長谷川はせがわ春子はるこ

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長谷川はせがわ 春子はるこ
(はせがわ はるこ)
アサヒグラフ』1947ねん11月26にちごうより
誕生たんじょう (1895-02-28) 1895ねん2がつ28にち
出生しゅっしょう 東京とうきょう中央ちゅうおう日本橋大伝馬にほんばしおおでんままちさん丁目ちょうめきゅう東京とうきょう日本橋にほんばし日本橋にほんばしどおりあぶらまち
死没しぼつねん (1967-05-07) 1967ねん5月7にち(72さいぼつ
死没しぼつ 東京とうきょう大田おおた
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
運動うんどう動向どうこう だい1かいだい日本にっぽん陸軍りくぐん従軍じゅうぐん画家がか協会きょうかいてん[1]
芸術げいじゅつ分野ぶんや 日本にっぽん洋画ようが随筆ずいひつ戦場せんじょうレポーター
教育きょういく 雙葉ふたば高等こうとう女学校じょがっこう
会員かいいん選出せんしゅつ組織そしき 女流じょりゅう美術びじゅつ奉公ほうこうたい[1]
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長谷川はせがわ 春子はるこ(はせがわ はるこ、1895ねん明治めいじ28ねん2がつ28にち[2] - 1967ねん昭和しょうわ42ねん5月7にち[2])は、明治めいじ時代じだいから昭和しょうわ時代じだいにかけての洋画ようが文筆ぶんぴつとしても活動かつどうし『戯画ぎが漫文まんぶん[3][4]などの著作ちょさくがある。またモダンガールとばれた女性じょせい一人ひとりとも、毒舌どくぜつとしてもられ[5]、エッセイに政治せいじから落語らくご歌舞伎かぶき役者やくしゃ柔道じゅうどう人物じんぶつひょう[6]藤田ふじた嗣治つぐじパブロ・ピカソ対照たいしょう[7]などをしたためた[2][8]

来歴らいれき[編集へんしゅう]

1895ねん明治めいじ28ねんまれ、東京とうきょう日本橋にほんばしどおりあぶらまちげん中央ちゅうおう)の出身しゅっしんである。ちち長谷川はせがわふかしづくり天保てんぽう13ねん旧暦きゅうれき5がつ25にちまれ(1842ねん)で東京とうきょう参事さんじ会員かいいん[注釈ちゅうしゃく 1]長谷川時雨はせがわしぐれは16さいはなれたあねたる。25さいときあねすすめにより画家がかこころざし、鏑木かぶらき清方きよかた師事しじして日本にっぽんまなぶが、梅原うめはら龍三郎りゅうさぶろうから洋画ようがまなんだ。1929ねん昭和しょうわ4ねん)フランスに[12]、このとし翌年よくねんにパリで個展こてんひら[2]。2ねん帰国きこくしてくに画会がかいてん出品しゅっぴんし、同展どうてん解散かいさん同人どうじんとしてに展覧てんらんかい作品さくひんつづけた。

モダンガール(モガ)とばれてあこがれの視線しせんあつめた人々ひとびとなかにある長谷川はせがわを、国際こくさい結婚けっこんをしてみずからもモガとばれたマス・ケート[注釈ちゅうしゃく 2]は、長谷川はせがわ佐藤さとう美子よしこ柴田しばた早苗さなえ望月もちづき百合子ゆりこたちの座談ざだんを「おんなにんごめんあそばせ放談ほうだんかい」としてのこした[13]

まんしゅう事変じへんにちちゅう戦争せんそうときには通信員つうしんいんとして前線ぜんせんおもむき、戦時せんじちゅう女流じょりゅう美術家びじゅつか奉公ほうこうたい委員いいんちょう[1][16]として活動かつどう[17]。1944ねんじゅう製造せいぞう工場こうじょう女性じょせい取材しゅざいをした壺井つぼいさかえが、画家がかすうにん勤労きんろう奉仕ほうしする長谷川はせがわはなしを『婦人ふじん公論こうろん』に寄稿きこうしている[18]戦後せんごはあまり作品さくひんさなくなるが、1957ねん昭和しょうわ32ねんごろから「源氏物語げんじものがたり絵巻えまき」の制作せいさくはじめ、完成かんせい福岡ふくおか筥崎宮はこざきぐう奉納ほうのうされた[5]最期さいご自宅じたくにて死亡しぼうしているのを発見はっけんされる[5]享年きょうねん72。

画業がぎょう[編集へんしゅう]

パリ外遊がいゆうちゅうの1929ねんまつよく1930ねんにザック画廊がろう個展こてんひらいている[5]。フランスから帰国きこく七彩しちさいかい組織そしき(1936ねん1がつ9にち[注釈ちゅうしゃく 3][20]。1938ねん昭和しょうわ13ねん)11月に銀座ぎんざ資生堂しせいどう個展こてんひらく(12にち-15にち[21]。1939ねん4がつには陸軍りくぐん美術びじゅつ協会きょうかい[22]創立そうりつ発起人ほっきにんくわわった[16]

