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海軍かいぐんしょう

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日本の旗 日本にっぽん行政ぎょうせい機関きかん
海軍かいぐんしょうかいぐんしょう
うみ󠄀ぐんしょう
海軍省(ジョサイア・コンドル設計)
海軍かいぐんしょうジョサイア・コンドル設計せっけい
役職やくしょく
大臣だいじん 西郷さいごう従道つぐみち初代しょだい
米内よない光政みつまさ最後さいご
次官じかん 樺山かばやま初代しょだい
三戸さんのへ寿ひさし最後さいご
組織そしき
昭和しょうわ15ねん時点じてん
内部ないぶ部局ぶきょく 軍務ぐんむきょく
兵備へいびきょく
軍需ぐんじゅきょく
人事じんじきょく
教育きょういくきょく
調度ちょうどきょく
経理けいりきょく
医務いむきょく
しゅふねきょく
かん政局せいきょく
建築けんちくきょく
法務局ほうむきょく
外局がいきょく 海軍かいぐん将官しょうかん会議かいぎ
海軍かいぐん技術ぎじゅつ会議かいぎ
海軍かいぐんかんせい本部ほんぶ
海軍かいぐん航空こうくう本部ほんぶ
海軍かいぐん教育きょういく本部ほんぶ
水路すいろ
海軍かいぐん高等こうとう軍法ぐんぽう会議かいぎ
海軍かいぐん東京とうきょう軍法ぐんぽう会議かいぎ
海軍かいぐんだい学校がっこう
海軍兵学校かいぐんへいがっこう
海軍かいぐん機関きかん学校がっこう
海軍かいぐん経理けいり学校がっこう
海軍かいぐん軍医ぐんい学校がっこう
海軍かいぐん潜水せんすいかん
海軍かいぐん特攻とっこう
海軍かいぐん電波でんぱ本部ほんぶ
海軍かいぐん施設しせつ本部ほんぶ
海軍かいぐんへいせん
海軍かいぐん運輸うんゆ本部ほんぶ
海軍かいぐん緊急きんきゅう戦備せんび促進そくしん
海軍かいぐん船舶せんぱく救難きゅうなん本部ほんぶ
練習れんしゅう連合れんごう航空こうくうそうたい
概要がいよう
所在地しょざいち 東京とうきょう麹町こうじまちかすみせき
年間ねんかん予算よさん 14おく9737まん4せんえん1941ねん昭和しょうわ16ねん年度ねんど
設置せっち 1872ねん明治めいじ5ねん)2がつ
廃止はいし 1945ねん昭和しょうわ20ねん)11月
前身ぜんしん 兵部ひょうぶしょう
後身こうしん だい復員ふくいんしょう
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海軍かいぐんしょう(かいぐんしょう、きゅう字体じたいうみ󠄀ぐんしょう)は、かつて存在そんざいした日本にっぽん中央ちゅうおう官庁かんちょうひとつ。きゅう日本にっぽん海軍かいぐん軍政ぐんせいつかさどった機関きかんである[1]主任しゅにん大臣だいじん海軍かいぐん大臣だいじん軍令ぐんれい最高さいこう司令しれいかんである天皇てんのう直属ちょくぞくする軍令ぐんれい担当たんとうする。1945ねん昭和しょうわ20ねん)にアメリカ占領せんりょうぐんにより廃止はいしされた。

沿革えんかく

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1930年代ねんだい海軍かいぐんしょう

太政官だじょうかん布告ふこくだい62ごうにより、1872ねん2がつ兵部ひょうぶしょうから独立どくりつ初期しょき軍政ぐんせい軍令ぐんれい分化ぶんかのところもあったが、明治めいじ憲法けんぽうおよび関連かんれんほう施行しこうさい整理せいりされる。軍令ぐんれい1886ねん明治めいじ19ねん発足ほっそく参謀さんぼう本部ほんぶ吸収きゅうしゅうし、1893ねん明治めいじ26ねん)には海軍かいぐん軍令ぐんれい最高さいこう機関きかんとして設置せっちされ、軍令ぐんれい管轄かんかつする。軍務ぐんむきょく中心ちゅうしん海軍かいぐん政策せいさく軍備ぐんび人事じんじ教育きょういくなどをおこなった。

海軍かいぐんしょう内閣ないかくしょうであり、ちょう海軍かいぐん大臣だいじんで、天皇てんのうによって任命にんめいされた。海軍かいぐん大臣だいじん職務しょくむ海軍かいぐん軍人ぐんじん監督かんとくなど海軍かいぐん軍政ぐんせい管理かんりであり軍令ぐんれいけんたない。また、海軍かいぐん大臣だいじんは1900ねん明治めいじ33ねん)の官制かんせい以降いこう補任ほにん資格しかくとして海軍かいぐん現役げんえき将官しょうかんであることがもとめられた。この補任ほにん資格しかく1913ねん大正たいしょう2ねん)の官制かんせい改正かいせいにより現役げんえきかぎてん削除さくじょされたが、二・二六事件ににろくじけんの1936ねん昭和しょうわ11ねん)にふたた現役げんえきせいもどっている[1]。なお、軍縮ぐんしゅく会議かいぎなどで海軍かいぐん大臣だいじん長期間ちょうきかん日本にっぽん国内こくないにいない場合ばあい内閣ないかく総理そうり大臣だいじんによる兼任けんにんや、臨時りんじ海軍かいぐん大臣だいじんもうけた。

