ミシシッピ川 がわ
名前 なまえ の由来 ゆらい : オジブワ 族 ぞく の言葉 ことば で「偉大 いだい な川 かわ 」を意味 いみ するmisi-ziibi または「大 おお きな川 かわ 」を意味 いみ するgichi-ziibi からの転訛 てんか
国 くに
アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく
州 しゅう
ミネソタ州 しゅう , ウィスコンシン州 しゅう , アイオワ州 しゅう , イリノイ州 しゅう , ミズーリ州 しゅう , ケンタッキー州 しゅう , テネシー州 しゅう , アーカンソー州 しゅう , ミシシッピ州 しゅう , ルイジアナ州 しゅう
支流 しりゅう
- 左 ひだり 支流 しりゅう
セントクロア川 がわ (英語 えいご 版 ばん ) , ウィスコンシン川 がわ (英語 えいご 版 ばん ) , ロック川 がわ , イリノイ川 がわ , カスカスキア川 がわ (英語 えいご 版 ばん ) , オハイオ川 がわ
- 右 みぎ 支流 しりゅう
ミネソタ川 がわ , デモイン川 がわ , ミズーリ川 がわ , ホワイト川 かわ (英語 えいご 版 ばん ) , アーカンザス川 がわ , レッド川 かわ
市 し
ミネアポリス , セントポール , ラクロス , ダベンポート , セントルイス , メンフィス , バトンルージュ , ニューオーリンズ
源流 げんりゅう
イタスカ湖 こ
- 所在地 しょざいち
イタスカ州立 しゅうりつ 公園 こうえん (英語 えいご 版 ばん ) , クリアウォーター郡 ぐん , ミネソタ州 しゅう
- 標高 ひょうこう
1,475ft (450m)
- 座標 ざひょう
北緯 ほくい 47度 ど 14分 ふん 23秒 びょう 西経 せいけい 95度 ど 12分 ふん 27秒 びょう / 北緯 ほくい 47.23972度 ど 西経 せいけい 95.20750度 ど / 47.23972; -95.20750
合流 ごうりゅう 地 ち
メキシコ湾 わん
- 所在地 しょざいち
パイロットタウン, プラークミンズ郡 ぐん , ルイジアナ州 しゅう
- 標高 ひょうこう
0ft (0m)
- 座標 ざひょう
北緯 ほくい 29度 ど 09分 ふん 04秒 びょう 西経 せいけい 89度 ど 15分 ふん 12秒 びょう / 北緯 ほくい 29.15111度 ど 西経 せいけい 89.25333度 ど / 29.15111; -89.25333 座標 ざひょう : 北緯 ほくい 29度 ど 09分 ふん 04秒 びょう 西経 せいけい 89度 ど 15分 ふん 12秒 びょう / 北緯 ほくい 29.15111度 ど 西経 せいけい 89.25333度 ど / 29.15111; -89.25333
長 なが さ
2,320mi (3,734km)
流域 りゅういき
1,151,000 sq mi (2,981,076 km² )
流量 りゅうりょう
for バトンルージュ での水量 すいりょう
- 平均 へいきん
593,000 cu ft/s (16,792 m3 /s) [1]
- 最大 さいだい
3,065,000 cu ft/s (86,791 m3 /s)
- 最小 さいしょう
159,000 cu ft/s (4,502 m3 /s)
ミシシッピ川 がわ 流域 りゅういき 図 ず
ミシシッピ川 がわ (ミシシッピがわ、Mississippi River)は、北 きた アメリカ大陸 あめりかたいりく を流 なが れる河川 かせん の1つである。アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく のミネソタ州 しゅう を源流 げんりゅう とし、メキシコ湾 わん へと注 そそ いでいる。全長 ぜんちょう は3779kmで、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく で2番目 ばんめ に長 なが い川 かわ である[注釈 ちゅうしゃく 1] 。
高低 こうてい 差 さ が少 すく なく流 なが れが緩 ゆる やかなため大型 おおがた 船舶 せんぱく の通行 つうこう や水運 すいうん に適 てき し、開拓 かいたく 時代 じだい から重要 じゅうよう な交通 こうつう 路 ろ であり、現代 げんだい においてもアメリカ中央 ちゅうおう 部 ぶ における輸送 ゆそう の大 だい 幹線 かんせん となっている。
また、アメリカの東部 とうぶ と西部 せいぶ の境界 きょうかい 線 せん でもある。
主 おも な支流 しりゅう にはモンタナ州 しゅう を源流 げんりゅう とするミズーリ川 がわ (アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 最長 さいちょう )やペンシルベニア州 しゅう を源流 げんりゅう とするオハイオ川 がわ などがある。ミズーリ川 がわ 源流 げんりゅう からミシシッピ川 がわ 河口 かわくち までの長 なが さは5,971kmで、北 きた アメリカ最大 さいだい の水系 すいけい をなす。ミズーリ川 がわ は治水 ちすい のために多 おお くのダムが建設 けんせつ されてダム湖 こ により多 おお くの蛇行 だこう がなくなり、500km以上 いじょう も川 かわ の長 なが さは短 みじか くなっている。その分 ぶん ミシシッピ川 がわ 全体 ぜんたい の長 なが さも短 みじか くなった。本流 ほんりゅう の全 ぜん 流 りゅう 路 ろ が構造 こうぞう 平野 へいや であるアメリカの中央 ちゅうおう 平原 へいげん を流 なが れており、そのため流 ながれ 路 ろ の勾配 こうばい が緩 ゆる い。水源 すいげん のイタスカ湖 こ に降 ふ った雨 あめ が河口 かこう に達 たっ するまで約 やく 90日 にち を要 よう する。
「ミシシッピ」の名 な は、オジブワ族 ぞく インディアン の言語 げんご で「偉大 いだい な川 かわ 」を意味 いみ するmisi-ziibi または「大 おお きな川 かわ 」を意味 いみ するgichi-ziibi からの転訛 てんか である。オハイオ川 がわ との合流 ごうりゅう 地点 ちてん より北 きた を上 うえ ミシシッピ、それより南 みなみ の河口 かこう までを下 した ミシシッピと称 しょう している。かつては川 かわ に沿 そ った地域 ちいき はフランス領 りょう であったため、セントポール からニューオーリンズまでフランス人 じん の築 きず いた町 まち が多 おお く存在 そんざい する。
周辺 しゅうへん の気候 きこう は、ミズーリ州 しゅう 中央 ちゅうおう 部 ぶ 以北 いほく は冷 ひや 帯 たい 湿潤 しつじゅん 気候 きこう 、それ以南 いなん は温暖 おんだん 湿潤 しつじゅん 気候 きこう となっている[2] 。
ミシシッピ川 がわ の水源 すいげん であるイタスカ湖 こ
ニューオーリンズ市 し 付近 ふきん を流 なが れるミシシッピ川 がわ
世界 せかい 主要 しゅよう 河川 かせん の比較 ひかく
アマゾン川 あまぞんがわ
ナイル川 がわ
ミシシッピ川 がわ
長江 ながえ
ヴォルガ川 がわ
コンゴ川 がわ
長 なが さ (km)
6,516
6,650
3,779
6,300
3,700
4,700
流域 りゅういき 面積 めんせき (100万 まん km2 )
7.05
2.9
3.2
1.8
1.3
3.7
平均 へいきん 流量 りゅうりょう (1000m3 /s.)
