(Translated by https://www.hiragana.jp/)
三味線 - Wikipedia コンテンツにスキップ

三味線しゃみせん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
三味線しゃみせんおんな喜多川きたがわ歌麿うたまろ江戸えどはな むすめ浄瑠璃じょうるりとおる3ねん(1803ねん)。

三味線しゃみせん(しゃみせん)は、日本にっぽんゆうざお弦楽器げんがっき。もっぱらたまはじいて演奏えんそうされるばち弦楽器げんがっきである。四角よつかどじょう扁平へんぺい木製もくせいどう両面りょうめんねこいぬかわり、どう貫通かんつうしてびるざおられたつるを、通常つうじょうイチョウかたちをしたばちばち演奏えんそうする。

概説がいせつ

[編集へんしゅう]
三味線しゃみせん

成立せいりつ15世紀せいきから16世紀せいきにかけてとされ、戦国せんごく時代じだいえいろく年間ねんかん(1558~1569)に琉球りゅうきゅう現在げんざい沖縄おきなわけん)から大阪おおさかさかい伝来でんらいしたもの[1]おおくの和楽わらくくらべ「あたらしい楽器がっき」である。基本きほんてきにはヘラじょうばちもちいるが、三味線しゃみせん音楽おんがく種目しゅもくにより細部さいぶ差異さいがある。近世きんせい邦楽ほうがく世界せかいとく地歌じうた箏曲そうきょく世界せかいさんきょくとうでは「さんげんさんげん」、または「三絃さんげん」と呼称こしょうし、表記ひょうきすることおおい。雅語がごとして「みつのお(みっつのいとぐち)」とばれることもある。沖縄おきなわけん鹿児島かごしまけん奄美あまみ群島ぐんとうではさんせんさんしんともぶ。

楽器がっき本体ほんたいは「天神てんじん」(いとくら)、「ざお」(ネック)、「どう」(ボディ)からる。さらにざおうえざおちゅうざおしたざおの3つに分割ぶんかつ出来できるものがおおく、このようなざおを「みっれ」という。これはおも収納しゅうのうはこびの便びんのため、またざおくるいがしょうじにくくするためである。分割ぶんかつされていないものもあり、「延棹のべざおのべざお」としょうされる。ぎゃくに5つ以上いじょう分割ぶんかつできるものもある。

素材そざいには高級こうきゅうひんではコウキざいインドさん)をもちいるが、シタンカリンはなりんざいタイ王国おうこくミャンマーラオスなどの東南とうなんアジアさん)のざおもある。以前いぜんカシクワせいおおかった。最近さいきん一部いちぶではスネークウッドを使つかうこともある。特殊とくしゅなものとしてビャクダンタガヤサン使つかうこともある。かた緻密ちみつ比重ひじゅうたかいとされる。どうすべはなりんせいだがむかしくわケヤキのものもあった。上級じょうきゅうひんでは、内側うちがわめん(のみ)でこまかな模様もよういちめんむ。これを「あやすぎ」といい、ひびきをくするとわれている。

三味線しゃみせん練習れんしゅうをしているねこ

かわ一般いっぱん琉球りゅうきゅうさんせんニシキヘビかわことなり、ねこはらいぬかわ使用しようしていたが、高価こうかことと、動物どうぶつ愛護あいごほう観点かんてんから現在げんざい両方りょうほうとも使用しようされなくなってきており、代替だいたい素材そざいとしてひつじがわ合成ごうせい皮革ひかくうつわっているが、津軽つがる三味線しゃみせん例外れいがいのぞいぬかわ使用しようする。めすねこ交尾こうびさいねこかわかれてしまうためめすねこかわもちいる場合ばあい交尾こうび経験けいけん個体こたいえらことのぞましいとわれることもある。実際じっさいには交尾こうびまえわかねこかわうすためきずなおったある程度ていどあつみのかわ使用しようすることがおおい。合成ごうせい製品せいひん使用しようする場合ばあいもあるが、音質おんしつおとるためこのまれない。三味線しゃみせんおとすためには、どうおおきさの範囲はんいないあつみのあるかわ使つかうことが必須ひっすとなる。このため牛革ぎゅうかわではおおきすぎる。しょう動物どうぶつ入手にゅうしゅ容易ようい理由りゆうで、琉球りゅうきゅう時代じだいさんせんから改変かいへんねこいぬ使用しようされ、試行錯誤しこうさくごすえ江戸えど時代じだい現在げんざいかたち完成かんせいされた。現在げんざいは、ねこいぬかわはほとんどが輸入ゆにゅうひんである。また、かわ以外いがいざお材料ざいりょうべにをはじめどうざお材料ざいりょうであるはなりん糸巻いとまきに使用しようされる象牙ぞうげ黒檀こくたんばち使つか鼈甲べっこうなども同様どうようである[2]

