりょう就任しゅうにん戦況せんきょう拡大かくだいした。1964ねん8がつトンキンわん事件じけん発生はっせいし、アメリカはこれを口実こうじつとして8がつ5にちきたベトナムへのばくげき命令めいれいする。空軍くうぐんは、戦闘せんとうばくげきみなみベトナムや周辺しゅうへんこく基地きちへの派遣はけん準備じゅんび開始かいしした。その実際じっさい空軍くうぐんきたばく開始かいししたのは1965ねん2がつからである。このあいだに、空軍くうぐん主力しゅりょく戦闘せんとうは、F-100からはじまっていたセンチュリーシリーズではなく、F-4 ファントムII変更へんこうとなった。この時期じき空軍くうぐんは、かく戦力せんりょく整備せいびちからそそいでおり、ベトナム戦争せんそうのような通常つうじょう兵器へいきもちいた戦争せんそうには最適さいてきされていなかった。また、信頼しんらいせいひくそら対空たいくうミサイル主戦しゅせん兵器へいきとしてもちいたF-4にとっては、容易よういたたかいではなかった。このほか、レーザー誘導ゆうどうばくだんたいレーダーミサイルなどのしん兵器へいき開発かいはつされ、運用うんようされた。

ジョンソン大統領だいとうりょうは、1968ねんきたばく停止ていし停戦ていせん協定きょうていはいる。しかし、ニクソン大統領だいとうりょうあらたに大統領だいとうりょう就任しゅうにんすると、1969ねん6がつからべいぐん一部いちぶ撤退てったいさせはじめ、平和へいわ工作こうさくおこなったことから事態じたい一変いっぺんさせた。きたベトナムは地上ちじょう部隊ぶたい集結しゅうけつさせ、一気いっき南下なんかはじめた。このときすでべい陸軍りくぐんほとんどは撤退てったいしており、きたベトナムぐん抵抗ていこうできるのはべい空軍くうぐんべい海軍かいぐんべい海兵かいへいたい航空こうくう戦力せんりょくだけとなった。ニクソンはきたばく再開さいかいし、きたベトナムを攻撃こうげきした。この攻撃こうげききたベトナムもパリ和平わへい協定きょうてい参加さんか1973ねん1がつ停戦ていせん合意ごういした。

冷戦れいせん[編集へんしゅう]

冷戦れいせんにおいては、ソ連それん仮想かそうてきとしてかく戦争せんそうたいする警戒けいかい準備じゅんびおこなっていた。1940年代ねんだい後半こうはんにおいては核兵器かくへいき大型おおがたかくばくだんしかなく、それを運用うんようできるのは空軍くうぐんのみであった。1950年代ねんだい後半こうはんアトラスなど大陸たいりくあいだ弾道だんどうミサイル実用じつようされるとこれも空軍くうぐん管轄かんかつとなった。

戦略せんりゃく航空こうくう軍団ぐんだん (SAC) はB-29にいでB-36実用じつようされ、さらにはジェットしたB-47B-52といった大型おおがた爆撃ばくげき配備はいびし、かく攻撃こうげき能力のうりょく保持ほじつとめた。さらには高速こうそく性能せいのう防空ぼうくうもう突破とっぱすることを目論もくろんだB-58配備はいびされたほか、マッハ3のちょう高速こうそくであるXB-70試験しけんされた。

台湾たいわん米国べいこくが1954ねんべいはな相互そうご防衛ぼうえい条約じょうやく署名しょめいしたのちべい空軍くうぐん台湾たいわん駐留ちゅうりゅうし、1979ねん中国ちゅうごくとの外交がいこう関係かんけい樹立じゅりつされたのちべいぐん台湾たいわんから撤退てったいするまで、台湾たいわん防空ぼうくう維持いじするための主要しゅよう基地きちとして清泉きよいずみ崗基たいみなみ基地きち使用しようした。

台湾たいわんたいちゅう清泉きよいずみ崗基駐留ちゅうりゅうしているべい空軍くうぐんだい18航空こうくうだんだい44戦術せんじゅつ戦闘せんとう飛行ひこうたいF-4C戦闘せんとう(1973ねん10がつ2にち

