浪曲
概説
[テレビ
なお、
歴史
[「
形成 期 から、芸 としての成立 へ
[また、
寄席 芸 としての隆盛 期
[その
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6c/Naniwabusi-yose.jpg/180px-Naniwabusi-yose.jpg)
1892
1897
このように
また
1903
雲右衛門 の凱旋 ・劇場 芸 ・レコード
[こうして
そんな
1904
「
ジャンル | ||
---|---|---|
37 | 「 | |
74 | 「 | |
お |
29 | 「 |
13 | 「ゴンドラの | |
42 | 「 | |
15 | <ヴァイオリン>「ミニュエット」<ベートーヴェン>カスリーン・パーロウ[129][130]など | |
ハーモニカ | 37 | 「ラ・パロマ」「 |
11 | < | |
30 | < | |
117 | < | |
21 | 「 | |
116 | 「 | |
55 | 「 | |
33 | 「 | |
13 | 「 | |
16 | 「 | |
64 | 「 | |
64 | 「 | |
43 | 「 | |
10 | 「アントニーとクレオパトラ」 | |
11 | 「 | |
28 | 「そこつ | |
207 | ||
74 | 「 |
ラジオの登場 ・戦時 協力
[日本 放送 協会 の発足
[ラジオ
3.2 | |||
3.5 | |||
3.11 | 噫 |
||
4.14 | |||
6.8 | |||
6.13 |
82 | 28 | 14 | |||
. | 28 | 14 | |||
. | 25 | 13 | |||
. | 24 | . | |||
. | . | 13 | |||
. | 23 | 13 | |||
38 | 22 | 12 | |||
. | 21 | 11 | |||
. | . | 11 | |||
22 | 19 | 11 | |||
21 | 19 | 11 | |||
304 | 18 | 10 | |||
68 | 18 | 10 | め | ||
. | 17 | 10 | |||
. | 17 | 10 | |||
39 | 16 | 10 | |||
. | 16 | . | |||
. | 16 | 10 | |||
. | 15 | 10 | |||
30 | 15 | 10 | |||
30 | 14 | . | |||
. | 14 | . |
その
ラジオドラマ | |||||
- [
参考 ]総 レコード制作 枚数 昭和 12年 7月 1日 ~昭和 13年 6月 末日 の統計 。単位 :万 枚 (見込 に過去 の手持 ち売 りさばき分 含 む)
メーカー | ||
---|---|---|
コロムビア | 603 | 601 |
ビクター | 418 | 337 |
ポリドール | 339 | 260 |
テイチク | 226 | 220 |
キング | 143 | 88 |
タイヘイ | 201 | 130 |
アサヒ | 41 | 46 |
ショウチク | 85 | 85 |
コッカ | 37 | 31 |
32 | 30 | |
コムパル | 3 | 3 |
ニッポン | 8 | 6 |
2136 | 1836 | |
1 |
178 | 153 |
また、二代目天中軒雲月(
「
軍事 協力 ・愛国 浪曲
[1940
長谷川 伸 「函館 紺 血 碑 」[171] -広沢 虎造 #2代目 長田 幹彦 「涙 の船唄 」[172] -寿 々木米 若 白井 喬二 「筑紫 の博 麻呂 」-[173]東家 楽 燕 武田 麟太郎 「天下 の糸 平 」[174] -玉川 勝太郎 #2代目 久米 正雄 「血 を嗣 ぐもの」[175][176] -冨士 月子 藤森 成吉 「長英 の新 出発 」[177](「傷痍 」に差 し替 え) -春日井 梅 鴬 #初代 子母沢 寛 「十 四 日 の月 」[178] -木村 友衛 #初代 尾崎 士郎 「村上 六 等 警部 」[179] -酒井 雲 長谷川時雨 「桜 ふぶき」 -二葉 百合子 浜本 浩 「東天紅 」[180] -京山 幸枝 佐藤 春夫 「大場 鎮の一夜 」[181] -梅 中 軒 鴬 童 倉田 百三 「お礼 詣 りする父 娘 」[182](「まごころ」に差 し替 え) -宮川 松 安 三上 於菟吉 「雲 に鳥 無常 剣 」[183] - (演 じ手無 し)菊池 寛 「近衛 篤 磨 」 -松風 軒 栄 楽 木村毅 「シンガポールの白梅 」 -東 武蔵 土師 清二 「近江 商人 」[184] - (演 じ手無 し)吉川 英治 「大楠公 夫人 」[185] -吉田 大和 丞 富沢 有為男 「諏訪湖 の蘆 」[186] -京山 小 円 嬢 #初代 竹田 敏彦 「少年 街 の勇士 」[187] -日 吉川 秋水 #初代 大木 惇夫 「荒地 」[188] - (演 じ手無 し)
戦後 の復活 ・民放 発足 によるラジオ浪曲 のブーム
[1945
1951
曜 | |||
---|---|---|---|
ラジオ |
23.8% | ||
12.8% | |||
ラジオ |
11.4% | ||
ラジオ |
10.3% | ||
10.0% | |||
ラジオ |
9.8% | ||
9.6% | |||
ラジオ |
9.4% | ||
9.2%[208] |
衰退
[ラジオ |
テレビ | |||
---|---|---|---|---|
1951 | 9 | 58.6% | - | - |
1952 | 21 | 63.6% | - | - |
1953 | 45 | 70.4% | 1 | 0.1% |
1954 | 59 | 75.2% | 1 | 0.3% |
1955 | 62 | 73.8% | 2 | 0.9% |
1956 | 80 | 77.8% | 4 | 2.3% |
1957 | 88 | 81.2% | 6 | 5.1% |
1958 | 100 | 81.3% | 27 | 11.0% |
1959 | 104 | 74.7% | 47 | 23.1% |
1960 | 115 | 57.2% | 61 | 33.2% |
1961 | 124 | 45.8% | 82 | 49.5% |
この
バブル
新 時代
[しかし、
声 ・節 ・タンカ
[声
[が、マイクが
また、
- 〽
何 が何 して何 とやら 何 から何 までなにとやら- モノがモノしてモノとやら
- モノからモノまでモノとやら[241]
節 (フシ)
[(
関西 節 が一番 古 く、浮 かれ節 と呼 ばれた。低 調子 (または水 調子 )とも言 う。ベンベンと低 い。関東節 は、高調子 ともいい、三味線 の調子 が「カンカンカン」と高 く、哀切 、悲壮 感 が漂 う。三味線 の手 としては単純 。- (
中京 節 は、関東節 と関西 節 を上手 くミックスした形 。アクセントとしてよく利用 される[243][244]。)
キッカケ、
啖呵 (タンカ)
[タンカとは、
浪曲 の構成
[浪曲 の衣装 ・舞台 セット
[浪曲 の代表 的 な演題 (外題 )
[また、
- ※
以下 は浪曲 で代表 的 とされる演目 である。右 の名 はその作品 で代表 的 な演者 (または現在 聞 きやすい演者 )[271]。
このジャンル
任侠 物 (三 尺 物 )
股旅 物 [277]
白浪 物
世話物 (悲恋 ・スキャンダル)
出世 物
武芸 物
- お
家 騒動 物 (金 襖 物 )
赤穂 義士 伝
戦争 物
親子 物
相撲 物
寛政 力士 伝 シリーズ -京山 幸枝 若
歌舞伎 物
浄瑠璃 物
滑稽 物 (ケレン、お笑 い)
落語 物
怪談 ・怪奇 物
番 町 皿 屋敷 -春野 百合子
- その
他
歌謡 浪曲
[1957
ラジオ
また
浪曲 の周辺 ・影響
[河内 音頭
[節 劇 ・映画 のタナ読 み
[これらは1957
演歌
[レコード
[民謡
[また、
ラジオの浪曲
[ラジオでは1925
テレビと浪曲
[NHKは、
こども向 け
[こども
色物 演芸 とコント・バラエティ番組
[落語
[3
漫画 ・コミックとの関 わり
[マンガ、「ONE PIECE(ワンピース)」は
その他
[1979
「
(
また、
ライブコマースは、2017
ちんどん
主 な浪曲 師
[もともと
※
関東 の浪曲 師
[東 武蔵 -寄席 読 みの名人 。文化 放送 「浪曲 学校 」。二葉 百合子 の大 師匠 。落語 の立川談志 師 がこよなく愛 し、演芸 選集 にも登場 する[385]。東家 浦太郎 東家 三楽 初代 東家 (東 亭 )三楽 -東家 派 の祖 。四 代目 東家 三楽
東家 楽 浦 -寄席 打 ちの名人 。「木馬亭 」を開 いた功労 者 。東家 楽 燕 -雲右衛門 に傾倒 し東 家 ながら入門 、関東 における関西 節 の流 れを作 る。日本 浪曲 学校 設立 に関 わる。東家 楽 遊 天津 羽衣 - イエス
玉川 : 一心 亭 辰雄 (のちの服部 伸 )梅原 秀夫 -鼈甲 斎 虎 洲 から本名 に転 じ、文芸 浪曲 ・軍事 浪曲 で有名 になる。のちに五 代目 鼈甲 斎 虎丸 を襲名 。大木 伸夫 -歌謡 浪曲 。鹿島 秀 月 (かしま しゅうげつ)春日 清 鶴 [387](かすが せいかく)春日井 梅 鶯 春日 亭 清吉 -大正 期 の重鎮 。木村 重友 初代 木村 重友 -木村 派 の雄 。関東節 。
木村 重正 (きむら しげまさ)木村 重松 木村 友衛 木村 松太郎 木村 若 衛 -戦後 期 の大 看板 。知能犯 的 な人物 造型 の「天保 六 花 撰 」。後 に日本 演芸 家 連合 会長 。国友 忠 - ラジオ浪曲 「銭 形 平次 」。中国 残留 婦人 の帰国 に尽力 。国本 武春 -伝統 的 浪曲 と現代 的 にアレンジした独創 的 浪曲 の二 つをこなしテレビ出演 も多数 。浪曲 の将来 を背負 って立 つ立場 であったが、これから本番 という時期 に亡 くなる。小金井 太郎 (こがねい たろう) -二 代目 玉川 勝太郎 とともに玉川 の両翼 と呼 ばれる[390]。相模 太郎 五月 一朗 - ケレンで美声 、ケレン読 みでは珍 しくトリを取 って看板 となる。澤 孝子 -二 代目 広澤 菊 春 に入門 。後 に澤 孝子 と改名 。前 日本 浪曲 協会 会長 。:篠田 実 初代 篠田 実 - 「紺屋 高尾 」。
寿 々木米 若 -新潟 県 出身 。「佐渡 情話 」。新作 派 。玉川 勝太郎 玉川 福太郎 二 代目 玉川 福太郎 -今 につながる多 くの弟子 を育 て、次世代 のリーダーとして期待 されながら若 くして亡 くなる。
玉川 奈々 福 -近年 の浪曲 を裏 と表 から支 える存在 [391]。玉川 太 福 -近年 、若手 の出世頭 。津田 清美 (つだ せいみ) -満 鉄 社員 から浪曲 師 に転進 のインテリ。人物 活写 に定評 。「タイショ」と合 いの手 を入 れる「清美 節 」[392]。- 二代目天中軒雲月(
雲 月 嬢 改 め) -七 色 の声 を生 かし、戦争 物 の時流 に乗 る。伊丹 秀子 の名 で戦後 も活躍 。
- 二代目天中軒雲月(
浪花 亭 愛造 初代 浪花 亭 愛造 -桃中軒 雲右衛門 の初期 の好敵手 。浪曲 界 初 のレコード吹 き込 み。早世 。
浪花 亭 綾 太郎 -盲目 の浪曲 師 。「妻 は夫 を労 わりつ」で有名 な「壷 坂 霊験 記 」。浪花 亭 駒吉 初代 浪花 亭 駒吉 -関東節 の祖
浪花 亭 峰 吉 -駒吉 の直門 下 。司法 の勉強 と弟子 修業 を両立 。後 に司法 記者 格 で法廷 取材 。「泥棒 士官 」。浪花 家 辰造 三 代目 浪花 家 辰造 -二 丁 三味線 を用 いた独特 のフシ。
南 條文 若 -三波 春夫 の浪 界 時代 の名 。日本 浪曲 学校 出身 。林 伯 猿 初代 林 伯 猿 -文芸 浪曲 。
二 代目 広沢 菊 春 -落語 浪曲 で知 られ、落語 の寄席 に出 る。「徂徠 豆腐 」。広沢 虎造 二 代目 広沢 虎造 -浪曲 の代名詞 「清水次郎長 伝 」で広 く一世 を風靡 。浪曲 の代名詞 的 存在 。
二葉 百合子 -歌謡 浪曲 「岸壁 の母 」。関東節 を多 くの歌手 に伝 える。三 代目 鼈甲 斎 虎丸 -節 使 いが関東 関西 に大 きな影響 を与 える。晩年 は大阪 に移 る。松平 国 十郎 (一時 、京極 佳 津 照 きょうごくかづてる)美弘 舎 東一 (青木 勝之助 改 め) -玉川 派 の祖 吉川 小 福 (よしかわこふく) -自 ら腹 を切 った女 流浪 曲師 [393]。名前 を改 進 軒 女 雲 に改 める[394]。
関西 の浪曲 師
[岡本 鶴治 (おかもと かくじ)岡本 玉 治 (おかもと たまじ)-フラフラ節 。相模 太郎 の芸風 確立 に多大 な影響 を与 える。京山 恭 安斎 (きょうやま きょうあんさい)-成立 期 に活躍 [395]。京山 幸枝 京山 幸枝 若 京山 小 円 -桃中軒 雲右衛門 、二 代目 吉田 奈良丸 と共 に第 1期 浪曲 黄金 時代 。京山 小 円 嬢 -関西 女流 浪曲 の三羽 ガラスの一人 。京山 若 丸 - 「新 談 (新作 )読 み」の自作 自演 で知 られた。第 1期 浪曲 黄金 時代 の一人 。松風 軒 栄 楽 -新作 浪曲 が得意 で「乃木 大将 」や「青山 殺人 事件 」。天 光 軒 満月 -菊池 寛 の「父 帰 る」や「召集令 」など「悲劇 読 み」の大家 。天龍 三郎 -二 代目 広沢 菊 春 の実弟 。晩年 は関西 の重鎮 として活躍 。筑波 武蔵 梅 中 軒 鶯 童 -師匠 を持 たず、自由 奔放 な「鶯 童 節 」で関西 の大 看板 になった。「紀伊国屋 文左衛門 」。春野 百合子 二 代目 春野 百合子 -女流 浪曲 の大御所 。「西鶴 五 人 女 」シリーズ。