現代げんだいでは、どう合成ごうせいるなどした簡易かんいばん三味線しゃみせん製作せいさくされている。入門にゅうもんようや、動物どうぶつ愛護あいご重視じゅうしする欧米おうべい観光かんこうきゃく日本にっぽん土産みやげとして購入こうにゅうされている[3]ねこなどのかわ使つかっているとって三味線しゃみせんならうことを躊躇ちゅうちょするひともいるため、三味線しゃみせんっても音質おんしつ人工じんこう皮革ひかく開発かいはつした職人しょくにんもいる[4]

いとつる)はさんほんで、きぬせい絹糸けんし白色はくしょくだが、ウコンこな黄色きいろ染色せんしょくする。これは、江戸えど時代じだいまでの、絹糸けんし採取さいしゅするカイコまゆ黄色きいろであったことを反映はんえいしたものとかんがえられている。津軽つがる三味線しゃみせんかんしては、ナイロンテトロンせいいともちいることもある。ふとかたかまえたさい手前てまえほう)からじゅんに「いちいと」「いと」「さんいと」とぶ。それぞれ様々さまざまふとさがあり、三味線しゃみせん音楽おんがく種目しゅもくごとに使用しようするサイズがことなる。

三味線しゃみせんひと

通常つうじょういちいとちかくに「さわり」とばれるシタールの「ジュワリ英語えいごばん」と同種どうしゅのしくみがある。これはいちいと開放かいほうつるをわずかにざお接触せっしょくさせることによって「ビーン」というおとさせるもので、倍音ばいおん成分せいぶんやして音色ねいろあじけ、ひびきをばす効果こうかがある。これによってはっするおと一種いっしゅのノイズであるが、三味線しゃみせんおとにはかせないものである。「さわり」の機構きこう楽器がっき琵琶びわなどほかにもあるが、三味線しゃみせん特徴とくちょういちいとのみに「さわり」がついているにもかかわらず、いとさんいと特定とくていさえる場所ばしょにも(調しらべつるほうにより変化へんかする)、共鳴きょうめいによって同様どうよう効果こうかをもつおとがあることである。これによりひびきがゆたかになるとともに、調しらべつる種類しゅるいにより共鳴きょうめいするおとわるので、その調しらべつるほう独特どくとく雰囲気ふんいきをかもし要因よういんともなっている。「ひがしさわり」とばれるざおんだ、螺旋らせんしきのさわりもある。

調しらべつる

[編集へんしゅう]

三味線しゃみせんにあっては、調しらべつる複数ふくすうのパターンがあり、きょくによって、またきょく途中とちゅうでも調しらべつる変化へんかさせる。基本きほん調しらべつるつぎとおりである。調しらべつるほう多種たしゅあるのは、ことなる調ちょう対応たいおうするためと、ひびきによる雰囲気ふんいきちがいのためである(くわしくは「地歌じうた」を参照さんしょう)。現在げんざいでは三味線しゃみせん調しらべつる対応たいおうしたチューニング・メーター販売はんばいされている。

ほん調子ちょうしほんちょうし
いちいとたいし、いと完全かんぜん4たかく、さんいとオクターブたかわせる。いちいとがCならばいとはF、さんいとたかいCとなる。
二上にあがにあがり
いちいとたいし、いと完全かんぜん5たかく、さんいとをオクターブたかわせる。ほん調子ちょうしいとげるとこの調子ちょうしになることから。沖縄おきなわけんでは「げ」ともう。C-G-Cとなる。
三下さんさがさんさがり
いちいとたいし、いと完全かんぜん4たかく、さんいとたん7たかわせる。ほん調子ちょうしさんいとげるとこの調子ちょうしになることから。沖縄おきなわけんでは「さんげ」ともう。C-F-B♭となる。

種類しゅるい

[編集へんしゅう]

伴奏ばんそうする内容ないようわせていくつかの種類しゅるいがある。一般いっぱんに、ほそざおちゅうざお太棹ふとざお大別たいべつされる。

ほそざお

[編集へんしゅう]