1965ねん昭和しょうわ40ねん)に『長谷川はせがわ春子はるこ源氏物語げんじものがたり絵巻えまきてんとして毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ主催しゅさいだい4かい毎日まいにち美術びじゅつサロン〉に出展しゅってん伊勢丹いせたん百貨店ひゃっかてん、6月24にち-どう30にち)。

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長谷川はせがわ雑誌ざっし女人にょにん藝術げいじゅつ編集へんしゅう美術びじゅつ担当たんとうであった[30]

昭和しょうわ11ねん朝日新聞あさひしんぶん夕刊ゆうかん尾崎おざき士郎しろう小説しょうせつ空想くうそう部落ぶらく」が連載れんさいされると、える[5]小島こじま政二郎まさじろう新聞しんぶん小説しょうせつ次郎じろうちょう日和ひより」)(じろちょう ひなた)を担当たんとう、1953ねん-1954ねん昭和しょうわ28ねん-どう29ねん)の連載れんさいは『京都きょうと新聞しんぶん夕刊ゆうかんである[5]。『週刊しゅうかん現代げんだい』は1964ねん昭和しょうわ39ねん)に長編ちょうへん小説しょうせつ意気いきかんじず』(源氏げんじ鶏太けいた)を連載れんさいしており、のデッサンは中央ちゅうおう収蔵しゅうぞうひんのこっている[5]

そのえん小島こじま小説しょうせつ『おこま:あるおんな掏摸すり(すり)の良心りょうしん』の装丁そうてい(1955ねん講談社こうだんしゃ[31])をがけた[32][33]

文筆ぶんぴつ[編集へんしゅう]

女人にょにん芸術げいじゅつ』1928ねん12がつごうに「みかどてん〉〈雜感ざっかん〉、だい調和ちょうわしょさく」をせた[34]。1929ねん2がつ19にち新聞しんぶんコラム[35]掲載けいさい、エッセイしゅう戯画ぎが漫文まんぶん』(1937ねん)にはパリのおもつづったり[36]、カラー口絵くちえくに画会がかい出品しゅっぴんさく俳優はいゆうぞう」をせたりした[37]。あるいは尾上おがみ菊五郎きくごろう[38]ほかおおくの人物じんぶつひょうしるしたなかに、写真しゃしん福田ふくだ勝治かつじ突然とつぜん訪問ほうもんけ、肖像しょうぞう写真しゃしんのモデルになった経験けいけんめている[39]

満州まんしゅう事変じへん(1931ねん)、ささえ事変じへん(1937ねん)が勃発ぼっぱつすると特別とくべつ通信員つうしんいん委嘱いしょくされ、後者こうしゃさいうちモンゴル日本にっぽんぐん駐屯ちゅうとん訪問ほうもんしてエッセイにまとめた。天津てんしん租界そかい様子ようす[40]大同だいどう石仏いしぼとけぐん見学けんがくしたこと[41]寺内てらうち最高さいこう指揮しきかんあらちゃかこ[42]駆逐くちくかん便乗びんじょうして流氷りゅうひょう遼東りゃおとん半島はんとうかった[43]などめて1939ねん上梓じょうしした。

だい世界せかい大戦たいせん自叙伝じじょでんがある[44]

作品さくひん[編集へんしゅう]

挿絵さしえ原画げんがならびに素描そびょう297まいは、まれ故郷こきょうにあたる東京とうきょう中央ちゅうおう郷土きょうど資料しりょうかん新富しんとみいち丁目ちょうめ13ばん14ごう)に収蔵しゅうぞうされ、2019ねん平成へいせい31)ねん4がつ1にちづけ同区どうく文化財ぶんかざい指定していけた[注釈ちゅうしゃく 4]以下いかの「※」しるし制作せいさくねん