297
2-3
18
21
8
39
ミネソタ州 しゅう 北部 ほくぶ のイタスカ州立 しゅうりつ 公園 こうえん 内 ない にあるイタスカ湖 こ に源 みなもと を発 はっ する。イタスカ湖 こ の標高 ひょうこう は450mにすぎず[3] 、ミシシッピ本流 ほんりゅう 3779kmの長 なが さでそれだけしか高低 こうてい 差 さ がないため、かなりの部分 ぶぶん において船舶 せんぱく の航行 こうこう が可能 かのう である。ミシシッピ川 がわ はほぼ南北 なんぼく にまっすぐ流 なが れる。ミシシッピ川 がわ で最 もっと も上流 じょうりゅう に存在 そんざい する大都市 だいとし はミネアポリス であるが、この都市 とし はミシシッピ川 がわ 本流 ほんりゅう 唯一 ゆいいつ の滝 たき であるセント・アンソニー滝 たき (英語 えいご 版 ばん ) のほとりに位置 いち し、セント・アンソニー滝 たき を動力 どうりょく とした製粉 せいふん 業 ごう からスタートして大都市 だいとし へと成長 せいちょう した都市 とし である。やがて滝 たき の利用 りよう は直接 ちょくせつ の動力 どうりょく 利用 りよう から発電 はつでん へと移行 いこう し、現代 げんだい でもセント・アンソニー滝 たき の発電 はつでん は継続 けいぞく している。セント・アンソニー滝 たき には現在 げんざい では水路 すいろ が開 ひら かれ、ミネアポリスまで船舶 せんぱく の遡行 そこう が可能 かのう であるが、この水路 すいろ ができるまではミシシッピ川 がわ 最上 もがみ 流 りゅう の遡行 そこう 地点 ちてん は、滝 たき の22km下流 かりゅう にあるセントポール の街 まち であった。この2都市 とし は双子 ふたご 都市 とし であり、一 ひと つの大都市 だいとし 圏 けん を形成 けいせい している。一帯 いったい を過 す ぎると、ミネソタ州 しゅう ワバシャ (英語 えいご 版 ばん ) ・ウィスコンシン州 しゅう のチッペワ川 がわ (英語 えいご 版 ばん ) 河口 かこう とアイオワ州 しゅう プリンストン (英語 えいご 版 ばん ) ・イリノイ州 しゅう コルドバ (英語 えいご 版 ばん ) との間 あいだ のミシシッピ川 がわ はム む ール貝 るがい のLampsilis higginsii (英語 えいご 版 ばん ) 、オオホシハジロ 、コハクチョウ などの米国 べいこく 中部 ちゅうぶ の魚類 ぎょるい と野生 やせい 生物 せいぶつ の重要 じゅうよう な生息 せいそく 地 ち であり、ミシシッピ川 がわ 上流 じょうりゅう 部 ぶ 野生 やせい 生物 せいぶつ ・魚類 ぎょるい 保護 ほご 区 く (英語 えいご 版 ばん ) とトレンピーロー国立 こくりつ 野生 やせい 生物 せいぶつ 保護 ほご 区 く (英語 えいご 版 ばん ) に指定 してい されており、2010年 ねん にラムサール条約 じょうやく 登録 とうろく 地 ち となった[4] 。
セントルイス はミシシッピ川 がわ とミズーリ川 がわ の合流 ごうりゅう 地点 ちてん にあり、さらにその少 すこ し上流 じょうりゅう でイリノイ川 がわ を合 あ わせることから、水運 すいうん と鉄道 てつどう の大 だい 結節 けっせつ 点 てん として発展 はってん してきた。イリノイ川 がわ からはイリノイ・ミシガン運河 うんが を通 とお って五 ご 大 だい 湖 みずうみ 地方 ちほう とも連絡 れんらく している。さらに下流 かりゅう のイリノイ州 しゅう カイロ で、東 ひがし から流 なが れてきたオハイオ川 がわ を合 あ わせる。オハイオ川 がわ の水量 すいりょう は、ミズーリ川 がわ を合 あ わせたのちのミシシッピ本流 ほんりゅう より30%ほど多 おお く、このためここからミシシッピ川 がわ の水量 すいりょう は大 おお きく増 ま す。標高 ひょうこう 差 さ が少 すく なく水量 すいりょう が多 おお いため、ミシシッピ川 がわ の流 りゅう 路 ろ は変遷 へんせん を繰 く り返 かえ し、非常 ひじょう に蛇行 だこう の多 おお いものとなっていた。こうした蛇行 だこう は19世紀 せいき 末 まつ 以降 いこう 河川 かせん 改修 かいしゅう によって徐々 じょじょ に姿 すがた を消 け していき、現代 げんだい では流 ながれ 路 ろ はかなり直線 ちょくせん に近 ちか い形 かたち へと改修 かいしゅう されているところが多 おお い。また、このためにミシシッピ川 がわ 沿岸 えんがん には旧 きゅう 河 かわ 道 どう に水 みず がたまってできた三日月 みかづき 湖 こ が多 おお く存在 そんざい する。メンフィス を通過 つうか したのち、ミシシッピ川 がわ はアーカンソー州 しゅう でアーカンザス川 がわ を合 あ わせる。バトンルージュを通過 つうか したのち、ミシシッピ川 がわ はルイジアナ州 しゅう 最大 さいだい の都市 とし であるニューオーリンズ を通 とお り、そこから約 やく 160km南東 なんとう のミシシッピ川 がわ デルタ (英語 えいご 版 ばん ) (ミシシッピ州 しゅう 北西 ほくせい 部 ぶ の内陸 ないりく 沖積 ちゅうせき 平野 へいや のミシシッピ・デルタ とは異 こと なる)にあるプラークミンズ郡 ぐん パイロットタウン (英語 えいご 版 ばん ) からメキシコ湾 わん に注 そそ ぐ。ミシシッピ・デルタは南東 なんとう に向 む けてメキシコ湾 わん に大 おお きく突出 とっしゅつ しており、鳥 とり 趾状三角州 さんかくす という独特 どくとく な三角州 さんかくす となっていることで知 し られている[5] 。ミシシッピ川 がわ デルタは都市 とし からの地下水 ちかすい の取水 しゅすい やデルタそれ自体 じたい の重 おも みによって沈降 ちんこう を続 つづ けており、さらにメキシコ湾 わん の潮流 ちょうりゅう による浸食 しんしょく や、上流 じょうりゅう 各地 かくち に建設 けんせつ されたダムなどによる土砂 どしゃ 流入 りゅうにゅう の減少 げんしょう によって縮小 しゅくしょう を続 つづ けており、デルタ上 じょう に位置 いち するニューオーリンズもそれによって地盤 じばん 沈下 ちんか を続 つづ けている。この地盤 じばん 沈下 ちんか は、2005年 ねん 8月 がつ にハリケーン・カトリーナ がニューオーリンズに来襲 らいしゅう した際 さい に多大 ただい な被害 ひがい をもたらす原因 げんいん となった[6] 。
