9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 二 に 三 さん 四 よん 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 七 なな 玉 たま 金 きむ 八 はち 香 こう 桂 かつら 九 きゅう
矢倉 やくら 囲 がこ い (やぐらがこい)は、主 おも に相 あい 居 きょ 飛車 ひしゃ 戦法 せんぽう ・相 あい 振 ふ り飛車 ひしゃ 戦法 せんぽう で用 もち いられる将棋 しょうぎ の囲 がこ い の一 ひと つ。単 たん に矢倉 やくら (やぐら、英 えい : Yagura[1] , Fortress[2] )と呼 よ ばれることが多 おお く、美濃 みの 囲 がこ い 、穴熊 あなぐま 囲 がこ い と並 なら ぶ代表 だいひょう 的 てき な囲 がこ いである。相 あい 居 きょ 飛車 ひしゃ 戦 せん で互 たが いに矢倉 やくら 囲 がこ いに組 く んで戦 たたか う戦型 せんけい のことを相 あい 矢倉 やぐら (あいやぐら)と言 い い、相 あい 掛 か かり 、角 かく 換 が わり 、横 よこ 歩 ふ 取 と り とまとめて相 あい 居 い 飛車 ひしゃ 戦 せん における四 よん 大戦 たいせん 法 ほう の一 ひと つとなっている。
非常 ひじょう に古 ふる い戦型 せんけい で、江戸 えど 時代 じだい には同 おな じ音 おん の「櫓 ろ 」の文字 もじ を当 あ てており、分家 ぶんけ 六 ろく 代目 だいめ 大橋 おおはし 宗 そう 英 すぐる が著 あらわ した『将棋 しょうぎ 歩 ふ 式 しき 』などの定跡 じょうせき 書 しょ でも「先手 せんて 櫓 ろ 」「櫓 ろ 崩 くず し」などと表記 ひょうき していたが、昭和 しょうわ 後期 こうき には「矢倉 やぐら 」の表記 ひょうき が一般 いっぱん 的 てき となった。ただ、升田 ますだ 幸三 こうぞう や山口 やまぐち 瞳 ひとみ など、昭和 しょうわ 前期 ぜんき に将棋 しょうぎ を修行 しゅぎょう した人 ひと の著書 ちょしょ では「ヤグラ」というカタカナ表記 ひょうき も登場 とうじょう していた。近年 きんねん ではほとんどが「矢倉 やぐら 」である。語源 ごげん については、近年 きんねん では、加藤 かとう 治郎 じろう が「お城 しろ の富士見 ふじみ 矢倉 やぐら 、物見 ものみ 矢倉 やぐら に形 かたち が似 に ている所 ところ からついたもの」と述 の べているように、日本 にっぽん の城郭 じょうかく 建築 けんちく の櫓 ろ に形 かたち が似 に ていることから名前 なまえ が付 つ いたと記述 きじゅつ する文献 ぶんけん が見 み られるようになった。しかし、享 とおる 保 ほ 年間 ねんかん に出 で た『近代 きんだい 将棋 しょうぎ 考 こう 鑑 かん 』には『この駒立 こまだち やぐらというなり。いにしえ大阪 おおさか 北濱 きたはま やぐら屋 や の何 なに がしという人 ひと 好 この みてこの駒立 こまだち を指 さ し申 もう すによつてしかという』と記載 きさい されており、「矢倉 やぐら 」の語源 ごげん の有力 ゆうりょく な説 せつ となっている。
矢倉 やくら 囲 がこ いとは通常 つうじょう (相 あい 居 きょ 飛車 ひしゃ で先手 せんて の場合 ばあい )、玉 たま を8八 はち に、左 ひだり 金 きむ を7八 はち 、右 みぎ 金 きん を6七 なな に、左 ひだり 銀 ぎん を7七 なな に移動 いどう させたものをいう。相手 あいて の飛車 ひしゃ 先 さき を▲7七 なな 銀 ぎん と受 う け、そこに▲6七 なな 金 きん 右 みぎ と1枚 まい 加 くわ わった形 かたち で、上部 じょうぶ に厚 あつ いのが特徴 とくちょう である。通常 つうじょう の矢倉 やぐら を金 きむ 矢倉 やぐら (きんやぐら)ということもある。角 かく の初期 しょき 位置 いち に玉 たま が来 く るため、角 かく をうまく移動 いどう させることが必要 ひつよう になる。相 あい 矢倉 やぐら では6八 はち の位置 いち に角 かく が来 く ることが多 おお いが、4六 ろく や5七 なな 、2六 ろく の位置 いち に来 く ることもある。後手 ごて は7三 さん に持 も ってくる場合 ばあい が多 おお い。上部 じょうぶ からの攻撃 こうげき には強 つよ い反面 はんめん 、7八 はち の金 かね を守 まも っている駒 こま が玉 たま 1枚 まい だけであり、横 よこ からの攻撃 こうげき にはそれほど強 つよ くないという特徴 とくちょう がある。ただし6八 はち には金銀 きんぎん 3枚 まい の利 き きが集中 しゅうちゅう しているので、八 はち 段 だん の守 まも りが薄 うす いというわけではない。端 はし は金銀 きんぎん の利 き きが無 な いためやや弱 よわ く、例 たと えば飛 ひ 角 かく 桂 かつら 香 こう を利 き かせて一気 いっき に攻 せ め立 た てる雀 すずめ 刺 ざ し という戦法 せんぽう がある。
矢倉 やくら 定跡 じょうせき は矢倉 やぐら を志向 しこう する者 もの たちの想 おも いゆえに、とてつもなく深 ふか い考察 こうさつ がなされる。一方 いっぽう で「矢倉 やぐら は難 むずか しい」という声 こえ が非常 ひじょう に多 おお い。確 たし かに矢倉 やぐら は難 むずか しく、また類型 るいけい が多 おお く、覚 おぼ えることも多 おお く、膨大 ぼうだい な研究 けんきゅう 量 りょう を求 もと められ、難 むずか しい矢倉 やぐら であるからこそこれほど多様 たよう 化 か し、重厚 じゅうこう で激 はげ しい手順 てじゅん 隆盛 りゅうせい の理由 りゆう はそれだけ多 おお くの将棋 しょうぎ 指 さ しを魅了 みりょう してきたからとされている。
米長 よねなが 邦雄 くにお は「矢倉 やぐら は将棋 しょうぎ の純文学 じゅんぶんがく だ」という意味深 いみしん な言葉 ことば を残 のこ している[3] [4] [5] 。戦後 せんご から平成 へいせい の時代 じだい にかけて広大 こうだい なシェアを占 し める超 ちょう 人気 にんき 戦法 せんぽう でもあり、金 きむ 矢倉 やくら 、銀 ぎん 矢倉 やぐら をはじめ、進化 しんか と深化 しんか を繰 く り返 かえ し数 かぞ えきれないほどの形 かたち が生 う まれて指 さ されて時 とき に消 き えて、そして復活 ふっかつ し、91手 て 定跡 じょうせき という驚愕 きょうがく の手順 てじゅん まで誕生 たんじょう している。
一方 いっぽう でコンピュータ将棋 しょうぎ 時代 じだい の影響 えいきょう を受 う けた戦型 せんけい でもある。コンピュータ将棋 しょうぎ においても、2001年 ねん の時点 じてん は矢倉 やぐら になることが多 おお かったが[6] 、2010年代 ねんだい になるとコンピュータ将棋 しょうぎ は廃 すた れていた戦法 せんぽう であった雁木 がんぎ を復活 ふっかつ させる[7] 。さらに2010年代 ねんだい 半 なか ばに、矢倉 やぐら に対 たい する強力 きょうりょく な対策 たいさく としての居 きょ 角 かく 左 ひだり 美濃 みの 急戦 きゅうせん が登場 とうじょう したことにより、2017年 ねん にはプロ棋士 きし の増田 ますだ 康宏 やすひろ が「矢倉 やぐら は終 お わりました 」と発言 はつげん する[8] など、長 なが らく将棋 しょうぎ 界 かい の本流 ほんりゅう であった矢倉 やぐら に巨大 きょだい な危機 きき が見 み られた。
矢倉 やぐら に代 か わって雁木 がんぎ 、角 かく 換 が わり などほかの戦法 せんぽう が著 いちじる しく進化 しんか する一方 いっぽう で、先手 せんて 後手 ごて 双方 そうほう が玉将 ぎょくしょう を囲 かこ いに入 い れる「相 あい 矢倉 やぐら 」の形 かたち は脇 わき システム を除 のぞ き、プロ将棋 しょうぎ の最前線 さいぜんせん ではほぼ見 み られなくなった。土居 どい 矢倉 やぐら のように戦前 せんぜん に現 あらわ れた形 かたち が再 さい 評価 ひょうか されたり、米長 よねなが 流 りゅう 急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら が先手 せんて 番 ばん の戦法 せんぽう として復権 ふっけん するなどの流 なが れを経 へ て、2020年代 ねんだい 初頭 しょとう には矢倉 やぐら は相 あい 掛 か かり の一 いち 類型 るいけい ともいえる戦 たたか いへと変貌 へんぼう を遂 と げている[9] 。
江戸 えど 時代 じだい の矢倉 やぐら [ 編集 へんしゅう ]
現存 げんそん の棋譜 きふ では1618年 ねん (元和 がんわ 4年 ねん )8月 がつ 11日 にち (旧暦 きゅうれき ) の本因坊 ほんいんぼう 算 さん 砂 すな と大橋 おおはし 宗 そう 桂 かつら の対局 たいきょく が初出 しょしゅつ である。算 さん 砂 すな が矢倉 やくら 囲 がこ いを用 もち いた[10] 。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 金 きむ 桂 かつら 香 こう 一 いち 王 おう 銀 ぎん 飛 ひ 二 に 歩 ふ 金 きむ 銀 ぎん 角 かく 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 銀 ぎん 七 なな 角 かく 玉 たま 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 金 きむ 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 桂 かつら 金 きむ 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 二 に 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 角 かく 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 七 なな 金 きむ 角 かく 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 玉 たま 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 王 おう 銀 ぎん 二 に 金 きむ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 飛 ひ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 銀 ぎん 桂 かつら 歩 ふ 七 なな 玉 たま 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 金 きむ 香 こう 九 きゅう
当時 とうじ は振 ふ 飛車 ひしゃ 全盛期 ぜんせいき であり、雁木 がんぎ (二 に 枚 まい 銀 ぎん ) が最 さい 有力 ゆうりょく 戦法 せんぽう として流行 りゅうこう した。草創 そうそう 期 き は、図 ず 1-1から片 かた 矢倉 やぐら にしている。これを見 み る限 かぎ り、形 かたち のうえでは現代 げんだい と変 か わってはいないが、将棋 しょうぎ の考 かんが え方 かた という点 てん では、かなり開 ひら きがある。ただし振 ふ 飛車 ひしゃ の早 はや 囲 がこ い (6二 に 銀 ぎん ) も居 い 飛車 ひしゃ 側 がわ の舟 ふね 囲 がこ いも、すでにこの時 とき に考案 こうあん されていることが知 し れる。ともあれ矢倉 やぐら 将棋 しょうぎ はこの宗 そう 桂 かつら ・算 さん 砂 すな 戦 せん に端 はし を発 はっ し、さまざまな創造 そうぞう と修正 しゅうせい の努力 どりょく を繰 く り返 かえ しつつ、目覚 めざ ましい発展 はってん をとげて、現代 げんだい に生 い き続 つづ けるのである。
ところで、後 のち に駒 こま 落戦でも矢倉 やぐら を採用 さいよう されている。図 ず 1-2は右 みぎ 香車 きょうしゃ 落(元和 がんわ 七 なな 年 ねん )で、先手 せんて 引 び き角 かく は旧型 きゅうがた の雁木 がんぎ である。他 た 、図 ず 1-3はの角 かく 落戦(対局 たいきょく 年 ねん は不 ふ 詳 しょう であるが、角 すみ 落矢倉 やぐら の第 だい 一 いち 号 ごう 局 きょく 、1600年代 ねんだい 前半 ぜんはん とされる)が知 し られる。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 金 きむ 桂 かつら 一 いち 王 おう 金 きむ 飛 ひ 二 に 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 銀 ぎん 角 かく 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 玉 たま 金 きむ 銀 ぎん 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 金 きむ 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 金 きむ 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 二 に 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 銀 ぎん 角 かく 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 角 かく 玉 たま 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 金 きむ 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 銀 ぎん 金 きむ 金 きむ 二 に 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 角 かく 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 金 きむ 角 かく 金 きむ 銀 ぎん 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 玉 たま 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
図 ず 1-4は、左 ひだり 香車 きょうしゃ 落 (対局 たいきょく 年 ねん は不 ふ 詳 しょう 、1600年代 ねんだい 前半 ぜんはん とされる) で、それぞれに矢倉 やぐら の形 かたち が微妙 びみょう な違 ちが いを見 み せている。
江戸 えど 期 き に死闘 しとう を演 えん じた若 わか き英才 えいさい 、大橋 おおはし 宗 はじめ 銀 ぎん と伊藤 いとう 印 しるし 達 たち は57番 ばん 勝負 しょうぶ を繰 く り広 ひろ げるが、1709年 ねん (宝永 ほうえい 6年 ねん )の57番 ばん 勝負 しょうぶ の第 だい 6局 きょく が図 ず 1-5で(前後 ぜんご 逆 ぎゃく )ある。10代同士 どうし の一 いち 戦 せん 。当時 とうじ は雁木 がんぎ と矢倉 やぐら の対決 たいけつ が最大 さいだい のテーマであった。先手 せんて は7八 はち 銀 ぎん から7七 なな 銀 ぎん としている。矢倉 やぐら への第一歩 だいいっぽ で、当時 とうじ では珍 めずら しい着想 ちゃくそう であった。後手 ごて は3二 に 金 きん と立 た ち、6二 に 銀 ぎん から5三 さん 銀 ぎん のコースで雁木 がんぎ を目指 めざ す。当時 とうじ においては新 しん の矢倉 やぐら と旧 きゅう の雁木 がんぎ の対決 たいけつ で、雁木 がんぎ から矢倉 やぐら の優秀 ゆうしゅう 性 せい が認識 にんしき された注目 ちゅうもく すべき対戦 たいせん であったといえる。
次 つぎ の代 だい は7世 せい 名人 めいじん ・伊藤 いとう 宗 はじめ 看 み が出現 しゅつげん し、さらに新 あたら しい実験 じっけん を試 こころ みた。矢倉 やぐら は形 かたち が重 おも く守勢 しゅせい という風潮 ふうちょう の中 なか で矢倉 やぐら を指 さ す将棋 しょうぎ 師 し への再 さい 評価 ひょうか があったとみられる。宗 むね 看 み 時代 じだい は5七 なな 銀 ぎん 型 がた が常識 じょうしき になっていたが、実戦 じっせん を重 かさ ねて4八 はち 銀 ぎん 型 がた に修正 しゅうせい されていったのもこの時代 じだい である。さらに当時 とうじ は厚 あつ みを重視 じゅうし し、飛車 ひしゃ 先 さき を切 き らせる指 さ し方 かた をしていたが、この観念 かんねん に果敢 かかん に挑 いど んでいたのが宗 むね 看 み であり、弟 おとうと の贈名 おくりな 人 じん である看 み 寿 ことぶき であった。図 ず 1-6は1753年 ねん (宝 たから 暦 れき 3年 ねん )の御 ご 城 しろ 将棋 しょうぎ の対戦 たいせん で、いつでも飛車 ひしゃ 先 さき を切 き る権利 けんり をもつことで作戦 さくせん 勝 が ちになるとみられるが、当時 とうじ 飛車 ひしゃ 先 さき を切 き って1歩 ほ を手 て にする利 り をさほど重視 じゅうし していないということがわかる。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 桂 かつら 香 こう 一 いち 金 きむ 王 おう 二 に 歩 ふ 飛 ひ 銀 ぎん 金 きむ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 角 かく 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 角 かく 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 銀 ぎん 桂 かつら 歩 ふ 七 なな 玉 たま 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 金 きむ 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 銀 ぎん 二 に 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 金 きむ 角 かく 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 桂 かつら 歩 ふ 七 なな 金 きむ 金 きむ 銀 ぎん 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 玉 たま 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 銀 ぎん 金 きむ 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 王 おう 銀 ぎん 二 に 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 角 かく 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 銀 ぎん 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 金 きむ 玉 たま 金 きむ 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
図 ず 1-7は1774年 ねん (宝永 ほうえい 3年 ねん )の御 ご 城 しろ 将棋 しょうぎ 、後手 ごて の印 しるし 寿 ことぶき とはのちの八 はち 世 せい 名人 めいじん ・九 きゅう 代 だい 大橋 おおはし 宗 そう 桂 かつら で、図 ず では6五 ご 歩 ほ の位取 くらいど りが出現 しゅつげん し、力強 ちからづよ い指 さ し方 かた が見 み られるが、この将棋 しょうぎ が四手 よつで 角 かく の原型 げんけい とみられ、仕掛 しか けたほうが不利 ふり になるとされた。現代 げんだい の四手 よつで 角 かく も、千日手 せんにちて になる可能 かのう 性 せい が強 つよ くなって姿 すがた を消 け してゆく。ただし、この四手 よつで 角 かく が背負 せお う千日手 せんにちて の宿命 しゅくめい を克服 こくふく しようとして、新 あたら しい現代 げんだい 流 りゅう の矢倉 やぐら 戦法 せんぽう が開発 かいはつ されていくわけである。
図 ず 1-8は、1811年 ねん (文化 ぶんか 八 はち 年 ねん )の御 ご 城 しろ 将棋 しょうぎ で、後手 ごて は江戸 えど 時代 じだい で最後 さいご の将棋 しょうぎ 所 しょ を勤 つと めた十 じゅう 世 せい 名人 めいじん ・六 ろく 代 だい 伊藤 いとう 宗 はじめ 看 み である。当時 とうじ 、先代 せんだい の九 きゅう 世 せい 名人 めいじん ・大橋 おおはし 宗 はじめ 英 えい が新 あたら しい相 あい 掛 がか り戦 せん の研究 けんきゅう に取 と り組 く み、いっぺんに振 ふ 飛車 ひしゃ が廃 すた れるとともに、矢倉 やくら 将棋 しょうぎ も勝率 しょうりつ という点 てん で芳 かぐわ しからず、次代 じだい の大橋 おおはし 柳 やなぎ 雪 ゆき と天野 あまの 宗歩 そうほ の新 しん 研究 けんきゅう を待 ま つ情勢 じょうせい であった。矢倉 やぐら の欠陥 けっかん は、銀 ぎん が左右 さゆう に分 わ かれて中央 ちゅうおう が手薄 てうす になるという認識 にんしき であった。その矢倉 やぐら の欠点 けってん を衝 つ いたのが、図 ず 1-8で見 み る宗 むね 看 み の5二 に 飛 ひ の手 て であった。「矢倉 やぐら に中 ちゅう 飛車 ひしゃ 」が、矢倉 やぐら の隆盛 りゅうせい を阻 はば む決 き め手 て となったのである。
その後 ご 、大橋 おおはし 柳 やなぎ 雪 ゆき が宗 そう 英 えい の新 しん 感覚 かんかく を承 う け継 つ ぎ、それを天野 あまの 宗歩 そうほ に伝 つた えていった。
図 ず 1-9は、1817年 ねん (文化 ぶんか 14年 ねん )8月 がつ 、英 えい 節 ぶし 時代 じだい の柳 やなぎ 雪 ゆき が深 ふか 野孫 のまご 兵衛 ひょうえ と戦 たたか った矢倉 やぐら 戦 せん で、2四 よん 歩 ほ と大胆 だいたん に飛車 ひしゃ 先 さき を切 き って出 で たとこである。今 いま では当然 とうぜん の手 て でもあるが、当時 とうじ は飛車 ひしゃ 先 さき を切 き る利 り を重視 じゅうし しなかった。柳 やなぎ 雪 ゆき は早 はや くもそこに着目 ちゃくもく して、2四 よん 歩 ほ と切 き って出 で たものである。
将棋 しょうぎ の戦 たたか いで一 いち 歩 ほ 得 とく の「実利 じつり 」を作戦 さくせん としてはっきり認識 にんしき したのは柳 やなぎ 雪 ゆき であった。
それでもこの時期 じき 柳 やなぎ 雪 ゆき 以外 いがい は顧 かえり みず、これを有利 ゆうり と決定 けってい づけるのは、次代 じだい の棋士 きし 、天野 あまの 宗歩 そうほ の出現 しゅつげん からであった。7八 はち から7七 なな 銀 ぎん および7九 きゅう 角 かく の着想 ちゃくそう が新 あたら しく、それによって2四 よん 歩 ほ が可能 かのう となった。柳 やなぎ 雪 ゆき が矢倉 やくら 近代 きんだい 将棋 しょうぎ の先駆 せんく である。