1957ねん10月4にちソ連それんスプートニク1ごうげたことで、ソ連それんかくミサイル分野ぶんやにおいてアメリカを上回うわまわっているのではないかというおそれからミサイル・ギャップ論争ろんそう発展はってんした。ミサイル・ギャップ論争ろんそうは、ソ連それんかく攻撃こうげきによる先制せんせい攻撃こうげきでアメリカばくげき地上ちじょう全滅ぜんめつするのではないか、という危機ききかんたかめ、空軍くうぐん首脳しゅのうによる戦略せんりゃく爆撃ばくげき一部いちぶかくばくだん常時じょうじ搭載とうさい空中くうちゅう待機たいきさせる方針ほうしん決定けってい要因よういんとなった。SACは、1962ねん10月にB-52を訓練くんれん移動いどうわずにつね核弾頭かくだんとう搭載とうさいし、指令しれいければぐに指示しじされたソ連それん本土ほんど空中くうちゅう給油きゅうゆけつつ侵攻しんこうすることができるような体制たいせい構築こうちくした。実際じっさいにはミサイル・ギャップは虚構きょこうにすぎなかったのだが、1960年代ねんだいでは核弾頭かくだんとう搭載とうさいしたばくげきがアメリカ本土ほんど上空じょうくうぶことが日常にちじょうしていた。そのため、ブロークン・アロー核弾頭かくだんとう爆発ばくはつ破壊はかい盗難とうなんかく搭載とうさい墜落ついらくなどの非常ひじょう事態じたい)に相当そうとうする事故じこ多数たすう発生はっせいしている。このSACによる滞空たいくう警戒けいかい (Airborne Alert) は1968ねんまでつづけられた。また、空中くうちゅう待機たいき以外いがいにも、ばくげき指令しれいから15ふん程度ていど緊急きんきゅう発進はっしん可能かのうなようにもう訓練くんれん実施じっし、B-52を15びょうおきに次々つぎつぎ離陸りりくさせるMITO (Minimum Interval TakeOff) という緊急きんきゅう離陸りりく技術ぎじゅつ考案こうあんされた。

ジェット戦闘せんとうについては、朝鮮ちょうせん戦争せんそう戦闘せんとう爆撃ばくげきおよび迎撃げいげき重視じゅうしされ、F-105戦闘せんとう爆撃ばくげきF-102迎撃げいげきF-106迎撃げいげき開発かいはつ配備はいびされた。一時いちじ対空たいくうミサイルを無人むじん戦闘せんとうあつかいにしてF-99ボマーク運用うんようはかったこともあった。

湾岸わんがん戦争せんそう[編集へんしゅう]

1991ねん湾岸わんがん戦争せんそうは、アメリカ空軍くうぐんにとってベトナム戦争せんそう以来いらいだい規模きぼ武力ぶりょく衝突しょうとつであった。イラククウェート侵攻しんこうただちに中東ちゅうとうへの部隊ぶたい展開てんかいおこない、1990ねん8がつ7にちにはサウジアラビア防空ぼうくう任務にんむ開始かいしした。また、軍事ぐんじ空輸くうゆ軍団ぐんだんのほか民間みんかん予備よび航空こうくうたい動員どういんおこない、合衆国がっしゅうこく本土ほんどやヨーロッパから人員じんいん地上ちじょう戦力せんりょく輸送ゆそう実施じっししている。1991ねん1がつ17にちF-117攻撃こうげき先頭せんとうにイラク領内りょうないばくげき開始かいし、イラクの防空ぼうくう航空こうくう戦力せんりょく壊滅かいめつてき打撃だげきあたえ、航空こうくう優勢ゆうせい獲得かくとく国籍こくせきぐん勝利しょうり貢献こうけんした。

ボスニアとコソボ[編集へんしゅう]

ユーゴスラビア紛争ふんそうにおいてはNATOぐんとして、きゅうユーゴスラビア地域ちいきセルビア勢力せいりょくたいばくげきおこなった。1995ねんデリバリット・フォース作戦さくせん1999ねんアライド・フォース作戦さくせん実施じっしされている。海軍かいぐん同盟どうめい国軍こくぐんともおこなったこれらの作戦さくせんでは誘導ゆうどう兵器へいき多用たようされ、セルビア勢力せいりょく弱体じゃくたいさせる戦果せんかげた。