日 吉川 秋 斎 - ノリの良 い秋 斎 節 で「左 甚五郎 」「水戸黄門 」。日 吉川 秋水 - ケレン(お笑 い)浪曲 の第一人者 。広沢 菊 春 初代 広沢 菊 春 - 2代目 菊 春 、天龍 三郎 兄弟 の父 。
広沢 駒 蔵 - ケレン浪曲 の中堅 。「水戸黄門 」「左 甚五郎 」。広沢 虎吉 二 代目 広沢 虎吉 -浪花節 親友 派 組合 頭取 。定席 小屋 「広沢 館 」を経営 、隠居 し「井上 晴 夢 」。弟子 に2代目 広沢 虎造 他 。
広沢 瓢 右 衛門 -売 れ出 したのが浪曲 衰退 期 の昭和 50年代 、70歳 を過 ぎてからと言 う異例 の浪曲 師 。自他 共 に認 める悪声 。冨士 月子 -東京 で単身 独立独歩 の修行 を経 て、初代 春野 百合子 と人気 を二分 。親友 協会 初 の女流 会長 。冨士 月 の栄 -関西 戦後 四天王 。藤川 友 春 - 「弁慶 新五郎 」「柳生 十兵衛 旅 日記 」「難波 戦記 」「鍵屋 騒動 」「朝鮮 軍記 清正 の苦心 」「侠客 小 仏 重 三 」「後藤 又兵衛 」などを口演 。ハンセン病 を押 して高座 に上 がり続 けるがついに下 ろされ療養 に入 る。芙蓉 軒 麗 花 (広沢 香 菊 改 め) -戦前 は姉 の若 菊 と共 に東京 で女流 浪曲 団 「初音 会 」の座員 。戦後 「ろうきょく炭坑 節 」のレコードが大 ヒット。松浦 四郎 若 -関西 の正統 派 。真山 一郎 三原 佐知子 :宮川 左近 宮川 松 安 (みやがわ しょうあん) (昭和 39年 没 )-放送 に初 めて乗 った浪曲 師 。楽 浪曲 も。謹厳 実直 の堅物 としてのエピソードが残 る[397]。吉田 小 奈良 (よしだ こなら) -二 代目 奈良丸 の妹 。明治 から大正 にかけての代表 的 女 流浪 曲師 [398]。吉田 奈良丸 -名門 名跡 。
中京 の浪曲 師
[末広 亭 清風 -寄席 「新宿 末廣 亭 」の名前 が残 る。明治 期 の重鎮 。- 五代目天中軒雲月: -
四 代目 の弟子 。女流 。現在 は浪曲 親友 協会 理事 で日本 浪曲 協会 にも所属 。 鼈甲 斎 虎丸 -中京 節 の第一人者 。「安中 草 三 」の連続 読 みは有名 。五 代 まで続 き、現在 は継 ぐ者 がいない。三門 博 -東京 へ出 て、御門 博 から戦時 の時節柄 、改名 。「唄 入 り観音 経 」が空前 のヒット。三河 家 梅 車 [399](みかわや ばいしゃ)三河 家 円 車 [400](みかわや えんしゃ) - 「ドンドン節 」が大 流行 。梅 車 の弟子 。港 家 小柳 [401](みなとや こりゅう) - 「深川 裸 祭 り」が継承 ネタ。5代目 は2017年 に没 。東京 の協会 に属 していた。港 家 小 柳丸 - 「寄席 打 ちの名人 」。「亀甲 組 」など任侠 物 を得意 としていた。3代目 は中京 浪曲 協会 会長 [402]。
九州 の浪曲 師
[京山 華 千代 -義姉 の初代 春野 百合子 とともに九州 出身 。戦前 は大阪 、戦後 は東京 で活躍 。桃中軒 牛 右 衛門 (宮崎 滔天 ) -人気 が先立 ち、浪花節 としてはうまいものではなかったという定評 が残 っている。桃中軒 雲右衛門 初代 桃中軒 雲右衛門 -浪曲 界 の中興 の祖 。
初代 天 光 軒 満月 -九州 で長年 巡業 していたが、大阪 天満 ・国光 席 に出 て、そこから大 看板 となる。哀調 が特徴 。天 中 軒 雲 月 天 中 軒 雲 衛 - のちの敏腕 興行 師 永田 貞雄 。天下一 のハッタリとそれを納得 させてしまう内容 を両立 させ、名 を轟 かす。愛国 浪曲 から戦後 の浪曲 界 に深 く関 わっている。力道山 の日本 プロレスも。酒井 雲 -文芸 浪曲 を始 める。村田 英雄 の師匠 であった。熊本 →岐阜 在 酒井 雲 坊 -村田 英雄 の浪曲 師 時代 の芸名 。出身 地 ・九州 で人気 を博 した。後 に古賀 政男 にスカウトされ歌謡 界 へ。
浪曲 師 の所属 団体
[ニセ浪曲 師
[![]() |
寄席
[現在
[過去 の主要 な寄席 (浪曲 定席 中心 )
[京山 亭 -四谷 の山本 亭 を京山 大 教 が買 い取 り改名 。(M39山本 亭 )虎丸 亭 -初代 虎丸 東京 進出 のために同郷 の人間 が作 る。小菅 一夫 に拠 れば、浅草 猿 若 町 。神田 ・錦 輝 館 -貸席 。日本 の映画 史 に登場 する。浪花節 初 の合同 演芸 会 の会場 大 ろじ -東京 日本橋 ・葦 屋 町 。大円 朝 も出 た大 店 。明治 30年 頃 は浪花節 を多 く出 す。都川 亭 -本所 区 外 手 町 (現 ・墨田 区 石原 )市場 亭 -東京 神田美土代 町 3-1。またの名 を「本 市場 」。席 主 ・奥津 万吉 。関西 (から進出 )派 の拠点 。愛 進 舎 から神田 組 へ。凱旋 後 の雲右衛門 が買収 ・改装 した後 、神田 「入道 館 」[416]→雲 の没後 三 代目 鼈甲 斎 虎丸 の手 に渡 り「民衆 座 」。定員 は700人 、寄席 としては巨大 レベル。(M39)(T15)(現在 ベルサール神田 の角 の位置 )新 恵比寿 亭 -東京 浅草 ちんや横丁 [417]。明治 24年 築 。浪花 亭 駒吉 を中心 とする関東 派 の拠点 。午前 10時 から夜 11時 まで、毎日 営業 。1人 持 ち時間 40分 。共 盛会 から浅草 組 へ。席 数 257[418]。席 主 ・中沢 源之助 。大正 3年 まで営業 を確認 [419]。伊 皿 子 亭 -東京 ・芝 。関西 組 の拠点 の一 つ。芝 区 伊 皿 子 40。後 に「万 盛 館 」。栄寿 亭 -芝 烏 森 愛造 『美声 絃入 り講談 』の看板 (M39)東京 亭 -日本橋 南 伝馬 町 34。愛造 が変調 を来 たした場所 (漫語 )天満 ・国光 席 本 席 (くにみつせき) -明治 16年 に浮 かれ節 の定席 としてできた天満 天神 裏 ・吉川 館 が改称 [420]。原 惣 兵衛 。定員 400人 [421]。第 二 次 大戦 の空襲 で焼 けた。松島 ・広沢 館 -広沢 虎吉 (井上 晴 夢 )が経営 しチェーン化 した。220席 [421]。吉本 に買収 される。千 日 前 ・愛 進 亭 (または愛 進 館 ) -大阪 市内 各地 に第 一 (南 千 日 前 、200席 )から第 四 まである寄席 チェーンであった。持 ち主 は井谷 亀之助 。終戦 前 は初代 日 吉川 秋水 の弟 の南条 一 が館主 [421]。1910年 (明治 43年 )10月 に娘 義太夫 の大阪 における一番 の定席 、播重席 を買収 し第 五 愛 進 亭 と改名 するが、引 き続 き娘 義太夫 を興行 [422]。その後 曲折 があり[423][424]、昭和 4年 の「入場 料 調査 」では浪花節 でカウントされ[425]、そのころ浪花節 定席 に変 わる[426]。喜楽 席 -堺 市 。広沢 瓢 右 衛門 の初舞台 の席 。寿 亭 -横浜 ・伊勢佐木 町 。関 外 伊勢佐木 町 方面 を縄張 りとする沢野 巳之助 が経営 。二 山 亭 -青山 通 り(現 246)沿 い(M39)廣川 亭 -深川 ・冨吉 町 (M39)浪花 館 -深川 ・富川 町 (M39)(T15)桜 館 -深川 ・黒江 町 (M39)(T15)広尾 亭 -麻布 ・広尾 (M39)(T15)福 槌 -麻布 ・宮下 町 (M39)(T15)喜 扇 亭 -日本橋 人形 町 。浦安 亭 -千葉 県 南 葛飾 郡 浦安 町 (現 :浦安 市 )堀江 185番地 。許可 番号 1号 。明治 43年 。間口 5間 、奥行 8間 、定員 350名 。[427]山本 周五郎 の『青 べか物語 』にある浦 粕 亭 のモデル[428]。漁師 町 。客 の気性 が荒 いことで名 が知 られ[429]、近所 にある先 んじてあったが無 許可 の「堀川 亭 」→間 もなく焼 けて、1910年 建 て替 えた「演技 館 」(定員 600名 )と共 に、浪曲 に限 らずデロレン祭文 、落語 なども行 われた。昭和 40年 取 り壊 し[430]。花 岩 亭 -本所 ・緑町 (M3)(T15)終戦 まで。金 車 亭 -東京 浅草 。一流 が集 う講釈 場 だったが昭和 11年 暮 、浪花節 席 に変 わった。浅草 1-40-5[431]。住吉 亭 -南 條文 若 (後 の三波 春夫 )デビューの場 [432]。栗 友 亭 -南千住 コツ通 り。戦後 、ラジオ東京 「浪曲 天狗 道場 」ヒットの時期 に浪曲 定席 として開 けるが時期 は短 い。
脚注
[例
[- ^ 「SF
作品 も本質 は意外 に浪花節 なのではないかと思 いました」。プロダクション・アイジー石川 光久 社長 インタビュー『日経 MJ』2017年 1月 4日 。 - ^ しかし、
熊本県立大学 理事 長 の五 百 旗頭 (いおきべ)真 (近代 日本 政治 外交 史 )は昭和 天皇 の考 え方 を「浪花節 」と例 える。「退位 させるのは責任 があったからであり、責任 があった私人 となれば戦犯 のナンバーワンとして引 き出 される」と話 す。木戸 の「封印 」は当然 だった。『毎日新聞 』東京 朝刊 2017年 1月 5日 3頁 「考 ・皇室 :憲法 と歩 む/7」。 - ^ 「
音楽 、主人公 たちが歩 く街 の情景 、浪花節 的 に片 づいたりしない人間 関係 。さまざまな場面 に独特 の乾 いたにおいがふっと漂 う」。『読売新聞 』東京 夕刊 2017年 1月 27日 11頁 [映画 ]破門 ふたりのヤクビョーガミ=松竹 ほか味 のある「迷コンビ」。
注釈
[- ^
浪曲 (浪花節 )のNDC分類 は最新 の10版 に於 いても、大衆 芸能 の下 にある「779.15」である。 - ^
新幹線 以前 限定 である。 - ^
教養 主義 とは、文化 の享受 を通 して人格 を高 めようという考 え方 である。当時 の日本 の教養 主義 の源流 は明治 時代 の修養 主義 であり、明治 末期 (二 十 世紀 初 め)から特 に高学歴 者 に普及 し、高学歴 層 が自分 たち一般 庶民 から差別 化 しようする意識 から高学歴 層 に固有 の文化 となっていった。差別 化 というのは自分 たちを上 に置 くわけであるから、特権 化 という方 がわかりやすいであろう。古川 隆久 『戦時 下 の日本 映画 』p.25-26。 - ^ 「
荷風 と音楽 」『季刊 芸術 』12(3)p.111 - ^
伝統 邦楽 界 では一般 的 である「家元 制度 」に象徴 される分派 主義 (杵 屋 正邦 「一 邦楽 系 作曲 家 の体験 的 発言 」『科学 と思想 』1976(10)p.322とは様相 を異 にしている。 - ^
現代 人 からすれば「歌 う」であるが、詳 しくは語 りものの項 に説明 があるので参照 のこと。 - ^
浪曲 師 と曲師 がどう呼吸 を合 わせて演奏 しているかは国本 武春 『待 ってました名 調子 !』に詳 しい。東家 みさ子 (p.46-54)、岩崎 節子 (p.96-99)、沢村 豊子 (p.100-103)の項 などを参照 のこと。 - ^
相 三味線 は歴史 的 に配偶 者 、つまり女房 が多 かった。このケースは2024年 の時点 で比率 は減 っているが、東家 一太郎 における東家 美 、三 代目 広沢 菊 春 における広沢 美 舟 などの例 も散見 される。 - ^
現代 に向 かっていく中 で、高野 東海 や山本 太一 など男性 の高名 な曲師 もおり、また曲師 不足 に起因 するフリー曲師 の増加 もあり、現在 は組合 せに特別 なものはない。 - ^ 『
日本 浪曲 史 』南北社 版 (1968年刊 )p.373(中川 明徳 による補 章 )は、天龍 三郎 がギター奏者 をつけ始 めたことを批判 的 に書 いており、その頃 より始 まり、一手 法 として京山 幸枝 若 など上方 に定着 した様子 がうかがえる。 - ^ 「コロニア
浪曲 」。細川 に頻出 。 - ^ 『
痴 遊 雑誌 』に転載 された「浪花節 漫語 」の上 欄 、北村 大 巴 (浪花 容 峰 )の寄稿 にもあるように、古 くから関西 で「浪花節 だから浪花 (大阪 )」と単純 化 をする傾向 が見 られる。出典 :『痴 遊 雑誌 』復刻 2巻 p.882。 - ^
東西 の境 を超 えた巡業 は的屋 に似 て少 ない。出典 :『テキヤはどこからやってくるのか?』(ISBN 978-4334037956)p.21。 - ^ 『
日本 吹込 み事始 1903年 ガイズバーグ・レコーディングス』にも「うかれぶしさわぎ」という名 の今 の浪花節 とは別 の音曲 (演者 ・立花 家 圓 左衛門 、富士 松 ぎん蝶 )の収録 がある。同 じ演者 にある「浮世 節 」の別称 であろう - ^
同 時期 に寄席 に登場 したオッペケペーの浮世 亭 ○○こと川上 音二郎 や娘 義太夫 などと比 べても明 らかである。 - ^
現在 の上野 駅 構内 。1882年 (明治 15年 )11月に閉鎖 される。 - ^
明治 期 に入 り火除 地 となる。明治 23年 には日本 鉄道 の貨物 駅 用地 となる。 - ^
采女 橋 の脇 に空 き地 があった - ^
今 の新橋 駅 日比谷 口 近辺 - ^
佐竹 藩 の屋敷 跡 。現在 の台東 区 台東 『竹 町 の人 とくらし(台東 区 文化財 調査 報告 書 第 18集 )』台東 区 教育 委員 会 文化 事業 体育 課 、1995。 - ^
本所 の津軽 藩 屋敷 跡 。今 の墨田 区 緑 図書館 の近辺 - ^ いずれも
