B-58 (航空機こうくうき)

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B-58 ハスラー

飛行するB-58A-10-CF 59-2442号機 (1967年6月29日撮影)

飛行ひこうするB-58A-10-CF 59-2442号機ごうき
(1967ねん6月29にち撮影さつえい)

B-58 ハスラーConvair B-58 Hustler )は、コンソリデーテッド・ヴァルティーしゃ開発かいはつしたアメリカ空軍くうぐんちょう音速おんそく戦略せんりゃく爆撃ばくげきである。

愛称あいしょうの「ハスラー(Hustler)」は「博奕ばくえきち」の

概要がいよう[編集へんしゅう]

東西とうざい冷戦れいせんしたにおけるアメリカの大量たいりょう報復ほうふく戦略せんりゃくもとづいて製造せいぞうされた、マッハ2の快足かいそくほこデルタつばさばくげきであり、アメリカ空軍くうぐんとしてははつちょう音速おんそく爆撃ばくげきである。冷戦れいせん対立たいりつつづけていたソビエト連邦れんぽうおよびワルシャワ条約じょうやく機構きこう防空ぼうくうもうを、こう高度こうどから高速こうそく突破とっぱしてかく攻撃こうげきできる能力のうりょく目指めざして開発かいはつされた。

すうおおくのしん機軸きじくまれたが、結果けっかとしては非常ひじょう高価こうか機体きたいとなってしまい、費用ひようたい効果こうかめん不利ふりとなった[ちゅう 2]。このほかにも数々かずかず問題もんだいかかえていたこともあいまって、防空ぼうくうもう充実じゅうじつによりこう高度こうど高速こうそく侵入しんにゅう戦術せんじゅつ自体じたい時代遅じだいおくれのものとしたこともあり、運用うんよう開始かいしから10ねんらずで退役たいえき余儀よぎなくされた。

しかし、アメリカぐんによりさい新鋭しんえいちょう音速おんそく爆撃ばくげきとしてひろ喧伝けんでんされた結果けっかとしてほんがソビエト連邦れんぽう軍事ぐんじ戦略せんりゃくあたえた影響えいきょうおおきく、“戦略せんりゃく兵器へいき”としての存在そんざい意義いぎ十分じゅうぶんにあった、との評価ひょうかもある(「#評価ひょうか」のふし参照さんしょう)。

装備そうび特徴とくちょう[編集へんしゅう]

機体きたい構造こうぞう[編集へんしゅう]

前部ぜんぶからたB-58
後部こうぶからたB-58

主翼しゅよくコンベアしゃ得意とくいとしていたデルタつばさで、ぜんえん後退こうたいかくはマッハ2での巡航じゅんこう最適さいてきとされている60である。胴体どうたいおなじくコンベアしゃF-102でもれられたエリアルール適用てきようし、主翼しゅよくとの結合けつごうおおきくくびれた「コークボトルじょうとなっている。しかしこのような胴体どうたい形状けいじょうでは機内きない容積ようせき減少げんしょうするためB-58は後述こうじゅつのようにばく弾倉だんそうもうけずばくだんとう外装がいそうしきにしている。

構造こうぞうざいにはハニカム構造こうぞう大幅おおはばれることにより軽量けいりょうしており、そとばんだい部分ぶぶんにはアルミ合金ごうきんでサンドイッチしたフェノール樹脂じゅしハニカムを、エンジンの排気はいきびる主翼しゅよく下面かめんにはステンレスハニカムが使用しようされた。このため構造こうぞう重量じゅうりょう全備ぜんび重量じゅうりょうのわずか14%にぎず、デルタつばさひろつばさ面積めんせきあいまって、B-58の特徴とくちょうである高空こうくう高速こうそく巡航じゅんこう有利ゆうりひくつばさめん荷重かじゅう実現じつげんされた。

B-58では高空こうくう高速こうそくでのそらりょくてき目標もくひょうさい優先ゆうせんされ、ステルスせい重要じゅうようされていなかったが、機体きたい小型こがたによってRCSおさえようとしており、角度かくどによってはB-52の1/10~1/30のRCSを実現じつげんできたとされている[2]

当時とうじのアメリカぐんにはデルタつばさ練習れんしゅうかったことから、訓練くんれんであるTB-58Aへまえ飛行ひこう特性とくせい体験たいけんする初期しょき訓練くんれんにはおなじくデルタつばさ操縦そうじゅうせきがサイドバイサイド配置はいちのF-102が利用りようされた。

エンジン[編集へんしゅう]

エンジンは4GE J79主翼しゅよくにポッドしき搭載とうさいしている。J79はそれまでのエンジンとことなり、高度こうど35,000フィート以上いじょうでは連続れんぞく2あいだアフターバーナー使用しよう可能かのうとなっている。