  • 幻想げんそう」 ※大正たいしょう12ねん(1923ねん)、だい8かい郷土きょうどかいてん
  • 原画げんが次郎じろうちょう日向ひなた
  • しょうけい即興そっきょう」 ※大正たいしょう14ねん(1925ねん)、だい10かい郷土きょうどかいてん
  • 習作しゅうさく」 ※大正たいしょう15ねん(1926ねん)、だい11かい郷土きょうどかいてん
  • はる余興よきょう」 栃木とちぎ県立けんりつ美術館びじゅつかん所蔵しょぞう ※昭和しょうわ11ねん(1936ねん
    • 2001ねん10がつ、『奔 (はし) るおんなたち : 女性じょせい画家がか戦前せんぜん戦後せんご : 1930-1950年代ねんだいてんかんぞう作品さくひんとして出品しゅっぴん[46][47]
    • 2013ねん4がつから6がつまで同館どうかん収蔵しゅうぞうひんてん展示てんじ
  • 夜曲やきょくはるきょう」『雑記ざっきちょうすみ 神奈川かながわ県立けんりつ近代きんだい美術館びじゅつかん収蔵しゅうぞう ※1936ねん[48]
  • こうむつよし黄河こうが渡船とせんしょうけい はる」 北海道ほっかいどう教育きょういく委員いいんかい所蔵しょぞう所有しょゆう[49] ※1939ねん出版しゅっぱん自著じちょ挿絵さしえか。
  • しょう國防こくぼう」 栃木とちぎ県立けんりつ美術館びじゅつかん収蔵しゅうぞう[50] ※制作せいさくねん昭和しょうわ18ねん(1943ねん)か[47]同年どうねん陸軍りくぐん美術びじゅつてん出展しゅってん
  • だい東亜とうあせん皇国こうこく婦女ふじょみなはたらけこれ」(だいとうあせん こうこくふじょ かいどうのず) ※1944ねん女性じょせい画家がか25めい合作がっさく[47][51][52]
    • はるなつ」(筥崎宮はこざきぐう所蔵しょぞう)と「秋冬あきふゆ」(靖国神社やすくにじんじゃゆう就館収蔵しゅうぞう)の2てん構成こうせい。2001ねん平成へいせい13ねん)に東京とうきょう昭和しょうわかん展覧てんらんかい昭和しょうわ面影おもかげ職業しょくぎょうつき(えづくし)を中心ちゅうしんとして』に出展しゅってんした(11月ー12がつ[53])。
  • あやしいゆめ」 栃木とちぎ県立けんりつ美術館びじゅつかん収蔵しゅうぞう ※1950ねん
  • はる爛漫らんまん」 ※1952ねん[46][47]
  • 源氏物語げんじものがたり絵巻えまき じゅうよんじょう筥崎宮はこざきぐう所蔵しょぞう ※1958 - 1965ねん 
くに画会がかいてん出品しゅっぴんれき[5]
出品しゅっぴんねんと(昭和しょうわかい 作品さくひんめい 備考びこう0000
1931(6ねん)6かい
  • 人物じんぶつけん
  • おとこ風景ふうけい
  • いだかれたねこ
  • ふえき」
1932(7ねん)7かいてん
  • 人物じんぶつ構図こうず
  • 樺色かばいろ服装ふくそう
  • 俳優はいゆうぞう[54]
  • はなむすめ
1933(8ねん
1934(9ねん)9かいてん
  • かり構図こうず
1935
1936(11ねん)11かいてん
  • 夜曲やきょくはるきょう[48]
  • 「ヘレネとパリス」
1937(12ねん)12かいてん
  • 「ヴヰナスの誕生たんじょう
1938(13ねん)13かいてん
  • えびすじんえびす
1939(14ねん)14かいてん
  • はるのイタリア」
1940(15ねん)15かいてん
  • みなみ粤小
1941(16ねん)16かいてん
  • 麗人れいじん
1942(17ねん)17かいてん
  • やすみなみ薫風くんぷう
1943(18ねん
1944(19ねん
1945(20ねん
1946(21ねん
1947(22ねん)21かいてん
  • 春風しゅんぷう
1948(23ねん)22かいてん
  • 古典こてんはるきょう
1949(24ねん)23かいてん
  • 春雷しゅんらい
1950(25ねん)24かいてん
  • あやしいゆめ
1951(26ねん)25かいてん
  • はなよう
1952(27ねん)26かいてん
  • はる爛漫らんまん[46][47]
1953(28ねん
1954(29ねん
1955(30ねん)29かいてん
  • はるゆめうみ
1956(31ねん
1957(32ねん)31かいてん
  • ちょう飛燕ひえんのようなひと
  • 源氏物語げんじものがたり絵巻えまき」(どう32ねん-40ねん
1958(33ねん
1959(34ねん
1960(35ねん
1961(36ねん)35かいてん
  • 「おもかげ(長谷川時雨はせがわしぐれ女史じょしぞう)」
1962(37ねん
1963(38ねん
1964(39ねん
1965(40ねん