イラクとアフガニスタン[編集へんしゅう]

2001ねんアメリカ同時どうじ多発たはつテロ事件じけん発生はっせいすると、テロ攻撃こうげき警戒けいかいのために合衆国がっしゅうこく本土ほんど防空ぼうくう態勢たいせい強化きょうかつづたいテロ戦争せんそう一環いっかんとしてターリバーン攻撃こうげきのためにアフガニスタン侵攻しんこうおこなった。2003ねんにはサダム・フセイン政権せいけん打倒だとうのためのイラク戦争せんそうにも投入とうにゅうされている。偵察ていさつ監視かんし活動かつどうRQ-4投入とうにゅうするなど高性能こうせいのう無人むじん航空機こうくうき大幅おおはば活用かつようはじめている。

指揮しき[編集へんしゅう]

アメリカ空軍くうぐんちょう空軍くうぐん参謀さんぼう総長そうちょうつとめ、4つほし将官しょうかんである大将たいしょう任命にんめいされる。 統合とうごう参謀さんぼう本部ほんぶのメンバーとおなじく、空軍くうぐん参謀さんぼう総長そうちょう航空こうくう部隊ぶたいたいする作戦さくせんじょう直接ちょくせつ指揮しきけんい。権限けんげんとしてあるのはぐんない行政ぎょうせい執行しっこうけんおよび軍政ぐんせいさく決定けっていけんだけであり、作戦さくせん指揮しきけん大統領だいとうりょうから国防こくぼう長官ちょうかんとおして命令めいれいくだされるかく統合とうごうぐん司令しれいかんにある。空軍くうぐん参謀さんぼう総長そうちょう部隊ぶたい指揮しきけんいものの、かくぐん参謀さんぼう総長そうちょうとも統合とうごう参謀さんぼう本部ほんぶ構成こうせいし、大統領だいとうりょう軍事ぐんじじょうのアドバイスをする立場たちばにある。

組織そしき[編集へんしゅう]

政府せいふ行政ぎょうせい機関きかんとして国防総省こくぼうそうしょうない空軍くうぐんしょう (Department of the Air Force) があり、空軍くうぐん行政ぎょうせいめんたずさわっている。最高さいこう責任せきにんしゃ文民ぶんみん空軍くうぐん長官ちょうかん (SECAF)。また、空軍くうぐん参謀さんぼう本部ほんぶ部隊ぶたい管理かんり責任せきにんゆうしており、最高さいこう責任せきにんしゃ軍人ぐんじん空軍くうぐん参謀さんぼう総長そうちょう (CSAF) となる。2020ねん8がつ時点じてん空軍くうぐん長官ちょうかんフランク・ケンドール3せい英語えいごばんつとめており、空軍くうぐん参謀さんぼう総長そうちょうチャールズ・Q・ブラウン・ジュニア大将たいしょう空軍くうぐんさい先任せんにん上級じょうきゅう曹長そうちょうはジョアンヌ・A・バスさい先任せんにん上級じょうきゅう曹長そうちょうがそれぞれつとめている。

空軍くうぐん参謀さんぼう本部ほんぶした部隊ぶたい管理かんり系統けいとうとし10主要しゅよう軍団ぐんだん (Major Command, MAJCOM) が編制へんせいされ、かく主要しゅよう軍団ぐんだんひとつまたは複数ふくすう番号ばんごう空軍くうぐん (Numbered Air Force, AF) によって編成へんせいされている。かく航空こうくうぐん複数ふくすう航空こうくうだん (Wing) およびぐん (group)・飛行ひこうたい (Squadron) によって編成へんせいされている。このほか、35の外局がいきょく空軍くうぐん参謀さんぼう本部ほんぶに3つの直属ちょくぞく機関きかんがある。かつては航空こうくうだん航空こうくう師団しだん (Air Division) があったが、これは1992ねんまでに廃止はいしされている。