1945ねん昭和しょうわ20ねん)11月30にちみことのりれいだい680ごうによって廃止はいしされ、だい復員ふくいんしょうとなった。このだい復員ふくいんしょう1946ねん昭和しょうわ21ねん)6がつ廃止はいしされ、復員ふくいんちょう引揚援護えんごいんだい復員ふくいんきょく→引揚援護えんごちょう業務ぎょうむきょく厚生省こうせいしょう引揚援護えんごきょく援護えんごきょく社会しゃかい援護えんごきょくて、2001ねん平成へいせい13ねん)の中央ちゅうおう省庁しょうちょう再編さいへん厚生こうせい労働省ろうどうしょう社会しゃかい援護えんごきょくとなる。現在げんざいは、厚労省こうろうしょう社会しゃかい援護えんごきょく援護えんご企画きかくおよび援護えんご業務ぎょうむの2つのもうけられ、残務ざんむ処理しょり担当たんとうしている。

海軍かいぐんしょう財産ざいさん大蔵省おおくらしょう国有こくゆう財産ざいさんきょくげん財務省ざいむしょう理財りざいきょく)に一括いっかつ整理せいりされた。海軍かいぐんしょう資料しりょう一部いちぶは、防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ厚生こうせい労働省ろうどうしょう社会しゃかい援護えんごきょく援護えんご業務ぎょうむがれている。

建物たてもの東京とうきょう千代田ちよだかすみせきにあった。ジョサイア・コンドル設計せっけい[2]により1894ねん完成かんせい海軍かいぐん功労こうろうのあった西郷さいごう従道つぐみち川村かわむらじゅんよし仁礼にれいけいはん銅像どうぞうてられた[3]終戦しゅうせん徐々じょじょ解体かいたいされ、1985ねん完全かんぜん撤去てっきょされた。現在げんざい中央ちゅうおう合同庁舎ごうどうちょうしゃだい5号館ごうかん厚生こうせい労働省ろうどうしょう環境省かんきょうしょうなど)がっており、同館どうかん北東ほくとうかく海軍かいぐんしょう軍令ぐんれいいしぶみがある。

