地図 ちず
水戸 みと 芸術 げいじゅつ 館 かん (みとげいじゅつかん、英 えい 称 しょう :Art Tower Mito[1] )は、1990年 ねん 3月22日 にち に開館 かいかん した茨城 いばらき 県 けん 水戸 みと 市 し にある美術館 びじゅつかん ・コンサートホール ・劇場 げきじょう からなる現代 げんだい 芸術 げいじゅつ の複 ふく 合 あい 文化 ぶんか 施設 しせつ 。設計 せっけい は建築 けんちく 家 か の磯崎 いそざき 新 しん 。運営 うんえい は公益 こうえき 財団 ざいだん 法人 ほうじん 水戸 みと 市 し 芸術 げいじゅつ 振興 しんこう 財団 ざいだん 。初代 しょだい 館長 かんちょう は音楽 おんがく 評論 ひょうろん 家 か の吉田 よしだ 秀和 ひでかず 。吉田 よしだ の後任 こうにん として2013年 ねん 4月 がつ 1日 にち に同館 どうかん 専属 せんぞく の水戸 みと 室内 しつない 管弦楽 かんげんがく 団 だん の音楽 おんがく 顧問 こもん である指揮 しき 者 しゃ の小澤 おざわ 征爾 せいじ が2代目 だいめ 館長 かんちょう に就任 しゅうにん した[2] 。
水戸 みと 市 し 中心 ちゅうしん 部 ぶ に建 た つこの施設 しせつ は、中心 ちゅうしん 市街地 しがいち 活性 かっせい 化 か の意味 いみ も込 こ めて、敷地 しきち 狭隘 きょうあい のため移転 いてん した水戸 みと 市立 しりつ 五 ご 軒 けん 小学校 しょうがっこう の跡地 あとち に市制 しせい 100周年 しゅうねん 記念 きねん 施設 しせつ として建設 けんせつ された[1] 。発案 はつあん 者 しゃ である当時 とうじ の水戸 みと 市長 しちょう 佐川 さがわ 一信 かずのぶ が、文化 ぶんか によるまちおこしを意図 いと し力 りょく を入 い れたため、市 し の年間 ねんかん 予算 よさん の1%(約 やく 9億 おく 円 えん )を活動 かつどう 資金 しきん にする制度 せいど [3] を日本 にっぽん で初 はじ めて導入 どうにゅう した。建設 けんせつ 費 ひ は103億 おく 5,584万 まん 円 えん [1] 。
また美術 びじゅつ ・音楽 おんがく ・演劇 えんげき の各 かく 部門 ぶもん には開館 かいかん 前 まえ から「芸術 げいじゅつ 監督 かんとく 」が任命 にんめい され、彼 かれ らが施設 しせつ に必要 ひつよう ・不 ふ 必要 ひつよう な機能 きのう などを設計 せっけい 者 しゃ と協議 きょうぎ し、設計 せっけい に反映 はんえい させている[4] 。これら1%予算 よさん や芸術 げいじゅつ 監督 かんとく 制度 せいど は、市長 しちょう が変 か わったあとも引 ひ き続 つづ き続 つづ けられ、館 かん の活動 かつどう を支 ささ えている。その後 ご 、芸術 げいじゅつ 監督 かんとく 制度 せいど については、美術 びじゅつ 部門 ぶもん ・演劇 えんげき 部門 ぶもん での辞任 じにん (以後 いご 空席 くうせき )、音楽 おんがく 部門 ぶもん 畑中 はたなか 良輔 りょうすけ の逝去 せいきょ に伴 ともな い、それぞれ企画 きかく 運営 うんえい 委員 いいん 会 かい と財団 ざいだん による運営 うんえい に移行 いこう している。
日本 にっぽん 各地 かくち から観客 かんきゃく を集 あつ めている。自主 じしゅ 企画 きかく によって演奏 えんそう や展示 てんじ などの事業 じぎょう を行 おこな い、専属 せんぞく の劇団 げきだん や楽団 がくだん をもつソフト重視 じゅうし の運営 うんえい 形態 けいたい が特色 とくしょく である[3] 。