ちゅうざお

[編集へんしゅう]
  • 常磐津ときわづ三味線しゃみせんちゅうざお
  • 清元きよもと三味線しゃみせんちゅうざお
  • 地歌じうた三味線しゃみせんちゅうざおたかいポジションを多用たようするため、ざおどうとの接合せつごう三味線しゃみせんとはことなっている。「津山つやまばち」という象牙ぞうげせいばちもちいる。
地歌じうた三味線しゃみせん自体じたいは「さんげん三絃さんげん)」とばれることおおい。「さんきょく」ともばれ、地歌じうたおよそう胡弓こきゅう尺八しゃくはちとの合奏がっそう使用しよう
  • 新内しんない三味線しゃみせんちゅうざおつめもちい、って演奏えんそうする「新内しんないながし」が有名ゆうめい

太棹ふとざお

[編集へんしゅう]

その

[編集へんしゅう]
柳川やながわ三味線しゃみせんきょう三味線しゃみせん
三味線しゃみせんもっとふるかたちほそざおよりさらほそい。
さんせんさんしん
沖縄おきなわけん鹿児島かごしまけん奄美あまみ群島ぐんとうもちいられる。日本にっぽん本土ほんどのものより小型こがたでスケールもみじかく、インドネシアニシキヘビかわと、黒檀こくたんせいうるしりのざお特徴とくちょうがある。ばち本土ほんどのものとはことなり、水牛すいぎゅうかくつくられたつめ沖永良部島おきのえらぶしま以南いなん)や、たけうすけずったほそ棒状ぼうじょうのもの(奄美あまみ大島おおしま喜界島きかいじま徳之島とくのしま)でく。
ゴッタン
かつて薩摩さつまはん支配しはいにあった奄美あまみ群島ぐんとう以南いなんのぞ鹿児島かごしまけん全域ぜんいきから、隣接りんせつする宮崎みやざきけん一部いちぶのこ楽器がっき全体ぜんたいすぎざいつくられ、どう部分ぶぶんには動物どうぶつかわらず板張いたばりされている。
よん代目だいめきね佐吉さきち考案こうあんによるもの
よん代目だいめきね佐吉さきち1884ねん - 1945ねん)は、より低音ていおん演奏えんそう可能かのうとしたセロ三味線しゃみせん、また巨大きょだいしてさらに低音ていおん演奏えんそう可能かのうとしただい三味線しゃみせんごう絃)開発かいはつした[5]同氏どうしはまた逓信ていしんしょう技師ぎし石田いしだ一治いちじ開発かいはつした電気でんき三味線しゃみせん咸絃かんげん」も開発かいはつ演奏えんそうしている[5][6]

歴史れきし関連かんれん楽器がっき

[編集へんしゅう]

三味線しゃみせん楽器がっき分類ぶんるいがくうえリュートぞく」にぞくし、そのなかでもどうながざおんだ形状けいじょうをしており、このような楽器がっき世界せかい各地かくちられ、ギターシタールおな仲間なかまなされている。いっぽうおなじリュートぞくでも琵琶びわやリュートなどざおどう一体化いったいかもしくはそれにちかいものとはべつ系統けいとうとされる。

楕円だえんがたどうかわり、棒状ぼうじょうながざおけたリュートぞく弦楽器げんがっきは、すでに古代こだいエジプト壁画へきがられる。しかしこれが三味線しゃみせん直接的ちょくせつてき祖先そせんかどうかはからない。一方いっぽうおなじような楽器がっき中国ちゅうごくはただいにもあらわれ、やがて奚琴となり、トルコぞくによって中東ちゅうとうつたえられてラバーブになった。このラバーブがのち中東ちゅうとうおよイラン(ペルシャ)のセタールとなったというせつがある(胡弓こきゅう演奏えんそうはら一男かずおによる「こす弦楽器げんがっき奚琴起源きげんせつ」)。セタールは「3つのつるいと)」のであり、これが三味線しゃみせん祖先そせんとされる。のち中国ちゅうごくはいり、さんげん(サンシェン)がまれる。 琉球りゅうきゅう王国おうこく現在げんざい沖縄おきなわけん)と中国ちゅうごく大陸たいりくふくしゅう)との貿易ぼうえきにより琉球りゅうきゅうにもたらされ、宮廷きゅうてい音楽おんがくれられてさんせん(サンシン)となった。そのため、沖縄おきなわけんでは「サンシン」と「シャミセン」とのふたつの呼称こしょう併存へいそんしている。

