藤井ふじいシステム

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ごま
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藤井ふじいシステム(ふじいシステム)は、将棋しょうぎ戦法せんぽうひとつ。よんあいだ飛車ひしゃ一種いっしゅである。プロ棋士きし藤井ふじいたけし考案こうあんした[ちゅう 1]。これにより藤井ふじいは1997ねん将棋しょうぎ大賞たいしょう升田ますだ幸三こうぞうしょう受賞じゅしょう[1]。また、さんあいだ飛車ひしゃにも応用おうようすることができる。

概要がいよう[編集へんしゅう]

藤井ふじいたけし考案こうあんしたよんあいだ飛車ひしゃ戦法せんぽうである。とくきょ飛車ひしゃ穴熊あなぐま対策たいさくとしての藤井ふじいシステムは非常ひじょう注目ちゅうもくされ、藤井ふじい自身じしん第一人者だいいちにんしゃとして活躍かつやくした。

将棋しょうぎ世界せかい』2007ねん9がつごう企画きかく現役げんえき棋士きしえら衝撃しょうげき新手あらてしん戦法せんぽうベスト10!」でだい1となる。獲得かくとく票数ひょうすう圧倒あっとうしており、投票とうひょう総数そうすうの45%がこの戦法せんぽう投票とうひょうしている[ちゅう 2][2]

後述こうじゅつのようにひだり美濃みの対策たいさく藤井ふじいシステムと穴熊あなぐま対策たいさく藤井ふじいシステムとがある。後者こうしゃ特徴とくちょうは、相手あいて穴熊あなぐま目指めざせばそのまえたたかいを仕掛しかけ、穴熊あなぐま放棄ほうきして急戦きゅうせんとなったときはがこいのかたさで優位ゆういてることである。特定とくていこまうごきというよりは自陣じじん全体ぜんたい攻守こうしゅこまみに特徴とくちょうがあり(「戦法せんぽう」ではなく)「システム」とばれる由縁ゆえんでもある。

従来じゅうらいきょ飛車ひしゃがわ作戦さくせんとして持久じきゅうせん選択せんたくするさい5すじ位取くらいどたまあたま位取くらいどまたはふねがこから矢倉やくらがこなどへの発展はってんけいがこいを選択せんたくすることになり、とくよこからのいにはもろさがあった。しかしひだり美濃みのきょ飛車ひしゃ穴熊あなぐま発達はったつにより、きょ飛車ひしゃ飛車ひしゃ同等どうとうかそれ以上いじょうたまかたさをれたため、飛車ひしゃ勝率しょうりつ極端きょくたんがった。トップ棋士きしになるとこの傾向けいこう顕著けんちょで、羽生はぶ善治よしはる森内もりうち俊之としゆき佐藤さとう康光やすみつ渡辺わたなべあきらきょ飛車ひしゃ穴熊あなぐましたときの勝率しょうりつ先後せんごべつ)は、佐藤さとう後手ごてばんでの0.588をのぞいて7わり以上いじょうこう勝率しょうりつであり、羽生はぶ先後せんご合計ごうけいでの勝率しょうりつが9わりえていた[3]通常つうじょう先手せんてばん勝率しょうりつは5わりすこ程度ていどといわれている)。

そのため、ひだり美濃みのきょ飛車ひしゃ穴熊あなぐまたいしての対策たいさくちつつ、きょ飛車ひしゃ従来じゅうらいからあるみぎぎん急戦きゅうせんなどにもそなえた包括ほうかつてきかた必要ひつようとなった。藤井ふじいシステムにおいては、

  • ひだり美濃みのたいしては、理想りそうがたゆるさず、たまあたませんむのをねらう。
  • きょ飛車ひしゃ穴熊あなぐまたいしては、そもそも穴熊あなぐまませない、あるいはませるまえたたかいをこすのをねらう。穴熊あなぐまもうとする相手あいてきょだまのまま攻撃こうげきをしかけたり、飛車ひしゃからきょ飛車ひしゃもどしたり、あるいはすずめのようにはし勢力せいりょく集中しゅうちゅうさせるといったたたかかたふくむ。