武装ぶそう[編集へんしゅう]

J-93テストベッドとなったB-58

ほん武装ぶそうめんでの最大さいだい特徴とくちょうは、ばくげきでありながら機体きたいないばく弾倉だんそうたず、自衛じえいよう火器かき後述こうじゅつ)をのぞすべての武装ぶそうを、胴体どうたい下部かぶ装着そうちゃくした外装がいそうポッド(ミッションポッド)に収納しゅうのうしたてんにある。外装がいそうポッドはいわばばくだんけんぞうそう補助ほじょ燃料ねんりょうタンク)であり、往路おうろではポッドない燃料ねんりょう使つかい、内蔵ないぞうするばくだんごとポッドを目標もくひょう投下とうか身軽みがるになったのちは、高速こうそく離脱りだつ可能かのうであった。胴体どうたいないばく弾倉だんそうたないことから、機体きたい小型こがたできたほか、そらりょくてき成形せいけいされた様々さまざま武装ぶそうやエンジンをばく弾倉だんそうのサイズに制約せいやくされずに装着そうちゃくできた。またポッドをべつ開発かいはつすることで機体きたい開発かいはつ登場とうじょうした兵器へいき搭載とうさい容易よういとされた。

外装がいそうポッドは様々さまざまなタイプのものが製作せいさくされたが、実用じつようとなったものは燃料ねんりょうおよびMk39核弾頭かくだんとう収納しゅうのうするMB-1と、Mk54核弾頭かくだんとう収納しゅうのうした小型こがたポッドに大型おおがたぞうそうポッドをしたからおおいかぶさるようにわせた「親子おやこしき」のTCP(Two Component Pod)との2種類しゅるいである。さらにばくだん以外いがい偵察ていさつよう機材きざい装備そうび可能かのうで、写真しゃしん偵察ていさつようのLA-1などが製作せいさくされた。合成ごうせい開口かいこうレーダーAN/APS-73を装備そうびしたSLARポッドは試作しさくわったが、キューバ危機ききにおいてキューバ空域くういき偵察ていさつ飛行ひこうしたさい使用しようされたとつたえられている。

またポッドに開発かいはつちゅうのエンジンを搭載とうさいし、ちょう音速おんそく条件じょうけん可変かへんインテークまでふくめたフルスケールでの飛行ひこう試験しけんをこなせるテストベッドとしても利用りようされた。

このように秀逸しゅういつなアイデアにえた外装がいそうポッドだったが、のち様々さまざま問題もんだい原因げんいんとなり、B-58の寿命じゅみょうちぢめてしまう結果けっかとなる(後述こうじゅつ)。

自衛じえいよう火器かき[編集へんしゅう]

尾端びたん配置はいちされた後方こうほう機銃きじゅう
上方かみがた画像がぞうおくがわ)の円錐えんすいがたのものは照準しょうじゅんようレーダーのフェアリング

自衛じえいよう火器かきとして機体きたい尾端びたんM61A1とほぼどう仕様しようのT-171E2(後期こうきがたではE3)20mmモーターガトリングほう装備そうびしている。T-171の発射はっしゃ速度そくどは4,000はつ/ぶんで、弾薬だんやく1,200はつ積載せきさいした。ほう照準しょうじゅん上部じょうぶ配置はいちされたエマーソン MD-7 レーダーによっておこなわれ、レーダー連動れんどうによる自動じどう作動さどうほか火器かき管制かんせい装置そうちを3にん搭乗とうじょういんである防御ぼうぎょへいそうしゅ(DSO. Defense Systems Operator)が操作そうさすることにより手動しゅどう射撃しゃげきできた。

当時とうじ東側ひがしがわ諸国しょこくではミグ15ミグ17などの音速おんそく戦闘せんとうがまだ現役げんえきとどまっていたが、速力そくりょくまさるB-58なら機銃きじゅう迎撃げいげきしなくても加速かそくして逃走とうそうすればいほか、B-58にけるマッハ2きゅうちょう音速おんそく戦闘せんとう相手あいてでも機銃きじゅう射程しゃていないまでちかづかずそら対空たいくうミサイルってくるであろうことから、後部こうぶ機銃きじゅう有効ゆうこうとなる状況じょうきょうかぎられていた。このため、B-58以降いこう開発かいはつされたおおくのばくげきでは、後方こうほうけの自衛じえい火器かき搭載とうさいされなくなった。

脱出だっしゅつ装置そうち[編集へんしゅう]

