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中原なかはらまこと

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
 中原なかはらまこと じゅうろくせい名人めいじん
名前なまえ 中原なかはらまこと
生年月日せいねんがっぴ (1947-09-02) 1947ねん9月2にち(77さい
プロ年月日ねんがっぴ 1965ねん10がつ1にち(18さい)
引退いんたい年月日ねんがっぴ 2009ねん3がつ31にち(61さい
棋士きし番号ばんごう 92
出身しゅっしん 宮城みやぎけん塩釜しおがま[1]
所属しょぞく 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい関東かんとう
師匠ししょう 高柳たかやなぎ敏夫としお名誉めいよきゅうだん
弟子でし 小倉おぐら久史ひさし佐藤さとう秀司しゅうじ高野たかの秀行ひでゆき熊坂くまさかまなぶ甲斐かい智美ともみ
永世えいせい称号しょうごう じゅうろくせい名人めいじん永世えいせいじゅうだん永世えいせい王位おうい名誉めいよ王座おうざ永世えいせい棋聖きせい
段位だんい きゅうだん
棋士きしDB 中原なかはらまこと
戦績せんせき
タイトル獲得かくとく合計ごうけい 64
一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう回数かいすう 28かい
通算つうさん成績せいせき 1308しょう782はい(0.6258)
竜王りゅうおうせん最高さいこうクラス 1くみ(18
順位じゅんいせん最高さいこうクラス Aきゅう(29[注釈ちゅうしゃく 1]
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中原なかはら まこと(なかはら まこと、1947ねん9月2にち - )は、将棋しょうぎ棋士きし。2009ねん3がつ引退いんたいじゅうろくせい名人めいじん、および永世えいせいじゅうだん永世えいせい王位おうい名誉めいよ王座おうざ永世えいせい棋聖きせいという5つの永世えいせい称号しょうごう保持ほじし、かつ、いずれも引退いんたいまえから名乗なの[注釈ちゅうしゃく 2]通算つうさん1308しょう羽生はぶ善治よしはる大山おおやま康晴やすはる谷川たにがわ浩司こうじ加藤かとう一二三ひふみ歴代れきだい5通算つうさんタイトル獲得かくとくすう64羽生はぶ大山おおやま歴代れきだい3

棋士きし番号ばんごうは92。日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい会長かいちょう(2003ねん-2004ねん)。だい1かい川崎かわさき文化ぶんかしょう受賞じゅしょう(1972ねん)。塩竈しおがま市民しみん栄誉えいよしょう(1985ねん)。鳥取とっとりけん気高けたかぐん鹿野かのまち名誉めいよ町民ちょうみん(2004ねん)。気高けたかぐん勝谷しょうやむら(その合併がっぺいして鹿野かのまちげん鳥取とっとり鹿野かのまち宮方みやかたまれだが、生後せいご1かげつ転居てんきょした宮城みやぎけん塩竈しおがま出身しゅっしんとする。

戦歴せんれき

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24さい大山おおやま康晴やすはるから名人めいじん奪取だっしゅし、その防衛ぼうえいつづけ9連覇れんぱ。「棋界きかいの(わかき)太陽たいよう[注釈ちゅうしゃく 3]ばれた。以後いご大山おおやま康晴やすはるじゅうせい名人めいじん後継こうけいしゃとして将棋しょうぎかいいち時代じだいきずき、さらには米長よねなが邦雄くにお加藤かとう一二三ひふみ谷川たにがわ浩司こうじらと数々かずかずめい勝負しょうぶひろげた。

デビュー・はつタイトル

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はじめは塩釜しおがまかい正次まさつぐろうに6まいちから丁寧ていねい指導しどう[2]仙台せんだい石川いしかわ孟司たけし指導しどうける[3]石川いしかわ紹介しょうかいで1956ねん五十嵐いがらし豊一とよかず原田はらだ泰夫やすお対戦たいせんし、その何人なんにんかの真剣しんけん対戦たいせんうでみがく。1957ねん9がつまつ石川いしかわ紹介しょうかいで10さい上京じょうきょうし、高柳たかやなぎ敏夫としお門下もんか入門にゅうもん[注釈ちゅうしゃく 4]兄弟子あにでし芹沢せりざわ博文ひろぶみがいた。よく1958ねん4がつ奨励しょうれいかいに6きゅう入会にゅうかいし、13さい中学ちゅうがく2ねん初段しょだんになる[注釈ちゅうしゃく 5]さんだん時代じだい山田やまだみち主催しゅさい山田やまだ研究けんきゅうかい[注釈ちゅうしゃく 6]加入かにゅう芹沢せりざわ芹沢せりざわ研究けんきゅうかいにも加入かにゅうする。

奨励しょうれいかい時代じだいから将来しょうらい嘱望しょくぼうされていたが、プロ直前ちょくぜん関門かんもんである「さんだんからよんだんへのかべ奨励しょうれいかいAぐみげんさんだんリーグ)」をなかなかえられずに[注釈ちゅうしゃく 7]63年間ねんかん足踏あしぶみし、人間にんげんてきにも苦悩くのうしたとかたっている[注釈ちゅうしゃく 8]。しかし、1965ねんあき18さい桐山きりやま清澄きよすみ東西とうざい決定けっていせんやぶり、よんだんになってプロは、王座おうざせんで3せんから11連勝れんしょうし、その順位じゅんいせんにおいて4ねん連続れんぞく昇級しょうきゅう昇段しょうだんかさねていき、最速さいそくでAきゅうはちだんとなった。

1967年度ねんど後期こうきだい11棋聖きせいせん山田やまだみちはちだん[注釈ちゅうしゃく 9]にタイトルはつ挑戦ちょうせんし、フルセットのすえ敗退はいたいする。加藤かとうならんでの最年少さいねんしょう挑戦ちょうせん記録きろくとしてあつかわれた[注釈ちゅうしゃく 10]。しかし半年はんとし、1968年度ねんど前期ぜんきだい12棋聖きせいせんでは、強豪きょうごう[注釈ちゅうしゃく 11]連破れんぱして連続れんぞく山田やまだ挑戦ちょうせんすると、3しょう1はい勝利しょうりはつのタイトル・棋聖きせい獲得かくとくする。20さいでのタイトル獲得かくとくは、当時とうじ大山おおやまっていた27さいでのきゅうだん獲得かくとく最年少さいねんしょうタイトル獲得かくとく記録きろく更新こうしんする快挙かいきょであった。

その大山おおやま康晴やすはる山田やまだ相手あいてに2防衛ぼうえいして棋聖きせい3連覇れんぱ。だが、3度目どめ防衛ぼうえいせん内藤ないとう国雄くにおやぶ棋聖きせいうしな無冠むかんとなる。

大山おおやま康晴やすはるわり第一人者だいいちにんしゃ

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1970年度ねんどじゅうだんせん大山おおやまを4-2のスコアでくだし、大山おおやまかん独占どくせん一角いっかくくずす。さらに、直後ちょくご後期こうきだい17棋聖きせいせん中原なかはら3-大山おおやま0)でも大山おおやまをストレートでやぶり、はじめてかんとなる。つづく1971年度ねんど前期ぜんきだい18棋聖きせいせん中原なかはら3-大山おおやま1)で大山おおやま相手あいて防衛ぼうえい成功せいこう。これで棋聖きせい獲得かくとく通算つうさん5となり、はやくも永世えいせい称号しょうごう保持ほじしゃとなる(2024ねん藤井ふじいさとしふとしかれるまで、史上しじょう最年少さいねんしょう記録きろく)。この2つの年度ねんどは、タイトルホルダーが大山おおやま中原なかはらの2めいだけという、まさにきょう時代じだいであった。

1971年度ねんど、Aきゅう2ねんだい26順位じゅんいせんでAきゅう順位じゅんい戦史せんしじょうはじめて全勝ぜんしょう名人めいじん挑戦ちょうせんけん[4]、1972ねんだい31名人めいじんせんななばん勝負しょうぶ中原なかはら4-大山おおやま3)で大山おおやまたたかう。フルセットのたたかいのすえ勝利しょうりし、棋界きかい頂点ちょうてんである名人めいじんはじめてく。この年度ねんどは、はじめて三冠王さんかんおうとなるとともに、大山おおやま無冠むかん転落てんらくさせた。なお、こののち大山おおやま名人めいじん復位ふくいすることは二度にどとなかった[注釈ちゅうしゃく 12]

ライバルたちとの対決たいけつ

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1973年度ねんどからは、米長よねなが邦雄くにお加藤かとう一二三ひふみ内藤ないとう國雄くにおら、大山おおやま康晴やすはるよりわかい、おな世代せだい棋士きしたちとのたたかいがおもとなる。とくに、米長よねながとはタイトルせん数々かずかず死闘しとうえんじた。

1973ねんだい14王位おういせん中原なかはら4-内藤ないとう0)で内藤ないとう國雄くにおから王位おういうばい、はじめてよんかんおうとなる。しかし、直後ちょくごじゅうだんせん捲土重来けんどじゅうらい大山おおやま奪取だっしゅされる。それから1年間ねんかんさんかん防衛ぼうえいした中原なかはらは、翌年よくねん(1974年度ねんど)にじゅうだん奪還だっかんしてよんかんかえく。以降いこう中原なかはら大山おおやまは、それぞれのタイトルを防衛ぼうえいつづけ、1974年度ねんどから1977年度ねんど途中とちゅうまで、