歴代れきだい幹部かんぶ

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海軍かいぐんきょう太政官だじょうかん政府せいふ
だい 氏名しめい 在職ざいしょく期間きかん
かけ 明治めいじ5ねん2がつ28にち-明治めいじ6ねん10がつ25にち
1 勝安かつやすかおる 明治めいじ6ねん10がつ25にち-明治めいじ8ねん4がつ25にち
かけ 明治めいじ8ねん4がつ25にち-明治めいじ11ねん5がつ24にち
川村かわむらじゅんよし中将ちゅうじょう 明治めいじ11ねん5がつ24にち-明治めいじ13ねん2がつ28にち
榎本えのもと武揚ぶよう中将ちゅうじょう 明治めいじ13ねん2がつ28にち-明治めいじ14ねん4がつ7にち
川村かわむらじゅん中将ちゅうじょう 明治めいじ14ねん4がつ7にち- 明治めいじ18ねん12月22にち
海軍かいぐん大輔だいすけ太政官だじょうかん政府せいふ
かけ 明治めいじ5ねん2がつ28にち-明治めいじ5ねん5がつ10日とおか
勝安かつやすかおる 明治めいじ5ねん5がつ10日とおか-明治めいじ6ねん10がつ25にち
かけ 明治めいじ6ねん10がつ25にち-明治めいじ7ねん8がつ5にち
川村かわむらじゅん中将ちゅうじょう 明治めいじ7ねん8がつ5にち-明治めいじ11ねん5がつ24にち
かけ 明治めいじ11ねん5がつ24にち-明治めいじ14ねん6がつ16にち
ちゅう牟田むた倉之助くらのすけ中将ちゅうじょう 明治めいじ14ねん6がつ16にち-明治めいじ15ねん10がつ12にち
かけ 明治めいじ15ねん10がつ12にち-明治めいじ16ねん12月13にち
樺山かばやま 陸軍りくぐん少将しょうしょう 明治めいじ16ねん12月13にち- 明治めいじ19ねん3がつ6にち
海軍かいぐん次官じかん
樺山かばやま中将ちゅうじょう 明治めいじ19ねん4がつ1にち-明治めいじ23ねん5がつ17にち
伊藤いとう雋吉少将しょうしょう 明治めいじ23ねん5がつ17にち- 明治めいじ31ねん11月8にち
斎藤さいとうみのる 大佐たいさ 明治めいじ31ねん11がつ10日とおか- 明治めいじ33ねん5がつ20日はつか
海軍かいぐん総務そうむ長官ちょうかん
斎藤さいとうみのる少将しょうしょう 明治めいじ33ねん5がつ20日はつか- 明治めいじ36ねん12月5にち
海軍かいぐん次官じかん
斎藤さいとうみのる少将しょうしょう 明治めいじ36ねん12月5にち- 明治めいじ39ねん1がつ7にち
加藤かとう友三郎ともさぶろう少将しょうしょう 明治めいじ39ねん1がつ8にち-明治めいじ42ねん12月1にち
財部たからべあや少将しょうしょう 明治めいじ42ねん12月1にち-大正たいしょう3ねん4がつ17にち
鈴木すずき貫太郎かんたろう少将しょうしょう 大正たいしょう3ねん4がつ17にち-大正たいしょう6ねん9がつ1にち
栃内とちない次郎じろう中将ちゅうじょう 大正たいしょう6ねん9がつ1にち-大正たいしょう9ねん8がつ16にち
井出いで謙治けんじ中将ちゅうじょう 大正たいしょう9ねん8がつ16にち-大正たいしょう12ねん5がつ25にち
岡田おかだ啓介けいすけ中将ちゅうじょう 大正たいしょう12ねん5がつ25にち-大正たいしょう13ねん6がつ11にち
安保あぼきよししゅ中将ちゅうじょう 大正たいしょう13ねん6がつ11にち-大正たいしょう14ねん4がつ15にち
大角おおすみ岑生みねお中将ちゅうじょう 大正たいしょう14ねん4がつ15にち-昭和しょうわ3ねん12がつ10日とおか
10 山梨やまなし勝之かつゆきすすむ中将ちゅうじょう 昭和しょうわ3ねん12がつ10日とおか-昭和しょうわ5ねん6がつ10日とおか
11 小林こばやし躋造中将ちゅうじょう 昭和しょうわ5ねん6がつ10日とおか-昭和しょうわ6ねん12月1にち
12 左近さこん司政しせいさん中将ちゅうじょう 昭和しょうわ6ねん12月1にち-昭和しょうわ7ねん6がつ1にち
13 藤田ふじた尚徳なおのり中将ちゅうじょう 昭和しょうわ7ねん6がつ1にち-昭和しょうわ9ねん5がつ10日とおか
14 長谷川はせがわきよし中将ちゅうじょう 昭和しょうわ9ねん5がつ10日とおか-昭和しょうわ11ねん12月1にち
15 山本やまもと五十六いそろく中将ちゅうじょう 昭和しょうわ11ねん12月1にち-昭和しょうわ14ねん8がつ30にち
16 住山すみやま徳太郎とくたろう中将ちゅうじょう 昭和しょうわ14ねん8がつ30にち-昭和しょうわ15ねん9がつ5にち
17 豊田とよだ貞次郎ていじろう中将ちゅうじょう 昭和しょうわ15ねん9がつ5にち-昭和しょうわ16ねん4がつ4にち
18 沢本さわもとよりゆきゆう中将ちゅうじょう 昭和しょうわ16ねん4がつ4にち-昭和しょうわ19ねん3がつ1にち
19 沢本さわもとよりゆき大将たいしょう 昭和しょうわ19ねん3がつ1にち-昭和しょうわ19ねん7がつ17にち
20 おか敬純たかずみ中将ちゅうじょう 昭和しょうわ19ねん7がつ18にち-昭和しょうわ19ねん8がつ5にち
21 井上いのうえ成美まさみ中将ちゅうじょう 昭和しょうわ19ねん8がつ5にち-昭和しょうわ20ねん5がつ15にち
22 多田ただ武雄たけお中将ちゅうじょう 昭和しょうわ20ねん5がつ15にち-昭和しょうわ20ねん11月20にち
23 三戸さんのへ寿ひさし中将ちゅうじょう 昭和しょうわ20ねん11がつ20日はつか- 昭和しょうわ20ねん11月30にち

海軍かいぐん大臣だいじん

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海軍かいぐん次官じかん

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内部ないぶ部局ぶきょく

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海軍かいぐんしょう軍令ぐんれいいしぶみ現在げんざい中央ちゅうおう合同庁舎ごうどうちょうしゃだい5号館ごうかん敷地しきちない揮毫きごうしゃ中曽根なかそね康弘やすひろ