現役げんえき正規せいき空軍くうぐんのほか、予備よび兵力へいりょくとして空軍くうぐん予備よびやくおよび空軍くうぐん州兵しゅうへいがある。行政ぎょうせいめんでは空軍くうぐん省内しょうない空軍くうぐん予備よびやくきょくおよび空軍くうぐん州兵しゅうへい総局そうきょくによってあつかわれ、部隊ぶたいめんでは空軍くうぐん予備よびやく軍団ぐんだんをはじめ、かく部隊ぶたいごとに編成へんせいされている。予備よび部隊ぶたい恒常こうじょうてき動員どういん運用うんようされ、正規せいき部隊ぶたい支援しえんしている。

以下いかに2008ねん時点じてんのアメリカ空軍くうぐん編成へんせいしめす。

主要しゅよう軍団ぐんだん[編集へんしゅう]

10主要しゅよう軍団ぐんだん組織そしきされている。直近ちょっきんでは2007ねん発生はっせいした核兵器かくへいき移送いそう事故じこけて、2009ねん8がつ7にち航空こうくう戦闘せんとう集団しゅうだん (ACC) にったかくばくげき部隊ぶたい宇宙うちゅう軍団ぐんだんったICBM部隊ぶたい統合とうごうして地球ちきゅう規模きぼ攻撃こうげき軍団ぐんだん (Air Force Global Strike Command) が新設しんせつされた。 かつては、空軍くうぐんサイバー軍団ぐんだん (AFCYBER) の新設しんせつ予定よていされていたが、これは2008ねん中止ちゅうしされた。

航空こうくうぐん[編集へんしゅう]

航空こうくうだん[編集へんしゅう]

参謀さんぼう本部ほんぶ直属ちょくぞく機関きかん[編集へんしゅう]

外局がいきょく[編集へんしゅう]

航空こうくう宇宙うちゅう遠征えんせい任務にんむ部隊ぶたい[編集へんしゅう]

通常つうじょう部隊ぶたい編成へんせいのほか、アメリカ空軍くうぐんでは必要ひつようおうじ、緊張きんちょう地域ちいき増強ぞうきょうした部隊ぶたい展開てんかいつづける方策ほうさくとして航空こうくう宇宙うちゅう遠征えんせい任務にんむ部隊ぶたい (Air and Space Expeditionary Task Force, AETF) 方式ほうしきれている。これは、1990年代ねんだいよりれられた方式ほうしきである。AETFは、空軍くうぐんぜん戦闘せんとう兵力へいりょくを10ほどの均等きんとう分割ぶんかつして編成へんせいしたものであり、各種かくしゅ兵力へいりょくふくまれた混成こんせい航空こうくうだんである。かくAETFは、ほぼ同等どうとう戦力せんりょく構成こうせいであり、緊張きんちょう地域ちいき増援ぞうえんとして派遣はけんされたAETFにはかく部隊ぶたいからローテーションで定期ていきてき戦力せんりょく派遣はけんおこなうことにより、一部いちぶ部隊ぶたい過度かど負担ふたんいることなく、前線ぜんせん地域ちいきへの戦力せんりょく展開てんかいつづけることができる。かく部隊ぶたい通常つうじょう所属しょぞくのほか、派遣はけんさきのAETFがめられており、訓練くんれん期間きかん定期ていきてき前線ぜんせん派遣はけん期間きかんかえすこととなる。なお、AETFは部隊ぶたい規模きぼおう航空こうくう遠征えんせい航空こうくうだん (Air Expeditionary Wing, AEW) や航空こうくう遠征えんせいぐん (Air Expeditionary Group, AEG) となる。

その組織そしき[編集へんしゅう]

その組織そしき
組織そしきめい 所在地しょざいち 主要しゅよう軍団ぐんだん 航空機こうくうき
空軍くうぐん工科こうか大学だいがく オハイオしゅう ライトパターソン空軍くうぐん基地きち - -
アメリカ空軍くうぐん戦闘せんとうセンター ネバダしゅう ネリス空軍くうぐん基地きち 航空こうくう戦闘せんとう軍団ぐんだん (ACC) -
オクラホマシティ航空こうくう兵站へいたん施設しせつ (ALC) オクラホマしゅう ティンカー空軍くうぐん基地きち 空軍くうぐん資材しざい軍団ぐんだん (AFMC) -
航空こうくう機動きどうせんセンター ニュージャージーしゅう フォートディクス - -