という構図こうずつづき、中原なかはら防衛ぼうえいせんどう世代せだいのライバルたちたる。大内おおうちのべかいたたかった1975ねん名人めいじんせん中原なかはら4-大内おおうち3、もち1)では、途中とちゅう2しょう3はいとなり角番かどばんまれるも、だい7きょく大内おおうち必勝ひっしょう局面きょくめんでの大内おおうち悪手あくしゅ(107▲7一角いっかく)にたすけられてもち将棋しょうぎみ、薄氷はくひょう逆転ぎゃくてん防衛ぼうえいをする。よく1976ねんだい35名人めいじんせん中原なかはら4-米長よねなが3)でも防衛ぼうえい成功せいこうして名人めいじん5連覇れんぱ永世えいせい名人めいじんじゅうろくせい名人めいじん)の資格しかくる。

1977年度ねんど後期こうきだい31棋聖きせいせん中原なかはら3-大山おおやま2)で大山おおやまからフルセットのすえ棋聖きせい奪取だっしゅし、大山おおやまいで史上しじょう2にんかんおうとなる。のこるタイトルは棋王きおうのみとなり、この年度ねんどだい3棋王きおうせん中原なかはら0-加藤かとう3)で加藤かとう一二三ひふみ挑戦ちょうせんしたが、ストレートでやぶれ、ぜんろくかん制覇せいははならなかった。

その中原なかはら相対そうたいてき不調ふちょうと、米長よねなが加藤かとう充実じゅうじつもあり、かれらとのタイトルせんでの対戦たいせんふんちか成績せいせきとなりタイトルすう漸減ぜんげんする。加藤かとう一二三ひふみ対戦たいせんした、1982年度ねんどだい40名人めいじんせんでは、もち将棋しょうぎ千日手せんにちてわせてぞくに「じゅうばん勝負しょうぶ」とばれためい勝負しょうぶとなったが、3しょう4はい名人めいじんわたす。名人めいじん連覇れんぱは9わった。

次世代じせだいとの対決たいけつ

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1980年代ねんだいなかばごろからは、谷川たにがわ浩司こうじ55ねんぐみ高橋たかはし道雄みちお中村なかむらおさむみなみ芳一よしかず塚田つかだ泰明やすあきらとのタイトルせんでの勝負しょうぶおもとなり、保持ほじするタイトルすうさんかんないしは無冠むかんとなっていく。

1985年度ねんどだい43名人めいじんせん中原なかはら4-谷川たにがわ2)で、前々まえまえ史上しじょう最年少さいねんしょう名人めいじんとなっていた谷川たにがわから名人めいじん奪取だっしゅして復位ふくいよく1986ねんだい44名人めいじんせんでは大山おおやま挑戦ちょうせんしゃ名乗なのりをげたが、中原なかはら防衛ぼうえい中原なかはら4-大山おおやま1)。二人ふたりがタイトルせん舞台ぶたいかおわせたのは、これが最後さいごとなった。

1987年度ねんどだい35王座おうざせん中原なかはら2-塚田つかだ3)で王座おうざ塚田つかだ泰明やすあきうばわれ、名人めいじんのみのいちかんとなる。さらには、よく年度ねんど(1988年度ねんど)、だい46名人めいじんせん中原なかはら2-谷川たにがわ4)で谷川たにがわ名人めいじんうばわれ、無冠むかんの「ぜん名人めいじん」となる。しかし、どう年度ねんどだい36王座おうざせん中原なかはら3-塚田つかだ0)で塚田つかだから王座おうざ奪還だっかんし、後期こうき/だい53棋聖きせいせん中原なかはら3-田中たなか2)では弟弟子おとうとでしである田中たなか寅彦とらひこから棋聖きせいうばい、かん復帰ふっき

1990年度ねんどだい48名人めいじんせん中原なかはら4-谷川たにがわ2)で名人めいじん谷川たにがわから奪還だっかんし、2度目どめ復位ふくい達成たっせいするとともにさんかんとなる。しかし、前期ぜんき/だい56棋聖きせいせん中原なかはら2-屋敷やしき3)で屋敷やしき伸之のぶゆき棋聖きせいうばわれ、史上しじょう最年少さいねんしょうタイトル記録きろく達成たっせいゆるす。さらにだい38王座おうざせん中原なかはら1-谷川たにがわ3)では谷川たにがわやぶれ、名人めいじんのみのいちかんとなる。

1992年度ねんどだい50名人めいじんせん中原なかはら4-高橋たかはし3)では高橋たかはし道雄みちお挑戦ちょうせんけたが、だしで1しょう3はいきっしてしまう。当時とうじまでは名人めいじんせんでは3連勝れんしょう逆転ぎゃくてんしたれいはなかったが、そのジンクスをやぶって防衛ぼうえいした。しかしながら、得意とくいであるはずの矢倉やぐらせんとなっただい1・2・4きょくですべてけたことは話題わだいとなった。

1993ねんだい51名人めいじんせん中原なかはら0-米長よねなが4)は、米長よねなが邦雄くにおと6度目どめ名人めいじんせんとなったが、ストレートけではじめて米長よねなが名人めいじんわたし、史上しじょう最年長さいねんちょう名人めいじん記録きろく達成たっせいゆるすとともに、とらいちかんであった名人めいじんうしなう。どう年度ねんど王将おうしょうせんでは挑戦ちょうせんしゃとなるが、谷川たにがわまえやぶれる(中原なかはら2-谷川たにがわ4)。これが、中原なかはらにとって最後さいごのタイトルせん登場とうじょうとなった。

1994ねんNHKはいせんで、米長よねながとの決勝けっしょうせいして優勝ゆうしょう。これが、最後さいご公式こうしき棋戦きせん優勝ゆうしょうであった(非公式ひこうしき棋戦きせんでは、達人たつじんせんにおいて2001ねん-2002ねん連続れんぞく優勝ゆうしょうふくめ、4優勝ゆうしょうしている)。

2000年度ねんどのAきゅう順位じゅんいせんは、2しょう7はい成績せいせき陥落かんらくまる。これにより永世えいせい名人めいじん資格しかく保持ほじしゃがAきゅうから陥落かんらくする史上しじょうはつ事態じたいとなった(のち谷川たにがわ浩司こうじ森内もりうち俊之としゆき羽生はぶ善治よしはる記録きろく)。Aきゅう陥落かんらくはBきゅう1くみで2だけしたのちフリークラス宣言せんげんをし、フリークラスに転出てんしゅつした。永世えいせい名人めいじん資格しかくしゃがBきゅう1くみすのもフリークラスですのも前例ぜんれいがないことであった[注釈ちゅうしゃく 13]が、そのも2000年度ねんど竜王りゅうおうせん1くみ優勝ゆうしょう、2003年度ねんど竜王りゅうおうせん挑戦ちょうせんしゃ決定けっていさんばん勝負しょうぶ進出しんしゅつ、2004ねん王位おういリーグり、2007ねん棋聖きせいせんでの挑戦ちょうせんしゃ決定けっていトーナメント進出しんしゅつなど、かく棋戦きせん上位じょういかおすことがしばしばあった。

中原なかはら羽生はぶ善治よしはるのタイトルせんばん勝負しょうぶはついに実現じつげんしなかった。無冠むかんとなったのちの1994年度ねんど前期ぜんきだい64棋聖きせいせんでは、谷川たにがわ浩司こうじとの挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせんやぶれ、羽生はぶ棋聖きせいへの挑戦ちょうせんけんのがした。どう年度ねんどだい53順位じゅんいせんでは7しょう2はいの1タイとなるも、森下もりしたたくとのプレーオフにやぶれ、羽生はぶ名人めいじんへの挑戦ちょうせんけんのがした。1996年度ねんどだい22棋王きおうせんでは、挑戦ちょうせんしゃ決定けっていばん勝負しょうぶ森下もりしたたくやぶれ、羽生はぶ棋王きおうへの挑戦ちょうせんけんのがした。また、森内もりうち俊之としゆきたたかった2003年度ねんど竜王りゅうおうせん決定けっていさんばん勝負しょうぶにも1しょう2はいやぶれた。結果けっかとして、これが羽生はぶとのタイトルせん実現じつげんする最後さいごのチャンスであった。なお、一般いっぱん棋戦きせん決勝けっしょう羽生はぶたったのは、1988年度ねんどNHKはいせんのみである(羽生はぶ名人めいじん経験けいけんしゃぜん4めいやぶって優勝ゆうしょうし、話題わだいとなった)。

引退いんたい

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2008ねん8がつ12にち王将おうしょうせん予選よせん準決勝じゅんけっしょうで、Aきゅうはちだん木村きむら一基いっきったのち感想かんそうせん最中さいちゅう身体しんたい異変いへんこし、病院びょういん緊急きんきゅう搬送はんそうされる。のうない出血しゅっけつ診断しんだんされ、そく入院にゅういんとなった。その、2009ねん3がつ31にちまで休場きゅうじょうすることが発表はっぴょうされた。この休場きゅうじょうによる最初さいしょ不戦敗ふせんぱい相手あいて木村きむら一基いっきであった[5][6]

