桂米朝 (3代目 )
1947 | |
ちゃーちゃん べーやん | |
1925 | |
2015 | |
( | |
(1947 | |
1947 | |
『 『 『 『 | |
1987 1996 2002 2009 2015 | |
生涯
[生 い立 ち
[1925
上京 、正岡 との出会 い
[太平洋戦争 終 りの前後
[1945
本格 的 に落語 家 へ
[やがて、
初舞台
[テレビ出演 と落語 研究 家 活動
[1958
上方 落語 四天王 らの復興 尽力
[
文化 貢献 への評価
[1987
晩年
[2009
2013
年譜
[- 1925
年 -関東 州 大連 普 蘭 店 (現 中華人民共和国 遼寧 省 大連 市 普 蘭 店 区 )に生 まれる。 旧制 姫路 中学 を卒業 。- 1943
年 -大東 文化 学院 進学 のため上京 。 - 1944
年 2月 -応召 。 - 1945
年 入隊 。- 3月 -
病気 により入院 。 - 8
月 -退院 。
- 1947
年 9月 -会社 勤 めをしながら四 代目 桂 米 團 治 に入門 、「三 代目 桂米朝 」を名乗 る。 - 1958
年 - 1960
年 12月 -次男 ・三男 が誕生 。 - 1963
年 -次代 の上方 文化 を担 う40歳 以下 の有志 で「上方 風流 (かみがたぶり)」を結成 。茂山 千 之 丞 、藤山 寛美 、大村崑 、現在 の坂田 藤十郎 や竹本 住 大夫 とで同人 誌 を出版 。 - 1966
年 - 7
月 16日 -初 の独演 会 「米 朝 スポットショー」を京都 会館 にて開催 。 - 10月25
日 -安井 金比羅 宮 会館 にて「桂米朝 落語 研究 会 」を開 く。
- 7
- 1967
年 5月2日 -矢野 誠一 の企画 で東京 で初 の独演 会 「桂米朝 上方 落語 の会 」紀伊國屋 ホールで開催 。この会 には安藤 鶴夫 、小沢 昭一 、永 六輔 、立川談志 ら著名 人 も会場 に駆 け付 けた。この会 がきっかけで米 朝 の名 が東京 でも知 られるようになる。 - 1972
年 -正月 と夏 にサンケイホールで独演 会 を開催 。その後 も長年 サンケイでは独演 会 を開 く。 - 1973
年 - この年 より毎年 、地元 姫路 市 で「姫路 落語 会 」を開催 している[21]。 - 1983
年 -公共 広告 機構 のアイバンクのCMに出演 、ラジオ部門 のACCグランプリ、秀作 賞 、タレント賞 を受賞 した。それまでテレビコマーシャルの出演 は一切 拒否 していたが、『ハイ!土曜日 です』でアイバンクを紹介 した事 により実現 した。 - 1987
年 4月 29日 -紫綬褒章 受章 。 - 1988
年 -上方 落語 協会 の会長 選挙 に選出 されるも辞退 [12]。 - 1996
年 -落語 家 では五 代目 柳家 小 さんに続 き2人 目 、上方 落語 界 では初 の重要 無形 文化財 保持 者 (人間 国宝 )に認定 される。 - 2002
年 - 2007
年 -米 團 治 に入門 してから数 えて芸能 生活 60周年 であり、桂米朝 を祝 う会 なども行 われ退院 以来 のトリで落語 『将棋 小 噺 』を披露 した。 - 2009
年 - 2012
年 8月 -数 え年 で米寿 を記念 してサンケイホールブリーゼで「米寿 記念 米 朝 展 」を開催 。会 では石黒 浩 が制作 した米朝 アンドロイドロボットが公開 された[22]。これは大阪大学 の石黒 浩 (ロボット工学 者 )とスペシャル4Dクリエーターの遠藤 慎也 によって製作 されたものである[23][24][25]。 - 2013
年 8月 -肺炎 のため入院 。10月に退院 する。 - 2015
年 3月 19日 19時 41分 -肺炎 のため死去 [16]。89歳 没 。同日 付 で従 三 位 追 叙 [18]。 - 2017
