(Translated by https://www.hiragana.jp/)
宮尾登美子 - Wikipedia コンテンツにスキップ

宮尾みやお登美子とみこ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮尾みやお 登美子とみこ
(みやお とみこ)
文化ぶんか功労こうろうしゃ顕彰けんしょうさいして公表こうひょうされた肖像しょうぞう写真しゃしん
誕生たんじょう (1926-04-13) 1926ねん4がつ13にち
日本の旗 日本にっぽん高知こうちけん高知こうち
死没しぼつ (2014-12-30) 2014ねん12月30にち(88さいぼつ
日本の旗 日本にっぽん東京とうきょう狛江こまえ
職業しょくぎょう 作家さっか
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
ジャンル 小説しょうせつ
代表だいひょうさくかい』(1972ねん
いち絃のきん』(1978ねん
おにりゅういん花子はなこ生涯しょうがい』(1980ねん
じょまい』(1983ねん
天璋院てんしょういんあつしひめ』(1984ねん
ぞう』(1993ねん
おも受賞じゅしょうれき 女流じょりゅう新人しんじんしょう前田まえだとみ名義めいぎ)(1962ねん
太宰だざいおさむしょう(1973ねん
女流じょりゅう文学ぶんがくしょう(1977ねん
直木なおき三十五さんじゅうごしょう(1979ねん
吉川よしかわ英治えいじ文学ぶんがくしょう(1983ねん
文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう読者どくしゃしょう(1989ねん
紫綬褒章しじゅほうしょう(1989ねん
くんよんとう宝冠章ほうかんしょう(1998ねん
菊池きくちひろししょう(2008ねん
文化ぶんか功労こうろうしゃ(2009ねん
親鸞しんらんしょう(2010ねん
デビューさく村芝居むらしばい」(1948ねん
ウィキポータル 文学ぶんがく
テンプレートを表示ひょうじ

宮尾みやお 登美子とみこ(みやお とみこ、1926ねん4がつ13にち - 2014ねん12月30にち)は、日本にっぽん小説しょうせつ高知こうちけん高知こうちまれ。高坂こうさか高等こうとう女学校じょがっこう卒業そつぎょう。『かい』で注目ちゅうもくされて以来いらい緻密ちみつ構成こうせいと、時代じだい翻弄ほんろうされながらもたくましくきる女性じょせいえがいた作風さくふうおおくの読者どくしゃ支持しじされた。高知こうち花柳かりゅうかいそだった体験たいけんかした自伝じでんてき作品さくひんのほか、芸道げいどうぶつ歴史れきしぶつのモデル小説しょうせつすぐれる。文化ぶんか功労こうろうしゃ

人物じんぶつ

[編集へんしゅう]

高知こうち遊郭ゆうかく芸妓げいぎ紹介しょうかいぎょう女衒ぜげん)をいとな岸田きしだたけしわれ愛人あいじんとしてまれる[1]実母じつぼおんな義太夫ぎだゆう。この遊廓ゆうかくのことは『かい』にえがかれている。12さい父母ちちはは離別りべつちちられ、義母ぎぼ喜世きよそだてられる。1943ねん高坂こうさか高等こうとう女学校じょがっこう卒業そつぎょうし、吾川あがわぐん池川いけがわまちげんじん淀川よどがわまち)の安居あんきょ国民こくみん学校がっこう代用だいよう教員きょういんとなる。このころのことは『はるとう』などにくわしい。1944ねん同僚どうりょう前田まえだかおる結婚けっこん心臓しんぞう神経症しんけいしょう発症はっしょうし、ながなやまされる。

1944ねん満蒙まもう開拓かいたくだん一員いちいんとして家族かぞくまんしゅうわたる。長女ちょうじょ出産しゅっさんするが、敗戦はいせんのため辛酸しんさんをなめ、1946ねんおっと実家じっかがある高知こうちげ、農業のうぎょう従事じゅうじ。このまんしゅう体験たいけんは『しゅなつ』にえがかれる。1947ねん肺結核はいけっかく病臥びょうがするなか、『小説しょうせつ新潮しんちょう』などをむ。覚悟かくごし、むすめのこすために日記にっきはじめる[1]。1948ねんはじめての小説しょうせつ村芝居むらしばい」を『文藝ぶんげい首都しゅと』に投稿とうこう。1949ねん次女じじょみ、ははしつくす。1951ねんちちうしなう。1951ねんから1958ねんまで村立そんりつ保育ほいくしょ保母ほぼとして勤務きんむ。1958ねん高知こうちけん社会しゃかい福祉ふくし協議きょうぎかい保育ほいくがかりとして勤務きんむ。1962ねん神戸こうべ取材しゅざいしていたラジオドラマ「真珠しんじゅいえ」がNHK高知こうち放送ほうそうきょくのラジオドラマ脚本きゃくほん募集ぼしゅう佳作かさくいちせきとなり、仕事しごと文筆ぶんぴつ生活せいかつはいる。