その棋戦きせん復帰ふっき目指めざしてリハビリつづけていたが回復かいふくおもわしくなく、将棋しょうぎかかわる活動かつどうができないと判断はんだんして、同日どうじつをもっての引退いんたいとどけ日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい提出ていしゅつ連盟れんめい理事りじかいはこれを受理じゅりしたことを、3月11にち発表はっぴょう[7]2016ねん5月30にちづけ日本経済新聞にほんけいざいしんぶん』「わたし履歴りれきしょ」によると、入院にゅういんちゅう大腸だいちょうがんつかり、治療ちりょう専念せんねんするために引退いんたい決断けつだんしたとしている。

発表はっぴょう当日とうじつ中原なかはら本人ほんにん記者きしゃ会見かいけん[8]おこなわれた。ひだり手足てあし不自由ふじゆうかかえ、右手みぎてつえって記者きしゃ会見かいけんじょう姿すがたあらわした中原なかはらであったが、元気げんきそうに、淡々たんたんとした口調くちょうで「43ねんというなが期間きかん、タイトルせんなどおおくの勝負しょうぶ舞台ぶたいませていただき、十分じゅうぶん勝負しょうぶ堪能たんのうした。そのてんいはない」とべた。ただし、「いがあるとすれば(挑戦ちょうせんのがした2003ねんの)竜王りゅうおうせん挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせん羽生はぶさんと一度いちどタイトルせんたたかってみたかった」ともコメントしている[9][注釈ちゅうしゃく 14]

休場きゅうじょうちゅうではあるが、竜王りゅうおうせん1くみ在籍ざいせきのままでの引退いんたいである[注釈ちゅうしゃく 15]

引退いんたい活動かつどうについて、「棋戦きせん解説かいせつ評論ひょうろん活動かつどうおこなっていきたい」としている。日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめいは、多年たねんにわたる中原なかはらまこと将棋しょうぎへの功績こうせき評価ひょうかし、2009ねん4がつ1にちから70さい誕生たんじょうむかえる2017ねんまで『名誉めいよ棋士きし会長かいちょう』を委嘱いしょくした[7]。その、3かい役員やくいん変更へんこうとなる2011ねん4がつ11にち辞退じたいするまでつとめた[10]。また2009ねんより、JR武蔵新城むさししんじょうえきそばの「新城しんじょう子供こども将棋しょうぎ教室きょうしつ」において、弟子でし佐藤さとう秀司しゅうじとも不定期ふていきにタイトルせん大盤おおばん解説かいせつかいひらいている。

棋風きふう

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全盛期ぜんせいき本格ほんかくきょ飛車ひしゃとうで、「自然しぜんりゅう」としょうされた(「めるべきときめ、けるべきときける、まるで大河たいがながれるような自然しぜんまわし」原田はらだ泰夫やすお)。たまかたさよりも盤面ばんめん全体ぜんたい支配しはい重視じゅうしする独特どくとく大局たいきょくかん特徴とくちょうで、いれだま得意とくいとしていた[11]。また、「かつら使つかいの名手めいしゅ」とわれるほど桂馬けいま使つかかたたくみであり、中原なかはらかちきょくにはかつら好手こうしゅあらわれることがおおい。

たい飛車ひしゃせんたまあたま位取くらいど代表だいひょうされるように、理想りそうがた目指めざしそれを阻止そししにたところをとがめる教科書きょうかしょどおりのかたおおかった。大山おおやませんでの「飛車ひしゃやぶり」、だい内戦ないせんでの「穴熊あなぐまやぶり」、内藤ないとうせんでの「たい空中くうちゅう戦法せんぽう」と、相手あいて得意とくい戦法せんぽう次々つぎつぎやぶった。

1982年度ねんどだい40名人めいじんせんしつかんしてから棋風きふうわり[12]中原なかはらりゅうしょうかりよこ中原なかはらがこ中原なかはらりゅう急戦きゅうせん矢倉やぐらなどの独創どくそうてき戦法せんぽうした。

1992年度ねんど高橋たかはし道雄みちおとのだい50名人めいじんせんにおいて矢倉やぐらせんで1きょくてずにしつかんしかけたころからは、前述ぜんじゅつあいかり、よこ中原なかはらがこい、短期間たんきかんながら名人めいじんせんにも採用さいようした中原なかはら飛車ひしゃ後手ごて矢倉やぐらにおいて中原なかはらりゅう急戦きゅうせん矢倉やぐらたい飛車ひしゃにおける6戦法せんぽうなどをもちいて勝率しょうりつたもった。

1996ねん中原なかはらりゅうしょうかり・中原なかはらりゅうよこり・中原なかはらがこいで升田ますだ幸三こうぞうしょう受賞じゅしょうしている。

名人めいじんせんではだい悪手あくしゅかいしている(だい31名人めいじんせんだい3きょくたい大山おおやませんでの▲8きん見落みおとし、だい48名人めいじんせんだい2きょくたい谷川たにがわせんの△2かつらはタダでられるのをうっかりした)。まただい37名人めいじんせんだい4きょくでは米長よねなが相手あいてに▲5ななぎんという歴史れきしてき妙手みょうしゅしてっている。

引退いんたいまえすう年間ねんかんは「形勢けいせい楽観らっかん」の代表だいひょうてき棋士きしとされ、対戦たいせん相手あいてひかしつ棋士きしたちほとんどが「互角ごかくまたは中原なかはら不利ふり」とかんがえている局面きょくめんでも、きょく感想かんそうでは「あの局面きょくめんでは自分じぶんかったとおもう」とかたることがおおかった。

人物じんぶつ・エピソード

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現役げんえきのまま永世えいせい称号しょうごう名乗なの

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1994ねん当時とうじ肩書かたがきであった「ぜん名人めいじん」をうしなさい、それまでの実績じっせきからして「きゅうだん」とはべないということで、特例とくれいで「じゅうろくせい名人めいじん」を現役げんえきのうちからかさねさせるかどうかはないがおこなわれた。その結果けっかじゅうろく世襲せしゅう見送みおくられたが、わりに「永世えいせいじゅうだん」を名乗なのることでいた。

2007ねん9がつ2にち還暦かんれきむかえたことにより、規定きていにより「名誉めいよ王座おうざ」も名乗なのる。

2007ねん11月17にち将棋しょうぎ)、永世えいせい名人めいじん資格しかく取得しゅとくして30ねん経過けいかしたのをに、また、森内もりうち俊之としゆきじゅうはちせい名人めいじん資格しかくたことや引退いんたい期日きじつ規定きていによる)をあとすうねんひかえていることもあり、理事りじかいじゅうろくせい名人めいじんかさね提案ていあん本人ほんにん了承りょうしょう前倒まえだおしで現役げんえきのままかさねした[注釈ちゅうしゃく 16][13]。1993ねん無冠むかんとなってから、じつに14ねんのことであった。

2008ねん4がつ1にち、60さいとなってからのあたらしい年度ねんどむかえたさいにはあらたに「永世えいせい棋聖きせい」「永世えいせい王位おうい」を名乗なのることとなった。永世えいせい王位おうい名乗なの棋士きし中原なかはらはじめて。

なお、じゅうろくせい名人めいじんかさね公式こうしきせんは、かさね翌年よくねん病気びょうき休場きゅうじょう引退いんたいしたため、16きょく8しょう8はい(このほか休場きゅうじょう不戦敗ふせんぱいで5はい)にわったが、名人めいじん在位ざいいしゃとの対局たいきょくは、2007年度ねんど森内もりうち俊之としゆき名人めいじん、2008年度ねんど羽生はぶ善治よしはる名人めいじんかく1きょくおこなわれ、いずれも中原なかはらじゅうろくせい名人めいじんとしての勝利しょうりげている。

会長かいちょうとして

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二上ふたかみ達也たつやのちけて2003ねんより日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい会長かいちょうを1つとめたが、2005ねん会長かいちょうしょく米長よねなが邦雄くにおゆずり、みずからはふく会長かいちょういた。2007ねん5月の棋士きし総会そうかいにおいて理事りじ選挙せんきょ出馬しゅつばせず、理事りじふく会長かいちょうしょく退任たいにんした。

林葉はやしば直子なおこてい突入とつにゅう録音ろくおんテープ記者きしゃ会見かいけん

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1994ねんから1998ねんあいだ林葉はやしば直子なおこもと女流じょりゅう棋士きしてい留守番るすばん電話でんわに「いまから突入とつにゅうしまーす」「おまえみたいなのははやんじまえ! エイズにでもなんでもはやくかかっちゃえばいいんだよ!」などの本人ほんにん肉声にくせい録音ろくおんされたテープが1998ねんにテレビのワイドショーなどで公開こうかいされた。中原なかはら自宅じたくにわ記者きしゃ会見かいけんおうじ、事実じじつ関係かんけいみとめた[14]

