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おんな義太夫ぎだゆう

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おんな義太夫ぎだゆう(おんなぎだゆう)、またはむすめ義太夫ぎだゆう(むすめぎだゆう)は、女性じょせいによる義太夫ぎだゆうかたり。現在げんざいでは「女流じょりゅう義太夫ぎだゆう(じょりゅうぎだゆう)」と[1]りゃくして「おんなよし(じょぎ)[2]」と[3]

むすめ義太夫ぎだゆう竹本たけもと京子きょうこ京枝きょうえ

太夫たゆう1めい三味線しゃみせん1めい演奏えんそうされるのが基本きほんである。番組ばんぐみによっては、太夫たゆう三味線しゃみせん複数ふくすうになることがあり、ほかにそうくわわることもある。むすめ義太夫ぎだゆうでの三味線しゃみせんは、太棹ふとざおばれる三味線しゃみせんのなかでもっとも大型おおがたで、かつ音域おんいきひくいものがもちいられる。演奏えんそうは、劇場げきじょう寄席よせなどにおいて、人形にんぎょうなどの団体だんたい合同ごうどう公演こうえんもあるが、おおくの場合ばあい人形にんぎょう/歌舞伎かぶきなどがともなわない浄瑠璃じょうるりにておこなう。衣装いしょうは、なつしろふゆしろ着物きものに、大夫たいふ/三味線しゃみせんともにぞろいの肩衣かたぎぬはかまをつけておこなう。

歴史れきし[編集へんしゅう]

女性じょせいによる義太夫ぎだゆうかたりは、江戸えど後期こうき文化ぶんか文政ぶんせいごろからおこなわれていたが、水野みずの忠邦ただくに天保てんぽう改革かいかくじょ芸人げいにん禁止きんしされるとすたれていった。この時代じだい寄席よせにもしてもらえずに、よしずりの小屋こやヒラキ)で興行こうぎょうをしていて、「おんなふとし(たれぎだ)」などとばれてかるんじられていた[4][5]

しかし、明治維新めいじいしん以降いこう文化ぶんか政策せいさく改変かいへんのなかで、1877ねん明治めいじ10ねん)の寄席よせ取締とりしまり規則きそくによって女性じょせい芸人げいにん法的ほうてきにもみとめられるようになると、寄席よせげいいちジャンルとして、江戸えど以上いじょう隆盛りゅうせいをみるようになる。1880年代ねんだいになると、1882ねん明治めいじ15ねん)に名古屋なごやから竹本たけもと京枝きょうえ一門いちもんれて東京とうきょううつり、1885ねんには大阪おおさか竹本たけもとひがしだま門下もんかとともに東京とうきょうて、この二人ふたり実力じつりょくしゃや、竹本たけもと越路こしじ大夫たいふ男性だんせい義太夫ぎだゆう活躍かつやくによって、東京とうきょうでのむすめ義太夫ぎだゆう寄席よせ急増きゅうぞうする。義太夫ぎだゆう人数にんずうも1875ねんから1887ねんにかけて男女だんじょとも3 - 5ばい増加ぞうかした(『しょ芸人げいにんめいろく』『統計とうけいしゅう』)。

大阪おおさかではゆたかちくりょのぼる人気にんきで、東京とうきょうでは1887ねんには大阪おおさかから上京じょうきょうした竹本たけもと綾之あやのすけ空前くうぜん人気にんきとなり、芸能げいのうでの人気にんき歌舞伎かぶき二分にぶんするほどになった。東京とうきょうでは人形にんぎょうまち宮松みやまつ両国りょうこく本郷ほんごう若竹わかたけ吾妻橋あづまばしひがしきょうていや、新柳しんりゅうなどが真打しんうち寄席よせで、そのには弟子でしさせていた[6]