B-58は当初とうしょ機体きたい同様どうよう射出しゃしゅつ座席ざせきがた脱出だっしゅつ装置そうち装備そうびしていたが、ちょう音速おんそく飛行ひこうちゅう脱出だっしゅつで1めい死亡しぼう、2めい重傷じゅうしょう重大じゅうだい結果けっかまねき、カプセルしき脱出だっしゅつ装置そうちあらたに開発かいはつ装備そうびされた。脱出だっしゅつさいには、うえから3分割ぶんかつしきのクラムシェルがたブラインドがりてカプセルが密閉みっぺいされ、内部ないぶ加圧かあつしたのち機体きたいがい射出しゃしゅつされる。着地ちゃくちまえにはエアバッグ展開てんかいしてソフトランディングし、着水ちゃくすいにはフローティングシステムが作動さどうする。さらにカプセルないにはみず食料しょくりょうそなえてあり、着地ちゃくちはそのままシェルターの役目やくめたせた。

一方いっぽうで、カプセルない空間くうかん非常ひじょうちいさく、ただでさえせまかったB-58のコクピットはさらに窮屈きゅうくつとなってしまった[3]。なお、訓練くんれんようのTB-58Aについては、後部こうぶ乗員じょういん教官きょうかんとオブザーバー)の移動いどうさまたげないよう、従来じゅうらい射出しゃしゅつ座席ざせきのままとされている。

運用うんよう[編集へんしゅう]

部隊ぶたい配備はいび記録きろくへの挑戦ちょうせん[編集へんしゅう]

タキシングするB-58

B-58は1960ねん8がつ部隊ぶたいへの配属はいぞく開始かいし1962ねん10がつまでに合計ごうけい86のB-58Aが生産せいさんされ、実戦じっせん配備はいびされた(に、テストようのRB-58Bから11がB-58A仕様しよう改造かいぞうされた)。

B-58は部隊ぶたい配属はいぞく直後ちょくごから様々さまざま記録きろく飛行ひこう挑戦ちょうせん開始かいしする。1961ねん1がつ12にちに2,000km周回しゅうかいコースでペイロード1,000kgおよび2,000kg搭載とうさい状態じょうたいでの平均へいきん速度そくど記録きろく1,708.75km/hを樹立じゅりつしたのを皮切かわきりに、同日どうじつに1,000km周回しゅうかい、ペイロード1,000kgおよび2,000kg搭載とうさい状態じょうたい、14にちには1,000km周回しゅうかい、ペイロード1,000kg,2,000kg搭載とうさい、および搭載とうさい状態じょうたいでの平均へいきん速度そくど記録きろく樹立じゅりつし、それまでソビエトが保持ほじしていた最高さいこう記録きろくをもぎった。さらに、よく1962ねん5月には北米ほくべい大陸たいりく往復おうふく飛行ひこう挑戦ちょうせん復路ふくろニューヨーク-ロサンゼルスあいだ飛行ひこうでは、史上しじょうはじめて地球ちきゅう自転じてん速度そくどえ、「西にししず太陽たいようして」飛行ひこうした。

1963ねん10月には沖縄おきなわ嘉手納かでな基地きちから、イギリスのグリーンナムコモン基地きちまで、5かい空中くうちゅう給油きゅうゆけながら飛行ひこうし、途中とちゅう東京とうきょう-ロンドンあいだ平均へいきん速度そくど記録きろく樹立じゅりつした。これは記録きろく飛行ひこうであると同時どうじに、北極ほっきょくえの大圏たいけんコースを飛行ひこうし、すう空中くうちゅう給油きゅうゆ手際てぎわよくこなすなど、戦略せんりゃく爆撃ばくげきとしての実戦じっせん能力のうりょくしめすデモフライトでもあった。このようにB-58の数々かずかず記録きろくへの挑戦ちょうせんは、新型しんがた爆撃ばくげき性能せいのう誇示こじする機会きかいともなった[4]

実戦じっせん投入とうにゅう[編集へんしゅう]

空中くうちゅう給油きゅうゆけるB-58

部隊ぶたい配備はいび当初とうしょ華々はなばなしい「レコード・ブレイカー」としての活躍かつやくとは裏腹うらはらに、B-58は実戦じっせんとは縁遠えんどお存在そんざいとなっていく。ロバート・マクナマラ国防こくぼう長官ちょうかんによるアメリカぐん大量たいりょう報復ほうふく戦略せんりゃく一部いちぶ転換てんかん大陸たいりくあいだ弾道だんどうミサイルへのシフト)や運用うんようコストの高騰こうとう、トラブルの多発たはつ整備せいびせいわるさ、さらには航続こうぞく距離きょりみじかさや、通常つうじょうばくだん搭載とうさいりょうすくなく、ボーイングB-52ほどの汎用はんようせいがなかったことから、B-58は急速きゅうそくにその価値かち低下ていかさせていった。