カホキア遺跡 いせき のマウンド
西暦 せいれき 800年 ねん ごろから、ミシシッピ河谷 こうだに においてミシシッピ文化 ぶんか と呼 よ ばれるインディアン 文化 ぶんか が広 ひろ まった。この文化 ぶんか はマウンド(墳丘 ふんきゅう )を築 きず くことを特徴 とくちょう とし、トウモロコシの農耕 のうこう を基盤 きばん とする文化 ぶんか で、首長 しゅちょう 制 せい 国家 こっか を各地 かくち に築 きず いていた。この文化 ぶんか のもっとも著名 ちょめい な遺跡 いせき はセントルイス近郊 きんこう にあるカホキア で、12世紀 せいき から13世紀 せいき にかけて栄 さか え、最盛 さいせい 期 き の人口 じんこう は推定 すいてい で1万 まん 人 にん ほどに達 たっ していた。カホキアは1450年 ねん ごろに崩壊 ほうかい するが、ミシシッピ文化 ぶんか 自体 じたい は変化 へんか しながらヨーロッパ人 じん の到達 とうたつ まで継続 けいぞく していた。
ヨーロッパ人 じん による探検 たんけん と植民 しょくみん 地 ち 化 か [ 編集 へんしゅう ]
ミシシッピ川 がわ に到達 とうたつ した記録 きろく が残 のこ っている最初 さいしょ のヨーロッパ人 じん はスペイン人 じん のコンキスタドール であるエルナンド・デ・ソト である。彼 かれ は1541年 ねん 5月8日 にち に、アメリカ南部 なんぶ の征服 せいふく 行 ぎょう 中 ちゅう にミシシッピ川 がわ に到達 とうたつ した。彼 かれ の探検 たんけん 隊 たい はミシシッピ川下 かわしも 流域 りゅういき を探検 たんけん したが、1542年 ねん 5月21日 にち にミシシッピ河畔 かはん でソトは死亡 しぼう した。死去 しきょ した場所 ばしょ は、現在 げんざい のミシシッピ州 しゅう デソト郡 ぐん などいくつかの説 せつ がある。生 い き残 のこ りの隊員 たいいん たちはミシシッピ川 がわ を下 くだ ってメキシコ湾 わん に出 で 、スペイン領 りょう にたどり着 つ いた。この探検 たんけん 隊 たい はいくつかのミシシッピ文化 ぶんか の国家 こっか を崩壊 ほうかい させたが、それよりミシシッピ文化 ぶんか に致命 ちめい 的 てき な影響 えいきょう を与 あた えたのは彼 かれ らの持 も ち込 こ んだ伝染 でんせん 病 びょう であり、これによってミシシッピ文化 ぶんか の多 おお くの首長 しゅちょう 制 せい 国家 こっか は崩壊 ほうかい し、人口 じんこう も大 おお きく減少 げんしょう した。
デ・ソト探検 たんけん 隊 たい ののち、100年 ねん 以上 いじょう の間 あいだ ミシシッピ川 がわ 流域 りゅういき にはほとんどヨーロッパ人 じん はやってこなかった。次 つぎ にミシシッピ流域 りゅういき へとやってきたのは、北 きた の五大 ごだい 湖 みずうみ 水系 すいけい を制 せい したフランス人 じん だった。1670年代 ねんだい にはフランス人 じん は五大 ごだい 湖 みずうみ 沿岸 えんがん の探検 たんけん をほぼ終 お え、その過程 かてい でミシガン湖畔 こはん において海 うみ にまで流 なが れる巨大 きょだい な川 かわ の話 はなし を聞 き きつけた。1673年 ねん にはルイ・ジョリエ が五 ご 大 だい 湖 みずうみ からミシシッピ川 がわ に到達 とうたつ し、ミシシッピ川 がわ とアーカンザス川 がわ の合流 ごうりゅう 地点 ちてん にまで到達 とうたつ して引 ひ き返 かえ した[7] 。次 つ いで1682年 ねん 4月 がつ 9日 にち にはロベール=カブリエ・ド・ラ・サール がミシシッピを下 くだ ってメキシコ湾 わん にまで到達 とうたつ し[8] 、これにより北 きた アメリカ大陸 あめりかたいりく 中央 ちゅうおう 部 ぶ を南北 なんぼく に貫 つらぬ く幹線 かんせん 水路 すいろ が開通 かいつう した。ラ・サールは1684年 ねん に、今度 こんど はメキシコ湾 わん からミシシッピ川 がわ をさかのぼろうとして上陸 じょうりく 地点 ちてん を誤 あやま り、テキサス に上陸 じょうりく してミシシッピ川 がわ にたどり着 つ く途中 とちゅう で仲間割 なかまわ れで殺 ころ されたが、生 い き残 のこ りはなんとかイリノイからケベック へとたどり着 つ いた。こうして五 ご 大 だい 湖水 こすい 系 けい とミシシッピ川 がわ 水系 すいけい はつながり、この水系 すいけい を拠点 きょてん としてフランスは広大 こうだい なヌーベルフランス 植民 しょくみん 地 ち を建設 けんせつ した。ミシシッピ川 がわ 水系 すいけい はヌーベルフランス内 ない のフランス領 りょう ルイジアナ 植民 しょくみん 地 ち となったが、しかし、フランス領 りょう ルイジアナは面 めん 的 てき には広 ひろ い地域 ちいき だったものの人口 じんこう は非常 ひじょう に少 すく なく、ミシシッピ川 がわ 沿 ぞ いには交易 こうえき 所 しょ や砦 とりで が点在 てんざい するにとどまっていた。それでも、1718年 ねん には河口 かこう にヌーヴェル・オルレアン(ニューオーリンズ )の街 まち が建設 けんせつ され、1722年 ねん にはフランス領 りょう ルイジアナの首都 しゅと となり、ミシシッピ川 がわ 交易 こうえき とメキシコ湾 わん 海運 かいうん の結節 けっせつ 点 てん として栄 さか えるようになった。このほか、セントルイス など、このフランス領 りょう 時代 じだい に建設 けんせつ された拠点 きょてん で現在 げんざい も都市 とし として存続 そんぞく している場所 ばしょ はミシシッピ川 がわ に点在 てんざい している。