2011年 ねん 3月11日 にち の東北 とうほく 地方 ちほう 太平洋 たいへいよう 沖 おき 地震 じしん (東日本 ひがしにっぽん 大震災 だいしんさい )では天井 てんじょう の一部 いちぶ やパイプオルガンなどが破損 はそん し、タワーの展望 てんぼう 室 しつ にいた4人 にん の観客 かんきゃく は取 と り残 のこ され非常 ひじょう 階段 かいだん で避難 ひなん した。地震 じしん 後 ご は点検 てんけん などのため5月 がつ 末 まつ までの休館 きゅうかん を余儀 よぎ なくされていた[5] 。
1989年 ねん に公共 こうきょう 建築 けんちく 百 ひゃく 選 せん に選 えら ばれ、1991年 ねん に第 だい 32回 かい BSC賞 しょう [6] 、2015年 ねん に第 だい 15回 かい 日本 にっぽん 建築 けんちく 家 か 協会 きょうかい 25年 ねん 賞 しょう (JIA25年 ねん 賞 しょう )[7] を受賞 じゅしょう している。
水戸 みと 芸術 げいじゅつ 館 かん のタワー
中央 ちゅうおう に大 おお きな芝生 しばふ 広場 ひろば と欅 けやき の木 き があり、通 とお りに面 めん しており、野外 やがい コンサートやフリーマーケットに使 つか われている[8] 。この広場 ひろば を各 かく 部門 ぶもん の建物 たてもの が三 さん 方 ぽう から回廊 かいろう で取 と り囲 かこ む、古典 こてん 主義 しゅぎ 的 てき 建築 けんちく の手法 しゅほう に習 なら った形状 けいじょう となっており、各 かく 建物 たてもの は人間 にんげん 的 てき なスケール感 かん を醸 かも し出 だ せるよう分節 ぶんせつ されている[4] 。さらに、市制 しせい 100周年 しゅうねん を記念 きねん して企画 きかく された建物 たてもの であることから[4] 、チタン の正三角形 せいさんかっけい パネル(一 いち 辺 へん 9.6m・57枚 まい [9] [10] )を組 く み合 あ わせてらせん状 じょう に天 てん に伸 の ばした高 たか さ100mのシンボルタワー(アートタワー)がそびえており、地上 ちじょう 86.4mの展望 てんぼう 室 しつ [9] から水戸 みと 市 し とその郊外 こうがい を眺 なが めることができる。また冬 ふゆ には市民 しみん の手 て でイルミネーション が行 おこな われる。この形状 けいじょう はDNA のらせん形状 けいじょう であり[5] 、同型 どうけい のかたちが反復 はんぷく しながら無限 むげん に伸 の びてゆくのはブランクーシ の『無限 むげん 柱 ばしら 』に着想 ちゃくそう を得 え たものでもある[4] 。石 いし などの素材 そざい に覆 おお われ立方体 りっぽうたい ・円柱 えんちゅう ・ピラミッドなど重力 じゅうりょく 的 てき に安定 あんてい した形態 けいたい をしている低層 ていそう 部 ぶ の建物 たてもの と、空 そら へ伸 の びる銀色 ぎんいろ の高層 こうそう のタワーとは対立 たいりつ 的 てき なデザインがなされている[4] 。
タワー建設 けんせつ に当 あ たっては、当時 とうじ 運輸省 うんゆしょう 航空局 こうくうきょく から、高 たか さ60メートルを超 こ える建築 けんちく 物 ぶつ は航空 こうくう 法 ほう に基 もと づいて衝突 しょうとつ 防止 ぼうし のために目立 めだ つよう、赤 あか 白 しろ に塗 ぬ り分 わ けるか点滅 てんめつ 灯 とう をつけるよう指導 しどう され、芸術 げいじゅつ 館 かん スタッフはタワー完成 かんせい 直後 ちょくご に航空局 こうくうきょく 職員 しょくいん を招 まね いて「措置 そち をとらなくても十分 じゅうぶん 目立 めだ つ」と説得 せっとく 工作 こうさく を行 おこな った。結果 けっか として「かなり目立 めだ つと判断 はんだん したが、証拠 しょうこ となる数字 すうじ が欲 ほ しい」との指摘 してき がなされ、証拠 しょうこ のための写真 しゃしん 撮影 さつえい に奔走 ほんそう したという[11] 。