年 - 1月 28日 から3月 20日 にかけて兵庫 県立 歴史 博物館 にて特別 展 「人間 国宝 ・桂 米朝 とその時代 」開催 。企画 した同館 学芸 員 は米 朝 の三男 。
人物
[この |
芸風 及 び落語 への取 り組 み
語 り口 調 は端正 で上品 。容姿 も端麗 で人気 を博 した。- 「
芸 は最終 的 には催眠 術 である」が持論 。お客 さんを落語 の世界 へ引 っ張 り込 むことを催眠 術 に例 えている。 滅 びた噺 の復活 や当時 の時代 背景 、風俗 、流行 などの研究 のために多種 多様 な古書 や文書 を収蔵 した書庫 を自宅 に持 つ(孫弟子 の桂 吉弥 曰 く「米 朝 文庫 」)。特 に演目 の登場 人物 が取 る仕草 の研究 に余念 がなく、酒席 でのほろ酔 いと酩酊 の演 じ分 け(酒肴 の口 の運 び方 、酒 の注 ぎ方 など)から縫 い物 の糸 切 りの位置 に至 るまで、日常 生活 上 のさり気 ない動作 に徹底的 なリアリティを追求 している。持 ちネタは多数 あるが、代表 的 なところでは自 ら掘 り起 こした「地獄 八景 亡者 戯 」や「百 年 目 」、自作 に「淀 の鯉 」(中川 清 時代 )や「一文 笛 」がある。身近 な存在 だった実父 、正岡 、米 團 治 が55歳 で亡 くなったので、自身 も55歳 で死 ぬと断言 していた。自 らに課 した55歳 というタイムリミットに間 に合 わせるために、後進 の育成 に加 え、書籍 や音声 資料 による落語 の記録 に精力 的 に取 り組 んだ(実際 には55歳 を遥 かに越 え、89歳 という長寿 をまっとうした)。古典 落語 を流暢 に演 じる正統 派 としての印象 が強 いが、時 として艶笑 落語 も演 じており、現在 でもその音源 がⅭⅮに録 取 され市販 されている。特 に「続 いろはにほへとひとりでする噺 篇 」では、せんずり、自慰 などと言 う卑猥 な言葉 も発 するなど過激 な内容 になっている。
弟子 との関 わり
多 くの弟子 を育 て、長男 の5代目 桂 米 團 治 もその一人 。特 に初期 の弟子 には月亭 可 朝 、2代目 桂枝雀 、2代目 桂 ざこばら異 能 派 が多 く、TVなどで売 れっ子 になっていった。むしろ後期 の方 に桂 吉 朝 ら、師匠 の端正 な芸風 の後継 者 と目 される人材 が多 い。かつては芸 に厳 しく怒鳴 ってはいたが、近年 は大 きな包容 力 で一門 を育 て上 げた。一門 の弟子 たちからは「ちゃーちゃん」と呼 ばれている。5代目 桂 米 團 治 の著書 によると、米 團 治 が幼少 のころ、「おとーちゃん」と発音 しようとして、「ちゃーちゃん」と言 っていたものを当時 の弟子 たちがまねて使 ったのが由来 であるという。厳 しい指導 で知 られていたが、一方 では、破門 者 を一人 も出 さなかったとされ、人情味 のある一 面 も見 せていた。枝 雀 は「自分 やったら兄弟 弟子 の内 半分 位 は破門 にしていただろう。」と述 べたことがあるという。
家族
中川 絹子 夫人 は元 OSSK(大阪 松竹 少女 歌劇 団 、のちのOSK日本 歌劇 団 )の「駒 ひかる」である。十 数 年 パーキンソン病 で静養 していたが2014年 に死別 [20]。長男 は5代目 桂 米 團 治 。次男 (高校 の保健 体育 教諭 から教頭 )と三男 (博物館 の学芸 員 )は双子 で、米 朝 一家 と同 じく武庫之荘 に住 んでいた大村崑 の息子 とは同級生 。
長男 ・5代目 桂 米 團 治 によると「父 の中川 清 」は、とりわけて子煩悩 でも、教育 熱心 でもなく、かといって目立 った諍 いもなく、家 に居 ても丹念 に落語 の資料 に目 を通 している父親 で父子 としては至 って普通 の淡白 な関係 であった。ただわからないことを訊 ねると子供 相手 であっても順 を追 って理路 整然 と説明 するなど、父親 と本業 の両面 が出 ていた。舞台 での流暢 な喋 りと温厚 そうな雰囲気 の反面 、TVや新聞 を見 て気 に障 ることがあると、途端 に虫 の居所 が悪 くなり、怒声 や剣幕 こそ出 さないものの、険 しい顔 で所作 が乱暴 になり険悪 な雰囲気 を撒 き散 らすなど、子供 にとっては居心地 の悪 くなってしまう気難 しい面 も持 っていた。