後 に周辺 に寄席 が出来 ている - ^
中村 幸彦 1983p.300 - ^
明治 5年 とする石谷 華 堤 説 と明治 10年 以降 とする平林 説 が主 にある。全容 については芝 清之 『浪花節 東京 市 中 ・寄席 名 及 び出演 者 一覧 』の冒頭 を参照 のこと。しかしながら「遊芸 稼人」の歴史 における重要 な明治 8年刊 『諸 芸人 名 録 』に浪花節 の名 はなく、それ以降 に結成 されたと具体 的 に推定 できる。 - ^
節 談 説教 の演目 と重 なり、その影響 がうかがえる。 - ^
東京 ・神田 「市場 亭 」、浅草 雷門 「新 恵比寿 亭 」が共 に開場 するのが明治 25年 。出典 :芝 清之 『浪花節 東京 市内 ・寄席 名 及 び出演 者 一覧 』。 - ^
芸人 同士 の深刻 な対立 ではなく、合併 興行 をする場面 も多 くあった。 - ^
消 えた芸能 として挙 げた(倉田 喜弘 などの研究 )。 - ^
実際 には今 でいうブレーン的 役割 を果 たした。 - ^ この
上京 の前 、佐世保 での公演 後 に二 人 は別 れ、宮崎 は「白浪 庵 滔天 」の名 を芸名 としても使 い、後 に伊藤痴遊 、一心 亭 辰雄 と関西 巡業 している。 - ^ 『
警視庁 統計 書 』によれば当時 1904年 の東京 市内 の寄席 は135軒 。1日 あたりの平均 客数 は昼 席 45人 、夜 席 73人 。それに対 し、東京 市内 の劇場 は大 劇場 が7座 、小 劇場 が12座 存在 し、1日 あたりの平均 客数 429人 で一幕 見 を加 えると、719人 。出典 :上田 学 『日本 映画 草創 期 の興行 と観客 』早稲田大学 出版 部 、2012年 3月 30日 。ISBN 9784657120045 p.70。 - ^
正岡 容 「雲右衛門 以前 」は『日本 浪曲 史 』のプロトタイプと呼 べる作品 である。その集成 にもある。 - ^
活動 写真 大 流行 「戦争 後 は火 が消 えたような活動 写真 がにわかに復活 し、市内 至 る所 に楽隊 の囃子 賑 わしく、興行 場 はどこも大入 り大 繁盛 。(中略 )芝居 に飽 き、寄席 に飽 き、浪花節 に飽 き果 て」た結果 である。と書 かれる状況 になる。原典 :『東京 朝日新聞 』1908年 8月 24日 。年表 下 p.188。 - ^
三波 春夫 の歌舞伎座 公演 2年 目 の1966年 谷屋 充 作 『風流 奈良 丸 くづし』 - ^ これは
創立 間 もない講談社 が速記 から創作 (今 に至 る路線 である)に転 じる重要 なきっかけとなる - ^ 『
講談社 の90年 』には、明治 44年 「講談 倶楽部 」創刊 号 には「浪花 亭 重松 」で速記 掲載 があったが、問題 の大正 2年 の増刊 「浪花節 十 八 番 」発売 記念 の浪花節 芸者 大会 に「木村 重松 」で出演 していることが確認 できる。 - ^
一部 で定説 化 した「大正 6年 12月20日 付 の『都 新聞 』紙上 で初 めて使用 された」という事実 は無 いが、直後 の年明 け大正 7年 1月 3日 付 には同 紙上 で記述 を発見 できる。関西 でも大正 9年 8月 18日 付 の『大阪毎日新聞 』にある。その頃 既 に浪曲 の世界 を「浪 界 」と呼 ぶ記述 は見 られ、「浪 界 」の初出 は明治 41年 6月 15日 『福岡 日 日 新聞 』よりは以前 。以上 は芝 清之 『新聞 にみる浪花節 変遷 史 』明治 編 、大正 編 でも確認 可能 。 - ^
当時 、流行 していた天才 少年 浪曲 師 が楽屋 に増 えた事 に対 する言葉 だという異説 あり。 - ^ また1930
年 (昭和 5年 )10月 に浪花節 「大和魂 ・国勢調査 」吉田 大和 之 丞 、コロムビア。年表 下 。 - ^
二 代目 東家 楽 遊 の浜町 御殿 や鼈甲 斎 虎丸 の中野 御殿 、また、初代 雲 月 の唐津 の大 邸宅 の一帯 が「雲 月 町 」と呼 ばれていた例 、戦後 に寿 々木米 若 の伊東 温泉 の割烹 旅館 「よねわか荘 」など。また、大和 之 丞 (二 代目 奈良丸 )が中心 となって1935年 (昭和 10年 )京都 で大石 神社 を創建 した例 がある。 - ^ その
様 は、梅 中 軒 鴬 童 『浪曲 旅芸人 』などに詳 しい - ^
他 に、当時 レコードを活用 し音楽 (主 にクラシック)の講演 (今 でいうレコードコンサート)をしていた田辺 尚雄 のエピソード。明治 末 年 には「地方 の講演 は」「学校 の講堂 でやる」。「蓄音器 を一 台 」準備 を頼 むと「レコードは浪花節 か端 唄 か民謡 」しかないが用意 しときますと返事 されたという。初 めて聞 く交響 曲 やピアノソナタ、オルガン曲 に非常 な驚 きを示 したと。田辺 尚雄 『明治 音楽 物語 』p.301) - ^
日 蓄は内憂 (ラジオの脅威 )外患 (電気 吹込 という新 システムを利用 した外国 レコードの参入 )を抱 えていた。出典 :『昭和 演歌 の歴史 』p.74欄外 - ^ a b 1924
年 秋 に常務 理事 に就任 した新名 直和 が打 ち出 した番組 編成 方針 により、浪花節 はその人気 が排除 の対象 となる。新名 は「放送 の目的 は、教養 ・報道 ・娯楽 」であり「この鼎 の三 本 足 が相俟 ってやっていくべきものと思 うが、その中 で最 も中心 となるべきものは教養 である」との見解 を表明 するとともに、当時 根強 い人気 を誇 っていた浪花節 をはじめ、小唄 や常磐津 などを「社会 の悪 」として放送 しない方針 を打 ち出 した。このためニュースに続 いて、当初 逓信 省 が想定 していた伝統 音楽 や伝統 芸能 のいくつかも番組 の候補 から脱落 した。原典 :「座談 会 ・放送 事始 」での新名 の証言 。『放送 文化 』1960年 3月 号 .また浪花節 は、宮家 から放送 の要請 があるまで一 度 も放送 されないほど徹底 して除外 されていた。(日本 放送 協会 編 『放送 五 十 史 年 資料 編 』日本 放送 出版 協会 、1977年 )出典 :戸 ノ下 達也 /長木 誠二 『総 力戦 と音楽 文化 』p.198 - ^
国会図書館 「れきおん」に多数 録音 が残 されている - ^
吉川 潮 『江戸 っ子 だってねえ浪曲 師 廣澤 虎造 一代 』日本 放送 出版 協会 。1998年 10月 24日 。ISBN 978-4140053089。「第 7章 血煙 田島 町 」p.168-189 - ^
戦時 ラジオのプロパガンダによる戦争 責任 を考 える論文 に愛国 浪曲 が1文字 も無 い。 - ^
大会 の存在 自体 に疑問符 - ^
存在 自体 に疑問符 が付 く - ^ またこう
書 く人 もいる。「日本 はポツダム宣言 にもとづいて連合 国 に占領 されることになった。(中略 )天皇 自 ら天皇 の人間 宣言 を行 い、平和 主義 に徹 し(中略 )昭和 20年 9月 13日 、GHQの民間 情報 教育 部 (局 )からの通達 につぎのような内容 が含 まれていた。『尚 演芸 放送 に関 しては地方 放送 に於 ても実施 するを認 められ居 るも之 が取扱 に付 ては当分 の間 純 娯楽 的 なるものを主 とし講談 、浪曲 、放送 劇 等 に於 ても軍事 的 好戦 ものはなさざること』」p.238「この占領 政策 によって、義理 人情 や義侠 の精神 などの日本 固有 の価値 観 が否定 された。浪曲 はこの急速 に衰退 することになった。だが、戦前 、戦中 を生 き抜 いてきた日本人 の価値 観 がそう簡単 に消 え去 るものではなかった。日本人 の底 に流 れる心情 の世界 を代弁 する浪曲 ・浪花節 はやがて、流行 歌 の形式 を借 りて新 境地 を開拓 し義理 人情 の世界 を表現 するようになる」p.239欄外 『昭和 演歌 の歴史 』戦後 の民放 ラジオによるラジオ浪曲 ブームを軽視 し、敗戦 とともに浪曲 は終 わった、とする立場 - ^ 「
銭 形 平次 」(ラジオ東京 -文化放送 )は異例 の長期間 にわたる番組 であった。脚本 は全 て国友 の自作 - ^
1.
漫才 学校 ABC 57.5 2.浪曲 ごもくめし NJB 44.8 3.浪曲 演芸 会 NHK 41.3 4.お好 み演芸 会 NHK 40.3 5.明色 歌謡 ゲーム ABC 38.9 6.ラジオ浮世 亭 ABC 38.1 7.アベック歌合戦 NJB 38.1 8.ラジオ寄席 NHK 38.0 9.おしゃれクイズ ABC 36.2 10.三 つの歌 NHK 35.7 11.浪曲 名人 会 ABC 35.7 12.五 九 童 のおばあちゃん NJB 35.0 13.お笑 い街 録 ABC 34.8 14.アチャコの自叙伝 34.4 15.歌 の二人三脚 ABC 34.4 16.お蝶 さん NJB 33.3 17.お好 みヒット・メロディ ABC 32.9 18.浪曲 シリーズ NJB 32.5 19.浪曲 トクホンアワー ABC 31.2 20.のんき裁判 NJB 31.1 (55年 2月 『3社 共同 調査 』より)原 典 :朝日放送 社 史 編修 室 『朝日放送 の50年 Ⅰ本 史 』p.60出典 :辻 一郎 『私 だけの放送 史 』p.26。なお52.12.20に朝日放送 は新 日本 放送 、電通 大阪 の3社 共同 で放送 調査 委員 会 を設 け、翌年 1月 21日 から1週間 にわたって、阪神 地区 の「ラジオ聴取 状 況 調査 」をおこなっている。これは民放 ではじめての本格 的 なマーケット・リサーチであり、調査 対象 を世帯 でなく個人 としたのが特色 であった。『朝日放送 の50年 Ⅰ本 史 』p.65 - ^
流 しであるが、小沢 昭一 『日本 の放浪 芸 』p.352-354 - ^ (
関西 で)「昭和 20年代 半 ば、浪曲 は急速 に人気 を失 った」と明記 あり。ワッハ上方 『上方 演芸 大全 』p.58 - ^ その
間 、入門 者 がいなかった訳 ではないが、浪曲 界 に居続 け大成 した者 はいない。 - ^
多 くの一門 芸 脈 (鼈甲 齋 など)の消滅 に悪影響 は現 れている。 - ^
多 くは大学 卒業 など他 の演芸 同様 に高学歴 化 が進 む。例 として木村 勝 千代 (木村 松太郎 門下 )は10歳 で松太郎 に入門 し、その後 専修大学 文学部 国文 科 を卒業 しており、学業 と並行 し浪曲 師 としても活動 している[222]。 - ^
実際 に一番 弟子 の玉川 わ太 (わだい)、二 番 弟子 の玉川 き太 (きだい)は落語 芸術 協会 の前座 としても所属 し、特 にわ太 は2023年 7月 17日 の浅草 演芸 ホール夜 の部 の開口一番 で『阿漕 ヶ浦 』を演 じた(曲師 は太 福 も担当 する玉川 みね子 が務 めた)。太 福 のツイートによれば、(落語 主体 の東京 の)定席 寄席 で浪曲 師 の前座 が開口一番 を演 じたこと自体 が初 めてであったという[226]。 - ^
演芸 界 では現在 まで、江戸 落語 の五 代目 柳家 小 さん、十 代目 柳家 小 三治 、六 代目 五 街道 雲助 (2024年 7月 現在 保持 者 )、上方 落語 の三 代目 桂米朝 、江戸 講談 の六代目一龍齋貞水、三 代目 神田 松 鯉 (2024年 7月 現在 保持 者 )が「人間 国宝 」に認定 されている。 - ^ この
特徴 的 な声 については、『日本 の古典 芸能 9寄席 』p.44に中村 幸彦 による説明 がある。 - ^
正確 には、よく言 われるような(理想 的 な)浪曲 師 の声 としてのシオカラ声 ・しわがれ声 ・ダミ声 は誤 り。 - ^
現在 の西洋 音階 が絶対 視 される状況 に於 いての「美声 」とは違 う。 - ^
音声 ファイル 32分 00秒 付近 - ^ コピー
芸 という批判 的 な文脈 が未 だ使 われる。出典 :『東京 人 』380号 p.43-46 - ^
虎造 節 は、時 の試練 を越 えて保存 会 が結成 ・活発 な活動 がなされている - ^ BGM
国本 p.11 - ^
一 話 を一段 と呼 ぶ - ^ それを
逆手 に取 ったのが、初代 京山 幸枝 若 の巧 みな芸 であった。実際 には無 いのに「この後 続 きはレコードで」などがある。出典 :国本 p.84 - ^ 「
本日 のお外題 は」という形 で演題 名 を紹介 することも多 い - ^
読 みのみ一定 していて、表記 に揺 れが見 られる場合 はカタカナで表記 するルールに基 づく - ^
主 に歌舞伎 の大向 うや義太夫 の慣習 からの移行 と考 えられる。 - ^ もちろん
例外 もあり、雲右衛門 は入道 姿 で舞台 をこなした例 、同様 に東武 蔵 や玉川 勝太郎 が袈裟 姿 で高座 をこなした例 もある。 - ^
芝居 における引幕 、落語 における後 幕 、相撲 の化粧 回 しと同 じくファンが浪曲 師 に送 る物 があり、寄贈 者 名 が記 してある事 が多 い。浪曲 師 個人 で所有 。国本 p.137 - ^
更 に「浪曲 大会 」などの格式張 った舞台 になると、テーブルの両 サイド、離 れた位置 にさらに小 さなテーブルを置 き、松 の盆栽 を置 く。 - ^
関西 では一風 亭 初 月 、関東 でも沢村 豊子 ・佐藤 貴美江 ・玉川 みね子 が、時 おり出 弾 きを披露 する。 - ^
曲師 を隠 すのは、明治 時代 活躍 した桃中軒 雲右衛門 が、曲師 をしていた美 しい妻 を観客 が狙 わないように隠 したことに由来 するという俗説 があるが、実際 にはそれ以前 に美 当 一 調 が始 めた。出典 :安田 宗 生 編 『美 當 一 調 ・桃中軒 雲右衛門 関係 新聞 資料 』 - ^