このころ内容ないよう佳境かきょうにさしかかると、客席きゃくせきにいる書生しょせいらの熱心ねっしん見物けんぶつから、「どうする、どうする」とこえがかかった。このことから、そうした見物けんぶつを「どうすりれんどうするれん」とんだ。とくはげしいもの手拍子てびょうしち、茶碗ちゃわんそここすわせてさわぐほど熱狂ねっきょうしたという。また、人力車じんりきしゃ後押あとおしをしたり、むすめ義太夫ぎだゆう日本髪にほんがみ熱演ねつえんのあまりみだれ、かんざしがかみからちる(演出えんしゅつである)と、それをひろおうと場内じょうない混乱こんらんすることもあった。15・6さいほどの年端としはもいかない少女しょうじょ熱狂ねっきょうする若者わかものたちのようは、現代げんだいアイドルのそれにもおおたとえられる。綾之あやのすけが1898ねん引退いんたいしたのち人気にんきとなった竹本たけもと京子きょうこには花菱はなびしれんいとなりれんなど、人気にんき義太夫ぎだゆうにはひいき連中れんちゅう組織そしきつくられた。やがてひいき連中れんちゅう太夫たゆう自身じしんらの不品行ふひんこう問題もんだいとなり、1900ねん黒岩涙香くろいわるいこう経営けいえいする『まんあさほうは「ひきむすめ義太夫ぎだゆうごときにきょうする」ことを「腐敗ふはい々々、青年せいねん道心どうしんだい腐敗ふはい危険きけん々々、社会しゃかい風教ふうきょうだい危険きけん」と批判ひはんし、どうするれんもややりをひそめた。

ゆたかちくりょのぼる

1900ねんには、ゆたかちくりょのぼりゆたかちくのぼりすけのぼりきく姉妹しまい代目だいめ綾之あやのすけなどが上京じょうきょうして人気にんきとなる。このころ東京とうきょうむすめ義太夫ぎだゆうは1000にんえ、地方ちほう都市としでも興行こうぎょうおこなったが、東京とうきょうほどの人気にんきられなかった。

志賀しが直哉なおや学生がくせい時代じだいの1903ねんごろからのぼりすけ熱烈ねつれつなファンになって寄席よせがよいしたことが日記にっきしるされており、1908ねんのぼりすけ結婚けっこんには木下きのした杢太郎もくたろうのぼりきくねつげ、「はなの「のぼりきくのぼりすけ」」をうたったのこしている。また高浜たかはま虚子きょし竹本たけもとしょう土佐とさおもれし、小説しょうせつ俳諧はいかい』では主人公しゅじんこうむすめ義太夫ぎだゆうしょうひかり姿すがたえがかれている。日常にちじょう生活せいかつのなかにもむすめ義太夫ぎだゆうをおろした。社会しゃかい主義しゅぎしゃらの集会しゅうかいなどでも、余興よきょうとしてむすめ義太夫ぎだゆうたのしむといったことがあり、たとえば『ひかりだい1かんだい11ごう(1906ねん4がつ)に掲載けいさいの「日本にっぽん社会党しゃかいとう茶話ちゃばなしかい」という記事きじちゅうに、「……だんおわるや余興よきょうとしてぼうじょう義太夫ぎだゆう、……」といった報告ほうこくがみられる。

にち戦争せんそうのち浪花節なにわぶし薩摩琵琶さつまびわなどが流行りゅうこうし、1923ねん大正たいしょう12ねん)の関東大震災かんとうだいしんさい以降いこうむすめ義太夫ぎだゆう人気にんき急速きゅうそくおとろえた。

現状げんじょう[編集へんしゅう]

現在げんざいでは、国立こくりつ演芸えんげいじょう東京とうきょう台東たいとうの「お江戸えど上野うえの広小路ひろこうじてい」で定期ていきてき開催かいさいされる女流じょりゅう義太夫ぎだゆう演奏えんそうかいをはじめ、さまざまな機会きかい女流じょりゅう義太夫ぎだゆうくことができ、ファン・支持しじしゃ裾野すその徐々じょじょにではあるがひろがりつつある。また、浄瑠璃じょうるり担当たんとうしゃ不足ふそくしている芝居しばい参加さんかしたり、一度いちど上演じょうえん途絶とだえた芝居しばい再興さいこう協力きょうりょくするひとし活動かつどうもおこなっている。