海軍かいぐんしょう各局かくきょくなかもっと重要じゅうようなポストは軍務ぐんむ局長きょくちょうであった。

沿革えんかく

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  • 明治めいじ5ねん 秘史ひしきょく翻訳ほんやくきょく軍務ぐんむきょく造船ぞうせんきょく水路すいろきょく会計かいけいきょく
  • 明治めいじ7ねん 事務じむ記録きろく文書ぶんしょ軍事ぐんじ規定きてい人別にんべつ会計かいけいきょく
  • 明治めいじ8ねん 事務じむ記録きろく文書ぶんしょ人別にんべつ会計かいけいきょく兵器へいききょく
  • 明治めいじ9ねん 事務じむ記録きろく翻訳ほんやく軍務ぐんむきょく会計かいけいきょくしゅふねきょく水路すいろきょく医務いむきょく
  • 明治めいじ14ねん 事務じむ記録きろく翻訳ほんやく規程きていきょく軍務ぐんむきょく会計かいけいきょくしゅふねきょく水路すいろきょく医務いむきょく兵器へいききょく
  • 明治めいじ15ねん 事務じむ統計とうけい記録きろく翻訳ほんやく軍務ぐんむきょく規程きていきょく会計かいけいきょくしゅふねきょく水路すいろきょく医務いむきょく兵器へいききょく
  • 明治めいじ16ねん 内局ないきょく統計とうけい翻訳ほんやく軍務ぐんむきょく規程きていきょく会計かいけいきょくしゅふねきょく水路すいろきょく医務いむきょく兵器へいききょく水雷すいらいきょく
  • 明治めいじ17ねん
    • 2がつ 内局ないきょく軍事ぐんじ軍務ぐんむきょく規程きていきょく会計かいけいきょくしゅふねきょく水路すいろきょく医務いむきょく兵器へいききょく水雷すいらいきょく調度ちょうどきょく
    • 12月 総務そうむきょく軍事ぐんじ会計かいけいきょくしゅふねきょく水路すいろきょく医務いむきょく兵器へいききょく水雷すいらいきょく調度ちょうどきょく
  • 明治めいじ19ねん 大臣だいじん官房かんぼう軍務ぐんむきょくかん政局せいきょく会計かいけいきょく文庫ぶんこ
  • 明治めいじ22ねん 大臣だいじん官房かんぼうだいいちきょく軍務ぐんむ)・だいきょくかんせい)・会計かいけいきょく
  • 明治めいじ23ねん 大臣だいじん官房かんぼうだいいちきょくだいきょくだいさんきょく会計かいけい
  • 明治めいじ26ねん 大臣だいじん官房かんぼう軍務ぐんむきょく経理けいりきょく
  • 明治めいじ30ねん 総務そうむきょく総務そうむ長官ちょうかん)・軍務ぐんむきょく人事じんじきょく医務いむきょく経理けいりきょく司法しほうきょく
  • 明治めいじ36ねん 大臣だいじん官房かんぼう海軍かいぐん次官じかん)・軍務ぐんむきょく人事じんじきょく医務いむきょく経理けいりきょく司法しほうきょく
  • 大正たいしょう5ねん 大臣だいじん官房かんぼう軍務ぐんむきょく人事じんじきょくかん政局せいきょく機関きかんきょく医務いむきょく経理けいりきょく法務局ほうむきょく
  • 大正たいしょう9ねん 大臣だいじん官房かんぼう軍務ぐんむきょく人事じんじきょく軍需ぐんじゅきょく機関きかんきょく医務いむきょく経理けいりきょく法務局ほうむきょく
  • 大正たいしょう12ねん 大臣だいじん官房かんぼう軍務ぐんむきょく人事じんじきょく教育きょういくきょく軍需ぐんじゅきょく機関きかんきょく医務いむきょく経理けいりきょく建築けんちくきょく法務局ほうむきょく
  • 大正たいしょう13ねん 大臣だいじん官房かんぼう軍務ぐんむきょく人事じんじきょく教育きょういくきょく軍需ぐんじゅきょく医務いむきょく経理けいりきょく建築けんちくきょく法務局ほうむきょく
  • 昭和しょうわ15ねん 大臣だいじん官房かんぼう軍務ぐんむきょく兵備へいびきょく人事じんじきょく教育きょういくきょく軍需ぐんじゅきょく医務いむきょく経理けいりきょく建築けんちくきょく法務局ほうむきょく

軍務ぐんむきょく

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軍備ぐんび国防こくぼう服務ふくむ条約じょうやく礼式れいしきなど海軍かいぐんにかかわるあらゆる制度せいど分掌ぶんしょうする。