1962ねん前田まえだとみいた『れん』で婦人ふじん公論こうろん女流じょりゅう新人しんじんしょう受賞じゅしょう、1963ねんどうさく直木賞なおきしょう候補こうほとなる。おっとからなぐられたことでいえ[1]協議きょうぎ離婚りこん。1964ねん湿地しっちたい」を『高知新聞こうちしんぶん』に連載れんさい前田まえだとみ名義めいぎ)。高知新聞社こうちしんぶんしゃ学芸がくげい記者きしゃ宮尾みやお雅夫まさお再婚さいこんおっと事業じぎょう失敗しっぱい[1]、1966ねんおっととともに上京じょうきょう婦人ふじん女性じょせいのライターをし、あかちゃんとママしゃ就職しゅうしょく。1968ねん第一生命だいいちせいめい住宅じゅうたくてんじる。

1972ねん、それまで劣等れっとうかんかんじていた生家せいかのことを決心けっしんをし、『かい』を自費じひ出版しゅっぱん、1973ねんどうさく太宰だざいおさむしょう受賞じゅしょうし、出世しゅっせさくとなる。1977ねん1がつ、『あきらろう』でだい76かい直木賞なおきしょう候補こうほ同年どうねん、『寒椿かんつばき』でだい16かい女流じょりゅう文学ぶんがくしょう受賞じゅしょう。1979ねん1がつ、『いち絃のきん』でだい80かい直木賞なおきしょう受賞じゅしょう、53さいであった。1983ねん、『じょまい』でだい17かい吉川よしかわ英治えいじ文学ぶんがくしょう受賞じゅしょう[2]

作品さくひんのテーマは一貫いっかんして女性じょせいであり、自伝じでんものから出発しゅっぱつして、さまざまな分野ぶんやしん境地きょうちひらいている。徹底てっていした取材しゅざいられ、小説しょうせつ『きのね』ではじゅうだい市川いちかわだん十郎じゅうろうをとりあげた産婆さんばまでつけし、ききと取材しゅざいをもとにしている[3]

東福門院とうふくもんいん和子わこなみだ』など、歴史れきしなかもてあそばれるはかない女性じょせいえがいた歴史れきし小説しょうせつ有名ゆうめい一方いっぽうで、『クレオパトラ』では、悪女あくじょ悲劇ひげきのヒロインとしてつくりあげられてきたこれまでのクレオパトラぞう否定ひていして、あらたな解釈かいしゃくかびがらせている。また一方いっぽう歴史れきしてき事実じじつからは逸脱いつだつした解釈かいしゃくによる創作そうさくられる[よう出典しゅってん]

2005ねん大河たいがドラマ義経よしつね』は、『宮尾みやおほん 平家へいけ物語ものがたり』と『義経よしつね』が原作げんさく2008ねんには『天璋院てんしょういんあつしひめ』が『あつしひめ』として大河たいがドラマされたほか、2009ねんから放送ほうそうの『さかうえくも』には外部がいぶ諮問しもん委員いいんとして参加さんかしている。

心臓しんぞう神経症しんけいしょう持病じびょうもあって飛行機ひこうきれなかったが[4]、1984ねんクイーン・エリザベス2せいごうおっととともにシンガポールったのがはつ海外かいがい旅行りょこうとなり、1985ねんにはハワイ旅行りょこうき、以後いごはアメリカ、エジプトなどへっている。

2014ねん12月30にち老衰ろうすいのため東京とうきょう狛江こまえ自宅じたく死去しきょ[5]。88さいぼつ[6]墓所はかしょ狛江こまえ岩戸南いわどみなみにあるあかりせいいん戒名かいみょうしゅんぶんいんのぼりさとしみょうあきら大姉だいし

受賞じゅしょうれき

[編集へんしゅう]