小林こばやし健二けんじのスーパーよんあいだ飛車ひしゃ杉本すぎもと昌隆まさたか研究けんきゅうなども下敷したじきとなっている。たとえば、『将棋しょうぎ世界せかい』2014ねん11がつごう、「『ぼくはこうしてつよくなった』だい2かい藤井ふじいたけしきゅうだんまき」75~76ページで藤井ふじいはこうかたっている。「だい自分じぶんさんだん時代じだい杉本すぎもとさんの将棋しょうぎて、おもえがいた局面きょくめん。ここで▲2かつらんだらどうなるのか。平成へいせいねんがつ、それを銀河ぎんがせん神崎かんざきけんだん相手あいてためした。(中略ちゅうりゃくながれるような手順てじゅんすすんだだい先手せんて優勢ゆうせい。▲2かつらて、解説かいせつしゃ中村なかむらおさむきゅうだんが『ひぇーっ』とさけんだくらい。当時とうじとしては斬新ざんしん仕掛しかけだった。してみると実際じっさいにはむずかしいということもわかり、そのすことはなかったが、藤井ふじいシステムの原形げんけいとしておもれのあるいちきょくになった。」。

神崎かんざき ごま なし
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近藤こんどう ごま なし
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変遷へんせん[編集へんしゅう]

飛車ひしゃとう減少げんしょう[編集へんしゅう]

藤井ふじいシステムがひろられるようになるまえきょ飛車ひしゃがわたい飛車ひしゃせんにおいて急戦きゅうせん自信じしんがない場合ばあいひだり美濃みのきょ飛車ひしゃ穴熊あなぐまたまかたかこ戦法せんぽう有効ゆうこうとされていた。これらのがこいは飛車ひしゃがわ美濃みのがこかたさがおなじかそれ以上いじょうで、しかも持久じきゅうせん模様もようになるときょ飛車ひしゃがわからのみ仕掛しかけの権利けんりがあった。これにたいして飛車ひしゃがわ有力ゆうりょく対策たいさくがなく、飛車ひしゃ棋士きし減少げんしょうした。青野あおのあきらはこのころ状況じょうきょうを、森下もりしたたく言葉ことば引用いんようして「矢倉やぐら研究けんきゅういそがしいから、飛車ひしゃには穴熊あなぐまひだり美濃みの交互こうごにやってればいいんだ」と表現ひょうげんした[4]藤井ふじい自身じしんも「きょ飛車ひしゃとう矢倉やぐら研究けんきゅういそがしいので、飛車ひしゃにはひだり美濃みのきょ飛車ひしゃ穴熊あなぐま交互こうごにやっておけばいい、という言葉ことばがあったくらいだ」と当時とうじ回顧かいこ述懐じゅっかいしている。

飛車ひしゃよんあいだ飛車ひしゃとうであった藤井ふじい飛車ひしゃ穴熊あなぐまひだり美濃みのへの対応たいおうには苦慮くりょし、たいひだり美濃みのせんにおいて飛車ひしゃがわぎんかんむりせて、そのがこいの途中とちゅう(2ななぎん・3きゅうたま・4ななきん・4きゅうきん状態じょうたい)で飛車ひしゃ右翼うよくもどしてひだり美濃みのたまあたま殺到さっとうする構想こうそうためしたことがある(1995ねん全日本ぜんにほんプロ将棋しょうぎトーナメント(のちの朝日あさひオープン将棋しょうぎ選手権せんしゅけん)、藤井ふじいたけしたい行方なみかた尚史ひさしせん)。この将棋しょうぎ河口かわぐち俊彦としひこの『しん対局たいきょく日誌にっし』にげられており、藤井ふじいはこの構想こうそう林葉はやしば直子なおこしていたものだとしている[5]。これは藤井ふじいシステムが登場とうじょうするまえ将棋しょうぎであるが、ひだり美濃みのたまあたまめる構想こうそう共通きょうつうしている。

