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丹羽にわ文雄ふみお

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丹羽にわ 文雄ふみお
(にわ ふみお)
誕生たんじょう 1904ねん11月22にち
日本の旗 日本にっぽん三重みえけん四日市よっかいち北浜田きたはまだ
死没しぼつ (2005-04-20) 2005ねん4がつ20日はつか(100さいぼつ
墓地ぼち 駿東すんとうぐん小山おやままち富士ふじ霊園れいえん文学ぶんがくしゃはか
職業しょくぎょう 小説しょうせつ
言語げんご 日本語にほんご
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
教育きょういく 学士がくし文学ぶんがく
最終さいしゅう学歴がくれき 早稲田大学わせだだいがく文学部ぶんがくぶ国文学こくぶんがく卒業そつぎょう
活動かつどう期間きかん 1909ねん - 1990ねんころ
ジャンル 小説しょうせつ
随筆ずいひつ
主題しゅだい 親鸞しんらん宗教しゅうきょう)、愛欲あいよく生母せいぼ戦争せんそう恋愛れんあいなど。
代表だいひょうさくあゆ』(1932ねん
いやがらせの年齢ねんれい』(1947ねん
へびばと』(1953ねん
かお』(1960ねん
一路いちろ』(1966ねん
親鸞しんらん』(1969ねん
蓮如れんにょ』(1982ねん
おも受賞じゅしょうれき 中央公論ちゅうおうこうろんしょう(1942ねん
野間のま文芸ぶんげいしょう(1953ねん・1983ねん
毎日まいにち芸術げいじゅつしょう(1961ねん
読売よみうり文学ぶんがくしょう(1967ねん
文化ぶんか功労こうろうしゃ(1977ねん
文化ぶんか勲章くんしょう(1977ねん
じょしたがえさん(2005ねんぼつ叙位じょい
ウィキポータル 文学ぶんがく
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丹羽にわ 文雄ふみお(にわ ふみお、1904ねん明治めいじ37ねん11月22にち - 2005ねん平成へいせい17ねん4がつ20日はつか[1])は、日本にっぽん小説しょうせつ日本にっぽん芸術げいじゅついん会員かいいん文化ぶんか功労こうろうしゃ文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょうしゃ位階いかいしたがえさん

三重みえけん出身しゅっしん複雑ふくざつちに立脚りっきゃくした私小説ししょうせつふう作品さくひん宗教しゅうきょうてき作品さくひん、マダムぶつをはじめとする風俗ふうぞく小説しょうせつ戦争せんそうぶつなどを独自どくじのリアリズムで旺盛おうせい執筆しっぴつし、多数たすう読者どくしゃたか評価ひょうかた。昭和しょうわ代表だいひょうする作家さっか一人ひとりである。また、文壇ぶんだん大御所おおごしょてき存在そんざいであり、各種かくしゅ文学ぶんがくしょう選考せんこう委員いいんや、日本にっぽん文芸ぶんげい協会きょうかい会長かいちょう理事りじちょうなどを歴任れきにんしたほか、「文学ぶんがくしゃ」を主宰しゅさいして後進こうしん育成いくせいにも尽力じんりょくした。中村なかむら光夫みつお風俗ふうぞく小説しょうせつ論争ろんそう展開てんかいしたことでもられる[2]

略歴りゃくれき

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三重みえけん四日市よっかいち北浜田きたはまだにある浄土真宗じょうどしんしゅう専修寺せんしゅうじ高田たかだたかしあきらてら現存げんそんする。浜田はまだ保育園ほいくえん併設へいせつ)で住職じゅうしょくつとめるちちきょうひらき長男ちょうなんとしてまれた。はは・こうは、文雄ふみおが4さいのときに旅役者たびやくしゃのちって出奔しゅっぽんした。このははへの思慕しぼ追憶ついおくが、文雄ふみお作品さくひん世界せかいには投影とうえいされている。はは出奔しゅっぽんは、婿養子むこようしちちが、ははははつまり祖母そぼ男女だんじょ関係かんけいむすんでいたからである。丹羽にわはのち『菩提樹ぼだいじゅ』にこのことをき、『ひとわれを非情ひじょう作家さっかぶ』でより平明へいめい説明せつめいしている。このげん体験たいけんが、丹羽にわをして人間にんげんごうつめる作家さっかとなし、そのすくいを浄土真宗じょうどしんしゅうもとめる結果けっかとなった。

三重みえ県立けんりつ富田中とみたなか学校がっこう三重みえ県立けんりつよんにち高等こうとう学校がっこう前身ぜんしんこうの1つ)をて、だいいち早稲田わせだ高等こうとう学院がくいん入学にゅうがく本来ほんらいちちあといで僧侶そうりょとなるために、浄土真宗じょうどしんしゅうけい上級じょうきゅう学校がっこう進学しんがくするべきところであったが、文雄ふみおはすでに文学ぶんがくしゃ志望しぼうしていたため、ちち檀家だんかには、仏教ぶっきょう関連かんれんふか哲学てつがく進学しんがくするためといつわって、同校どうこうへすすんだ。