三味線 を持 つ曲師 は、ついたて無 しに右 隣 に座 る。 - ^
最初 は釈 台 を使 ったが、後 には釈 台 もなく語 った [268] - ^
落語 家 との共演 が多 い玉川 太 福 がテーブル掛 けを座 り高座 用 に畳 み、披露 している。 - ^
浪曲 作家 は浪曲 史 研究 家 を兼 ねるケースが非常 に多 く、その著作 数 は多 い - ^
京山 若 丸 作 。広島 県 矢野 村 に住 む貧 しい小作 農夫 、松岡 のもとに召集令 が下 り、病気 の妻 と幼子 2人 を残 し戦地 へ。周囲 は冷 たく、高利貸 に罵倒 されて誰 の助 けもなく、仕事 先 の組頭 にも残 す家族 の世話 を断 られる。妻 は夫 の心残 りを察 して、2人 の子供 も殺 して自分 の元 へ送 ってくれと書 き遺 して自殺 していた。悲 しみのうちに松岡 が子供 に手 をかけようとする間一髪 、ただ一人 の理解 者 である警官 が飛 び込 んで松岡 を諭 す。様子 を聞 いていた高利貸 も飛 び込 んで非 を詫 び、松岡 は出征 していく。日 露 戦争 後 の社会 の疲弊 と成金 の出現 を痛烈 に批判 した全 く架空 の話 だが、そのリアルさゆえモデルの松岡 を名乗 る男 ができるほどヒット。関東 では東家 楽 燕 、関西 では天 光 軒 満月 がそれぞれ脚色 して受 け継 ぐ。出典 :ワッハ上方 『上方 演芸 大全 』p.292欄外 - ^ また
関西 テレビの節 に浪曲 ジャンルの出演 者 として鉄砲 光三郎 も入 れられている。放送 演芸 史 p.297。なお、章 末 の放送 演目 一覧 表 には独立 して「音頭 」の項目 がある放送 演芸 史 p.314 - ^
昭和 30年 から50年 ごろまで、東西 のコマ劇場 で大勢 の観客 を集 めた公演 には必 ずといっていいぐらい劇 中 劇 があった。誰 でも知 っている芝居 の名 場面 のパロディで、コメディアンと演出 家 の腕 のみせ所 だった。劇 中 劇 にもいろんな切 り口 があるのだが浪曲 (フシ)劇 は必 ずうける定番 であった。当然 のことだが浪曲 劇 は浪曲 がうまくないとおもしろく展開 しない。浪曲 がまだまだ盛 んなころだったから、笑 いものにされるために出 てくれる浪曲 師 などいるわけはない。というわけで劇 中 劇 の浪曲 劇 は、コメディアンで浪曲 のできる人 がいないと成立 しないから、いまではやれなくなってしまった。あのころは堺 駿 二 が見事 な節 で、「港 家 小 柳丸 の実弟 だもの」と教 えてもらって納得 した。玉川 良一 さんは家 号 の通 り玉川 一門 で、〽利根 の川 風 、タモトにエレテエ・・・・・・をギャグにしていたぐらいだから浪曲 劇 はお手 のものだった。雁之助 さんは五条 家 金玉 師匠 が組 んだ浪曲 劇 の一座 でやっていたというから本物 である。一 度 だけねだって雁之助 さんが劇 中 劇 で「神崎 与五郎 ・東 下 りの場 」を浪曲 劇 でやってもらったことがある。浪曲 師 ・芦屋 雁之助 三味線 ・岩崎 節子 神崎 与五郎 ・宮川 大助 茶店 の婆 さん・間 寛平 馬子 丑 五郎 ・芦屋小雁 馬 の足 ・芦屋 雁 平 という配役 である。沢田 隆治 『私 説 大阪 テレビコメディ史 』p.23-24 - ^
戦中 である1943年 (昭和 18年 )末 に発表 された大 日本 興行 協会 の全国 統計 によると、浪曲 専 門 の一座 は255座 、浪曲 ・漫才 の座 は49、浪曲 及 び舞踏 は4、浪曲 劇 専 門 は41、時代 劇 と浪曲 劇 を併演するものは12。出典 :『実録 浪曲 史 』p.118 ★要 確認 - ^
戦前 はこちらが詳 しい - ^
キネマ旬報 年間 ベストテンには、戦前 に浪曲 でもおなじみの主人公 の映画 がいくつかランクインしているが、「浪曲 映画 」は戦前 戦後 を通 して数少 ない。参考 サイト - ^
浪曲 そのままのタイトル、浪曲 師 でもある2代目 友衛 のヒット曲 であるが、歌謡 浪曲 の特徴 は備 えておらず、その点 もあってか浪曲 の範疇 には取 られないことが多 い. - ^
本 調子 であり、浪曲 とは異 なっている - ^
司会 の芦川 淳 平 が書 いた『浪曲 の神髄 』に放送 リストがある - ^ いずれも1クール(3
ヶ月 )程度 の短 いもので、テレビでも人気 が定着 したとは言 い難 い - ^
浪曲 を愛好 してそのもの真似 をやりたがるのは、農村 を含 めた全国 の庶民 だった。『ものまねの歴史 』p.219 - ^
浪曲 の世界 ではまず先人 の節 まねから入 り、徐々 に自分 の節 使 いを創造 していくのが常道 である。節 まねは特別 なものでなく、今 でも二 代目 東家 浦太郎 など、高座 の余興 で披露 する場合 がある。 - ^ 「
雲右衛門 の弟子 で雲 太夫 といった人 が、(柳 亭 )左 楽 さんの門下 になって、信楽 を名乗 った。本名 を鈴木 政吉 という。今西 の正蔵 がこしらえた『墓誌 』に出 ております」出典 :三 遊 亭 円 生 『寄席 切 絵図 』(引用 者 補足 :桃中軒 雲 太夫 といえば東家 楽 燕 のことであり、おそらく芸談 の類 であろう) - ^
弟子 筋 に当 たる古今 亭 志 ん輔が継承 し現在 も寄席 で演 じることがある - ^
言 わずもがなだが、地元 の清水次郎長 伝 →虎造 →森 の石松 の連想 が強力 に働 いたと思 われる。 - ^
小 、坊 については修行 中 を表 す意味 が強 く、その名 を持 つ浪曲 師 だけを集 めた大会 もしばしば開 かれた。(唯 1999, p. 90) - ^ =
東西 の両 協会 (日本 浪曲 協会 と浪曲 親友 協会 )への名前 登録 の有無 - ^
東 三 光 は本来 、京山 華 千代 、初代 春野 百合子 の師匠 の名前 である。
出典
[- ^ a b c 「
浪曲 の魅力 映画 で再 発見 」『読売新聞 』朝刊 2020年 6月 20日 (エンタメ面 ) - ^
出典 :小学館 『日本 大 百科全書 (ニッポニカ)』「浪曲 」秩父 久方 - ^
公益社 団 法人 浪曲 親友 協会 「浪曲 とは」 - ^
日本 浪曲 協会 主催 で度々 開 かれる大会 等 イベントは「笑 う浪花節 vs.泣 く浪花節 」 - ^ 『
東京 人 』380号 、p.16 - ^ または
浪曲 家 (ろうきょくか):三波 美夕 紀 『昭和 の歌 藝人 三波 春夫 ――戦争 ・抑留 ・貧困 ・五輪 ・万博 』(さくら舎 、2016年 5月 14日 ISBN 9784865810523)p.25 - ^
国本 、p.43-44 - ^ エーピーピーカンパニー『
江戸 東京 芸能 地図 大鑑 』付属 冊子 。p.23 - ^
稲田 、2014、p.123 - ^
山折 哲雄 【「歌 」の精神 史 】第 3回 「浪花節 と演歌 」『中央公論 』2005年 7月 号 - ^ 「
一時期 はこの国 の大衆 演芸 のトップを占 め、黄金 時代 とよばれる全盛期 を、なんどもくり返 しつかんだことの浪花 ぶしなのに、この国 の知識 人 からひどくうとまれさげすまれて来 た浪花 ぶしである」(大西 、p.8) - ^
稲田 、2014、p.122。主 に雲右衛門 、楽 燕 の亜流 による『義士 伝 』『乃木 将軍 』などの押 しつけがましさによると推測 されている。 - ^ 『
定本 』p.26. - ^ 『
定本 』p.25. - ^ 『
定本 』p.26.「文 反故 」 - ^ 『
墨 東 奇 譚 』で浪花節 嫌 いを明言 している。 - ^ a b 「
日本 から抹殺 すべきもの」アンケートに「浪曲 」と回答 。『群像 』1950年 2月 号 。(唯 1999, p. 326) - ^ 1942.7.7
聖戦 5周年 楽壇 総動員 大 演奏 会 、交響 詩 曲 「皇軍 頌歌」作詞 三好 達治 、作曲 山田 耕筰 ・諸井 三郎 ・山田 和男 ・尾高 直 忠 ・市川 都志 春 、於国技 館 、主催 東京日日新聞 、陸海 軍 軍楽隊 、後援 陸海 軍 省 、情報 局 」ラジオ放送 された。『日本 近代 芸能 年表 (上 )』p.120、『下 』p.299。 - ^ 「
久保田 万太郎 先生 は『私 は浪花 ぶしといふものが大 嫌 ひである』と明記 。(以下 略 )『定本 』p.26 - ^
大西 、p.10 - ^
中野 朗 『変 奇 館 の主人 』響 文 社 、1999年 11月、310頁 。 - ^ 『
清水 みなとの名物 は―わが心 の劇団 ポートシミズ』 - ^
久米 宏 ラジオなんですけど:「おらおらでひとりいぐも」おひとり様 老女 は何 を思 う TBSラジオ(2017年 11月25日 )2020年 6月 22日 閲覧 - ^ 『
昭和 十 年 生 まれのカーテンコール』ISBN 9784864880367 - ^
典拠 :『高田 文夫 の大衆 芸能 図鑑 』(ISBN 4093798877)、『イヨッ たっぷり!:高田 文夫 の大衆 芸能 図鑑 2』(ISBN 4093798974) - ^ “
記録 2003~2004”. Min Tanaka ★ Rin Ishihara ★ Madada Official Web Site ★. 2023年 5月 13日 閲覧 。 - ^ a b 「
浪花節 の主要 なテーマに「義理 人情 」がある。「義理 人情 」は、社会 生活 の喜怒哀楽 を生 み出 す源泉 である。(中略 )既存 の人間 関係 を保持 しようとする〈義理 〉と、積極 的 に他者 と関 わり、思 いやることをすすめる〈人情 〉を両立 させようとする登場 人物 の言動 は、しばしば感動 を引 き起 こし、涙 を誘 う。浪花節 の物語 、特 に「義理 人情 」をテーマとするものには、逃避 できない日々 の暮 らしの中 で耐 え忍 び、なんとかして生 きていく人々 の姿 がえがかれる。なかでも〈義理 〉は様々 な拘束 を生 みだす。受動 的 なきっかけにより生 じた〈義理 〉は、定着 後 、人 の言動 をコントロールしてゆく」真鍋 、2017、p.161。 - ^
出典 :デジタル大辞泉 「浪花節 的 」(コトバンク)2020年 6月 22日 閲覧 - ^ a b c
小沢 昭一 『日本 の放浪 芸 』p.361 - ^
広沢 龍 造 編 『独習 で上達 する浪曲 の習 い方 』https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2477920 - ^
日本 が誇 るエンターテイメント「浪曲 」を世界 へ!浪曲 師 ・春野 恵子 がNY公演 にチャレンジ!-世界 を変 えるクラウドファンディングサービスCOUNTDOWN - ^
内山 惣 十郎 『浪曲 家 の生活 』p.232-233 - ^
国本 、p.136 - ^ 『まるごと
三味線 の本 』p.117 - ^
出典 :『上方 伝統 芸能 あんない』浪曲 の章 p.89-102。 - ^
出典 :『上方 演芸 大全 』p.295 - ^
明治 ・大正 期 は男性 の浪曲 師 が女性 浪曲 師 より多 かった。演題 の多 くは男女 の区別 なく共有 され、男性 中心 の史観 で事足 りた。真鍋 、2017、p.227。 - ^ 『
東京 人 』380号 p.20-21 - ^
玉川 太 福 が2015年 、シブラク創作 大賞 を受賞 した。 - ^ 「
平成 の浪曲 時代 がやってきた!」『東京 人 』380号 p.12 - ^ 「
落語 に続 け」浪曲 人気 復活 、自由 な表現 で活気 づく『日本経済新聞 』2017年 5月 8日 夕刊 16面 - ^ a b 「『
浪曲 は死 んだ』から2年 、木馬亭 には若 い女性 客 が増加 」『週刊 ポスト』2017年 9月 15日 号 - ^
真鍋 2017p.6 - ^
秩父 重剛 『浪花節 大全 』p.3 - ^
雲右衛門 は凱旋 の頃 にはフシを関東節 から九州 の芸 も取 り入 れ、関西 節 の低 調子 に切 り替 えた。出典 :ワッハ上方 『上方 演芸 大全 』p.287。 - ^
唯 1999, p. 12. - ^
内山 惣 十郎 『浪曲 家 の生活 』p.8。木魚 を用 いてリズミカルに歌 うのが、特 に「阿呆陀羅経 」といわれた。 - ^
大西 信行 『浪花節 繁昌 記 』 - ^ その
源流 として古 くから伝 わる節 談 説教 、声明 。さらなる源流 として大陸 伝来 の京 調 (きょちん)、打 鈴 (だいしん)。出典 :三波 春夫 『歌 藝 の天地 』p. - ^
内山 惣 十郎 『浪曲 家 の生活 』p.9。内容 は尽 くし物 や芝居 の段物 、「色里 名寄 せ」「役者 づくし」「小春 紙 治 紙 づくし」「鎌倉山 (佐野 の隠 れ家 )」「女 盗賊 (笠松 峠 )」「尾張 源 内 (明石 鉄砲 )」「巡礼 殺 し(八鬼山 峠 )」等 がある。 - ^ 『
定本 』p.37-44 - ^ ワッハ
上方 『上方 演芸 大全 』p.284。浪曲 の章 は執筆 :芦川 淳 平 - ^
出典 :倉田 喜弘 『芝居 小屋 と寄席 の近代 ―「遊芸 」から「文化 」へ』p.152 - ^
中村 (1983)p.302-303。なお、1)蝶 浮連節 =浮れ節 =チョンガレで興行 届 を同 じ代表 が書 いている。2)届 けに浅草 在 の「浪花節 」の鑑札 の写 しがある(届 けの年月日 不明 )。 - ^