歴代れきだい軍務ぐんむ局長きょくちょう

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歴代れきだい軍務ぐんむ局長きょくちょう
だい 氏名しめい 在職ざいしょく期間きかん
樺山かばやま中将ちゅうじょう 1886ねん1がつ29にち -1886ねん6がつ17にち
井上いのうえりょうかおる少将しょうしょう 1886ねん6がつ17にち - 1889ねん3がつ7にち
だい1局長きょくちょう
井上いのうえりょうかおる少将しょうしょう 1889ねん3がつ8にち
伊東いとう祐亨すけゆき少将しょうしょう 1889ねん3がつ8にち - 1893ねん5がつ20日はつか
軍務ぐんむ局長きょくちょう
伊藤いとう雋吉中将ちゅうじょう 1893ねん5がつ20日はつか -1895ねん3がつ8にち
山本やまもと権兵衛ごんべえ少将しょうしょう 1895ねん3がつ8にち - 1898ねん11月9にち
諸岡もろおかよりゆきこれ少将しょうしょう 1898ねん11がつ10日とおか -1900ねん5がつ20日はつか
斎藤さいとうみのる少将しょうしょう 1900ねん5がつ20日はつか -1900ねん10がつ25にち
上村うえむら彦之すすむ少将しょうしょう 1900ねん10がつ25にち -1902ねん10がつ29にち
出羽でわ重遠しげとお少将しょうしょう 1902ねん10がつ29にち -1903ねん10がつ27にち
中溝なかみぞ徳太郎とくたろう少将しょうしょう 1903ねん10がつ27にち -1904ねん2がつ3にち
斎藤さいとうみのる少将しょうしょう 1904ねん2がつ3にち -1905ねん12月19にち
加藤かとう友三郎ともさぶろう少将しょうしょう 1905ねん12月19にち -1906ねん1がつ8にち
10 1906ねん1がつ8にち -1906ねん11月22にち
11 武富たけとみくにかなえ少将しょうしょう 1906ねん11月22にち -1908ねん5がつ15にち
12 中溝なかみぞ徳太郎とくたろう中将ちゅうじょう 1908ねん5がつ15にち - 1909ねん12月1にち
13 栃内とちない次郎じろう少将しょうしょう 1909ねん12月1にち -1912ねん4がつ20日はつか
14 江頭えがしら安太郎やすたろう少将しょうしょう 1912ねん4がつ20日はつか -1913ねん1がつ10日とおか
15 野間口のまぐち兼雄かねお少将しょうしょう 1913ねん1がつ10日とおか -1914ねん4がつ17にち
16 秋山あきやま真之まさゆき少将しょうしょう 1914ねん4がつ17にち -1916ねん2がつ21にち
17 鈴木すずき貫太郎かんたろう少将しょうしょう 1916ねん2がつ21にち -1916ねん6がつ23にち
18 小栗おぐり孝三郎こうざぶろう少将しょうしょう 1916ねん6がつ23にち- 1916ねん12月1にち
19 井出いで謙治けんじ少将しょうしょう 1916ねん12月1にち -1920ねん8がつ16にち
20 堀内ほりうち三郎さぶろう中将ちゅうじょう 1920ねん8がつ16にち -1922ねん5がつ1にち
21 大角おおすみ岑生みねお少将しょうしょう 1922ねん5がつ1にち -1923ねん12月1にち
22 小林こばやし躋造少将しょうしょう 1923ねん12月1にち -1927ねん3がつ25にち
23 左近さこん司政しせいさん少将しょうしょう 1927ねん3がつ25にち -1929ねん9がつ6にち
24 ほり悌吉少将しょうしょう 1929ねん9がつ6にち -1931ねん11月2にち
25 豊田とよだ貞次郎ていじろう少将しょうしょう 1931ねん11月2にち -1932ねん5がつ12にち
26 寺島てらしまけん少将しょうしょう 1932ねん5がつ12にち -1933ねん9がつ15にち
27 吉田よしだよしわれ少将しょうしょう 1933ねん9がつ15にち -1935ねん12月2にち
28 豊田とよだふく中将ちゅうじょう 1935ねん12月2にち -1937ねん10がつ20日はつか
29 井上いのうえ成美まさみ少将しょうしょう 1937ねん10がつ20日はつか-1939ねん10がつ18にち
30 阿部あべ勝雄かつお少将しょうしょう 1939ねん10がつ18にち -1940ねん10がつ15にち
31 おか敬純たかずみ少将しょうしょう 1940ねん10がつ15にち-1944ねん7がつ18にち
32 おか敬純たかずみ中将ちゅうじょう 1944ねん7がつ18にち -1944ねん8がつ1にち
33 多田ただ武雄たけお中将ちゅうじょう 1944ねん8がつ1にち -1945ねん5がつ15にち
34 保科ほしな善四郎ぜんしろう中将ちゅうじょう 1945ねん5がつ15にち -1945ねん11月17にち
35 山本やまもと善雄よしお少将しょうしょう 1945ねん11月17にち - 1945ねん11月30にち

兵備へいびきょく

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1940ねん昭和しょうわ15ねん)11月15にち発足ほっそく国家こっか総動員そうどういん出師すいし準備じゅんび動員どういん生産せいさん計画けいかくなど戦争せんそう遂行すいこう国家こっか計画けいかく分掌ぶんしょうする。1945ねん3がつ1にち軍務ぐんむきょく統合とうごうされるかたち廃止はいし

歴代れきだい兵備へいび局長きょくちょう
だい 氏名しめい 在職ざいしょく期間きかん
保科ほしな善四郎ぜんしろう少将しょうしょう 1940ねん11月15にち - 1945ねん3がつ1にち

軍需ぐんじゅきょく

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1920ねん大正たいしょう9ねん)10がつ1にち発足ほっそく機械きかい工学こうがく燃料ねんりょう調達ちょうたつ需品じゅひん管理かんりなどを分掌ぶんしょうする。