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • 長谷川はせがわ春子はるこしょう画集がしゅう女人にょにん芸術げいじゅつしゃ、1929ねん 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:47016246doi:10.11501/1177823国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんオンライン、公開こうかい範囲はんい国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんない限定げんてい人物じんぶつひょう武者小路むしゃのこうじ實篤さねあつ」、「堀口ほりぐち大学だいがく」、「内藤ないとう辰雄たつお」、「田口たぐち省吾しょうご」、「石渡いしわたさんたち」を収載しゅうさい
  • まんしゅうこく三笠みかさ書房しょぼう、1935ねんdoi:10.11501/1181278 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:47021340公開こうかい範囲はんい国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんない限定げんてい随想ずいそうしゅう中国ちゅうごく内陸ないりく各地かくち日本にっぽんぐんにしたがって訪問ほうもん
    • 改版かいはん、『まんしゅうこく』、ゆまに書房しょぼう〈「帝国ていこく戦争せんそう文学ぶんがく ; 2〉、2004ねん
  • 戯畫ぎが漫文まんぶんあきらもりしゃ、1937ねんdoi:10.11501/3459504 (ぎがまんぶん)<Y994-J7484>。肖像しょうぞう写真しゃしん著者ちょしゃ漫像」、口絵くちえ俳優はいゆうぞう」(三色版さんしょくばん)を掲載けいさい。「はちじゅうももはな、エツフエルとう」159ぺーじ
    • はんちがいか、全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:21586861doi:10.11501/1901757公開こうかい範囲はんい国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんない限定げんてい随想ずいそうしゅう著者ちょしゃ肉筆にくひつ油絵あぶらえ1まいしょばんこみ2まい
  • きたささえこうむ戦線せんせん : ぶん(ほくしもうきょうせんせん:えとぶん)』あかつき書房しょぼう、1939ねんdoi:10.11501/1257794全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:46072518 うちモンゴル日本にっぽんぐん駐屯ちゅうとん訪問ほうもんした随想ずいそうしゅう公開こうかい範囲はんい国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんない限定げんてい[注釈ちゅうしゃく 5]
    • 口絵くちえ征旅せいりょゆうじょう』(カラーばん長谷川はせがわ
    • 目次もくじとびら」(鎌田かまた工兵こうへい少尉しょうい ひつ
    • 口絵くちえ写真しゃしん千田せんだ砲兵ほうへい少佐しょうさ 撮影さつえい)。
    • きたささえこうむ疆戦せん』(ゆまに書房しょぼう文化ぶんかじん近代きんだいアジア ; 8〉、2002ねん文昭ふみあきしゃかん昭和しょうわ14ねん)の複製ふくせいISBN 4-8433-0705-X
  • みなみ処女しょじょ』、興亜こうあ日本にっぽんしゃ、1940ねん全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:46074712doi:10.11501/1048553公開こうかい範囲はんい国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんない限定げんてい随想ずいそうしゅう
    • 伊藤いとう賢三けんぞうふつしるしとその風貌ふうぼうついで)」海軍かいぐんしょう海軍かいぐん軍事ぐんじ普及ふきゅう委員いいんちょう海軍かいぐん少将しょうしょう
    • 松村まつむら秀逸しゅういつ才媛さいえんえが南方なんぽう報告ほうこくついで)」陸軍りくぐんしょう情報じょうほう部長ぶちょう陸軍りくぐん大佐たいさ
  • 東亜とうああちらこちら : 随筆ずいひつしゅう室戸むろと書房しょぼう東京とうきょう、1943ねんdoi:10.11501/1129853全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:46027485 公開こうかい範囲はんい=インターネット公開こうかい図書館としょかん送信そうしん対象たいしょうがい遠隔えんかく複写ふくしゃ可否かひ利用りよう不可ふか随想ずいそうしゅう
  • おおぶろしき』だい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ東京とうきょう〈ミリオン・ブックス〉、1955ねんdoi:10.11501/2932608全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:56003736 公開こうかい範囲はんい国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんない限定げんてい随想ずいそうしゅう。「人物じんぶつうらのうら」として大野おおの伴睦ばんぼく古今ここんていこころざしなま三木みき武吉たけよし三船みふね久蔵きゅうぞうろく代目だいめ菊五郎きくごろう人物じんぶつ評価ひょうか自叙伝じじょでん収載しゅうさい
  • 『ニッポンじじいあいすべし』生活せいかつしゃ、1955ねん[ようページ番号ばんごう]ぺーじdoi:10.11501/2932687全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:56016805 公開こうかい範囲はんい国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんない限定げんてい自叙伝じじょでん短編たんぺん)、「藤田ふじた嗣治つぐじピカソ」をふくむおよそ20めい人物じんぶつひょうくわえ、阿部あべ真之助しんのすけ渋沢しぶさわ秀雄ひでおとの3にん対談たいだん収載しゅうさい
  • 恐妻きょうさいづか縁起えんぎ学風がくふう書院しょいん、1956ねんdoi:10.11501/2932636全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:56008518 公開こうかい範囲はんい国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんない限定げんていたびとグルメ、随想ずいそうしゅう
  • 下平尾しもひらおじき共和きょうわこくへんおどおんなはちじゅうももはな共和きょうわこく、2022ねん4がつ ISBN 978-4-907986-88-9前期ぜんき代表だいひょうさくをまとめ絵画かいが作品さくひん(イラスト、油彩ゆさい装画そうがなど)をカラーで収載しゅうさいした。エッセイは『長谷川はせがわ春子はるこしょう画集がしゅう[56]まんしゅうこく[57]戯画ぎが漫文まんぶん[58]掲載けいさいぶんくわえ、単行本たんこうぼん収録しゅうろく稿こうえた。
  • 下平尾しもひらおじき共和きょうわこくへん源氏げんじ手帖てちょう共和きょうわこく、2023ねん5がつ全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:23854559 ISBN 978-4-907986-89-6

寄稿きこう[編集へんしゅう]

発行はっこうじゅん
女人にょにん芸術げいじゅつ[59]