パイプオルガン
高 たか さ11mの吹 ふ き抜 ぬ けが建物 たてもの を貫 つらぬ き、パイプオルガン が設置 せっち され、ここで単独 たんどく でのコンサートも行 おこな われる。オルガンはあえてコンサートホールから出 だ され、エントランスホールをオルガン・ホールとして音響 おんきょう もオルガンに特 とく 化 か させている[12] 。
クラシック音楽 おんがく 専用 せんよう ホール 。六角形 ろっかっけい のステージがあり、座席 ざせき が取 と り巻 ま いている。舞台 ぶたい 背後 はいご にも座席 ざせき があり、合唱 がっしょう 隊 たい のために使 つか うこともできる。ホール天井 てんじょう は3本 ほん の大 おお きな柱 はしら で支 ささ えられており、空間 くうかん にアクセントを与 あた えている[13] [12] 。天井 てんじょう の音響 おんきょう 反射 はんしゃ 板 ばん は可動 かどう 式 しき で、演奏 えんそう する音楽 おんがく の特性 とくせい に合 あ わせて最適 さいてき な残響 ざんきょう に変 か えることが可能 かのう [13] [4] 。座席 ざせき 数 すう 620席 せき から680席 せき まで可変 かへん 。
水戸 みと 室内 しつない 管弦楽 かんげんがく 団 だん ・ATMアンサンブル ・水戸 みと カルテット ・新 しん ダヴィッド同盟 どうめい という四 よっ つの専属 せんぞく 室内楽 しつないがく 団 だん を持 も ち、その演奏 えんそう がホールの活動 かつどう の中心 ちゅうしん である。また市民 しみん 演奏 えんそう 家 か ・合唱 がっしょう 団 だん による演奏 えんそう も時 とき に行 おこな われる。これら専属 せんぞく 楽団 がくだん のなかでも、水戸 みと 室内 しつない 管弦楽 かんげんがく 団 だん は小澤 おざわ 征爾 せいじ を音楽 おんがく 顧問 こもん として迎 むか え、小澤 おざわ 自身 じしん ほか世界 せかい の気鋭 きえい の指揮 しき 者 しゃ の指揮 しき によるコンサートも随時 ずいじ 行 い っており、併 あわ せて上野 うえの 駅 えき から水戸 みと 駅 えき までの117.5kmを特急 とっきゅう 利用 りよう で最速 さいそく 65分 ふん 前後 ぜんこう の乗車 じょうしゃ 時間 じかん で結 むす んでいる立地 りっち 条件 じょうけん も手伝 てつだ って、幅広 はばひろ く聴衆 ちょうしゅう を集 あつ めている。
472席 せき から636席 せき まで、席 せき 数 すう 可変 かへん の劇場 げきじょう 。舞台 ぶたい を囲 かこ むように円形 えんけい に座席 ざせき が配置 はいち され、さらに3階 かい まで座席 ざせき があるが、舞台 ぶたい の面積 めんせき が大 おお きいので最上階 さいじょうかい や最 さい 後方 こうほう からでも舞台 ぶたい との距離 きょり は近 ちか い[13] [14] 。また舞台 ぶたい は10分割 ぶんかつ してせり上 あ がるようになっており、舞台 ぶたい を小 ちい さくして座席 ざせき を多 おお めにしたり、舞台 ぶたい を階段 かいだん 状 じょう にして演出 えんしゅつ 意図 いと に合 あ わせることもできる[13] [4] 。
演目 えんもく は能 のう 、ダンス 、演劇 えんげき 、映画 えいが 上映 じょうえい など多彩 たさい である。小 しょう 劇場 げきじょう 劇団 げきだん や能楽 のうがく 師 し を招 まね いての新作 しんさく などの企画 きかく をおこなうほか、水戸 みと 子供 こども 演劇 えんげき アカデミー・水戸 みと 市民 しみん 演劇 えんげき 学校 がっこう といった子供 こども や市民 しみん に対 たい するワークショップ・本格 ほんかく 的 てき な演劇 えんげき 指導 しどう など市民 しみん に対 たい する教育 きょういく も行 おこな う。また、ACM(Acting Company Mito)という専属 せんぞく 劇団 げきだん を擁 よう し、コンテンポラリー・ダンスや新作 しんさく 劇 げき 上演 じょうえん なども行 おこな っている。演劇 えんげき 部門 ぶもん 芸術 げいじゅつ 総 そう 監督 かんとく は松本 まつもと 小四郎 こしろう 。
