米長よねながりゅう急戦きゅうせん矢倉やぐら

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987654321 
こう    おう かつらこういち
  ぎんきむぎんきむかく 
 かつら   さん
     よん
       
      ろく
ぎんきむ  なな
  きむ  ぎん  はち
こうかつらかくたま   かつらこうきゅう

米長よねながりゅう急戦きゅうせん矢倉やぐら(よねながりゅうきゅうせんやぐら)は、将棋しょうぎ戦法せんぽうひとつ。矢倉やぐらせんにおける後手ごてばん有力ゆうりょく戦法せんぽうであり、急戦きゅうせん矢倉やぐらひとつとして、1980年代ねんだい中盤ちゅうばんプロあいだおおされた。米長よねなが邦雄くにお永世えいせい棋聖きせい創案そうあんし、このんでしたことからこのいた。

概要がいよう[編集へんしゅう]

急戦きゅうせん矢倉やぐらには升田ますだりゅう急戦きゅうせん矢倉やぐら矢倉やくらちゅう飛車ひしゃなどがある。そのなかでもカニがこみ、矢倉やくらがこつくっている最中さいちゅう敵陣てきじん一気いっき急襲きゅうしゅうする戦法せんぽうでもとは富沢とみざわ幹雄みきおなどがこのんでしていた。米長よねながはじめてからとく米長よねながりゅうばれていく。

矢倉やぐらいち分野ぶんやであるはやかこは、米長よねながりゅう対処たいしょしきれず、一時期いちじきすたれていった。

1980年代ねんだい飛車ひしゃさき矢倉やぐら登場とうじょうにより、従来じゅうらいよりさらになることがおおかった矢倉やくら後手ごてばんにおいて、みずか積極せっきょくてきめて主導しゅどうけんにぎるこの戦法せんぽう出現しゅつげんは、矢倉やくら後手ごてばんあたまなやませていたおおくの棋士きしにとって福音ふくいんとなり、たちまちきな棋士きしあいだ流行りゅうこうすることとなった。奨励しょうれいかい時代じだい佐藤さとう康光やすみつ北浜きたはま健介けんすけも、この戦法せんぽうおおくの白星しろぼしかせいだ。

米長よねなが自身じしんもこの戦法せんぽうもちいて中原なかはらまことからじゅうだん奪取だっしゅし、当時とうじ史上しじょう3にんとなるよんかんおうかがやいた[2]

米長よねながりゅう急戦きゅうせん矢倉やぐらたたか[編集へんしゅう]

後手ごて矢倉やぐらまず、かくすじとおしたまま△6よんとっき△7さんかつらね、6すじ戦力せんりょく集中しゅうちゅうして先攻せんこうする(掲載けいさい図表ずひょうから△6典型てんけいてきれい)。6すじをこじあけて9きゅう香車きょうしゃりながらうまつくるのがねらいのひとつである[3]。また、先手せんてが4ろくかくどうめると後手ごてからの急戦きゅうせんむずかしくなり、先手せんては4ななぎん3ななかつら後手ごても6さんぎん7さんかつら先後せんご同型どうけい矢倉やぐら派生はせいする。その場合ばあい端歩はしふはどうするのか、たま矢倉やぐら入場にゅうじょうするのか、どちらから先攻せんこうするのか、などのきがしょうじる。これらはいまだに未解決みかいけつである。

そのべい長流ちょうりゅう[編集へんしゅう]

ごま なし
987654321 
こうかつら   おうかくかつらこういち
  ぎん  きむ  
   きむぎんさん
     よん
       
     ろく
 ぎんぎんかつら なな
 かくきむ     はち
こうかつら たま きむ  こうきゅう

しかしその研究けんきゅうすすんだことと(はやめに先手せんてが▲7きゅうかくくのが有効ゆうこうであることがかった)、矢倉やくら後手ごてばんにおける急戦きゅうせん宿命しゅくめいであるたまうすさがきらわれ、プロあいだされることはほとんどなくなった。その一方いっぽうで、先手せんてばんにおける急戦きゅうせん矢倉やぐらとして、後手ごてばん無理矢理むりやり矢倉やぐらへの対抗たいこうさくの1つとしてのこっており、1995ねんころには時折ときおりされていた。

2003ねん時点じてんにおいては、後手ごてばんすのは田丸たまるのぼるくらいになってしまった、とされた[4]が、のちに藤井ふじいたけし考案こうあんした藤井ふじいりゅうはやかこへの対策たいさくとして応用おうようされている。

2011ねんにプロになった藤森ふじもり哲也てつやは、さんだんリーグ時代じだいから、ひだりぎん中央ちゅうおうしていくべい長流ちょうりゅう採用さいようして、やがて棋士きしもさすようになる。先手せんて最善さいぜん対抗たいこうさくとされた▲3ななぎん~▲1かくたいしては、後手ごて飛車ひしゃさき交換こうかんから△8さんかたち採用さいようしてみずから「藤森ふじもりりゅう」とした。藤森ふじもりは2014ねんには著書ちょしょ藤森ふじもりりゅう急戦きゅうせん矢倉やぐら』を刊行かんこうし、2019ねんには囲碁いご将棋しょうぎチャンネル番組ばんぐみ将棋しょうぎ連盟れんめいえら注目ちゅうもくいちきょく」で、藤森ふじもりりゅうの「急戦きゅうせん矢倉やぐら」の解説かいせつをおこなった。藤森ふじもりりゅう場合ばあい先手せんてがわ採用さいようされる場合ばあいもある。

2010年代ねんだい後半こうはんべい長流ちょうりゅう急戦きゅうせん矢倉やぐらは、先手せんて矢倉やぐら対策たいさくとしての後手ごてきょかくひだり美濃みの急戦きゅうせんふうじる目的もくてきで、後手ごてに3さんぎんけさせるためにした2かつかせる戦型せんけいとして活用かつようされた[5]具体ぐたいてきには、のように6ろくぎんを▲5ななぎんいてかくどうとおして急戦きゅうせんねら手筋てすじあらわれる。代表だいひょうきょくとして、2018ねん8がつ竜王りゅうおうせん挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせんだいいちきょく深浦ふかうらやすしvs広瀬ひろせ章人あきひとせんがあり、の5ななぎん以下いかは△6▲4どうどうかつら△4よんぎん▲3すすむ。これを△どうならば▲2よんで、△どうは▲どうから4よんと2いちなりねらいがしょうじる。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ えた戦法せんぽうなぞ』p.29より引用いんよう
  2. ^ えた戦法せんぽうなぞ』p.29 - p.31
  3. ^ 将棋しょうぎ基本きほん戦法せんぽう きょ飛車ひしゃへん』p.20
  4. ^ えた戦法せんぽうなぞ』p.42、p228
  5. ^ 2019年度ねんど復活ふっかつげた先手せんて矢倉やくら 徹底てっていした急戦きゅうせんふうじがこうそう 将棋しょうぎ情報じょうほうきょく編集へんしゅう 2020ねん5がつ28にち 2022ねん5がつ12にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]