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参考さんこう局面きょくめん1はひだり美濃みのたいよんあいだ飛車ひしゃいち変化へんかで、初出しょしゅつは1993ねん10がつ1にちのJT将棋しょうぎはい 日本にっぽんシリーズ、先手せんて郷田ごうだしんたかしたい後手ごて羽生はぶ善治よしはるせんである。後手ごて羽生はぶの△7さんかつら-7いちたまがたに、先手せんて郷田ごうだが▲7仕掛しかけた有名ゆうめい局面きょくめん。△どうとさせてから▲2よんどうどうかくとし、以下いか手順てじゅんしめすと、△2▲3三角みすみしげる△2はちなり▲1いちうま△7よん▲7ろくどうどうぎん△7どうぎんどう▲7ろく△7よん▲7こうどうどう△2きゅうりゅう▲7よん△7かつら▲7ななたま△8ななぎん▲6はちたま△7はちぎんなりどうかね△8きゅうりゅう▲8さんぎん以下いか先手せんて郷田ごうだつ。長手ながてすうしめしても、一連いちれん手順てじゅんはほぼ変化へんか余地よちがないとされ、このいちきょくきょく検討けんとうでも、その研究けんきゅうでも、先手せんてちと結論けつろんづけられたというが「この結論けつろんくつがえさないかぎり、後手ごてばんひだり美濃みの相手あいてがない」と藤井ふじいかえっており、この将棋しょうぎみまで研究けんきゅうした結果けっか、1ねんの94ねん10がつ2にち新手あらてあらわした。棋聖きせいせん先手せんて室岡むろおか克彦かつひこたい藤井ふじいたけしせんで、藤井ふじい前記ぜんき手順てじゅんの△8きゅうりゅうえて研究けんきゅうしゅ△7ろくこうち(参考さんこう局面きょくめん2)、以下いか▲7ななかつら△6きゅうぎん▲7さんしげるどうぎん▲5うま△7▲7よんかつら△7はちぎんなり▲5ななたま△8さんきん以下いか後手ごて藤井ふじいっている。最後さいごの△8さんきん藤井ふじい研究けんきゅうしゅで、その局面きょくめん公式こうしきせんあらわれていない。

このいちきょくしまあきらきゅうだん当時とうじ将棋しょうぎ雑誌ざっしに「藤井ふじいくんよんあいだ飛車ひしゃ藤井ふじいシステムといえる」といた。藤井ふじいシステムという言葉ことばあらわれた瞬間しゅんかんとしてられる。その藤井ふじいシステムいちごうきょくとされる後述こうじゅつ藤井ふじいたけしたい井上いのうえ慶太けいたせん、95ねん12月22にち順位じゅんいせんBきゅう2くみにつづく。

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たいひだり美濃みの藤井ふじいシステム[編集へんしゅう]

前述ぜんじゅつのとおり本来ほんらい藤井ふじいシステムはひだり美濃みの対抗たいこうするための研究けんきゅうであった。ひだり美濃みのとく天守閣てんしゅかく美濃みのは、その特異とくいかたちから飛車ひしゃにとって攻略こうりゃくむずかしかった。

飛車ひしゃさき突破とっぱしたのちよこからめることになるが、飛車ひしゃがわたまいちだんにいるのにたいして、きょ飛車ひしゃがわたまさんだんにいるため、いになると手数てかずけることがおおい。そこで天守閣てんしゅかく美濃みの攻略こうりゃくにあたり、よこからではなく、弱点じゃくてんであるたまあたまねらったたてからのめをぜるようになった。

先手せんて場合ばあいたまを3きゅう配置はいちさせてから▲4として相手あいて理想りそうてきな4まいだか美濃みのませないようにし、▲2ろくからたまあたまねらってめる。ただし▲2ろくはやめてしまうと△5さんかくからねらわれるので、飛車ひしゃがわとしては周到しゅうとうさが必要ひつようである。たとえばしまあきらNHKはい後手ごて藤井ふじいシステムに▲5ななかくから強引ごういんこう美濃みのみ、かつらあたまねらって勝利しょうりしている。

飛車ひしゃがわとしてはみぎからよくあるかたちでは▲5ろくき、さんあいだ飛車ひしゃ転換てんかんしたのち▲6はちかくいて相手あいてたまあたまきを直通ちょくつうさせ、みぎかつらとともにめる。

このほかに7ななかくのままでたんに▲2どうどうかつらとする手段しゅだんじつきびしく、かくが3いちにいないとぎんを2けず(▲2よんがある)かくどうかよっているぶんきょ飛車ひしゃがわつね使つか展開てんかいになる。このじゅんでは先手せんて飛車ひしゃがわも4らずに後手ごてきょ飛車ひしゃがわに△4さんきんがたこう美濃みのませたほうが▲2どうどうかつら△2ぎんにそこで▲4どう▲4よんさいたりがちかくなってきびしい。

これは非常ひじょう完成かんせいされた戦法せんぽうであり、たいよんあいだ飛車ひしゃたかかまえるひだり美濃みの自体じたいプロ対局たいきょくではあまりられなくなっている。

たい穴熊あなぐま藤井ふじいシステム[編集へんしゅう]