高等こうとう学院がくいん在学ざいがくちゅうに、上級生じょうきゅうせい尾崎おざき一雄かずおい、文学ぶんがくめんでもおおきな感化かんかけ、さらに尾崎おざき紹介しょうかい火野ひの葦平あしへいらが発行はっこうしていた同人どうじんまち』にくわわり、小説しょうせつあき」を寄稿きこうした。『まち』の廃刊はいかんは、尾崎おざきらと同人どうじんしん正統せいとう』を創刊そうかんし、精力せいりょくてき小説しょうせつ発表はっぴょうした。

1929ねん早稲田大学わせだだいがく文学部ぶんがくぶ国文学こくぶんがく卒業そつぎょう生家せいかてら僧職そうしょくく。同人どうじんしん正統せいとう』に発表はっぴょうした小説しょうせつろうかなある最初さいしょ」が永井ながい龍男たつおによって評価ひょうかされ、その依頼いらいいた「あゆ」(『文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう』1932ねん4がつ)が文壇ぶんだん注目ちゅうもくされ、僧職そうしょくてて上京じょうきょうし、早稲田大学わせだだいがく時代じだい同棲どうせい相手あいていえんだ。新進しんしん作家さっかとして注目ちゅうもくされ、『中央公論ちゅうおうこうろん』や『文藝ぶんげい』の新人しんじん特集とくしゅうに『贅肉ぜいにく』『百日紅さるすべり』が相次あいついで掲載けいさいされた[3]

にちちゅう戦争せんそうでは日本にっぽん文学ぶんがくほう国会こっかい前身ぜんしんとなるかんこう攻略こうりゃくせんの「ペン部隊ぶたい役員やくいんえらばれるなど貢献こうけんたしたが、 1941ねん8がつ内閣ないかく情報じょうほうきょくによる大量たいりょう発禁はっきん処分しょぶんでは、丹羽にわ小説しょうせつも「風俗ふうぞく壊乱かいらんおそれ」のあるひとつとして槍玉やりだまにあがった[4]。 さらに太平洋戦争たいへいようせんそうはじまると海軍かいぐん報道ほうどうはんいんとしてじゅう巡洋艦じゅんようかん鳥海とりうみ」にみ、だいいちソロモン海戦かいせん従軍じゅうぐん。その見聞けんぶん小説しょうせつ海戦かいせん」にまとめた。

戦後せんご東京とうきょう銀座ぎんざなどを舞台ぶたいとした風俗ふうぞく小説しょうせつ人気にんきはくし、一躍いちやく流行りゅうこう作家さっかとなるが、中村なかむら光夫みつおから「風俗ふうぞく小説しょうせつ」として批判ひはんされ、論争ろんそうとなった。50くらいまでは私小説ししょうせつてき作品さくひんおおかったが、50をぎてから、恋愛れんあい中心ちゅうしんとしたなが小説しょうせつくようになる。また『小説しょうせつ作法さほう』はベストセラーとなりおおくの文学ぶんがく青年せいねんまれた。

一方いっぽう執筆しっぴつづまりをかんじていたとき亀井かめい勝一郎かついちろうから「(丹羽たんば小説しょうせつは)親鸞しんらんからのがれようとしているが、結局けっきょく親鸞しんらん足元あしもとあそんでいる」と指摘してきされたことをきっかけにみずからの宗教しゅうきょうかんについてめてかんがはじ[5]、のちに『親鸞しんらん』『蓮如れんにょ』などの宗教しゅうきょうしゃえがいた小説しょうせつおおのこした。文壇ぶんだん大御所おおごしょてき存在そんざいで、後進こうしんとの交流こうりゅうにも熱心ねっしんであった。1950年代ねんだいには同人どうじん文学ぶんがくしゃ』を主宰しゅさい瀬戸内せとうち寂聴じゃくちょう吉村よしむらあきら津村つむら節子せつこ富島としま健夫たけお中村なかむら八朗はちろうたちを育成いくせいした。また舟橋ふなばし聖一せいいちとは自他じたどもみとめるライバル関係かんけいだった。1956ねんから日本にっぽん文藝ぶんげい協会きょうかい理事りじちょう、61ねん会長かいちょう兼任けんにん、69ねん理事りじちょう辞任じにんし、72ねんまで会長かいちょうつとめた。

1977ねん文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょう文化ぶんか功労こうろうしゃ

1987ねんから1990ねんにかけ、アルツハイマーがた認知にんちしょう症状しょうじょうあらわれたことから、多数たすうつとめていた役職やくしょく整理せいりし、おもて舞台ぶたいから退しりぞいた。1997ねんむすめ本田ほんだ桂子けいこ瀬戸内せとうち寂聴じゃくちょうのすすめで、病気びょうき経緯けいいと11ねんわた介護かいごについての手記しゅきを『婦人ふじん公論こうろん』に公表こうひょうし、『ちち丹羽にわ文雄ふみお 介護かいご日々ひび』を出版しゅっぱん[6]話題わだいとなった。桂子けいこ献身けんしんてき介護かいご生活せいかつつづけながら、反響はんきょう全国ぜんこく各地かくち講演こうえん提言ていげんき、また2000ねん11月に主婦しゅふ友社ともしゃから『ちち丹羽にわ文雄ふみお いの食卓しょくたく』を刊行かんこう多忙たぼう日々ひびおくっていたが、2001ねん4がつさききょせいこころ疾患しっかん急逝きゅうせいした[7]以降いこうまごたちとうによる介護かいごけていた[8]。  