アメリカ空軍くうぐんないでは、1965ねんから本格ほんかくしたベトナム戦争せんそうへの投入とうにゅう検討けんとうされた。具体ぐたいてきにはB-58を戦闘せんとう爆撃ばくげきのパスファインダー(先導せんどう)として使用しようするあん検討けんとうされ、アメリカ本土ほんどでのテストのほか下面かめんくろ上面うわつらをタンとグリーンの2しょくけた迷彩めいさい制定せいていされた。しかし、パスファインダーとしての能力のうりょくみとめられたものの、後述こうじゅつするインテグラルタンクへの被弾ひだん懸念けねんから実施じっし断念だんねんされた[5]

ほかにも通常つうじょうばくだん搭載とうさいりょうがB-52にくらべてずくなかったてんや、整備せいび高度こうど技術ぎじゅつようするためアメリカ本土ほんどからとおタイ王国おうこくフィリピンなどの東南とうなんアジア前線ぜんせん基地きちでの運用うんよう困難こんなんだったうえに、近代きんだいてき設備せつびようしておりB-58の運用うんよう可能かのうだった嘉手納かでな基地きちからはとおいなど様々さまざまなマイナス要因よういん存在そんざいし、実際じっさいテキサスしゅうアーカンソーしゅうインディアナしゅうなどアメリカ国内こくない複数ふくすう基地きち配備はいびされたものの、アメリカ国外こくがい基地きち配備はいびされることはなかった。

結局けっきょく、ベトナム戦争せんそう激化げきかしてばくげき必要ひつようであるにもかかわらず、B-58は登場とうじょうしてからわずか5ねん1965ねん12月には、1970ねん6がつまでに退役たいえきさせると決定けっていされた。おりしもベトナム戦争せんそう激化げきかともな軍事ぐんじ増大ぞうだいとその圧縮あっしゅくもとめられたこともあり、計画けいかくはさらに前倒まえだおしされ、1970ねん1がつ16にちにはぜん退役たいえき完了かんりょう最初さいしょ部隊ぶたい配備はいびからわずか10ねんらずで、B-58はアメリカ空軍くうぐんから姿すがたした。

なお、B-58はばくげきとしてはいち実戦じっせん投入とうにゅうされないまま引退いんたいしたが、偵察ていさつとしては1962ねん10月のキューバ危機きき出動しゅつどうし、すくなくとも1かいはキューバ領空りょうくう侵入しんにゅう偵察ていさつしたとされている。に、1964ねん3月のアラスカ地震じしんときにも被害ひがい状況じょうきょう撮影さつえいするために2出動しゅつどうした。

評価ひょうか[編集へんしゅう]

B-36とB-52とともに飛行ひこうするB-58
乗務じょうむいん乗降じょうこうようとびらひらいたB-58

のところ、B-58の前途ぜんと実戦じっせん配備はいびまえからざされていた。カテゴリーIIテスト[ちゅう 3]進行しんこうちゅうにアメリカ空軍くうぐん参謀さんぼう本部ほんぶランド・コーポレーションにB-58の評価ひょうか依頼いらいしたが、「搭載とうさいりょく航続こうぞく距離きょりでB-52におと」、「防空ぼうくうもう充実じゅうじつ進攻しんこう速度そくど将来しょうらいてき問題もんだいにならない」ときびしい評価ひょうかくだった[6]実際じっさい高空こうくう高速こうそく侵攻しんこう戦術せんじゅつは、ほどなくしてソビエトの防空ぼうくうもう充実じゅうじつによって有効ゆうこうせいうしない、同時どうじにB-58も戦略せんりゃくてき価値かちうしなった。

どう時代じだいほかばくげきたとえばB-52やアブロ バルカンなどはあらたな戦術せんじゅつである低空ていくう侵攻しんこう適応てきおうしてのこったが、B-58は以下いかのような要因よういんから低空ていくう侵攻しんこう適応てきおうできなかった[5]

  • つばさめん荷重かじゅうひくいため低空ていくうでは速度そくどがらず、ガスト(突風とっぷう)によわい。
  • 全天候ぜんてんこうせいがない。
  • デルタつばさのために胴体どうたい主翼しゅよく取付とりつけおおきいうえに、主翼しゅよく剛性ごうせいたかく、ガストをかぶると機体きたいおおきな負担ふたんかる。
  • 主翼しゅよくないこう面積めんせきのインテグラルしき燃料ねんりょうタンクがまれており、しょう口径こうけい対空たいくう火器かきでも被弾ひだんすれば致命傷ちめいしょうとなる。
スクランブルかうB-58のクルー」とされたアメリカ空軍くうぐん広報こうほうよう写真しゃしん。17だんのタラップが右翼うよくがわ装着そうちゃくされている
着陸ちゃくりくにバースト事故じここしたRB-58A