江戸 東京 で「ウカレブシ」の呼称 では駄目 な理由 をきちんと説明 した文献 は関東 側 には一 つとしてなく、雑誌 『上方 』144号 (1943.(1))の「関西 浪花節 の今昔 」に「江戸 名物 の都々逸 、大津絵 、甚句 、などが『浮 かれ節 』として」あったためとあり、これが明確 な説明 である。出典 :『日本 近代 歌謡 史 』p.2258-2260。 - ^ 「
明治 7年 麻布 の寄席 「福井 亭 」に春日井 松之助 ・八木 亭 清 歌 が出演 したことが端緒 」という異説 あり。『万有 百科 大 事典 3』p.385.文責 は河竹 登志夫 。 - ^
異説 として、神田 橋 の寄席 「渡辺 亭 」。出典 :高橋 博 『大衆 芸能 』p.95。 - ^ 1873
年 (明治 6年 )には両国 広小路 の見世物 小屋 が禁止 された出典 :海野 弘 『東京 の盛 り場 』(2000)p.22 - ^
小沢 昭一 『写真 集 昭和 の肖像 <芸 >』(ISBN 4480876324)p.13. - ^ 『
定本 』p.203に伊藤 高麗 右 衛門 の記載 あり。 - ^
唯 1999, p. 4-6. - ^
唯 1999, p. 26. - ^
原典 :大我 居士 『貧 天地 飢寒 窟 探検 記 』(飢寒 窟 編 )p.14、出典 :上島 敏昭 「仇 討 ちのドラマトゥルギー―浪花節 の忠臣蔵 をめぐって―」『芸能 』33(12) p.30 - ^
唯 、p.9。「雲 入道 一 代 」『二 六 夕刊 』1912年 (大正 元年 )8月 27日 - 9月4日 まで7回 ?6回 連載 を確認 済 み。 - ^ 『
上方 芸能 』(136)p.28 - ^
明治 25年 に番付 あり。『定本 』p.78 - ^ 『
定本 』p.83 - ^
出典 :『近代 日本 芸能 年表 上 』p.95。『萬 朝 報 』『読売新聞 』など当時 の在京 紙 の多 くの紙面 に残 っている。 - ^ その
場 に実地 見学 でいた一心 亭 辰雄 の回想 録 によれば、講談 の邑井貞吉 が『南部 坂 』をやったという。(上記 新聞 記事 に講談 の出演 記載 無 し)駒吉 は『仙台 の鬼 夫婦 』を演 った。(『浪花節 一 代 』, p. 63-65) - ^
吉川 潮 『江戸 っ子 だってねえ浪曲 師 廣澤 虎造 一代 』(1998年刊 )p.22によれば、明治 26年 。柳 亭 左 楽 を筆頭 に落語 ・講談 連合 から開催 に強硬 に反対 する意見 が出 たが、円 遊 の仲介 で手打 ちになったという。 - ^ 「○
猶 敗北 の例 をいはば、浪花節 といふもの、都 の中央 にては大 ろじといふに折々 かかるのみなりしが、この程 は宴席 の余興 にも召 されて、これが寄席 に旦那 様 奥様 の黒 の羽織 を見 ること、敢 えて珍 しからずと聞 く」。発表 は『太陽 』明治 30年 10月 号 、確認 済 み。出典 :坪内 祐 三 編 『明治 の文学 15斎藤緑雨 』(筑摩書房 2002年 )p.410。 - ^
大円 朝 こと三遊亭圓朝 も出演 した大 店 である。出典 :三 遊 亭 圓 生 『寄席 切 絵図 』。 - ^ 1885
年 (明治 18年 )3月 下 席 には早 くも美弘 舎 東一 、浪花 亭 駒吉 が出演 している。出典 :芝 清之 『浪花節 東京 市内 ・寄席 名 及 び出演 者 一覧 』。 - ^ 『
萬 朝 報 』1900年 (明治 33年 )10月 13日 付 。出典 :兵藤 『<声 >の国民 国家 ・日本 』。確認 済 。 - ^ 『うなる』p.106
- ^
大西 信行 『浪花節 繁昌 記 』によれば明治 24年 。 - ^
浪花 亭 駒子 (一心 亭 辰雄 )の回想 録 。(『浪花節 一 代 』, p. 24-25,70-71)。 - ^
正岡 容 『日本 浪曲 史 』p.180-181「明治 31年 、浪花節 界 は感情 的 にもつれ、愛 進 舎 、共 盛会 の二 派 に分 かれ、三 十 五 年 和解 したがさらに同志 会 が生 まれ、この派 には楽 遊 や小 楽 や小 福 や重子 (初代 重正 )も属 したが(以下 略 )。 - ^
活動 写真 の日本 初 は1896年 (明治 29年 )11月17日 - ^
松竹 株式会社 『歌舞伎座 百 年 史 資料 編 』p.53 - ^
安田 宗 生 編 『美 當 一 調 ・桃中軒 雲右衛門 関係 新聞 資料 』 - ^
唯 1999, p. 334. - ^
来日 したグラモフォン社 の録音 技師 フレッド・ガイズバーグによる。以下 はその復刻 版 。『日本 吹込 み事始 1903年 ガイズバーグ・レコーディングス』TOCF 59051。 - ^
原典 :『朝日新聞 』1906年 10月 2日 。(唯 1999, p. 10-11) - ^ コトバンク「
源氏 節 」 - ^
唯 1999, p. 39. - ^
秩父 久方 によれば「当時 の壮士 の演説 会 のようすを模倣 し、芸能 的 にショーアップしたものであろう」出典 :「浪曲 」『日本 大 百科全書 』18巻 p.531。 - ^
岡本 和明 『俺 の喉 は一声 千 両 』 - ^
寄席 の入場 料 が十 銭 の時代 に、一等 一 円 の料金 を取 り、最初 の5日間 で費用 を回収 、それ以降 は入場 料 がそのまま利益 という近代 興行 界 最大 の快挙 であった。出典 :倉田 喜弘 「浪曲 」『日本 音楽 大 事典 』平凡社 。 - ^
派手 な宣伝 は相当 なもので、東京 市 中 に「日本一 の奈良丸 」とビラなどで告知 、関東 の浪花節 語 りは一斉 に反発 しビラを叩 き落 として回 ったという逸話 が残 る。出典 :『定本 』p.139。 - ^ 1908.2.11
浪花節 、吉田 奈良丸 、新富 座 、宣伝 文句 の「日本一 」で浪花節 界 紛糾 (~2.25)[二 六 新報 ]『年表 』上 、p.140。 - ^ 1908
年 (明治 41年 )6月 15日 。『福岡 日 日 新聞 』によれば当年 13歳 。 - ^ 1910
年 (明治 43年 )6月 27日 。『福岡 日 日 新聞 』によれば12歳 。 - ^ 1911
年 (明治 44年 )9月 29日 。『河北 新報 』によれば13歳 。 - ^
成人 し、後 に娘 が天津 羽衣 。 - ^
唯 1999, p. 8の表 2. - ^ つまりレコードも
上 ・中流 階級 から普及 し、隠 れるように浪花節 を聴 いたのである。(『日本 近代 歌謡 史 』, p. 3,別冊 付録 「日本 流行 歌 大系 ・略 史 」) - ^
山口 亀之助 『日本 レコード発達 史 』p.164 - ^
倉田 喜弘 『日本 レコード文化 史 』 - ^
明治 26年 頃 には「どんどん節 」は流行 っている「たいちようドンドン節 」。円 車 の節 を織 り込 んだ「新 どんどん節 」は明治 44年 に流行 。歌詞 も掲示 。歌 本 あり。(『日本 近代 歌謡 史 』, p. 2237,2267-2279,下巻 ) - ^ 「
奈良丸 は、美 しく語 り、歌 った。大衆 はひたすら恍惚 と聴 き惚 れた。その感激 が、かの笹 やぶしの流行 となった。俗 にいう奈良丸 くずしである。〽笹 やささ、ささは要 らぬか煤竹 を、大高 源 吾 は橋 の上 浪花節 〽あした待 たるる宝船 」但 しこの流行 は大正 3年 。浪花節 の流行 歌 としては、三河 家 円 車 のどんどん節 に遅 れること数 年 である」定本 p.140 - ^
大正 3年 から4年 。(『日本 近代 歌謡 史 』) - ^ 『
日本 のうた第 一 集 明治 ・大正 』p.221によれば、最後 の一節 が奈良丸 の浪花節 の節 調 をそのまま採 り入 れている。また三 番 の歌詞 「月 が出 た出 た月 が出 た/セメント会社 の上 に出 た/東京 にゃ煙突 が多 いから/さぞやお月 様 煙 たかろう」はのちの『炭坑 節 』の元 となった。出典 :「東京 のうた.84奈良丸 くずし」『朝日新聞 』1968年 5月 1日 - ^ 『ものまねの
歴史 』p.216 - ^
山口 亀之助 『レコード文化 発達 史 』録音 文献 協会 〈昭 11〉、1936年 、21頁 。 なお『定本 日本 浪曲 史 』によれば、これは幟 に書 かれた演者 本人 が吹込 みをしたものではなく、鼈甲 斎 雲竜 による節 まねであったという。 - ^ 1913.8.17このころ
雑誌 『講談 倶楽部 』が浪花節 を掲載 、講談 師 は反発 して講談 の提供 を止 めようと決議 [二 六 新報 ]。典拠 :『近代 日本 芸能 年表 』上 p.158 - ^
講談社 社 史 編纂 委員 会 『『講談社 の90年 』』、60-61頁 。 - ^
背景 には、浪花節 がその社会 的 地位 を一足飛 びに上 げていく中 で、そのネタ元 として、講釈 師 の高座 やその速記 本 を大 いに利用 していたこともある。(唯 1999, p. 303) - ^
法律 新聞 - ^ NHKで「
浪花節 」から「浪曲 」へい換 えるようになったのは1957年 (昭和 32年 )のことである。『放送 演芸 史 』p.61 - ^
正岡 容 『日本 浪曲 史 』p.135、井上剣花坊 の川柳 。 - ^ 『
定本 』p.116 - ^
上島 敏昭 「仇 討 ちのドラマトゥルギー―浪花節 の忠臣蔵 をめぐって―」『芸能 』33(12) p.30 - ^
安田 宗 生 『国家 と大衆 芸能 』p.13 - ^ 『
大阪 朝日新聞 』1920年 (大正 9年 )8月 21日 付 、『都 新聞 同年 8月 23日 付 など - ^ 1920
年 10月 レコード「国勢調査 」吉田 奈良丸 .東洋 蓄 - ^
奈良丸 の渡米 は1917年 (大正 6年 )。3月8日 サイベリア丸 で鹿島 を立 ち、5月13日 SFユーイングフィールド野球 場 にて邦字 紙 『新 世界 』主催 読者 大会 で口演 。7月8日 ウィルソン大統領 に単独 面会 、後 の首相 ・原 敬 の後押 しで。その後 アメリカ・ビクターで吹 き込 み。出典 :『浪曲 の神髄 』p.97-105。 - ^
唯 1999, p. 25. - ^
移民 一 世 を中心 に第 二 次 世界 大戦 後 も一定 の人気 を保 ち続 け、「コロニア浪曲 」と呼 ばれる現地 制作 のレコードも作 られた。出典 :細川 周平 『遠 きにありてつくるもの―日系 ブラジル人 の思 い・ことば・芸能 』みすず書房 2008年 。 - ^ 『
世界 大 百科 』 - ^ 1912
年 (明治 45年 )3月 17日 、神田 ・市場 亭 にて「安中 草 三 」を6時 間 に及 ぶ通 し読 みをし、一躍 名 を上 げた。出典 :『二 六 新報 』1912年 3月 15日 夕刊 、同 3月 20日 夕刊 。 - ^
日 蓄は大正 14年 6月 、帝国 蓄音器 、三光 堂 、東京 蓄音器 の3社 を合体 させ、合同 蓄音器 が発足 した(8月 3日 設立 )同様 にスタンダード蓄音器 、イーグル蓄音器 が統合 した。出典 :『昭和 演歌 の歴史 』p.75欄外 - ^ (『
日本 近代 歌謡 史 』, p. 3794-3795) - ^
音楽 評論 家 中村 とうようは、レコードが本格 的 に商品 になった時期 を1927年 から1929年 にかけてとみている。真鍋 2017 p.91 - ^
大正 15年 晩秋 、ニッポノホンから発売 された「君 恋 し」がヒットし始 める。出典 :『昭和 演歌 の歴史 』p.74。この前 の時期 の表 。 - ^
歴史 的 音源 - ^ 1921(
大正 10)12.4報知 童謡 音楽 会 「青 い眼 の人形 」本 居 みどり、帝劇 、主催 報知 新聞 〔報知 〕年表 上 p.188 - ^ コトバンク
- ^ 1922.12ヴァイオリン「ミニュウエット」パーロウ、
日 蓄。年表 下 p.18 - ^ 1922(
大正 11)10.14カナダ・パーロウ夫人 のヴァイオリン独演 会 、サラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」、帝劇 (~10.17)音楽 普及 のため報知 新聞 は850名 を無料 招待 〔報知 〕年表 上 p.191 - ^ コトバンク
- ^ コトバンク
- ^
大津絵 節 コトバンク - ^ コトバンク
- ^ コトバンク
- ^ コトバンク
- ^
都々逸 坊 扇 歌 (5代目 )コトバンク - ^ コトバンク
- ^ 1915
年 (大正 4年 )3月 初発 「松江 ・三 津島 勝子 」名義 。日本 芸能 史 年表 ・下 p.10 - ^ コトバンク
- ^ コトバンク
- ^ a b
公開 実験 放送 の段階 にも登場 している。東京 ・上野 不 忍 池 で1924年 (大正 13年 )10月 30日 に東家 楽 燕 の「南部 坂 雪 の別 れ」原 典 :南 利明 「”浪花節 “放送 局 の実態 草創 期 のJOCK」『放送 研究 と調査 』1983年 10月 号 p.56.(唯 1999, p.不明 ) - ^
唯 1999, p. 48表 5に、日本 近代 芸能 年表 下 p.76で補正 . - ^ 1926
年 4月 13日 、逓信 省 聴取 者 嗜好 調査 (人数 )講談 1054、落語 1018、浪曲 756、義太夫 749、ラヂオドラマ707、上記 以外 の邦楽 2550、洋楽 338。年表 下 p.79 - ^ http://www.arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/index.php/%E6%9C%89%E9%A6%AC%E3%81%AE%E7%8C%AB%E9%A8%92%E5%8B%95
- ^