そののエピソード

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  • よんだんからろくだん時代じだい、そのあまりのつよさから「鉄腕てつわんアトム」のあだながついた[15]
  • けずぎらいであり、素人しろうと相手あいてときでもけっして手加減てかげんをしないとわれている。
  • 田中たなか角栄かくえい自民党じみんとう総裁そうさい出馬しゅつばしたさい、「かく」と扇子せんす揮毫きごう(きごう)しておくったことがある。
  • 親友しんゆう棋士きし池田いけだ修一しゅういちさんだんときに、肺結核はいけっかく発症はっしょう故郷こきょう治療ちりょうのため長期ちょうき離脱りだつしていたのだが、当時とうじよんだんからだんさきにプロ棋士きしになっていた中原なかはら入院にゅういんちゅうだった池田いけだ生活せいかつ毎月まいつき支援しえんしていた。[16]
  • 趣味しゅみ囲碁いご音楽おんがく鑑賞かんしょう(クラシック音楽おんがく)、だいリーグテレビ観戦かんせん囲碁いごについては2016ねん現在げんざい将棋しょうぎ連盟れんめい囲碁いごせきいている[17]。2019ねん1がつ、アマろくだん免状めんじょう贈呈ぞうていされる[18]
  • クラシック音楽おんがくについてはプロあいだもないころ名曲めいきょく喫茶きっさびたって以来いらい趣味しゅみで、将棋しょうぎファンであった山本やまもと直純なおずみとも交流こうりゅうがあり、駒音こまおんコンサートで指揮棒しきぼうったこともある[19]
  • 詰将棋つめしょうぎ創作そうさく得意とくいとしており、名人めいじん就位しゅういしているあいだ自作じさく詰将棋つめしょうぎ雑誌ざっし寄稿きこうしたりしていた[注釈ちゅうしゃく 17]
  • 月刊げっかん少年しょうねんジャンプ連載れんさい実録じつろくシリーズにて「わか王将おうしょう」のタイトルでげられる。
  • 少年しょうねん時代じだいのあだはマコロン。当時とうじ使つかっていた眼鏡めがね仙台せんだい銘菓めいかまころん」にて、まるいものだったからとも。

弟子でし

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棋士きしとなった弟子でし

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名前なまえ よんだん昇段しょうだん 段位だんいおも活躍かつやく
小倉おぐら久史ひさし 1988ねん10がつ1にち はちだん
佐藤さとう秀司しゅうじ 1990ねん10がつ1にち はちだん一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう1かい
高野たかの秀行ひでゆき 1998ねん4がつ1にち ろくだん
熊坂くまさかまなぶ 2002ねん4がつ1にち ろくだん

(2023ねん4がつ1にち現在げんざい

女流じょりゅう棋士きしとなった弟子でし

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名前なまえ 女流じょりゅうプロ 段位だんいおも活躍かつやく
甲斐かい智美ともみ 1997ねん4がつ1にち 女流じょりゅうだん女王じょおう1女流じょりゅう王位おうい4倉敷くらしき藤花ふじはな2一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう2かい、Aきゅう在籍ざいせき2

(2023ねん7がつ3にち現在げんざい

昇段しょうだん履歴りれき

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  • 1958ねん : 6きゅう奨励しょうれいかい入会にゅうかい
  • 1961ねん初段しょだん
  • 1965ねん10がつ01にちよんだん関東かんとう奨励しょうれいかいさんだん優勝ゆうしょう東西とうざい決戦けっせん桐山きりやま清澄きよすみ勝利しょうり)=プロ
  • 1967ねん04がつ01にちだん順位じゅんいせんCきゅう1くみ昇級しょうきゅう
  • 1968ねん04がつ01にちろくだん順位じゅんいせんBきゅう2くみ昇級しょうきゅう
  • 1969ねん04がつ01にちななだん順位じゅんいせんBきゅう1くみ昇級しょうきゅう
  • 1970ねん04がつ01にちはちだん順位じゅんいせんAきゅう昇級しょうきゅう
  • 1973ねん11月03にちきゅうだん九段くだん昇段しょうだん規定きてい30てん[注釈ちゅうしゃく 18]
  • 2009ねん03月31にち引退いんたい

おも成績せいせき

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通算つうさん成績せいせき
対局たいきょくすう2093(タイトルせんもち将棋しょうぎ3きょくふくむ)
1308しょう782はい 勝率しょうりつ0.6258

タイトル・永世えいせい称号しょうごう

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登場とうじょう連覇れんぱ 太字ふとじ 歴代れきだい最多さいた記録きろく

詳細しょうさいした年表ねんぴょう参照さんしょう棋士きしとの比較ひかくは、タイトル獲得かくとく記録きろく将棋しょうぎのタイトル在位ざいいしゃ一覧いちらん参照さんしょう

タイトル 獲得かくとく年度ねんど 登場とうじょう 獲得かくとくすう 連覇れんぱ 永世えいせい称号しょうごう備考びこう
竜王りゅうおう 0
名人めいじん 1972-1981, 1985-1987,
1990-1992[20]
18かい 15
(歴代れきだい2)
9連覇れんぱ
(歴代れきだい2)
じゅうろくせい名人めいじん
2007ねん11月17にちかさね
王位おうい 1973-1978, 1980-1981 11かい 8 6連覇れんぱ 永世えいせい王位おうい
2008ねん4がつ1にち就位しゅうい
王座おうざ 1983-1986, 1988-1989
(一般いっぱん棋戦きせん時代じだい優勝ゆうしょう10かい)
8かい 6
(歴代れきだい2)
4連覇れんぱ
(歴代れきだい2タイ)
名誉めいよ王座おうざ
2007ねん9月2にち就位しゅうい
棋王きおう 1979 3かい 1
王将おうしょう 1972-1977, 1984 13かい 7 6連覇れんぱ
棋聖きせい 1968まえ-1969まえ,
1970-1972まえ,
1977-1979, 1982,
1988-1989
23かい 16
(歴代れきだい1タイ)
5連覇れんぱ 永世えいせい棋聖きせい
2008ねん4がつ1にち就位しゅうい
きゅうタイトル 獲得かくとく年度ねんど 登場とうじょう 獲得かくとくすう 連覇れんぱ 永世えいせい称号しょうごう備考びこう
じゅうだん 1970-1972, 1974-1979,
1982-1983
15かい 11
(歴代れきだい1)
6連覇れんぱ
(歴代れきだい1タイ)
永世えいせいじゅうだん
1994ねん4がつ1にち就位しゅうい
登場とうじょう回数かいすう合計ごうけい91、獲得かくとく合計ごうけい64歴代れきだい3)、7タイトル生涯しょうがいグランドスラム達成たっせい(きゅうじゅうだんせんふくむ)
将棋しょうぎタイトル獲得かくとく記録きろく
01 099 (138かい)
2 80 (112かい)
3 64 (091かい)
4 31 (045かい)
5 27 (057かい)
6 24 (025かい)
7 019 (048かい)
8 13 (037かい)
9 12 (025かい)
10 08 (024かい)

(ばん勝負しょうぶ実施じっしぶんのみ)
08
(05)
(011かい)
(008かい)
太字ふとじ*現役げんえき棋士きし、(括弧かっこ数字すうじ)はタイトルせん登場とうじょう回数かいすう
記録きろくだい65王位おういせん終了しゅうりょうまで、ばん勝負しょうぶ終了しゅうりょうまえのぞく)

一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう

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通算つうさん28かい歴代れきだい3

  • 王座おうざせん一般いっぱん棋戦きせん時代じだい) - 10かい(1969-1974・1976-1979年度ねんど
  • NHKはい - 6かい(1974・1977・1982・1987・1992・1994かい年度ねんど
  • 将棋しょうぎ選手権せんしゅけん - 3かい(1972後期こうき・1973後期こうき・1985年度ねんど
  • 日本にっぽんシリーズ - 1かい(1981年度ねんど
  • オールスターせん(5しょう以上いじょう) - 3かい(1984・1987-1988かい年度ねんど
  • 将棋しょうぎ連盟れんめいはい争奪そうだつせん - 1かいだい3かい
  • 古豪こごう新鋭しんえいせん - 1かいだい11かい
  • 最強さいきょうしゃ決定けっていせん - 1かいだい11かい
  • 名将めいしょうせん - 2かいだい1・2

将棋しょうぎ大賞たいしょう

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  • 将棋しょうぎ大賞たいしょうは、最優秀さいゆうしゅう棋士きししょう5かい升田ますだ幸三こうぞうしょう1かい(「中原なかはらりゅうよこり」、「中原なかはらがこい」の戦法せんぽうしたことによる)など。

在籍ざいせきクラス

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だい30までの順位じゅんいせんすうは、名人めいじんせんすうたいして5のずれがあった。1ねんのブランクののち主催しゅさい朝日新聞社あさひしんぶんしゃから毎日新聞社まいにちしんぶんしゃわっただい36から名人めいじんせん順位じゅんいせんすうがそろえられた。このため、だい31-35順位じゅんいせん存在そんざいしない。つまり、中原なかはらのAきゅう以上いじょう在籍ざいせきは29連続れんぞくである。なお、だい30だい36は、名人めいじん9連覇れんぱ途中とちゅうたる。