2005ねん4がつ20日はつか午前ごぜん025ふん肺炎はいえんのため自宅じたく逝去せいきょした。100さいぼつ[1]当時とうじ最年長さいねんちょう日本にっぽん芸術げいじゅついん会員かいいんであった。

故郷こきょう三重みえけん四日市よっかいち四日市よっかいち市立しりつ博物館はくぶつかんには丹羽にわ文雄ふみお記念きねんしつもうけられ、丹羽にわ文雄ふみお文学ぶんがくれられるようになっている[9][10]

人物じんぶつ

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剽窃ひょうせつ問題もんだい

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1972ねん丹羽たんば小説しょうせつに、林田はやしだ茂雄しげお『たくましき親鸞しんらん』、重松しげまつ明久あきひささとし如』といった研究けんきゅう史伝しでんからの剽窃ひょうせつがあることが問題もんだいになり、論争ろんそうになった。丹羽にわは、学術がくじゅつしょ引用いんよう慣習かんしゅうされているとべ、小説しょうせつわったとき参考さんこうしょ列記れっきすればいいとかんがえていた、と弁明べんめいしたが、のち文芸ぶんげい協会きょうかい役職やくしょく辞任じにんし、問題もんだいとなった連載れんさい作品さくひん蓮如れんにょ各号かくごうごとに謝意しゃい表明ひょうめい文章ぶんしょうれるなどにより解決かいけつをみた[13]

受賞じゅしょうなど

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著書ちょしょ

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小説しょうせつ

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戦前せんぜん

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  • あゆ文体ぶんたいしゃ、1935 のち角川かどかわ文庫ぶんこ集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ
  • 自分じぶんにわとり 創作そうさくしゅうそうみやびぼう 1935
  • ねや秀作しゅうさく いちへん竹村たけむら書房しょぼう 1936
  • 『このきずな改造かいぞうしゃ 1936
  • 小鳩こばと信正のぶまさしゃ 1936
  • 新居しんきょ信正のぶまさしゃ 1936
  • わかぶし竹村たけむら書房しょぼう 1936
  • 愛慾あいよく位置いち竹村たけむら書房しょぼう 1937 のち角川かどかわ文庫ぶんこ 
  • うみいろ竹村たけむら書房しょぼう 1937
  • おさな薔薇ばら版画はんがそう文庫ぶんこ 1937
  • 迎春げいしゅんそうみやびぼう 1937
  • 女人にょにん禁制きんせいそうみやびぼう 1937
  • 女人にょにん彩色さいしき河出かわで書房しょぼう 1937
  • ひょうおんな河出かわで書房しょぼう きおろし長篇ちょうへん小説しょうせつ叢書そうしょ 1937
  • はなせん竹村たけむら書房しょぼう 1938
  • きてゆくおんなたちしん小説しょうせつ選集せんしゅう 春陽しゅんようどう 1938
  • おんな赤塚あかつか書房しょぼう 1938
  • 薔薇ばら合戦かっせん竹村たけむら書房しょぼう 1937-38
  • かえらぬ中隊ちゅうたい中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1939
  • 東京とうきょう女性じょせい 長篇ちょうへん小説しょうせつ改造かいぞうしゃ 1939
  • ななしょくあさ 丹羽にわ文雄ふみお読物よみものしゅう実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ 1939
  • 南国なんごくしょう新潮社しんちょうしゃ 昭和しょうわ名作めいさく選集せんしゅう 1939
  • 丹羽にわ文雄ふみお選集せんしゅうぜん7かん 古谷ふるや綱武つなたけへん 竹村たけむら書房しょぼう 1939
  • あるおんな半生はんせい河出かわで書房しょぼう 1940
  • 太宗寺たいそうじ附近ふきん新潮社しんちょうしゃ 1940
  • 風俗ふうぞく三笠みかさ書房しょぼう 1940
  • べにぼたる 丹羽にわ文雄ふみお讀物よみものしゅう時代じだいしゃ 1940
  • 職業しょくぎょうもつおんな 丹羽にわ文雄ふみお選集せんしゅう春陽しゅんようどう書店しょてん 1941
  • 人生じんせい案内あんない 丹羽にわ文雄ふみお選集せんしゅう春陽しゅんようどう書店しょてん 1941
  • 浅草寺せんそうじ附近ふきん青木あおき書店しょてん 1941
  • たい世間せけん 丹羽にわ文雄ふみお選集せんしゅう春陽しゅんようどう書店しょてん 1941
  • 中年ちゅうねん河出かわで書房しょぼう 1941
  • 闘魚とうぎょ新潮社しんちょうしゃ 1941
  • 怒濤どとう改造かいぞうしゃ 1941
  • はなまで』春陽しゅんようどう文庫ぶんこ 大衆たいしゅう小説しょうせつへん 1941 
  • あおそらたからぶんかん 1942
  • 海戦かいせん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1942
  • 勤王きんのう届出とどけで大観たいかんどう 1942
  • 『このひびき』実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ 1942 
  • あおせみさんあんず書院しょいん 1942
  • 『ソロモン海戦かいせん國民こくみんほうしゃ 1943
  • 報道ほうどうはんいん手記しゅき改造かいぞうしゃ 1943
  • 『みぞれよい東洋とうようしゃ 1943
  • 現代げんだい 運命うんめい配役はいやく だい1へん改造かいぞうしゃ 1944
  • みずほのお新潮社しんちょうしゃ 1944
  • はるさんかぜ』春陽しゅんようどう 1944