唯 1999, p. 61表 11. - ^
兵藤 裕己 「オーラル・ナラティブの近代 」『成城 国文学 』第 13巻 、成城大学 、1997年 3月 、1-9頁 、CRID 1050282812448899840、2023年 5月 17日 閲覧 。 - ^
堀江 誠二 『悪声 伝 広沢 瓢 右 衛門 の不思議 』p.171 - ^
唯 1999, p. 190-191. - ^ 『
浪花節 一 代 』, p. 283-288,雲井 吉雄 「浪曲 学校 と私 たち」. - ^ 「
日 露 戦争 後 、沸騰 的 に浪花節 が勃興 して市中 の各 席 は殆 どが浪曲 の寄席 となった時代 から見 ると全 く夢 のようです、現在 では市中 には浪曲 専 門 の寄席 が見 られなくなりました、従 って語 る人々 も地方 へ地方 へと流 れ込 んで、残 された者 こそ、全 く選 り抜 きの大 看板 だけとなりました。この人達 はレコードに、放送 に、浪曲 映画 や、浪曲 名人 会 と相当 に発展 をしております。近 く東家 楽 燕 が、九 段 に浪花節 学校 を創立 して、後進 を養成 している、その第 一 回 公演 が過般 、九段 小 劇場 で開催 されました、その夜 楽 燕 に逢 って抱負 を聞 きましたが誠 に結構 なことと思 っております。現在 一流 の浪曲 家 としては、楽 燕 、虎丸 、重友 、大蔵 、重勝 、武蔵 、友衛 、虎造 、米 若 、綾 太郎 、勝太郎 、栄 楽 等 であります」出典 :青山 光太郎 編 『大 東京 の魅力 』1936年 (昭和 11年 )1月 1日 発行 、東京 土産物 協会 コレクション・モダン都市 文化 31 p.259「浪花節 」の部分 。 - ^
放送 演芸 史 p.7 - ^
世界 大 百科 - ^ 「この
七 色 の声 という歌 い文句 は、テイチクの専属 の時 から使 われはじめたもので、その第 一 作 が昭和 10年 の「乃木 将軍 涙 の墓参 」。ついで11年 に発売 した萩原 四朗 作 「銅像 を洗 う女 ・杉野 兵曹 長 の妻 」が大 ヒットし、女性 の浪曲 レコードはあまり売 れないとのジンクスを見事 に打 ち破 った。以来 、<七 色 の声 >は一人 立 ちし、雲 月 の代名詞 となり一 世 を風靡 した」 (唯 1999, p. 356) - ^ 「
浪曲 は取 って置 きの隠 し芸 だった」(唯 1999, p. 84, 「宰相 の趣味 」) - ^ 1938
年 (昭和 13年 )8月 29日 から3日間 の二代目天中軒雲月の襲名 5周年 記念 独演 会 や、1940年 (昭和 15年 )8月 28日 、29日 の春日井 梅 鴬 独演 会 など出典 :『歌舞伎座 百 年 史 』p.272,284,289,298 - ^ 1942
年 (昭和 17年 )には欠 くこともなく毎月 劇場 での浪曲 大会 が続 いたという(唯 1999, p. 112) - ^
放送 演芸 史 p.41 - ^
講談 落語 協会 が禁止 演目 を浅草 妙 本寺 のはなし塚 に葬 ったのは1941年 10月 30日 のことであった。(唯 1999, p. 104) - ^
原本 である『日本 浪曲 史 』p.16「昭和 十 五 年 晩夏 、廣澤 虎造 興行 問題 を巡 っての、浅草 田島 町 殺傷 事件 のごとき、以上 、説 述 した浪曲 家 が伝統 生活 中 の、最 も悪質 に属 する部分 の残滓 のあらわれと見 てよいであろう」 - ^ 『
定本 日本 浪曲 史 』p.30 - ^
詳細 については猪野 健治 『興行 界 の顔役 』ISBN 9784480039798冒頭 を参照 - ^
唯 1999, p. 97,103. - ^
軍事 浪曲 の延長 で作 られた兵藤 p.238-239 - ^
真鍋 p.162-163 - ^
唯 1999, p. 96本文 ・表 14. - ^
読売新聞社 データベース。キーワード「愛国 浪曲 」で確認 - ^
同盟 通信 社 アーカイブズ同盟 旬報 第 4巻 第 32号 (通 号 123号 )A25_0432_123(065)p.3531にて確認 - ^
正岡 容 『日本 浪曲 史 』浪曲 史 年表 に1939年 と1940年 に分 かれて記載 (p.426)年譜 的 信頼 性 に足 りない根拠 。1939年 分 記載 は長谷川 伸 『函館 紺 血 碑 』 -広沢 虎造 、長田 幹彦 『涙 の船唄 』 -寿 々木米 若 、白井 喬二 『筑紫 の博 麻呂 』 -東家 楽 燕 、武田 麟太郎 『天下 の糸 平 』 -玉川 勝太郎 、久米 正雄 『血 を嗣 ぐもの』 -冨士 月子 、藤森 成吉 『長英 の新 出発 』 -春日井 梅 鶯 、子母沢 寛 『十 四 日 の月 』 -木村 友衛 、尾崎 士郎 『村上 六 等 警部 』 -酒井 雲 、長谷川時雨 『桜 ふぶき』 -春野 百合子 、浜本 浩 『東天紅 』 -京山 幸枝 。1940年 分 記載 は佐藤 春夫 『大場 鎮の一夜 』 -梅 中 軒 鶯 童 、倉田 百三 『まごころ』 -宮川 松 安 、三上 於菟吉 『雲 に鳥 無常 剣 』 -広沢 晴海 、菊池 寛 『近衛 篤麿 』 -松風 軒 栄 楽 、木村 毅 『シンガポールの白梅 』 -東武 蔵 。 - ^ 『
新聞 集成 昭和 編年史 』に記載 無 - ^
戊辰戦争 における幕府 側 の戦死 者 を弔 った柳川 熊吉 の義憤 とそれを容認 した官軍 の寛大 さを語 る真鍋 p.162 - ^
新 民謡 をつくりだす情話 文学 者 と米 若 の真鍋 p.163 - ^
愛国 浪曲 になった名作 小説 一覧 (国会図書館 蔵 ) - ^
筑波 山 の乱 に加 わった田中 平八 の伝記 を扱 った真鍋 p.162 - ^
負傷 した兵士 、落合 が看護 婦 、千代 の献身 的 な介護 と輸血 により生 き延 びる物語 .真鍋 p.177 - ^
赤十字 社 の資料 による従軍 看護 婦 の物語 (唯 1999, p. 97) - ^
蘭学 者 高野 長英 を扱 った真鍋 p.162 - ^
水戸 藩士 らの尊王 攘夷 思想 に基 づいて勃発 した天狗 党 の乱 をとりあげた真鍋 p.162 - ^
神 風連 の乱 をとりあげた真鍋 p.162 - ^
松本 上等 兵 夫妻 と一家 の大黒柱 を戦争 で失 った板井 家 との交流 を描 いた真鍋 p.176 - ^
大場 鎮の攻略 で、日本 兵 がある民家 に突入 すると、中国人 の赤 ん坊 がとりのこされていた。兵士 たちが面倒 をみていると、その兄 の少年 がやってきて、日本 兵 の親切 に感激 する。そして日本 兵 を信頼 した少年 は、そのときの隊長 が負傷 したと聞 くやただちに駆 けつけて看護 し、少年 は後日 その隊長 にひきとられて立派 に成人 したという兵藤 『声 の国民 国家 ・日本 』p.229 - ^
観音 信仰 と奇跡 譚 がからんだ父 娘 の愛情 物語 真鍋 p.162 - ^
井伊 直弼 の家臣 でありながら、水戸 学 を学 び、勤王 思想 を掲 げる武士 を主人公 とする真鍋 p.162 - ^
商家 の主従 関係 を扱 った美談 真鍋 p.162 - ^
青空 文庫 - ^ ベルリンオリンピックで
金 メダルを獲得 した孫 基 禎 の物語 である真鍋 p.163 - ^
紙芝居 屋 の戦死 美談 真鍋 p.163 - ^
参考 - ^
歌川 光 『愛国 浪曲 小説 集 』大衆 文芸 社 、1941年 。JP番号 44008870。序 の部分 - ^
正岡 1968p.316「但 し上演 した大半 は棒読 みにちかく(中略 )清吉 など、さぞや片腹痛 かったろう」 - ^
真鍋 p12 - ^ 1941
年 (昭和 16年 )朝日新聞 中央 調査 会 が行 った「地方 娯楽 調査 資料 」があり、浪曲 はやはり全国 的 に人気 を得 ていた事 がわかる。出典 :『近代 庶民 生活 誌 第 8巻 (遊戯 ・娯楽 )』に収録 - ^
小島 貞二 『こんな落語 家 がいた戦中 ・戦後 の演芸 視 』p.168-171 - ^
戦後 に日本 文化 放送 (今 の文化放送 )(当時 はキリスト教会 の意向 が強 く反映 された局 であった)開局 の際 、浪曲 を番組 に採 るか否 かで論争 が起 きたジャパンタイムス、文藝春秋 1950年 5月 号 。結局 、浪曲 番組 は開局 時 から放送 することで決着 する。(唯 1999, p. 217) - ^
帝劇 社 史 ページによれば1940年 9月 情報 局 に徴用 される - ^ 1942
年 3月 に帝国 劇場 は返還 される - ^
唯 1999, p. 101. - ^ ヨミダス
歴史 館 にて確認 。1941.01.31 - ^
原典 :中川 明徳 「浪曲 口三味線 」(唯 1999, p. 49) - ^
唯 1999, p. 110. - ^
出典 :『帝国 劇場 100年 のあゆみ』p.89 - ^
出典 :『大衆 文化 事典 』浪曲 の項 (芝 清之 )(弘文 堂 、1991年 、p.858) - ^
唯 1999, p. 67. - ^ CCDから
禁止 演目 など具体 的 な指示 通達 を受 けたことがわかっている(唯 1999, p. 155-156) - ^
芸能人 の長者 番付 東京 財務局 調査 朝日新聞 1949年 4月 12日 付 に三門 博 、広沢 虎造 、春日井 梅 鶯 の名 - ^
唯 1999, p. 176. - ^ (
唯 1999, p. 306) TBSに入局 し、スポーツアナウンサーとして活躍 した虎造 の息子 、山田 二郎 (虎造 節 継承 会 )も談話 で言 っている - ^ 「
関東 全 地域 ・夏期 民放 在京 3局 高 聴取 率 番組 昭和 32年度 」(唯 1999, p. 261.表 32右 ) - ^ NHK
調 べ。表 の前年 、昭和 31年度 も。1位 浪曲 天狗 道場 (火) ラジオ東京 19.6%、2位 浪曲 名人 席 (日) ラジオ東京 14.4%、3位 浪曲 学校 (木) 文化 放送 14.2%、8位 銭 形 平次 (月) ラジオ東京 9.6%、10位 浪曲 玉手箱 (金) ニッポン9.1% (唯 1999, p. 261.表 32左 ) - ^
兵藤 裕己 『声 の国民 国家 ・日本 』p.12 - ^
宮崎 学 「ヤクザと芸能 の世界 」『ヤクザと日本 』ちくま新書 p.112 - ^
小沢 昭一 『放浪 芸 雑録 』「トクダシ小屋 のトクちゃんの一代記 について/語 り手 =徳 ちゃん」 - ^
大利根 勝子 『浪曲 波乱万丈 !』(DVD) での告白 - ^ 1965
年 (昭和 40年 )から1993年 (平成 6年 )までは毎年 開催 出典 :松竹 (株 )・(株 )歌舞伎座 「歌舞伎座 百 年 史 」平成 7年 (1995年 )発行 - ^
唯 p.219表 23 NHK調 べ - ^ 『
日本 浪曲 大 全集 』 - ^ この
時期 の新聞 記事 に頻繁 に出 てくる - ^
芦川 淳 平 『浪曲 の神髄 』p.47-48 - ^ 「メロディーとともに (7)「
浪曲 ・次郎 長 伝 」『神戸 新聞 』1999年 6月 4日 付 夕刊 、3面 。 - ^ 「
十 二 惜 しかった玉川 福太郎 の事故死 」『定本 日本 浪曲 史 』p.288-289 - ^
浪曲 の隆盛 のため孤軍 奮闘 国本 武春 さんをしのぶ油井 雅和 -毎日新聞 - ^ われら
専修 人 :木村 勝 千代 木村 派 浪曲 師 -朝日新聞 デジタル(専修大学 ドットコム) - ^ 「
浪曲 人気 復活 落語 に続 け」日本経済新聞 2017年 5月 8日 夕刊 p.16 - ^
平成 29年度 文化庁 芸術 祭 (大衆 芸能 部門 )新人 賞 受賞 [1] - ^
読売新聞 2018年 1月 1日 付 第 三 部 3面 「講談 ・浪曲 に新星 」 - ^
玉川 太 福 [@tamagawadaifuku] (2023年 7月 17日 ). "令 和 5年 7月 17日 ". X(旧 Twitter)より2023年 7月 18日 閲覧 。 - ^ 【
新 協会 員 のお知 らせ】 -落語 芸術 協会 2024年 5月 8日 - ^
花 渡 家 ちとせ [@chitose_kadoya] (2024年 4月 10日 ). "お陰様 で鈴本 演芸 場 四 月 上席 昼 の部 、無事 に千秋楽 を迎 えることが出来 ました!". X(旧 Twitter)より2024年 5月 12日 閲覧 。 - ^
人間 国宝 に6人 浪曲 語 りの京山 幸枝 若 さん、沈金 の西 勝広 さんら -朝日新聞 デジタル 2024年 7月 20日 - ^ 2017
年 6月 10日 木馬亭 イベント「電気 浪曲 の会 」虎造 節 大会 関係 者 中心 に天狗 連 - ^
国本 p.70 - ^ これはただただ
怒鳴 る。そうしてカラカラに声 を嗄 らしてしまう。そこをいよいよふた調子 も三 調子 も張 り上 げて、血 を吐 く思 いで歌 いつづける。すると枯 れがれに枯 れつくした底 の底 のまた底 の方 から滾滾 と美 しい声 の泉 が噴 き上 げて来 る。即 ちそれが、自分 の研 がれ、磨 かれ、鍛 え上 げられたほんとうの「声 」なのだ。-正岡 容 『日本 浪曲 史 』南北社 版 p.357-358 - ^ ジャンルは
違 うが、以下 一 例 。「すると先生 は「まず声 の訓練 をせよ」とおっしゃいました。ごうごうと落 ちる滝 、ざあざあと流 れる川 、どうどうと打 ち寄 せる波 、そういうものに向 かって、それらの音 に敗 けない声 でお経 をせよ。三 日 か四日 で声 はつぶれるが、それでも出 ない声 でやる。そのうちのどから血 が出 る。それでもまだやる。そうして三 十 日 か四 十 日 たったころに何 日 も何 日 もしゃべっても決 して枯 れない声 になる。本格 的 な布教 師 になるならば、それに耐 える努力 をしなければならないがどうか、というわけです」-祖父江 省 念 『節 談 説教 七 十 年 』p.69 - ^ また、