- その
他
大塚 徹 が処女 詩集 「古城 幻想 」出版 の寄付 を募 った際 には、中川 清 名義 で資金 ではなく清酒 一 升 を寄付 した[26]。- ニュースなどで
北朝鮮 と米国 を扱 ったいわゆる「米 朝 問題 」を聞 くと「自分 とは無関係 なのにドキっとする」という。 晩年 、「稽古 をつけていただけないでしょうか」と米 朝 の自宅 に電話 をいれたという桂歌丸 は、米 朝 の訃報 を聞 き、「博学 であることは言 うに及 ばず、我々 は落語 界 の『百科 事典 』を失 ったに等 しい」と悼 んだ。俳句 を嗜 み、自 ら俳号 を「八 十 八 」(米 朝 の「米 」を崩 したもの)と称 した。2021年 8月 、俳号 を由来 とした「桂 八十八 」の高座 名 を弟子 の桂 宗 助 が二 代目 (米 朝 を初代 として扱 う)として襲名 することとなった[27]。
幻 の桂 三木助 の襲名
[やがて、3
その
弟子
[弟子
[三 代目 桂 米 紫 月亭 可 朝 二 代目 桂枝雀 二 代目 桂 ざこば桂 朝 太郎 桂 米蔵 二 代目 桂 歌 之 助 十 一 代目 桂 小米 二 代目 桂 米 太郎 桂 米 輔桂 吉 朝 桂 千 朝 桂 米 八 桂 米 二 五 代目 桂 米 團 治 桂 勢 朝 桂 米 平 桂 米 裕 桂 米 左 桂 團 朝 二 代目 桂 八十八 桂 すずめ[31]
預 かり弟子
[孫弟子
[可 朝 門下
[枝 雀 門下
[ざこば門下
[歌 之 助 門下
[米 輔門下
[吉 朝 門下
[米 二 門下
[米 團 治 門下
[曾孫 弟子
[八方 門下
[南光 門下
[雀 三郎 門下
[雀 々門下
[九 雀 門下
[文 我 門下
[塩 鯛 門下
[吉 弥 門下
[玄孫 弟子
[遊 方 門下
[文 都 門下
[方正 門下
[※
南天 門下
[・
雀 太 門下
[受賞 ・栄典
[- 1963
年 :芸術 祭 文部 大臣 奨励 賞 - 1969
年 :芸術 祭 優秀 賞 (「愛宕山 」にて) - 1970
年 :芸術 祭 優秀 賞 - 1972
年 :第 1回 上方 お笑 い大賞 - 1978
年 :大阪 芸術 賞 - 1980
年 :芸術 選奨 文部 大臣 賞 - 1982
年 :第 10回 日本 放送 演芸 大賞 功労賞 - 1983
年 第 25回 ギャラクシー賞 選奨 兵庫 県 文化 賞
- 1987
年 :紫綬褒章 - 1989
年 :姫路 市民 文化 賞 - 1992
年 : キワニス大阪 賞 - 1993
年 :日本酒 大賞 - 1996
年 - 1997
年 - 2001
年 :上方 お笑 い大賞 30周年 記念 特別 賞 - 2002
年 :文化 功労 者 顕彰 [33] - 2009
年 :文化 勲章 [34] - 2010
年 :第 14回 上方 演芸 の殿堂 入 り - 2015
年 :従 三 位
著作 物
[LP
[米 朝 艶笑 上方 落語 いろはにほへと(1971年 、東芝 EMI)当時 だけで1万 枚 近 く売 れ、当時 の落語 のレコードとしては異例 の大 ヒットになった[35]米 朝 艶笑 上方 落語 続 いろはにほへと(1972年 8月 、東芝 EMI)桂米朝 上方 落語 大 全集 (1973年 3月 - 1978年 3月 、東芝 EMI)シリーズ累計 100万 枚 を突破 し、2枚 のゴールデンレコードを獲得 した[35]広沢 瓢 右 衛門 VS桂米朝 (1979年 、東芝 EMI)
CD