16世紀せいきすえ琉球りゅうきゅう貿易ぼうえきによりさかい宮廷きゅうてい音楽おんがくさんせんがもたらされ、さかい琵琶びわ法師ほうしなか小路こうじ(なかのこうじ)により琉球りゅうきゅうの“蛇皮線じゃびせんじゃびせん”が三味線しゃみせんへと改良かいりょうされた[7][8]現存げんそんする豊臣とよとみ秀吉ひでよし淀殿よどどののためにつくらせた三味線しゃみせんよどみ」は、華奢きゃしゃではあるがすでに基本きほんてき現在げんざい三味線しゃみせんとほとんどわらない形状けいじょうしめしている。伝来でんらい楽器がっきとしてのさんせんにはとうみち盲人もうじん音楽家おんがくかたちによってくわえられていったとするせつがあり、さんせんつめ使つかって弾奏だんそうしていたのをあらため、かれらが専門せんもんとする「平曲へいきょく平家琵琶へいけびわ)」のばち援用えんようしたのもそのあらわれとわれる。かれらは琵琶びわ音色ねいろしぶさや重厚じゅうこうかん劇的げきてき表現ひょうげんりょくなどを、どちらかといえば軽妙けいみょう音色ねいろ三味線しゃみせんくわえるためにさまざまな工夫くふうほどこしたとおもわれる。とりわけ安土あづち桃山ももやま時代じだいから江戸えど初期しょきにかけて活動かつどうした石村いしむら検校けんぎょうは、三味線しゃみせん改良かいりょう芸術げいじゅつ音楽おんがく地歌じうた成立せいりつおおきくかかわった盲人もうじん音楽家おんがくかだと推測すいそくされている。

こうして軽重けいちょう哀楽あいらく幅広はばひろ表現ひょうげん可能かのうとなった三味線しゃみせんもちいて、江戸えど時代じだいはいるとすぐ石村いしむら検校けんぎょうらにより最初さいしょ三味線しゃみせん音楽おんがく種目しゅもくである地歌じうたみだされた。また、かたものである浄瑠璃じょうるり伴奏ばんそう楽器がっきとしてれられ、以降いこう三味線しゃみせん音楽おんがくは「うたいもの」「かたりもの」のふたつのながれにかれ、さらに分化ぶんかかえして発展はってんしていく。都市とし芸術げいじゅつ音楽おんがくから流行りゅうこう、やがて地方ちほう民謡みんようにまでさかんに使つかわれるようになり、様々さまざま近世きんせい邦楽ほうがくをリードし、ささえ、改良かいりょうくわえられ、三味線しゃみせん日本にっぽん代表だいひょうする弦楽器げんがっきとなった。

江戸えど時代じだい後期こうき文政ぶんせい年間ねんかん長崎ながさき出島でじま滞在たいざいしたオランダ商館しょうかんちょうヘルマン・フェリックス・メイラン在職ざいしょく: 1826ねん - 1830ねん)は、日本にっぽん音楽おんがく事情じじょうについて「楽器がっきなかでは三味線しゃみせん一番いちばんひろくもちいられる」としるしている[9][10]