近代 きんだい 将棋 しょうぎ の父 ちち と仰 あお がれる宗 そう 歩 あゆみ は、傑出 けっしゅつ した新 しん 感覚 かんかく の持 も ち主 ぬし で、著書 ちょしょ 『精選 せいせん 定跡 じょうせき 』は、特 とく に宗 そう 歩 あゆみ の将棋 しょうぎ 理論 りろん の集大成 しゅうたいせい といえるが、その先駆 せんく として宗 そう 英 すぐる と柳 やなぎ 雪 ゆき があり、二人 ふたり に先達 せんだつ に学 まな んだことは実戦 じっせん 譜 ふ に如実 にょじつ に示 しめ されている。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 金 きむ 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 銀 ぎん 王 おう 二 に 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 玉 たま 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 銀 ぎん 角 かく 金 きむ 王 おう 二 に 歩 ふ 歩 ふ 金 きむ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 玉 たま 金 きむ 角 かく 銀 ぎん 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
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当時 とうじ 、草創 そうそう 期 き から棋界 きかい の主流 しゅりゅう をなした振 ふ り飛車 ひしゃ が廃 すた れ、居 きょ 飛車 ひしゃ 将棋 しょうぎ が主潮 しゅちょう をなす土壌 どじょう の中 なか で、主役 しゅやく を演 えん じたのは宗 そう 歩 あゆみ であり、前代 ぜんだい の7八 はち から7七 なな 銀 ぎん を修正 しゅうせい し、7八 はち 銀 ぎん -7七 なな 角 かく -6八 はち 角 かく の手法 しゅほう を用 もち いて飛車 ひしゃ 先 さき を切 き って出 で る。他 た の将棋 しょうぎ 師 し が飛車 ひしゃ 先 さき を切 き らずに戦 たたか う中 なか で宗 そう 歩 あゆみ のみが飛車 ひしゃ 先 さき を切 き ったのは、既成 きせい 概念 がいねん を取 と り払 はら って1歩 ほ 得 とく の利 り を有利 ゆうり とする大局 たいきょく 観 かん からである。
さらに宗 そう 歩 あゆみ の名前 なまえ を不朽 ふきゅう にさせたのは、天野 あまの 矢倉 やぐら の創造 そうぞう である。図 ず 1-10は1837年 ねん (天保 てんぽう 4年 ねん )正月 しょうがつ 28日 にち 、深野 ふかの 宇兵衛 うへえ との一番 いちばん 。6八 はち に金 かね を構 かま えて矢倉 やぐら を完成 かんせい させ、ここから2筋 すじ と4筋 すじ の歩 ふ を切 き って2歩 ほ を持 も ち、実利 じつり とともに序盤 じょばん の一 いち 手 て の大事 だいじ さを示 しめ す。こうした序盤 じょばん 感覚 かんかく の鋭 するど さも、近代 きんだい 将棋 しょうぎ を開拓 かいたく した宗 そう 歩 あゆみ の功績 こうせき である。著書 ちょしょ 『精選 せいせん 定跡 じょうせき 』は実戦 じっせん がそのまま定跡 じょうせき となり、さらに実戦 じっせん の実験 じっけん によって修正 しゅうせい を加 くわ えてより完璧 かんぺき なものとしていった。
角 かく 交換 こうかん の矢倉 やぐら も宗 そう 歩 あゆみ が初 はじ めて試 こころ みた手 て で、ほかに、四手 よつで 角 かく にも新 しん 機軸 きじく を生 う み出 だ した。
図 ず 1-11は、1845年 ねん (弘 ひろし 化 か 二 に 年 ねん )10月 がつ 20日 はつか 、市川 いちかわ 蘭 らん 雪 ゆき との対戦 たいせん 。相 あい 矢倉 やぐら となり、当然 とうぜん ながら同型 どうけい を辿 たど ってゆく。今 いま もそうであるが、同型 どうけい の場合 ばあい 、どこで後手 ごて が手 て を変 か えるのかが、興味 きょうみ の焦点 しょうてん になっている。図 ず 1-11から先手 せんて は、1六 ろく 歩 ほ と突 つ き、後手 ごて の宗 そう 歩 あゆみ は同型 どうけい を避 さ けて、7三 さん 銀 ぎん と変化 へんか した。先手 せんて の1六 ろく 歩 ほ の手 て を緩 なる 手 しゅ にしようという着想 ちゃくそう で、これで一挙 いっきょ に攻 せ めの主導 しゅどう 権 けん をにぎろうとした。序盤 じょばん 作戦 さくせん の鋭 するど さと からさが見受 みう けられる。
昭和 しょうわ 初期 しょき の矢倉 やぐら [ 編集 へんしゅう ]
宗 そう 歩 あゆみ がすばらしい矢倉 やぐら の新 しん 感覚 かんかく をみせたのに後続 こうぞく が絶 た え、幕末 ばくまつ から明治 めいじ ・大正 たいしょう 期 き までは相 あい 掛 か かりの全盛 ぜんせい 時代 じだい となった。すでに振 ふ り飛車 ひしゃ は影 かげ をひそめ、つづいて矢倉 やくら 将棋 しょうぎ も全 まった くの低迷 ていめい 期 き に入 はい った。幕末 ばくまつ から明治 めいじ までは将棋 しょうぎ 界 かい の衰 おとろえ 逸 いっ 期 き であったし、当時 とうじ の人 ひと びとは江戸 えど 時代 じだい の模倣 もほう として、相 あい 掛 がか り戦 せん 一本 いっぽん で戦 たたか いつづけている。戦法 せんぽう には時代 じだい の世相 せそう の反映 はんえい もあり、流行 りゅうこう ということもあるが、この長 なが い期間 きかん の矢倉 やぐら の低迷 ていめい は、そのまま棋界 きかい の衰 おとろえ 徴 ちょう を物語 ものがた るものであった。ただ将棋 しょうぎ 師 し は、いつかは低迷 ていめい する暗雲 あんうん をはらいのけて、未知 みち の世界 せかい を切 き り拓 ひら いていく。それが、天才 てんさい 児 じ の出現 しゅつげん によって大正 たいしょう の盛時 せいじ を作 つく り上 あ げていったのである。
江戸 えど 時代 じだい に指 さ されていたころは矢倉 やぐら はあくまで居 きょ 飛車 ひしゃ 戦 せん で行 おこな う囲 がこ いの一 ひと つであって相 あい 掛 か かりからの流 なが れで矢倉 やぐら に組 く むケースがほとんどであった。そうしてまれに指 さ されていた矢倉 やぐら は、明治 めいじ から戦中 せんちゅう まで、ほとんど姿 すがた を消 け していた。
昭和 しょうわ 期 き に入 はい り、土居 どい 市太郎 いちたろう 名誉 めいよ 名人 めいじん が、天野 あまの 矢倉 やぐら を改良 かいりょう して土居 どい 矢倉 やぐら を創始 そうし した。
1940年 ねん (昭和 しょうわ 十 じゅう 五 ご 年 ねん )6月 がつ 25・26・27日 にち の第 だい 二 に 期 き 名人 めいじん 戦 せん 第 だい 三 さん 局 きょく は、対局 たいきょく 場 じょう の名 な を冠 かん して「定山渓 じょうざんけい の名 な 局 きょく 」と喧伝 けんでん されるが、序盤 じょばん は当時 とうじ 流行 りゅうこう の相 あい 掛 がか りコースからスタートし、先番 せんばん の土居 どい は角 かく 交換 こうかん に出 で て相 あい 矢倉 やぐら 模様 もよう に局面 きょくめん を導 みちび いた。図 ず 1-12は天野 あまの 矢倉 やぐら の踏襲 とうしゅう であり、同時 どうじ に土居 どい 矢倉 やぐら への創造 そうぞう である。厚 あつ みとさばきを特徴 とくちょう とし、敗者 はいしゃ の木村 きむら 義雄 よしお 十 じゅう 四 よん 世 せい 名人 めいじん は「敗 はい 局 きょく の名 な 局 きょく 」と讃 たた えるが、名 な 局 きょく かどうかよりも、矢倉 やくら 将棋 しょうぎ の復活 ふっかつ に寄与 きよ したという点 てん で、高 たか く評価 ひょうか される一 いち 局 きょく である。
升田 ますだ ・大山 おおやま 時代 じだい の矢倉 やぐら [ 編集 へんしゅう ]
その後 ご 、戦後 せんご を迎 むか えた当初 とうしょ は、なお戦前 せんぜん 派 は の相 あい 掛 がか り戦 せん が主流 しゅりゅう をなしていた。そのなかで、1947年 ねん (昭和 しょうわ 二 に 十 じゅう 二 に 年 ねん )5月 がつ 30日 にち 、第 だい 六 ろく 期 き 名人 めいじん 戦 せん 第 だい 六 ろく 局 きょく 、塚田 つかだ 正夫 まさお 八 はち 段 だん (当時 とうじ )と木村 きむら 義雄 よしお 名人 めいじん の対戦 たいせん は、先手 せんて の塚田 つかだ が角 かく 交換 こうかん に出 で て天野 あまの 矢倉 やぐら に局面 きょくめん を導 みちび いた。この木村 きむら ・塚田 つかだ 戦 せん は相 あい 掛 がか り全盛 ぜんせい 時代 じだい から、矢倉 やくら 将棋 しょうぎ 復活 ふっかつ への貴重 きちょう な実験 じっけん であり、新 しん 時代 じだい への脱皮 だっぴ となる。
矢倉 やくら がひとつの囲 がこ いから戦法 せんぽう へと昇華 しょうか するのは戦後 せんご で、特 とく に大山 おおやま 康晴 やすはる が1950年代 ねんだい は「矢倉 やぐら の大山 おおやま 」とうたわれ、1952年 ねん に木村 きむら 義雄 よしお を倒 たお して名人 めいじん 位 い を奪取 だっしゅ した一番 いちばん の銀 ぎん 矢倉 やぐら が特 とく に知 し られる。このころの矢倉 やぐら 戦 せん は5筋 すじ を付 つ き合 あ うスタイルでなく、当時 とうじ の相 あい 掛 か かり戦 せん の延長 えんちょう で、先手 せんて ▲4六 ろく 歩 ほ 、後手 ごて △6四 よん 歩 ほ とどちらかが4筋 すじ (6筋 すじ )を突 つ く、あるいは4筋 すじ と6筋 すじ を付 つ き合 あ うパターンであった。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 銀 ぎん 金 きむ 王 おう 銀 ぎん 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 二 に 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 角 かく 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 角 かく 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 金 きむ 玉 たま 金 きむ 銀 ぎん 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 金 きむ 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 銀 ぎん 金 きむ 角 かく 二 に 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 角 かく 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 玉 たま 金 きむ 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 金 きむ 角 かく 二 に 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 角 かく 銀 ぎん 歩 ふ 七 なな 金 きむ 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 玉 たま 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
矢倉 やぐら の流行 りゅうこう の始 はじ まりは、タイトル戦 せん での相次 あいつ ぐ採用 さいよう である。図 ず 1-13は、1948年 ねん (昭和 しょうわ 二 に 十 じゅう 三 さん 年 ねん )四 よん 月 がつ 十 じゅう 日 にち 、第 だい 七 なな 期 き 名人 めいじん 戦 せん 第 だい 二 に 局 きょく 、塚田 つかだ 正夫 まさお 名人 めいじん と大山 おおやま 康晴 やすはる 八 はち 段 だん (いずれも当時 とうじ )の対戦 たいせん 。先手 せんて は矢倉 やぐら のコースをとり、後手 ごて は、3二 に 金 きん 。面白 おもしろ い手 て で、普通 ふつう は、4二 に 銀 ぎん から3三 さん 銀 ぎん とするところ。
これで、3二 に 金 きん から4一 いち 玉 たま ー3三角 さんかく として、従来 じゅうらい の四手 よつで 角 かく の手順 てじゅん を三 さん 手 て 角 かく に修正 しゅうせい し、序盤 じょばん の一 いち 手 て の「からさ」を追求 ついきゅう しようとした。
図 ず 1-14は、1950年 ねん (昭和 しょうわ 二 に 十 じゅう 五 ご 年 ねん )六 ろく 月 がつ 十 じゅう 二 に 、十 じゅう 三 さん 日 にち の第 だい 九 きゅう 期 き 名人 めいじん 戦 せん 第 だい 六 ろく 局 きょく の木村 きむら ・大山 おおやま 戦 せん 。矢倉 やぐら は持久 じきゅう 戦 せん という常識 じょうしき を打破 だは し、右 みぎ 銀 ぎん を前線 ぜんせん に繰 く り出 だ して急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら が出現 しゅつげん した。
昭和 しょうわ 二 に 十 じゅう 年 ねん の後半 こうはん に至 いた って、升田 ますだ 幸三 こうぞう 九 きゅう 段 だん と大山 おおやま 康晴 やすはる 十 じゅう 五 ご 世 せい 名人 めいじん とで相 あい 矢倉 やぐら の戦 たたか いがはじまり、数多 かずおお く現代 げんだい 矢倉 やぐら に連 つら なる定跡 じょうせき を創作 そうさく した。そして勝負 しょうぶ のたびに新手 あらて が出 で て、その修正 しゅうせい の繰 く り返 かえ しによって多種 たしゅ 多様 たよう な矢倉 やぐら が実験 じっけん されるなかで、矢倉 やくら 戦法 せんぽう は飛躍 ひやく 的 てき に進歩 しんぽ するとともに、「升田 ますだ の攻勢 こうせい 」「大山 おおやま の守勢 しゅせい 」というパターンも定着 ていちゃく した。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 金 きむ 角 かく 二 に 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 金 きむ 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 玉 たま 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 銀 ぎん 金 きむ 角 かく 二 に 歩 ふ 金 きむ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 銀 ぎん 桂 かつら 歩 ふ 七 なな 角 かく 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 玉 たま 金 きむ 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 金 きむ 角 かく 二 に 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 玉 たま 金 きむ 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
主 おも だったものだけを列記 れっき すると、次 つぎ の通 とお り。
新旧 しんきゅう 対抗 たいこう 。5筋 すじ を突 つ くのが新 しん で、6筋 すじ を突 つ くのが旧 きゅう とし、この戦型 せんけい で戦 たたか いつづけた。
右 みぎ 銀 ぎん を繰 く り出 だ す急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら 。
持久 じきゅう 戦 せん の相 あい 矢倉 やぐら 。
ソデ飛車 ひしゃ 矢倉 やぐら 。図 ず 1-15は、1953年 ねん (昭和 しょうわ 二 に 十 じゅう 八 はち 年 ねん )四 よん 月 がつ 二 に 十 じゅう 七 なな ・二 に 十 じゅう 八 はち 日 にち の第 だい 十 じゅう 二 に 期 き 名人 めいじん 戦 せん 第 だい 二 に 局 きょく で、後手 ごて がソデ飛車 ひしゃ に変化 へんか した。
矢倉 やくら 中 ちゅう 飛車 ひしゃ の流 なが れ。左 ひだり 銀 ぎん を中央 ちゅうおう に繰 く り出 だ す変化 へんか 。
棒 ぼう 銀 ぎん 型 がた 。図 ず 1-16は、1954年 ねん (昭和 しょうわ 二 に 十 じゅう 九 きゅう 年 ねん )四 よん 月 がつ 十 じゅう 五 ご ,十 じゅう 六 ろく 日 にち の第 だい 十 じゅう 三 さん 期 き 名人 めいじん 戦 せん 第 だい 一 いち 局 きょく 。先手 せんて の升田 ますだ が、2六 ろく 銀 ぎん と棒 ぼう 銀 ぎん に出 で た。
矢倉 やくら 中 ちゅう 飛車 ひしゃ 。図 ず 1-17は、1954年 ねん (昭和 しょうわ 二 に 十 じゅう 九 きゅう 年 ねん )五 ご 月 がつ 十 じゅう 、十 じゅう 一 いち 日 にち の第 だい 十 じゅう 三 さん 期 き 名人 めいじん 戦 せん 第 だい 三 さん 局 きょく 。
銀 ぎん 矢倉 やぐら 。図 ず 1-18は、1954年 ねん (昭和 しょうわ 二 に 十 じゅう 九 きゅう 年 ねん )六 ろく 月 がつ 七 なな ,八日 ようか の第 だい 十 じゅう 三 さん 期 き 名人 めいじん 戦 せん 第 だい 五 ご 局 きょく 。後手 ごて の大山 おおやま が腰掛 こしか け銀 ぎん から組 く む銀 ぎん 矢倉 やぐら を愛用 あいよう するようになった。
升田 ますだ ,大山 おおやま 戦 せん のあと、さらに矢倉 やぐら が多様 たよう 化 か して個性 こせい 的 てき な形 かたち が続出 ぞくしゅつ した。
図 ず 1-19は、1955年 ねん (昭和 しょうわ 三 さん 十 じゅう 年 ねん )四 よん 月 がつ 十 じゅう 九 きゅう ,二十日 はつか の第 だい 十 じゅう 四 よん 期 き 名人 めいじん 戦 せん 第 だい 二 に 局 きょく の大山 おおやま ・高島 たかしま 一 いち 岐代八 はち 段 だん 戦 せん 。大山 おおやま が、1七 なな 香 こう の手 て を見 み せ、後手 ごて は高島 たかしま 流 りゅう に組 く み上 あ げて戦 たたか った。その後 ご の展開 てんかい は、先手 せんて は2筋 すじ 交換 こうかん 、後手 ごて は菊水 きくすい 矢倉 やぐら から△7五 ご 歩 ほ の展開 てんかい になる。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 銀 ぎん 角 かく 金 きむ 銀 ぎん 二 に 歩 ふ 金 きむ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 香 こう 七 なな 金 きむ 角 かく 金 きむ 銀 ぎん 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 玉 たま 桂 かつら 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 角 かく 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 銀 ぎん 金 きむ 金 きむ 二 に 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 七 なな 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 玉 たま 金 きむ 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 王 おう 二 に 歩 ふ 金 きむ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 角 かく 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 角 かく 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 銀 ぎん 桂 かつら 歩 ふ 七 なな 玉 たま 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
図 ず 1-20は、1956年 ねん (昭和 しょうわ 三 さん 十 じゅう 一 いち 年 ねん )五 ご 月 がつ 十 じゅう 五 ご .十 じゅう 六 ろく 日 にち の第 だい 十 じゅう 五 ご 期 き 名人 めいじん 戦 せん 第 だい 二 に 局 きょく の大山 おおやま ・花 はな 村元 むらもと 司 つかさ 八 はち 段 だん 戦 せん 。3七 なな 銀 ぎん 型 がた から3五 ご 歩 ほ と仕掛 しか ける手 て が出現 しゅつげん した。
その後 ご 、1956年 ねん 11月5日 にち 九 きゅう 段 だん 戦 せん 升田 ますだ 幸三 こうぞう vs. 灘 なだ 蓮 はちす 照 あきら など、升田 ますだ 幸 みゆき 三 さん 九 きゅう 段 だん や
灘 なだ 蓮 はちす 照 あきら 九 きゅう 段 だん も指 さ し出 だ し、灘 なだ は▲3八 はち 飛 ひ (△7二 に 飛 ひ )と飛車 ひしゃ を一 いち 間 あいだ 寄 よ って、▲3七 なな 銀 ぎん から3五 ご 歩 ほ という戦術 せんじゅつ を愛用 あいよう していく。
図 ず 1-21は、1957年 ねん (昭和 しょうわ 三 さん 十 じゅう 二 に 年 ねん )五 ご 月 がつ 七 なな 、八日 ようか の第 だい 十 じゅう 六 ろく 期 き 名人 めいじん 戦 せん 第 だい 一 いち 局 きょく の升田 ますだ ・大山 おおやま 戦 せん 。先手 せんて の大山 おおやま が四手 よつで 角 かく を採用 さいよう した。金 かね ・銀 ぎん 三 さん 枚 まい で玉 たま を囲 かこ い、あとの飛 ひ ・角 かく ・銀 ぎん ・桂 かつら で攻 せ めるという、四手 よつで 角 かく の理想 りそう である。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 角 かく 二 に 金 きむ 銀 ぎん 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 桂 かつら 歩 ふ 七 なな 角 かく 金 きむ 金 きむ 八 はち 香 こう 桂 かつら 玉 たま 飛 ひ 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 飛 ひ 桂 かつら 香 こう 一 いち 王 おう 金 きむ 金 きむ 二 に 歩 ふ 桂 かつら 銀 ぎん 角 かく 銀 ぎん 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 七 なな 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 玉 たま 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 角 かく 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 銀 ぎん 金 きむ 二 に 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 金 きむ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 角 かく 歩 ふ 歩 ふ 桂 かつら 歩 ふ 七 なな 銀 ぎん 玉 たま 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 金 きむ 香 こう 九 きゅう
この他 ほか に矢倉 やぐら 中 ちゅう 飛車 ひしゃ や雁木 がんぎ 、右 みぎ 玉 だま 戦法 せんぽう などもみられる。
図 ず 1-22は、1962年 ねん (昭和 しょうわ 三 さん 十 じゅう 七 なな 年 ねん )五 ご 月 がつ 二 に 十 じゅう 四 よん ・二 に 十 じゅう 五 ご 日 にち の第 だい 二 に 十 じゅう 一 いち 期 き 名人 めいじん 戦 せん 第 だい 四 よん 局 きょく の大山 おおやま ・二上 ふたかみ 戦 せん 。先手 せんて の矢倉 やぐら 中 ちゅう 飛車 ひしゃ に対 たい して、後手 ごて は雁木 がんぎ から流 なが れ矢倉 やぐら に組 く み変 か えている。