戦後せんご

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  • あねおとうと』生活せいかつしゃ 日本にっぽん叢書そうしょ 1946
  • さん姉妹しまい春陽しゅんようどう 1946
  • 書翰しょかんひと鎌倉かまくら文庫ぶんこ 現代げんだい文学ぶんがくせん、1946 のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 
  • 憎悪ぞうお大野おおの書店しょてん 1946
  • 椿つばき記憶きおく』コバルトしゃ コバルト叢書そうしょ 1946
  • 陶画とうが夫人ふじん六興ろっこう出版しゅっぱん 1946
  • むかしおとこありて』豐島としまおか書房しょぼう 1946
  • 和田わだほり書店しょてん 1946
  • 『逢はじめて』三島みしま書房しょぼう 1947
  • おんな侮蔑ぶべつ三昧ざんまい書林しょりん 1947
  • ぐんおんなしん太陽たいようしゃ 1947
  • しろ南風みなみかぜ八雲やくも書店しょてん 1947-48
  • 十字路じゅうじろ日東にっとう出版しゅっぱんしゃ 1947
  • おんなしょう 特選とくせん小説しょうせつしゅう斎藤さいとう書店しょてん 1947
  • 贅肉ぜいにく実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ 1947
  • おんな尾崎おざき書房しょぼう 1947
  • 理想りそう良人りょうじん風雪ふうせつしゃ 1947
  • いやがらせの年齢ねんれい』1948 新潮しんちょう文庫ぶんこ集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 
  • さかな女房にょうぼうたち』かに書房しょぼう 1948
  • 家庭かてい秘密ひみつみね書房しょぼう 1948
  • 幸福こうふく世界せかい文学ぶんがくしゃ 1948
  • 『哭壁』講談社こうだんしゃ 1948 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ 
  • まもりれいもん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ 1948
  • だれがためにやなぎはみどりなる』文学ぶんがくかいしゃ 1948
  • 丹羽にわ文雄ふみお選集せんしゅうぜん4かん 改造かいぞうしゃ 1948-49
  • 人間にんげん改造かいぞうしゃ 1948
  • 人間にんげん模様もようだい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ 1948
  • はるもん東方とうほうしゃ 1948
  • 愛人あいじん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ 1949
  • いかりのまち八雲やくも書店しょてん 1949
  • 落鮎おちあゆ中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1949
  • 『かしまのじょう新潮社しんちょうしゃ 1949
  • 告白こくはく六興ろっこう出版しゅっぱん 1949 のち角川かどかわ文庫ぶんこ 
  • 純情じゅんじょうだい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ 1949
  • 町内ちょうない風紀ふうき明星みょうじょう出版しゅっぱんしゃ 1949
  • 日本にっぽんやぶれたり 御前ごぜん会議かいぎ銀座ぎんざ出版しゅっぱんしゃ 1949
  • ひらかぬもん不動ふどう書房しょぼう 1949
  • 『暴夜物語ものがたり東方とうほうしゃ 1949
  • みちつづいてる』六興ろっこう出版しゅっぱんしゃ 1949