  • 竜王りゅうおうせん 1くみ在籍ざいせき通算つうさん18だい1-9, 13-15, 17-22)(だい1本戦ほんせんシード、だい22休場きゅうじょうふくむ)
  • 順位じゅんいせん Aきゅう以上いじょう 29連続れんぞく(30ねん連続れんぞく)、通算つうさん29だい25-30…36-58
順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん在籍ざいせきクラスの年別ねんべつ一覧いちらん
開始かいし
年度ねんど
(出典しゅってん)順位じゅんいせん
出典しゅってん[21]
(出典しゅってん)竜王りゅうおうせん
出典しゅってん[22]
名人めいじん Aきゅう Bきゅう Cきゅう 0 竜王りゅうおう 1くみ 2くみ 3くみ 4くみ 5くみ 6くみ 決勝けっしょう
T
1くみ 2くみ 1くみ 2くみ
1965 20 よんだん昇段しょうだんまえ
1966 21 C211 12-0
1967 22 C111 11-1
1968 23 B213 11-1
1969 24 B114 10-3
1970 25 A 10 4-4
1971 26  A06  8-0
1972 27 名人めいじん --
1973 28 名人めいじん --
1974 29 名人めいじん --
1975 30 名人めいじん --
1976 だい31-35順位じゅんいせんかい省略しょうりゃく
1976 36 名人めいじん --
1978 37 名人めいじん --
1979 38 名人めいじん --
1980 39 名人めいじん --
1981 40 名人めいじん --
1982 41 A 01 7-2
1983 42 A 02 5-4
1984 43 A 05 6-2
1985 44 名人めいじん --
1986 45 名人めいじん -- 棋戦きせん創設そうせつまえ
1987 46 名人めいじん -- 1 1くみ 2-2 決勝けっしょうT
シード
1988 47 A 01 5-4 2 1くみ 0-1 4-0
1989 48 A 05 6-3 3 1くみ 0-1 3-1
1990 49 名人めいじん -- 4 1くみ -- 1-2
1991 50 名人めいじん -- 5 1くみ 0-1 3-1
1992 51 名人めいじん -- 6 1くみ -- 2-2
1993 52 A 01 6-3 7 1くみ -- 1-2
1994 53 A 03 7-2 8 1くみ 1-1 4-0
1995 54 A 02 4-5 9 1くみ -- 1-3
1996 55 A 06 4-5 10 2くみ -- 1-2
1997 56 A 06 5-4 11 2くみ -- 2-2
1998 57 A 05 2-6 12 2くみ -- 4-1
1999 58 A 08 2-7 13 1くみ 0-1 4-0
2000 59 B102 6-6 14 1くみ -- 2-2
2001 60 B107 4-8 15 1くみ -- 0-3
2002 61 Fせん 16 2くみ 3-2 3-1
2003 62 Fせん 17 1くみ -- 2-2
2004 63 Fせん 18 1くみ -- 1-2
2005 64 Fせん 19 1くみ -- 2-2
2006 65 Fせん 20 1くみ 0-1 3-1
2007 66 Fせん 21 1くみ -- 2-2
2008 67 Fせん 22 1くみ -- 休場きゅうじょう
2009ねん3がつ31にちづけ引退いんたい 22 2009ねん3がつ31にちづけ引退いんたい
順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん わく表記ひょうき 挑戦ちょうせんしゃみぎらん数字すうじかち-はい(ばん勝負しょうぶ/POふくまず)。
順位じゅんいせんみぎ数字すうじはクラスない順位じゅんい ( x当期とうきくだきゅうてん / *累積るいせきくだきゅうてん / +くだきゅうてん消去しょうきょ )
順位じゅんいせんの「Fへん」はフリークラス編入へんにゅう /「Fせん」は宣言せんげんによるフリークラス転出てんしゅつ
竜王りゅうおうせん 太字ふとじ はランキングせん優勝ゆうしょう竜王りゅうおうせんくみ(添字そえじ)棋士きし以外いがいわくでの出場しゅつじょう

記録きろく歴代れきだい1のもの)

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  • 棋聖きせいくらい在位ざいい - 16大山おおやま康晴やすはる羽生はぶ善治よしはるならび、1タイ)
  • 棋聖きせいせんトーナメント16つよ以上いじょう[23] - 71だい8だい9、およびだい11からだい79までの69連続れんぞく[24]該当がいとう
  • 年度ねんど最高さいこう勝率しょうりつ - .855(47しょう8はい)(1967ねん
  • よんだん昇段しょうだんから永世えいせい称号しょうごう資格しかく取得しゅとくまでの最速さいそく記録きろく - 5ねん10かげつ
  • 最年少さいねんしょう実力じつりょくせい永世えいせい名人めいじん資格しかく獲得かくとく - 28さい9かげつ
  • 順位じゅんいせんAきゅう全勝ぜんしょう - 1971ねん(このとし休場きゅうじょうしゃがいたため8せん森内もりうち俊之としゆき羽生はぶ善治よしはる渡辺わたなべあきらが9せん全勝ぜんしょう達成たっせいしている)
  • 年度ねんど勝率しょうりつ7わりちょう - 10ねん連続れんぞく

その大山おおやま康晴やすはる以来いらい史上しじょう2にんの1300しょう達成たっせいしている(2007ねん9がつ27にち)。

おも対戦たいせん相手あいてとの勝敗しょうはい

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対戦たいせん相手あいて 対局たいきょく かち はい タイトルせん
塚田つかだ正夫まさお 004 004 000
升田ますだ幸三こうぞう 012 009 003
大山おおやま康晴やすはる 162 107 055 獲得かくとく16 敗退はいたい04
二上ふたかみ達也たつや 042 029 013 獲得かくとく02 敗退はいたい01
山田やまだみち 022 015 007 獲得かくとく02 敗退はいたい01
加藤かとう一二三ひふみ 109 067 041 獲得かくとく05 敗退はいたい04
有吉ありよし道夫みちお 058 041 017 獲得かくとく03 敗退はいたい01
内藤ないとう國雄くにお 071 047 024 獲得かくとく04 敗退はいたい02
米長よねなが邦雄くにお 187 106 080 獲得かくとく14 敗退はいたい06
大内おおうちのべかい 043 028 014 獲得かくとく01 敗退はいたい00
桐山きりやま清澄きよすみ 051 034 017 獲得かくとく03 敗退はいたい00
勝浦かつうらおさむ 035 026 009 獲得かくとく01 敗退はいたい00
森安もりやす秀光ひでみつ 038 022 016 獲得かくとく01 敗退はいたい01
もり雞二 042 030 012 獲得かくとく02 敗退はいたい00
淡路あわじひとししげる 013 011 002 獲得かくとく01 敗退はいたい00
青野あおのあきら 036 027 009 獲得かくとく01 敗退はいたい00
田中たなか寅彦とらひこ 023 012 011 獲得かくとく01 敗退はいたい00
谷川たにがわ浩司こうじ 098 042 056 獲得かくとく03 敗退はいたい03
高橋たかはし道雄みちお 045 030 015 獲得かくとく01 敗退はいたい00
中村なかむらおさむ 030 015 015 獲得かくとく00 敗退はいたい02
しまあきら 032 016 016
みなみ芳一よしかず 026 012 014 獲得かくとく01 敗退はいたい00
塚田つかだ泰明やすあき 032 021 011 獲得かくとく01 敗退はいたい01
森下もりしたたく 030 013 017
羽生はぶ善治よしはる 029 010 019
佐藤さとう康光やすみつ 029 012 017
森内もりうち俊之としゆき 035 017 018
屋敷やしき伸之のぶゆき 021 011 010 獲得かくとく01 敗退はいたい01
丸山まるやま忠久ただひさ 022 007 015
郷田ごうだしんたかし 031 006 025
渡辺わたなべあきら 004 001 003

加藤かとう米長よねなが大内おおうちとの対局たいきょくすうは、タイトルせんでのもち将棋しょうぎかく1きょくずつふくむ。

米長よねながとの187対局たいきょくは、どういちカード対局たいきょくすう歴代れきだい1記録きろく

その表彰ひょうしょう

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日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめいによる表彰ひょうしょう
その表彰ひょうしょう

年表ねんぴょう

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氏名しめい対戦たいせん相手あいて あかいマス  はタイトル獲得かくとく奪取だっしゅまたは防衛ぼうえい)。 00永世えいせい はタイトル獲得かくとくくわ永世えいせい称号しょうごう名誉めいよ称号しょうごう資格しかく獲得かくとく

o : ち、 x : け、 j : もち将棋しょうぎ、s : 千日手せんにちてによる日程にっていべ(当日とうじつなおしの場合ばあい記載きさいせず)。
 - 棋戦きせん不参加ふさんかまたは開始かいしまえ終了しゅうりょう該当がいとう年度ねんど実施じっし)の棋戦きせんとう

 黄色きいろいマス  は、一般いっぱん棋戦きせん王座おうざせん」の優勝ゆうしょう(タイトルせん昇格しょうかく以前いぜん。「名誉めいよ王座おうざ称号しょうごう獲得かくとく要件ようけんふくまれるためタイトルのらんにも記載きさい)。

年度ねんど 名人めいじん
4-6がつ
棋聖きせい
6-7がつ
12-2がつ
王位おうい
7-10月
王座おうざせん
(一般いっぱん棋戦きせん)
じゅうだん
10-1がつ
王将おうしょう
1-3がつ
棋王きおう
2-3がつ
一般いっぱん棋戦きせん
優勝ゆうしょう
将棋しょうぎ大賞たいしょう 備 こう
1965 1965ねん10がつ1にち よんだん昇段しょうだん(18さい)
1966
<だい25>