かつてあった航空こうくう師団しだんについてはアメリカ空軍くうぐん航空こうくう師団しだん一覧いちらん参照さんしょう

装備そうび[編集へんしゅう]

F-22A ラプター
B-1B ランサー
戦闘せんとう
攻撃こうげき
ばくげき
早期そうき警戒けいかい管制かんせい早期そうき警戒けいかい電子でんし戦機せんき捜索そうさく救難きゅうなん
給油きゅうゆ特殊とくしゅ作戦さくせん
輸送ゆそう
回転かいてんつばさ
練習れんしゅう

階級かいきゅう[編集へんしゅう]

士官しかん[編集へんしゅう]

空軍くうぐん士官しかん階級かいきゅうは、将官しょうかん佐官さかん尉官いかんの3種類しゅるいけられる。将官しょうかん空軍くうぐん元帥げんすい大将たいしょう (O-10) からじゅんはた (O-7)、佐官さかん大佐たいさ (O-6) から少佐しょうさ (O-4)、尉官いかん大尉たいい (O-3) から少尉しょうい (O-1) である。
このうち空軍くうぐん元帥げんすいについては、戦時せんじちゅうのみ任命にんめいされる階級かいきゅうであり、2020ねん8がつ現在げんざい任命にんめいされているものはいない。

給与きゅうよ等級とうきゅう O-1 O-2 O-3 O-4 O-5 O-6 O-7 O-8 O-9 O-10 Special grade
階級かいきゅうあきら
勤務きんむ服用ふくよう階級かいきゅうあきら
階級かいきゅう 少尉しょうい 中尉ちゅうい 大尉たいい 少佐しょうさ 中佐ちゅうさ 大佐たいさ じゅんしょう 少将しょうしょう 中将ちゅうじょう 大将たいしょう 空軍くうぐん元帥げんすい
略称りゃくしょう 2d Lt 1st Lt Capt Maj Lt Col Col Brig Gen Maj Gen Lt Gen Gen GAF
NATO階級かいきゅうコード OF-1 OF-2 OF-3 OF-4 OF-5 OF-6 OF-7 OF-8 OF-9 OF-10

じゅん士官しかん[編集へんしゅう]

空軍くうぐんじゅん士官しかん任命にんめいすることは合衆国がっしゅうこく法典ほうてんだい10しょうなどで法的ほうてき規定きていがされているが、現在げんざい空軍くうぐんにおいてじゅん士官しかん任命にんめいおこなわれていない。じゅん士官しかん制度せいど運用うんようおこなっていないのは、アメリカぐんでは空軍くうぐんのみである。
空軍くうぐんは1947ねん陸軍りくぐんから独立どくりつしたぐんしゅとなったさい陸軍りくぐんからじゅん士官しかん制度せいど継承けいしょうし、ながらく運用うんようしていたものの1959ねん最後さいごなぞらえ士官しかん任命にんめいしていない。そして同年どうねんに、下士官かしかん最高さいこうである最上級さいじょうきゅう曹長そうちょう (Chief Master Sergeant) へのはじめての昇進しょうしんおこなわれた。
1960年代ねんだいになると、ほとんどのじゅん士官しかん士官しかん昇進しょうしんしたが、少数しょうすうじゅん士官しかんは21年間ねんかんにわたりじゅん士官しかん階級かいきゅうにとどまった。そして、最後さいごじゅん士官しかんであるジェームズ・H・ロング4とう准尉じゅんいが1980ねん退役たいえきし、最後さいご予備よびやくじゅん士官しかんであるボブ・バロー4とう准尉じゅんいが1992ねん退役たいえきすると、空軍くうぐんじゅん士官しかん制度せいど法律ほうりつ規定きていのこすのみとなり、以来いらいじゅん士官しかん制度せいど使用しようされなくなった。
なお、ボブ・バロー予備よび4とう准尉じゅんいは、退役たいえきさいし5とう准尉じゅんい名誉めいよ昇進しょうしんしたため、空軍くうぐんでは唯一ゆいいつ5とう准尉じゅんい階級かいきゅう保持ほじする人物じんぶつとなった。