図 ず 1-23は、1962年 ねん (昭和 しょうわ 三 さん 十 じゅう 七 なな 年 ねん )十二月 じゅうにがつ 七 なな 日 にち の予備 よび クラス(奨励 しょうれい 会 かい )の中原 なかはら 誠 まこと 三 さん 段 だん と大内 おおうち 延 のべ 介 かい 三 さん 段 だん 戦 せん 。これは先輩 せんぱい たちが指 さ しているのを、若 わか い三 さん 段 だん らが真似 まね をしたもの。普通 ふつう に玉 たま を左 ひだり (2二 に 玉 たま )に囲 かこ うと玉 たま 頭 あたま から攻 せ められるので、玉 たま を戦線 せんせん から遠 とお ざけようという指 さ し方 かた である。
端 はし 攻 ぜ めの出現 しゅつげん [ 編集 へんしゅう ]
図 ず 1-24は、1839年 ねん (天保 てんぽう 九 きゅう 年 ねん )刊 かん 『将 はた 棊自在 じざい 』に見 み える居 きょ 角 かく 左 ひだり 美濃 みの 矢倉 やぐら 崩 くず し一 いち 歩 ほ 止 と めの定跡 じょうせき 。「矢倉 やぐら には端歩 はしふ を突 つ くな」が常識 じょうしき になっていた時代 じだい で、以下 いか 2五 ご 桂 かつら からの矢倉 やぐら 崩 くず しの定跡 じょうせき を示 しめ している。この一 いち 歩 ほ 止 と めが後 のち に再 さい 評価 ひょうか されて、画期的 かっきてき な「スズメ刺 ざ し」や4六 ろく 銀 ぎん 戦法 せんぽう など、2五 ご 桂 かつら 戦術 せんじゅつ の出現 しゅつげん へとなったとされている。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 銀 ぎん 金 きむ 王 おう 二 に 桂 かつら 角 かく 金 きむ 銀 ぎん 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 香 こう 七 なな 玉 たま 金 きむ 角 かく 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 桂 かつら 九 きゅう
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図 ず 1-25は、昭和 しょうわ 二 に 十 じゅう 六 ろく 年 ねん の第 だい 六 ろく 期 き 名人 めいじん 戦 せん 第 だい 一 いち 局 きょく の塚田 つかだ ・木村 きむら 戦 せん で、このときの先手 せんて の1七 なな 香 こう -1八 はち 飛 ひ の構 かま えが、スズメ刺 ざ しの源流 げんりゅう ではないかと思 おも われている。
これに工夫 くふう を加 くわ えて、昭和 しょうわ 二 に 十 じゅう 八 はち 年 ねん ごろに升田 ますだ 幸三 こうぞう がスズメ刺 ざ しの原型 げんけい 3七 なな 桂 かつら 型 がた 、を打 う ち出 だ し、にわかに流行 りゅうこう した。
図 ず 1-26は、現代 げんだい スズメ刺 ざ しの基本 きほん 図 ず 。これから、いろいろな変化 へんか をたどってゆく。
2二 に 玉 たま の変化 へんか
2二 に 銀 ぎん の変化 へんか
2四 よん 銀 ぎん の変化 へんか
1六 ろく 歩 ほ 、1四 よん 歩 ほ 型 がた
図 ず 1-26以下 いか 、2四 よん 銀 ぎん 、2五 ご 歩 ほ 、1三 さん 銀 ぎん という指 さ し方 かた があらわれた。
そして、3七 なな 桂 かつら 型 がた ・3七 なな 銀 ぎん 型 がた という区分 くぶん が現 あらわ れる。
図 ず 1-27は、昭和 しょうわ 四 よん 十 じゅう 年 ねん 六 ろく 月 がつ 四 よん 日 にち の第 だい 二 に 十 じゅう 期 き 順位 じゅんい 戦 せん の有吉 ありよし 道夫 みちお 八 はち 段 だん 対 たい 加藤 かとう 一二三 ひふみ 八 はち 段 だん 戦 せん 。1六 ろく 歩 ほ ・1四 よん 歩 ほ 型 がた から2五 ご 歩 ほ 型 がた で、この頃 ころ から「端 はし のからみ」が重要 じゅうよう なテーマになってきた。本局 ほんきょく の先手 せんて は、3七 なな 桂 かつら とはねたが、のちに、3七 なな 銀 ぎん 型 がた が見 み られるようになってくる。
歴史 れきし 的 てき に見 み れば、3七 なな 桂 かつら 型 がた が先 さき で、3七 なな 銀 ぎん 型 がた (2六 ろく 銀 ぎん とせず1五 ご 歩 ほ )があとになっている。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 王 おう 二 に 銀 ぎん 歩 ふ 金 きむ 銀 ぎん 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 角 かく 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 桂 かつら 香 こう 七 なな 玉 たま 金 きむ 角 かく 銀 ぎん 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 王 おう 二 に 角 かく 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 銀 ぎん 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 角 かく 銀 ぎん 桂 かつら 香 こう 七 なな 玉 たま 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 銀 ぎん 二 に 桂 かつら 銀 ぎん 角 かく 金 きむ 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 桂 かつら 香 こう 七 なな 香 こう 玉 たま 金 きむ 角 かく 銀 ぎん 飛 ひ 八 はち 桂 かつら 九 きゅう
図 ず 1-28は、昭和 しょうわ 四 よん 十 じゅう 三 さん 年 ねん 十 じゅう 一 いち 月 がつ 二 に 十 じゅう 九 きゅう 日 にち の第 だい 一 いち 期 き 六 ろく 社 しゃ 戦 せん (のち将棋 しょうぎ 連盟 れんめい 杯 はい 戦 せん )の米長 よねなが 邦雄 くにお 六 ろく 段 だん 対 たい 山田 やまだ 道 みち 美 び 八 はち 段 だん 戦 せん で、2四 よん 銀 ぎん -2五 ご 歩 ほ 、1三 さん 銀 ぎん と後手 ごて が端 はし 攻 ぜ めを受 う けて戦 たたか った。
スズメ刺 ざ しや棒 ぼう 銀 ぎん の出現 しゅつげん から、1970年代 ねんだい から矢倉 やぐら はさらに端 はし の絡 がら みが重要 じゅうよう なテーマとなる。
①両方 りょうほう (1・9筋 すじ )を受 う ける型 かた 。
②両方 りょうほう を詰 つ める(1五 ご 歩 ほ ・9五 ご 歩 ほ )型 がた 。
③片 へん 方 かた だけ詰 つ め(1五 ご 歩 ほ )て、もう一方 いっぽう を受 う ける型 かた 。
これまで、同型 どうけい 矢倉 やぐら や四 よん 枚 まい 矢倉 やぐら は千日手 せんにちて になる危険 きけん が多 おお く、矢倉 やくら 戦法 せんぽう の進歩 しんぽ に大 おお きな障害 しょうがい となっていたが、それを打開 だかい する方策 ほうさく として「端 はし のからみ」をテーマとする新 あたら しい戦法 せんぽう が出現 しゅつげん し、旧称 きゅうしょう の「矢倉 やぐら 」から「矢倉 やくら 戦法 せんぽう 」に生 う まれ変 か わることとなっていく。
図 ず 1-29は、昭和 しょうわ 五 ご 十 じゅう 四 よん 年 ねん 四 よん 月 がつ 十 じゅう 一 いち ・十 じゅう 二 に 日 にち の第 だい 三 さん 十 じゅう 七 なな 期 き 名人 めいじん 戦 せん 第 だい 三 さん 局 きょく の米長 よねなが 邦雄 くにお 九 きゅう 段 だん 対 たい 中原 なかはら 誠 まこと 名人 めいじん 戦 せん 。ここで後手 ごて の対応 たいおう としては、
①2二 に 玉 たま 、②2二 に 銀 ぎん 、③2四 よん 銀 ぎん があり、②の2二 に 銀 ぎん が多 おお く見 み られるようになっていく。
また2一 いち 銀 ぎん ー3三 さん 桂 かつら ー2一 いち 玉 たま と、玉 たま を一 ひと つさがった形 かたち で受 う ける指 さ し方 かた もあらわれてきた。
図 ず 1-30は、昭和 しょうわ 五 ご 十 じゅう 四 よん 年 ねん 十 じゅう 月 がつ 十 じゅう 二 に ・十 じゅう 三 さん 日 にち の第 だい 二 に 十 じゅう 期 き 王位 おうい 戦 せん 第 だい 七 なな 局 きょく の米長 よねなが ・中原 なかはら 戦 せん 。
2二 に 銀 ぎん 型 がた の多様 たよう 化 か の一 いち 例 れい として、受 う けの5三 さん 角 かく の手 て が指 さ されるようになった。
図 ず 1-31は、1980年 ねん 12月19日 にち 第 だい 30期 き 王将 おうしょう 戦 せん リーグ先手 せんて 米長 よねなが 邦雄 くにお vs. 後手 ごて 勝浦 かつうら 修 おさむ 戦 せん 。対 たい 雀 すずめ 刺 ざ しには棒 ぼう 銀 ぎん が有効 ゆうこう とされ、後手 ごて が棒 ぼう 銀 ぎん に構 かま える。これに対 たい し、先手 せんて の▲2六 ろく 歩 ほ 止 と め+1五 ご 歩 ほ -2九 きゅう 飛型 ひけい が出現 しゅつげん 。先手 せんて は4六 ろく 角 かく -6五 ご 歩 ほ 型 がた さらに右 みぎ 銀 ぎん を4八 はち 〜5七 なな 〜6六 ろく に構 かま えると、後手 ごて は飛車 ひしゃ を6二 に に展開 てんかい し、△6四 よん 歩 ほ から角 かく 交換 こうかん を狙 ねら う戦術 せんじゅつ 。
図 ず 1-32は、1981年 ねん 6月 がつ 30日 にち の十 じゅう 段 だん 戦 せん 。先手 せんて 米長 よねなが 邦雄 くにお vs. 後手 ごて 中原 なかはら 誠 まこと 戦 せん 。後手 ごて の7五 ご 歩 ほ 交換 こうかん から、先手 せんて が▲2六 ろく 歩 ほ 止 と め+1五 ご 歩 ほ -2九 きゅう 飛型 ひけい から5九 きゅう 飛 ひ が出現 しゅつげん する。
この▲2六 ろく 歩 ほ 止 と めと、端 はし を詰 つ めてからの駒 こま の中央 ちゅうおう への進出 しんしゅつ は、右 みぎ 銀 ぎん を使 つか う、別 べつ の攻 せ め筋 すじ をも生 う み出 だ す。雀 すずめ 刺 ざ しの攻撃 こうげき 手段 しゅだん は飛 ひ 角 すみ 桂香 けいか の攻 せ めで、銀 ぎん が攻撃 こうげき に参加 さんか していないというのが欠点 けってん としてあった。
図 ず 1-33は、1966年 ねん 12月21日 にち の王将 おうしょう 戦 せん 予選 よせん 、先手 せんて 山田 やまだ 道 みち 美 び vs. 後手 ごて 加藤 かとう 一 いち 二 に 三 さん 戦 せん 。
先手 せんて の山田 やまだ が飛車 ひしゃ 先 さき を2六 ろく に保留 ほりゅう のまま右 みぎ 銀 ぎん を3七 なな から4六 ろく に、飛車 ひしゃ を5八 はち に展開 てんかい している。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 角 かく 金 きむ 王 おう 二 に 桂 かつら 歩 ふ 金 きむ 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 桂 かつら 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 角 かく 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 七 なな 玉 たま 金 きむ 八 はち 香 こう 桂 かつら 飛 ひ 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 二 に 銀 ぎん 歩 ふ 金 きむ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 角 かく 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 桂 かつら 七 なな 金 きむ 銀 ぎん 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 玉 たま 飛 ひ 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 銀 ぎん 角 かく 二 に 歩 ふ 歩 ふ 金 きむ 金 きむ 銀 ぎん 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 七 なな 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 玉 たま 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
図 ず 1-34は、1969年 ねん 1月 がつ 17日 にち 王位 おうい 戦 せん 、先手 せんて 加藤 かとう 一二三 ひふみ vs. 後手 ごて 中原 なかはら 誠 まこと 戦 せん 。先手 せんて 加藤 かとう の2六 ろく 歩 ほ 型 がた のままの3七 なな 銀 ぎん に後手 ごて 中原 なかはら が2四 よん 銀 ぎん と早 はや めに上 あ がり、先手 せんて の3五 ご 歩 ほ をけん制 せい 。加藤 かとう は図 ず の局面 きょくめん から右 みぎ 銀 ぎん も繰 く り替 か えて雀 すずめ 刺 ざ しに移行 いこう する。
図 ず 1-35は、1976年 ねん 6月 がつ 22日 にち 王位 おうい 戦 せん 、先手 せんて 米長 よねなが 邦雄 くにお vs. 後手 ごて 加藤 かとう 一 いち 二 に 三 さん 戦 せん 。後手 ごて 加藤 かとう 2四 よん 銀 ぎん の構 かま えに、先手 せんて の米長 よねなが が2六 ろく 歩 ほ 止 と め3七 なな 銀 ぎん 型 がた 雀 すずめ 刺 ざ しから、4六 ろく 銀 ぎん 〜3八 はち 飛 ひ 〜3五 ご 歩 ほ と仕掛 しか けている。但 ただ しその後 ご は銀 ぎん 交換 こうかん から後手 ごて が右 みぎ 玉 だま 、先手 せんて が居 きょ 飛車 ひしゃ 穴熊 あなぐま に移行 いこう している。
1979年 ねん 1月 がつ 16日 にち 王将 おうしょう 戦 せん 、先手 せんて 加藤 かとう 一二三 ひふみ vs. 後手 ごて 中原 なかはら 誠 まこと 戦 せん では、先手 せんて の加藤 かとう が3七 なな 銀 ぎん -3八 はち 飛 ひ から3五 ご 歩 ほ とする灘 なだ 流 りゅう を採用 さいよう し、後手 ごて 中原 なかはら が2六 ろく 歩 ほ 止 と めを逆用 ぎゃくよう して2四 よん 歩 ほ から3四 よん 銀 ぎん として2三 さん 銀 ぎん 型 がた を狙 ねら い、図 ず 1-36となる。後手 ごて の同 どう 歩 ふ に2四 よん 歩 ほ と歩 ふ を垂 た らす狙 ねら い。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 王 おう 二 に 角 かく 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 銀 ぎん 香 こう 七 なな 玉 たま 金 きむ 角 かく 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 桂 かつら 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 二 に 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 角 かく 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 香 こう 七 なな 玉 たま 金 きむ 角 かく 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 桂 かつら 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 王 おう 二 に 歩 ふ 角 かく 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 角 かく 歩 ふ 桂 かつら 香 こう 七 なな 玉 たま 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 九 きゅう
こうして80年代 ねんだい 初頭 しょとう に開発 かいはつ された先手 せんて 矢倉 やぐら の飛車 ひしゃ 先 さき 一 いち 歩 ほ 止 と めと右 みぎ 銀 ぎん 参加 さんか が、矢倉 やぐら 4六 ろく 銀 ぎん 戦法 せんぽう へと発展 はってん して行 い った。
さらにこのころから飛車 ひしゃ 先 さき 不 ふ 突矢倉 やぐら が出現 しゅつげん 。源流 げんりゅう として、図 ず 1-37は、1979年 ねん 9月 がつ 21日 にち 順位 じゅんい 戦 せん 。先手 せんて 田中 たなか 寅彦 とらひこ vs. 後手 ごて 松浦 まつうら 隆一 りゅういち 戦 せん 。先手 せんて の田中 たなか が飛車 ひしゃ 先 さき 不 ふ 突矢倉 やぐら を採用 さいよう 。2七 なな 歩 ほ のままで3七 なな 銀 ぎん から3五 ご 歩 ほ を試 こころ みた。
図 ず 1-38は、1979年 ねん 12月13日 にち 若 わか 獅子 しし 戦 せん 。先手 せんて 田中 たなか 寅彦 とらひこ vs. 後手 ごて 武者 むしゃ 野 の 勝巳 かつみ 戦 せん 。先手 せんて の田中 たなか が飛車 ひしゃ 先 さき 不 ふ 突矢倉 やぐら から3五 ご 歩 ほ 交換 こうかん と、1七 なな 香 こう から雀 すずめ 刺 ざ しにする指 さ し方 かた を披露 ひろう した。このあと右 みぎ 銀 ぎん が2六 ろく から1四 よん に進出 しんしゅつ する。類似 るいじ の戦術 せんじゅつ は1977年 ねん 12月7日 にち の十 じゅう 段 だん 戦 せん 、先手 せんて 中原 なかはら 誠 まこと vs. 後手 ごて 加藤 かとう 一 いち 二 に 三 さん 戦 せん で先手 せんて の中原 なかはら が2六 ろく 歩 ほ 止 と め3七 なな 銀 ぎん 型 がた の雀 すずめ 刺 ざ しから3五 ご 歩 ほ の1歩 ほ 交換 こうかん と3六 ろく 銀 ぎん 型 がた の陣形 じんけい を組 く んでから端 はし 攻 ぜ めを敢行 かんこう している。
図 ず 1-39は、1982年 ねん 4月 がつ 26・27日 にち の第 だい 四 よん 十 じゅう 期 き 名人 めいじん 戦 せん 第 だい 2局 きょく の中原 なかはら ・加藤 かとう 戦 せん で、先手 せんて の名人 めいじん 中原 なかはら が飛車 ひしゃ 先 さき 不 ふ 突の作戦 さくせん を採用 さいよう した。作戦 さくせん は当時 とうじ 流行 りゅうこう した雀 すずめ 刺 ざ しであるが、展開 てんかい は角 かく 交換 こうかん から中央 ちゅうおう での展開 てんかい に持 も ち込 こ んでいる。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 王 おう 角 かく 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 銀 ぎん 金 きむ 二 に 歩 ふ 桂 かつら 歩 ふ 金 きむ 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 四 よん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 金 きむ 角 かく 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 玉 たま 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 王 おう 二 に 歩 ふ 角 かく 銀 ぎん 金 きむ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 角 かく 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 歩 ふ 香 こう 七 なな 玉 たま 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 桂 かつら 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 角 かく 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 二 に 歩 ふ 歩 ふ 金 きむ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 歩 ふ 香 こう 七 なな 金 きむ 銀 ぎん 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 玉 たま 桂 かつら 九 きゅう
矢倉 やくら 囲 がこ いの変形 へんけい [ 編集 へんしゅう ]
金 きむ 矢倉 やぐら の6七 なな 金 きん が銀 ぎん に置 お き換 か わったものを銀 ぎん 矢倉 やぐら (ぎんやぐら、英 えい :Silver Fortress)と言 い う。5六 ろく の腰掛 こしか け銀 ぎん を6七 なな に引 ひ いて組 く むことが多 おお い。7六 ろく の地点 ちてん への攻 せ めに強 つよ いことと、7八 はち の金 かね に6七 なな の銀 ぎん が利 き いていることが特徴 とくちょう である。また、右 みぎ 銀 ぎん を6七 なな まで持 も ってくるため、手数 てかず がかかるのが欠点 けってん である。7八 はち と6八 はち の両方 りょうほう に金 かね を持 も ってきて4枚 まい で囲 かこ う場合 ばあい もある。
通常 つうじょう の場合 ばあい 、5六 ろく に銀 ぎん を保留 ほりゅう して▲6七 なな 銀 ぎん は少 すこ し先 さき 送 おく るものである。右辺 うへん の状態 じょうたい により▲6七 なな 金 きん 右 みぎ なら金 きむ 矢倉 やぐら になる。急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら の右 みぎ 四 よん 間 あいだ 飛車 ひしゃ から、持久 じきゅう 戦 せん にシフトした場合 ばあい に現 あらわ れることが多 おお い。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 二 に 三 さん 四 よん 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 銀 ぎん 七 なな 玉 たま 金 きむ 八 はち 香 こう 桂 かつら 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 飛 ひ 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 金 きむ 金 きむ 二 に 桂 かつら 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 銀 ぎん 銀 ぎん 桂 かつら 七 なな 玉 たま 金 きむ 金 きむ 八 はち 香 こう 桂 かつら 飛 ひ 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 二 に 三 さん 四 よん 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 七 なな 玉 たま 金 きむ 金 きむ 八 はち 香 こう 桂 かつら 九 きゅう
2019年 ねん 4月 がつ の渡辺 わたなべ 明 あきら 対 たい 稲葉 いなば 陽 よう の対局 たいきょく は銀 ぎん 矢倉 やぐら の例 れい を示 しめ している。序盤 じょばん は、角 かく 換 が わり相腰掛 あいこしかけ 銀 ぎん 、▲2五 ご 歩 ほ -4八 はち 金 きん -2九 きゅう 飛型 ひけい で両者 りょうしゃ は、角 かく 換 が わり対局 たいきょく の典型 てんけい で、最初 さいしょ に兜 かぶと 囲 がこ いを築 きず く。この後 のち 、稲葉 いなば (後手 ごて )は、先手 せんて が攻撃 こうげき を開始 かいし するのを待 ま つという2010年代 ねんだい に人気 にんき のある戦術 せんじゅつ を使用 しよう し、待機 たいき する動 うご きをみぜる。これにより、渡辺 わたなべ (先手 せんて )は、6筋 すじ 歩兵 ほへい (6六 ろく 歩 ほ )を突 つ き、腰掛 こしかけ した銀 ぎん を5六 ろく から6七 なな に移動 いどう し、王 おう を囲 かこ いに移動 いどう することで、兜 かぶと 型 がた の囲 がこ いを銀 ぎん 矢倉 やぐら に発展 はってん させ(7九 きゅう 金 きん 、8八 はち 玉 たま )、中央 ちゅうおう の歩兵 ほへい を突 つ く(▲5六 ろく 歩 ほ )手 て をみせた[11] [12] 。