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井上いのうえ慶太けいた ごま
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藤井ふじい相手あいて穴熊あなぐま模様もよう将棋しょうぎにおいて杉本すぎもとかたをヒントに前述ぜんじゅつの1992ねん銀河ぎんがせん神崎かんざきせんで、▲3きゅうたま-3はちぎんがたかまえて▲3ななかつらから2かつら、そして▲4かくきでめるかた披露ひろうしているが、こうした藤井ふじいシステムに類似るいじしたきょ飛車ひしゃ穴熊あなぐまたいする飛車ひしゃ仕掛しかけでは、羽生はぶ善治よしはるれいられる。1995ねん10がつ全日本ぜんにほんプロトーナメント、▲真田さなだ圭一けいいちたい羽生はぶせんで、後手ごて羽生はぶよんあいだ飛車ひしゃ△7いちたま-7ぎんがたから△7さんかつらかまえ、△4~6急戦きゅうせん仕掛しかけている。また、出雲いずも大社たいしゃおこなわれた 1995ねん11月の竜王りゅうおうせんだい3きょく、▲佐藤さとう康光やすみつたい羽生はぶせんでは前記ぜんき同様どうようの△7いちたま-7ぎんがたに△9さんかつら~8かつらで7ななかくをどかして戦端せんたんひらかたをみせている。

このほか藤井ふじい穴熊あなぐまたいしてシステムをまえに、久保くぼ利明としあき井上いのうえ慶太けいた相手あいて類似るいじ戦型せんけいいち週間しゅうかんまえしており、久保くぼ奨励しょうれいかい時代じだいに▲4はちたまがたで▲2かつらからのはしめを愛用あいようしていたという。

藤井ふじい穴熊あなぐま相手あいてはつ披露ひろうしたのは、1995ねん12月22にち順位じゅんいせんBきゅう2くみたい井上いのうえ慶太けいたせんであり、47たん手数てかず井上いのうえ投了とうりょうんだ(みぎ途中とちゅう[ちゅう 3]。このとき穴熊あなぐまはやくの▲3ななかつらがりから▲4かつらすじ警戒けいかいした△6ぎんがたで、この穴熊あなぐまについて藤井ふじい独自どくじ研究けんきゅうをしていた。

羽生はぶ善治よしはる ごま なし
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しかしすぐに有名ゆうめいになることはなく、1997年度ねんどNHKはいせん屋敷やしき伸之のぶゆき羽生はぶ善治よしはるたいして類似るいじかたちしたときは、羽生はぶたまのコビンをめられおもうように飛車ひしゃ穴熊あなぐまめずに長考ちょうこうし、解説かいせつ田中たなか寅彦とらひこもうなったが、ようやくした羽生はぶつぎいちは△3たまもどであった[ちゅう 4]

1998ねん藤井ふじいはこの戦法せんぽうもちいて谷川たにがわ浩司こうじから竜王りゅうおうをストレートで奪取だっしゅする。飛車ひしゃ将棋しょうぎかいいきかえし、さらには、ほかの飛車ひしゃ戦法せんぽうされるようになった。

現在げんざい藤井ふじいシステム」で主流しゅりゅうとなっている変化へんかは、きょ飛車ひしゃ穴熊あなぐまへのあらたな研究けんきゅうとしてあらわれた、わばしんバージョンである。きょ飛車ひしゃ穴熊あなぐま完成かんせいするまえかくすじたよりにしたたてからのめをじくとして速攻そっこう仕掛しかける体勢たいせいと、きょ飛車ひしゃがわ急戦きゅうせんんだときの対策たいさくの、両方りょうほうそなえた作戦さくせんとなっている[ちゅう 5]先手せんて場合ばあい、1すじとっきょだまのまま速攻そっこう仕掛しかける体制たいせいととのえ、△1こう穴熊あなぐまかこおうとしたら、▲2かつらから▲4かくすじとおしてめるが、後手ごて急戦きゅうせん仕掛しかけてきたら▲4はちたまから▲3きゅうたま美濃みのがこ移行いこうするというものである。

ここまでのじゅんこまみが特徴とくちょうてきなため、真似まねるのは容易よういであるとおもわれがちだが、ゆびしこなすのはプロでも非常ひじょうむずかしく「藤井ふじいでないと藤井ふじいシステムはせない」とわれることもある。

藤井ふじいシステム対策たいさく[編集へんしゅう]