1950年代ねんだい

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  • あめあと河出かわで書房しょぼう 1950
  • 落穂おちぼじつひ』京橋きょうばし書院しょいん 1950
  • 好色こうしょくいましめ』つくもとしゃ 1950 のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 
  • しん家族かぞくだい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ 1950
  • 生活せいかつなか東方とうほうしゃ 1950
  • 東京とうきょうどろんこオペラ』六興ろっこう出版しゅっぱんしゃ 1950
  • 当世とうせい胸算用むなざんよう中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1950
  • ななじゅうにち物語ものがたり東方とうほうしゃ 1951
  • うみあおいだけでない』新潮社しんちょうしゃ 1951
  • 結婚式けっこんしき北辰ほくしんどう 1951
  • 幸福こうふくへの距離きょり新潮社しんちょうしゃ 1951
  • てんそうもとしゃ 1951
  • 爬虫類はちゅうるい文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ 1951 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 惑星わくせいみなと書房しょぼう 1951
  • おんなくつ小説しょうせつ朝日あさひしゃ 1952
  • 世間せけんらず』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ 1952
  • にじ約束やくそく新潮社しんちょうしゃ 1952
  • あおむぎ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ 1953 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ角川かどかわ文庫ぶんこ
  • 禁猟きんりょうしろとうしゃ 1953 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 結婚けっこん生理せいり東方とうほうしゃ 1953
  • 恋文こいぶみ朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1953 のち角川かどかわ文庫ぶんこ 
  • 遮断しゃだん東西とうざい文明ぶんめいしゃ 1953 のち角川かどかわ文庫ぶんこ 
  • しゅおつ人々ひとびとだい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ 1953
  • 丹羽にわ文雄ふみお文庫ぶんこぜん25かん 東方とうほうしゃ 1953-55
  • 濃霧のうむひと東方とうほうしゃ 1953
  • 藤代ふじしろ大佐たいさ東方とうほうしゃ 1953
  • へびばと朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1953 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ角川かどかわ文庫ぶんこ 
  • 庖丁ほうちょう毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1954 のち角川かどかわ文庫ぶんこ
  • よくて』新潮社しんちょうしゃ 昭和しょうわ名作めいさくせん 1954
  • おんな計略けいりゃくます書房しょぼう コバルト新書しんしょ 1955
  • ささえふくおんな河出かわで新書しんしょ 1955
  • ちょう雲井くもい新書しんしょ 1955
  • 『ファッション・モデル』だい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ ロマン・ブックス 1955
  • 菩提樹ぼだいじゅ新潮社しんちょうしゃ 1955-56 のち文庫ぶんこ
  • えるたましいだい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ 1956 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • おんな四季しき河出かわで新書しんしょ 1956
  • がけだい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ 1956
  • さかなもん河出かわで新書しんしょ 1956 のち角川かどかわ文庫ぶんこ 
  • 今朝けさはる角川かどかわ小説しょうせつ新書しんしょ 1956
  • 『さまざまのうそ弥生やよい書房しょぼう 1956
  • いなき愉悦ゆえつだい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ 1957
  • 四季しき演技えんぎ角川書店かどかわしょてん 1957
  • 親鸞しんらんとそのつまぜん3かん 新潮社しんちょうしゃ 1957-59 のち文庫ぶんこ 
  • 『其日の行為こうい東方とうほうしゃ 1957
  • 東京とうきょう女性じょせい角川かどかわ小説しょうせつ新書しんしょ 1957
  • 日日ひび背信はいしん毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1957 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ 
  • 丹羽にわ文雄ふみお作品さくひんしゅう'ぜん8かん別巻べっかん1 角川書店かどかわしょてん 1956-57
  • 忘却ぼうきゃくひと角川かどかわ小説しょうせつ新書しんしょ 1957
  • 浅草あさくさうた角川書店かどかわしょてん 1958
  • 運河うんが新潮社しんちょうしゃ 1958 のち文庫ぶんこ
  • められた感情かんじょう講談社こうだんしゃ 1958
  • むすめ東方とうほうしゃ 1958
  • あいめて』東方とうほうしゃ 1959
  • おんなこわい』東方とうほうしゃ 1959
  • 架橋かきょう講談社こうだんしゃ 1959
  • 鬼子母神きしもじん界隈かいわい東方とうほうしゃ 1959
  • 愁眉しゅうび講談社こうだんしゃ 1959
  • 人生じんせい案内あんない東方とうほうしゃ 1959
  • 貞操ていそう切符きっぷ東方とうほうしゃ 1959
  • 天衣無縫てんいむほう講談社こうだんしゃ 1959
  • 煩悩ぼんのう具足ぐそく東方とうほうしゃ 1959

60年代ねんだい

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  • あいしお東方とうほうしゃ 1960
  • かお毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1960 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 『鎮花さい文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ 1960 のちさんかさ書房しょぼう
  • めた相似そうじ講談社こうだんしゃ 1960
  • 『ふきだまりの人生じんせい新潮社しんちょうしゃ 1960
  • 水溜みずたまり』講談社こうだんしゃ 1960
  • うつくしきうそ中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1961 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 献身けんしん新潮社しんちょうしゃ 1961 のち文庫ぶんこ
  • 高圧こうあつ架線かせん講談社こうだんしゃ 1961
  • 中年ちゅうねんおんな講談社こうだんしゃ 1961
  • ゆき講談社こうだんしゃ 1961
  • 『ゆきずり』講談社こうだんしゃ 1961
  • 有情うじょう新潮社しんちょうしゃ 1962 のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 
  • 『このうれい』講談社こうだんしゃ 1962
  • 最初さいしょ転落てんらく講談社こうだんしゃ 1962
  • 山麓さんろく角川書店かどかわしょてん 1962
  • はは晩年ばんねん東方とうほうしゃ 1962  
  • 欲望よくぼうかわ新潮社しんちょうしゃ 1962
  • 『ある関係かんけい講談社こうだんしゃ 1963
  • いなき煩悩ぼんのう新潮社しんちょうしゃ 1963 のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 
  • 女医じょい講談社こうだんしゃ 1963
  • 情事じょうじ計算けいさん講談社こうだんしゃ 1963
  • うみちょう講談社こうだんしゃ 1964
  • 再婚さいこん新潮社しんちょうしゃ 1964
  • はまむすめ講談社こうだんしゃ 1964
  • いのちなりけり』朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1965 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 『かえらざる故郷こきょう講談社こうだんしゃ 1965 のちさんかさ書房しょぼう
  • 『かりそめのつま講談社こうだんしゃ 1965
  • 『だれもが孤独こどく講談社こうだんしゃ 1965
  • ゆきなかこえ新潮社しんちょうしゃ 1965
  • 朝顔あさがお河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 1966
  • 一路いちろ講談社こうだんしゃ 1966 のち文庫ぶんこ
  • 女心おんなごころ講談社こうだんしゃ 1966
  • はは始末しまつしょ新潮社しんちょうしゃ 1966
  • 中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1966 のち文庫ぶんこ 
  • 人妻ひとづま新潮社しんちょうしゃ 1967
  • 有料ゆうりょう道路どうろ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1967
  • 海辺うみべ告白こくはく講談社こうだんしゃ 1968
  • 講談社こうだんしゃ 1968
  • 晩秋ばんしゅう朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1968
  • こんがい結婚けっこん新潮社しんちょうしゃ 1969
  • 親鸞しんらんぜん5かん 新潮社しんちょうしゃ 1969、新版しんぱんぜん3かん 1973 のち文庫ぶんこ小学館しょうがくかん ぜん7かん
  • 肉親にくしん講談社こうだんしゃ 1969