フランスはミズーリ川 がわ やオハイオ川 がわ などを含 ふく めたミシシッピ川 がわ 水系 すいけい 全域 ぜんいき の領有 りょうゆう 権 けん を主張 しゅちょう しており、五大 ごだい 湖水 こすい 系 けい とつながることで、北 きた アメリカ大陸 あめりかたいりく 東岸 とうがん のイギリス植民 しょくみん 地 ち の発展 はってん 方向 ほうこう をふさぐ形 かたち となっていた。このため両国 りょうこく 間 あいだ には小競 こぜ り合 あ いが絶 た えず、北米 ほくべい 植民 しょくみん 地 ち 戦争 せんそう と呼 よ ばれる戦争 せんそう を断続 だんぞく 的 てき に100年 ねん 以上 いじょう 続 つづ けたが、結局 けっきょく 最後 さいご の北米 ほくべい 植民 しょくみん 地 ち 戦争 せんそう であるフレンチ・インディアン戦争 せんそう においてフランスは大敗 たいはい し、1763年 ねん のパリ条約 じょうやく でフランスはミシシッピ川 がわ の東側 ひがしがわ とカナダをイギリスに割譲 かつじょう 、ミシシッピ川 がわ の西側 にしがわ をスペインに割譲 かつじょう し、北米 ほくべい 大陸 たいりく の領土 りょうど を完全 かんぜん に喪失 そうしつ した。こうしてミシシッピ川 がわ はイギリス植民 しょくみん 地 ち とスペイン植民 しょくみん 地 ち の境界 きょうかい となったが、1775年 ねん に始 はじ まったアメリカ独立 どくりつ 戦争 せんそう においてイギリスは敗北 はいぼく し、1783年 ねん 9月3日 にち のパリ条約 じょうやく によってミシシッピ川 がわ 東岸 とうがん は独立 どくりつ したアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく へと譲渡 じょうと されることとなった。
1792年 ねん には、バージニア州 しゅう のアパラチア山脈 さんみゃく 以西 いせい がケンタッキー州 しゅう として分離 ぶんり し、アメリカ第 だい 15番目 ばんめ の州 しゅう となった。これはミシシッピ川 がわ 流域 りゅういき における初 はじ めての州 しゅう の新設 しんせつ であり、ついで1796年 ねん にはアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 政府 せいふ に属 ぞく する南西 なんせい 部 ぶ 領土 りょうど が州 しゅう に昇格 しょうかく してテネシー州 しゅう となった。
一方 いっぽう 、ミシシッピ川 がわ の西岸 せいがん は1800年 ねん にスペインからフランスに再 ふたた び割譲 かつじょう され、フランス領 りょう ルイジアナが復活 ふっかつ した。しかし1803年 ねん 、アメリカはフランスからルイジアナを1500万 まん ドルで購入 こうにゅう し、ミシシッピ川 がわ の両 りょう 岸 きし はアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の領土 りょうど となった。このルイジアナ買収 ばいしゅう によってアメリカの領土 りょうど は2倍 ばい となり、また西方 せいほう への道 みち が開 あ けたことでアメリカの西部 せいぶ 開拓 かいたく に一層 いっそう 拍車 はくしゃ がかかることとなった。ルイジアナを購入 こうにゅう したとはいえ、ミシシッピ川 がわ 西方 せいほう の状況 じょうきょう についてはアメリカ東海岸 ひがしかいがん ではほとんど知 し られておらず、このためルイジアナ買収 ばいしゅう を行 おこな った第 だい 三 さん 代 だい 大統領 だいとうりょう トーマス・ジェファーソン は1804年 ねん にメリウェザー・ルイス とウィリアム・クラーク に率 ひき いられた探検 たんけん 隊 たい をミシシッピ西方 せいほう へと派遣 はけん した。このルイス・クラーク探検 たんけん 隊 たい はミシシッピ川 がわ とミズーリ川 がわ の合流 ごうりゅう 点 てん にあり、セントルイスの対岸 たいがん に位置 いち するウッド・リヴァー基地 きち から出発 しゅっぱつ して支流 しりゅう のミズーリ川 がわ 沿 ぞ いに西 にし へと進 すす み[9] 、太平洋 たいへいよう にまで到達 とうたつ した。この探検 たんけん によりアメリカはミシシッピ西方 せいほう の詳細 しょうさい な情報 じょうほう を入手 にゅうしゅ し、以後 いご の西部 せいぶ 開拓 かいたく の大 おお きな助 たす けとなった。それ以降 いこう も流域 りゅういき の探検 たんけん は積極 せっきょく 的 てき に進 すす められ、1820年 ねん にはミシガン準 じゅん 州 しゅう 知事 ちじ のルイス・カス がミシガン準 じゅん 州 しゅう 北部 ほくぶ (現在 げんざい のミネソタ州 しゅう 域 いき )に探検 たんけん 隊 たい を派遣 はけん してミシシッピ川 がわ の源流 げんりゅう を探検 たんけん させ、現在 げんざい のミネソタ州 しゅう 中北 なかきた 部 ぶ に位置 いち するカス湖 みずうみ がミシシッピ川 がわ の源流 げんりゅう であるとした。その後 ご 、1832年 ねん にはヘンリー・スクールクラフトによって再 さい 探検 たんけん が行 おこな われ、カス湖 こ の近傍 きんぼう にあるイタスカ湖 みずうみ がミシシッピ川 がわ の源流 げんりゅう であると突 つ き止 と められた。
ミシシッピ川 がわ 両 りょう 岸 きし がアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 領 りょう となると、沿岸 えんがん にはアメリカ東部 とうぶ から次々 つぎつぎ と開拓 かいたく 者 しゃ が押 お し寄 よ せ、一定 いってい の開拓 かいたく が進 すす んだ土地 とち は続々 ぞくぞく と州 しゅう に昇格 しょうかく していった。1812年 ねん に旧 きゅう フランス領 りょう ルイジアナの南端 なんたん にあたるオーリンズ準 じゅん 州 しゅう の大半 たいはん がルイジアナ州 しゅう として連邦 れんぽう に加盟 かめい したのを皮切 かわき りに、ミシシッピ州 しゅう (1817年 ねん )、イリノイ州 しゅう (1818年 ねん )、ミズーリ州 しゅう (1821年 ねん )、アーカンソー州 しゅう (1836年 ねん )、アイオワ州 しゅう (1846年 ねん )、ウィスコンシン州 しゅう (1848年 ねん )が成立 せいりつ していき、1858年 ねん のミネソタ州 しゅう 加盟 かめい をもってミシシッピ川 がわ 本流 ほんりゅう 沿 ぞ いはすべてアメリカの州 しゅう に属 ぞく することとなった。
