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雪駄せった

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
雪駄せった軽装けいそうくつ
雪駄せったうら かかと部分ぶぶん後金あときんいている

雪駄せった雪踏せった(せった)は、たけがわ草履ぞうり裏面りめんかわって防水ぼうすい機能きのうあたえ、かわそこかかと部分ぶぶんしりてつがついた日本にっぽん伝統でんとうてき履物はきもの草履ぞうり)の一種いっしゅで、いたみにくく丈夫じょうぶである。また、湿気しっけとおしにくい。

歴史れきし

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諸説しょせつあるが、千利休せんのりきゅうみずった露地ろじくためや、下駄げたでは積雪せきせつあいだゆきまるため考案こうあんしたとも、利休りきゅう交流こうりゅうのあった茶人ちゃじん丿貫意匠いしょうによるものともいわれている。おも茶人ちゃじん風流ふうりゅうじんもちいるものとされた。現代げんだいにおいては、男性だんせい着物きもの場合ばあい雪駄せったおおもちいられる。また宗教しゅうきょうてきにも、身分みぶんたか僧侶そうりょがよくもちいている

江戸えど時代じだいには江戸えどまち奉行ぶぎょうしょ同心どうしんかならずばらいとぐち雪駄せったいており、「雪駄せったちゃらちゃら」(後金あときんおと)はかれらのトレードマークだった。

現在げんざい雪駄せったかかともちいられている形状けいじょうおも馬蹄ばていがたとテクタがたが殆んどであるが、江戸えど時代じだい雪駄せったはベタガネがた(またはチャラガネがた)という金属きんぞくせいしりてつまれているもの一般いっぱんてきであり、これをチャラチャラとらしながらくのがいきとされた。ところが、このベタガネは非常ひじょうおとひびきやすい材質ざいしつであり、金属きんぞくせいなこともあって「おとうるさい」「すべりやすい」「きずがつきやすい」などの問題もんだいてん同時どうじ指摘してきされていた。そのような理由りゆうにより、なが年月としつき改良かいりょうがなされて現在げんざいのような馬蹄ばていがたとテクタがた進化しんかしていったという経緯けいいがある。現在げんざい、ベタガネがた雪駄せった購入こうにゅうするのはむずかしい[1]が、一部いちぶ履物はきものてん積極せっきょくてきあつかっているれいもある(「丸屋まるや」や「さきがけ!!雪駄せったじゅく」など)。

かつては愛知あいちけん津島つしま全国ぜんこく雪駄せった生産せいさん半分はんぶんきょうめていたが、2010ねん第一人者だいいちにんしゃてき職人しょくにん死去しきょともなって製作所せいさくしょ閉鎖へいさされたため、今後こんごはシェアの変動へんどうかんがえられる。

近年きんねんでは、雪駄せったひょうしたかたしビニールひょう鼻緒はなお固定こていし、かわ合成ごうせいそこ接着せっちゃくした、軽装けいそう草履ぞうり軽装けいそうくつばれる履物はきもの出回でまわっているが、これらのつくりは雪駄せったよりもヘップサンダルちかく、おもにカジュアルな洋装ようそうにあわせる履物はきものとして普及ふきゅうしている。

大相撲おおずもうにおける雪駄せった

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大相撲おおずもう力士りきしは、さんだん以上いじょうがらなければ雪駄せったくことをゆるされず、じょだん以下いか下駄げた素足すあし)となる。おな雪駄せったける力士りきしでも、さんだん素足すあしにエナメルせい雪駄せった幕下まくしたくろ足袋たびにエナメルせい雪駄せったじゅうりょう以上いじょう関取せきとり)はしろ足袋たびたたみきの雪駄せったとなる。

雪駄せった健康けんこう

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雪駄せったくつちがい、あしつつまない構造こうぞうのため、子供こども雪駄せったいているとあし幅広はばひろ成長せいちょうし、からだ安定あんていしやすくなる。あしゆび圧迫あっぱくしないため、外反母趾がいはんぼしにもならない。またあしれないためあし白癬はくせんにもなりにくい。多湿たしつ日本にっぽんてきした履物はきものである[2]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 丸屋まるや
  2. ^ こんくらあきら 『くつひと不健康ふけんこうにする』株式会社かぶしきがいしゃ希望きぼう 2019ねん ISBN 9784909001030

関連かんれん項目こうもく

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