70・80年代ねんだい以降いこう

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  • 運命うんめい講談社こうだんしゃ 1970
  • 慚無愧』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1970
  • 燕楽えんらくかく講談社こうだんしゃ 1971
  • 解氷かいひょう新潮社しんちょうしゃ 1971、改題かいだい解氷かいひょうおと集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 1983
  • しろ椅子いす講談社こうだんしゃ 1972 のち文庫ぶんこ
  • 太陽たいようちょう新潮社しんちょうしゃ 1972
  • あまぞう新潮社しんちょうしゃ 1973
  • 『渇愛』新潮社しんちょうしゃ 1974
  • 丹羽にわ文雄ふみお文学ぶんがく全集ぜんしゅうぜん28かん 講談社こうだんしゃ 1974-76
  • 干潟ひがた新潮社しんちょうしゃ 1974、集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 1982 
  • 再会さいかい 自選じせんたん編集へんしゅう2』集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 1978 ぜん5かん
    • 「1 あゆ 9へん」「3 書翰しょかんひと」「4 いやがらせの年齢ねんれい」「5 はは晩年ばんねん
  • 山肌やまはだ新潮社しんちょうしゃ 上下じょうげ 1980 のち文庫ぶんこ
  • 四季しき旋律せんりつ新潮社しんちょうしゃ 上下じょうげ 1981 のち文庫ぶんこ
  • 樹海じゅかい新潮社しんちょうしゃ 上下じょうげ 1982 のち文庫ぶんこ
  • つま 短篇たんぺんしゅう講談社こうだんしゃ 1982
    • あゆははつま 丹羽にわ文雄ふみお短篇たんぺんしゅう講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ 2006 作品さくひん10へん
  • 蓮如れんにょぜん8かん 中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1982 のち文庫ぶんこ 改版かいはん1998
  • 丹羽にわ文雄ふみお短編たんぺん30せん角川書店かどかわしょてん 1984 河野こうの多恵子たえこへん
  • きずな学芸がくげい書林しょりん 1990 短篇たんぺん8へん
  • 海戦かいせん 伏字ふせじ復元ふくげんばん中公ちゅうこう文庫ぶんこ 2000

随筆ずいひつなど

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  • 一夜いちや姑娘くーにゃん 新選しんせん随筆ずいひつ感想かんそう叢書そうしょ金星かなぼしどう 1939
  • 秋冷しゅうれいしょう 随筆ずいひつしゅう砂子屋さごや書房しょぼう 1940
  • わたし小説しょうせつである』銀座ぎんざ出版しゅっぱんしゃ 1947
  • 小説しょうせつ作法さほう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ 1955 のち角川かどかわ文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ
  • 久村ひさむらきよしふとし帝国ていこく人造じんぞう絹糸けんし 1955
  • はたいっさん帝国ていこく人造じんぞう絹糸けんし 1955
  • わたし人間にんげん修業しゅうぎょう人文書院じんぶんしょいん 1955
  • 好色こうしょくいちだいおんな」(井原いはら西鶴さいかく現代げんだいやく 河出かわで書房しょぼう日本にっぽん国民こくみん文学ぶんがく全集ぜんしゅう 1955 のち河出かわで文庫ぶんこ 
  • 現代げんだいじん日本にっぽん 天平てんぴょう開花かいか河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 1959
  • 人生じんせい作法さほうゆきはなしゃ 1960 のち角川かどかわ文庫ぶんこ 
  • 結婚けっこんろん あいせいちぎり』へん 婦人画報社ふじんがほうしゃ 1962
  • 丹羽にわ文雄ふみお文学ぶんがく人生じんせいかんする211しょう小泉こいずみゆずるへん 東京とうきょう出版しゅっぱんセンター 1969
  • 小説しょうせつなか宗教しゅうきょう 丹羽にわ文雄ふみお宗教しゅうきょう語録ごろく大河内おおこうちあきらなんじへん さくらかえでしゃ 1971
  • しん人生じんせいろん中村なかむら八朗はちろうへん 秋元あきもと書房しょぼう 1971
  • 古里ふるさとてら講談社こうだんしゃ 1971
  • ふつにひかれて わがしん形成けいせい読売新聞社よみうりしんぶんしゃ 1971 のちちゅう公文こうぶん 
  • 親鸞しんらん紀行きこう 歴史れきし文学ぶんがくたび3』平凡社へいぼんしゃ 1972
  • 人生じんせい有情うじょう 告白こくはく・わが半生はんせい』いんなあとりっぷ 1973
  • 『ゴルフ・丹羽たんばしき上達じょうたつほう 51さいからはじめてシングルになる』講談社こうだんしゃ 1976 のち「ゴルフ上達じょうたつほう潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 
  • 創作そうさく秘密ひみつ講談社こうだんしゃ 1976
  • 『ゴルフ談義だんぎ講談社こうだんしゃ 1977 のち潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 
  • 親鸞しんらん』ゆまにて 1977
  • わたし年々歳々ねんねんさいさいサンケイ出版しゅっぱん 1979
  • わたし小説しょうせつ作法さほう潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1984
  • 『ひと非情ひじょう作家さっか親鸞しんらんへのみち光文社こうぶんしゃ 1984 のち光文社こうぶんしゃ文庫ぶんこ 
  • 『わがはは、わがとも、わが人生じんせい角川書店かどかわしょてん 1985
  • 『エイジ・シュート達成たっせい潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1986
  • 人間にんげん舟橋ふなばし聖一せいいち新潮社しんちょうしゃ 1987
  • 『をりふしの風景ふうけい学芸がくげい書林しょりん 1988

