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海軍かいぐん将官しょうかん会議かいぎ (日本にっぽん)

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海軍かいぐん将官しょうかん会議かいぎ(かいぐんしょうかんかいぎ、きゅう字体じたいうみ󠄀ぐん將官しょうかん會議かいぎ)とは、日本にっぽん海軍かいぐん機関きかんひとつで海軍かいぐんしょう外局がいきょくである。海軍かいぐん重要じゅうよう事項じこう審議しんぎした。1885ねん明治めいじ18ねん)に設置せっちされ、1945ねん昭和しょうわ20ねん)に廃止はいしされた。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

1885ねん海軍かいぐん将官しょうかん会議かいぎ条例じょうれい明治めいじ18ねん9がつ22にち海軍かいぐんしょうへいだい48ごうたち)にもとづいて設置せっちされた。当初とうしょ目的もくてきは「海軍かいぐんせきスル重要じゅうよう事件じけん審議しんぎ」することであった。

1889ねん明治めいじ22ねん)、あらたに海軍かいぐん将官しょうかん会議かいぎ条例じょうれい明治めいじ22ねん5がつ29にちみことのりれいだい75ごう)が制定せいていされ、「海軍かいぐんニ於テ創設そうせつ改良かいりょうスヘキ重要じゅうよう事項じこう審議しんぎシ及海ぐん高等こうとう武官ぶかん進級しんきゅう候補こうほ名簿めいぼ及進とう名簿めいぼ議定ぎていスルしょ」とされた。しかし1891ねん明治めいじ24ねん)、海軍かいぐん将官しょうかん会議かいぎ条例じょうれいだいいちじょう改正かいせいけん明治めいじ24ねん11月24にちみことのりれいだい234ごう)により当初とうしょ同様どうような「重要じゅうよう事項じこう審議しんぎスルしょ」となった。

もっとも、議員ぎいん職務しょくむ自体じたい閑職かんしょくであり、退役たいえきまえ楽隠居らくいんきょコースにって実質じっしつてきキャリアがわった将官しょうかん多数たすういた。このことから実際じっさいには軍事ぐんじ参議院さんぎいん同様どうよう古参こさん将官しょうかん名誉めいよしょくや、将官しょうかん人数にんずうたいする役職やくしょく不足ふそくおぎなちポストとしての運用うんようもされていたとかんがえられる。

1945ねん海軍かいぐん省令しょうれいだい35ごう昭和しょうわ20ねん11月30にち)により廃止はいしされた。

構成こうせい[編集へんしゅう]

議長ぎちょう
海軍かいぐん大臣だいじん海軍かいぐん大臣だいじん事故じこあるときは上席じょうせき将官しょうかん議長ぎちょうとなる。
議員ぎいん
若干じゃっかんじん将官しょうかん1936ねん昭和しょうわ11ねん以降いこう軍令ぐんれい総長そうちょう横須賀よこすか鎮守ちんじゅ司令しれい長官ちょうかん海軍かいぐん次官じかんかんせい本部ほんぶちょう軍務ぐんむきょくちょう常置じょうち議員ぎいんとした。

その海軍かいぐん大臣だいじん必要ひつようみとめた場合ばあいは、将官しょうかんなみ将官しょうかん相当そうとうかん臨時りんじ議員ぎいんにんじ、また佐官さかん議事ぎじ参与さんよさせることができた。事務じむ大臣だいじん官房かんぼうになった。

議員ぎいん在任ざいにんしゃ常置じょうち議員ぎいんのぞく)[編集へんしゅう]

階級かいきゅうおぎなえせられた時点じてんのものを表記ひょうきする。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • はたいくへん日本にっぽん陸海りくかいぐん総合そうごう事典じてんだい2はん東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、2005ねん
  • はらつよし安岡やすおか昭男あきおへん日本にっぽん陸海りくかいぐん事典じてんコンパクトばんうえ)』新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、2003ねん
  • 小池こいけいのししいち編著へんちょ図説ずせつ総覧そうらん海軍かいぐん事典じてん国書刊行会こくしょかんこうかい、1985ねん