かぎ和田わだ秞子

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かぎ和田わだ 秞子(かぎわだ ゆうこ、1932ねん昭和しょうわ7ねん2がつ21にち[1] - 2020ねんれい2ねん6月11にち[2])は、神奈川かながわけん出身しゅっしん[3]俳人はいじん

経歴けいれき[編集へんしゅう]

秦野はたのまれ。神奈川かながわ県立けんりつ平塚ひらつか高等こうとう女学校じょがっこうげん神奈川かながわ県立けんりつ平塚ひらつか江南えな高等こうとう学校がっこう)をて、1954ねんちゃ水女子大学みずじょしだいがく国文学こくぶんがく卒業そつぎょう[3]大学だいがく在学ざいがくちゅう井本いもとみのりいちのもとで俳文はいぶんがくまなぶとともに、村山むらやま古郷こきょうの「たちばな」に入会にゅうかい句作くさく開始かいし大学だいがく卒業そつぎょう教師きょうしとしてつとめる。また金尾梅かなおうめかどの「ぶし」に入会にゅうかい1963ねん中村なかむら草田男くさたお主宰しゅさいの「萬緑ばんりょく」に入会にゅうかい[3]。のち萬緑ばんりょく新人しんじんしょう萬緑ばんりょくしょう[3]受賞じゅしょう1977ねんだいいち句集くしゅう未来みらい』によりだい1かい俳人はいじん協会きょうかい新人しんじんしょう受賞じゅしょう[3]。このとし教師きょうしす。1984ねん草田男くさたおて「未来みらい」を創刊そうかん主宰しゅさい[3][4]2006ねんだいなな句集くしゅう胡蝶こちょう』によりだい45かい俳人はいじん協会きょうかいしょう受賞じゅしょう[4]2015ねんだいきゅう句集くしゅう『濤無げん』によりだい56かい毎日まいにち芸術げいじゅつしょう受賞じゅしょう2020ねんだいじゅう句集くしゅうは禱り』によりだい35かい詩歌しか文学ぶんがくかんしょう受賞じゅしょう[4]

代表だいひょうに「づるくやわがのこゑとおもふまで」など。2002ねんより大磯おおいそまちしぎりつあんだい22だい庵主あんしゅつとめる[3]俳人はいじん協会きょうかい常務じょうむ理事りじ俳文はいぶん学会がっかい日本にっぽん文芸ぶんげい協会きょうかい日本にっぽんペンクラブかく会員かいいん[3]

2020ねん6月11にち1914ふん老衰ろうすいのため、東京とうきょう府中ふちゅう自宅じたく死去しきょ[2]。88さいぼつ

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

句集くしゅう

  • 未来みらい』(卯辰山うたつやま出版しゅっぱん、1976ねん
  • 浮標ふひょう』(牧羊ぼくようしゃ、1982ねん
  • 飛鳥ひちょう』(角川書店かどかわしょてん、1986ねん
  • 武蔵野むさしの』(角川書店かどかわしょてん、1990ねん
  • 光陰こういん』(角川書店かどかわしょてん、1997ねん
  • 風月ふうげつ』(はな神社じんじゃ、2000ねん
  • 胡蝶こちょう』(角川書店かどかわしょてん、2005ねん
  • ひゃくねん』(角川かどかわグループパブリッシング、2008ねん
  • 『濤無げん』(KADOKAWA、2015ねん
  • は禱り』(角川かどかわ文化ぶんか振興しんこう財団ざいだん、2019ねん
  • かぎ和田わだ柚子ゆずぜん句集くしゅう』(ふらんすどう、2020ねん

随筆ずいひつ入門にゅうもんしょとう

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 読売よみうり年鑑ねんかん 2016年版ねんばん』(読売新聞よみうりしんぶん東京とうきょう本社ほんしゃ、2016ねん)p.446
  2. ^ a b 俳人はいじんかぎ和田わだゆうさん死去しきょ時事じじドットコム”. 時事じじドットコム. 2020ねん6がつ12にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e f g h かぎ和田わだ秞子 プロフィール”. 公益社こうえきしゃだん法人ほうじん 俳人はいじん協会きょうかい俳句はいく文学ぶんがくかん. 2022ねん6がつ閲覧えつらん
  4. ^ a b c かぎ和田わだ秞子さん 「東京とうきょう俳壇はいだん」の選者せんじゃ東京とうきょう新聞しんぶん TOKYO Web”. 東京とうきょう新聞しんぶん TOKYO Web. 2022ねん6がつ25にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]