歴代れきだい軍需ぐんじゅ局長きょくちょう
だい 氏名しめい 在職ざいしょく期間きかん
山口やまぐちするど少将しょうしょう 1920ねん10がつ1にち -1921ねん12月1にち
山里やまざと重次しげつぐ少将しょうしょう 1921ねん12月1にち -1924ねん6がつ11にち
藤原ふじわら英三郎えいざぶろう中将ちゅうじょう 1924ねん6がつ11にち -1924ねん12がつ20日はつか
平塚ひらつかたもつ中将ちゅうじょう 1924ねん12がつ20日はつか -1925ねん8がつ1にち
池田いけだ岩三郎いわさぶろう中将ちゅうじょう 1925ねん8がつ1にち -1928ねん12がつ10日とおか
清水しみず得一とくいち中将ちゅうじょう 1928ねん12がつ10日とおか - 1929ねん11月30にち
山下やましたたかし八郎はちろう中将ちゅうじょう 1929ねん11月30にち -1931ねん12月1にち
すぎ政人まさと中将ちゅうじょう 1931ねん12月1にち -1932ねん6がつ1にち
牛丸うしまるぶくさく中将ちゅうじょう 1932ねん6がつ1にち -1934ねん5がつ10日とおか
10 小野寺おのでらじょ中将ちゅうじょう 1934ねん5がつ10日とおか -1935ねん12月2にち
11 上田うえだそうしげる中将ちゅうじょう 1935ねん12月2にち -1936ねん12月1にち
12 氏家うじいえ長明ちょうめい中将ちゅうじょう 1936ねん12月1にち -1939ねん8がつ30にち
13 御宿おんじゅくこう少将しょうしょう 1939ねん8がつ30にち -1939ねん8がつ30にち -
14 鍋島なべしま茂明しげあき中将ちゅうじょう 1943ねん10がつ25にち -1945ねん5がつ1にち
15 森田もりた貫一かんいち中将ちゅうじょう 1945ねん5がつ1にち -1945ねん11月15にち
16 あき重実しげざねめぐみ少将しょうしょう 1945ねん11月15にち - 11月30にち

人事じんじきょく

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1900ねん明治めいじ33ねん)5がつ20日はつか大臣だいじん官房かんぼう人事じんじ拡張かくちょう軍人ぐんじん軍属ぐんぞく人事じんじ管理かんり身分みぶん保障ほしょう分掌ぶんしょうする。

歴代れきだい人事じんじ局長きょくちょう

教育きょういくきょく

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1923ねん大正たいしょう12ねん)4がつ1にち教育きょういく本部ほんぶ縮小しゅくしょう海軍かいぐん軍人ぐんじん教育きょういく国民こくみんへの啓発けいはつ活動かつどう分掌ぶんしょうする。

歴代れきだい教育きょういく局長きょくちょう

経理けいりきょく

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予算よさん決算けっさん計画けいかく執行しっこう物品ぶっぴん調達ちょうたつなど金品きんぴん管理かんり分掌ぶんしょうする。

歴代れきだい経理けいり局長きょくちょう
会計かいけい局長きょくちょう
だい3局長きょくちょう
  • 長谷川はせがわ貞雄さだお主計しゅけい総監そうかん:1890ねん3がつ27にち - 1891ねん4がつ15にち
  • 本宿ほんしゅくたくいのち主計しゅけい総監そうかん:1891ねん4がつ20日はつか - 1892ねん12月31にち
  • しん奈良ならこころざし主計しゅけいだいかん:1893ねん1がつ4にち - 5月20にち
経理けいり局長きょくちょう
  • 川口かわぐちたけじょう主計しゅけい総監そうかん:1893ねん5がつ20日はつか -
  • 村上むらかみ敬次郎けいじろう主計しゅけい総監そうかん:1897ねん6がつ5にち - 1908ねん8がつ15にち
  • 福永ふくなが吉之助よしのすけ主計しゅけい総監そうかん:1908ねん8がつ15にち - 1912ねん5がつ10日とおか
  • 志佐しさかち主計しゅけい総監そうかん:1912ねん5がつ10日とおか -
  • 深水ふかみ貞吉さだきち主計しゅけい総監そうかん:1923ねん5がつ25にち -
  • 永安えいあんすすむ次郎じろう主計しゅけい少将しょうしょう:1925ねん8がつ1にち -
  • 加藤かとう亮一りょういち主計しゅけい少将しょうしょう:1927ねん4がつ13にち -
  • 村上むらかみ春一しゅんいち主計しゅけい少将しょうしょう:1933ねん5がつ20日はつか -
  • 武井たけい大助だいすけ主計しゅけい中将ちゅうじょう:1938ねん5がつ2にち -
  • 山本やまもと丑之助うしのすけ主計しゅけい中将ちゅうじょう:1943ねん6がつ1にち - 1945ねん11月30にち

医務いむきょく

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医療いりょう研究けんきゅうおよび衛生えいせい管理かんり分掌ぶんしょうする。