角 かく 換 が わり6六 ろく 歩 ほ 型 がた 腰掛 こしかけ 銀 ぎん の陣 じん でも、先手 せんて 5六 ろく に腰掛 こしか けた右 みぎ 銀 ぎん を6七 なな に移動 いどう して、銀 ぎん 矢倉 やぐら に発展 はってん させることができる。
金 きむ 矢倉 やぐら の7八 はち の金 かね を6八 はち に変 か え、玉 たま を7八 はち に持 も ってくる形 かたち を片 かた 矢倉 やぐら (かたやぐら、半 はん 矢倉 やぐら )という。天野 あまの 宗歩 そうほ が愛用 あいよう していたことから別名 べつめい 天野 あまの 矢倉 やぐら ともいわれる[13] 。囲 かこ うための手数 てかず が1手 て 少 すく なくて済 す むほか、角 かく の打 う ち込 こ みに強 つよ い利点 りてん がある。
通常 つうじょう 矢倉 やぐら 囲 がこ いのように8八 はち と7八 はち の位置 いち ではなく、それぞれ7八 はち と6八 はち に玉 たま と金 かね を配置 はいち している。この配置 はいち は、角 かく 換 が わりの後 のち に相手 あいて の角 かく が6九 きゅう または5九 きゅう (図 ず で強調 きょうちょう 表示 ひょうじ )に打 う たれるのを防 ふせ ぐためのものである。そして6八 はち に金 かね を配備 はいび することで7七 なな の銀 ぎん 、6七 なな の金 かね と6八 はち の金 かね が連携 れんけい するようになる[14] 。金 きむ 矢倉 やぐら では、7八 はち の金 かね は玉 たま の駒 こま によってしか利 き いておらず、6九 きゅう に打 う たれた角行 かっこう を排除 はいじょ 攻撃 こうげき することができないのである。
一方 いっぽう で欠点 けってん としては、7九 きゅう (後手 ごて なら3一 いち )が開 ひら いているので、一段 いちだん 目 め に敵 てき の飛車 ひしゃ や竜王 りゅうおう がいる際 さい に、金 かね や飛車 ひしゃ を7九 きゅう (3一 いち )から打 う たれる心配 しんぱい がある、8七 なな (後手 ごて なら2三 さん )に利 き いている駒 こま が玉 たま のみなので、8筋 すじ (2筋 すじ )が弱 よわ くなっていることが挙 あ げられる。
盤上 ばんじょう に自分 じぶん の角 かく がいると組 く みにくく、また相手 あいて の角 かく 打 う ちを牽制 けんせい している意味 いみ があるため角 かく 換 が わり でよく用 もち いられるほか、角 かく 交換 こうかん の起 お こりやすい脇 わき システム と併用 へいよう すると相性 あいしょう が良 よ いことが藤井 ふじい 猛 たけし により発見 はっけん され、この組 く み合 あ わせを藤井 ふじい 流 りゅう 早 はや 囲 かこ い と呼 よ んでいる[13] 。
片 かた 矢倉 やぐら の6七 なな 金 きん を5八 はち 金 きん のままとした形 かたち (7八 はち 玉 たま 、7七 なな 銀 ぎん 、6八 はち 金 きん 、6七 なな 歩 ほ 、5八 はち 金 きん )は、コンピュータ将棋 しょうぎ のBonanza Ver. 2 (2006年 ねん )が多用 たよう していたことから、ボナンザ囲 がこ い と呼 よ ばれる[16] 。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 二 に 三 さん 四 よん 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 七 なな 玉 たま 金 きむ 八 はち 香 こう 桂 かつら 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 二 に 三 さん 四 よん 五 ご 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 玉 たま 金 きむ 金 きむ 八 はち 香 こう 桂 かつら 九 きゅう
土居 どい 矢倉 やくら (Doi yagura)は、7七 なな 銀 ぎん 、7八 はち 玉 たま に加 くわ え、6七 なな に左 ひだり 金 きん を上 あ げる囲 がこ い。右 みぎ 金 きん を6七 なな に上 あ げ、左 ひだり 金 きん を右 みぎ に使 つか うという組 く み方 かた もある。右側 みぎがわ の金 かね を自由 じゆう に使 つか えるため、バランスのよい陣形 じんけい に構 かま えることができる。角 かく 打 う ちに強 つよ い。
土居 どい 市太郎 いちたろう が得意 とくい としたことから土居 どい 矢倉 やぐら と呼 よ ばれる。土居 どい 矢倉 やぐら は昭和 しょうわ 初期 しょき に見 み られた矢倉 やぐら の変種 へんしゅ である[17] 。
組 く み方 かた は通常 つうじょう の矢倉 やぐら の駒 こま 組 ぐみ から▲6七 なな 金 きん 右 みぎ ではなく▲6七 なな 金 きん 左 ひだり と上 あ がり、図 ず の基本形 きほんけい の囲 がこ いを目指 めざ す。一方 いっぽう で図 ず の応用 おうよう 形 がた のほうは1980年代 ねんだい に猛威 もうい を振 ふ るった先手 せんて 飛車 ひしゃ 先 さき 不 ふ 突矢倉 やぐら 式 しき の雀 すずめ 刺 ざ しに対 たい して、中原 なかはら 誠 まこと 十 じゅう 六 ろく 世 せい 名人 めいじん が用 もち いていた構 かま えで、角 かく の利 き きを端 はし から動 うご かさずに玉 たま の位置 いち を移動 いどう することができた。
土居 どい 矢倉 やぐら は温故知新 おんこちしん ともいうべき戦法 せんぽう で、近年 きんねん でもコンピュータ将棋 しょうぎ の隆盛 りゅうせい 後 ご 、令 れい 和 わ の時代 じだい になって新型 しんがた 雁木 がんぎ のように玉 たま の堅 かた さよりも角 かく 交換 こうかん を前提 ぜんてい としたバランス重視 じゅうし の陣形 じんけい が見直 みなお されたためで、流行 りゅうこう することとなった。
この変種 へんしゅ は金 きむ 矢倉 やぐら ほど強力 きょうりょく ではない。ただしこれは対局 たいきょく 者 しゃ の陣内 じんない をより広 ひろ くカバーする。対戦 たいせん 相手 あいて の持 も ち駒 ごま に角 かく がある場合 ばあい に重要 じゅうよう になる可能 かのう 性 せい がある(これは、左 ひだり の金 かね が7八 はち ではなく6八 はち でより中央 ちゅうおう にある不完全 ふかんぜん な矢倉 やぐら と、右 みぎ の金 かね が5八 はち または6八 はち である角 かく 換 が わり対局 たいきょく で使用 しよう される兜 かぶと 矢倉 やぐら に使用 しよう されるのと同 おな じ理由 りゆう である。)
9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 二 に 三 さん 四 よん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 銀 ぎん 桂 かつら 歩 ふ 七 なな 玉 たま 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 二 に 三 さん 四 よん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 金 きむ 桂 かつら 七 なな 玉 たま 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 香 こう 九 きゅう
1940年 ねん の第 だい 2期 き 名人 めいじん 戦 せん 七 なな 番 ばん 勝負 しょうぶ 第 だい 3局 きょく (千日手 せんにちて 指 さ し直 なお し)で、先手 せんて 挑戦 ちょうせん 者 しゃ の土居 どい 市太郎 いちたろう 八 はち 段 だん が後手 ごて 木村 きむら 義雄 よしお 名人 めいじん の総 そう 矢倉 やぐら にこの土居 どい 矢倉 やぐら で対抗 たいこう したのが知 し られる。通常 つうじょう の矢倉 やぐら に比 くら べ硬 かた さでは劣 おと っても、駒 こま の連結 れんけつ が良 よ い。名人 めいじん 戦 せん に現 あらわ れた将棋 しょうぎ は角 かく 換 が わりの出 で だしから行 い き着 つ いた局面 きょくめん であるが、この陣形 じんけい は角 かく の打 う ち込 こ みにも強 つよ い。実戦 じっせん は▲4五 ご 歩 ほ 〜▲4六 ろく 角 かく から、激戦 げきせん が続 つづ いたものの先手 せんて の土居 どい が勝利 しょうり を収 おさ めている。
この囲 がこ いは、2018年 ねん の叡 あきら 王 おう 戦 せん で高見 たかみ 泰地 たいじ によって使用 しよう され採用 さいよう が目立 めだ つようになった[18] 。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 王 おう 二 に 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 銀 ぎん 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 銀 ぎん 桂 かつら 歩 ふ 七 なな 玉 たま 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 金 きむ 王 おう 二 に 角 かく 歩 ふ 銀 ぎん 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 桂 かつら 歩 ふ 七 なな 玉 たま 金 きむ 銀 ぎん 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 飛 ひ 香 こう 九 きゅう
金 きむ 矢倉 やぐら に右 みぎ 銀 ぎん を5七 なな の位置 いち に加 くわ えたものを総 そう 矢倉 やぐら (そうやぐら、英 えい :Complete Fortress)という。金銀 きんぎん 4枚 まい で囲 かこ っているため堅 かた い。(通称 つうしょう 四 よん 枚 まい 矢倉 やぐら だが、昔 むかし の本 ほん では三 さん 枚 まい 矢倉 やくら ということもある)角 かく を4六 ろく に動 うご かした場合 ばあい に組 く まれることが多 おお い。後手 ごて 側 がわ で見 み られることが多 おお い。
総 そう 矢倉 やぐら の相 あい 矢倉 やぐら となった場合 ばあい には双方 そうほう とも攻 せ め手 しゅ を欠 か き、互 たが いに飛車 ひしゃ を動 うご かすだけの千日手 せんにちて となるのが通説 つうせつ であった。米長 よねなが 邦雄 くにお や谷川 たにがわ 浩司 こうじ らが千日手 せんにちて 打開 だかい の手 て を模索 もさく し、実戦 じっせん でも試 こころ みている。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 二 に 三 さん 四 よん 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 銀 ぎん 七 なな 玉 たま 金 きむ 八 はち 香 こう 桂 かつら 九 きゅう
千日手 せんにちて の定跡 じょうせき は、両側 りょうがわ がツークツワンク のような状況 じょうきょう にあると感 かん じられるため、繰 く り返 かえ しでの引 ひ き分 わ けにつながることがよくある[20] 。したがって、戦略 せんりゃく 的 てき に先後 せんご を切 き り替 か えるために意図 いと 的 てき に使用 しよう することができる(繰 く り返 かえ し手順 てじゅん で引 ひ き分 わ けの結果 けっか により、新 あら たに対局 たいきょく がすぐに再戦 さいせん されるが、棋士 きし の手 て 番 ばん が逆 ぎゃく になる)。それでも、繰 く り返 かえ しドローさせずに千日手 せんにちて 矢倉 やぐら で開戦 かいせん することは可能 かのう ではある。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 王 おう 二 に 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 銀 ぎん 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 角 かく 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 銀 ぎん 角 かく 七 なな 玉 たま 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
左 ひだり 図 ず や、1976年 ねん 5月 がつ 13日 にち の米長 よねなが 邦雄 くにお と中原 なかはら 誠 まこと の名人 めいじん 戦 せん はその一 いち 例 れい [22] 。
金 きむ 矢倉 やぐら から9八 はち 香 こう 〜9九 きゅう 玉 たま と組 く んだ形 かたち を矢倉 やくら 穴熊 あなぐま という。先手 せんて 4六 ろく 銀 ぎん ・3七 なな 桂 かつら 型 がた からこの囲 がこ いに組 く む戦法 せんぽう がよく見 み られた。ここから8八 はち 金 きん 、または8八 はち 銀 ぎん 〜7七 なな 金 きん 、と発展 はってん させることもある。7七 なな 金 きん 型 がた は俗 ぞく に「完全 かんぜん 穴熊 あなぐま 」とも呼 よ ばれている。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 二 に 三 さん 四 よん 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 七 なな 香 こう 金 きむ 八 はち 玉 たま 桂 かつら 九 きゅう
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金 かね の形 かたち が低 ひく いへこみ矢倉 やぐら (凹 へこ み矢倉 やぐら Dented Fortress あるいは Hollow Fortress )は、相 あい 矢倉 やぐら 戦 せん ではあまり出 で てこないが、急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら (後手 ごて 番 ばん )、角 かく 換 が わり 、角 かく 交換 こうかん 振 ぶ り飛車 ひしゃ には出 で てくる。
角 かく 換 が わりでは序盤 じょばん 、囲 がこ いが兜 かぶと 櫓 ろ 囲 がこ いから発展 はってん するのは、へこみ矢倉 やぐら であることが多 おお い。これは通常 つうじょう 、序盤 じょばん 戦 せん の相腰掛 あいこしかけ 銀 ぎん の陣 じん で、後手 ごて によって使用 しよう される。
6筋 すじ (または後手 ごて の場合 ばあい は4筋 すじ )の歩兵 ほへい も突 つ いて、この囲 がこ いを金 きむ 矢倉 やぐら に発展 はってん させることができる。
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兜 かぶと 矢倉 やぐら (かぶとやぐら、カブト櫓 ろ 、英 えい :Helmet Fortress)または単 たん に兜 かぶと 囲 がこ いは角 かく 換 か わり、特 とく に指 さ してが攻撃 こうげき を開始 かいし するまで多 おお くの防御 ぼうぎょ 的 てき 発展 はってん がある腰掛 こしかけ 銀 ぎん の陣 じん 対局 たいきょく で使用 しよう される変種 へんしゅ 囲 がこ いである。
急戦 きゅうせん 時 じ に一時 いちじ 的 てき に用 もち いたり、角 かく 換 が わり戦 せん で用 もち いる[23] 。
玉 たま は8八 はち の囲 がこ いへ完全 かんぜん に移動 いどう できるが、多 おお くの場合 ばあい 7九 きゅう または6八 はち (またはまれに6九 きゅう )と、囲 がこ いの外 そと に残 のこ ることもある。
右 みぎ の金 かね は通常 つうじょう 6七 なな までは移動 いどう せず5八 はち のままなので、対戦 たいせん 相手 あいて の角 かく 打 う ちに対 たい してより広 ひろ く防御 ぼうぎょ できる。さらに広 ひろ いエリアを守 まも るために、適切 てきせつ な金 かね が4八 はち に配置 はいち されている陣 じん もある。
特 とく に腰掛 こしかけ 銀 ぎん の陣 じん では、端歩 はしふ を▲9六 ろく 歩 ほ と突 つ くことがよくある。
右 みぎ 金 きん を二 に 段 だん 目 め に残 のこ しておいて、6筋 すじ の歩兵 ほへい を▲6六 ろく 歩 ほ と突 つ かないことがよくある。角 かく 換 が わり腰掛 こしか け銀 ぎん の陣 じん ではときたま6六 ろく を突 つ いて、対戦 たいせん 相手 あいて からの6五 ご 攻撃 こうげき から歩兵 ほへい を取 と れるようにすることもある。ただし、一部 いちぶ のサブ陣 じん では、6六 ろく 歩 ほ 型 がた が有利 ゆうり であるとは見 み なされない場合 ばあい がある。
兜 かぶと 矢倉 やぐら は、右 みぎ の金 かね を6八 はち に移動 いどう することで、へこみ矢倉 やぐら に発展 はってん させることができる。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 二 に 三 さん 四 よん 五 ご 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 金 きむ 玉 たま 金 きむ 八 はち 香 こう 桂 かつら 九 きゅう
右 みぎ 矢倉 やぐら (みぎやぐら)は相 あい 振 ふ り飛車 ひしゃ でのみ用 もち いられる。玉 たま を右側 みぎがわ に囲 かこ うのでその名 な がついた。
矢倉 やぐら の構造 こうぞう は上 うえ からの攻撃 こうげき に強 つよ いので、右 みぎ 矢倉 やぐら は相 あい 振 ふ り飛車 ひしゃ の位置 いち で役立 やくだ つとされる。
右 みぎ 矢倉 やぐら のデメリットは、構築 こうちく されるのに多 おお くの手数 てかず が必要 ひつよう なことである(美濃 みの 囲 がこ いのような他 ほか の振 ふ り飛車 ひしゃ の囲 がこ いと比較 ひかく して)。
美濃 みの 囲 がこ いが右 みぎ 矢倉 やぐら に変身 へんしん することもある。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 二 に 三 さん 四 よん 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 金 きむ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 金 きむ 玉 たま 八 はち 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
四角 よつかど 矢倉 やぐら (しかくやぐら)は、金銀 きんぎん 4枚 まい で四角 よつかど の形 かたち を形成 けいせい した矢倉 やくら 囲 がこ い。
四角 よつかど 矢倉 やぐら は、4つすべての一般 いっぱん 的 てき な配置 はいち が2x2の升目 ますめ になっている。金 かね 四 よん 角 かく 矢倉 やぐら と銀 ぎん 四 よん 角 かく 矢倉 やぐら の2つのサブバリアントがある。
銀 ぎん 四 よん 角 かく 矢倉 やぐら は、銀 ぎん 矢倉 やぐら (7七 なな と6七 なな の銀 ぎん 、6八 はち の金 かね )、ビッグフォー キャッスル(四 よん 枚 まい 穴熊 あなぐま 、これも同 おな じ四角 よつかど で銀 ぎん ・銀 ぎん と金 きむ ・金 かね の配置 はいち )と構造 こうぞう 的 てき に似 に ている。この囲 がこ いはとても強固 きょうこ 。第 だい 一 いち に角行 かっこう は金 きむ 矢倉 やぐら で可能 かのう な(黄色 おうしょく の枡 ます )にかけ打 う ちすることができない。第 だい 二 に に、5七 なな 地点 ちてん は6八 はち 金 きん で保護 ほご されている。第 だい 三 さん に、7六 ろく と6六 ろく の升目 ますめ は弱点 じゃくてん となっていない。ただし、左端 ひだりはし から攻撃 こうげき には危険 きけん である。
他 た の関連 かんれん するフォームは、金 きむ 四角 よつかど 矢倉 やぐら である。これは同 おな じく2x24の一般 いっぱん 的 てき な升目 ますめ の形状 けいじょう を使用 しよう し、金 きむ 矢倉 やぐら と同 おな じように6七 なな の升目 ますめ に典型 てんけい 的 てき な金 かね が配置 はいち されるが、升目 ますめ を完成 かんせい させるために銀 ぎん が6八 はち に置 お かれる。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 二 に 三 さん 四 よん 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 七 なな 玉 たま 金 きむ 銀 ぎん 八 はち 香 こう 桂 かつら 九 きゅう
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豆腐 とうふ 矢倉 やぐら (とうふやぐら)は、本来 ほんらい の囲 がこ いではなく、相手 あいて の攻撃 こうげき によって金 きむ 矢倉 やぐら が変形 へんけい したものである。したがって、このフォームは不十分 ふじゅうぶん な準備 じゅんび のもとで発生 はっせい する。豆腐 とうふ という名称 めいしょう は、この囲 がこ いが柔 やわ らかい絹 きぬ ごし豆腐 とうふ のように簡単 かんたん に崩壊 ほうかい することの比喩 ひゆ である。
豆腐 とうふ 矢倉 やぐら は、対戦 たいせん 相手 あいて が先手 せんて の矢倉 やぐら で、7七 なな の銀 ぎん を後手 ごて から7三 さん から8五 ご に桂馬 けいま 跳 は ねで攻撃 こうげき すると、金 きむ 矢倉 やぐら から発展 はってん する。銀 ぎん と桂馬 けいま の交換 こうかん は先手 せんて にとって有利 ゆうり ではない。このため、銀 ぎん は8六 ろく に移動 いどう することで攻撃 こうげき を免 まぬか れるが、残念 ざんねん ながらこれにより、対戦 たいせん 相手 あいて の角 かく が攻撃 こうげき している対角線 たいかくせん を閉 と じている1つの駒 こま が動 うご くことになる。2番目 ばんめ の攻撃 こうげき 的 てき な動 うご きは△6五 ご 歩 ほ である。先手 せんて は6六 ろく の歩兵 ほへい が後手 ごて の角 かく によってにらまれているため、この6筋 すじ 歩兵 ほへい を▲6五 ご 同 どう 歩 ふ で取 と ることはできない。しかし他 た に適切 てきせつ 手段 しゅだん はない。先手 せんて が歩兵 ほへい を取 と らない場合 ばあい は、△6六 ろく 歩 ほ で先手 せんて 6七 なな の右 みぎ 金 きん を攻撃 こうげき する。▲7七 なな 金 きん と左 ひだり に動 うご かすと、金 きむ は後手 ごて の桂馬 けいま 攻撃 こうげき の位置 いち に置 お かれる。▲5七 なな 金 きん と右 みぎ に移動 いどう すると、先手 せんて の金 かね と角 かく の両方 りょうほう の働 はたら きを抑 おさ えることになると同時 どうじ に先手 せんて の玉 たま に王手 おうて がかかる。6七 なな 地点 ちてん を脅 おびや かす△6六 ろく 歩 ほ の攻撃 こうげき は、先手 せんて が王手 おうて を回避 かいひ しても、どちらかの金 かね が取 と れるようになる。▲7九 きゅう 玉 たま と玉 たま を対角線 たいかくせん から外 はず しても、依然 いぜん として不利 ふり な状態 じょうたい が続 つづ く。△6六 ろく 歩 ほ で再 ふたた び先手 せんて 矢倉 やぐら の金 かね を攻撃 こうげき 、後手 ごて の角行 かっこう による先手 せんて の左 ひだり 矢倉 やぐら へのにらみ、同様 どうよう の攻撃 こうげき 駒 こま で6七 なな 地点 ちてん が脅 おびや かされる[24] 。