運用うんようじょうけっして使つか勝手がって機体きたいではなく、とく外装がいそうしきへいそうポッドに起因きいんする問題もんだい多発たはつした[7]

  • 専用せんよう地上ちじょう設備せつび必要ひつようとし前線ぜんせん基地きちへの進出しんしゅつ展開てんかいは、事実じじつじょう不可能ふかのうであった。とくに、外装がいそうポッドと地表ちひょうとのクリアランスを確保かくほするために、機体きたい下面かめん極端きょくたんたかくなり、地上ちじょう要員よういん機体きたいや、追加ついかハードポイントのMk43かくばくだん後述こうじゅつ)にアプローチするためには「脚立きゃたつ」が不可欠ふかけつだった。乗員じょういん乗降じょうこうだけでも3めいよう足場あしば(キャットウォーク)つきの17だんものタラップが必要ひつようであった。負傷ふしょうした乗員じょういん救助きゅうじょにも支障ししょう懸念けねんされた。
  • しゅあしかんするトラブルが多発たはつした。機体きたい位置いちたかいため、しゅあし極度きょくどなが複雑ふくざつ構造こうぞうになった。また小径しょうけい高速こうそく回転かいてんするタイヤは着陸ちゃくりくのバースト事故じこ多発たはつし、機体きたいだけでなく滑走かっそうにも損傷そんしょうあたえた。
  • 外装がいそうポッドのために重心じゅうしん問題もんだいしょうじた。外装がいそうポッドをはずすと重心じゅうしん極端きょくたん後方こうほう移動いどうし、しばしば「尻餅しりもち事故じこ」をこした。
  • ECMなどの電子でんし装備そうび充実じゅうじつできなかった。外装がいそうポッドのために機体きたい下面かめんアンテナるい配置はいち制限せいげんされ、機体きたいないのスペースもかぎられていたためである。
  • 外装がいそうポッドにはかくばくだんを1はつしか搭載とうさいできなかった。のち機体きたい後部こうぶにハードポイントを追加ついかし、小型こがたのMk43かくばくだん4はつ搭載とうさいできるように改造かいぞうされたが、同時どうじみじか航続こうぞく距離きょりがさらに犠牲ぎせいとなった。
  • 通常つうじょうばくだんやスタンドオフ兵器へいきミサイル)の運用うんよう能力のうりょくいていた。B-58ようのスタンドオフ兵器へいきとしては、ゆうつばさミサイルMA-1が開発かいはつ予定よていだったが、コストの上昇じょうしょうによりキャンセルされている。
  • 緊急きんきゅう発進はっしん困難こんなんだった。発進はっしんさいには、エンジンの始動しどうふくめて地上ちじょう設備せつび全面ぜんめんてき依存いぞんしていたためであり、前述ぜんじゅつの17だんのタラップも一因いちいんであった。発令はつれい15ふん以内いない離陸りりく目指めざして訓練くんれんつづけられていたが、ソビエトの戦略せんりゃく原潜げんせんがアメリカ近海きんかい進出しんしゅつするようになると、発進はっしんまえだい1げきけて潰滅かいめつする危険きけんせいした。
  • 乗員じょういん多大ただい負担ふたんいた。一度いちどんでしまうと座席ざせきあいだ移動いどうができず、長時間ちょうじかん飛行ひこうではとく顕在けんざいした。カプセルしき脱出だっしゅつ装置そうち装備そうびしてからは状況じょうきょうはさらに悪化あっかし、コクピットは狭隘きょうあいとなって乗員じょういん体格たいかく制限せいげんせざるをえないほどであった。
  • 航続こうぞく距離きょりみじかかった。このため空中くうちゅう給油きゅうゆなどのサポートの運用うんようコストが多大ただいであった。たとえばB-52であれば空中くうちゅう給油きゅうゆボーイングKC-135をB-52:KC-135=3:2の割合わりあい用意よういすればすむところ、おなじミッションをB-58でこなそうとするとB-58:KC-135の比率ひりつを1:1で用意よういしなければならなかった。
  • 整備せいびせい非常ひじょうわるかった。とくアナログコンピュータもちいたウエポンシステムは、かくコンポーネントが複雑ふくざつ結線けっせんされ、修理しゅうり改善かいぜん時間じかんがかかった。
  • 整備せいびコストもたかかった。たとえばハニカム構造こうぞう多用たようしたそとばん損傷そんしょう板金ばんきん修理しゅうりできず、パネル交換こうかん必要ひつようとした。
XB-70とともに飛行ひこうするB-58