著書ちょしょ

[編集へんしゅう]
  • かい私家版しかばん 1972、筑摩書房ちくましょぼう 1973 のちちゅう公文こうぶん、ちくま文庫ぶんこ新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • あきらろう筑摩書房ちくましょぼう 1976 のちちゅう公文こうぶん、ちくま文庫ぶんこ文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • 寒椿かんつばき中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1977 のち文庫ぶんこ新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • いわおぼがき筑摩書房ちくましょぼう 1977 のち文庫ぶんこ改題かいだい夜汽車よぎしゃいわおぼがき』)、集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ角川かどかわ文庫ぶんこ
  • いち絃のきん講談社こうだんしゃ 1978 のち文庫ぶんこ
  • 影絵かげえ筑摩書房ちくましょぼう 1978 のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • おにりゅういん花子はなこ生涯しょうがい文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1980 のち文庫ぶんこ中公ちゅうこう文庫ぶんこ
  • ははのたもと』筑摩書房ちくましょぼう 1980 のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • 伽羅きゃらこう中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1981 のち文庫ぶんこ
  • おんなのあしおと』講談社こうだんしゃ 1981 のち文庫ぶんこ
  • うつくしきものへの巡礼じゅんれい文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1981 のち文庫ぶんこ
  • つむぎのいと 高知新聞社こうちしんぶんしゃ 1981 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • じょまい朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1982 のちちゅう公文こうぶん
  • 『もうひとつの出会であい』海竜かいりゅうしゃ 1982 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 楊梅やまもも(やまもも)のれるころ文化出版局ぶんかしゅっぱんきょく 1982 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • はなのきもの』講談社こうだんしゃ 1983 のち文庫ぶんこ
  • とぼしの朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1984 のち文庫ぶんこ新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 天璋院てんしょういんあつしひめ講談社こうだんしゃ 1984 のち文庫ぶんこ
  • 大人おとなあじ』(つじ嘉一きいち対談たいだん文化出版局ぶんかしゅっぱんきょく 1985 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ中公ちゅうこう文庫ぶんこ改題かいだい土佐とさあじきょうあじ』)
  • してはなく』シーズ 1984
  • しゅなつ集英社しゅうえいしゃ 1985 のち文庫ぶんこ新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 対談たいだんしゅうちいさなはなにもちょう』(吉行よしゆき淳之介じゅんのすけ/水上みずかみつとむ/神津こうづ善行よしゆき/しゃ英雄えいゆう/常盤ひたち新平しんぺい/つなふちけんじょう/小松こまつ伸六しんろく/緒形おがたけん/加賀かが乙彦おとひこ/富山とみやまきよしきん)中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1986 のち文庫ぶんこ
  • おんなのこよみ』講談社こうだんしゃ 1987 のち角川かどかわ文庫ぶんこ
  • はるとう新潮社しんちょうしゃ 1988 のち文庫ぶんこ
  • 『わたしの四季しきれき中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1988 のち文庫ぶんこ
  • 『くらしのうた』(共著きょうちょ:大原おおはら富枝とみえ/篠田しのだももべに/馬場ばばあき/十返とがえり千鶴子ちづこ)朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1988 のち文庫ぶんこ
  • 松風まつかぜいえ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1989 のち文庫ぶんこ
  • 『きのね-柝のおと朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1990 のち文庫ぶんこ新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 菊亭きくていはちひゃくぜんひとびと新潮社しんちょうしゃ 1991 のち文庫ぶんこ中公ちゅうこう文庫ぶんこ
  • 宮尾みやお登美子とみこ全集ぜんしゅう ぜん15かん 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1992 - 1994
  • ぞう毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1993 のちちゅう公文こうぶん角川かどかわ文庫ぶんこ
  • 東福門院とうふくもんいん和子わこなみだ講談社こうだんしゃ 1993 のち文庫ぶんこ
  • きくませ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1995 のち文庫ぶんこ
  • 『クレオパトラ』朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1996 のち文庫ぶんこ新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 記憶きおく断片だんぺん飛鳥新社あすかしんしゃ 1996 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ分冊ぶんさつ改題かいだい 『おはり道具どうぐ - 記憶きおく断片だんぺん』『成城せいじょうのとんかつやさん - 記憶きおく断片だんぺん』)
  • 天涯てんがいはな集英社しゅうえいしゃ 1998 のち文庫ぶんこ
  • 『はずれの角川書店かどかわしょてん 1998 のち文庫ぶんこ
  • 『きものがたり』世界文化社せかいぶんかしゃ 1999 のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • 仁淀川によどがわ新潮社しんちょうしゃ 2000 のち文庫ぶんこ
  • 宮尾みやおほん 平家へいけ物語ものがたりぜん4かん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 2001 - 2004 のち文庫ぶんこ文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • 『めぐるぶしきて』講談社こうだんしゃ 2002
  • 平家ひらか物語ものがたりおんなたち』朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 2004
  • 義経よしつね日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい 2004 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 湿地しっちたい新潮社しんちょうしゃ 2007 のち文庫ぶんこ
  • あつしひめ生涯しょうがい日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい 2007
  • にしき中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ 2008[ちゅう 1]
  • きてゆくちから海竜かいりゅうしゃ 2009[ちゅう 2]

