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『第16回NHK紅白歌合戦』(だいじゅうろっかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1965年(昭和40年)12月31日に東京宝塚劇場で行われた、通算16回目のNHK紅白歌合戦。21時05分から23時45分にNHKで生放送された。
紅組司会は当初は2回連続で担当していた江利チエミにオファーされたが、前回の司会の際に神経疲れから胃を壊した江利は「もうコリゴリ」と辞退。結果、前年の連続テレビ小説がきっかけで爆発的な人気を得た林美智子(前回は審査員)が起用された。朝ドラのヒロイン経験者の司会起用は初。紅組司会の人選ではほかに、淡路恵子やロミ・山田の起用も検討されたという。
出場歌手[編集]
初出場、 返り咲き。
大会委員長[編集]
- 浅沼博・NHK放送総局長
当日のステージ・エピソード[編集]
- 紅組トリは前回に引き続き美空ひばりの「柔」(この年の『第7回日本レコード大賞』受賞曲。前年からロングヒットした。前年は先行トリで披露)が選曲された。なお、これに関し各マスコミから「2年連続同じ歌を歌うとは非常識だ」とのバッシングもあった[4]。
- 日野てる子のバックでムームーを着た水前寺清子・三沢あけみがウクレレ伴奏で応援していたが、間奏でこまどり姉妹が三味線で伴奏に加わろうとした所を、司会の林美智子があわてて止めに入った。
- 伊東ゆかりはこの年のサンレモ音楽祭で2位入賞を果たし、入賞曲「恋する瞳」で出場したが、登場した際に司会者が使うサイドマイク前で一礼し、歌に入る直前にセンターマイクにサッと移動して、何事もなかったように歌った。
- 翌年の大河ドラマ『源義経』の出演者がゲスト出演。翌年の『大河ドラマ』の宣伝演出が行われるのは今回が初めてだった。
- 倍賞千恵子のバックには、当時松竹歌劇団に所属していた妹の倍賞美津子がダンスで参加した。
- 曲名テロップの右側には、曲名に合わせた挿絵が添えられているのが特徴だった。
- 14対11で白組が優勝(通算9勝7敗)。
- 放送されたオリジナルのビデオテープが4種類現存する。この内、カラー版2本がNHKのデータベースに公式に登録されている
- 1本目のカラー映像は現存が以前から確認されていたものであったが、冒頭40分欠落の上、色ずれなど映像に乱れが生じ退色も激しいものであった。
- 2本目のカラー映像は2011年5月、たまたまNHK局内の音楽倉庫で3本の原版2インチVTRで発見された。東京都墨田区のレトロエンタープライズの手によって修復・ダビングが行われHDCAMテープに転写され、新たにNHKアーカイブスに保管された[5]。1時間40分の短縮版である[6]。
- この他、NHKが記録したキネコ(白黒、完全版)が存在する。
- 宮田の夫人が自宅で録画し、後にNHKに提供された完全版白黒ビデオテープも存在する。
- 今回使用したマイクロホンは、司会者・歌手用共にSONYとNHK放送技術研究所の共同開発コンデンサーマイクC-38Bの原型のSONY CU-2A(BTS呼称)[注釈 1]。坂本スミ子のみAKG D-24Eのハンドマイク使用。客席から登場した坂本九や舞台上段から歌い始めた岸洋子はピンマイクを使用。
- 朝ドラヒロイン経験者の司会起用は今回の林が初例であり、以降も数度にわたり起用されているが、大阪局制作の作品や、放送1年サイクル時代の作品から起用されたのは林のみである。
- 後年に1つ目のカラー版とキネコ版は、それぞれ違う年に『思い出の紅白歌合戦』(BS2)で再放送された(カラー版放映時は短縮編集され、同じく第14回(1963年)を短縮編集したものと合わせて2年分一緒に放映)。
- ^ 後にSONY C-38(マイク上部のグリルがパンチメタル)として市販(1968年発売のC-38Aは、上部のパンチグリルをテレビ映りのハーレーション防止のため網目に変えて、塗装も薄いグレーとなる)。1970年、C-38Bは、ファンタム電源が使用可能に改良される。
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