Cきゅう2くみ
(だい21)
C1昇級しょうきゅう
<だい8> <だい7>

 
<だい14かい>
一般いっぱん棋戦きせん
 
<だい5>

 
<だい16>

 
順位じゅんいせん Cきゅう1くみ昇級しょうきゅう
<だい9>
1967 Cきゅう1くみ
(だい22)
B2昇級しょうきゅう
    古豪こごう新鋭しんえい 年度ねんど勝率しょうりつ最高さいこう記録きろく0.855(47しょう8はい)、
順位じゅんいせん Bきゅう2くみ昇級しょうきゅう
山田やまだみち
ooxxx
1968 Bきゅう2くみ
(だい23)
B1昇級しょうきゅう
山田やまだみち
xooo
はつタイトル(20さい)
順位じゅんいせん Bきゅう1くみ昇級しょうきゅう
大山おおやま康晴やすはる
oxoo
1969 Bきゅう1くみ
(だい24)
Aきゅう昇級しょうきゅう
山田やまだみち
ooo
有吉ありよし道夫みちお
xoo
優勝ゆうしょう
王座おうざ 順位じゅんいせん Aきゅう昇級しょうきゅう
(デビューから4ねん連続れんぞく昇級しょうきゅうでAきゅうり)
内藤ないとう國雄くにお
oxxx
1970 Aきゅう
(だい25)
Aきゅう残留ざんりゅう
  二上ふたかみ達也たつや
oo
優勝ゆうしょう
大山おおやま康晴やすはる
oooxxo
大山おおやま康晴やすはる
xooxoxx
王座おうざ
連盟れんめいはい
はちだん昇段しょうだん(Aきゅうはちだん1ねん
年度ねんど56しょう(自己じこ最高さいこう)
大山おおやま康晴やすはる
ooo
1971 Aきゅう
(だい26)
挑戦ちょうせんしゃ
大山おおやま康晴やすはる
ooxo永世えいせい
大山おおやま康晴やすはる
xoxxoox
加藤かとう一二三ひふみ
oo
優勝ゆうしょう
大山おおやま康晴やすはる
xooxoo
王座おうざ
最強さいきょうしゃ
永世えいせい称号しょうごう資格しかく獲得かくとく永世えいせい棋聖きせい
最年少さいねんしょう記録きろく当時とうじ23さい11かげつ
最速さいそく記録きろくよんだん昇段しょうだん5ねん10かげつ
二上ふたかみ達也たつや
oxoo
1972 <だい31>
大山おおやま康晴やすはる
oxxoxoo
内藤ないとう國雄くにお
ooxo
内藤ないとう國雄くにお
oo
優勝ゆうしょう
大山おおやま康晴やすはる
oooxo
大山おおやま康晴やすはる
oooo
王座おうざ
はやけん(後期こうき)
名人めいじんはつ挑戦ちょうせん獲得かくとく
(24さい名人めいじん当時とうじ史上しじょう最年少さいねんしょう)
有吉ありよし道夫みちお
ooxxx
1973 加藤かとう一二三ひふみ
oooo
内藤ないとう國雄くにお
oooo
大野おおの源一げんいち
oo
優勝ゆうしょう
大山おおやま康晴やすはる
xooxoxx
米長よねなが邦雄くにお
oxxooo
王座おうざ 名将めいしょう
はやけん(後期こうき)
<だい1かい>
勝率しょうりつ1
連勝れんしょう
きゅうだん昇段しょうだん
よんかん史上しじょう2にん
1974 大山おおやま康晴やすはる
xooxoxo
米長よねなが邦雄くにお
oxoxoo
大山おおやま康晴やすはる
oxo
優勝ゆうしょう
大山おおやま康晴やすはる
oxooo
米長よねなが邦雄くにお
oxooxxo
王座おうざ NHK 最優秀さいゆうしゅう
1975 大内おおうちのべかい
xoosxxojo
内藤ないとう國雄くにお
oxoxoo
桐山きりやま清澄きよすみ
xx
大山おおやま康晴やすはる
oooo
有吉ありよし道夫みちお
ooxoo
<だい1>
0
名将めいしょう 最優秀さいゆうしゅう
年度ねんど 名人めいじん
4-6がつ
棋聖きせい
6-7がつ
12-2がつ
王位おうい
7-10月
王座おうざせん
(一般いっぱん棋戦きせん)
じゅうだん
10-1がつ
王将おうしょう
1-3がつ
棋王きおう
2-3がつ
一般いっぱん棋戦きせん
優勝ゆうしょう
将棋しょうぎ大賞たいしょう 備 こう
1976 <だい35>
米長よねなが邦雄くにお
oxxooxo永世えいせい
<だい28> <だい17>
勝浦かつうらおさむ
xoooxo
<だい24かい>
桐山きりやま清澄きよすみ
oo
優勝ゆうしょう
<だい15>
加藤かとう一二三ひふみ
oxsooxxo
<だい26>
大山おおやま康晴やすはる
oxxooo
<だい2>

 
王座おうざ <だい4かい>
最優秀さいゆうしゅう
実力じつりょくせい永世えいせい名人めいじん資格しかく最年少さいねんしょう記録きろく
(28さい9かげつ
<だい29>
1977 (実施じっしされず)   米長よねなが邦雄くにお
xoooxo永世えいせい
(1997ねん制定せいてい)
大内おおうちのべかい
oo
優勝ゆうしょう
加藤かとう一二三ひふみ
xoxooxo
有吉ありよし道夫みちお
oxoxoo
加藤かとう一二三ひふみ
xxx
王座おうざ NHK 最優秀さいゆうしゅう かん史上しじょう2にん)= 棋聖きせいせん(後期こうき)
ろくかん独占どくせんのがす)
大山おおやま康晴やすはる
xxooo
1978 <だい36>
もり雞二
xoxosoo
有吉ありよし道夫みちお
ooo
大山おおやま康晴やすはる
oxooo
大内おおうちのべかい
oo
優勝ゆうしょう
米長よねなが邦雄くにお
oooxxxo
加藤かとう一二三ひふみ
oxxxx
王座おうざ タイトルせん連続れんぞく登場とうじょう 11かい歴代れきだい3
だい18王位おういせんだい28王将おうしょうせん
二上ふたかみ達也たつや
oxoo
1979 米長よねなが邦雄くにお
xxoooo
加藤かとう一二三ひふみ
oxoo
米長よねなが邦雄くにお
oxxoxosx
大内おおうちのべかい
oo
優勝ゆうしょう
米長よねなが邦雄くにお
ooxoo
米長よねなが邦雄くにお
oxoo
王座おうざ
淡路あわじひとししげる
ooo
1980 米長よねなが邦雄くにお
oxjooo
米長よねなが邦雄くにお
xxox
米長よねなが邦雄くにお
oooo
大山おおやま康晴やすはる
xx
加藤かとう一二三ひふみ
xoxxx
米長よねなが邦雄くにお
xxox
 
1981 桐山きりやま清澄きよすみ
oooxo
二上ふたかみ達也たつや
xxx
大山おおやま康晴やすはる
oxooxxo
大山おおやま康晴やすはる
oxooxsxx
日本にっぽん
 
1982 加藤かとう一二三ひふみ
joxoxsxosx
だい41
Aきゅう残留ざんりゅう
  内藤ないとう國雄くにお
xooxxx
<だい30かい>
( ここまで
一般いっぱん棋戦きせん
)

加藤かとう一二三ひふみ
oxoxoo永世えいせい
NHK 最優秀さいゆうしゅう
最多さいた勝利しょうり
最多さいた対局たいきょく
12ねんぶりの無冠むかん
永世えいせいじゅうだん獲得かくとく
もり雞二
oxoo
年度ねんど 名人めいじん
4-6がつ
棋聖きせい
6-7がつ
12-2がつ
王位おうい
7-10月
王座おうざ
9-10月

(タイトルせん)
じゅうだん
10-1がつ
王将おうしょう
1-3がつ
棋王きおう
2-3がつ
一般いっぱん棋戦きせん
優勝ゆうしょう
将棋しょうぎ大賞たいしょう 備 こう
1983 Aきゅう残留ざんりゅう 森安もりやす秀光ひでみつ
ooxxx
<だい31>
内藤ないとう國雄くにお
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桐山きりやま清澄きよすみ
xoxooo
 
1984 Aきゅう
挑戦ちょうせんしゃ
森安もりやす秀光ひでみつ
xxooo
米長よねなが邦雄くにお
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米長よねなが邦雄くにお
oxooo
勝抜かちぬき(5連勝れんしょう)
1985 <だい43>
谷川たにがわ浩司こうじ
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谷川たにがわ浩司こうじ
xooo
米長よねなが邦雄くにお
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中村なかむらおさむ
xxxoox
はやけん 名人めいじん復位ふくい
1986 大山おおやま康晴やすはる
ooxoo
桐山きりやま清澄きよすみ
ooo
中村なかむらおさむ
oxxoxx
1987 米長よねなが邦雄くにお
xxoooo
塚田つかだ泰明やすあき
ooxxx
<だい26>
 