  • 長谷川はせがわ春子はるこちょ)、女流じょりゅう文学ぶんがくしゃかいへん)『女人にょにん芸術げいじゅつだい1かん鎌倉かまくら文庫ぶんこ東京とうきょう、1949ねん1がつ、116-、全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:0001920 デジタル資料しりょう送信そうしん図書館としょかん個人こじん送信そうしん対象たいしょう遠隔えんかく複写ふくしゃ
    • 才色さいしょくざらしでんぶん、116ぺーじ-。
  • 1かんだい2ごう海邊うみべよくいずみ」(表紙ひょうし)、「カット」1928ねん8がつdoi:10.11501/1578678
    • そののカット担当たんとうかきない青葉あおば深澤ふかざわ紅子べにこ大原おおはらアヤ子あやこ吉田よしだ雅子まさこ
  • 1かんだい3ごう「カット」1928ねん9がつdoi:10.11501/1578679NDLJP:1578679
    • そののカット担当たんとうかきない青葉あおば篠田しのだちか深澤ふかざわ紅子べにこ大原おおはらあや吉田よしだ雅子まさこ
  • 1928ねん10がつごう漫画まんが」1928ねん10がつdoi:10.11501/1578680NDLJP:1578679
  • 1928ねん12がつごう みかどてん雜感ざっかん〉、だい調和ちょうわしょさく」(6ごう記念きねん)、1928ー12、doi:10.11501/1578682 
  • 1929ねん1がつごううえだん特別とくべつ附錄ふろく漫画まんが」1929ねん01がつ、134ー148ぺーじdoi:10.11501/1578683
  • 1929ねん2がつごうえがかれぬさきに:漫画まんが」1929ねん02がつdoi:10.11501/1578684
  • 1929ねん3がつごう「「女人にょにん扉絵とびらえ」1929ねん3がつdoi:10.11501/1578685 
  • 2かん7ごう、1929ねん07がつdoi:10.11501/1578689
    • 「アウ・ルヴオア・巴里ぱり」30ー32ぺーじ
    • どうごう寄稿きこうあり、長谷川時雨はせがわしぐれ日本橋にほんばし」66ー78ぺーじ
  • 9ごう 巴里ぱり日本にっぽん展覽てんらんかい印象いんしょうだい2かん、1929ねん9がつdoi:10.11501/1578691 
  • 3かん11ごう「サボア閑日じょう」1930ねん11月、46ー51ぺーじdoi:10.11501/1578705

「ネオンとでんかざり」『新聞しんぶん広告こうこく』28ごう、5-6ぺーじ日本にっぽん電報でんぽう通信つうしんしゃ、1950ねん7がつCRID 1522825130576036736

初出しょしゅつ年月としつき不明ふめい
  • マス・ケート ちょおんなにんごめんあそばせ放談ほうだんかい」、平井ひらい一弘かずひろ へん『マス・ケート文集ぶんしゅう : 昭和しょうわ華麗かれいきたモダン・ガールの記録きろく近代きんだい文藝ぶんげいしゃ、2011ねん 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんオンライン。

その資料しりょう[編集へんしゅう]

  • 北海道ほっかいどう教育きょういく委員いいんかい収蔵しゅうぞう資料しりょう[60]
    • あきたかしあきらけい自筆じひつ原稿げんこう用紙ようし
    • 長谷川はせがわ春子はるこはつ絵葉書えはがき
      • かがやかい忘年会ぼうねんかいがかりあて[注釈ちゅうしゃく 6]
      • 長谷川時雨はせがわしぐれあて

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう使用しようおも執筆しっぴつしゃ編者へんしゃせいの50おとじゅん