声 をよくするためにナメクジを呑 み込 む話 は広沢 瓢 右 衛門 などがしている。出典 :『悪声 伝 』 - ^ 颯田
琴 次 『かたい声 、やわらかい声 』日本 放送 出版 協会 1976。以降 近刊 無 し - ^ 「『
台詞 の不味 い』という点 では『両 横綱 』であった米 若 と春日井 梅 鶯 について、房前 は『タンカを吹 き飛 ばしてお釣 りの来 る』ような『素晴 らしい』声 とフシを二 人 はもっていたと評 している」真鍋 2017p.85 - ^
国本 p.167 - ^ 『まるごと
三味線 の本 』p.117 - ^ 『うなる』p.8
- ^ 『
昭和 の歌 藝人 』p.25 - ^
正岡 容 『日本 浪曲 史 』中川 明徳 による補 章 「第 11章 節 ・外題 付 ・曲師 ・稽古 」p.358 - ^ 『うなる』。p.27-29
- ^
北川 純子 は現役 の曲師 でもあり、東西 の寄席 に出演 している。おもな発表 論文 に北川 純子 「関東節 の浪曲 における三味線 」『大阪教育大学 紀要 第 I部門 人文 科学 』第 60巻 第 1号 、大阪教育大学 、1-18頁 、ISSN 03893448、2020年 4月 28日 閲覧 。 - ^
北川 純子 「日本 音楽 における「間 (ま)」概念 の検討 -浪曲 三味線 の現場 から」『大阪教育大学 紀要 第 I部門 人文 科学 』第 59巻 、大阪教育大学 、1-12頁 、ISSN 03893448、2014年 4月 26日 閲覧 。(大阪教育大学 )がある - ^
定本 p.11 - ^ 『うなる』p.25
- ^ ワッハ
上方 『上方 演芸 大全 』p.282 - ^
唯 1999, p. 356-357. - ^ 『にっぽん
芸能 史 』p. - ^ 『まるごと
三味線 の本 』p.117-118 - ^
定本 p.254-255 - ^
出典 :三波 春夫 『歌 藝 の天地 』 - ^
正岡 容 『日本 浪曲 史 』南北社 版 p.342-343 もそれを裏書 きする - ^
大西 p.11 - ^ (
唯 1999, p. 374, 「関東 ではケレン読 みは天下 を取 れないといわれた。しかしケレンも立派 な芸 であり、特 にケレン読 みの少 ない現在 、再 認識 されるべきである」) - ^
国本 p.11 - ^
安藤 鶴夫 『巷談 本牧亭 』(1964)にも記載 あり。 - ^
大西 p.14 - ^
国本 p.82 - ^
瓢 右 衛門 ブームによって浪花節 の断末魔 にポッと灯 がともったようであるが(中略 )傍流 も傍流 だったケレン浪曲 ―滑稽 味 、諧謔 味 のつよい、いわば都会 的 センスの浪花節 だったからである。出典 :小沢 昭一 「浪花節 と私 」『うなる』p.40 - ^ 「飄右
衛門 さんの語 る明治 ネタの滑稽 浪曲 は大阪 でも東京 でも大 いに受 けて、これでまた浪曲 が息 を吹 き返 すのではないかとふと思 った程 だったが」大西 p.17 - ^
稲田 2014p. - ^ 『
上方 演芸 大全 』p.299 - ^
大西 信行 『浪花節 繁昌 記 』p.76-77 - ^
国本 p.174,付属 CD『待 ってました名 調子 !』題名 通 りに掛 け声 講座 あり。 - ^
国本 武春 がイベントでサングラス姿 やクマのプー太郎 に扮 した例 さえもある。国本 p.116,121 - ^
国本 p.136 - ^
唯 1999, p. 169-170. - ^ a b
国本 p.155 - ^ 「ネタを
借用 」『東京 人 』380号 p.54 リード部分 。 - ^
日本 大 百科全書 (ニッポニカ)の主 な浪花節 演題 などを基 に、現代 化 した一覧 である - ^ レコード
初発 は1928年 5月 「次郎 長 と黒駒 」ヒコーキ。年表 下 p.28.「森 の石松 」1934年 1月 コロムビア. - ^ 2
代目 の初発 は1934年 8月 「天 保水 滸伝・平手 造酒 」ポリドール。年表 下 p.41 - ^
初発 は東海林 太郎 を受 けての1935年 10月 ポリドール。年表 下 p.43 - ^
初発 は1940年 2月 「唄 入 り観音 経 ・吉 五郎 地蔵 の由来 」(御門 名義 )キング。年表 下 p.54 - ^
文化 デジタルライブラリー - ^ どの
組織 にも属 さない一匹狼 がやくざ世界 のしがらみの中 でがんじがらめになりながらもなお意地 を貫 き通 して生 きていく。決 して颯爽 としたヒーローではない。世間 に逆 らい、苦 しみながらそれでも旅 鴉 の生 き方 をまっとうしようとする。その傷 だらけの姿 が胸 を打 つ。p.6.一匹狼 の渡世人 が、清純 で無垢 な女 のために命 を賭 ける。これが股旅 もののパターンになる。p.14.股旅 ものは長谷川 伸 にはじまるという。p.6川本 三郎 『時代 劇 ここにあり』平凡社 、2005年 10月 1日 。ISBN 9784582832693 - ^ 1936
年 8月 タイヘイ年表 下 p.45 - ^ レコード
初発 は1915年 12月 日 蓄。年表 下 p.10 - ^
初発 1924年 6月 オリエント。年表 下 p.21 - ^
初発 は1931年 1月 ビクター。年表 下 p.34 - ^
多 くの傑作 選 に残 る。『極 め付 この節 この一番 名 浪曲 ・関東節 編 』等 - ^ 1934
年 8月 リーガル年表 下 p41 - ^ 2
代目 。初発 は1911年 1月 「義経 安宅 落」日 蓄。東家 楽 遊 が1911年 2月 「大石東 下 り」日 蓄。初発 は1911年 4月 「大高 源 吾 」日 蓄年表 下 p.8 - ^ 1912
年 11月初発 。ライロフォン(ドイツ輸入 盤 ) - ^
初発 は1922年 1月 、帝 蓄。年表 下 p.17 - ^
初発 は1933年 12月 ポリドール。年表 下 p.40 - ^ 1934
年 8月 タイヘイ年表 下 p.41 - ^
初発 は1924年 4月 「乃木 将軍 ・孝子 辻占 売 り」オリエント年表 下 p.22 - ^
二 代目 雲 月 が本格 的 なスターダムにのし上 がったのは1935年 (昭和 10年 )に発表 した「杉野 兵曹 長 の妻 」であったといわれる。1935年 夏 に台本 が書 き下 ろされ、秋 に発表 されたと記 されている。その後 、時 をおかずに、1936年 1月 分 新譜 として「銅像 を涙 で洗 う女 杉野 兵 曹長 の妻 」(テイチク1765-68)が発売 されたと推測 される。真鍋 2017 p.230 - ^ 1932
年 3月 「軍神 誉 の三 勇士 」初代 天 光 軒 満月 、タイヘイ。 - ^ 1932
年 5月 東家 楽 声 、太陽 。 - ^ 1932
年 6月 、吉田 奈良丸 、ビクター。以上 年表 下 p.36 - ^
初発 は1939年 9月 テイチク年表 下 p.53 - ^
初発 は1930年 5月 「丸橋 の附 回 し」パーロフォン年表 下 p.34 - ^ 「
怪 僧 善 達 」ニットーレコードNitto 3543-3544 http://78music.web.fc2.com/nitto.html - ^ 1925
年 (大正 14年 )浪花節 「壷阪寺 」浪花 亭 綾 太郎 、ライオン。年表 下 p.23 - ^
北川 論文 によりダブルチェック済 。 - ^
水野 悠子 『江戸 ・東京 娘 義太夫 の歴史 』p.4-5 - ^ レコード
初発 は1940年 「灰神楽 道中 」ポリドールp.54 - ^
初発 1926年 3月 日 蓄。年表 下 p.24 - ^ レコードの
初発 は1926年 6月 「安中 草 三郎 ・久保田 の最期 」日 蓄。年表 下 p.26 - ^
第 一 弾 は1940年 8月 18日 「夢 の鉄兜 」。和田 肇 のピアノに田中 佐知子 の琴 も加 わった。(唯 1999, p. 100) - ^
唯 1999, p. 270-272. - ^ a b c ワッハ
上方 編 、織田 正吉 「漫才 」『上方 演芸 大全 』p.58 - ^
事実 関係 は『東京 人 』380号 p.22-23 リード文 が「歌謡 浪曲 の村田 英雄 と三波 春夫 」 - ^
稲田 2014。p.186 - ^ また
関東 においても、三門 博 や玉川 福太郎 などがレコードを出 している - ^
矢野 誠一 『昭和 の演藝 二 〇講 』p.148 - ^ 「
芸人 」を「芸能人 」というようになったのは、たしか戦前 の昭和 十 五 、六 年 ごろだったように記憶 している。時 の情報 局 が考 え出 したように思 うから、つまり’’官製 語 ’’である。‘‘芸 ’’と’’人 ’’の間 に‘‘能 ’’が加 えられたからといって、たちまち有能 になったわけもあるまいが、そそっかしい芸人 は芸能人 とよばれることで、ハクがついたように嬉 しがった者 もあったらしい。出典 :高橋 博 『大衆 芸能 』教育 史料 出版 会 、1980年 。p.3 - ^ 「
以降 、浪花節 は、ほかの演芸 を圧 して人気 はうなぎのぼり(中略 )まさに大衆 芸能 の王座 を占 めており 」小沢 昭一 『ものがたり芸能 と社会 』白水 社 、1998年 11月。ISDN 9784560039885。p.201 - ^ 「かつての「
日本人 」なら誰 も知 っていた物語 である。だが、それらに登場 するヒーローやヒロインの名 も、既 に私 達 には耳遠 いものになりつつある。浪花節 は今日 ではほぼ忘 れられた、ひと昔 まえのサブカルチャーである」兵藤 『<声 >の国民 国家 ・日本 』p.242 - ^
朝日放送 の浪曲 の項目 には「浪曲 と同根 のものである河内 音頭 は」とある。放送 演芸 史 p.188-189。 - ^ 『まるごと
三味線 の本 』p.146 - ^
現在 でも時折 、定席 以外 の場 で見 られる。出典 :『上方 伝統 芸能 あんない』浪曲 の章 、『待 ってました名 調子 !』、『浪曲 定席 木馬亭 よ、永遠 なれ。芸 豪 烈 伝 +浪曲 日記 』 - ^ コラム:
節 劇 |大衆 芸能 編 ・寄席 |文化 デジタルライブラリー - ^ a b 『
大衆 演劇 お作法 』ぴあ株式会社 、2004年 3月 6日 。p.69 - ^
古 く雲右衛門 以前 の1897年 (明治 30年 )には高松 で市川 小 円 次 。広辞苑 第 6版 「浪花 -節 -芝居 」 - ^
澤田 隆治 「昭和 三 十 年代 、ギャグの基盤 に浪曲 があった」『東京 人 』380号 p.67 - ^
稲田 2014。p.247 - ^
林 正之助 によれば1935年 (昭和 10年 )吉本 はJ.O.スタヂオ及 び日活 と提携 し、寿 々木米 若 、篠田 実 による浪曲 トーキーを公開 した:出典 『上方 笑芸 の世界 』「宮川 左近 ショー」p.124 - ^
小島 貞二 『力道山 以前 の力道山 たち』三 一 書房 、1983年 。に掲載 されている力道山 道場 開 きの礼状 に「吉本 映画 社長 林 正之助 」の名 。 - ^ コトバンク
- ^
唯 1999, p. 376,378-379. - ^
同年 芸術 祭 賞 受賞 (PDF) - ^
浅沼 圭 司 他 編 『新 映画 事典 』美術 出版 社 、1980年 9月 20日 。佐藤 忠男 「日本 映画 の体質 」p.370 - ^ 「トーキー
初期 には、ジャズを取 り入 れた映画 が作 られるいっぽう、浪曲 映画 も盛 んに作 られた。浪曲 は要 所要 所 がフシがついた語 りになっている語 りものである。さらにまた、西洋 音楽 の形式 はとっているが感覚 的 、内容 的 には伝統 的 な語 りものに近 いと考 えられる歌謡 曲 が発達 し」出典 :佐藤 忠男 『増補 版 日本 映画 史 1』岩波書店 、2006年 10月 6日 。p.12 - ^
出典 :『実録 浪曲 史 』、ムービーウォーカー、jmdb日本 映画 データベース - ^
稲田 2014p.187 - ^ 『
歌 藝人 』p.192 - ^ 1961
年 (8月 1日 -28日 興行 )は谷屋 充 作 「桃中軒 雲右衛門 とその妻 」「名月 綾 太郎 ぶし」など。『歌舞伎座 百 年 史 』p.286他 - ^
都 はるみの「唸 り」は弘田 三枝子 の演歌 調 ジャズヴォイスの影響 を受 けたオリジナルな唱法である。菊池 清 麿 『昭和 演歌 の歴史 』p.309 - ^
以上 、「六 〇年代 ――歌謡 曲 ・演歌 の時代 」p.291-326『昭和 演歌 の歴史 』を参考 にした - ^ SPレコードレーベルに
見 る日 蓄-日本 コロムビアの歴史 には、京山 小 円 、奈良丸 の写真 入 りレーベルが納 められている。写真 入 りレーベルは本文 中 にもあるようにセールスが確実 に見込 める限 られた物 だけ発行 された - ^
浅草 ・イサミ堂 のページには浪曲 演者 一覧 があり、より深 く浪曲 を知 りたい人 には便利 である。 - ^
浪曲 (ろーきょく)と(河内 、江 州 )音頭 (おんど)で「ローオン」である。出典 :『日本一 あぶない音楽 河内 音頭 の世界 』p.193 - ^ p.7-72。1909
年 から1952年 までのレコード初発 - ^
石田 信夫 『安来 節 』中国新聞社 1982年 p.201- - ^