歴代れきだい医務いむ局長きょくちょう
衛生えいせい部長ぶちょう
海軍かいぐん中央ちゅうおう衛生えいせい会議かいぎ議長ぎちょう
  • 高木たかぎけんひろし軍医ぐんい総監そうかん:1889ねん4がつ22にち - 1892ねん8がつ2にち
  • 実吉さねよしあんじゅん軍医ぐんい総監そうかん:1892ねん8がつ6にち - 1893ねん5がつ20日はつか
海軍かいぐん衛生えいせい会議かいぎ議長ぎちょう
  • 実吉さねよしやすしじゅん軍医ぐんい総監そうかん:1893ねん5がつ20日はつか - 1897ねん4がつ1にち
医務いむ局長きょくちょう
  • 実吉さねよしやすしじゅん軍医ぐんい総監そうかん:1897ねん4がつ1にち - 1905ねん12月12にち
  • 木村きむらたけしかい軍医ぐんい総監そうかん:1905ねん12月12にち - 1915ねん12月13にち
  • 本多ほんだ忠夫ただお軍医ぐんい総監そうかん:1915ねん12月13にち -
  • 鈴木すずき裕三ゆうぞう軍医ぐんい少将しょうしょう:1919ねん12月1にち -
  • 平野ひらのいさむ軍医ぐんい中将ちゅうじょう:1923ねん12月1にち - 1925ねん12月1にち
  • 雨宮あまみやりょうななろう軍医ぐんい中将ちゅうじょう:1925ねん12月1にち -
  • 大貫おおぬき安三やすぞう軍医ぐんい中将ちゅうじょう:1927ねん12月1にち - 1929ねん11月30にち
  • 小川おがわりゅう軍医ぐんい中将ちゅうじょう:1929ねん11月30にち - 1932ねん2がつ22にち
  • 国府こくぶ田中たなか軍医ぐんい少将しょうしょう:1932ねん2がつ25にち -
  • 高杉たかすぎ新一郎しんいちろう軍医ぐんい中将ちゅうじょう:1934ねん11月15にち -
  • 中野なかの太郎たろう軍医ぐんい中将ちゅうじょう:1939ねん11月15にち -
  • 田中たなか肥後ひご太郎たろう軍医ぐんい中将ちゅうじょう:1941ねん10がつ15にち -
  • 保利ほり信明のぶあき軍医ぐんい中将ちゅうじょう:1943ねん10がつ25にち -
  • 有馬ありまげん軍医ぐんい少将しょうしょう:1945ねん11月29にち - 11月30にち

しゅふねきょくかん政局せいきょく

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機関きかんきょく

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1916ねん大正たいしょう5ねん)4がつ1にち発足ほっそく[4]機関きかん使用しよう機関きかん将校しょうこう以下いか本務ほんむ教育きょういくかんする事項じこう分掌ぶんしょうする[4]1924ねん大正たいしょう13ねん)12がつ20日はつか廃止はいし[5]

歴代れきだい機関きかん局長きょくちょう

建築けんちくきょく

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外局がいきょくの「施設しせつ本部ほんぶ」を参照さんしょう

歴代れきだい建築けんちく局長きょくちょう
  • 真島まじま健三郎けんざぶろう技師ぎし:1923ねん4がつ1にち - 1932ねん6がつ
  • 前田まえだ与一よいち技師ぎし:1932ねん6がつ - 1933ねん9がつ14にち
  • 吉田よしだただし技師ぎし:1933ねん9がつ20日はつか - 1941ねん7がつ31にち

法務局ほうむきょく

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海軍かいぐん軍人ぐんじん綱紀こうき保持ほじ軍法ぐんぽう会議かいぎ運営うんえいなどほう制度せいど分掌ぶんしょうする。

歴代れきだい法務局ほうむきょくちょう
司法しほう部長ぶちょう
  • けん伊藤いとう雋吉しゅ中将ちゅうじょう:1897ねん4がつ1にち -
  • 小森こもりさわ長政ながまさしゅ:1898ねん10がつ11にち -
  • 土岐ときひろししゅ:1899ねん6がつ30にち - 1900ねん5がつ20日はつか
司法しほう局長きょくちょう
法務局ほうむきょくちょう