ビートたけし祖母そぼである北野きたのうしは、竹本たけもと八重子やえこというむすめ義太夫ぎだゆうであった。

おもおんな義太夫ぎだゆう演者えんじゃ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ おんな義太夫ぎだゆう」というかたは、たとえば『演劇えんげき百科辞典ひゃっかじてん』(平凡社へいぼんしゃ)や『国史こくしだい辞典じてん』(吉川弘文館よしかわこうぶんかん)で「おんな義太夫ぎだゆう」としてたてこうされ、おなじく「むすめ義太夫ぎだゆう」というかたは、『日本にっぽん歴史れきしだい事典じてん』(小学館しょうがくかん)で「むすめ義太夫ぎだゆう」としてたてこうされているが、21世紀せいきはいってからは「女流じょりゅう義太夫ぎだゆう」が一般いっぱんてきである。
  2. ^ 「のう、じょぎ、ろう」イベント告知こくち
  3. ^ られざる芸能げいのう むすめ義太夫ぎだゆう』p.195-196
  4. ^ ぞくに「たれ義太夫ぎだゆう」ともいい、「タレぎだ」は楽屋がくや用語ようごである。かつら文楽ぶんらく『あばらかべっそん』、さんゆうていえんせい寄席よせきり絵図えずとく義太夫ぎだゆう出身しゅっしんえんせいっていたが、現在げんざい女性じょせいをタレとぶことが蔑視べっしてきであるため、使つかわれなくなった。
  5. ^ 日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい日本にっぽん放送ほうそう』1951年刊ねんかん。の巻頭かんとう写真しゃしん説明せつめいに「初期しょき放送ほうそう」に竹本たけもと綾之あやのすけ以下いかむすめ義太夫ぎだゆういちめい「たれぎだ」)とある
  6. ^ 篠田しのだ鉱造こうぞう明治めいじひゃくした)』岩波書店いわなみしょてん 1996ねん(「明治めいじむすめ義太夫ぎだゆう」)

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • むすめ問題もんだい扇谷おうぎやあきらちょ (日高ひだかゆうりんどう, 1912) [1]
  • 岡田おかだ道一みちかず明治めいじ大正たいしょうおんな義太夫ぎだゆう盛觀せいかん物語ものがたり』、明徳めいとく印刷いんさつ出版しゅっぱんしゃ、1953ねん10がつ
  • 倉田くらた喜弘よしひろ明治めいじ大正たいしょう民衆みんしゅう娯楽ごらく岩波書店いわなみしょてん 1980ねん
  • 水野みずの悠子ゆうこられざる芸能げいのうむすめ義太夫ぎだゆう-スキャンダルと文化ぶんかのあいだ』(『中公新書ちゅうこうしんしょ』1412)、中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1998ねん4がつISBN 4-12-101412-X
  • 水野みずの悠子ゆうこ編著へんちょむすめ義太夫ぎだゆう-人名じんめいろくとその寄席よせ』(国立こくりつ劇場げきじょう調査ちょうさ養成ようせい芸能げいのう調査ちょうさしつへん演芸えんげい資料しりょう選書せんしょ』7)、日本にっぽん芸術げいじゅつ文化ぶんか振興しんこうかい、2000ねん3がつ
  • 水野みずの悠子ゆうこ江戸えど東京とうきょうむすめ義太夫ぎだゆう歴史れきし』、法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく、2003ねん3がつISBN 4-588-32506-X
  • 倉田くらた喜弘よしひろ芝居しばい小屋こや寄席よせ近代きんだい――「娯楽ごらく」から「文化ぶんか」へ』岩波書店いわなみしょてん、2006ねん
  • 竹本たけもともときょう ちょ 加藤かとう雅俊まさとし へんがたおんな義太夫ぎだゆういちだいくさおもえしゃ、1990ねんISBN 9784794203656
  • 倉田くらた喜弘よしひろ/はやしよしひめ近代きんだい日本にっぽん芸能げいのう年表ねんぴょう 付属ふぞく資料しりょう/索引さくいん ぜん2かんISBN 9784843341407
  • [2] 無料むりょう公開こうかいふるさとの偉人いじんマンガ「人間にんげん国宝こくほう 鶴澤つるさわとも発行はっこう 兵庫ひょうごけんみなみあわじ みなみあわじ教育きょういく委員いいんかい 2023ねん3がつ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]