ニューオーリンズのミシシッピ川 がわ を走 はし る蒸気 じょうき 船 せん ナチェズ号 ごう
ミシシッピ川 がわ は植民 しょくみん 初期 しょき から輸送 ゆそう 路 ろ として活用 かつよう されてきたが、ミシシッピ川 がわ は流 なが れが強 つよ く、沿岸 えんがん の曳舟道 どう も整備 せいび されていなかったために船 ふね を上流 じょうりゅう へ引 ひ き上 あ げることは困難 こんなん だったため、フラットボート (平底 ひらぞこ 船 せん )などの簡易 かんい な船 ふね を上流 じょうりゅう で作 つく り、下流 かりゅう まで荷物 にもつ を運搬 うんぱん したのち荷物 にもつ を売却 ばいきゃく し、船 ふね も材木 ざいもく として下流 かりゅう で分解 ぶんかい し売却 ばいきゃく するといった片道 かたみち 利用 りよう が主流 しゅりゅう だった。ミシシッピ川 がわ の利用 りよう が格段 かくだん に拡大 かくだい したのは蒸気 じょうき 船 せん の開発 かいはつ 以降 いこう のことである。外輪 がいりん の蒸気 じょうき 船 せん が航行 こうこう する姿 すがた は、アメリカ発展 はってん 史 し における象徴 しょうちょう 的 てき 存在 そんざい で、1811年 ねん にはミシシッピ川 がわ 初 はつ の蒸気 じょうき 船 せん であるニューオーリンズ号 ごう がオハイオ川 がわ からミシシッピ川 がわ へと就航 しゅうこう し[10] 、以後 いご 急速 きゅうそく に蒸気 じょうき 船 せん の利用 りよう が進 すす んだ。動力 どうりょく 付 つ きの船 ふね である蒸気 じょうき 船 せん によって、船舶 せんぱく が遡行 そこう できないという難点 なんてん が解消 かいしょう されたためである。初期 しょき の蒸気 じょうき 船 せん は外輪船 がいりんせん であり、波 なみ の影響 えいきょう を受 う けないミシシッピ川 がわ では外洋 がいよう と違 ちが って外輪船 がいりんせん が効果 こうか を発揮 はっき しやすいこともこの急速 きゅうそく な普及 ふきゅう の理由 りゆう の一 ひと つだった。一方 いっぽう 、簡単 かんたん に作成 さくせい して船舶 せんぱく ごと売却 ばいきゃく できる平底 ひらぞこ 船 せん も、とくに木材 もくざい の簡単 かんたん に入手 にゅうしゅ できる開拓 かいたく 地 ち などでは人気 にんき があり、1840年代 ねんだい まで盛 さか んに利用 りよう され続 つづ けていた。1831年 ねん にはエイブラハム・リンカーン が平底 ひらぞこ 船 せん の船員 せんいん としてイリノイ州 しゅう ニューセイラムからニューオーリンズまで旅 たび し、ここで奴隷 どれい 市場 いちば を目撃 もくげき している。
ミシシッピ川 がわ 水路 すいろ の利用 りよう が容易 ようい になると、ミシシッピ川 がわ 交易 こうえき が本格 ほんかく 化 か した。開拓 かいたく が急速 きゅうそく に進 すす みフロンティア が前進 ぜんしん しつつある西部 せいぶ で生産 せいさん された農作物 のうさくもつ はミシシッピ川 がわ を通 つう じてアメリカ南部 なんぶ へと運 はこ ばれ、南部 なんぶ からは砂糖 さとう などが川 かわ をさかのぼって西部 せいぶ へと運 はこ ばれた。開拓 かいたく 初期 しょき は早 はや くから開拓 かいたく の進 すす んだオハイオ川 がわ 流域 りゅういき とニューオーリンズを結 むす ぶルートが主要 しゅよう ルートだったが、開拓 かいたく が進 すす むにつれて肥沃 ひよく な大 だい 平原 へいげん を持 も つミシシッピ川 がわ 本流 ほんりゅう 地域 ちいき の交易 こうえき も盛 さか んとなった。南部 なんぶ と西部 せいぶ との直接 ちょくせつ 交易 こうえき のほか、ミシシッピ川 がわ はアメリカ全体 ぜんたい の交易 こうえき ルートの一部 いちぶ ともなっていた。すなわち、西部 せいぶ は南部 なんぶ に農作物 のうさくもつ を売 う った利益 りえき でアメリカ東部 とうぶ から工業 こうぎょう 製品 せいひん を購入 こうにゅう し、東部 とうぶ は南部 なんぶ から綿花 めんか やタバコ などを購入 こうにゅう 。そして南部 なんぶ は西部 せいぶ から農作物 のうさくもつ を購入 こうにゅう するというサイクルが出来上 できあ がり[11] 、アメリカ国内 こくない 経済 けいざい の統一 とういつ にミシシッピ川 がわ は大 おお きな役割 やくわり を果 は たした。ミシシッピ川 がわ 交易 こうえき の本格 ほんかく 化 か した1820年代 ねんだい から1840年代 ねんだい にいたるまで、西部 せいぶ の農作物 のうさくもつ の主要 しゅよう な購入 こうにゅう 者 しゃ は南部 なんぶ であり続 つづ け、この輸送 ゆそう を担 にな うミシシッピ川 がわ は国内 こくない 交通 こうつう の柱 はしら となっていた。ナチェズ などはこの時期 じき に栄 さか えた河港 かこう 都市 とし である。1848年 ねん には五大 ごだい 湖 みずうみ とミシシッピ川 がわ を結 むす ぶイリノイ・ミシガン運河 うんが が完成 かんせい し、ミシシッピ側 がわ の拠点 きょてん となるセントルイスはさらに重要 じゅうよう 性 せい を増 ま した。