B-58は高空こうくう高速こうそく侵攻しんこうかく戦争せんそう過度かどとくした機体きたいであったために、戦術せんじゅつ用兵ようへい思想しそう転換てんかんや、戦争せんそう形態けいたい変化へんか地域ちいき紛争ふんそう非対称ひたいしょうせん多発たはつ)に適応てきおうできなかった。経済けいざいてきにも負担ふたんおおきく「[ちゅう 4]結果けっか、アメリカ空軍くうぐん戦略せんりゃく爆撃ばくげきとしては異例いれい短命たんめい退役たいえき余儀よぎなくされた。一方いっぽうで、B-58の問題もんだいてん製造元せいぞうもとのコンベアしゃでも認識にんしきされており、新型しんがたエンジンや通常つうじょうばくだん対応たいおうした新型しんがたポッドなどを装備そうびした改良かいりょうがた、B-58Bを提案ていあんしていた。185生産せいさん計画けいかくがあり、B-58Aの1のエンジンをかわそうしてプロトタイプとする計画けいかく具体ぐたいしつつあったが、低空ていくう侵攻しんこうようとしてはB-52の改良かいりょうがた(G/Hがた)、高空こうくう侵攻しんこうようとしてはB-70開発かいはつひかえている状況じょうきょうではB-58Bの開発かいはつ配備はいびのメリットはちいさく、1959ねん7がつ7にちにキャンセルされた[5]


B-58について、実用じつようめんでの問題もんだいおおく、実戦じっせんにも投入とうにゅうされなかったこともあって、ほん成功せいこうさくといえなかったのではないかという議論ぎろん時折ときおり発生はっせいする反面はんめん、B-58は戦略せんりゃくてきには一定いっていの「戦果せんか」をげたとの意見いけんもある。すなわち、B-58の開発かいはつ当時とうじ依然いぜんとして高空こうくう高速こうそく侵攻しんこう有効ゆうこう戦術せんじゅつ認識にんしきされており、実際じっさいにもちょう音速おんそく爆撃ばくげき研究けんきゅうべい両国りょうこくをはじめ各国かっこくすすめられ、さらにそのいくつかは具体ぐたいしつつあった。そのような状況じょうきょうでは(たとえ実際じっさいには価値かちひくかったとしても)数々かずかず速度そくど記録きろくてているちょう音速おんそく戦略せんりゃく爆撃ばくげきが100ちかくも実戦じっせん配備はいびされているという事実じじつは、当時とうじアメリカに対峙たいじしていたソ連それん多大ただいなプレッシャーをあたえ、ちょう音速おんそく爆撃ばくげき対応たいおうした防空ぼうくうもう整備せいびのために莫大ばくだい支出ししゅつ余儀無よぎなくさせたとかんがえられ[1]、さらにその戦術せんじゅつ転換てんかんのために、ソビエトがわはそれまでの高空こうくう侵攻しんこうへのそなえが無駄むだになったばかりか、低空ていくう侵攻しんこう対応たいおうした防空ぼうくうもうあらたな構築こうちくまでいられる結果けっかとなった。つまり、一種いっしゅの「ブラフ(はったり)」としての「戦果せんか」をかんがえれば、当時とうじ仮想かそう敵国てきこくしゅとして財政ざいせいめん)に間接かんせつてきダメージをあたえたB-58の存在そんざいはあながち無駄むだではなかった、という評価ひょうかおおい。

また、アメリカぐんではB-58を飛行ひこう記録きろく更新こうしんおこなったり広報こうほう写真しゃしん題材だいざい使つかうなどさい新鋭しんえいちょう音速おんそく爆撃ばくげきとして宣伝せんでんしていた。これにより戦略せんりゃく空軍くうぐんたいしておおきな注目ちゅうもくあつめたことは、冷戦れいせん初期しょきにおけるアメリカの戦略せんりゃくかく戦力せんりょく誇示こじすることにおおいに役立やくだった、との評価ひょうかもある。

スペック[編集へんしゅう]

  • 全長ぜんちょう:29.49 m
  • 全幅ぜんぷく:17.32 m
  • 全高ぜんこう:9.12 m
  • 主翼しゅよく面積めんせき:143.26 m2
  • そう重量じゅうりょう:73,900 kg
  • エンジン:J79-GE-5B 4
  • 推力すいりょく:69.4 kN(ドライ)、79.4 kN(A/B)
  • 最大さいだい速度そくど:M2.1
  • 実用じつよう上昇じょうしょう限度げんど: 18,300 m
  • 航続こうぞく距離きょり: 3,823 nm (= 7,081 km)
  • 乗員じょういん:3めい