[米 朝 艶笑 上方 落語 いろはにほへと(全 2集 、1988年 6月 25日 、東芝 EMI)レコードの復刻 特選 !!米 朝 落語 全集 (全 40集 、1989年 12月13日 - 1993年 12月22日 、東芝 EMI)米 朝 珍品 集 (全 8集 、1989年 12月6日 - 1999年 4月 28日 、東芝 EMI)桂米朝 上方 落語 大 全集 (各 10枚 組 全 4期 分 、2006年 6月 28日 - 7月 26日 、東芝 EMI)同名 レコード全集 全 23集 の復刻 桂米朝 上方 落語 選集 <旅 のはなし>(7枚 組 、2016年 3月 16日 、ユニバーサル)レコードの復刻
DVD
[特選 !!米 朝 落語 全集 (全 30集 、2002年 10月 17日 - 12月18日 、東芝 EMI)文化 勲章 受章 記念 DVD「桂米朝 らくごの世界 」(平成 紅梅 亭 の映像 を厳選 、2010年 11月24日 、EMI MUSIC JAPAN)蔵出 し!米 朝 全集 (DVD7枚 組 、2012年 12月28日 、ユニバーサル)落語 研究 会 桂米朝 全集 (DVD8枚 組 、2014年 11月5日 、ユニバーサル)
CD+DVD
[- THE
米 朝 (DVD・百 年 目 ・本能寺 、CD・地獄 八景 亡者 戯 、2007年 12月26日 、ユニバーサル)
著書
[- 『
米 朝 上方 落語 選 』立 風 書房 、1970年 1月 10日 。 - 『
米 朝 上方 落語 選 続 』立 風 書房 、1972年 8月 20日 。 - 『
落語 と私 』二俣 英五郎 絵 ポプラ社 ポプラ・ブックス 1975文春 文庫 、1986 - 『
上方 芸人 誌 』朝日新聞社 、1976年 3月 8日 。 - 『
上方 落語 ノート』(全 4巻 、青蛙 房 、1978年 1月 - 1998年 1月 ) - 『
米 朝 落語 全集 』(全 7巻 、創 元 社 、1980年 1月 - 1982年 1月 ) - 『
米 朝 ばなし上方 落語 地図 』毎日新聞社 1981講談社 文庫 、1984 - 『
一芸 一 談 』(淡 交社、1991年 2月 )ちくま文庫 、2007年 - 『
友 あり駄句 あり三 十 年 ―恥 多 き男 づきあい春 重 ね』(東京 やなぎ句会 編 、日本経済新聞社 、1999年 3月 ) - 『
桂米朝 私 の履歴 書 』(日本経済新聞社 、2002年 4月 )日経 ビジネス人文 庫 、2007年 - 『
上方 落語 桂米朝 コレクション』(ちくま文庫 、全 8冊 、2002年 9月 - 2003年 7月 ) - 『
桂米朝 集成 上方 落語 』(全 4巻 、豊田 善 敬 ・戸田 学 編 、岩波書店 、2004年 11月 - 2005年 2月 ) - 『
桂米朝 座談 』(単行本 、全 2巻 、豊田 善 敬 ・戸田 学 編 、岩波書店 、2005年 12月 - 2006年 1月 ) - 『
米 朝 よもやま噺 』(朝日新聞社 、2007年 12月 ) - 『
藝 、これ一生 米 朝 よもやま噺 』(朝日新聞 出版 、2010年 2月 ) - 『
桂米朝 句集 』(岩波書店 2011年 ) - 『【
米 朝 よもやま噺 】歳々 年々 、藝 同 じからず』(朝日新聞 出版 、2012年 8月 ) - 『
桂米朝 八 十 八 句 』松岡 ひでたか神戸 交友 プランニングセンター友 月 書房 (制作 ) 2015
共編 著
[- 『
日本 の名 随筆 22笑 』編 (作品社 、1984年 1月 ) - 『
米 朝 ・上岡 が語 る昭和 上方 漫才 』(上岡 龍太郎 との共著 、朝日新聞社 、2000年 6月 ) - 『
対談 笑 いの世界 』(筒井 康隆 との共著 、朝日新聞社 、2003年 9月 - 『
四 世 桂 米 團 治 寄席 随筆 』(編著 、岩波書店 、2007年 11月6日 )米 朝 の誕生 日 に発行 - 『
米 朝 らくごの舞台裏 』小 佐田 定雄 著 筑摩書房 2015年 4月 ISBN 4480068260
出演 作品
[テレビ番組
[- ハイ!