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藤井ふじいシステムは、きょ飛車ひしゃそく穴熊あなぐまがこでも急戦きゅうせん仕掛しかけてきても、どちらにも対応たいおうできる戦法せんぽうとして猛威もういをふるった。対抗たいこうさくとしてミレニアムがこなどのしん戦法せんぽう採用さいようされることもえたが、よんあいだ飛車ひしゃがわ互角ごかく以上いじょう対応たいおうだい流行りゅうこうすることはなかった。またきょ飛車ひしゃとう棋士きし有効ゆうこう対策たいさくいだせずに藤井ふじいたいしてあい飛車ひしゃ採用さいようする機会きかいえる[6]など、藤井ふじいシステムへの対策たいさくは2000ねん前後ぜんこうにおいてきょ飛車ひしゃとうにとってのおおきな課題かだいであった。

そこできょ飛車ひしゃがわは、穴熊あなぐまにするか急戦きゅうせんとく4ろくぎんみぎ戦法せんぽう)を目指めざすかの態度たいどをぎりぎりまでめず、よんあいだ飛車ひしゃ藤井ふじいシステム)がわうごきによってどちらのこまみにするかをめるようになった。

これにたいし、よんあいだ飛車ひしゃがわも▲6ななぎんと▲1保留ほりゅうし(▲7はちぎんと▲1ろくめる)、その2を▲4はちたまから▲3きゅうたまかこいにかけるようになる。

このほか瀬川せかわ晶司しょうじらがアマ時代じだいによくやっていた戦法せんぽう後手ごてときのように△3さんぎんとし、▲4はちたま△2よんぎん▲3きゅうたまに△1ぎん端歩はしふをもぎり、以下いか▲1どうこう△1よんどうこうどうこう▲1なな△1いちこう▲2はちぎん△7よんいちれいで、すぐにまるわけではないが、1すじ関係かんけい後手ごてとくとなり、△1はちからめるもできる。またいきなり△1ななこうなりもあって、かなりのプレッシャーになり、先手せんてだまが4はちでもいや局面きょくめんである。▲1はやときはしぼうぎん有力ゆうりょくとなっていった。このときはやめに▲2ろく~▲2ななぎんそなえられても、△3一角いっかくから今度こんどみぎぎんぼうぎんかたもあり、臨機応変りんきおうへん対応たいおうできるのが特徴とくちょうである[7]

このためこまみのうえでは藤井ふじいシステムの特徴とくちょうであった「端歩はしふとっし」「きょだま」がなくなり「藤井ふじいシステムはえた」とわれるようにもなった。

藤井ふじいシステムにたいする研究けんきゅう改良かいりょうくわわった結果けっか後手ごてばんでの藤井ふじいシステムは不利ふり先手せんてばんではほぼ互角ごかくたたかえるであろう、とする結論けつろんいたっていた[8]

いちれいとしてたい藤井ふじいシステム急戦きゅうせんれいのように、先手せんて▲5ろくぎんには後手ごて穴熊あなぐまにせずただちに△8ろくどう△4仕掛しかけるはげしい手段しゅだんなどがあり、先手せんて応手おうしゅとしては▲4どうかつらと▲8はち、▲3三角みすみしげるどうかつら▲7ななかくさんとおりであるが、『イメージとみの将棋しょうぎかん』(2008、日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい)では羽生はぶ善治よしはるはこの局面きょくめん先手せんて誘導ゆうどうしてやるならなにかしらの対策たいさく必要ひつようであるとしている。佐藤さとう康光やすみつは▲4どうかつらでは以下いか△7ななかくしげるどうかつらで△4よんぎんなら▲8、△8ろくならば▲5さんかつらしげるどうかね先手せんてがかなりリスクをおかしているとしており、森内もりうち俊之としゆきも▲4どうかつら強気つよきにいくならで以下いか△7ななかくしげるどうかつら△8ろく▲5さんかつらしげるどうかね▲8はち△4さんきんよせから△5となると、あまり先手せんてくないとしている。一方いっぽうで▲8はちであれば△4ろく▲8△7ななかくしげるどうかつら△5▲6ななぎん△8さん▲6はちたま△2はちかく▲1はちこう△1きゅうかくしげる▲8よんどう▲8さんどう▲7かく△8▲6さんかくなり後手ごて自信じしんがないとしている。谷川たにがわ浩司こうじも▲8はちに△7ななかくしげるどうかつら△4ろく▲8と、後手ごてつくるのがむずかしいとしているが、渡辺わたなべあきらは▲8はちに△4ろく▲8△7ななかくしげるどうかつら△5▲6ななぎんとなると、先手せんて自信じしんがないとしている。