美術 びじゅつ ギャラリー。この部分 ぶぶん のみを指 さ して水戸 みと 芸術 げいじゅつ 館 かん 現代 げんだい 美術 びじゅつ センターともいう。合計 ごうけい 9室 しつ の展示 てんじ 室 しつ を持 も ち、高 たか い天井 てんじょう ・明 あか るい照明 しょうめい や外 そと 光 こう ・どんな作品 さくひん でも受 う け入 い れることのできる主張 しゅちょう の小 ちい さい白 しろ い壁面 へきめん などが特徴 とくちょう [13] [15] 。形状 けいじょう も回廊 かいろう 状 じょう の細長 ほそなが い空間 くうかん やトップライトを持 も つ高 たか い空間 くうかん などさまざまである[15] 。壁 かべ に直接 ちょくせつ 釘 くぎ を打 う ったり絵 え を描 えが いたりすることもできるなど使用 しよう 方法 ほうほう は自由 じゆう さを重視 じゅうし している[13] [15] 。
企画 きかく は基本 きほん 的 てき に自主 じしゅ 企画 きかく で、現代 げんだい 美術 びじゅつ にほぼ特 とく 化 か している。作家 さっか の個展 こてん ・グループ展 てん や、作家 さっか を取 と り混 ま ぜてテーマ性 せい の濃 こ い展覧 てんらん 会 かい を行 おこな ってきた。特 とく にクリスチャン・ボルタンスキー やジェームズ・タレル の個展 こてん 、椹 さわら 木野 この 衣 ころも 企画 きかく の「日本 にっぽん ゼロ年 ねん 」展 てん などは大 おお きな反響 はんきょう を呼 よ んだ。2005年 ねん は海洋 かいよう 堂 どう の軌跡 きせき 展 てん 、グラフィティ ・アートの日本 にっぽん 初 はつ の企画 きかく 展 てん など話題 わだい を呼 よ ぶ企画 きかく も行 おこな っている。
また展示 てんじ 室 しつ 9は「クリテリオム」というタイトルの、20歳 さい 代 だい から30歳 さい 代 だい 前半 ぜんはん の若手 わかて 美術家 びじゅつか を取 と り上 あ げる個展 こてん シリーズを行 おこな い、多 おお くの美術家 びじゅつか を発掘 はっくつ して紹介 しょうかい している。
通常 つうじょう の美術館 びじゅつかん とは違 ちが い、企画 きかく 展示 てんじ に予算 よさん を集中 しゅうちゅう しているため美術 びじゅつ 史 し の流 なが れに沿 そ った収集 しゅうしゅう や、関連 かんれん する作品 さくひん をあわせて収蔵 しゅうぞう するような系統 けいとう だったコレクション形成 けいせい を図 はか るような活動 かつどう は行 おこな っておらず、企画 きかく する展覧 てんらん 会 かい 開催 かいさい に必要 ひつよう な場合 ばあい にのみ美術 びじゅつ 作品 さくひん を収蔵 しゅうぞう している。
離 はな れた場所 ばしょ に80名 めい 弱 じゃく 収容 しゅうよう の円形 えんけい 会議 かいぎ 室 しつ があり[13] 、これら各 かく 部門 ぶもん に関係 かんけい した会議 かいぎ を行 おこな うことができる。またタワーの足元 あしもと にはレストランがあり、披露宴 ひろうえん などにも対応 たいおう している。
水戸 みと 市 し の他 ほか の文化 ぶんか ・歴史 れきし 施設 しせつ [ 編集 へんしゅう ]
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