給与きゅうよ等級とうきゅう WO-1 CWO-2 CWO-3 CWO-4 CWO-5
階級かいきゅうあきら
階級かいきゅう 1とう准尉じゅんい 2とう准尉じゅんい 3とう准尉じゅんい 4とう准尉じゅんい 5とう准尉じゅんい
略称りゃくしょう WO-1 CWO-2 CWO-3 CWO-4 CWO-5
NATO階級かいきゅうコード WO-1 WO-2 WO-3 WO-4 WO-5

下士官かしかんへい[編集へんしゅう]

空軍くうぐん下士官かしかんへいはE-1からE-9の給与きゅうよ等級とうきゅうけられる。空軍くうぐん入隊にゅうたいしたら、士官しかん下士官かしかんへいにかかわらず航空こうくうへい (Airmen) とばれる。そして、陸軍りくぐん入隊にゅうたいしたものがすべて兵士へいし (Soldies) とばれるのと同様どうように、下士官かしかん以下いかであるE-1からE-4までのもの航空こうくうへい (Airmen) にふくまれる。
給与きゅうよ等級とうきゅうがE-5以上いじょうになった航空こうくうへい下士官かしかん (NCO) に区別くべつされる。そして、下士官かしかんのうちE-5およびE-6をたんに「下士官かしかん (NCOs)」とい、E-7からE-9を「上級じょうきゅう下士官かしかん (Senior NCOs)」とう。また場合ばあいによっては、E-5およびE-6をとくに「下級かきゅう下士官かしかん (Jonior NCO)」と場合ばあいがある。
空軍くうぐんはアメリカぐんなかで、唯一ゆいいつE-4がへい区別くべつされ、下士官かしかんはE-5以上いじょうとなっている。空軍くうぐん以外いがいではE-4は下士官かしかん区別くべつされ、陸軍りくぐん海兵かいへいたいでは伍長ごちょう階級かいきゅう海軍かいぐん沿岸えんがん警備けいびたいでは3とう兵曹へいそう階級かいきゅう該当がいとうする。

下士官かしかん[編集へんしゅう]

給与きゅうよ等級とうきゅう E-5 E-6 E-7 E-8 E-9
階級かいきゅうあきら
階級かいきゅう 3とう軍曹ぐんそう 2とう軍曹ぐんそう 1とう軍曹ぐんそう 曹長そうちょう 先任せんにん曹長そうちょう 上級じょうきゅう曹長そうちょう 最上級さいじょうきゅう曹長そうちょう 部隊ぶたいとうさい先任せんにん上級じょうきゅう曹長そうちょう 上級じょうきゅう部隊ぶたいとうさい先任せんにん上級じょうきゅう曹長そうちょう 州兵しゅうへい総局そうきょくさい先任せんにん下士官かしかん 空軍くうぐんさい先任せんにん上級じょうきゅう曹長そうちょう 統合とうごう参謀さんぼう本部ほんぶさい先任せんにん下士官かしかん
略称りゃくしょう SSgt TSgt MSgt SMSgt CMSgt CCM SEANGB CMSAF SEAC
NATO階級かいきゅうコード OR-5 OR-6 OR-7 OR-8 OR-9 OR-9 OR-9 OR-9 OR-9

へい[編集へんしゅう]

給与きゅうよ等級とうきゅう E-1 E-2 E-3 E-4
階級かいきゅうあきら No insignia
階級かいきゅう 二等兵にとうへい 一等いっとうへい 上等じょうとうへい 兵長へいちょう
略称りゃくしょう AB Amn A1C SrA
NATO階級かいきゅうコード OR-1 OR-2 OR-3 OR-4

アメリカ空軍くうぐん出身しゅっしん著名ちょめいじん[編集へんしゅう]

人類じんるいはつ月面げつめん着陸ちゃくりくたした宇宙うちゅう飛行ひこう
はつ月面げつめん着陸ちゃくりくたしたアポロ11ごう搭乗とうじょうした宇宙うちゅう飛行ひこう
U-2撃墜げきつい事件じけん撃墜げきついされたU-2偵察ていさつのパイロット。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ The Air Force Flag”. Air Force Historical Research Agency. United States Air Force (2007ねん3がつ24にち). 2013ねん9がつ2にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2017ねん8がつ7にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]