このタイプの攻撃 こうげき は、急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら 攻撃 こうげき 戦略 せんりゃく 、左 ひだり 美濃 みの 右 みぎ 四 よん 間 あいだ 飛車 ひしゃ 、および雁木 がんぎ 囲 がこ い などで発生 はっせい する。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 二 に 三 さん 四 よん 五 ご 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 金 きむ 七 なな 玉 たま 金 きむ 角 かく 八 はち 香 こう 桂 かつら 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 飛 ひ 角 かく 二 に 三 さん 歩 ふ 四 よん 桂 かつら 歩 ふ 五 ご 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 金 きむ 七 なな 玉 たま 金 きむ 角 かく 八 はち 香 こう 桂 かつら 九 きゅう
6八 はち 銀 ぎん 型 がた 金 きん 矢倉 やぐら [ 編集 へんしゅう ]
左 ひだり の銀 ぎん は通常 つうじょう 、金 きむ 矢倉 やぐら の7七 なな の升目 ますめ にある。ただし、対戦 たいせん 相手 あいて の左 ひだり 美濃 みの +右 みぎ 四 よん 間 あいだ 飛車 ひしゃ 戦略 せんりゃく で攻撃 こうげき されると、7七 なな の銀将 ぎんしょう は8五 ご または6五 ご に跳 は ねする対戦 たいせん 相手 あいて の桂馬 けいま によって攻撃 こうげき される。銀 ぎん と桂馬 けいま の交換 こうかん はしばしば不利 ふり であるため、銀 ぎん は攻撃 こうげき から安全 あんぜん な6八 はち に留 と まり、5七 なな のマスも防御 ぼうぎょ する(桂馬 けいま が6五 ご の場合 ばあい )。このフォームでは敵 てき 左 ひだり の桂馬 けいま を7七 なな で捕獲 ほかく /再 さい 捕獲 ほかく するだけでなく、敵 てき の角行 かっこう 攻撃 こうげき の可能 かのう 性 せい のある長 なが い対角線 たいかくせん を閉 と じることもできる[24] 。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 二 に 三 さん 四 よん 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 金 きむ 七 なな 玉 たま 金 きむ 銀 ぎん 八 はち 香 こう 桂 かつら 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 二 に 三 さん 四 よん 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 桂 かつら 金 きむ 七 なな 銀 ぎん 金 きむ 八 はち 香 こう 玉 たま 九 きゅう
玉 たま が8九 きゅう に、左 ひだり 銀 ぎん が8八 はち にいる菊水 きくすい 矢倉 やぐら (きくすいやぐら)またはしゃがみ矢倉 やぐら は、昭和 しょうわ 20年代 ねんだい に高島 たかしま 一 いち 岐代 が考案 こうあん し、出身 しゅっしん 地 ち の大阪 おおさか 府 ふ 中河内 なかごうち 八尾 やお 市 し の偉人 いじん ・楠木 くすのき 正成 まさしげ の家紋 かもん 「菊水 きくすい 」にちなんで命名 めいめい した。
矢内 やない 理絵子 りえこ が愛用 あいよう していることから矢内 やない 矢倉 やぐら とも呼 よ ぶ。天野 あまの 高志 たかし や鈴木 すずき 英 えい 春 はる も愛用 あいよう している。
棒 ぼう 銀 ぎん や雀 すずめ 刺 ざ し などの上部 じょうぶ からの攻撃 こうげき に強 つよ いが、横 よこ からの攻 せ めに弱 よわ いのが難点 なんてん である。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 飛 ひ 王 おう 香 こう 一 いち 金 きむ 銀 ぎん 二 に 桂 かつら 銀 ぎん 角 かく 金 きむ 桂 かつら 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 銀 ぎん 桂 かつら 香 こう 七 なな 玉 たま 金 きむ 角 かく 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 九 きゅう
図 ず のように、先手 せんて ▲1五 ご 歩 ほ 型 がた 雀 すずめ 刺 ざ しに対 たい して後手 ごて 陣 じん が菊水 きくすい に組 く んで対応 たいおう する指 さ し方 かた は実戦 じっせん 例 れい が多 おお くある。このあと後手 ごて 陣 じん から△2四 よん 歩 ほ から2三 さん 銀 ぎん と銀 ぎん 冠 かんむり にする手段 しゅだん があるので、▲1四 よん 歩 ほ から仕掛 しか けるが、以下 いか は△同 どう 歩 ふ ▲同 どう 香 こう に△1二 に 歩 ほ とすると、継続 けいぞく 手段 しゅだん がない。実戦 じっせん では▲3五 ご 歩 ほ △同 どう 歩 ふ ▲3六 ろく 歩 ほ とし、以下 いか △8五 ご 桂 かつら ▲3五 ご 角 かく (▲8六 ろく 銀 ぎん は△6五 ご 歩 ほ から4四 よん 角 かく )△4二 に 玉 たま (△4四 よん 金 きん は▲1二 に 香 こう 成 なり △同 どう 香 こう ▲同 どう 飛 ひ 成 なり から▲2一 いち 金 きん )▲5三角 みすみ 成 しげる △同 どう 玉 たま ▲6五 ご 歩 ほ △同 どう 歩 ふ ▲8六 ろく 歩 ほ △7七 なな 桂 かつら 成 しげる ▲同 どう 桂 かつら △6二 に 玉 たま ▲4四 よん 歩 ほ △同 どう 金 かね ▲6五 ご 桂 かつら △6四 よん 銀 ぎん 打 だ と進 すす んだが、先手 せんて の攻 せ めをうまくかわせていることがわかる。
右 みぎ 銀 ぎん が6六 ろく の位置 いち までくると菱 ひし 矢倉 やぐら (ひしやぐら)となる。"菱 ひし 矢倉 やぐら " というよりは6六 ろく (4四 よん )銀 ぎん 型 がた と呼 よ ばれることが多 おお く、相 あい 矢倉 やぐら でよく見 み られる。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 二 に 三 さん 四 よん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 銀 ぎん 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 七 なな 玉 たま 金 きむ 八 はち 香 こう 桂 かつら 九 きゅう
左 ひだり 銀 ぎん が7六 ろく に移 うつ れば銀 ぎん 立 だ ち矢倉 やぐら (ぎんだちやぐら)となる。相 あい 矢倉 やぐら よりも対 たい 振 ふ り飛車 ひしゃ の玉 たま 頭 あたま 位取 くらいど り戦法 せんぽう で用 もちい られることが多 おお い。昭和 しょうわ 40年代 ねんだい に盛 さか んに指 さ されたが、現在 げんざい はあまり流行 りゅうこう していない。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 二 に 三 さん 四 よん 歩 ふ 五 ご 銀 ぎん 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 金 きむ 七 なな 玉 たま 金 きむ 八 はち 香 こう 桂 かつら 九 きゅう
流 なが れ矢倉 やぐら (ながれやぐら)は守 まも りの左 ひだり 銀 ぎん が中央 ちゅうおう に進出 しんしゅつ しているもの。『将棋 しょうぎ 世界 せかい 』2022年 ねん 10月 がつ 号 ごう の記事 きじ 「将棋 しょうぎ 世界 せかい 1000号 ごう 記念 きねん ・将棋 しょうぎ 世界 せかい クロニクル」(執筆 しっぴつ :小笠原 おがさわら 輝 あきら 、P.46)では、「木村 きむら 美濃 みの 」「カニ囲 がこ い 」「箱入 はこい り娘 むすめ 」などとともに、『将棋 しょうぎ 世界 せかい 』1947年 ねん 2月 がつ 号 ごう 、3月 がつ 号 ごう での「駒 こま 組 ぐみ 名称 めいしょう 募集 ぼしゅう 」の読書 どくしょ 投票 とうひょう で囲 がこ いの名前 なまえ が決 き まったと記述 きじゅつ されている。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 二 に 三 さん 四 よん 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 金 きむ 銀 ぎん 七 なな 玉 たま 金 きむ 八 はち 香 こう 桂 かつら 九 きゅう
流 ながれ 線 せん 矢倉 やぐら (りゅうせんやぐら)は流 なが れ矢倉 やぐら と菊水 きくすい 矢倉 やぐら をミックスした囲 がこ い。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 二 に 三 さん 四 よん 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 桂 かつら 金 きむ 銀 ぎん 七 なな 銀 ぎん 金 きむ 八 はち 香 こう 玉 たま 九 きゅう
金 かね と銀 ぎん の駒 こま が三 さん 段 だん に一直線 いっちょくせん に並 なら ぶ陣 じん の通称 つうしょう は、一文字 いちもんじ 矢倉 やぐら (ichi monji yagura 、Straight Line Fortress)と称 しょう される。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 一 いち 二 に 三 さん 四 よん 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 銀 ぎん 金 きむ 七 なな 玉 たま 八 はち 香 こう 桂 かつら 九 きゅう
矢倉 やくら 囲 がこ いの組 く み方 かた [ 編集 へんしゅう ]
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 金 きむ 王 おう 金 きむ 銀 ぎん 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 銀 ぎん 角 かく 二 に 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 五 ご 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 角 かく 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 金 きむ 玉 たま 金 きむ 銀 ぎん 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
矢倉 やぐら はお互 たが いの呼吸 こきゅう が合 あ って初 はじ めて成立 せいりつ する。相 あい 矢倉 やぐら の場合 ばあい 、初手 しょて から▲7六 ろく 歩 ほ △8四 よん 歩 ほ ▲6八 はち 銀 ぎん と進 すす んで、矢倉 やぐら 戦 せん になる。双方 そうほう が居 きょ 飛車 ひしゃ 党 とう であっても、先手 せんて が初手 しょて ▲2六 ろく 歩 ほ を突 つ けば相 あい 掛 か かりや角 かく 換 が わり志向 しこう であるし、後手 ごて が2手 て 目 め に△3四 よん 歩 ほ なら、後手 ごて が無理矢理 むりやり 矢倉 やぐら を志向 しこう しない限 かぎ り横 よこ 歩 ふ 取 と りや雁木 がんぎ 系 けい の将棋 しょうぎ になる志向 しこう である。また先手 せんて が3手 て 日 び に2六 ろく 歩 ほ なら角 かく 換 が わりで、やはり矢倉 やぐら にはならない。
初手 しょて から▲7六 ろく 歩 ほ △8四 よん 歩 ほ ▲6八 はち 銀 ぎん △3四 よん 歩 ほ のあと、5手 て 目 め に▲6六 ろく 歩 ほ か▲7七 なな 銀 ぎん とするのが最 もっと も一般 いっぱん 的 てき な出 で だしとされる。この5手 て 目 め で▲6六 ろく 歩 ほ とするか▲7七 なな 銀 ぎん とするのかが、後述 こうじゅつ の急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら において重要 じゅうよう な要素 ようそ である。△3四 よん 歩 ほ と突 つ いた時 とき に先手 せんて は▲7七 なな 銀 ぎん と受 う けるか、▲6六 ろく 歩 ほ がよいかは時代 じだい によって見解 けんかい が分 わ かれた、いわゆる「矢倉 やぐら の5手 て 目 め 問題 もんだい 」は非常 ひじょう に深 ふか いレベルで、後 ご の展開 てんかい に差 さ が出 で てくるのであるが、一般 いっぱん 的 てき な相 あい 矢倉 やぐら を志向 しこう するならば同 おな じ形 がた に合流 ごうりゅう することも多 おお い。
そのあと図 ず の後手 ごて △6二 に 銀 ぎん に、先手 せんて 7手 て 目 め は『羽生 はぶ の頭脳 ずのう 5 最強 さいきょう 矢倉 やぐら 』(1992年 ねん 、日本 にっぽん 将棋 しょうぎ 連盟 れんめい )から『変 か わりゆく現代 げんだい 将棋 しょうぎ 』上 じょう (2010年 ねん 、日本 にっぽん 将棋 しょうぎ 連盟 れんめい )に至 いた るまで、▲4八 はち 銀 ぎん ではなく▲5六 ろく 歩 ほ を推奨 すいしょう している。それ以前 いぜん は▲4八 はち 銀 ぎん が比較的 ひかくてき よく指 さ されていた。羽生 はぶ は、7手 て 目 め に▲4八 はち 銀 ぎん であると、後手 ごて △8五 ご 歩 ほ ▲7八 はち 金 きん (▲5六 ろく 歩 ほ は△8六 ろく 歩 ほ ▲同 どう 歩 ふ △同 どう 飛 ひ ▲同 どう 銀 ぎん △8八角 やすみ 成 しげる )△7四 よん 歩 ほ ▲5六 ろく 歩 ほ △7三 さん 銀 ぎん ▲7九 きゅう 角 かく △6四 よん 銀 ぎん など、後手 ごて から△7四 よん 歩 ほ 〜7三 さん 銀 ぎん 〜6四 よん 銀 ぎん 〜8五 ご 歩 ほ からの速攻 そっこう を仕掛 しか ける順 じゅん があるとしている。一方 いっぽう で7手 て 目 め に▲5六 ろく 歩 ほ としておくと、△7四 よん 歩 ほ であっても、以下 いか ▲6六 ろく 歩 ほ △7三 さん 銀 ぎん ▲5八 はち 金 きん 右 みぎ △6四 よん 銀 ぎん ▲6七 なな 金 きん △8五 ご 歩 ほ ▲7九 きゅう 角 かく △7五 ご 歩 ほ ▲同 どう 歩 ふ △同 どう 銀 ぎん に▲4六 ろく 角 かく で、飛車 ひしゃ の横 よこ 利 き きを利 き かしつつ後手 ごて の居 きょ 角 かく の射程 しゃてい を二 に 重 じゅう に止 と めることができている。
ところが2010年代 ねんだい 後半 こうはん からは後述 こうじゅつ のとおり後手 ごて が急戦 きゅうせん を趣向 しゅこう し、矢倉 やくら 囲 がこ いに組 く まずに速攻 そっこう 攻撃 こうげき を仕掛 しか けることが多 おお くなり、こうした戦術 せんじゅつ に対応 たいおう するため、飛車 ひしゃ 先 さき を早 はや く伸 の ばす指 さ し方 かた が主流 しゅりゅう となり、先手 せんて 7手 て 目 め は▲2六 ろく 歩 ほ が主流 しゅりゅう となっている。
現代 げんだい 矢倉 やぐら の出 で だしは24手 て まで定跡 じょうせき 化 か されており、24手 て 組 ぐみ と呼 よ ばれる。旧 きゅう と新 しん があり、旧 きゅう 24手 て 組 ぐみ は中原 なかはら 、米長 よねなが 、加藤 かとう などが盛 さか んに指 さ しており、矢倉 やぐら 24手 て 組 ぐみ と呼 よ ばれた一世 いっせい を風靡 ふうび した手順 てじゅん 。新 しん 24手 て 組 ぐみ との違 ちが いは▲2六 ろく 歩 ほ か早 はや いかどうかだけであり、先手 せんて が飛車 ひしゃ 先 さき を突 つ くので前後 ぜんご 同型 どうけい となっている。昭和 しょうわ の矢倉 やぐら 界 かい の基本 きほん 手順 てじゅん であったこの旧 きゅう 24手 て 組 ぐみ は次 つぎ の通 とお りで、おもな手順 てじゅん は▲7六 ろく 歩 ほ △8四 よん 歩 ほ ▲6八 はち 銀 ぎん △3四 よん 歩 ほ で▲7七 なな 銀 ぎん とし、△6二 に 銀 ぎん に▲2六 ろく 歩 ほ とする。以下 いか △4二 に 銀 ぎん ▲4八 はち 銀 ぎん △3二 に 金 きん ▲5六 ろく 歩 ほ △5四 よん 歩 ほ ▲7八 はち 金 きん △4一 いち 玉 たま ▲6九 きゅう 玉 たま △5二 に 金 きん ▲3六 ろく 歩 ほ △4四 よん 歩 ほ ▲5八 はち 金 きん △3三 さん 銀 ぎん ▲7九 きゅう 角 かく △3一角 いっかく ▲6六 ろく 歩 ほ △7四 よん 歩 ほ で基本 きほん 図 ず となる。
それが、昭和 しょうわ の後半 こうはん つまり1980年代 ねんだい 前半 ぜんはん に、青野 あおの 照 あきら 市 し 、淡路 あわじ 仁 ひとし 茂 しげる 、田中 たなか 寅彦 とらひこ らが若手 わかて 時代 じだい に飛車 ひしゃ 先 さき を早 はや くに突 つ かないメリットを発見 はっけん 。こうして先手 せんて が飛車 ひしゃ 先 さき の歩 ふ を保留 ほりゅう して駒 こま 組 ぐみ を進 すす める「飛車 ひしゃ 先 さき 不 ふ 突(つかず)矢倉 やくら 」が登場 とうじょう 。飛車 ひしゃ 先 さき の歩 ふ は急 いそ いで突 つ く必要 ひつよう はない、という認識 にんしき が広 ひろ まり、▲2六 ろく 歩 ほ 型 がた の他 ほか に▲2七 なな 歩 ほ 型 がた で進 すす めるのが主流 しゅりゅう となり、流行 りゅうこう していく。と、同時 どうじ に新型 しんがた へと流行 りゅうこう が移 うつ っていった。
過去 かこ にさかのぼってみると、昭和 しょうわ 初期 しょき は2010年代 ねんだい からの後手 ごて 急戦 きゅうせん をけん制 せい の意味 いみ でとは違 ちが って▲2五 ご 歩 ほ と飛車 ひしゃ 先 さき を2つ突 つ くのが当然 とうぜん であったが、歩 ふ の位置 いち が1マスずつ下 さ がる、このわずかな違 ちが いを、プロ棋士 きし が数 すう 十 じゅう 年 ねん かけて発見 はっけん する。このことだけを見 み ても矢倉 やぐら の複雑 ふくざつ さ、将棋 しょうぎ の深遠 しんえん さが窺 うかが い知 し れ、現代 げんだい 将棋 しょうぎ 界 かい の定跡 じょうせき の進化 しんか の端 はし 的 てき に示 しめ す事例 じれい でもあった。1980年代 ねんだい 後半 こうはん からの飛車 ひしゃ 先 さき 不 ふ 突矢倉 やぐら の思想 しそう が取 と り入 い れられて以降 いこう は、後手 ごて 急戦 きゅうせん の流行 りゅうこう を経 へ て1990年代 ねんだい 前半 ぜんはん から新 しん 24手 て 組 ぐみ と呼 よ ばれる形 かたち が定着 ていちゃく した。図 ず の局面 きょくめん に至 いた るまで、若干 じゃっかん の手順 てじゅん 前後 ぜんこう は駆 か け引 ひ きである。24手 て 目 め の局面 きょくめん が新 しん 24手 て 組 ぐみ といわれる手順 てじゅん は▲7六 ろく 歩 ほ △8四 よん 歩 ほ ▲6八 はち 銀 ぎん △3四 よん 歩 ほ に▲6六 ろく 歩 ほ (▲7七 なな 銀 ぎん )△6二 に 銀 ぎん ▲5六 ろく 歩 ほ △5四 よん 歩 ほ ▲4八 はち 銀 ぎん △4二 に 銀 ぎん ▲5八 はち 金 きん 右 みぎ △3二 に 金 きん ▲7八 はち 金 きん △4一 いち 玉 たま ▲6九 きゅう 玉 たま △5二 に 金 きん ▲7七 なな 銀 ぎん (▲6六 ろく 歩 ほ )△3三 さん 銀 ぎん ▲7九 きゅう 角 かく △3一角 いっかく ▲3六 ろく 歩 ほ △4四 よん 歩 ほ ▲6七 なな 金 きん 右 みぎ △7四 よん 歩 ほ で基本 きほん 図 ず となる。▲3七 なな 銀 ぎん 戦法 せんぽう の1手前 てまえ にあたる。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 角 かく 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 銀 ぎん 金 きむ 金 きむ 二 に 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 金 きむ 金 きむ 銀 ぎん 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 玉 たま 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 角 かく 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 銀 ぎん 金 きむ 金 きむ 二 に 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 金 きむ 銀 ぎん 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 玉 たま 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
特 とく に旧式 きゅうしき との違 ちが いとしては、▲6六 ろく 歩 ほ や▲5八 はち 金 きん 右 みぎ を先 さき にし、△3二 に 金 きん をみて▲7八 はち 金 きん とする指 さ し方 かた で、これは矢倉 やくら 中 ちゅう 飛車 ひしゃ を警戒 けいかい して、55年 ねん 組 ぐみ が将棋 しょうぎ 界 かい を台頭 たいとう した際 さい に愛用 あいよう していたという。
矢倉 やぐら の基本 きほん となる形 かたち で、ここから▲3七 なな 銀 ぎん と指 さ せば▲3七 なな 銀 ぎん 戦法 せんぽう 、▲6八 はち 角 かく と指 さ せば森下 もりした システムへと進 すす む。
なお、羽生 はぶ (1992、2010)によると、途中 とちゅう ▲5八 はち 金 きん 右 みぎ に、△5二 に 金 きん 右 みぎ ならば▲7七 なな 銀 ぎん (▲6六 ろく 歩 ほ )△4四 よん 歩 ほ ▲7九 きゅう 角 かく △4三 さん 金 きん ▲6八 はち 玉 たま △3三 さん 銀 ぎん ▲7八 はち 玉 たま △3一角 いっかく ▲3六 ろく 歩 ほ △4二 に 玉 たま ▲3七 なな 銀 ぎん △3二 に 玉 たま ▲3五 ご 歩 ほ △同 どう 歩 ふ ▲同 どう 角 かく △5三 さん 銀 ぎん ▲6七 なな 金 きん となると、お互 たが い矢倉 やぐら 早 はや 囲 がこ いに進 すす む。以下 いか は△6四 よん 銀 ぎん ならば▲6八 はち 角 かく △5五 ご 歩 ほ ▲6五 ご 歩 ほ △同 どう 銀 ぎん ▲5五 ご 歩 ほ 、△4五 ご 歩 ほ ならば▲4八 はち 飛 ひ △4四 よん 銀 ぎん 右 みぎ ▲6八 はち 角 かく などで、一 いち 局 きょく 。
▲5八 はち 金 きん 右 みぎ には、△3二 に 金 きん の方 ほう が、後手 ごて には急戦 きゅうせん 含 ふく みで手 て が広 ひろ い。ここで▲7八 はち 金 きん に替 か えて ▲7七 なな 銀 ぎん (▲6六 ろく 歩 ほ )であると△4一 いち 玉 たま ▲6七 なな 金 きん となる。