  • 赤塚あかつか書房しょぼう編輯へんしゅう へん文芸ぶんげいまめ年鑑ねんかん昭和しょうわ16年版ねんばん赤塚あかつか書房しょぼう昭和しょうわ16ねんdoi:10.11501/1265814 
    • 文化ぶんか団体だんたい雑誌ざっししゃ同人どうじん雑誌ざっし赤坂あかさかおもてまち3 かがやかい」、27ぺーじ
    • 昭和しょうわ16年度ねんど 3500にん住所じゅうしょろく」、35ぺーじ
  • 長谷川はせがわ 春子はるこ ちょ伊勢丹いせたん へん長谷川はせがわ春子はるこ源氏物語げんじものがたり絵巻えまきてん毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、1965ねん、67ぺーじNCID BB03772190 
  • しょうかつ礼子あやこ橋本はしもとまきつかさ鈴木すずきかおる へん『奔(はし)るおんなたち : 女性じょせい画家がか戦前せんぜん戦後せんご : 1930-1950年代ねんだい尾形おがた明子あきこついで)、栃木とちぎ県立けんりつ美術館びじゅつかん、2001ねん[ようページ番号ばんごう]ぺーじ  展覧てんらんかい図録ずろく長谷川はせがわ春子はるこ吉田よしだふじを、森田もりた元子もとこしまあふひについて。べつだい『Japanese women artists before and after World War II, 1930s-1950s』。2001ねん10がつ21にち-12月9にち栃木とちぎ県立けんりつ美術館びじゅつかんにて開催かいさい
  • さぎ只雄ただお壺井つぼいさかえろん (17) だいろくしょう 戦時せんじ文学ぶんがく (3)」『都留文科大学つるぶんかだいがく研究けんきゅう紀要きようだい65かん都留文科大学つるぶんかだいがく、2007ねん、220ぺーじ (71)、doi:10.34356/00000194ISSN 0286-3774NAID 1100070559912021ねん4がつ30にち閲覧えつらん  壺井つぼいさかえは『婦人ふじん公論こうろん昭和しょうわ19ねん1がつ(1944ねん掲載けいさい随筆ずいひつじゅうをつくるむすめたち」に取材しゅざいさき東京とうきょう兵器へいき工場こうじょういたエピソードとして、長谷川はせがわ春子はるこたち女性じょせい画家がかすうにんどう工場こうじょう勤労きんろう奉仕ほうししていると紹介しょうかい
  • 志村しむら明子あきこ戦前せんぜん女性じょせい雑誌ざっしからさぐ女性じょせいアナーキストたちの言論げんろん世界せかい(3)」『中京大学ちゅうきょうだいがく現代げんだい社会学部しゃかいがくぶ紀要きようだい1かんだい2ごう中京大学ちゅうきょうだいがく現代げんだい社会学部しゃかいがくぶ、2007ねん、53-54ぺーじISSN 1883-0226NAID 1100071448432021ねん4がつ30にち閲覧えつらん 
  • 昭和女子大学しょうわじょしだいがく近代きんだい文学ぶんがく研究けんきゅうしつ へん近代きんだい文学ぶんがく研究けんきゅう叢書そうしょ』 48かん昭和女子大学しょうわじょしだいがく近代きんだい文化ぶんか研究所けんきゅうじょ、1979ねん1がつdoi:10.11501/1337150 NCID BN00448146
    • 長谷川時雨はせがわしぐれ近代きんだい文学ぶんがく研究けんきゅうしつ、95ぺーじ
    • 奥様おくさまあね神崎かんざききよし長谷川はせがわ春子はるこ木村きむらあつし室生むろう犀星さいせい
    • だい11ごうわがとうおんなげいかがやかい誕生たんじょうよろこぶ」
  • 陸軍りくぐん美術びじゅつ協會きょうかいいんほうばく演習えんしゅう見学けんがく」『ろん』9がつごうつうごう25)、造形ぞうけい芸術げいじゅつしゃ、1943ねん9がつ、25ぺーじdoi:10.11501/1536771 
  • 高橋たかはし鈴子すずこちょ)、女流じょりゅう文学ぶんがくしゃかいへん)「長谷川はせがわ春子はるこおく埠頭ふとうにて」『女人にょにん芸術げいじゅつ』1929ねん4がつごう鎌倉かまくら文庫ぶんこ東京とうきょう、1949ねん1がつ、64ー65、doi:10.11501/1578686 
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  • つじおもんみゆういずみ武夫たけお山下やました裕二ゆうじ河田かわた明久あきひさ ちょつじおもんみゆういずみ武夫たけお山下やました裕二ゆうじ板倉いたくら聖哲せいてつ編集へんしゅう委員いいんへん戦争せんそう美術びじゅつ : 戦前せんぜん戦中せんちゅう』 18かん小学館しょうがくかん日本にっぽん美術びじゅつ全集ぜんしゅう〉、2015ねん4がつ、199-200ぺーじISBN 9784096011188 (だいとうあせん こうこく ふじょ かいどうのず)
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  • 東京とうきょうかい事務じむきょく へん東京とうきょう市会しかい』 1かん東京とうきょうかい事務じむきょく昭和しょうわ7ねん10がつ、580ぺーじ(コマ番号ばんごう336: 0336.jp2)ぺーじ 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、NDLJP:1272211
  • 長谷川はせがわふかしづくり江戸えど東京とうきょう実見じっけんろく有光ありみつ書房しょぼう、1968ねんdoi:10.11501/2518766 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション。参事さんじ会員かいいんとなった翌年よくねん6がつ退任たいにん明治めいじ33ねん1がつ東京とうきょう学務がくむ委員いいんちょう選任せんにんされた。
  • 長谷川はせがわ春子はるこ”. www.tobunken.go.jp. ひがしぶんけんアーカイブデータベース. 東京とうきょう文化財ぶんかざい研究所けんきゅうじょ (2014ねん04がつ14にち(2019ねん06がつ06にち更新こうしん)). 2020ねん10がつ29にち閲覧えつらん
  • 東京とうきょう連合れんごう婦人ふじんかい へん婦人ふじん年鑑ねんかん』 48かん昭和しょうわ13年版ねんばん昭和女子大学しょうわじょしだいがく近代きんだい文化ぶんか研究所けんきゅうじょ、1979ねん1がつdoi:10.11501/1337150 
    • かがやかい連絡れんらくさきは「赤坂あかさかおもてまち3吉田よしだふじをかた」か。
    • 広告こうこくおどけ漫文まんぶん長谷川はせがわ春子はるこ ちょあきらもりしゃ発行はっこう、2えんぜに〇〇ぜに
  • 東京とうきょう連合れんごう婦人ふじんかい へん婦人ふじん年鑑ねんかん昭和しょうわ15年版ねんばん東京とうきょう連合れんごう婦人ふじんかい昭和しょうわ15ねんdoi:10.11501/1463625  国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクションNDLJP:1463625
  • 長谷川時雨はせがわしぐれてるかい燦々さんさんかい」『文藝ぶんげいだい2かん2:2がつごう改造かいぞうしゃ、1934-02-01(昭和しょうわ9ねん)、129ぺーじdoi:10.11501/10988018 
  • <日本にっぽん近代文学館きんだいぶんがくかん へん長谷川はせがわ春子はるこ」『日本にっぽん近代きんだい文学ぶんがくだい事典じてんだい3かん人名じんめい〈に - わ〉)、講談社こうだんしゃ、1977ねん、67ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん書誌しょしID:000001360033 
  • 平瀬ひらせあやふとしちょ)、軍事ぐんじ学会がっかいへん)「〈特集とくしゅう 戦争せんそう芸術げいじゅつ 〉「陸軍りくぐん」と「美術びじゅつ」:陸軍りくぐん美術びじゅつ協会きょうかい活動かつどう地方ちほう展開てんかい」『軍事ぐんじ史学しがくだい44かん1(つうごう173)、にしきせいしゃ、2008ねん、4-28ぺーじdoi:10.11501/12932744 
  • 明治大めいじだいせい昭和しょうわ新聞しんぶん研究けんきゅうかい編集へんしゅう製作せいさくへんざつろく・長谷川はせがわ春子はるこほか」『新聞しんぶん集成しゅうせい昭和しょうわ編年史へんねんし昭和しょうわ4年度ねんど、1(いちがつさんがつ)、新聞しんぶん資料しりょう出版しゅっぱん、1989ねん、621ぺーじhttps://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001988242-00 
    • 平井ひらい一弘かずひろ「あるモダーン・ガールの昭和しょうわ初期しょき(I) : 婦人ふじん記者きしゃからドレス・メーカーへ」『だいつま比較ひかく文化ぶんか : 大妻女子大学おおつまじょしだいがく比較ひかく文化ぶんか学部がくぶ紀要きようだい7かん大妻女子大学おおつまじょしだいがく、2006ねん、67-84ぺーじCRID 1050845763331595776 掲載けいさいべつだい『Otsuma journal of comparative culture』。
    • 平井ひらい一弘かずひろ「あるモダーン・ガールの昭和しょうわ初期しょき(II):ドレス・メーカーの国際こくさい結婚けっこん」『だいつま比較ひかく文化ぶんか : 大妻女子大学おおつまじょしだいがく比較ひかく文化ぶんか学部がくぶ紀要きようだい8かん大妻女子大学おおつまじょしだいがく、2007ねん、47-60ぺーじCRID 1050001338401466624 
    • 平井ひらい一弘かずひろ「あるモダーン・ガールの昭和しょうわ初期しょき(III) : 国際こくさい都市とし東京とうきょうにおけるケート一家いっか(1)」『だいつま比較ひかく文化ぶんか : 大妻女子大学おおつまじょしだいがく比較ひかく文化ぶんか学部がくぶ紀要きようだい9かん大妻女子大学おおつまじょしだいがく、2008ねん、84-102ぺーじCRID 1050845763331603456 
  • 平井ひらい一弘かずひろ『あるモダン・ガールの昭和しょうわ初期しょき : マス・ケート一代記いちだいき近代きんだい文藝ぶんげいしゃ、2009ねん 