派生はせいがた[編集へんしゅう]

RB-58A
XB-58
試作しさく。2製造せいぞうのちに1がTB-58Aに改造かいぞう
YB-58A
ぜん量産りょうさんがた。11製造せいぞうのちに1がNB-58Aに、5がTB-58Aに改造かいぞう
RB-58A
偵察ていさつかた。17製造せいぞうされたが、実際じっさいにはテストとして使用しようされた。テスト終了しゅうりょうに11量産りょうさん改造かいぞうされてB-58Aに、1がTB-58Aに改造かいぞうされた。
B-58A
量産りょうさんがた。86新造しんぞうにRB-58Aから11改造かいぞう
TB-58A
訓練くんれんがた。テストかくかたから合計ごうけい8改造かいぞう純粋じゅんすい訓練くんれんようで、武装ぶそう関連かんれん装備そうびのぞかれていた。
NB-58A
試験しけん。YB-58Aから1改造かいぞうXB-70ようのYJ93-GEエンジンのテストベッドとなった。のちにTB-58Aに改造かいぞう
B-58B
計画けいかくのみ。エンジンをJ79-GE-9にかわそうし、航続こうぞく距離きょり速度そくど高度こうど改善かいぜん通常つうじょうばくだんそら対地たいちミサイルの運用うんよう能力のうりょく追加ついかする予定よていだった。1959ねん6がつ11にち生産せいさん計画けいかくがスタートしたが、7がつ7にちにキャンセル。
B-58C
計画けいかくのみ。
B-58D
計画けいかくのみ。
B-58E
計画けいかくのみ。
コンベアモデル 58-9
アメリカのちょう音速おんそく輸送ゆそうプログラムで提案ていあんされたちょう音速おんそく輸送ゆそう。1961ねんにコンベアによって最初さいしょ開発かいはつされ、マッハ2をえる速度そくどで58にん乗客じょうきゃくはこぶことを目的もくてきとしていた[8]

現存げんそんする機体きたい[編集へんしゅう]

型名かためい     番号ばんごう   機体きたい写真しゃしん     所在地しょざいち 所有しょゆうしゃ 公開こうかいじょうきょう 状態じょうたい 備考びこう
YB-58-1-CF
B-58A-1-CF
TB-58A-CF
55-0663
4
アメリカ インディアナしゅう グリソム航空こうくう博物館はくぶつかん[1] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ もっと初期しょきつくられた4のうちの1[2]
YB-58A-1-CF
B-58A-1-CF
55-0665
6
写真しゃしん アメリカ カリフォルニアしゅう エドワーズ空軍くうぐん基地きち 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ もともとオクターヴ・シャヌート航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん展示てんじされていた。
YB-58A-1-CF
B-58A-1-CF
GRB-58A-1-CF
55-0666
7
写真しゃしん アメリカ カリフォルニアしゅう キャッスル航空こうくう博物館はくぶつかん[3] 公開こうかい 修復しゅうふくちゅう [4]
YB-58-1-CF
B-58A-1-CF
TB-58A-CF
55-0668
9
写真しゃしん アメリカ アーカンソーしゅう リトルロック空軍くうぐん基地きち 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ もともとローンスター飛行ひこう博物館はくぶつかん展示てんじされていた。
B-58A-10-CF 59-2437
40
アメリカ テキサスしゅう ケリーフィールドぶんたむろ基地きち 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [5]
B-58A-10-CF 59-2458
61
アメリカ オハイオしゅう 国立こくりつアメリカ空軍くうぐん博物館はくぶつかん[6] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [7]
B-58A-20-CF 61-2059
95
アメリカ ネブラスカしゅう 戦略せんりゃく航空こうくう軍団ぐんだん航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん[8] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [9]
B-58A-20-CF 61-2080
116
アメリカ アリゾナしゅう ピマ航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん[10] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ もっと最後さいご空軍くうぐん納入のうにゅうされた機体きたい[11]
B-58A ロケットスレッド アメリカ ルイジアナしゅう バークスデール世界せかい勢力せいりょく博物館はくぶつかん 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ ロケットスレッドとばれる、射出しゃしゅつ座席ざせき実験じっけんようつくられた前部ぜんぶのみの胴体どうたい
B-58A ロケットスレッド アメリカ インディアナしゅう グリソム航空こうくう博物館はくぶつかん 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ 射出しゃしゅつ座席ざせき実験じっけんようロケットスレッドとしてつくられた前部ぜんぶのみの胴体どうたい

