アメリカ陸軍りくぐん航空こうくうたい

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アメリカ陸軍りくぐん航空こうくうたい
創設そうせつ1926ねん7がつ2にち - 1942ねん3月9にち
国籍こくせきアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
ぐんしゅアメリカ陸軍りくぐん
陸軍りくぐん航空こうくうたい隊員たいいん募集ぼしゅうポスター(1941ねん

アメリカ陸軍りくぐん航空こうくうたい(United States Army Air Corps, USAAC)は、かつて存在そんざいしたアメリカ陸軍りくぐん部門ぶもん1926ねんアメリカ陸軍りくぐん航空こうくう英語えいごばん(US Army Air Service)の再編さいへんによって設立せつりつされ、1942ねんアメリカ陸軍りくぐん航空こうくうぐん(US Army Air Forces)に統合とうごうされた。また、航空こうくうぐんは1947ねんアメリカ空軍くうぐんとなった。

歴史れきし[編集へんしゅう]

前史ぜんし[編集へんしゅう]

アメリカぐんにおける航空こうくう戦力せんりょくはじまりは、1907ねん8がつ1にち設置せっちされた陸軍りくぐん信号しんごうたい英語えいごばん航空機こうくうき部門ぶもん英語えいごばん(Aeronautical Division)までさかのぼることができる。当時とうじもっぱ気球ききゅう飛行船ひこうせんとう運用うんようおこなっていた。1914ねん7がつ18にち航空機こうくうき部門ぶもん航空こうくう英語えいごばん(Aviation Section)に発展はってんする。

そのだいいち世界せかい大戦たいせんへの参戦さんせんて、1918ねん5がつ24にちには陸軍りくぐんしょう直轄ちょっかつ組織そしきとしての陸軍りくぐん航空こうくう部隊ぶたい英語えいごばん(Army Air Service)へ改組かいそされ、さらなる航空こうくう戦力せんりょく充実じゅうじつはかられた。休戦きゅうせん時点じてんで、航空こうくう戦力せんりょく将校しょうこう1まん9000めい下士官かしかんへい17まん8000めい航空機こうくうき1まん1754おもカーチスJN-4英語えいごばん)であった。その動員どういん解除かいじょにより、これらの人員じんいん航空機こうくうき大半たいはんうしなわれることになる。

だいいち世界せかい大戦たいせんつうじて航空こうくう戦力せんりょく重要じゅうようせいひろられるようになり、イギリスでは1918ねん4がつ陸海りくかいぐんから独立どくりつした空軍くうぐん創設そうせつおこなっている。アメリカでもウィリアム・ミッチェルらが独立どくりつした空軍くうぐん設置せっち主張しゅちょうしたものの、政府せいふではこれをみとめなかった。1920ねん陸軍りくぐん再編さいへんほう(The Army Reorganization Act)でも、航空こうくう依然いぜんとして陸軍りくぐん部門ぶもん位置いちづけられていた。1926ねん7がつ2にち航空こうくうたいほう(Air Corps Act)のもと航空こうくう陸軍りくぐん航空こうくうたい(Army Air Corps)と改称かいしょうした。

陸軍りくぐん航空こうくうたい[編集へんしゅう]

当初とうしょ陸軍りくぐん航空こうくうたいかく航空こうくう部隊ぶたい航空こうくう戦力せんりょくによる独自どくじ作戦さくせんおこなわず、地上ちじょう部隊ぶたい指揮しき系統けいとうしたがうものであった。陸軍りくぐん航空こうくうたい指揮しき系統けいとうにおいては、機材きざい購入こうにゅう航空こうくう基地きち管理かんり人員じんいん訓練くんれんしゅ任務にんむとされた[1]。また、航空こうくう戦力せんりょく戦力せんりょく拡充かくじゅうについては平時へいじにおける軍事ぐんじさえみやだい恐慌きょうこう影響えいきょうにより、1920年代ねんだいにおいては活発かっぱつなものではなかった。

1935ねん3がつ1にち航空こうくうぐんそう司令しれい(General Headquarters Air Force, GHQ AF)が設置せっちされる。従来じゅうらい航空こうくう戦力せんりょく戦術せんじゅつてき運用うんようかく軍団ぐんだんごと個別こべつおこなっていたが、以後いごはGHQ AFが一括いっかつして指揮しきった。

1939ねん9がつナチス・ドイツポーランド侵攻しんこうによってだい世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつする。これをけ、当時とうじ2まん6000めい人員じんいんと2000程度ていど航空機こうくうきゆうしていた航空こうくうたいは、将来しょうらいてき参戦さんせんそなえて拡充かくじゅうはかることになる。1941ねん6がつ20日はつか陸軍りくぐんしょう陸軍りくぐんゆうするすべての航空こうくう戦力せんりょく運用うんようする部門ぶもんとして陸軍りくぐん航空こうくうぐん(Army Air Forces)を設置せっちした。これは陸軍りくぐん地上ちじょうぐん英語えいごばん同等どうとう地位ちいゆうする部門ぶもん位置いちづけられ、航空こうくうたいよりも上位じょういにあった。

1942ねん3がつ9にち大統領だいとうりょうれい9082ごうもと陸軍りくぐん地上ちじょうぐん航空こうくうぐん兵站へいたん英語えいごばんの3部門ぶもん改組かいそされた[2]。このさいにGHQ AF司令しれいかん航空こうくうたい総監そうかん(Chief of the Air Corps)の職務しょくむおよび権限けんげん統合とうごうされ、航空こうくうぐんそう司令しれいかん(Commanding General, Army Air Forces)のしょく新設しんせつされた。これにより組織そしきとしての航空こうくうたい航空こうくうぐん統合とうごうされ、消滅しょうめつした。以後いご、「航空こうくうたい」(Army Air Corps)という言葉ことば歩兵ほへいなどと同様どうよう陸軍りくぐんにおける兵科へいかとしてあつかわれることになる。

1947ねん航空こうくうぐん独立どくりつしたぐんしゅとしてのアメリカ空軍くうぐん発展はってんし、航空こうくうたい陸軍りくぐん兵科へいかとしての役割やくわりえることとなった[1]

発展はってん[編集へんしゅう]

ジュリオ・ドゥーエなどによる戦略せんりゃく爆撃ばくげき理論りろん提唱ていしょうおよび、大型おおがた単葉たんよう高速こうそくすすんだこともあり、1920年代ねんだいから1930年代ねんだいにかけては、世界せかいてきばくげき優位ゆういろんつよくなっていた。陸軍りくぐん航空こうくうたいもこのながれをけ、長距離ちょうきょり爆撃ばくげき開発かいはつ導入どうにゅううごいている。1930年代ねんだい初頭しょとうには戦闘せんとうよりも高速こうそく金属きんぞくせい単葉たんようばくげきとしてY1B-9B-10開発かいはつされている。B-10は派生はせいがたのB-12もふくめて150以上いじょう採用さいようされた。そのXB-15試験しけんて、1935ねんにはB-17開発かいはつ成功せいこうしている。

1933ねんごろには50飛行ひこうたい(うち21個いっこ追撃ついげき、13観測かんそく、12ばくげき、4攻撃こうげき)を編成へんせいしている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b Army Air Corps - United States Army Aviation”. Army.mil. 2015ねん6がつ22にち閲覧えつらん
  2. ^ Franklin D. Roosevelt: Executive Order 9082 Reorganizing the Army and the War Department”. American Presidency Project. 2015ねん6がつ22にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]