NHK
勝抜かちぬき(6連勝れんしょう)
年度ねんど 名人めいじん
4-6がつ
棋聖きせい
6-7がつ
12-2がつ
王位おうい
7-10月
王座おうざ
9-10月
じゅうだん 王将おうしょう
1-3がつ
棋王きおう
2-3がつ
一般いっぱん棋戦きせん
優勝ゆうしょう
将棋しょうぎ大賞たいしょう 備 こう
竜王りゅうおう
10-1がつ
1988 <だい46>
谷川たにがわ浩司こうじ
oxxxox
<だい47>
Aきゅう残留ざんりゅう
<だい52> <だい29>


 
<だい36>
塚田つかだ泰明やすあき
ooo
<だい1>


 
<だい38>


 
<だい14>


 
勝抜かちぬき(6連勝れんしょう)
(前年度ぜんねんどから
 12連勝れんしょう)
<だい16かい>


 
羽生はぶ決勝けっしょうたったのは、
この年度ねんどのNHKはいせんのみ
<だい53>
田中たなか寅彦とらひこ
oxxoo
1989 Aきゅう
挑戦ちょうせんしゃ
みなみ芳一よしかず
xooo
青野あおのあきら
xoxoo名誉めいよ
(1996ねん制定せいてい)
竜王りゅうおうせん1くみ優勝ゆうしょう
屋敷やしき伸之のぶゆき
xooxo
1990 <だい48>
谷川たにがわ浩司こうじ
oxoxoo
屋敷やしき伸之のぶゆき
ooxxx
谷川たにがわ浩司こうじ
xoxx
度目どめ名人めいじん復位ふくい
屋敷やしき史上しじょう最年少さいねんしょうタイトル記録きろくゆる
 
1991 米長よねなが邦雄くにお
oooxo
1992 高橋たかはし道雄みちお
xxoxooo
NHK
1993 <だい51>
米長よねなが邦雄くにお
xxxx
だい52
Aきゅう残留ざんりゅう
谷川たにがわ浩司こうじ
xxoxox
米長よねなが史上しじょう最年長さいねんちょう名人めいじん記録きろくゆる
1994 Aきゅう残留ざんりゅう <だい64> NHK 永世えいせいじゅうだん名乗なの
<だい65>
1995 だい54
Aきゅう残留ざんりゅう
<だい66> 升田ますだしょう 竜王りゅうおうせん1くみ優勝ゆうしょう
羽生はぶななかん独占どくせん達成たっせいした年度ねんど
1999 だい58 Aきゅう
B1くだきゅう
だい58順位じゅんいせんでAきゅうから陥落かんらく
2000 だい59
Bきゅう1くみ 残留ざんりゅう
竜王りゅうおうせん1くみ優勝ゆうしょう
2001 だい60
Bきゅう1くみ 残留ざんりゅう
2002 フリークラス
宣言せんげん
2002年度ねんどよりフリークラス転出てんしゅつ宣言せんげん
2003 羽生はぶとのタイトルせんいちとどかず(竜王りゅうおうせん
2008 特別とくべつしょう 2009.3.31引退いんたい
合計ごうけい 登場とうじょう18かい
獲得かくとく15
 
登場とうじょう23かい
獲得かくとく16
 
登場とうじょう11かい
獲得かくとく08
 
登場とうじょう08かい
獲得かくとく06
(優勝ゆうしょう10かい)
(じゅうだんせん)
登場とうじょう15かい
獲得かくとく11
登場とうじょう13かい
獲得かくとく07
 
登場とうじょう03かい
獲得かくとく01
 
一般いっぱん棋戦きせん
優勝ゆうしょう28かい

歴代れきだい3
タイトルせん登場とうじょう合計ごうけい91かい
うち獲得かくとく64
歴代れきだい3
永世えいせい
称号しょうごう
じゅうろくせい名人めいじん
2007.11.17
かさね
永世えいせい棋聖きせい
2008.4.1
から名乗なの
永世えいせい王位おうい
2008.4.1
から名乗なの
名誉めいよ王座おうざ
2007.9.2
から名乗なの
永世えいせいじゅうだん
1994.4.1
から名乗なの


著書ちょしょ

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じゅうろくせい名人めいじんでかつ日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい会長かいちょうであったこともあり、著書ちょしょ大変たいへんおおい。入門にゅうもんしょおお著述ちょじゅつしている。ここではいちれいげる。

  • 決断けつだんいち!』日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい、2008ねん7がつISBN 978-4-8197-0010-8
  • 将棋しょうぎのう—これであなたののうはよみがえる』サンマーク出版しゅっぱん、2006ねん10がつISBN 978-4-7631-9671-2
  • 実践じっせんがた将棋しょうぎ さんなな手詰てづめ』日東にっとう書院しょいん、2006ねん8がつISBN 978-4-528-01512-8
  • 中原なかはらまこといてごらんよ詰将棋つめしょうぎフローラル出版しゅっぱん、2001ねん12月、ISBN 4-930831-38-5
  • 自然しぜんりゅう中原なかはらまこと実践じっせんめい勝負しょうぶ東京とうきょう書店しょてん、1999ねん10がつISBN 978-4-88574-427-3
  • 自然しぜんりゅう 中原なかはらまこと飛車ひしゃやぶり』東京とうきょう書店しょてん、1999ねん5がつISBN 978-4-88574-426-6
  • よこ中原なかはらりゅう必殺ひっさつじんだいだん!』日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい、1995ねん4がつISBN 978-4-8197-0322-2
  • 中原なかはらりゅう飛車ひしゃやぶり』池田いけだ書店しょてん、1994ねん11月、ISBN 978-4-262-10118-7
  • 中原なかはらりゅう急戦きゅうせん将棋しょうぎ池田いけだ書店しょてん、1994ねん7がつISBN 4-262-10117-7
  • 中原なかはらりゅうそうがかり—必殺ひっさつの5きゅうきんがた』、日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい、1994ねん3がつISBN 978-4-8197-0319-2
  • きょ飛車ひしゃ穴熊あなぐま 3将棋しょうぎつよくなる』大泉おおいずみ書店しょてん、1987ねん10がつISBN 978-4-278-08119-0
  • 急戦きゅうせん腰掛こしかけぎん 3将棋しょうぎつよくなる』大泉おおいずみ書店しょてん、1987ねん8がつISBN 978-4-278-08118-3
  • 中原なかはらまこと自然しぜんりゅう名人めいじんせん激闘げきとう』、池田いけだ書店しょてん、1987ねん4がつISBN 978-4-262-10114-9
  • 急戦きゅうせん矢倉やぐら 3将棋しょうぎつよくなる』大泉おおいずみ書店しょてん、1987ねん2がつISBN 978-4-278-08117-6
  • 必殺ひっさつ美濃みのやぶり 3将棋しょうぎつよくなる』大泉おおいずみ書店しょてん、1986ねん8がつISBN 978-4-278-08116-9
  • 必殺ひっさつ穴熊あなぐまやぶり 3将棋しょうぎつよくなる』大泉おおいずみ書店しょてん、1986ねん2がつISBN 978-4-278-08115-2
  • 中原なかはら必勝ひっしょうやぐらちゅう飛車ひしゃ池田いけだ書店しょてん、1985ねん8がつISBN 978-4-262-10213-9
  • 矢倉やぐらせん 3将棋しょうぎつよくなる』大泉おおいずみ書店しょてん、1985ねん4がつISBN 978-4-278-08114-5
  • ぼうぎんせん 3将棋しょうぎつよくなる』大泉おおいずみ書店しょてん、1985ねん2がつISBN 978-4-278-08113-8
  • 『ひねり飛車ひしゃ 3将棋しょうぎつよくなる』大泉おおいずみ書店しょてん、1984ねん12月、ISBN 978-4-278-08112-1
  • 中原なかはら必勝ひっしょうひだり美濃みのたいよんあいだ飛車ひしゃ』、池田いけだ書店しょてん、1984ねん11月、ISBN 978-4-262-10212-2
  • ちゅう飛車ひしゃ 3将棋しょうぎつよくなる』大泉おおいずみ書店しょてん、1984ねん8がつISBN 978-4-278-08111-4
  • 中原なかはらめの実戦じっせんしゅう大山おおやまじゅうせい名人めいじんとのたい飛車ひしゃせん15きょく永岡書店ながおかしょてん、1984ねん5がつISBN 978-4-522-01570-4
  • よんあいだ飛車ひしゃ 3将棋しょうぎつよくなる』大泉おおいずみ書店しょてん、1984ねん1がつISBN 978-4-278-08110-7
  • 中原なかはらのやぐら教室きょうしつ池田いけだ書店しょてん、1983ねん11月、ISBN 4-262-10211-4
  • 矢倉やくら戦法せんぽうII』筑摩書房ちくましょぼう、1983ねん6がつISBN 4-480-69802-7
  • 矢倉やくら戦法せんぽうI』筑摩書房ちくましょぼう、1983ねん3がつISBN 4-480-69801-9
  • 中原なかはらよんあいだ飛車ひしゃつ』 池田いけだ書店しょてん、1982ねん2がつISBN 978-4-262-10209-2
  • 中原なかはらなか飛車ひしゃ教室きょうしつ池田いけだ書店しょてん、1980ねん10がつISBN 4-262-10208-4
  • 中原なかはらこまべついちあゆみこうかつら》』 池田いけだ書店しょてん、1978ねん4がつISBN 4-262-10206-8
  • 中原なかはらせとめ』池田いけだ書店しょてん、1977ねん3がつISBN 978-4-262-10205-4