1840年代 ねんだい に入 はい ると、それまで河川 かせん と運河 うんが が主力 しゅりょく だった地域 ちいき 交通 こうつう が、鉄道 てつどう の延伸 えんしん によって変化 へんか し始 はじ めた。ミシシッピ川 がわ の数 すう か所 しょ に橋 はし が架 か けられて鉄道 てつどう が走 はし るようになり、ミネアポリスやセントルイス、メンフィスといった河港 かこう 都市 とし はそのまま渡河 とか 地点 ちてん 、鉄道 てつどう と水運 すいうん との連絡 れんらく 地点 ちてん としてさらに繁栄 はんえい した。
ミシシッピ川 がわ 流域 りゅういき が開発 かいはつ されていくに伴 ともな い、アメリカの南北 なんぼく 対立 たいりつ がこの流域 りゅういき にも持 も ち込 こ まれるようになっていった。奴隷 どれい 制 せい に反対 はんたい する北部 ほくぶ とそれを維持 いじ する南部 なんぶ の政治 せいじ 対立 たいりつ は、1820年 ねん のミズーリ妥協 だきょう によって北緯 ほくい 36度 ど 30分 ぶん の緯線 いせん より北 きた を自由 じゆう 州 しゅう 、南 みなみ を奴隷 どれい 州 しゅう とすることで両 りょう 地域 ちいき のバランスが図 はか られた。ただしミズーリ州 しゅう はこのラインよりも北 きた に位置 いち するものの、奴隷 どれい 制度 せいど が認 みと められることとなった。これによりミシシッピ川 がわ 流域 りゅういき の北部 ほくぶ 諸 もろ 州 しゅう は自由 じゆう 州 しゅう 、南部 なんぶ 諸 もろ 州 しゅう は奴隷 どれい 州 しゅう となっていったが、しかしその後 ご もこの問題 もんだい はくすぶり続 つづ け、ついに1860年 ねん 11月の大統領 だいとうりょう 選挙 せんきょ で共和党 きょうわとう のエイブラハム・リンカーン が当選 とうせん したことによって、1861年 ねん 1月 がつ 9日 にち にミシシッピ州 しゅう が連邦 れんぽう を脱退 だったい し、ついでルイジアナ州 しゅう もそれに続 つづ き、1861年 ねん 2月 がつ 4日 にち にはこれらの州 しゅう はアメリカ連合 れんごう 国 こく (南部 なんぶ 連合 れんごう )へと加入 かにゅう した。さらに1861年 ねん 4月 がつ 12日 にち に南 みなみ 軍 ぐん が連邦 れんぽう のサムター要塞 ようさい を砲撃 ほうげき して戦端 せんたん が開 ひら かれるとアーカンソー州 しゅう 、テネシー州 しゅう も連合 れんごう 国 こく に参加 さんか し、ミシシッピ川 がわ も北 きた の合衆国 がっしゅうこく と南 みなみ の連合 れんごう 国 こく の間 あいだ の戦場 せんじょう となった。(ミシシッピ川 がわ 流域 りゅういき 戦線 せんせん )
南北戦争 なんぼくせんそう が北 きた 軍 ぐん の勝利 しょうり に終 お わると、流域 りゅういき は再 ふたた び全域 ぜんいき がアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 領 りょう にもどった。蒸気 じょうき 船 せん は再 ふたた びミシシッピ川 がわ を行 い きかうようになり、20世紀 せいき に入 はい るとエンジン船 せん に動力 どうりょく が変 か わったものの、21世紀 せいき にいたるまでミシシッピ川 がわ の河川 かせん 輸送 ゆそう は重要 じゅうよう な地位 ちい を保 たも ち続 つづ けている。
トウボートに押 お されてミシシッピ川 がわ を上 のぼ る艀 はしけ 。セントルイス のゲートウェイ・アーチ 上 うえ から撮影 さつえい
下流 かりゅう エリア
ミシシッピ川 がわ は現在 げんざい でもアメリカ内陸 ないりく 部 ぶ の基幹 きかん 輸送 ゆそう ルートである。ミシシッピ本流 ほんりゅう はミネアポリス まで大型 おおがた 船 せん が遡行 そこう できる。支流 しりゅう であるミズーリ川 がわ 、オハイオ川 がわ 、テネシー川 がわ 、アーカンザス川 がわ 、カンバーランド川 がわ などもひろく船舶 せんぱく が遡行 そこう 可能 かのう である。また、イリノイ川 がわ からイリノイ水路 すいろ を通 つう じてシカゴ へと水路 すいろ がつながっており、五大 ごだい 湖水 こすい 路 ろ との連絡 れんらく もある。
ミシシッピ川 がわ 本流 ほんりゅう 北部 ほくぶ の沿岸 えんがん はコーンベルトと呼 よ ばれる大 だい 穀物 こくもつ 生産 せいさん 地帯 ちたい であり、中西部 ちゅうせいぶ の穀物 こくもつ を河口 かこう 附近 ふきん の輸出 ゆしゅつ 港 みなと まではしけ で大量 たいりょう 輸送 ゆそう する大 だい 幹線 かんせん となっている。ミシシッピ川 がわ を利用 りよう する貨物 かもつ には沿岸 えんがん で生産 せいさん されるコムギ やトウモロコシ 、ダイズ などが多 おお い[12] 。船舶 せんぱく 輸送 ゆそう はトラック・鉄道 てつどう より圧倒的 あっとうてき に大量 たいりょう の荷 に を低 てい コストで輸送 ゆそう できるため、穀物 こくもつ 輸送 ゆそう の主力 しゅりょく 輸送 ゆそう 手段 しゅだん となっている。中西部 ちゅうせいぶ で集荷 しゅうか された穀物 こくもつ は、大型 おおがた の艀 はしけ (バージ)に乗 の せられ、タグボート に導 みちび かれて川 かわ を下 くだ り、河口 かこう のニューオーリンズまで運 はこ ばれ、ここから全 ぜん 世界 せかい へと出荷 しゅっか される。このため、ニューオーリンズは現代 げんだい でも河川 かせん 水運 すいうん と海運 かいうん との結節 けっせつ 点 てん として、また穀物 こくもつ の輸出 ゆしゅつ 港 こう として重要 じゅうよう である。アメリカの穀物 こくもつ 輸出 ゆしゅつ の6割 わり はメキシコ湾 わん より輸出 ゆしゅつ されるが、その輸出 ゆしゅつ の大半 たいはん はミシシッピ水系 すいけい の河川 かせん 輸送 ゆそう に拠 よ っている[13] 。