以下 いか 、△5二 に 金 きん ならば▲7九 きゅう 角 かく に△3三 さん 銀 ぎん であると、▲3六 ろく 歩 ほ に△4四 よん 歩 ほ ならば▲6八 はち 玉 たま で、角 かく 道 どう が止 と まった後手 ごて に対 たい して先手 せんて が得 とく になっており、後手 ごて は角 かく を使 つか うには△3一 いち 角 かく しかない。▲3六 ろく 歩 ほ に先 さき に△3一角 いっかく も▲6八 はち 玉 たま △6四 よん 角 かく ▲3七 なな 銀 ぎん でやはり得 とく である。▲3六 ろく 歩 ほ に△7四 よん 歩 ほ ならば▲6八 はち 玉 たま であると今度 こんど は△4四 よん 銀 ぎん からの決戦 けっせん がある。よって△7四 よん 歩 ほ には▲3五 ご 歩 ほ △同 どう 歩 ふ ▲同 どう 角 かく △4四 よん 銀 ぎん ▲4六 ろく 角 かく △5五 ご 歩 ほ ▲3八 はち 飛 ひ 等 とう として、次 つぎ に▲5五 ご 歩 ほ 〜3三 さん 歩 ほ をみることができる。
△5二 に 金 きん とせず△5三 さん 銀 ぎん 右 みぎ にして6二 に 飛 ひ 系統 けいとう の急戦 きゅうせん を狙 ねら う順 じゅん は以下 いか ▲2六 ろく 歩 ほ とし、△7四 よん 歩 ほ ならば▲2五 ご 歩 ほ △3三角 さんかく で以下 いか 急戦 きゅうせん となる。5三 さん 銀 ぎん 右 みぎ に替 か えて△5五 ご 歩 ほ ▲同 どう 歩 ふ △同 どう 角 かく ならば▲2五 ご 歩 ほ △5四 よん 銀 ぎん (△3三 さん 角 かく もしくは銀 ぎん は、いずれも▲5七 なな 銀 ぎん )▲2四 よん 歩 ほ △同 どう 歩 ふ ▲同 どう 飛 ひ △2三 さん 歩 ほ ▲2八 はち 飛 ひ △7四 よん 歩 ほ ▲5七 なな 銀 ぎん △5二 に 飛 ひ ▲6八 はち 玉 たま △8二 に 角 かく ▲7八 はち 玉 たま などの展開 てんかい が予想 よそう される。
△5二 に 金 きん や5三 さん 銀 ぎん 右 みぎ に替 か えて、△7四 よん 歩 ほ ならば▲7八 はち 金 きん としておき(先 さき に▲7九 きゅう 角 かく ならば△6四 よん 歩 ほ として▲2六 ろく 歩 ほ △6三 さん 銀 ぎん ▲2五 ご 歩 ほ △5二 に 飛 ひ の狙 ねら いである)ひとつには△5三 さん 銀 ぎん 右 みぎ ▲7九 きゅう 角 かく △5五 ご 歩 ほ ▲同 どう 歩 ふ △同 どう 角 かく には▲4六 ろく 角 かく △同 どう 角 かく ▲同 どう 歩 ふ △3三 さん 銀 ぎん ▲4七 なな 銀 ぎん △5二 に 金 きん 等 とう の展開 てんかい が有力 ゆうりょく である。もうひとつには△5二 に 金 きん 右 みぎ とし▲7九 きゅう 角 かく △6四 よん 歩 ほ ▲2六 ろく 歩 ほ △6二 に 飛 ひ ▲2五 ご 歩 ほ △7三 さん 桂 かつら の展開 てんかい があり、▲2四 よん 歩 ほ ならば△同 どう 歩 ふ ▲同 どう 角 かく △8五 ご 桂 かつら ▲8八 はち 銀 ぎん △6五 ご 歩 ほ ▲同 どう 歩 ふ △6六 ろく 歩 ほ ▲6八 はち 金 きん 引△6五 ご 飛 ひ ▲7九 きゅう 玉 たま △4四角 しかく なので、▲3六 ろく 歩 ほ として△3一 いち 玉 たま なら▲2四 よん 歩 ほ △同 どう 歩 ふ ▲同 どう 角 かく であるが、△6五 ご 歩 ほ なら▲同 どう 歩 ふ △同 どう 桂 かつら ▲6六 ろく 銀 ぎん △6四 よん 銀 ぎん となる。また△5二 に 金 きん 右 みぎ に▲6九 きゅう 玉 たま ならば、△4四 よん 歩 ほ には▲7九 きゅう 玉 たま で、△5三 さん 銀 ぎん 右 みぎ には▲2六 ろく 歩 ほ で一 いち 局 きょく となるという。
その後 ご 、これら以外 いがい の手順 てじゅん で始 はじ まる相 あい 矢倉 やぐら 、いわゆる無理矢理 むりやり 矢倉 やぐら (ウソ矢倉 やぐら )も指 さ されている。たとえば▲7六 ろく 歩 ほ △3四 よん 歩 ほ ▲2六 ろく 歩 ほ △4四 よん 歩 ほ とする振 ふ り飛車 ひしゃ 模様 もよう からや、▲7六 ろく 歩 ほ △3四 よん 歩 ほ ▲2六 ろく 歩 ほ △8四 よん 歩 ほ ▲6六 ろく 歩 ほ とする横 よこ 歩 ふ 取 と り拒否 きょひ からなど。
しかし、時代 じだい は一周 いっしゅう して、新 しん 24手 て 組 ぐみ でも後手 ごて の急戦 きゅうせん に対応 たいおう できない、というのが最先端 さいせんたん の認識 にんしき となっていく。
人間 にんげん の将棋 しょうぎ 界 かい では1980年代 ねんだい の持久 じきゅう 戦 せん 志向 しこう から2010年代 ねんだい に至 いた るまで、玉 たま の堅 かた さが重視 じゅうし されていた。しかしコンピュータ将棋 しょうぎ の影響 えいきょう で、バランス重視 じゅうし が以降 いこう のトレンドとなっていき、矢倉 やぐら もまた、同様 どうよう の流 なが れにあって変化 へんか したのである。
相 あい 矢倉 やぐら は対局 たいきょく と研究 けんきゅう の繰 く り返 かえ しによって新 あら たな対策 たいさく が積 つ み重 かさ ねられてきた分野 ぶんや であるがゆえに、2000年代 ねんだい 以降 いこう では新 あら たな対策 たいさく はコンピュータ将棋 しょうぎ 研究 けんきゅう の影響 えいきょう も如実 にょじつ に現 あらわ れる。近年 きんねん の変化 へんか を簡潔 かんけつ に示 しめ すと、5手 て 目 め ▲6六 ろく 歩 ほ に対 たい する後手 ごて の6筋 すじ 攻 ぜ め研究 けんきゅう により、先手 せんて が早 はや く飛車 ひしゃ 先 さき を伸 の ばすようになった結果 けっか 、飛車 ひしゃ 先 さき 不 ふ 突 とっ き矢倉 やぐら が廃 すた れたとなる。
以前 いぜん から、積 つ み重 かさ ねられた定跡 じょうせき の厚 あつ みから矢倉 やぐら 戦 せん を難 むずか しくかつ定跡 じょうせき を覚 おぼ えるのが大変 たいへん 、と敬遠 けいえん する将棋 しょうぎ 愛好 あいこう 者 しゃ は多 おお いという印象 いんしょう はもたれている。あまりにも多 おお くの変化 へんか が潰 つぶ されて以前 いぜん の策 さく に戻 もど っていくため、矢倉 やくら 戦法 せんぽう は過去 かこ の戦法 せんぽう であるかのように扱 あつか われている。しかし、先手 せんて 矢倉 やぐら のコンピュータ評価 ひょうか 値 ち ではプラスであり、戦法 せんぽう としては終 お わっていない。むしろ、2020年 ねん 以降 いこう からが最 もっと も注目 ちゅうもく すべきタイミングともみられている。これは最近 さいきん の指 さ し手 て の多様 たよう 化 か からかつての定跡 じょうせき がリセットされていっているものも少 すく なくないためで、むしろ、これから矢倉 やくら 戦法 せんぽう へ参入 さんにゅう するチャンスと、コンピュータ将棋 しょうぎ をいち早 はや く研究 けんきゅう に取 と り入 い れて時代 じだい の最先端 さいせんたん で戦 たたか っている棋士 きし らに認識 にんしき をもたれている[25] 。
矢倉 やくら 早 さ 囲 がこ い (藤井 ふじい 流 りゅう を含 ふく む)
早 はや 囲 がこ いという囲 かこ い方 かた があり、矢倉 やぐら で、▲6九 きゅう 玉 たま 〜▲7九 きゅう 玉 たま 〜▲8八 はち 玉 たま とするのでなく、▲6八 はち 玉 たま 〜▲7八 はち 玉 たま と囲 かこ う手法 しゅほう である。そのまま▲8八 はち 玉 たま まで囲 かこ う。これにより角 かく を▲7九 きゅう で止 と められる。▲6八 はち 角 かく の1手 て を省略 しょうりゃく しようというのが早 はや 囲 がこ いである。
1980年代 ねんだい 初 はじ めにかけて飛車 ひしゃ 先 さき 不 ふ 突矢倉 やぐら の対策 たいさく ・後手 ごて の対応 たいおう 策 さく として採用 さいよう され始 はじ める。この理屈 りくつ としては角 かく は3一 いち のまま、つまり端 はし に角 かく が常 つね に利 き いた状態 じょうたい のまま玉 たま を矢倉 やぐら に移動 いどう させられること、先手 せんて は飛車 ひしゃ 先 さき を突 つ いてこないため、矢倉 やくら 囲 がこ いの△3二 に 金 きん の支 ささ えは急 いそ ぐ必要 ひつよう がないということからである。新 しん 24手 て 組 ぐみ で、▲5八 はち 金 きん 右 みぎ △3二 に 金 きん ▲7八 はち 金 きん という手順 てじゅん は、▲5八 はち 金 きん 右 みぎ を先 さき にして、後手 ごて △3二 に 金 きん をみて▲7八 はち 金 きん としているのはその意味 いみ であり、後手 ごて が△3二 に 金 きん ではなく△5二 に 金 きん 右 みぎ であれば先手 せんて もそのまま早 はや 囲 がこ いの手順 てじゅん で組 く んだほうが相手 あいて と比 くら べても手 て 損 そん にならないという理屈 りくつ である。
その後 ご 、2000年代 ねんだい 半 なか ばから2010年代 ねんだい にかけて、藤井 ふじい システム を開発 かいはつ した藤井 ふじい 猛 たけし 九 きゅう 段 だん が、矢倉 やぐら 界 かい でもその独創 どくそう 性 せい を発揮 はっき 。早 はや 囲 がこ いに独自 どくじ の研究 けんきゅう を加 くわ え、1ジャンルとして確立 かくりつ した。藤井 ふじい 流 りゅう の手法 しゅほう は以前 いぜん の早 はや 囲 がこ いに振 ふ り飛車 ひしゃ 藤井 ふじい システム同様 どうよう 、玉 たま の移動 いどう を後回 あとまわ しにし、しばらく居 きょ 玉 だま の態勢 たいせい で、相手 あいて の出方 でかた を見 み ながら玉 たま を移動 いどう させることに特徴 とくちょう がある。そして、そのまま玉 たま を8八 はち に進 すす めて囲 かこ う手 て もあるが、▲7八 はち 玉 たま 型 がた のままで様子 ようす をみる局面 きょくめん も採用 さいよう している。そこから角 かく 交換 こうかん から▲6八 はち 金 きん 上 じょう で囲 がこ いを済 す まし、▲2六 ろく 銀 ぎん から攻 せ めるのが藤井 ふじい 矢倉 やぐら と呼 よ ばれている。
矢倉 やぐら の諸 しょ 戦法 せんぽう [ 編集 へんしゅう ]
堅陣 けんじん の矢倉 やぐら を攻略 こうりゃく するため、あるいは自 じ 玉 たま の堅 かた さを生 い かす戦法 せんぽう が色々 いろいろ 作 つく られており、長 なが い研究 けんきゅう の成果 せいか で定跡 じょうせき 化 か が進 すす んでいる。矢倉 やぐら での戦 たたか い方 かた は双方 そうほう が矢倉 やくら 囲 がこ いに玉 たま を収 おさ めてから戦 たたか う相 あい 矢倉 やぐら が多 おお いが、先手 せんて が戦型 せんけい を決 き めやすい。そのため、先手 せんて に主導 しゅどう 権 けん を握 にぎ られるのを嫌 きら い、後手 ごて が矢倉 やぐら に囲 かこ わず積極 せっきょく 的 てき に攻勢 こうせい にでる戦法 せんぽう がある。これを急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら といい、その種類 しゅるい も多岐 たき に渡 わた る。
双方 そうほう が矢倉 やぐら を築 きず いてから戦 たたか いを起 お こす指 さ し方 かた 。多 おお くの場合 ばあい 、先手 せんて が主導 しゅどう 権 けん を握 にぎ って先攻 せんこう し、後手 ごて が反撃 はんげき する形 かたち になる。しかし、先手 せんて が敢 あ えて後手 ごて に主導 しゅどう 権 けん を渡 わた す指 さ し方 かた もある。
相 あい 矢倉 やぐら の場合 ばあい でも玉 たま を囲 かこ いに入城 にゅうじょう させず、6九 きゅう や4一 いち の位置 いち のままで戦 たたか いを始 はじ める指 さ し方 かた もあるが、大半 たいはん は以下 いか のような、がっぷり四 よっ つの戦 たたか いになる。
矢倉 やぐら 3七 なな 銀 ぎん /▲3七 なな 銀 ぎん 戦法 せんぽう (棒 ぼう 銀 ぎん 、4六 ろく 銀 ぎん ・3七 なな 桂 かつら 型 がた 、加藤 かとう 流 りゅう などに派生 はせい )
数 かず ある矢倉 やぐら 戦法 せんぽう の中 なか で、24手 て 組 ぐみ から先手 せんて が▲3七 なな 銀 ぎん と指 さ すのが、3七 なな 銀 ぎん 戦法 せんぽう である。先手 せんて は▲2五 ご 歩 ほ を突 つ いていたころは棒 ぼう 銀 ぎん や▲3七 なな 銀 ぎん から▲3五 ご 歩 ほ △同 どう 歩 ふ ▲同 どう 角 かく から▲3六 ろく 銀 ぎん の好 こう 形 かたち を目指 めざ し、場合 ばあい によっては後手 ごて からも△7三 さん 銀 ぎん として△7五 ご 歩 ほ から7筋 すじ 歩 ふ 交換 こうかん をする指 さ し方 かた などを展開 てんかい していた。
一方 いっぽう で平成 へいせい の矢倉 やぐら 界 かい を牽引 けんいん した形 かたち として知 し られるのが、新 しん 24手 て 組 ぐみ から飛車 ひしゃ 先 さき の保留 ほりゅう しての▲3七 なな 銀 ぎん で、後手 ごて が△4三 さん 金 きん 右 みぎ ならば▲3五 ご 歩 ほ と動 うご いていく。そこで後手 ごて は△6四角 よつかど と先手 せんて の仕掛 しか けを牽制 けんせい し、以下 いか ▲6八 はち 角 かく △4三 さん 金 きん 右 みぎ と駒 こま 組 ぐ みが進 すす む。この▲3五 ご 歩 ほ △同 どう 歩 ふ ▲同 どう 角 かく のー歩 ふ 交換 こうかん を防 ふせ ぐため後手 ごて は△2四 よん 銀 ぎん や△6四角 よつかど と上 あ がる。この形 かたち が大 だい 流行 りゅうこう し、4六 ろく 銀 ぎん -3七 なな 桂 かつら 戦法 せんぽう 、さらにその先 さき の91手 て 定跡 じょうせき といった凄 すさ まじき深化 しんか を果 は たしていくことになる。
▲3七 なな 銀 ぎん 戦法 せんぽう から△6四 よん 角 かく ▲6八 はち 角 かく △4三 さん 金 きん 右 みぎ ▲7九 きゅう 玉 たま △3一 いち 玉 たま ▲8八 はち 玉 たま △2二 に 玉 たま ▲4六 ろく 銀 ぎん △5三 さん 銀 ぎん ▲3七 なな 桂 かつら が。4六 ろく 銀 ぎん -3七 なな 桂 かつら 戦法 せんぽう といわれる形 かたち の入口 いりくち である。ここからプロ棋士 きし の研究 けんきゅう の極地 きょくち といわれる91手 て 定跡 じょうせき が生 う まれる。
手順 てじゅん はリンク先 さき を参照 さんしょう 。91手 て まで進 すす んだ終盤 しゅうばん の局面 きょくめん まで進 すす んだ局面 きょくめん が4局 きょく 実戦 じっせん 例 れい がある。渡辺 わたなべ 明 あきら と屋敷 やしき 伸之 のぶゆき が2局 きょく ずつ先手 せんて を持 も って指 さ しており、先手 せんて が4戦 せん 全勝 ぜんしょう 。渡辺 わたなべ は後手 ごて を持 も ってもチャレンジしているが結果 けっか は出 で なかった。
現在 げんざい では、この91手 て 定跡 じょうせき に入 はい る以前 いぜん に、後手 ごて 側 がわ に有力 ゆうりょく 手段 しゅだん が発見 はっけん されたため、2012年 ねん を最後 さいご に現 あらわ れてはいない。
類似 るいじ に「加藤 かとう 流 りゅう 」がある。▲3七 なな 銀 ぎん にして▲1六 ろく 歩 ほ 、▲2六 ろく 歩 ほ を突 つ く戦術 せんじゅつ で、▲2六 ろく 歩 ほ -3七 なな 銀 ぎん 型 がた から▲6七 なな 金 きん 右 みぎ △4三 さん 金 きん 右 みぎ ▲4六 ろく 銀 ぎん (もしくは▲3五 ご 歩 ほ )△6四 よん 角 かく ▲6八 はち 角 かく △3一 いち 玉 たま ▲7九 きゅう 玉 たま △2二 に 玉 たま ▲8八 はち 玉 たま △8五 ご 歩 ほ ▲1六 ろく 歩 ほ が手順 てじゅん の一 いち 例 れい で、加藤 かとう 一二三 ひふみ 九 きゅう 段 だん が得意 とくい としていた形 かたち である。戦法 せんぽう にとことんこだわった加藤 かとう は、その時々 ときどき の流行 りゅうこう 形 がた には目 め もくれず、自分 じぶん が信 しん じる最善 さいぜん 形 がた をどこまでも追求 ついきゅう していた。データベース上 じょう で見 み ると先手 せんて は加藤 かとう 九 きゅう 段 だん 1人 ひとり で74局 きょく を記録 きろく しこだわりが感 かん じられる。
以下 いか は玉 たま を囲 かこ ってから、▲4六 ろく 銀 ぎん と上 あ がって▲3七 なな 桂 かつら の形 かたち を目指 めざ す▲4六 ろく 銀 ぎん -3七 なな 桂 かつら 戦法 せんぽう (機 き を見 み て▲2五 ご 桂 かつら と跳 は ねて▲5五 ご 歩 ほ や▲3五 ご 歩 ほ から総 そう 攻撃 こうげき を仕掛 しか けていく)または▲4六 ろく 角 かく と角 かく をぶつける脇 わき システムに分 わ かれていく。いずれもタイトル戦 せん の大 だい 舞台 ぶたい で数多 かずおお く戦 たたか われてきた戦型 せんけい で、激戦 げきせん が予想 よそう される。
▲4六 ろく 銀 ぎん -3七 なな 桂 かつら 戦法 せんぽう では先手 せんて が全力 ぜんりょく で攻 せ め、後手 ごて が全力 ぜんりょく で受 う けに回 まわ る戦型 せんけい となるが、こうした一 いち 戦 せん になるのは数 かず ある戦法 せんぽう の中 なか では実 じつ は珍 めずら しい。これらは平成 へいせい 中期 ちゅうき のタイトル戦 せん で数多 かずおお く指 さ され、詰 つ みまで定跡 じょうせき 化 か された変化 へんか もある。
矢倉 やぐら 3七 なな 桂 かつら /▲3七 なな 桂 かつら 戦法 せんぽう (▲4七 なな 銀 ぎん -3七 なな 桂 かつら 型 がた 他 た )
24手 て 組 ぐみ から先手 せんて が▲3七 なな 桂 かつら と指 さ すのが、3七 なな 桂 かつら 戦法 せんぽう である。3七 なな 銀 ぎん と並 なら ぶ矢倉 やぐら の代表 だいひょう 戦法 せんぽう で、ここから飛車 ひしゃ 先 さき を伸 の ばして後述 こうじゅつ の▲4七 なな 銀 ぎん -3七 なな 桂 かつら 型 がた (▲3八 はち 飛 ひ 、同型 どうけい 矢倉 やぐら など)、▲2六 ろく 歩 ほ で止 と め▲3七 なな 桂 かつら -4八 はち 銀 ぎん 型 がた から雀 すずめ 刺 ざ しなどに発展 はってん する。またここからも▲3八 はち 飛 ひ から森下 もりした システムに合流 ごうりゅう することも可能 かのう 。
同形 どうけい 矢倉 やぐら
先手 せんて が▲3七 なな 桂 かつら から▲4七 なな 銀 ぎん -3七 なな 桂 かつら 型 がた 、後手 ごて が△6三 さん 銀 ぎん -7三 さん 桂 かつら 型 がた で対峙 たいじ する将棋 しょうぎ は、昭和 しょうわ の時代 じだい に多 おお く指 さ されていた。現在 げんざい も米長 よねなが 流 りゅう 急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら を巡 めぐ る駆 か け引 ひ きの中 なか で現 あらわ れることがある。以下 いか お互 たが いに1筋 すじ 、9筋 すじ の端歩 はしふ を突 つ いたり、▲8八 はち 玉 たま や△2二 に 玉 たま と入城 にゅうじょう して、戦 たたか いのチャンスを待 ま つ。仕掛 しか けの基本 きほん は▲4五 ご 歩 ほ で、お互 たが いに飛 ひ 角 かく 銀 ぎん 桂 かつら で攻 せ め、金銀 きんぎん 3枚 まい でがっちり守 まも っているため、すべての駒 こま が働 はたら く激 はげ しい攻 せ め合 あ いになる。玉 たま の位置 いち 、端歩 はしふ の関係 かんけい はさまざまなパターンがある。同型 どうけい から▲4五 ご 歩 ほ △同 どう 歩 ふ ▲同 どう 桂 かつら や▲4五 ご 歩 ほ △同 どう 歩 ふ ▲3五 ご 歩 ほ が仕掛 しか けの例 れい 。大 だい 流行 りゅうこう した形 かたち ではないが、後手 ごて 急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら が増 ふ えた影響 えいきょう で、その対応 たいおう 策 さく として先手 せんて ▲4六 ろく 歩 ほ -4七 なな 銀 ぎん 型 がた が増加 ぞうか 。それを見 み た後手 ごて が追随 ついずい して、同形 どうけい 矢倉 やぐら になるケースが散見 さんけん される。
雀 すずめ 刺 ざ し (飛車 ひしゃ 先 さき 不 ふ 突3七 なな 桂 かつら ・2六 ろく 銀 ぎん 型 がた 、▲2九 きゅう 飛 ひ 戦法 せんぽう も含 ふく む)
▲3七 なな 桂 かつら の代表 だいひょう 的 てき な戦法 せんぽう 。矢倉 やくら 囲 がこ いの弱点 じゃくてん である端 はし を攻 せ めるため、香 こう の下 した に飛車 ひしゃ を仕込 しこ み、右 みぎ の桂馬 けいま 、時 とき には銀将 ぎんしょう 、そして角行 かっこう を敵陣 てきじん の端 はし に集中 しゅうちゅう して攻 せ め込 こ む。先手 せんて で▲1五 ご 歩 ほ を突 とっ き越 こ すタイプと、端 はし を受 う けるスタイルとがある。
森下 もりした システム
新 しん 24手 て 図 ず から▲6八角 はっかく と上 あ がった局面 きょくめん である。開発 かいはつ 者 しゃ は森下 もりした 卓 たく 九 きゅう 段 だん で▲3七 なな 銀 ぎん 戦法 せんぽう や、加藤 かとう 流 りゅう が早 はや くに攻撃 こうげき 形 がた を決 き めるのに対 たい し、先 さき に玉 たま 側 がわ に手 て を掛 か け、後手 ごて の応手 おうしゅ 、特 とく に右 みぎ 銀 ぎん の動向 どうこう を見 み てから作戦 さくせん を決 き めようという考 かんが えである。作戦 さくせん というより思想 しそう 、考 かんが え方 かた に近 ちか いともいえる。そして攻撃 こうげき 態勢 たいせい は▲3七 なな 桂 かつら -4八 はち 銀 ぎん 型 がた から従来 じゅうらい の2九 きゅう 飛 ひ や雀 すずめ 指 さ しではなく、飛車 ひしゃ を3八 はち 飛 ひ にする。この3八 はち 飛 ひ の意味 いみ は、3七 なな の桂 かつら を支 ささ え、4八 はち の銀 ぎん を動 うご きやすくしている点 てん である。
森下 もりした がこれを連騰 れんとう し、高 たか い勝率 しょうりつ を収 おさ めてから他 た 棋士 きし にも連鎖 れんさ し、大 だい 流行 りゅうこう した形 かたち であった。戦術 せんじゅつ の特徴 とくちょう はその柔軟 じゅうなん 性 せい にある。ただし攻 せ めの要 よう の右 みぎ 銀 ぎん 進出 しんしゅつ が後手 ごて よりも遅 おそ く、自陣 じじん の攻撃 こうげき 態勢 たいせい に至 いた る前 まえ の段階 だんかい で相手 あいて にイニシアチブを取 と られるケースも多 おお く、また早 はや めに玉 たま を囲 かこ うことにより、端 はし を一 いち 点 てん 集中 しゅうちゅう 攻撃 こうげき するスズメ刺 ざ しという天敵 てんてき が現 あらわ れ、激減 げきげん することになった。しかしその後 ご 、▲8八 はち 玉 たま を保留 ほりゅう して中央 ちゅうおう から動 うご く指 さ し方 かた が開発 かいはつ され、復活 ふっかつ を遂 と げた。
脇 わき システム
角 かく が4六 ろく と6四 よん で向 む かい合 あ う形 かたち を脇 わき システムと呼 よ ぶ。脇 わき 謙二 けんじ が得意 とくい とした形 かたち である。互 たが いに角 かく が取 と れるが、とると1手 て 損 そん になるので、向 む かい合 あ ったまま駒 こま 組 ぐ みが進 すす むケースが多 おお い。タイミングを見 み て角 かく 交換 こうかん し、▲6一角 いっかく や▲4一角 いっかく を狙 ねら うのが主眼 しゅがん 。研究 けんきゅう のしがいのある戦法 せんぽう で、詰 つ みまで研究 けんきゅう されている変化 へんか もあるといわれる。
四手 よつで 角 かく と千日手 せんにちて 矢倉 やぐら ・三 さん 手 て 角 かく (相 あい 振 ふ り飛車 ひしゃ における矢倉 やくら 崩 くず しにも応用 おうよう される)