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 名人めいじん15ふく
  2. ^ 1994ねん4がつ1にちに「永世えいせいじゅうだん」、2007ねん9がつ2にちに「名誉めいよ王座おうざ」、同年どうねん11がつ17にちに「じゅうろくせい名人めいじん」を、2008ねん4がつ1にちに「永世えいせい棋聖きせい」および「永世えいせい王位おうい」を名乗なのる。参考さんこうリンクは以下いか列挙れっきょ(いずれも日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめいの「おらせ」より)。
  3. ^ 2008ねん正月しょうがつNHK教育きょういくテレビ放送ほうそうされた「おこの対局たいきょく」にて、中原なかはら自身じしんかたるところによると、「棋界きかい太陽たいよう」は原田はらだ泰夫やすおによる命名めいめいとのこと。
  4. ^ 直接ちょくせつ対局たいきょくしたのは1かいこうち3きょくだけ
  5. ^ 谷川たにがわ浩司こうじ羽生はぶ善治よしはるも13さい初段しょだん
  6. ^ 山田やまだみち関根せきねしげる宮坂みやさか幸雄ゆきお富沢とみざわ幹雄みきお中原なかはらまこと
  7. ^ 日本にっぽん大学だいがく桜丘さくらがおか高等こうとう学校がっこう在学ざいがくしていたため、両立りょうりつにもくるしんだ。
  8. ^ 漫画まんが実録じつろくシリーズ傑作けっさくせん/わか王将おうしょう』など、複数ふくすう書籍しょせきむことができる。
  9. ^ 中原なかはらは「山田やまだ研究けんきゅうかい」の生徒せいとでもあった。
  10. ^ 当時とうじ加藤かとう一二三ひふみっていた、タイトル挑戦ちょうせん最年少さいねんしょう記録きろく数日すうじつおくれであるが、当時とうじこまかいについてはにされていなかった。
  11. ^ 2予選よせん升田ますだ幸三こうぞうきゅうだん本戦ほんせん1回戦かいせん二上ふたかみ達也たつやはちだん準決勝じゅんけっしょう大山おおやま康晴やすはる名人めいじん王将おうしょうじゅうだん王位おういふくよんかん)、挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせん板谷いたやすすむろくだん
  12. ^ 大山おおやまは、こののちも1974年度ねんどだい33名人めいじんせん中原なかはら4-大山おおやま3)と1986年度ねんどだい44名人めいじんせん中原なかはら4-大山おおやま1)と2登場とうじょうしており、いずれも中原なかはらへの挑戦ちょうせんであったが、敗退はいたいしている。
  13. ^ 永世えいせい名人めいじんではないが)名人めいじん経験けいけんしゃがAきゅうからのくだきゅう現役げんえきつづけた前例ぜんれいとしては、塚田つかだ正夫まさお加藤かとう一二三ひふみのBきゅう1くみ米長よねなが邦雄くにおのフリークラス(Bきゅう1くみへのくだきゅうまったときにフリークラス宣言せんげん)があった。
  14. ^ このけんかんしては引退いんたいのインタビューでも度々たびたび後悔こうかいくちにしている。
  15. ^ 2017年度ねんどまつ現在げんざい、60さいだい竜王りゅうおうせん1くみ在籍ざいせきした経験けいけんがある棋士きしは、大山おおやま康晴やすはる中原なかはらの2めいのみである。
  16. ^ これ以前いぜんにも永世えいせい名人めいじんかさねはなしていたようだが、まだ名乗なのるにははやいと判断はんだんしてことわったと、『将棋しょうぎ世界せかい』2008ねん1がつごうなか(インタビュー冒頭ぼうとう、38ページ)でかしている
  17. ^ 中学ちゅうがくとき出題しゅつだいした9手詰てづめは、塚田つかだ正夫まさおませなかった。
  18. ^ きゅうだん昇段しょうだん名人めいじん在位ざいいちゅうであり、そのはタイトル称号しょうごうぜん名人めいじん永世えいせいじゅうだん永世えいせい名人めいじんなどで呼称こしょうされており、「中原なかはらまこときゅうだん」と呼称こしょうされたことはいちもない。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ 棋士きしデータベース じゅうろくせい名人めいじん 中原なかはらまこと”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 2017ねん6がつ27にち閲覧えつらん
  2. ^ 中原なかはらまこと将棋しょうぎ名誉めいよ王座おうざ) わたし履歴りれきしょ(2)縁台えんだい将棋しょうぎ - 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん”. www.nikkei.com. 2023ねん5がつ14にち閲覧えつらん
  3. ^ 中原なかはらまこと将棋しょうぎ名誉めいよ王座おうざ) わたし履歴りれきしょ(7)受験じゅけんかべ - 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん”. www.nikkei.com. 2023ねん5がつ14にち閲覧えつらん
  4. ^ 中原なかはらまことじゅうろくせい名人めいじんかえる 1972ねんはつ挑戦ちょうせん名人めいじんせんななばん勝負しょうぶ”. 毎日新聞まいにちしんぶん. 毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ (2022ねん4がつ2にち). 2022ねん6がつ21にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん7がつ11にち閲覧えつらん
  5. ^ 中原なかはら まことじゅうろくせい名人めいじん不戦敗ふせんぱいかんするけん将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい
  6. ^ 中原なかはら まことじゅうろくせい名人めいじん休場きゅうじょうについて|将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい
  7. ^ a b 中原なかはらまことじゅうろくせい名人めいじん引退いんたいへ|将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい
  8. ^ 将棋しょうぎ中原なかはらまこと16せい永世えいせい名人めいじん引退いんたい表明ひょうめい Archived 2009ねん3がつ14にち, at the Wayback Machine. 産経新聞さんけいしんぶん 2009ねん3がつ11にち閲覧えつらん
  9. ^ 中原なかはらまことじゅうろくせい名人めいじん羽生はぶさんとたたかいたかった」 Archived 2009ねん3がつ13にち, at the Wayback Machine.
  10. ^ 棋士きしかい役員やくいん変更へんこうのおらせ|将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい
  11. ^ だい24かい朝日あさひオープン将棋しょうぎ選手権せんしゅけん本戦ほんせんだい17きょく 「『中原なかはら先生せんせいいれだまきだからなあ』。控室ひかえしつでは真部まなべ一男かずおはちだん佐藤さとう義則よしのりはちだんらがテレビにうつるこの将棋しょうぎてあれこれはなしていた。」
  12. ^ 将棋しょうぎ世界せかい』2008ねん1がつごう p.41
  13. ^ 中原なかはら まこと永世えいせいじゅうだん名誉めいよ王座おうざ永世えいせい名人めいじんじゅうろくせい名人めいじん)をかさね”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい (2007ねん11月9にち). 2024ねん8がつ30にち閲覧えつらん
  14. ^ exciteニュース「林葉はやしば直子なおこ中原なかはらまこと不倫ふりん騒動そうどう 将棋しょうぎかい炸裂さくれつした「文春ぶんしゅんほう」」きん添真きん  2016ねん10がつ20日はつか
  15. ^ 奥山おくやまくれないじゅ前進ぜんしんできぬこまはない!』(ばんこえしゃ)P.209
  16. ^ 将棋しょうぎ世界せかい1991ねん7がつごう池田いけだおさむいちろくだん当時とうじ)の「師匠ししょう弟子でし物語ものがたり 花村はなむらわたしうえ)」(将棋しょうぎペンクラブ 中原なかはら人情にんじょうりゅう)より
  17. ^ 中原なかはらまことじゅうろくせい名人めいじん参加さんか将棋しょうぎ連盟れんめい囲碁いご活動かつどう潜入せんにゅう - 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい・2016ねん10がつ7にち
  18. ^ 中原なかはらまことじゅうろくせい名人めいじん、のめりんだ囲碁いご魅力みりょく白黒しろくろハッキリさせないのがむずかしさ」スポーツ報知ほうち 2019ねん1がつ15にち
  19. ^ 中原なかはらまこと(24)駒音こまおんコンサート”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん (2016ねん5がつ25にち). 2022ねん1がつ13にち閲覧えつらん
  20. ^ 1977年度ねんど開催かいさい
  21. ^ 名人めいじんせん順位じゅんいせん」『日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい』。
  22. ^ 竜王りゅうおうせん」『日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい』。
  23. ^ 66~80はリーグ進出しんしゅつ、それ以外いがい決勝けっしょうT進出しんしゅつ
  24. ^ 棋聖きせいせんだい65まではとし2開催かいさいであり、この連続れんぞく記録きろく中原なかはらだん時代じだいの20さいから引退いんたいまえの61さいまで40ねんあまりにわたってつづいた記録きろくである。
  25. ^ 記録きろくしつ日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめいオリジナルの2000ねん3がつ2にち時点じてんにおけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20000302150735/http://www.shogi.or.jp:80/kiroku/kiroku-menu.htm 
  26. ^ 近代きんだい将棋しょうぎ(1999ねん9がつごう近代きんだい将棋しょうぎしゃ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、187ぺーじhttps://dl.ndl.go.jp/pid/6047371/1/84 
  27. ^ 中原なかはら まことじゅうろくせい名人めいじん紫綬褒章しじゅほうしょう受章じゅしょう将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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