土曜日 です(関西 テレビ) - お
笑 いとんち袋 (関西 テレビ) - ご
両人 登場 (日本 テレビ) 春夏秋冬 (日本 テレビ)味 の招待 席 (朝日放送 )和朗 亭 (朝日放送 )- アベック
料理 コンテスト(毎日放送 ) - トークロータリー
話題 のチャンネル(毎日放送 ) - ビッグショー(NHK
総合 テレビ、1974年 - 1979年 ) ※NHK-BS2 『蔵出 しエンターテインメント』にて再 放送 。 - ナイトinナイト(
朝日放送 ) 米 朝 ・メイコの面白 日本 (朝日放送 )第 47回 NHK紅白 歌合戦 (NHK、1996年 )審査 員 寄席 という場所 落語 という芸 ごと (NHK、1998年 )知 るを楽 しむ・なんでも好奇心 「米 朝 の上方 歌舞伎 案内 」 (NHK教育 テレビ、2005年 7月 度 講師 )
ラジオ番組
[米 朝 ・美智子 のほろ宵 ばなし (ABCラジオ、鈴木 美智子 と)米 朝 よもやま噺 (ABCラジオ、2005年度 - 2013年度 9月 )天壇 ゴールデンリクエスト(近畿放送 、焼肉 の天壇 (京都 )提供 の番組 で水曜日 を担当 。1968年 終了 )米 朝 ・ハンソン・洋子 のリクエストで行 こう(MBSラジオ)特選 !!米 朝 落語 全集 (MBSラジオ)- こんちわコンちゃんお
昼 ですょ! (MBSラジオ) ※月 1回 のゲスト 題名 のない番組 (ラジオ大阪 、小松 左京 と)
テレビドラマ
[現代 浮 かれ節 考 (朝日放送 テレビ、1975年 )連続 テレビ小説 (NHK大阪 )- ふたつの
愛 (NHK大阪 、1998年 ) 火曜 サスペンス劇場 京都 金沢 浦島 太郎 殺人 事件 (日本 テレビ、2003年 ) -伊藤 哲男 役
映画
[女 殺 油 地獄 (東宝 、1957年 ) -市兵衛 役 落語 野郎 大 馬鹿 時代 (東宝 、1966年 ) -西本 役 喜劇 夫婦 善哉 (松竹 、1968年 ) -八 掛 見 役 - カモとねぎ(
東宝 、1968年 ) -山崎 役 - “
経営 学 入門 ”より ネオン太平 記 (日活 、1968年 ) -田宮 役 小 三 治 (オフィス・シマ/ヒポコミュニケーションズ、2009年 )※10代目 柳家 小 三治 を追 いかけたドキュメンタリー映画
劇場 アニメ
[関連 書籍
[- じごくのそうべえ -
桂 米朝 ・上方 落語 ・地獄 八景 より(童心 社 、田島 征 彦作 ・絵 、1978年 1月 、ISBN 4-494-01203-3) 桂米朝 噺 の世界 (写真 集 、宮崎 金次郎 撮影 、小 佐田 定雄 著 、向陽 書房 、2002年 4月 、ISBN 4-906108-46-6)対談 笑 いの世界 -桂 米朝 ×筒井 康隆 (桂米朝 、筒井 康隆 著 、朝日新聞社 、2003年 9月 、ISBN 978-4022598356)- なにわ
華 がたり -中川 絹子 桂米朝 と一門 をささえた半 世 記 (単行本 、廓 正子 著 、淡 交社、2004年 7月 、ISBN 4-473-03182-9) - なんでも
好奇心 2005年 6/7月(ムック、「米 朝 の上方 歌舞伎 案内 」、日本 放送 出版 協会 、2005年 5月 25日 、ISBN 4-14-189125-8) 桂米朝 と上方 落語 の奇蹟 (堀井 憲一郎 講談社 2013年 10月 発売 予定 →諸 事情 により発売 中止 )[36][37]