海軍かいぐん大臣だいじん隷属れいぞくする機関きかん海軍かいぐんしょう外局がいきょく

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  • 海軍かいぐん将官しょうかん会議かいぎ
  • 海軍かいぐん技術ぎじゅつ会議かいぎ
  • 海軍かいぐんかんせい本部ほんぶ1900ねん明治めいじ33ねん)5がつ20日はつか発足ほっそく艦船かんせん兵器へいき開発かいはつ生産せいさん計画けいかく分掌ぶんしょうする。
  • 海軍かいぐん航空こうくう本部ほんぶ1927ねん昭和しょうわ2ねん)4がつ5にち発足ほっそく航空機こうくうき飛行ひこう技術ぎじゅつ開発かいはつ生産せいさん教育きょういく計画けいかく分掌ぶんしょうする。
  • 海軍かいぐん教育きょういく本部ほんぶ1923ねん大正たいしょう12ねん)4がつ1にち解体かいたい教育きょういくきょく縮小しゅくしょう内局ないきょくの「教育きょういくきょく」を参照さんしょう
  • 水路すいろ - 海図かいず製作せいさく海洋かいよう測量そくりょう海象せいうち気象きしょう天体てんたい観測かんそく分掌ぶんしょうする。
  • 海軍かいぐん高等こうとう軍法ぐんぽう会議かいぎ
  • 海軍かいぐん東京とうきょう軍法ぐんぽう会議かいぎ
  • 海軍かいぐんだい学校がっこう
  • 海軍兵学校かいぐんへいがっこう
  • 海軍かいぐん機関きかん学校がっこう(1944ねんへい学校がっこう統合とうごうにより廃止はいし
  • 海軍かいぐん経理けいり学校がっこう
  • 海軍かいぐん軍医ぐんい学校がっこう
  • 海軍かいぐん潜水せんすいかん[6](1945ねん海軍かいぐんとく兵部ひょうぶ統合とうごうにより廃止はいし
  • 海軍かいぐん特攻とっこう[7]同上どうじょう
  • 海軍かいぐんとく兵部ひょうぶ[8]:1945ねん(4がつ15にち)、海軍かいぐん潜水せんすいかん海軍かいぐん特攻とっこう統合とうごう[9]。「とくへい」は「特攻とっこう兵器へいき」を意味いみする[9]
  • 海軍かいぐん電波でんぱ本部ほんぶ[10]1944ねん昭和しょうわ19ねん)4がつ20日はつか技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょ拡張かくちょう。レーダー・無線むせん兵器へいき研究けんきゅう開発かいはつ分掌ぶんしょうする。
  • 海軍かいぐん施設しせつ本部ほんぶ[11]1941ねん昭和しょうわ16ねん)8がつ1にち建築けんちく拡張かくちょう海軍かいぐん施設しせつ設計せっけいおよび敵前てきぜん強行きょうこう設営せつえいじゅつ分掌ぶんしょうする。
  • 海軍かいぐんへいせん[8]
  • 海軍かいぐん運輸うんゆ本部ほんぶ[8]1943ねん昭和しょうわ18ねん)6がつ25にち運輸うんゆ拡張かくちょう陸上りくじょう海上かいじょう一元いちげん輸送ゆそう計画けいかく分掌ぶんしょうする。
  • 海軍かいぐん緊急きんきゅう戦備せんび促進そくしん
  • 海軍かいぐん船舶せんぱく救難きゅうなん本部ほんぶ1944ねん昭和しょうわ19ねん)12月30にち発足ほっそく沈没ちんぼつ損傷そんしょうせん補充ほじゅう修理しゅうり計画けいかく船員せんいん救難きゅうなん分掌ぶんしょうする。
  • 練習れんしゅう連合れんごう航空こうくうそうたい

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)「海軍かいぐんしょう
  2. ^ 鈴木すずき博之ひろゆき初田はったとおるへん図面ずめんでみる都市とし建築けんちく明治めいじ柏書房かしわしょぼう、1990ねん、17ぺーじ
  3. ^ 銅像どうぞうぎらいの海舟かいしゅうとその予言よげん幕末ばくまつ維新いしん 銅像どうぞうになったひと、ならなかったひと三澤みさわ敏博としひろ交通こうつう新聞しんぶんしゃ, 2016
  4. ^ a b 海軍かいぐんしょう官制かんせい改正かいせいけん大正たいしょう5ねん3がつ31にちみことのりれいだい37ごう
  5. ^ 海軍かいぐんしょう官制かんせいちゅう改正かいせいけん大正たいしょう13ねん12月20にちみことのりれいだい346ごう
  6. ^ 昭和しょうわ18ねんがつ(3)(海軍かいぐんしょう)レファレンスコード C12070178100”. アジれき. 2018ねん3がつ28にち閲覧えつらん
  7. ^ まき1/だいるい 官制かんせい(1)(海軍かいぐんしょう)レファレンスコードC13072035200”. アジれき. 2018ねん3がつ28にち閲覧えつらん
  8. ^ a b c 大本営だいほんえい海軍かいぐん応急おうきゅう移転いてん要員よういん標準ひょうじゅんけん通牒つうちょう  昭和しょうわ20ねん6がつ22にち昭和しょうわ20ねん7がつ28にち レファレンスコード C15010959300”. アジれき. 2018ねん3がつ28にち閲覧えつらん
  9. ^ a b はた 2005, pp. 269–288, だい2しょう 陸海りくかいぐん主要しゅよう職務しょくむ歴任れきにんしゃ一覧いちらん-IV 海軍かいぐん-1.海軍かいぐんしょう-B 外局がいきょく-潜水せんすいかん部長ぶちょうどう-とくへい部長ぶちょうどう-特攻とっこう部長ぶちょう
  10. ^ 海軍かいぐん電波でんぱ本部ほんぶれいていム レファレンスコード A03010159100”. アジれき. 2018ねん3がつ28にち閲覧えつらん
  11. ^ 海軍かいぐんしょう官制かんせいちゅう改正かいせい海軍かいぐん施設しせつ本部ほんぶれいていム レファレンスコード A02030266700”. アジれき. 2018ねん3がつ28にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • はたいく編著へんちょ日本にっぽん陸海りくかいぐん総合そうごう事典じてん』(だい2)東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、2005ねん 

関連かんれん項目こうもく

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