伝記でんき書誌しょし

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  • 福島ふくしま保夫やすお柘榴ざくろしたで わたしなか丹羽にわ文雄ふみお栄光えいこう出版しゅっぱんしゃ 1985
  • 福島ふくしま保夫やすお『うゐのおくやま ぞくわたしなか丹羽にわ文雄ふみお武蔵野むさしの書房しょぼう 1999
  • 大河内おおこうちあきらなんじ追悼ついとう丹羽にわ文雄ふみおとりかげしゃ 2006
  • 丹羽にわ文雄ふみお文藝ぶんげい事典じてんはた昌弘まさひろ半田はんだよしながへん 和泉いずみ書院しょいん 2013
  • 丹羽にわ文雄ふみお書誌しょし岡本おかもとかずよろしへん和泉いずみ書院しょいん近代きんだい文学ぶんがく書誌しょし大系たいけい」2013

家族かぞく

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  • ちち - 丹羽にわきょうひらけ(1871-1945)。たかしあきらてらはい婿むこ義母ぎぼのかづ関係かんけいつ。[18]
  • はは - 丹羽にわこう(1880-1956)。役者やくしゃ岐阜ぎふかさ問屋とんやわらわとなるも相手あいて自殺じさつ[19]晩年ばんねん認知にんちしょうになり、丹羽にわ介護かいごする。
  • 兄弟きょうだい - あね伊藤いとう幸子さちこ渡米とべい現地げんち結婚けっこん)、ちち後妻ごさいとのあいだおとうといもうと
  • つま - 久松ひさまつ郁子いくこ離婚りこん再婚さいこん[20]前妻ぜんさい銀座ぎんざでクラブママとしてはたらき、丹羽にわ執筆しっぴつ生活せいかつ経済けいざいてきささえた[12]後妻ごさい晩年ばんねんのう梗塞こうそくから認知にんちしょうとなる。
  • むすめ - 本田ほんだ桂子けいこ両親りょうしんやまいによるストレスからアル中あるちゅうになるも、『ちち丹羽にわ文雄ふみお介護かいご日々ひび執筆しっぴつ回復かいふく介護かいご講演こうえん著述ちょじゅつ活動かつどうつづけたが、2001ねんはるに65さい急逝きゅうせい)。
  • 息子むすこ - 米国べいこく留学りゅうがくし、ドイツけいアメリカじん女性じょせい結婚けっこんもとフジテレビ社員しゃいん
  • まご - 丹羽にわ多聞たもんアンドリウ