映像えいぞう資料しりょう

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ むすめ春子はるこまれた1895ねん明治めいじ28ねん)、長谷川はせがわふかしづくり東京とうきょう参事さんじ会員かいいん選挙せんきょ日本橋にほんばしより3きゅう選出せんしゅつ議席ぎせき番号ばんごう13ばん[9]。のち学務がくむ委員いいんちょうされる[10]明治めいじ33ねん1がつ[11])。
  2. ^ 本名ほんみょうGate, Masu(1902ねん-1955ねん)の資料しりょうは、自身じしんしるしたどう座談ざだんかい記録きろく[13]くわえ、当人とうにんつめた平井ひらい一弘かずひろ論考ろんこう[14]伝記でんき[15]がある。マスのおっとポールのちちは1890ねん来日らいにちしたアメリカの宣教師せんきょうしアイザック・ウォレス・ゲート(Isaac Wallace Gate)おなじくははエラは旧姓きゅうせいスティムソン[15]
  3. ^ 洋画ようがしん団体だんたい七彩しちさいかい」の創設そうせつしゃ長谷川はせがわ春子はるこ以下いか佐伯さえき米子よねこ藤川ふじかわ栄子えいこしまあふひ遠山とおやま陽子ようこ三岸みぎし節子せつこ橋本はしもとはなの7めい[19]
  4. ^ 印刷いんさつのための原画げんが87まいと、そののデッサンなど合計ごうけい210てん印刷物いんさつぶつ使つかうイラスト(画稿がこう)はなが保存ほぞんされにくいてん、イラストにメモがえてあって完成かんせいした印刷物いんさつぶつとはことなる絵柄えがら、あるいは素描そびょうくらわせることができる。長谷川はせがわ制作せいさく姿勢しせい人柄ひとがらかんがかたけてえる[45]
  5. ^ 発行はっこうの1939ねんささえ事変じへんの2周年しゅうねんにあたり、このとしささえ事変じへん従軍じゅうぐん記章きしょう発行はっこうされる。従軍じゅうぐん記章きしょうでもっともかずおお[55]長谷川はせがわけていない。
  6. ^ かがやかい[61]大正たいしょう8ねん創立そうりつ[62])は昭和しょうわ16ねんごろ連絡れんらくさきを「赤坂あかさかおもてまち3吉田よしだふじをかた」とし、会員かいいん31めい幹事かんじ岡田おかだ三郞助さぶろうすけ顧問こもん以下いか安井やすい曾太郞そうたろう有鳥あっとり生馬いくま藤田ふじた嗣治つぐじくわえ、会員かいいんおもかおぶれはめしもり米子よなご長谷川はせがわ春子はるこ遠山とおやま陽子ようこ大久保おおくぼ百合子ゆりこかめだかみよ吉田よしだふじを、秋元あきもと松子まつこ宮崎みやざき美喜みき平岩ひらいわ貞子さだこ[63][64]昭和しょうわ9ねんには長谷川時雨はせがわしぐれ春子はるこあね)がかがやかい燦々さんさんかい対比たいひさせている[65]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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関連かんれん資料しりょう[編集へんしゅう]