津軽 三味線 に明治 期 テーブル掛 けがあった記述 は国本 p.111 - ^
芝 清之 の労作 「浪花節 ラジオ・テレビ出演 者 一覧 」を参照 のこと - ^
内山 惣 十郎 『浪曲 家 の生活 』p.46-77などにスポンサーの盛衰 (日本 電 建 他 )含 め詳 しく載 っている。 - ^
唯 1999, p. 108-109,228-231, 「ラジオの専属 契約 」. - ^
他 に「浪曲 歌合戦 」ABC(民放連 1958年 第 6回 ラジオ視 聴者 参加 番組 部門 佳作 )など『朝日放送 の50年 Ⅲ資料集 』p.28 - ^
当時 ラジオからテレビのディレクターに転 じた澤田 隆治 の証言 。「昭和 三 十 年代 、ギャグの基盤 に浪曲 があった」『東京 人 』380号 p.66 - ^ スポット
- ^
得意 は木村 重松 、木村 重友 、初代 港 家 小 柳丸 など出典 :桂 文楽 『あばらかべっそん』 - ^
大正 10年 に浪曲 から落語 家 に転 じ、没年 昭和 2年 3月 2日 。出典 :『古今 東西 落語 家 事典 』。 - ^ a b 『ものまねの
歴史 』p.229 - ^
神保 喜 利彦 『東京 漫才 調査 報告 及資料 控 』p.99 - ^
石井 公 成 『ものまねの歴史 』p.218-219 - ^
井上 宏 編 『放送 演芸 史 』世界 思想 社 1985年 - ^ その
代表 となる広沢 虎造 の「清水次郎長 伝 」のまねをする人 は(引用 者 補足 :素人 でも)、戦前 ・戦後 を通 じて非常 に多 かったのだ。『ものまねの歴史 』p.228 - ^ 『ものまねの
歴史 』p.225-227 - ^
元 は浪曲 「清水次郎長 」の本 座 村 の為五郎 のタメゴローである。澤田 隆治 『東京 人 』380号 p.67 - ^
高田 文夫 『東京 人 』380号 p.22 - ^
浪花節 の粗 探 しで、昭和 初期 の新作 。戦後 はやらなかった。保田 武宏 『志 ん生 全席 落語 事典 』大和 書房 、2008年 1月 25日 。p.251 - ^ 『
談 志 百 選 』p.390-391には広沢 瓢 右 衛門 から「鈴 が森 」「佐野 山 」他 の稽古 をつけてもらったことを書 いている - ^
瀧口 雅仁 『落語 を観 るならこのDVD』ポット出版 、2009年 11月7日 。ISBN 978-4780801316。 - ^
平岡 正明 『快楽 亭 ブラックの毒 落語 』彩 流 社 , 2009年 。ISBN 978-4779114601。p.7 なお、この演目 は明治 の講釈 師 伊藤痴遊 が作 ったものを瓢 右 衛門 が蘇 らせた - ^ ワッハ
上方 『上方 演芸 大全 』p.226 - ^ ワンピース
世界 研究所 『ワンピース探究 王 』第 4章 ・『ワンピース』侠客 ヒーロー考 (新 大将 「藤 虎 」から垣間見 える尾田 先生 の「男気 」とは!?。 - ^
小池 一夫 『小池 一夫 のキャラクター創造 論 :読者 が「飽 きない」キャラクターを生 み出 す方法 』 - ^
好 きが高 じて『次郎 長 三国志 』のDVDのパッケージにイラストが使 われた - ^ フジテレビ『ちびまる
子 ちゃん大 図鑑 DX』 - ^ マンバ
通信 - ^
大村 克巳 『「はだしのゲン」創作 の真実 』 - ^ 『
香具師 の旅 』河出 文庫 978-4309407166に収録 - ^ ドラマの
友 「越路 吹雪 物語 」20回 - ^ 「
浪花節 もポップアートの一種 として前衛 的 な演劇 活動 (例 えば劇団 「天井 桟敷 」など)にも結 びつくような機運 が起 こりつつあることは注目 に値 する」万有 百貨 大 事典 3音楽 演劇 .p.386.文責 は河竹 登志夫 。 - ^ http://www.terayamaism.com/?p=557
- ^ https://stage.parco.jp/s/program/000346/
- ^
舞台 制作 PLUS+ - ^ http://blog.livedoor.jp/katutiyoane/archives/46391720.html
- ^ 『まるごと
三味線 の本 』p.146-148 - ^ お
披露目 済 でいくと、倍音 をキーワードに活動 する東家 孝太郎 。 - ^
寺岡 呼人 ×八代 亜紀 「ブルースはね、私 ずっと言 い続 けてきてるんですけど、浪曲 なの。物悲 しいリズムと悲 しい言葉 がね」 https://natalie.mu/music/pp/yashiroaki02 - ^ VOXXXに
収録 - ^
解説 - ^ 2023
年 7月 2日 14:30よりNHK Eテレ放送 「NHK浪曲 特選 ・夏 」(公開 録画 :2023年 4月 21日 17:00より、イイノホールでの「NHK東西 浪曲 大会 」) - ^
中日新聞 2023年 7月 6日 、夕刊 、E版 、2面 、「二人 三 脚 受 け継 がれる芸 」(融 )。名古屋 シネマスコーレ公開 は7月 29日 。 - ^
唯 1999, p. 33, 「明治 ・大正 女流 列伝 」. - ^ 『
定本 日本 浪曲 史 』p.304-306に大正 6年版 、昭和 39年版 、昭和 51年版 。 - ^
巡業 した浪曲 師 自身 を持 ち上 げたお手盛 りの番付 も多 く、そこは御 愛嬌 であるとされる。 - ^ この
節 は、稲田 和浩 『浪曲 論 』彩 流 社 2013年 ISBN 978-4779119088、正岡 容 著 大西 信行 編 『定本 日本 浪曲 史 』岩波書店 2009年 ISBN 978-4000242639 を参考 にした。 - ^
定本 p.223 - ^ コトバンク
- ^ コトバンク
- ^
定本 p.5,186-188 - ^
講談 では荒木 南陵 が一 手 に演 じた。原作 の記載 無 。有 竹 修二 『講談 ・伝統 の話芸 』p.237 - ^
定本 p.202 - ^ AERA(31)43p.56-61
- ^
定本 195-196 - ^
定本 p.196-198 - ^
女流 番付 も。実録 p.34,36 - ^
定本 p.65-69 - ^
唯 1999, p. 259. - ^
定本 p.230 - ^ p.34に
女流 番付 あり。実録 p.34-36 - ^
定本 p.88 - ^
定本 p.161 - ^ http://rokyoku.or.jp/index.php?%E6%B8%AF%E5%AE%B6%E5%B0%8F%E6%9F%B3
- ^
初代 は定本 p.203-205 - ^
福岡 から佐賀 、長崎 出身 の浪曲 師 は桃中軒 雲右衛門 の登場 以来 数多 い。安斎 竹夫 『浪曲 事典 』1975年刊 にも九州 が本拠地 の浪曲 師 の掲載 がある - ^
定本 p.102-104 - ^ 「
金原 は自分 の名乗 っていた雲 入道 を酒井 (雲 :引用 者 補足 )に名乗 らせ、自分 は眠 獅庵白 羊 というヘンな名 を付 けたが、いずれにしても余 り有名 でない芸名 を」『浪曲 旅芸人 』p.179 - ^
真鍋 昌 賢 .寛容 な客 ―ニセ物 の芸能 史 に向 けて― - ^
真鍋 2017.p.73-77 - ^ 1926.8.2
関東 浪花節 協会 の擬 名 取締 り、雲 月 に似 せた天 中 軒 雪 月 を私 文書 偽造 で告訴 、ニセモノの鼈甲 齋 虎丸 は天 昇 軒 錦 道 と改名 [国民 ]年表 上 p.212-213 - ^
唯 1999, p. 208. - ^
ニセ
浪曲 師 と思 しき巡業 を捉 えた稀少 な公的 記録 。NDL所蔵 。福島 県 旧 塩川 町 の町 史 の記載 。「広沢 虎造 の一門 で広沢 辰一 の公演 回数 が多 く、他 に関東節 の重鎮 で東山 小 円 」系譜 に記載 が無 い - ^
成立 期 に「都 三 光 」がいた。定本 p.48-49 - ^
唯 1999, p. 288-294, 「松平 国 十 郎 の改名 ―ニセ者 の話 ―」. - ^
月刊 浪曲 1995年 9月 号 - ^ この
人物 を題材 にして、2016年 三谷幸喜 脚本 で舞台 化 - ^ wowowにより
舞台 中継 された - ^ 1912.10.2
桃中軒 雲右衛門 、入道 館 を買収 して開館 式 [万 朝 報 ]近代 日本 芸能 年表 上 p.155 - ^
浅草 公園 の図 。明治 40年 。右 下 の雷門 の位置 の左側 に新 恵比寿 亭 - ^
松山 伝 十郎 編 『浅草 繁昌 記 』実力 社 1910年 p.154 - ^ 『
写真 にみる浅草 芸能 伝 』芝 清之 による解説 。p.203 - ^
堀江 誠二 『悪声 伝 広沢 瓢 右 衛門 の不思議 』p.31 - ^ a b c
定本 p.296 - ^
大阪毎日新聞 1910年 11月29日 付 - ^
大阪 毎日 1910年 12月21日 付 - ^
大阪 毎日 1912年 1月 29日 付 - ^
村嶋 歸 之 調査 『大 大阪 』 - ^
桂米朝 『上方 芸人 誌 』p.177 - ^
浦安 町 誌上 p.293 - ^
三谷 紀美 『浦安 ・海 に抱 かれた町 』筑摩書房 、1995年 。ISBN 4480813810。p.137 - ^ 『
歌 藝人 』p.98-102芸 の難所 として、三河 一色 (現 :西尾 市 海岸 近辺 )と共 に挙 げられる - ^
三谷 p.144 - ^ エーピーピーカンパニー『
江戸 東京 芸能 地図 大鑑 』 - ^ 『
歌 藝人 』p.32
参考 資料
[主 な参考 文献
[秩父 久方 「浪花節 」『日本 大 百科全書 』(ニッポニカ)、小学館 。1984-1994年 (全 26巻 )主 な浪花節 の演題 の部分 興津 要 「浪花節 」『世界 大 百科 事典 』平凡社 。[1]唯 二郎 『実録 浪曲 史 』東峰 書房 、1999年 。ISBN 9784885920486。国本 武春 『待 ってました名 調子 !』アールズ出版 、2012年 。ISBN 9784862042156。大西 信行 『浪花節 繁昌 記 』小学館 、1998年 。ISBN 9784093872645。- 「
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画像 資料
[音声 資料
[- (CD)『
浪花節 名演 集 SP盤 復刻 』全 5枚 日本 コロムビア、2011年 。COCJ-37011 - 15(美 当 一 調 の「糸入 り講談 」や、中川 明徳 『浪花節 発達 史 』で録音 された前身 芸能 の数々 も再 収録 されている) - (CD)
小沢 昭一 『ドキュメント「日本 の放浪 芸 」小沢 昭一 が訪 ねた道 の芸 ・街 の芸 』ビクター、1999年 。VICG-60231 - 37 - (CD)
小沢 昭一 『また又 日本 の放浪 芸 節 談 説教 小沢 昭一 が訪 ねた旅僧 たちの説法 』ビクター、1999年 。VICG-60243 - 48 - (CD)『
全集 ・日本 吹込 み事始 1903年 ガイズバーグ・レコーディングス』ユニバーサルミュージック、2001年 04月 25日 。TOCF-59061 - 71 - (CD) 『
極付 この節 この一番 !!~名 浪曲 ・関東節 編 ~』日本 コロムビア、2013年 5月 29日 。COCJ-38024/5 - (CD) 『
極付 この節 この一番 !!~名 浪曲 ・関西 節 編 ~』日本 コロムビア、2013年 5月 29日 。COCJ-38026/7 国立 国会図書館 歴史 的 音源 「れきおん」レコードによる浪曲 の普及 -歴史 的 に貴重 な音源 をまとめて紹介 している。
関連 項目
[落語 講談 浪曲 十 八 番 - NHK東西 浪曲 大会 演歌 音頭 -浪曲 音頭 河内 音頭 -安来 節 -八木 節 柳家 小半 治 -三 遊 亭 圓 右 #3代目 -堺 正章 -藤 圭子 -内藤 やす子 -泉 ピン子 -親族 に浪曲 師 を持 つ芸能人 。伊藤痴遊 -宮崎 滔天 -頭山 満 畑 俊六 -斎藤 瀏 古賀 廉 造 -床次 竹二郎 -賀 屋 興 宣 -鳩山 一郎 -大野 伴睦 -田中 角栄 -政界 において浪曲 に関係 した者 。いわゆる党人 派 が多 いが、池田 勇人 のように官僚 出身 者 も関係 している。松竹 -篭 寅 興業 部 -吉本興業 -東宝 -山 春 -山口組 -永田 貞雄 川内 康範 - 二代目天中軒雲月の大阪 時代 に作家 として付 く。「哀 怨の記 天 中 軒 雲 月 」は雲 月 と永田 貞雄 の厳 しい結婚 生活 を描 いた初期 作品 。日本 文化 チャンネル桜 -日本 共産党 -浪曲 を取 り上 げることで、支援 する(した)政治 的 団体 著作 隣接 権
脚注
[外部 リンク
[一般 社団 法人 日本 浪曲 協会 公益社 団 法人 浪曲 親友 協会 月刊 浪曲 - archive.today(2013年 4月 27日 アーカイブ分 )東京 かわら版 .net- USEN J-48
浪曲 チャンネル - 24時 間 、浪曲 が流 れる。 - SPレコードレーベルに
見 る日 蓄-日本 コロムビアの歴史 - レコード初期 からの発展 史 に、浪曲 が如何 に重要 な位置 を占 めたか、わかる。 法政大学 大原 社会 研究所 愛国 浪曲 についての記述 浪曲 の歴史 -文化 デジタルライブラリー- NHKクロニクル(
番組 確定 表 検索 ) - 「
最古 の浪曲 レコードも日 文 研 が1万 枚 をアーカイブ化 」(朝日新聞 デジタル記事 2020年 7月 5日 ) 日 文 研 浪曲 SPレコードデジタルアーカイブ