関連かんれん人物じんぶつ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 丹羽にわ文雄ふみお死去しきょ文壇ぶんだん長老ちょうろう、100さい”. 四国新聞社しこくしんぶんしゃ (2005ねん4がつ20日はつか). 2021ねん12月9にち閲覧えつらん
  2. ^ 石本いしもと隆一りゅういちへん日本にっぽん文芸ぶんげい鑑賞かんしょう事典じてん 近代きんだい名作めいさく1017せんへの招待しょうたい』20かん561ぺーじ(ぎょうせい、1988)、小田切おだぎりすすむ尾崎おざき秀樹ひでき監修かんしゅう『ポケット日本にっぽん名作めいさく事典じてん新版しんぱんポケット〕』(平凡社へいぼんしゃ、2000)、村松むらまつじょうこう風俗ふうぞく小説しょうせつ論争ろんそう国文学こくぶんがく解釈かいしゃく鑑賞かんしょう 35かん7ごう109ぺーじ以下いか(1970)、「昭和しょうわ 20年代ねんだいにおける中間ちゅうかん小説しょうせつ―その文学ぶんがくてき位置いちづけと変遷へんせん―」大阪市立大学おおさかいちりつだいがく大学院だいがくいん文学ぶんがく研究けんきゅう紀要きよう66ごう173ぺーじ以下いか(2015)、三重みえ県立けんりつ図書館としょかん特別とくべつてん丹羽にわ文雄ふみお追悼ついとう』」(2005ねん4がつ23にち2021ねん2がつ24にちアクセス。
  3. ^ 転向てんこうぶし新進しんしん作家さっか丹羽にわ文雄ふみお 尾西びさい康充やすみつ、Chronicle of Mie 3ごう三重大学みえだいがく、2009,1
  4. ^ 著名ちょめい作家さっか作品さくひんなど大量たいりょう発禁はっきん東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん』(昭和しょうわ16ねん8がつ28にち)『昭和しょうわニュース辞典じてんだい7かん 昭和しょうわ14ねん-昭和しょうわ16ねん』p555-p556 昭和しょうわニュース事典じてん編纂へんさん委員いいんかい 毎日まいにちコミュニケーションズかん 1994ねん
  5. ^ NHKラジオアーカイブ丹羽にわ文雄ふみおインタビュー「自作じさく朗読ろうどくかお』、文学ぶんがくわたし」(1968ねん12がつ20日はつか収録しゅうろくおく本人ほんにんだん
  6. ^ ちち丹羽にわ文雄ふみお 介護かいご日々ひび中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1997ねん中公ちゅうこう文庫ぶんこ 1999ねん
  7. ^ 続編ぞくへん介護かいごを「ろん」に連載れんさいしていた。2001ねん11月に遺著いちょむすめからちち丹羽にわ文雄ふみおおくほがらか介護かいご』がおっと本田ほんだ隆男たかお協力きょうりょくにより、朝日新聞社あさひしんぶんしゃ出版しゅっぱんされた。
  8. ^ さい晩年ばんねんに、まご一人ひとり丹羽にわ多聞たもんアンドリウが「作家さっか丹羽にわ文雄ふみお99さい日常にちじょう」を『月刊げっかん 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう』2003ねん12がつごう寄稿きこうしている。没後ぼつごにも、2008ねん2がつごう同誌どうしに、回顧かいこだん丹羽にわ文雄ふみおぬのはむずかしい」を寄稿きこうしている。2009ねん3がつには、四日市よっかいちの『記念きねんしつ』で「祖父そふかた素顔すがお丹羽にわ文雄ふみお」を講演こうえんしている。
  9. ^ 四日市よっかいち市立しりつ博物館はくぶつかんがリニューアル”. 博物はくぶつ月報げっぽう (2015ねん4がつ13にち). 2016ねん4がつ13にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2016ねん4がつ13にち閲覧えつらん
  10. ^ 四日市よっかいち市立しりつ博物館はくぶつかん 丹羽にわ文雄ふみお記念きねんしつ”. 2010ねん5がつ6にち閲覧えつらん
  11. ^ だい14かいNHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん審査しんさいんとして出演しゅつえんしたさい、オープニングで「ゴルフのハンディが8というスポーツマン、作家さっか丹羽にわ文雄ふみおさん」と紹介しょうかいされている。
  12. ^ a b NHKアーカイブス、丹羽にわ文雄ふみおインタビュー「文学ぶんがく生活せいかつはん世紀せいき」(1986ねん10がつ6にち収録しゅうろくおく本人ほんにんだん
  13. ^ こんなところにチョサクケン?―事件じけん著作ちょさくけんほう 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん常設じょうせつ展示てんじ105かい平成へいせい11ねん11月24にち~12がつ24にちdoi:10.11501/998378
  14. ^ 森岡もりおか清美きよみ政教せいきょう分離ぶんり体制たいせいにおける宗教しゅうきょう弾圧だんあつ : 立正佼成会りっしょうこうせいかいの「読売よみうり事件じけん」について」『日本にっぽん常民じょうみん文化ぶんか紀要きようだい7かん成城大学せいじょうだいがく、1981ねん3がつ、1-64ぺーじCRID 1050564287424607360 
  15. ^ へびばと Movie Walker
  16. ^ 先人せんじんたち(名誉めいよ市民しみん”. 四日市よっかいち. 2022ねん8がつ15にち閲覧えつらん
  17. ^ 武蔵野むさしの名誉めいよ市民しみん アーカイブ 2018ねん7がつ3にち - ウェイバックマシン
  18. ^ 堕落だらくそう救済きゅうさいをめぐりていちグレアム ・ グリーンと丹羽にわ文雄ふみお場合ばあい 玉井たまい久之ひさゆき関西外国語大学かんさいがいこくごだいがく 研究けんきゅう論集ろんしゅう だい75ごう (2002ねん8がつ)
  19. ^ 丹羽にわ文雄ふみおあゆろん生母せいぼもの〉の虚構きょこうせい 田中たなか励儀、同志社大学どうししゃだいがく
  20. ^ 『ひと非情ひじょう作家さっかぶ』丹羽にわ文雄ふみお

外部がいぶリンク

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