登場とうじょう作品さくひん[編集へんしゅう]

映画えいが[編集へんしゅう]

未知みちへの飛行ひこう
「ビンディケーター」の名称めいしょう登場とうじょう電子でんし機器きき故障こしょうからあやまった攻撃こうげき命令めいれい受信じゅしんし、ソビエト領内りょうない侵入しんにゅうべい本土ほんどからの警告けいこく大半たいはん撃墜げきついされるが、のこった1がモスクワにかく攻撃こうげきくわえてしまう。
作品さくひん内容ないようからべい空軍くうぐん協力きょうりょくられなかったため、実写じっしゃ映像えいぞうはストックされていた資料しりょう映像えいぞうから流用りゅうようされた。それでも、収録しゅうろくされた映像えいぞう現役げんえき期間きかんみじかかったB-58の、数少かずすくない実写じっしゃ映像えいぞうである。操縦そうじゅうしつない描写びょうしゃもあるが、座席ざせき実機じっきことなりB-52などと同様どうよう並列へいれつふくとなっており、カプセルしき脱出だっしゅつ装置そうち再現さいげんされていない。

漫画まんが・アニメ[編集へんしゅう]

サイボーグ009
だい1さくだい16太平洋たいへいよう亡霊ぼうれい」に登場とうじょうビキニ環礁かんしょうから浮上ふじょうしてべい本土ほんどかう長門ながと原爆げんばく投下とうかする。しかし効果こうかかったうえに、長門ながと放射能ほうしゃのうは10ばい増幅ぞうふくしてしまう。
操縦そうじゅうせき並列へいれつふくとなっており、実機じっきには主翼しゅよくのパイロンに原爆げんばく懸架けんかしている。

小説しょうせつ[編集へんしゅう]

はるかなるほし
アメリカ空軍くうぐんばくげきとしてB-52とB-47をふくむ1,000地上ちじょう空中くうちゅう待機たいきしていた。しかし、だいさん世界せかい大戦たいせんではソヴィエトの先制せんせい攻撃こうげきでほとんどが地上ちじょう撃破げきはされ、空中くうちゅう待機たいきちゅう電磁でんじパルス次々つぎつぎ撃墜げきついされる。
ほしのパイロット
主人公しゅじんこう搭乗とうじょうする宇宙うちゅう往還おうかん『ダイナソア』の空中くうちゅう発射はっしゃははとして運用うんようされている[9]

ゲーム[編集へんしゅう]

鋼鉄こうてつ咆哮ほうこう3 ウォーシップコマンダー
アメリカがた航空機こうくうきとして登場とうじょう。プレイヤーが購入こうにゅう可能かのう機体きたいとして登場とうじょうし、空母くうぼには搭載とうさいできない戦略せんりゃく爆撃ばくげきとしてのあつかいとなる。

参考さんこう文献ぶんけん参照さんしょうもと[編集へんしゅう]

  • 世界せかい傑作けっさく No.64 コンベア B-58 ハスラー』ぶん林堂はやしどう、1997ねんISBN 4-89319-061-X

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 現在げんざい価値かちでは819まんあめりかドルに相当そうとうする。
  2. ^ 生産せいさんがた1のユニットコストは、B-52Hの928まんドルにたいして、B-58は1,244まんドル[1]
  3. ^ メーカーによるテストであるカテゴリーIにつづく、空軍くうぐんによるサブシステムのテスト。こののち実戦じっせん部隊ぶたいによるカテゴリーIIIテストを実戦じっせん配備はいびとなる。なお、B-58はカテゴリーIIのテストちゅうに7事故じこうしなっている。
  4. ^ 1飛行ひこう時間じかんあたりの運用うんようコストは、B-52Hの1,182ドルにたいして、B-58は2,139ドル[1]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 世界せかい傑作けっさく No.64 コンベア B-58 ハスラー』p.29
  2. ^ 世界せかい傑作けっさく No.64 コンベア B-58 ハスラー』p.10
  3. ^ 世界せかい傑作けっさく No.64 コンベア B-58 ハスラー』p.23,24,49,50
  4. ^ 世界せかい傑作けっさく No.64 コンベア B-58 ハスラー』p.27,28
  5. ^ a b c 世界せかい傑作けっさく No.64 コンベア B-58 ハスラー』p.27
  6. ^ 世界せかい傑作けっさく No.64 コンベア B-58 ハスラー』p.26。
  7. ^ 世界せかい傑作けっさく No.64 コンベア B-58 ハスラー』p.12~27
  8. ^ Gunston and Gilchrist 1993, p. 178.
  9. ^ ほしのパイロット - マンガ図書館としょかんZ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]