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『第29回NHK紅白歌合戦』(だいにじゅうきゅうかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1978年(昭和53年)12月31日にNHKホールで行われた、通算29回目のNHK紅白歌合戦。21時から23時45分にNHKで生放送された。
- 森は16年ぶり2度目、山川は7年連続7度目(白組司会は5年連続5度目)、相川は4年連続4度目の担当。
- 前回まで4年続いた佐良直美と山川のコンビは「さすがにマンネリ」との声が上がったため紅組司会が交代することとなり、小柳ルミ子や浅茅などが候補に挙がる中、前々年まで日本レコード大賞の司会を務めていた森が16年ぶりに司会に復帰した。
出場歌手[編集]
初出場、 返り咲き。
- この年は例年と比べて演歌系のセールスが低調であったことから、5月の段階でニューミュージック系の歌手を多数出演させる方針であることが明らかになる。この時点で、世良正則とツイスト、原田真二、渡辺真知子らが早くも出場内定となった。
- 前回の出場歌手の中より今回不選出となった歌手は以下。
- 歌手発表が迫った11月1日、この年大ヒットを連発したピンク・レディーが出場辞退を発表、紅白辞退の記者会見を行った。この一連の紅白辞退騒動は波紋を呼び、翌年以降の海外挑戦も含め、結果的にピンク・レディー人気の大きな分岐点となった。所属芸能事務所サイドの説明によれば、前回の紅白で本番前にケイが盲腸炎で手術して出場が危ぶまれた時に、NHKにせっつかれた時のその態度に立腹し、「もう1年、トップスターにしっかり君臨して来年ははじめから出場を断ってやろうと考えていた」とのこと。増田恵子によると事務所側が辞退し、辞退の理由を述べるために「記者会見をやらなくちゃいけなくなって」、「辞退したら大変なことになるっていうのは分かってたんですけど」とのちに述べている[5]。大晦日は裏番組『ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!』(日本テレビ系列)に出演となった。
- 古賀政男(当年7月25日没)の追悼として、古賀メロディを数多く歌っていた美空ひばりを紅白に復帰させるべく、「花のステージ」、「ビッグショー」などにひばりを出演させていたが、結局「(紅白歌合戦は)卒業した気持ちだ」と辞退
- 演歌系の低調はこの年いっぱい続き、ベテランのいしだあゆみ、ちあきなおみ、三橋美智也らが落選した。三橋はこの年『電撃わいどウルトラ放送局』(ラジオ関東)でDJを務め若者に人気が出たが、及ばなかった[8]。また、増位山太志郎が「そんな女のひとりごと」で演歌系では珍しくヒットしたが、出場には至らなかった[8]。
- アリスについては、所属レコード会社・東芝EMIは出場を望んでいたが、メンバー自身および所属事務所・ヤングジャパン社長・細川健の意向により出場を辞退した[9][注釈 4]。
- 出場歌手の発表は11月21日であったが、江川事件と日程が被ってしまったためスポーツ新聞での扱いは例年より小さかった[8]。
主なゲスト出演者[編集]
- 紅白初のテレビでのステレオ放送開始[注釈 5][1]。以後、全てステレオ放送。
- 前回の「方向幕による対戦表示」に替わり、今回は両軍の歌手席の前にプラカード立てが設置され、それに「周囲の一部に組の色の縁取りと星」・「上に組名、下に歌手名」で構成されたプラカードを差し入れる様にした。また一部の対戦では、「上に自軍の歌手」・「VS」・「下に相手歌手」で構成された対戦プラカード(たとえば紅組なら「紅組歌手」「VS」「白組歌手)を、ラウンドガールよろしく出場歌手代表に持たせて表示されるという事も行った。
- 「ニューミュージックコーナー」が設けられ、庄野から原田までが6組立て続けに披露した。
- 佐良の歌唱前、森光子は「去年も一昨年も昨一昨年もその前も紅組の司会、本当に御苦労様でございました」「あなたの作り上げてくださった紅組のチームワークに守られて帰り新参の私も頑張っております」と感謝のメッセージを述べた。
- 古賀政男の追悼ステージは、島倉千代子と村田英雄が行った。
- 前述のとおり、演歌が不作であったことから、企画の段階からの今回のトリは人気No.1のポップス系歌手で、という方針は固まっていた。また、ピンク・レディーの裏番組出演に対抗する意味も込めて[10]、山口百恵と沢田研二の対決となった。
- 山口百恵の「プレイバックPart2」では、商品名の「ポルシェ」がNHKの規制に抵触する可能性があったが[注釈 6]、元詞通り歌った。庄野真代の「飛んでイスタンブール」でも、商品名の「ジタン」が同様の規制に抵触する可能性があったが、こちらも元詞通り歌った[11]。なお、当時山口百恵は19歳で、10代の歌手がトリを担当したのはこの1回のみである。
- 沢田は大トリ担当を「俺はアーティストとして、自分の歌を歌い切りたい。出演者全員が並ぶ前で歌うのは、茶化されるようでどうしても嫌」と嫌ったという[12]。
- 白組が優勝(通算14勝15敗)。審査員の山本浩二から山川に優勝旗が授与された。なお審査員の代表による授与は今回で一旦区切りとなり、翌年の第30回以降は再び大会委員長であるNHK放送総局長が行う形となる(第55回(2004年)まで)[注釈 7]。
- 現存するVTRには実況音声が録音されていない。
- 1993年と1999年に『思い出の紅白歌合戦』(BS2)で再放送された。
- 今回以前の再放送時は映像・音声が乱れる場合がある旨が表示されるが、今回以降の再放送時からステレオで放送されたためか、番組内の注意書きで映像が乱れる場合がある旨を伝えている。
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