角 かく を先手 せんて なら▲2六 ろく 、後手 ごて なら△8四 よん にもっていき、角 かく の睨 にら む位置 いち を、先手 せんて から4筋 すじ (後手 ごて は6筋 すじ )にして攻撃 こうげき の照準 しょうじゅん を合 あ わせる戦術 せんじゅつ である。角 かく をその位置 いち にもっていく方法 ほうほう によって、四手 よつで ルートと三 さん 手 て ルートがある。四手 よつで ルートは先手 せんて からみて▲7九 きゅう 〜▲4六 ろく 〜▲3七 なな 〜▲2六 ろく と▲7九 きゅう 〜▲6八 はち 〜▲5九 きゅう 〜▲2六 ろく 、三 さん 手 て ルートは▲7九 きゅう 〜▲3五 ご 歩 ほ △同 どう 歩 ふ ▲同 どう 角 かく 〜▲2六 ろく や、▲7七 なな 〜▲5九 きゅう 〜▲2六 ろく 、さらに後手 ごて であると△5五 ご 歩 ほ ▲同 どう 歩 ふ △同 どう 角 かく 〜△7三 さん 〜△8四 よん などがある。
また、前述 ぜんじゅつ の総 そう 矢倉 やぐら と組 く み合 あ わせ、先手 せんて 後手 ごて お互 たが いが同型 どうけい と化 か した局面 きょくめん は、仕掛 しか けたほうが不利 ふり となるため、千日手 せんにちて になりやすいことから、特 とく に千日手 せんにちて 矢倉 やぐら と呼 よ ばれている。
相 あい 矢倉 やぐら 模様 もよう から急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら /居 きょ 角 かく 型 がた 急戦 きゅうせん を仕掛 しか けずに、お互 たが い角 かく を引 ひ き角 かく にし、玉 たま を囲 かこ う前 まえ の6九 きゅう や4一 いち の位置 いち で開戦 かいせん する指 さ し方 かた もある。特 とく に二上 ふたかみ 達也 たつや 九 きゅう 段 だん が得意 とくい とし、棋聖 きせい 戦 せん を3期 き 9連勝 れんしょう で連続 れんぞく 防衛 ぼうえい を果 は たしている。
また下記 かき の趣 おもむき の異 こと なる作戦 さくせん に組 く み替 か えるのも有力 ゆうりょく な作戦 さくせん であり、相手 あいて の意表 いひょう を突 つ いたり、駒 こま 組 ぐ みの不備 ふび や手順 てじゅん 前後 ぜんこう を咎 とが める1手段 しゅだん である。
相 あい 矢倉 やぐら の定跡 じょうせき の進歩 しんぽ や流行 りゅうこう 形 がた の推移 すいい に合 あ わせて、急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら も工夫 くふう と進化 しんか を繰 く り返 かえ して、盤上 ばんじょう を彩 いろど ってきた。金銀 きんぎん 3枚 まい の堅陣 けんじん に組 く み上 あ げてから、格調 かくちょう 高 たか く相 あい 矢倉 やぐら の攻防 こうぼう を堪能 たんのう するのも王道 おうどう の戦 たたか い方 かた であるが、矢倉 やぐら を目指 めざ した相手 あいて に対 たい し、組 く み合 あ う相 あい 矢倉 やぐら には付 つ き合 あ わず先攻 せんこう を目指 めざ すのが急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら である。矢倉 やぐら の出 で だしは先手 せんて が角 かく 道 どう を先 さき に止 と めるため、角 かく 道 どう を止 と めない後手 ごて が使 つか うことが多 おお い。
玉 たま の囲 がこ いもそこそこに、飛車 ひしゃ 角 かく 銀 ぎん 桂 かつら で鋭 するど く堅陣 けんじん に迫 せま る急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら も、矢倉 やぐら 戦 せん の醍醐味 だいごみ のひとつである。そして急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら への対応 たいおう は、矢倉 やぐら を指 さ す者 もの には必須 ひっす 科目 かもく となっている。
近年 きんねん では角 かく 道 どう を止 と めた先手 せんて に対 たい し、後手 ごて から仕掛 しか けていく。先手 せんて に主導 しゅどう 権 けん を握 にぎ られる展開 てんかい を避 さ けたい、後手 ごて の積極 せっきょく 策 さく として以下 いか の戦術 せんじゅつ が発展 はってん した。矢倉 やぐら を目指 めざ す先手 せんて は相手 あいて の急戦 きゅうせん を警戒 けいかい した駒 こま 組 ぐ みが求 もと められている。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 角 かく 二 に 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 金 きむ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 玉 たま 金 きむ 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 角 かく 二 に 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 金 きむ 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 玉 たま 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら はかつては図 ず 2-1-1のような▲4九 きゅう 金 きん 型 がた の早 はや 繰 ぐ り銀 ぎん 戦 せん が主流 しゅりゅう であった。升田 ますだ 幸三 こうぞう が得意 とくい として連戦 れんせん 連勝 れんしょう していたことから升田 ますだ 流 りゅう 急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら ともいわれた。
後手 ごて 陣 じん は△6四 よん 歩 ほ ・5三 さん 歩 ほ 型 がた の場合 ばあい には△5四 よん 銀 ぎん 〜4三 さん 銀 ぎん が多 おお く指 さ されている。銀 ぎん が4三 さん に来 く ることで3五 ご 歩 ほ を取 と らずに対処 たいしょ することができる。後手 ごて がこの局面 きょくめん で△5四 よん 歩 ほ などは、▲3四 よん 歩 ほ からの取 と り込 こ みから△同 どう 銀 ぎん ▲3五 ご 歩 ほ △4五 ご 銀 ぎん ▲同 どう 銀 ぎん △同 どう 歩 ふ ▲3四 よん 銀 ぎん がある。△3五 ご 歩 ほ ▲同 どう 銀 ぎん △3四 よん 歩 ほ ▲2四 よん 歩 ほ に△3五 ご 歩 ほ は▲2三 さん 歩 ほ 成 しげる △同 どう 金 かね ▲同 どう 飛 ひ 成 なり △2四 よん 歩 ほ で龍 りゅう の捕獲 ほかく を狙 ねら う。△6四 よん 歩 ほ ・5三 さん 歩 ほ 型 がた なので▲3四 よん 歩 ほ には△同 どう 銀 ぎん ▲2四 よん 龍 りゅう △2五 ご 歩 ほ ▲1五 ご 龍 りゅう △1四 よん 歩 ほ ▲1六 ろく 龍 りゅう △2六 ろく 銀 ぎん で捕獲 ほかく ができる。このため▲3四 よん 歩 ほ では▲3二 に 歩 ほ とすると、これを△同 どう 飛 ひ なら▲同 どう 龍 りゅう △同 どう 玉 たま ▲8二 に 飛 ひ 、△3四 よん 銀 ぎん 打 だ なら▲3一 いち 金 きん △4二 に 玉 たま ▲2二 に 龍 りゅう △同 どう 銀 ぎん ▲2一 いち 金 きん △3二 に 玉 たま ▲2二 に 金 きん △同 どう 玉 たま ▲5五 ご 桂 かつら といった展開 てんかい である。
図 ず 2-1-2のように▲5八 はち 金 きん 型 がた であると、飛車 ひしゃ の打 う ち込 こ みに弱 よわ い陣形 じんけい なので、飛車 ひしゃ を捨 す てる展開 てんかい には注意 ちゅうい が必要 ひつよう であるが、この後手 ごて 陣 じん 7四 よん 歩 ほ 型 がた 陣形 じんけい の場合 ばあい は図 ず 2-1-1の展開 てんかい 同様 どうよう ▲2三 さん 歩 ほ 成 しげる △同 どう 金 かね ▲同 どう 飛 ひ 成 なり △2四 よん 歩 ほ で龍 りゅう の捕獲 ほかく は▲3四 よん 歩 ほ でよく、以下 いか △同 どう 銀 ぎん ▲2四 よん 龍 りゅう △2五 ご 歩 ほ に今度 こんど は▲3五 ご 角 かく があり、△同 どう 銀 ぎん は▲同 どう 龍 りゅう 、△3三 さん 金 きん には▲4六 ろく 角 かく が生 しょう じ、以下 いか △6四 よん 銀 ぎん には▲1五 ご 龍 りゅう 、△2三 さん 銀 ぎん 打 だ は▲4六 ろく 角 かく △6四 よん 歩 ほ 、▲1五 ご 龍 りゅう 、△6四 よん 歩 ほ のところで△2四 よん 銀 ぎん は▲8二 に 角 かく 成 なり で、△3九 きゅう 飛 ひ には▲5九 きゅう 飛 ひ 、といった展開 てんかい で進 すす められていた。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 金 きむ 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 銀 ぎん 金 きむ 銀 ぎん 二 に 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 角 かく 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 角 かく 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 金 きむ 玉 たま 金 きむ 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 金 きむ 角 かく 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 王 おう 二 に 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 銀 ぎん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 玉 たま 金 きむ 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
ただし実際 じっさい には加藤 かとう 治郎 じろう 編 へん 『将棋 しょうぎ 戦法 せんぽう 大 だい 事典 じてん 』(1985年 ねん )では、「この矢倉 やぐら 戦法 せんぽう 即 そく 持久 じきゅう 戦 せん に、急戦 きゅうせん の新分野 しんぶんや を開拓 かいたく したのが大山 おおやま 名人 めいじん である」とし、升田 ますだ でなく大山 おおやま 康晴 やすはる の名 な を挙 あ げている。同書 どうしょ で第 だい 1号 ごう 局 きょく としてあげているのが、▲大山 おおやま -△升田 ますだ 戦 せん の昭和 しょうわ 24年度 ねんど A級 きゅう 順位 じゅんい 戦 せん (図 ず 2-2-1)である。この一 いち 戦 せん は後手 ごて の升田 ますだ が銀 ぎん でなく角 かく で飛 ひ 先 さき を受 う けたことから『将棋 しょうぎ 戦法 せんぽう 大 だい 事典 じてん 』では「4六 ろく 銀 ぎん からの急戦 きゅうせん を一時 いちじ 的 てき ながら、後手 ごて の角 かく 頭 あたま が弱 よわ いため、右 みぎ 銀 ぎん の急進 きゅうしん 撃 げき が効果 こうか 的 てき だから」で「急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら 第 だい 1号 ごう 局 きょく は後手 ごて の特殊 とくしゅ 作戦 さくせん に触発 しょくはつ された、といえそうである」として紹介 しょうかい している。△6四 よん 歩 ほ ▲4六 ろく 銀 ぎん △5一角 いっかく ▲3五 ご 歩 ほ △同 どう 歩 ふ ▲同 どう 銀 ぎん △6三 さん 銀 ぎん ▲7八 はち 金 きん △7四 よん 歩 ほ ▲6九 きゅう 玉 たま △5四 よん 銀 ぎん ▲4六 ろく 歩 ほ △8四 よん 角 かく ▲6八 はち 銀 ぎん △3三 さん 歩 ほ と進 すす む。
同 おな じ加藤 かとう 治郎 じろう の著 ちょ 『平手 ひらて 将棋 しょうぎ 必勝 ひっしょう 法 ほう 』(1954年 ねん ・湯川 ゆかわ 弘文社 こうぶんしゃ )で「その後 ご もこの型 かた は何 なん 局 きょく も闘 たたか われたが、大 だい 流行 りゅうこう のきっかけとなった」としたのは升田 ますだ -坂口 さかぐち 允 まこと 彦戦 せん の第 だい 1期 き 王将 おうしょう 位 い 決定 けってい リーグ(1951年 ねん 年 ねん 8月 がつ 、図 ず 2-2-2)としていて、これは升田 ますだ 流 りゅう 急戦 きゅうせん が最 もっと もうまく決 き まった一 いち 局 きょく として知 し られる。△4五 ご 歩 ほ に▲2四 よん 歩 ほ △同 どう 歩 ふ ▲2三 さん 歩 ほ で決 き まったことで、この一 いち 戦 せん 以来 いらい 、後手 ごて 方 かた は3二 に 玉 たま 型 がた では受 う からないこととなる。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 金 きむ 銀 ぎん 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 角 かく 二 に 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 金 きむ 角 かく 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 玉 たま 金 きむ 銀 ぎん 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 銀 ぎん 金 きむ 角 かく 二 に 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 金 きむ 銀 ぎん 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 玉 たま 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
対 たい 矢倉 やぐら 急戦 きゅうせん 居 きょ 玉 だま 棒 ぼう 銀 ぎん (超 ちょう 急戦 きゅうせん 棒 ぼう 銀 ぎん )は、居 きょ 玉 だま のまま囲 がこ いは後回 あとまわ しにして、一直線 いっちょくせん に棒 ぼう 銀 ぎん を繰 く り出 だ す個性 こせい 的 てき な戦法 せんぽう である。先手 せんて に正確 せいかく に受 う けられたら上級 じょうきゅう 者 しゃ には通用 つうよう しないB級 きゅう 戦法 せんぽう にも見 み えるが、あの羽生 はぶ 善治 よしはる 九 きゅう 段 だん もA級 きゅう 順位 じゅんい 戦 せん で佐藤 さとう 康光 やすみつ 九 きゅう 段 だん に指 さ している。図 ず 2-3から△6五 ご 歩 ほ ▲同 どう 歩 ふ △9五 ご 銀 ぎん ▲5五 ご 歩 ほ △同 どう 角 かく ▲5八 はち 飛 ひ △8六 ろく 歩 ほ ▲同 どう 歩 ふ △同 どう 銀 ぎん ▲5五 ご 飛 ひ △7七 なな 銀 ぎん 不 ふ 成 なり ▲同 どう 桂 かつら △8九 きゅう 飛 ひ 成 なり ▲7九 きゅう 銀 ぎん と、角 かく 損 そん の攻 せ めを敢行 かんこう して激戦 げきせん 模様 もよう になった。
△6二 に 飛型 ひけい 急戦 きゅうせん (右 みぎ 四 よん 間 あいだ 飛車 ひしゃ )は、昭和 しょうわ 後期 こうき から平成 へいせい にかけて、盛 さか んに指 さ されてきた。また、角 かく 落 お ちの上手 じょうず が用 もち いる作戦 さくせん として知 し られる。
矢倉 やぐら の堅陣 けんじん に対 たい して、△6四 よん 歩 ほ と突 つ くのが急戦 きゅうせん の意思 いし 表示 ひょうじ で、以下 いか ▲2六 ろく 歩 ほ に△6二 に 飛 ひ と右 みぎ 四 よん 間 あいだ 飛車 ひしゃ に構 かま える。2筋 すじ の歩 ふ は交換 こうかん させても、飛車 ひしゃ 角 かく 銀 ぎん 桂 かつら の攻 せ め駒 こま が6筋 すじ に集中 しゅうちゅう 、迫力 はくりょく のある攻 せ めが狙 ねら えるので、後手 ごて 番 ばん ながら主導 しゅどう 権 けん が握 にぎ りやすい。猛烈 もうれつ な攻 せ めの棋風 きふう の若 わか き日 ひ の塚田 つかだ 泰明 やすあき 九 きゅう 段 だん が得意 とくい にしていた形 かたち でもあった。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 角 かく 二 に 歩 ふ 金 きむ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 銀 ぎん 歩 ふ 四 よん 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 玉 たま 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 金 きむ 角 かく 二 に 歩 ふ 桂 かつら 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 七 なな 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 角 かく 玉 たま 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
中原 なかはら 流 りゅう 急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら はその名 な の通 とお り、中原 なかはら 誠 まこと 十 じゅう 六 ろく 世 せい 名人 めいじん が得意 とくい にした急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら 。2枚 まい 銀 ぎん を前線 ぜんせん に繰 く り出 だ し、△6三 さん 金 きん と、守備 しゅび 金 きん までもが攻 せ めに参加 さんか する形 かたち は、重厚 じゅうこう な中原 なかはら の棋風 きふう にマッチした。鋭 するど く攻 せ めて一気 いっき に攻略 こうりゃく を目指 めざ すというよりも、金銀 きんぎん の圧力 あつりょく で押 お さえ込 こ みをも視野 しや に入 い れた、手厚 てあつ い急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら である。ただし、金銀 きんぎん の厚 あつ みが強力 きょうりょく な半面 はんめん 、見 み た目 め 通 どお りに玉 たま 形 がた がとても薄 うす いので、反撃 はんげき されるともろいのが泣 な きどころであり、中原 なかはら だからこそ指 さ しこなせた、難易 なんい 度 ど の高 たか い戦法 せんぽう でもある。
一口 ひとくち に急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら とはいっても数 かず はかなり多 おお いが、その中 なか でもプロのタイトル戦 せん でも多 おお く現 あらわ れた代表 だいひょう 的 てき な急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら としては、昭和 しょうわ の時代 じだい に米長 よねなが 邦雄 くにお 永世 えいせい 棋聖 きせい が得意 とくい とした米長 よねなが 流 りゅう 急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら がある。現在 げんざい もまれに指 さ される形 かたち である。米 べい 長流 ちょうりゅう 急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら は、矢倉 やくら 囲 がこ いを目指 めざ して△4四 よん 歩 ほ と突 つ かずに、△4四 よん 銀 ぎん と銀 ぎん を繰 く り出 だ し積極 せっきょく 的 てき に打 う って出 で るのが主眼 しゅがん の一 いち 手 て 。その後 ご は、中央 ちゅうおう に戦力 せんりょく を集 あつ めて突破 とっぱ を狙 ねら うのが基本 きほん 戦略 せんりゃく である。図 ず 2-6から△5五 ご 歩 ほ ▲同 どう 歩 ふ △6五 ご 歩 ほ と攻 せ めていく。後手 ごて は飛車 ひしゃ と角 かく 以外 いがい に2枚 まい の銀 ぎん と桂 かつら の5枚 まい で攻 せ め掛 か かるため、非常 ひじょう に破壊 はかい 力 りょく がある。ただし、急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら の弱点 じゃくてん である玉 たま の薄 うす さを抱 かか えているため、カウンターには気 き をつけるところがある。
第 だい 24期 き 十 じゅう 段 だん 戦 せん 七 なな 番 ばん 勝負 しょうぶ で米長 よねなが 邦雄 くにお 十 じゅう 段 だん は、中原 なかはら 誠 まこと との防衛 ぼうえい 戦 せん で、第 だい 6局 きょく と第 だい 7局 きょく (1986年 ねん 1月 がつ )に米長 よねなが 流 りゅう 急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら を連投 れんとう し、フルセットの末 すえ に中原 なかはら の挑戦 ちょうせん を退 しりぞ け、戦法 せんぽう の優秀 ゆうしゅう 性 せい が注目 ちゅうもく されるようになった。
米長 よねなが 流 りゅう の考 かんが え方 かた は時代 じだい を超 こ えた現在 げんざい でも受 う け継 つ がれており、藤森 ふじもり 哲也 てつや が工夫 くふう を加 くわ えた藤森 ふじもり 流 りゅう 急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら は、米長 よねなが 流 りゅう の進化 しんか 版 ばん として知 し られる。2筋 すじ の歩 ふ 交換 こうかん 後 ご に△1四 よん 歩 ほ ▲2六 ろく 角 かく と追 お い、角 かく の引 び き場所 ばしょ を限定 げんてい させてから、さらに後手 ごて は仕掛 しか けたあとに飛車 ひしゃ を8三 さん に引 ひ くのが基本形 きほんけい 。将来 しょうらい の7一角 いっかく 成 なり を緩 なる 手 しゅ にして、飛車 ひしゃ の横 よこ 利 き きを受 う けに利 き かしているのが新 しん 工夫 くふう である。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 金 きむ 金 きむ 角 かく 二 に 歩 ふ 飛 ひ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 四 よん 桂 かつら 五 ご 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 角 かく 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 金 きむ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 玉 たま 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 金 きむ 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 銀 ぎん 金 きむ 角 かく 二 に 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 角 かく 金 きむ 銀 ぎん 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 玉 たま 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
矢倉 やくら 中 ちゅう 飛車 ひしゃ は、相手 あいて の矢倉 やぐら 模様 もよう に際 さい して飛車 ひしゃ を中央 ちゅうおう に配置 はいち し、角 かく をそのままにそこから△5五 ご 歩 ほ と歩 ふ 交換 こうかん から、△5一 いち 飛 ひ と引 ひ いて、△5四 よん 銀 ぎん -7三 さん 桂 かつら と構 かま え、6二 に 金 きん もしくは5二 に 金 きん -6一 いち 飛 ひ と、攻撃 こうげき 形 がた を築 きず いていく。