ミシシッピ川 がわ の水路 すいろ の保守 ほしゅ は、アメリカ国内 こくない の他 ほか の河川 かせん と同 おな じくアメリカ陸軍 りくぐん 工兵 こうへい 隊 たい によって行 おこな われている[14] 。これは、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 憲法 けんぽう 第 だい 1条 じょう 8節 せつ 3項 こう によって州 しゅう 際 ぎわ 通商 つうしょう が連邦 れんぽう 政府 せいふ の管轄 かんかつ となっている[15] ことによるもので、1899年 ねん の河川 かせん 港湾 こうわん 法 ほう 第 だい 10条 じょう よって他 た の河川 かせん と同 おな じくミシシッピ川 がわ の保守 ほしゅ もまたアメリカ陸軍 りくぐん 工兵 こうへい 隊 たい が担当 たんとう することとなった。
都市 とし 圏 けん
人口 じんこう
ミネアポリス・セントポール都市 とし 圏 けん
3,615,901
セントルイス 大都市 だいとし 圏 けん
2,900,605
メンフィス 大都市 だいとし 圏 けん
1,316,100
ニューオーリンズ 都市 とし 圏 けん
1,214,932
バトンルージュ 都市 とし 圏 けん
802,484
ダベンポート ・モリーン・ロックアイランド都市 とし 圏 けん (クァッド・シティーズ)
382,630
セントクラウド 都市 とし 圏 けん
189,148
ラクロス 都市 とし 圏 けん
133,365
ケープジラード 都市 とし 圏 けん
96,275
ダビューク郡 ぐん 都市 とし 圏 けん
93,653
ミシシッピ川 がわ 沿岸 えんがん には多 おお くの都市 とし が存在 そんざい し、アメリカ中央 ちゅうおう 部 ぶ を南北 なんぼく に貫 つらぬ くひとつの都市 とし 軸 じく を形成 けいせい している。これらの都市 とし のほとんどは河港 かこう をもち、ミシシッピ川 がわ の水運 すいうん を起点 きてん として発展 はってん を遂 と げた。ミシシッピ川 がわ 沿岸 えんがん の最大 さいだい の都市 とし 圏 けん は、上流 じょうりゅう 部 ぶ に位置 いち しミシシッピ川 がわ 最 さい 北 きた の大都市 だいとし であるミネアポリスとセントポールである。滝 たき を基盤 きばん とする工業 こうぎょう 都市 とし であるミネアポリスと河港 かこう を基盤 きばん とする港湾 こうわん 都市 とし であるセントポールは近接 きんせつ しており、双子 ふたご 都市 とし の典型 てんけい の一 ひと つとされ、ミネアポリス・セントポール都市 とし 圏 けん としてひとつの大都市 だいとし 圏 けん を形成 けいせい している。ミネアポリスはまた、ミシシッピ川 がわ の渡河 とか 地点 ちてん としても重要 じゅうよう であった。また、ミネアポリスは周辺 しゅうへん の農作物 のうさくもつ の集散 しゅうさん 地 ち ともなっている。それに対 たい し、ミネソタ州 しゅう の州都 しゅうと のあるセントポールは行政 ぎょうせい 都市 とし としての性格 せいかく も強 つよ い。これに次 つ ぐ大都市 だいとし 圏 けん は流 ながれ 路 ろ のほぼ中央 ちゅうおう 部 ぶ にあるセントルイスであるが、ここは西 にし のミズーリ川 がわ 、北 きた のミシシッピ川 がわ 、北東 ほくとう のイリノイ川 がわ および五 ご 大 だい 湖 みずうみ 、さらには東 ひがし のオハイオ川 がわ の合流 ごうりゅう 点 てん からも遠 とお くなく、水運 すいうん の一大 いちだい 結節 けっせつ 点 てん となっていた。1840年代 ねんだい 以降 いこう 、セントルイスを拠点 きょてん として鉄道 てつどう が全 ぜん 方位 ほうい に四通八達 しつうはったつ するようになり、鉄道 てつどう のミシシッピ川 がわ の渡河 とか 地点 ちてん としても、さらに鉄道 てつどう などの陸路 りくろ と水路 すいろ の結節 けっせつ 点 てん として成長 せいちょう してきた。メンフィスは周辺 しゅうへん の綿花 めんか の集散 しゅうさん 地 ち 、そして鉄道 てつどう と水路 すいろ の要衝 ようしょう として栄 さか えた町 まち である。そして、これらの水路 すいろ と海路 かいろ の結節 けっせつ 点 てん となっているのが、河口 かこう に位置 いち し海港 かいこう を持 も つニューオーリンズである。人口 じんこう 100万 まん 人 にん を超 こ える大都市 だいとし 圏 けん はこの4つであるが、これに次 つ ぐものとして大 おお きな河港 かこう をもち、また周辺 しゅうへん の石油 せきゆ 開発 かいはつ の基地 きち やルイジアナ州 しゅう の州都 しゅうと として行政 ぎょうせい 都市 とし の面 めん を持 も つバトンルージュ がある。
メンフィスにおけるミシシッピ
川 がわ 水位 すいい
大 だい 洪水 こうずい レベル
中 ちゅう 洪水 こうずい レベル
洪水 こうずい レベル
警戒 けいかい レベル
水位 すいい
最低 さいてい 水運 すいうん レベル
ミシシッピ川 がわ 沿岸 えんがん 、とりわけ上 うえ ・中 ちゅう 流域 りゅういき においては洪水 こうずい が多 おお く発生 はっせい している[16] 。特 とく に被害 ひがい の大 おお きかった洪水 こうずい は、アーカンソー州 しゅう に甚大 じんだい な被害 ひがい をもたらした1927年 ねん のミシシッピ大 だい 洪水 こうずい や、アイオワ州 しゅう とミズーリ州 しゅう を襲 おそ った1993年 ねん のアメリカ中西部 ちゅうせいぶ 大 だい 洪水 こうずい がある。アメリカ中西部 ちゅうせいぶ 大 だい 洪水 こうずい においては被害 ひがい 総額 そうがく は100億 おく ドル以上 いじょう にものぼった[16] 。一方 いっぽう 、南部 なんぶ ではハリケーン の来襲 らいしゅう を受 う けやすく、2005年 ねん 8月 がつ のハリケーン・カトリーナ はミシシッピ・デルタ地帯 ちたい を直撃 ちょくげき し、ニューオーリンズ市 し に甚大 じんだい な被害 ひがい をもたらした。
ヴィックスバーグ におけるミシシッピ川 がわ の流量 りゅうりょう (m3 /s) (1965年 ねん から1983年 ねん の平均 へいきん データ)[17] .