脚注
[- ^
従来 用 いた『三下 り鞨鼓(三下 りかっこ)』は、2008年 (平成 20年 )10月 に息子 の桂 小米 朝 が五 代目 桂 米 團 治 を襲名 する際 に譲 った。[要 出典 ] - ^
米 朝 の米 という字 を崩 した名 。 - ^ 2012.02.28 「わが
故郷 、武庫之荘 」 - ^
桂 米朝 さんの功績 を後世 に尼崎 ・武庫之荘 で常設 展 - ^ 「
武庫之荘 」駅前 の桜 並木 - ^
至宝 の話芸 噺家 米 朝 の遺産 (上 )上方 落語 復興 神戸 新聞 2015年 3月 21日 閲覧 [リンク切 れ] - ^
上岡 龍太郎 氏 「米 朝 の名前 は永久 欠番 」 デイリースポーツ 2015年 3月 25日 閲覧 - ^
桂 米朝 さん:芸 への心構 え、会社 員 時代 の社内 報 に毎日新聞 2015年 08月 25日 - ^
当初 、米 團 治 は「いずれ米 朝 という名前 を与 える」というつもりで「米 朝 の名前 をあげよう」と中川 に告 げたが、中川 はその場 で「米 朝 という名前 をもらった」と思 い込 んで正岡 に知 らせてしまった。中川 から話 を聞 いた正岡 がすぐさま米 團 治 に礼状 を書 いてしまったことから、米 團 治 も中川 に入門 当初 から3代目 米 朝 を名乗 ることを許 した。 - ^ a b
桂米朝 『桂米朝 私 の履歴 書 』日本経済新聞社 、2002年 。ISBN 978-4532164171。 - ^
郵便 局員 辞 め、落語 一筋 に若 き米 朝 26歳 の覚悟 - ^ a b 5
代目 桂 文枝 (著 )小 佐田 定雄 (編 )『あんけら荘 夜話 (新装 版 )』青蛙 房 、2011年 11月、[要 ページ番号 ] - ^
戸田 学 『上方 落語 の戦後 史 』岩波書店 、2014年 7月 、pp.488 - 489 - ^ a b
桂 米朝 さん、脳幹 梗塞 で入院 8月 中 の出演 取 りやめアサヒ・コム 2009年 7月 31日 閲覧 - ^ a b 「
落語 一筋 しかなかった」=文化 勲章 の桂 米朝 さん時事 ドットコム 2009年 10月 27日 閲覧 - ^ a b
桂 米朝 さん死去 肺炎 89歳 デイリースポーツ 2015年 3月 19日 - ^
桂 米朝 さん葬儀 に1500人 以上 参列 桂 文枝 「遺志 を受 け継 いでいく」 スポーツ報知 2015年 3月 25日 - ^ a b
落語 家 の故 桂米朝 氏 に従 三 位 デイリースポーツ 2015年 4月 17日 閲覧 - ^ 「
姫路 市 |名古山 霊 苑 散策 案内 (桂 米朝 氏 のお墓 が披露 されました・地球儀 噴水 池 を花壇 として再 整備 しました)」名古山 霊 苑 管理 事務所 、姫路 市 、2017年 3月 28日 閲覧 。 - ^ a b
米 朝 憔悴 …車 いすで見送 る妻 ・中川 絹子 さん告別 式 スポニチ 2015年 9月 2日 閲覧 - ^
姫路 落語 会 :米 朝 さん、古里 の高座 元気 な姿 、ファン満足 −40回 記念 :毎日新聞 2012年 8月 6日 - ^