三味線しゃみせんかんする言葉ことば地名ちめい

[編集へんしゅう]
日原ひのはらふみ
  • 相手あいてに「調子ちょうしわせて」油断ゆだんさせることを「三味線しゃみせんく」という。スポーツの予選よせんにおけるきで、本来ほんらい実力じつりょくかくしてライバルを油断ゆだんさせることなど。よく表現ひょうげんの「口三味線くちじゃみせんくちじゃみせん」は、くち三味線しゃみせん音色ねいろ真似まねことから相手あいてだます、偽物にせもの虚言きょげんという意味いみ
  • シャミセンガイは、うであし動物どうぶつもんうであしつなあなシャミセンガイぞくする動物どうぶつからどうながざお見立みたてたもの。
  • ナズナアブラナ植物しょくぶつ)の俗名ぞくみょうとして「ペンペン草ぺんぺんぐさ」がある。これは果実かじつ三味線しゃみせんばちているため、三味線しゃみせんおん擬音ぎおん「ペンペン」をかんしたもの。
  • 漁業ぎょぎょう従業じゅうぎょうしゃ魚釣さかなつりの愛好あいこうあいだでは、疑似ぎじえさ材料ざいりょう使用しようされるねこかわを「シャミ」とぶ。
  • 三味線しゃみせんとう - 香川かがわけん坂出さかいでにある三味線しゃみせんかたちをしたしま[11]
  • 三味線しゃみせんきょう - 東京とうきょう中野なかのにある「なごりきょう」。このちかくでいつも三味線しゃみせん音色ねいろがしていたことから「三味線しゃみせんきょう」とばれるようになったとつたわる[12]
  • 三味線しゃみせんほり - 東京とうきょう台東たいとうにあったほり[13][14]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 瞽女ごぜ民俗みんぞく』、1983ねん3がつ10日とおか発行はっこう佐久間さくまあつしいち岩崎いわさき美術びじゅつしゃ、P6。
  2. ^ 三味線しゃみせんについて|高橋たかはしさかえすいのウエブサイト、2024ねん2がつ22にち閲覧えつらん
  3. ^ 動物どうぶつがわ使つかわない三味線しゃみせん葛飾かつしか工房こうぼう開発かいはつ合成ごうせい代用だいよう 欧米おうべいからの観光かんこうきゃく人気にんき」『読売新聞よみうりしんぶん読売新聞社よみうりしんぶんしゃ、2018ねん4がつ11にち朝刊ちょうかん都民とみんめんオリジナルの2018ねん4がつ14にち時点じてんにおけるアーカイブ。
  4. ^ 石井いしい宏樹ひろき (2022ねん5がつ14にち). “人工じんこう皮革ひかく使つか三味線しゃみせんらしい音質おんしつ実現じつげん 工房こうぼういとな中野なかのたかやすしさん開発かいはつ動物どうぶつかわたよっては未来みらいない」”. 東京とうきょう新聞しんぶん TOKYO Web. 中日新聞ちゅうにちしんぶん東京とうきょう本社ほんしゃ. 2022ねん5がつ17にち閲覧えつらん
  5. ^ a b 田中たなか, 編著へんちょ 2009、p. 102。
  6. ^ 「MJ 無線むせん実験じっけん編集へんしゅう へん無線むせん実験じっけん いちきゅうよんいちきゅうさん』(復刻ふっこくダイジェストばんまことぶんどう新光しんこうしゃ、1987ねん6がつ、29ぺーじISBN 4416187130 
  7. ^ さんげん うみえて—アジアから日本にっぽんへ—|ステージなび”. [どらく] DOらく. 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ. pp. 1-2 (2012ねん9がつ21にち). 2012ねん9がつ22にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2012ねん9がつ23にち閲覧えつらん
  8. ^ 伊敷いしき けん琉球りゅうきゅう王国おうこく真実しんじつ : 琉球りゅうきゅうさんやま戦国せんごく時代じだいなぞく』琉球りゅうきゅう歴史れきし伝承でんしょう研究所けんきゅうじょ、2013ねん1がつ、232ぺーじISBN 9784990444822 
  9. ^ 倉田くらた喜弘よしひろ 1994.
  10. ^ G.F.メイラン しる庄司しょうじ三男みつお やく『メイラン 日本にっぽん丸善まるぜん雄松おまつどうしん異国いこく叢書そうしょ だいIII輯 1〉、2002ねん1がつISBN 4-8419-0293-7
  11. ^ 三味線しゃみせんとう沙弥島しゃみじま瀬居島せいじままち))のあき一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん 坂出さかいで観光かんこう協会きょうかい - Facebook
  12. ^ hiroyoshi (2017ねん5がつ27にち). “三味線しゃみせんきょう”. 道中どうちゅう三味線しゃみせん. 2024ねん2がつ22にち閲覧えつらん。 “もうすこ暗渠あんきょ沿いにあるくと、タイルで制作せいさくされている中野なかのによる「三味線しゃみせんきょう由来ゆらい」が道端みちばたにはめまれていた。”
  13. ^ 永山ながやま (2011ねん5がつ24にち). “三味線しゃみせんほりあと”. 東京とうきょう台東たいとう歴史れきし. 2017ねん4がつ3にち閲覧えつらん
  14. ^ 検索けんさく結果けっか:「三味線しゃみせんほり”. 江戸えどマップβべーたばん. ROIS-DS じん文学ぶんがくオープンデータ共同きょうどう利用りようセンター. 2024ねん2がつ22にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]

関連かんれん文献ぶんけん

[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]