ミシシッピ川 がわ はアメリカ文化 ぶんか にも大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えている。アメリカ最大 さいだい の作家 さっか のひとりであるマーク・トウェイン はミシシッピ川 がわ 沿 ぞ いのミズーリ州 しゅう ハンニバル で少年 しょうねん 期 き を過 す ごし、『トム・ソーヤーの冒険 ぼうけん 』や『ハックルベリー・フィンの冒険 ぼうけん 』といった彼 かれ の代表 だいひょう 作 さく はこの少年 しょうねん 期 き の経験 けいけん をもとにして描 えが かれている。マーク・トウェインとのペンネーム自体 じたい 、ミシシッピ川 がわ を行 い き交 か う蒸気 じょうき 船 せん の水先 みずさき 人 じん への合図 あいず 「by the mark, twain」(水深 すいしん 二 に 尋 ひろ )からとられている。
音楽 おんがく においても、ミシシッピ川 がわ 沿岸 えんがん 地方 ちほう は大 おお きな役割 やくわり を果 は たしてきた。特 とく に南部 なんぶ において、黒人 こくじん が持 も っていた音楽 おんがく 文化 ぶんか と白人 はくじん の音楽 おんがく 文化 ぶんか が融合 ゆうごう し、都市 とし という場 ば を得 え て花開 はなひら いたのである。ブルース はメンフィスやセントルイスが本場 ほんば であり、またジャズ もニューオーリンズが発祥 はっしょう の地 ち であり、ここから世界中 せかいじゅう に広 ひろ まっていった。
五大 ごだい 湖 みずうみ 周辺 しゅうへん の河川 かせん を除 のぞ くと、ミシシッピ川 がわ にはロッキー山脈 さんみゃく とアパラチア山脈 さんみゃく の間 あいだ のほとんどの河川 かせん が流 なが れ込 こ んでいる。ミシシッピ川 がわ 本流 ほんりゅう はアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 中央 ちゅうおう 部 ぶ の以下 いか の10州 しゅう を流 なが れている。
下流 かりゅう より記載 きさい
自伝 じでん 的 てき 作品 さくひん 『ミシシッピの生活 せいかつ 』"Life on the Mississippi", 1874年 ねん
^ 最長 さいちょう はミシシッピ川 がわ 支流 しりゅう の、4130kmのミズーリ川 がわ
^ Kammerer, J.C. (1990年 ねん 5月 がつ ). “Largest Rivers in the United States ”. U.S. Geological Survey. 2011年 ねん 2月 がつ 22日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 「世界 せかい 地誌 ちし シリーズ4 アメリカ」p15 矢 や ヶ崎 さき 典 てん 隆 たかし 編 へん 2011年 ねん 4月 がつ 25日 にち 初版 しょはん 第 だい 1刷 さつ 朝倉書店 あさくらしょてん
^ 「アメリカ」(世界 せかい 地誌 ちし シリーズ4)p26 矢 や ヶ﨑典隆 たかし 編 へん 朝倉書店 あさくらしょてん 2011年 ねん 4月 がつ 25日 にち 初版 しょはん 第 だい 1刷 さつ
^ “Upper Mississippi River Floodplain Wetlands | Ramsar Sites Information Service ”. rsis.ramsar.org (2010年 ねん 5月 がつ 1日 にち ). 2023年 ねん 4月 がつ 13日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 「アメリカ」(世界 せかい 地誌 ちし シリーズ4)p11 矢 や ヶ﨑典隆 たかし 編 へん 朝倉書店 あさくらしょてん 2011年 ねん 4月 がつ 25日 にち 初版 しょはん 第 だい 1刷 さつ
^ 「海洋 かいよう 学 がく 原著 げんちょ 第 だい 4版 はん 」p418 ポール・R・ピネ著 ちょ 東京大学 とうきょうだいがく 海洋 かいよう 研究所 けんきゅうじょ 監訳 かんやく 東海大学 とうかいだいがく 出版 しゅっぱん 会 かい 2010年 ねん 3月 がつ 31日 にち 第 だい 1刷 さつ 第 だい 1版 はん 発行 はっこう
^ 「世界 せかい 探検 たんけん 全 ぜん 史 し 下巻 げかん 道 みち の発見 はっけん 者 しゃ たち」p112 フェリペ・フェルナンデス-アルメスト著 ちょ 関口 せきぐち 篤 あつし 訳 やく 青土 おうづち 社 しゃ 2009年 ねん 10月 がつ 15日 にち 第 だい 1刷 さつ 発行 はっこう
^ 「アリステア・クックのアメリカ史 し (上 うえ )」p77 アリステア・クック著 ちょ 鈴木 すずき 健次 けんじ ・櫻井 さくらい 元雄 もとお 訳 やく NHKブックス 1994年 ねん 12月25日 にち 第 だい 1刷 さつ 発行 はっこう
^ 「ルイス=クラーク探検 たんけん アメリカ西部 せいぶ 開拓 かいたく の原初 げんしょ 的 てき 物語 ものがたり 」p9 明石 あかし 紀雄 としお 世界 せかい 思想 しそう 社 しゃ 2004年 ねん 12月25日 にち 第 だい 1刷 さつ
^ 「商業 しょうぎょう 史 し 」p197 石坂 いしざか 昭雄 あきお 、壽 ことぶき 永 えい 欣三郎 きんざぶろう 、諸田 もろた 實 みのる 、山下 やました 幸夫 ゆきお 著 ちょ 有斐閣 ゆうひかく 1980年 ねん 11月20日 にち 初版 しょはん 第 だい 1刷 さつ
^ 「商業 しょうぎょう 史 し 」p200 石坂 いしざか 昭雄 あきお 、壽 ことぶき 永 えい 欣三郎 きんざぶろう 、諸田 もろた 實 みのる 、山下 やました 幸夫 ゆきお 著 ちょ 有斐閣 ゆうひかく 1980年 ねん 11月20日 にち 初版 しょはん 第 だい 1刷 さつ
^ 「ベラン世界 せかい 地理 ちり 体系 たいけい 17 アメリカ」p174 田辺 たなべ 裕 ひろし ・竹内 たけうち 信夫 しのぶ 監訳 かんやく 朝倉書店 あさくらしょてん 2008年 ねん 6月 がつ 30日 にち 初版 しょはん 第 だい 1刷 さつ
^ 「地球 ちきゅう を旅 たび する地理 ちり の本 ほん 6 北 きた アメリカ・オーストラリア」p90 大月書店 おおつきしょてん 1993年 ねん 11月29日 にち 第 だい 1刷 さつ 発行 はっこう
^ 「舟運 しゅううん 都市 とし 水辺 みずべ からの都市 とし 再生 さいせい 」p25 三浦 みうら 裕二 ゆうじ ・陣内 じんない 秀信 ひでのぶ ・吉川 よしかわ 勝秀 かつひで 編著 へんちょ 鹿島 かしま 出版 しゅっぱん 会 かい 2008年 ねん 2月 がつ 20日 はつか 発行 はっこう
^ https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95#.E7.AC.AC1.E6.9D.A1 アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 憲法 けんぽう ウィキソース 2015年 ねん 5月 がつ 2日 にち 閲覧 えつらん
^ a b 「世界 せかい 地誌 ちし シリーズ4 アメリカ」p24 矢 や ヶ崎 さき 典 てん 隆 たかし 編 へん 2011年 ねん 4月 がつ 25日 にち 初版 しょはん 第 だい 1刷 さつ 朝倉書店 あさくらしょてん
^ GRDC - Mississippi Basin
ウィキメディア・コモンズには、
ミシシッピ川 がわ に
関連 かんれん するメディアがあります。