米寿 記念 米 朝 展 サンケイホールブリーゼ 2012年 8月 - ^ さらに
人間 らしく米 朝 アンドロイド「初 高座 」 “落語 電脳 対決 ”に歓声 - ^ 「
米 朝 アンドロイド」完成 大阪 発表 会 を開催 - ^
米 朝 アンドロイド・姫路 落語 会 特別 公演 - ^
姫路 文学 館 企画 展示 「生誕 110年 記念 詩人 大塚 徹 パネル展 」展示 より - ^
桂 宗 助 来夏 二 代目 桂 八十八 を襲名 師匠 ・桂 米朝 さんの俳号 …来年 に襲名 披露 公演 - デイリースポーツ online 2020年 3月 20日 - ^
日 沢 伸哉 (2009年 1月 10日 ). “襲名 悲喜 交”. らくごくら Web篇 上方 落語 こぼれ話 (キャッシュ). 2020年 4月 6日 閲覧 。 - ^ a b c 『
軟派 にっぽんの100人 』(集英社 文庫 、1981年 )pp.346-349香川 登枝緒 「桂米朝 」 - ^ 6
代目 松 鶴 も枝 鶴 時代 までは千 土地 に所属 していたが、松 鶴 襲名 披露 を角 座 で行 うために、松竹 芸能 に移籍 している。 - ^
女優 :三 林 京子 - ^ “
朝日 賞 1971-2000年度 ”.朝日新聞社 . 2022年 8月 19日 閲覧 。 - ^
平成 14年度 文化 功労 者 及 び文化 勲章 受章 者 (五十音 順 )−文部 科学 省 (2009年 10月 25日 アーカイブ) -国立 国会図書館 Web Archiving Project - ^ “■
飯島 名城大 教授 ら5名 文化 勲章 を受章 ”.日本 私立 大学 協会 (2009年 11月4日 ). 2023年 6月 19日 閲覧 。 - ^ a b 『
桂米朝 私 の履歴 書 』(日経 ビジネス人文 庫 )184-185頁 。 - ^ 「
桂米朝 本 」出版 中止 講談社 「関係 者 との認識 の相違 」 - archive.today(2013年 10月 13日 アーカイブ分 ) - ^ 『
桂米朝 と上方 落語 の奇蹟 』刊行 中止 に関 するお詫 びとお知 らせ講談社 ニュースリリース 2013年 10月 11日
関連 項目
[桂米朝 米 朝 一門 正岡 容 小松 左京 小沢 昭一 加藤 武 四 代目 坂田 藤十郎 (二 代目 中村 扇雀 を名乗 っていた頃 からの付 き合 い)吉田 文 雀 (文楽 の人形遣 い、戦後 間 もないときからの付 き合 い)藤岡 琢也 (幼少 の頃 からの付 き合 いで小学校 の後輩 、手 を繋 いで遠足 に行 ったこともある)筒井 康隆 石毛 直道 小澤 紘 司 屋 鋪 要 (同 じ兵庫 県 出身 でありプロ野球 界 随一 の米 朝 ファンだった)大塚 徹 廓 正子
外部 リンク
[桂米朝 -日本 映画 データベース桂米朝 - allcinema桂米朝 - KINENOTE- Beichou Katsura - IMDb
桂米朝 - MOVIE WALKER PRESS桂米朝 (3代目 ) - テレビドラマデータベース桂米朝 (三 代目 ) - NHK人物 録 米 朝 事務所 天満 天神 繁昌 亭 落語 家 名鑑 :桂米朝 -上方 落語 協会 公式 プロフィール- 1982
年度 作品 - ACジャパン(旧 ・公共 広告 機構 )のサイト内 の記事