海外かいがいへの翻訳ほんやく

[編集へんしゅう]

台湾たいわん

[編集へんしゅう]
  • 一絃琴いちげんきん』(2011、如果出版しゅっぱん
  • 天璋院てんしょういんあつしひめぜん2かん(2010、如果出版しゅっぱん
  • 宮尾みやおほん平家へいけ物語ものがたりぜん4かん(2007、遠流おんる出版しゅっぱん
  • あきらろう』(2006、遠流おんる出版しゅっぱん
  • 有緣うえん無緣むえん』(『かい』)(1996、實學じつがくしゃ
  • おにりゅういん花子はなこてき一生いっしょう』(1996、實學じつがくしゃ
  • くらぜん2かん(1996、實學じつがくしゃ
  • かん樁』(1993、麥田むぎた出版しゅっぱん

中国ちゅうごく(簡化

[編集へんしゅう]
  • 一弦琴いちげんきん刊行かんこう予定よてい吉林きつりん出版しゅっぱんしゅう团有げん责任公司こうし
  • 天璋院てんしょういん笃姬 (2011、吉林きつりん出版しゅっぱんしゅう团有げん责任公司こうし

映像えいぞう作品さくひん

[編集へんしゅう]
映画えいが
テレビドラマ

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b 明治めいじ大正たいしょう昭和しょうわにかけて活躍かつやくした、初代しょだいりゅうむら平藏ひらぞうをモデルにした長編ちょうへん小説しょうせつ
  2. ^ 発売はつばいぜん仮題かだい人生じんせいのあしあと』。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d まなぼ「~作家さっか宮尾みやお登美子とみこさんのかた~」弘前ひろさき市役所しやくしょ
  2. ^ 以上いじょう、『宮尾みやお登美子とみこ世界せかい朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、「宮尾みやお登美子とみこ軌跡きせき
  3. ^ 『きのね』文庫ぶんこばん下巻げかんあとがき、新潮社しんちょうしゃ平成へいせい11ねん4がつ1にち
  4. ^ 加賀かが乙彦おとひこ宮尾みやおさんのこと」『宮尾みやお登美子とみこ世界せかい朝日新聞社あさひしんぶんしゃ
  5. ^ 宮尾みやお登美子とみこ”. www.asahi-net.or.jp. 2022ねん6がつ30にち閲覧えつらん
  6. ^ 作家さっか宮尾みやお登美子とみこさん死去しきょ 「じょまい」「くら」”. 朝日新聞あさひしんぶん. (2015ねん1がつ7にち). http://www.asahi.com/articles/ASH174R2LH17UCLV00G.html 2015ねん1がつ7にち閲覧えつらん 

評伝ひょうでん

[編集へんしゅう]
  • 宮尾みやお登美子とみこ世界せかい朝日新聞社あさひしんぶんしゃへん朝日新聞あさひしんぶん出版しゅっぱん、2004
  • 大島おおしま信三しんぞう宮尾みやお登美子とみこ 遅咲おそざきの人生じんせい芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、2016。もと産経新聞さんけいしんぶん編集へんしゅう委員いいん
  • 風韻ふういんしょう宮尾みやお登美子とみこ仕事しごと 写真しゃしんぶんつづ作家さっか心象しんしょう世界文化社せかいぶんかしゃ、2016
  • はやし真理子まりこつづおんな 評伝ひょうでん宮尾みやお登美子とみこ中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ、2020/中公ちゅうこう文庫ぶんこ、2023。解説かいせつ綿めんりさ

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]