本文ほんぶん脚注きゃくちゅう使つかっていないもの。出版しゅっぱんねんじゅん

長谷川はせがわ生家せいかについて(ちち長谷川はせがわふかしづくり

  • 東京とうきょう へんいち東京とうきょう参事さんじ会員かいいん名簿めいぼ明治めいじ22ねんどう44ねん)」『東京とうきょう市役所しやくしょ誕生たんじょう』(東京とうきょう資料しりょう集成しゅうせい だい2かん 〉、2000ねん3がつ)。全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:20057523
  • 長谷川はせがわふかしづくり ちょ実見じっけんろく』(出版しゅっぱんしゃ不明ふめい大正たいしょう8ねんdoi:10.11501/1183517国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、NDLJP:1183517

長谷川はせがわ挿画そうがした新聞しんぶん小説しょうせつ改題かいだいした単行本たんこうぼん

  • 尾崎おざき士郎しろう定本ていほん空想くうそう部落ぶらく』(あずまあきら書院しょいん、1947ねん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクションNDLJP:1648302
  • 小島こじま政二郎まさじろう次郎じろうちょう日向ひなたあきら)」『小島こじま政二郎まさじろうしゅう』(河出かわで書房しょぼう大衆たいしゅう文学ぶんがく代表だいひょうさく全集ぜんしゅう だい11〉1955ねんdoi:10.11501/1355901
  • 源氏げんじ鶏太けいた意気いきかんじず』は雑誌ざっし連載れんさい講談社こうだんしゃ週刊しゅうかん現代げんだい』、1964ねん1がつ-12月)6かん1ごう-51ごうdoi:10.11501/33712501-doi:10.11501/3371300)。

長谷川はせがわ雑誌ざっし女人にょにん芸術げいじゅつ時代じだいからだい世界せかい大戦たいせん

  • 尾形おがた明子あきこ「II 創刊そうかんのころ編集へんしゅうしゃたち 生田いくた花代はなよ長谷川はせがわ春子はるこ」『女人にょにん芸術げいじゅつ世界せかい : 長谷川時雨はせがわしぐれとその周辺しゅうへん』(ドメス出版しゅっぱん、1980ねんISBN 4810701174NCID BN02401019
  • 岩見いわみ照代てるよ監修かんしゅう)『「婦人ふじん雑誌ざっし」がつくる大正たいしょう昭和しょうわ女性じょせいぞうだい27かん(ゆまに書房しょぼう、2016ねん複製ふくせい
  • 北原きたはらめぐみ編著へんちょ)「戦時せんじ美術家びじゅつか長谷川はせがわ春子はるこ」『アジアの女性じょせい身体しんたいはいかにえがかれたか : 視覚しかく表象ひょうしょう戦争せんそう記憶きおく』(あおゆみしゃ日本にっぽんがく叢書そうしょ ; 4〉、2013ねん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんオンライン。長谷川はせがわ作風さくふう分析ぶんせき

戦後せんご長谷川はせがわ

  • 日本にっぽん文学ぶんがく』(日本にっぽん文学ぶんがく協会きょうかい、1981ねん4がつ)に長谷川はせがわ新刊しんかん広告こうこくだい30かんだい4ごうつうごう334)、63ぺーじ全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:00019055
  • 新聞しんぶん集成しゅうせい昭和しょうわ編年史へんねんし 昭和しょうわ31年版ねんばん 3』明治めいじ大正たいしょう昭和しょうわ新聞しんぶん研究けんきゅうかい編集へんしゅう制作せいさく)、新聞しんぶん資料しりょう出版しゅっぱん、2008ねん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんオンライン。

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