急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら は濃密 のうみつ な相 あい 矢倉 やぐら の戦 たたか いほど表 おもて 舞台 ぶたい には現 あらわ れてこなかったが、タイトル戦 せん の佳境 かきょう で採用 さいよう されるなど、棋界 きかい に大 おお きなインパクトを残 のこ してきた。
ちなみに矢倉 やぐら 中 ちゅう 飛車 ひしゃ と似 に た言葉 ことば で、矢倉 やぐら 流 りゅう 中 ちゅう 飛車 ひしゃ という戦法 せんぽう も存在 そんざい するが、これは急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら ではない。矢倉 やくら 規 ただし 広 ひろ が得意 とくい とする中 なか 飛車 ひしゃ 戦法 せんぽう のひとつなので、まったく違 ちが う戦法 せんぽう である。
△5三 さん 銀 ぎん 右 みぎ 急戦 きゅうせん は、機 き を見 み て△5五 ご 歩 ほ ▲同 どう 歩 ふ △同 どう 角 かく と動 うご いていく。以下 いか ▲7九 きゅう 角 かく なら△7三 さん 角 かく ▲4六 ろく 角 かく △6四 よん 銀 ぎん ▲7五 ご 歩 ほ △8四 よん 飛 ひ から激 はげ しい流 なが れとなる。△5五 ご 同 どう 角 かく のところで▲2五 ご 歩 ほ なら△3二 に 銀 ぎん と受 う けて、これは比較的 ひかくてき ゆっくりした展開 てんかい となる。一時期 いちじき は流行 りゅうこう した戦型 せんけい であるが、現在 げんざい は矢倉 やぐら の出 で だしが変 か わったため、見 み なくなってしまった戦型 せんけい のひとつである。
△5三 さん 銀 ぎん 右 みぎ 急戦 きゅうせん の系譜 けいふ にある阿久津 あくつ 流 りゅう 急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら (中原 なかはら 式 しき 、郷田 ごうだ 式 しき 、渡辺 わたなべ 式 しき とも)は、阿久津 あくつ 主税 ちから が一時期 いちじき に多 た 投 とう して、高 たか い勝率 しょうりつ を挙 あ げたことからその名 な がついた。△5三 さん 銀 ぎん 右 みぎ 型 がた から、△5五 ご 歩 ほ ▲同 どう 歩 ふ △同 どう 角 かく と中央 ちゅうおう に飛 と び出 だ し、理想 りそう 形 がた を狙 ねら う。その後 ご △5四 よん 銀 ぎん の好 こう 形 かたち から、△6五 ご 歩 ほ と仕掛 しか けるのが狙 ねら い筋 すじ のひとつであるが、角 かく は展開 てんかい に応 おう じて、△2二 に 角 かく か△7三 さん 角 かく と引 ひ いて戦 たたか うことが多 おお い。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 金 きむ 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 銀 ぎん 金 きむ 角 かく 二 に 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 角 かく 金 きむ 銀 ぎん 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 玉 たま 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 金 きむ 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 銀 ぎん 金 きむ 二 に 歩 ふ 角 かく 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 飛 ひ 銀 ぎん 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 角 かく 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 金 きむ 銀 ぎん 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 玉 たま 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
阿久津 あくつ 流 りゅう 急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら が大 おお きな注目 ちゅうもく を浴 あ びたのは、勝者 しょうしゃ に初代 しょだい 永世 えいせい 竜王 りゅうおう の称号 しょうごう が懸 か かった、2008年 ねん の第 だい 21期 き 竜王 りゅうおう 戦 せん 七 なな 番 ばん 勝負 しょうぶ で、渡辺 わたなべ 明 あきら 竜王 りゅうおう が羽生 はぶ 善治 よしはる 名人 めいじん の挑戦 ちょうせん を受 う け、第 だい 6局 きょく 、第 だい 7局 きょく に連投 れんとう したことである。第 だい 6局 きょく では既存 きそん の定跡 じょうせき の△5五 ご 歩 ほ ではなく、△3一 いち 玉 たま の新手 あらて を出 だ して、短 たん 手数 てかず で快勝 かいしょう した。渡辺 わたなべ は第 だい 7局 きょく にも勝 か ち防衛 ぼうえい に成功 せいこう 、初 はつ の永世 えいせい 竜王 りゅうおう の称号 しょうごう の資格 しかく を得 え たばかりか、史上 しじょう 初 はつ のタイトル戦 せん 3連敗 れんぱい から4連勝 れんしょう の離 はな れ技 わざ を見 み せた。
急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら の主役 しゅやく の駒 こま をひとつ挙 あ げるとするならば、斬 き り込 こ み隊長 たいちょう の銀 ぎん の活躍 かつやく が必要 ひつよう 不可欠 ふかけつ で、時 とき に盤上 ばんじょう では、個性 こせい 的 てき な動 うご きを見 み せて翻弄 ほんろう することもあるが、ユーモラスなネーミングのカニカニ銀 ぎん (主 おも に先手 せんて 番 ばん の指 さ し方 かた 。5手 て 目 め に▲7七 なな 銀 ぎん とする)は、イメージとはうら腹 はら に一 いち 撃 げき 必殺 ひっさつ の破壊 はかい 力 りょく を持 も っている。居 きょ 玉 だま のまま強力 きょうりょく な2枚 まい のハサミ(銀将 ぎんしょう )で、中央 ちゅうおう 突破 とっぱ が決 き まれば痛快 つうかい な勝 か ち方 かた が味 あじ わえる。
屋敷 やしき 流 りゅう 忍者 にんじゃ 銀 ぎん は、屋敷 やしき 伸之 のぶゆき 九 きゅう 段 だん が得意 とくい にしている急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら である。2つの銀 ぎん で6六 ろく 、4六 ろく に繰 く り出 だ すさまは、カニカニ銀 ぎん にも似 に ているが、中央 ちゅうおう 突破 とっぱ を狙 ねら うばかりではなく、3五 ご 歩 ほ と3筋 すじ への仕掛 しか けもあり、手広 てびろ い攻 せ め筋 すじ で揺 ゆ さぶることが可能 かのう である。図 ず 2-10の▲3五 ご 歩 ほ 以下 いか 、△同 どう 歩 ふ ▲同 どう 銀 ぎん △4二 に 角 かく ▲7九 きゅう 角 かく △3四 よん 歩 ほ ▲2四 よん 歩 ほ △同 どう 歩 ふ ▲同 どう 銀 ぎん △同 どう 銀 ぎん ▲同 どう 角 かく △同 どう 角 かく ▲同 どう 飛 ひ △2三 さん 歩 ほ ▲2八 はち 飛 ひ と交換 こうかん が実現 じつげん すれば先手 せんて 十分 じゅうぶん である。若 わか き日 ひ の屋敷 やしき は、その変幻 へんげん 自在 じざい の棋風 きふう から、お化 ば け屋敷 やしき や忍者 にんじゃ 屋敷 やしき の異名 いみょう もとったが、忍者 にんじゃ 銀 ぎん は2枚 まい 銀 ぎん の神出鬼没 しんしゅつきぼつ の動 うご きから、その名 な がついたという。
これまで紹介 しょうかい した急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら は2010年代 ねんだい 後半 こうはん からは下火 したび になっているが、2020年代 ねんだい になっても急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら で高 たか い評価 ひょうか を受 う けているのが、対 たい 矢倉 やぐら 左 ひだり 美濃 みの 急戦 きゅうせん である。玉 たま の囲 がこ いを一目散 いちもくさん に左 ひだり 美濃 みの に囲 かこ い、先手 せんて に飛車 ひしゃ 先 さき の歩 ふ を切 き らせてもかまわく、6筋 すじ 、7筋 すじ 、8筋 すじ から強力 きょうりょく な攻 せ めで、先手 せんて 陣 じん を攻略 こうりゃく する。図 ず 2-11から▲6九 きゅう 玉 たま なら、△6五 ご 歩 ほ ▲同 どう 歩 ふ △7五 ご 歩 ほ と仕掛 しか けて十分 じゅうぶん となる。同 どう 戦法 せんぽう は、角 かく 換 が わり△4二 に 玉 たま -6二 に 金 きん -8一 いち 飛型 ひけい とともに2010年代 ねんだい 後半 こうはん から大 だい 流行 りゅうこう になり、パイオニアの千田 せんだ 翔太 しょうた は、升田 ますだ 幸三 こうぞう 賞 しょう を受賞 じゅしょう している。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 桂 かつら 王 おう 角 かく 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 銀 ぎん 金 きむ 二 に 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 金 きむ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 銀 ぎん 歩 ふ 銀 ぎん 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 角 かく 金 きむ 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 玉 たま 金 きむ 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 こう 金 きむ 王 おう 桂 かつら 香 こう 一 いち 飛 ひ 金 きむ 銀 ぎん 角 かく 二 に 歩 ふ 桂 かつら 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 三 さん 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 金 きむ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 角 かく 金 きむ 銀 ぎん 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 玉 たま 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら は先手 せんて が五 ご 手 て 目 め に6六 ろく 歩 ほ とするか、7七 なな 銀 ぎん とするかで成立 せいりつ する急戦 きゅうせん は異 こと なり、例 たと えば居 きょ 玉 だま 棒 ぼう 銀 ぎん や右 みぎ 四 よん 間 あいだ 飛車 ひしゃ は6六 ろく 歩 ほ 型 がた に、矢倉 やくら 中 ちゅう 飛車 ひしゃ や阿久津 あくつ 流 りゅう 急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら は7七 なな 銀 ぎん 型 がた に対 たい して用 もち いられる。米 べい 長流 ちょうりゅう 急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら のようにどちらでも成立 せいりつ する急戦 きゅうせん もある。
近年 きんねん 矢倉 やぐら 崩 くず しの6三銀型対矢倉左美濃急戦により、△7三 さん 桂 かつら から△6五 ご 歩 ほ が台頭 たいとう し抵抗 ていこう 、▲7六 ろく 歩 ほ △8四 よん 歩 ほ ▲6八 はち 銀 ぎん △3四 よん 歩 ほ に対 たい し、5手 て 目 め は長 なが らく▲6六 ろく 歩 ほ が主流 しゅりゅう だったのが、この手 て を激減 げきげん させたのである。バリエーションはいくつかあるが、代表 だいひょう 的 てき なのが図 ず 2-11の構 かま えである。後手 ごて は角 かく を2二 に においたままで仕掛 しか ける。すると飛車 ひしゃ 、角 すみ 、銀 ぎん 、桂 かつら と4枚 まい の攻 せ めで理想 りそう 的 てき である。以下 いか ▲7五 ご 同 どう 歩 ふ なら△8六 ろく 歩 ほ ▲同 どう 歩 ふ △6五 ご 桂 かつら が腰 こし の入 はい った攻 せ めで、先手 せんて は受 う けきるのが困難 こんなん である。また後手 ごて の低 ひく い左 ひだり 美濃 みの 陣形 じんけい は堅 かた く、チャンスがあれば飛車 ひしゃ を切 き って攻 せ めることもできる。場合 ばあい によっては△8四 よん 飛 ひ と浮 う いたり、△6二 に 金 きん の形 かたち もある。
この作戦 さくせん が非常 ひじょう に優秀 ゆうしゅう とわかったため、先手 せんて の対策 たいさく としては2020年 ねん 以降 いこう は矢倉 やぐら を目指 めざ すときにまた5手 て 目 め は▲7七 なな 銀 ぎん と上 あ がることが増 ふ えていった。▲6六 ろく 歩 ほ さえ突 つ かなければ△6五 ご 歩 ほ の仕掛 しか けがないため、左 ひだり 美濃 みの 急戦 きゅうせん も効果 こうか 半減 はんげん となるからである。初手 しょて から▲7六 ろく 歩 ほ △8四 よん 歩 ほ ▲6八 はち 銀 ぎん △3四 よん 歩 ほ ▲7七 なな 銀 ぎん とすれば後手 ごて は6筋 すじ を争点 そうてん にしにくく、6三 さん 銀 ぎん 型 がた の急戦 きゅうせん 策 さく を牽制 けんせい できる。したがって今度 こんど は第 だい 64期 き 王座 おうざ 戦 せん 五 ご 番 ばん 勝負 しょうぶ 第 だい 3局 きょく ▲羽生 はぶ 善治 よしはる 王座 おうざ -△糸谷 いとたに 哲郎 てつろう 八 はち 段 だん 戦 せん のように、角 すみ 道 みち オープンの状態 じょうたい で△5三 さん 銀 ぎん 右 みぎ から△5五 ご 歩 ほ と中央 ちゅうおう を狙 ねら っていく指 さ し方 かた 、第 だい 75期 き 順位 じゅんい 戦 せん A級 きゅう ▲森内 もりうち 俊之 としゆき 九段 くだん -△行方 ゆくえ 尚史 ひさし 八 はち 段 だん 戦 せん のように6二 に 銀 ぎん のまま△5五 ご 歩 ほ と突 つ っかけている順 じゅん が出現 しゅつげん した。
先手 せんて が5手 て 目 め に▲6六 ろく 歩 ほ から矢倉 やぐら を目指 めざ した場合 ばあい 、後手 ごて が5筋 すじ から動 うご こうとすると途中 とちゅう で△8五 ご 歩 ほ ▲7七 なな 銀 ぎん の交換 こうかん を入 い れることになり、5手 て 目 め に▲7七 なな 銀 ぎん から矢倉 やぐら を目指 めざ すと、後手 ごて は8四 よん 歩 ほ のままで中央 ちゅうおう から動 うご くことができる。
過去 かこ 、有力 ゆうりょく な急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら 戦法 せんぽう を開発 かいはつ した棋士 きし が好成績 こうせいせき を挙 あ げることも多 おお く、升田 ますだ 幸三 こうぞう の雀 すずめ 刺 ざ し や升田 ますだ 流 りゅう 急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら 、米長 よねなが 邦雄 くにお の米長 よねなが 流 りゅう 急戦 きゅうせん 矢倉 やぐら 、谷川 たにがわ 浩司 こうじ の居 きょ 玉 だま 棒 ぼう 銀 ぎん などはタイトル獲得 かくとく にも結 むす びついている。(升田 ますだ は大山 おおやま 康晴 やすはる を破 やぶ って三 さん 冠 かん 、米長 よねなが は中原 なかはら 誠 まこと を破 やぶ って四 よん 冠 かん 、谷川 たにがわ は羽生 はぶ 善治 よしはる を破 やぶ って永世 えいせい 名人 めいじん になっている。)
相 あい 振 ふ り飛車 ひしゃ の矢倉 やぐら 囲 がこ い[ 編集 へんしゅう ]
相 あい 振 ふ り飛車 ひしゃ では、矢倉 やぐら の他 ほか に金 きむ 無双 むそう 、美濃 みの 囲 がこ い 、穴熊 あなぐま 囲 がこ い が用 もち いられるが、それらに比 くら べて上部 じょうぶ が手厚 てあつ いのが長所 ちょうしょ で、相 あい 振 ふ り飛車 ひしゃ でよく見 み られる浮 うわ き飛車 ひしゃ に対 たい して、金銀 きんぎん で圧力 あつりょく を加 くわ えることが出来 でき る。しかし、引 ひ き飛車 ひしゃ の四 よん 間 あいだ 飛車 ひしゃ や四手 よつで 角 かく など、盛 も り上 あ がった形 かたち をとがめる作戦 さくせん もあるため注意 ちゅうい が必要 ひつよう とされている。
対 たい 振 ふ り飛車 ひしゃ の矢倉 やぐら 囲 がこ い[ 編集 へんしゅう ]
9 8 7 6 5 4 3 2 1 王 おう 桂 かつら 金 きむ 香 こう 一 いち 香 こう 銀 ぎん 金 きむ 二 に 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 銀 ぎん 桂 かつら 歩 ふ 角 かく 三 さん 歩 ふ 飛 ひ 歩 ふ 四 よん 歩 ふ 歩 ふ 五 ご 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 歩 ふ 六 ろく 銀 ぎん 金 きむ 銀 ぎん 歩 ふ 歩 ふ 七 なな 玉 たま 金 きむ 角 かく 飛 ひ 八 はち 香 こう 桂 かつら 桂 かつら 香 こう 九 きゅう
上記 じょうき の囲 がこ いの種類 しゅるい のうち、銀 ぎん 立 だ ち矢倉 やぐら は玉 たま 頭 あたま 位取 くらいど り に用 もち いられている。
もとは矢倉 やくら 囲 がこ いは横 よこ からの攻 せ めに弱 よわ くまた振 ふ り飛車 ひしゃ の角 かく 筋 すじ に玉 たま が入 はい ってくるため、通常 つうじょう は対 たい 振 ふ り飛車 ひしゃ 戦 せん には用 もち いられない。ただし近年 きんねん の角 かく 交換 こうかん 振 ぶ り飛車 ひしゃ などにはたまに用 もち いられる。これは角 かく 交換 こうかん の関係 かんけい で左 ひだり 銀 ぎん が壁 かべ 銀 ぎん などになることがあり、解消 かいしょう するために▲7七 なな (△3三 さん )に銀 ぎん が上 あ がることも多 おお く、矢倉 やぐら であるとスムーズに組 く みあげられることが背景 はいけい にある。
通常 つうじょう の振 ふ り飛車 ひしゃ においても以前 いぜん からしばしばみられた。例 たと えば図 ず 3-1は1991年 ねん 6月 がつ 全日本 ぜんにほん プロトーナメント、先手 せんて 大山 おおやま 康晴 やすはる vs.後手 ごて 伊藤 いとう 果 はて の一 いち 局 きょく 。なお先手 せんて の布陣 ふじん は実 じつ は左 ひだり 美濃 みの から矢倉 やぐら に組 く み替 か えたもの。また4六 ろく 金 きん 戦法 せんぽう で相手 あいて が△3二 に 飛型 ひけい ではなく3二 に 金 きん 型 がた のツノ銀 ぎん 中 ちゅう 飛車 ひしゃ を志向 しこう した場合 ばあい 、陣形 じんけい を銀 ぎん 矢倉 やぐら に組 く みかえる指 さ し方 かた も知 し られている。
「矢倉 やぐら は終 お わった」 [ 編集 へんしゅう ]
2017年 ねん 5月 、増田 ますだ 康宏 やすひろ 六 ろく 段 だん の「矢倉 やぐら は終 お わった」発言 はつげん が非常 ひじょう に話題 わだい となった[26] [27] [28] 。
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^ 米長 よねなが 邦雄 くにお 二 に 冠 かん (当時 とうじ )が「矢倉 やぐら は将棋 しょうぎ の純文学 じゅんぶんがく である」の真意 しんい を語 かた る | 将棋 しょうぎ ペンクラブログ
^ “矢倉 やぐら は将棋 しょうぎ の純文学 じゅんぶんがく !相 あい 居 きょ 飛車 ひしゃ で人気 にんき の戦法 せんぽう 「矢倉 やぐら 」の基本 きほん を学 まな ぼう【はじめての戦法 せんぽう 入門 にゅうもん -第 だい 18回 かい 】 ”. 日本 にっぽん 将棋 しょうぎ 連盟 れんめい . 2022年 ねん 11月17日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 松原 まつばら 仁 ひとし , 滝沢 たきざわ 武信 たけのぶ 「コンピュータ将棋 しょうぎ はどのようにしてアマ4段 だん まで強 つよ くなったか (<特集 とくしゅう >「エンターテイメントとAI」) 」『人工 じんこう 知能 ちのう 』第 だい 16巻 かん 第 だい 3号 ごう 、人工 じんこう 知能 ちのう 学会 がっかい 、2001年 ねん 5月 がつ 、379-384頁 ぺーじ 、CRID 1390848647556186112 、doi :10.11517/jjsai.16.3_379 、ISSN 09128085 。
^ 将棋 しょうぎ とTCGとそれから… | 東京工業大学 とうきょうこうぎょうだいがく デジタル創作 そうさく 同好 どうこう 会 かい traP
^ 驚愕 きょうがく 必至 ひっし !増田 ますだ 康宏 やすひろ 四 よん 段 だん インタビュー 島田 しまだ 修 おさむ 二 に 2017年 ねん 5月 がつ 16日 にち 2022年 ねん 4月 がつ 22日 にち 閲覧 えつらん
^ 2019年度 ねんど に復活 ふっかつ を遂 と げた先手 せんて 矢倉 やぐら 徹底 てってい した急戦 きゅうせん 封 ふう じが功 こう を奏 そう す 将棋 しょうぎ 情報 じょうほう 局 きょく 編集 へんしゅう 部 ぶ 2020年 ねん 5月 がつ 28日 にち 2022年 ねん 1月 がつ 31日 にち 閲覧 えつらん
^ 本因坊 ほんいんぼう 算 さん 砂 すな の人物 じんぶつ 像 ぞう と囲碁 いご 将棋 しょうぎ 界 かい への技術 ぎじゅつ 的 てき 功績 こうせき を再検 さいけん 証 しょう する ─囲碁 いご 将棋 しょうぎ 界 かい の基礎 きそ を築 きず いた400年 ねん 前 まえ の伝説 でんせつ の棋士 きし ─ - 古作 こさく 登 のぼる
^ https://shogidb2.com/games/b384b155b7279789a8be453c857fda0640f09260
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^ “米長 よねなが 邦雄 くにお vs. 中原 なかはら 誠 まこと 名人 めいじん 戦 せん ”. 将棋 しょうぎ DB2 . 2017年 ねん 10月 がつ 26日 にち 閲覧 えつらん 。
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^ “「矢倉 やぐら は本当 ほんとう に終 お わったの?」藤井 ふじい 聡 さとし 太 たい 七 なな 段 だん や増田 ますだ 康宏 やすひろ 六 ろく 段 だん らが矢倉 やぐら について語 かた る【将棋 しょうぎ 世界 せかい 2019年 ねん 4月 がつ 号 ごう のご紹介 しょうかい 】 ”. 日本 にっぽん 将棋 しょうぎ 連盟 れんめい . 2023年 ねん 5月 がつ 29日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “「矢倉 やぐら は終 お わった」は終 お わった“矢倉 やぐら の大家 たいか ”森内 もりうち 俊之 としゆき 九 きゅう 段 だん と“元 もと ・否定 ひてい 派 は ”増田 ますだ 康宏 やすひろ 六 ろく 段 だん のトークがおもしろい ”. ABEMAニュース. 2023年 ねん 5月 がつ 29日 にち 閲覧 えつらん 。