▲2かつらねるまえうごくこの局面きょくめんは2003ねん以降いこうあらわれ、▲4はちたまがたくらべてきょだまぶん先手せんてちにくいとされている。2008ねんまでの公式こうしきせんで10きょくされて先手せんてが3しょう7はい後手ごてが8すじてない将棋しょうぎも11きょくされ、こちらは先手せんて6しょう5はいとなっているという。

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こうかつら    ぎんかつらこういち
     きむおう 
 ぎんきむかくさん
       よん
      
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 かく  かつら なな
   きむ ぎん  はち
こうかつら  たまきむ  こうきゅう

藤井ふじい自身じしん模索もさくつづけており、2008ねんには矢倉やくら実戦じっせんためすようになった(ただし通常つうじょう矢倉やぐら定跡じょうせき手順てじゅんではなく、あい飛車ひしゃ視野しやれたものである)ため、当時とうじの『週刊しゅうかん将棋しょうぎに「矢倉やくらとう転向てんこう」と紹介しょうかいされたこともあった[9]藤井ふじい自身じしん藤井ふじいシステムを「ファームち」と表現ひょうげんしているが、藤井ふじいシステムをてたわけではなく「いつ一軍いちぐんげさせるか、わかりませんよ」としている[10]事実じじつ藤井ふじいは2012ねん先手せんて後手ごて双方そうほうふくすうかい藤井ふじいシステムをし、だい53王位おういせんでは、挑戦ちょうせんしゃ決定けっていリーグで高橋たかはし道雄みちお牧野まきの光則みつのりを、挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせんでは渡辺わたなべあきらやぶって羽生はぶ王位おういへの挑戦ちょうせんけんた。2014ねん5がつ12にち王位おういせんきょ飛車ひしゃ穴熊あなぐま木村きむら終盤しゅうばんもたつきはあったものの撃破げきは。Aきゅうから陥落かんらくしたものの、研究けんきゅうおこたっていないところをせた。 その、2015ねんごろから後手ごてばん藤井ふじいシステムが復権ふっけん傾向けいこうにあり、2016ねんにはだい24銀河ぎんがせん藤井ふじい優勝ゆうしょうする原動力げんどうりょくとなり[ちゅう 6]だい64王座おうざせんばん勝負しょうぶだい2きょく[ちゅう 7]など、対局たいきょくでもあらわれるようになっている。

このような変遷へんせん現在げんざいでのよんあいだ飛車ひしゃ対策たいさくでは、穴熊あなぐま急戦きゅうせんくわ上述じょうじゅつのミレニアムがこいや増田ますだ康宏やすひろ多用たよう注目ちゅうもくされたぎんかんむり穴熊あなぐまなどで藤井ふじいシステムを警戒けいかいすることで開発かいはつされた戦法せんぽうえている。とくたかかまえるひだり美濃みのでは2から4めのかりをあたえることになるので、陣形じんけい不備ふびおぎな手段しゅだんとして飯島いいじまりゅうかく戦法せんぽうをはじめ陣形じんけいひくかまえるすみみち突左美濃みのがた開発かいはつされていった。このしょう飛車ひしゃ定跡じょうせき整備せいびされかくどうめる飛車ひしゃへの有力ゆうりょく対策たいさくとみなされるようになるなど、藤井ふじいシステム以前いぜん穴熊あなぐま一辺倒いっぺんとうだった時代じだいからくらべるとかなりの多様たようせている。

さんあいだ飛車ひしゃへの応用おうよう[編集へんしゅう]

久保くぼ利明としあき ごま なし
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こうかつら きむおうきむ かつらこういち
  ぎん     
   ぎんかくさん
     よん
       
  ぎん    ろく
   なな
  たまかくきむ   はち
こうかつらぎんきむ   かつらこうきゅう

また近年きんねんでは、本来ほんらいよんあいだ飛車ひしゃだけではなく、さんあいだ飛車ひしゃにおいてもだまのままたたか藤井ふじいシステム調ちょう戦法せんぽう採用さいようされることがある。

2009ねん8がつ30にち放映ほうえいされたNHKはいせんにおいて、後手ごてばんいた久保くぼ利明としあき採用さいようしたのが初号しょごうきょくみぎ)である。その佐藤さとう和俊かずとしが2016年度ねんどNHKはいせんにおいてこの戦法せんぽう採用さいよう屋敷やしき伸之のぶゆき羽生はぶ善治よしはる橋本はしもとたかしといった強豪きょうごう棋士きし相次あいついでたおじゅん優勝ゆうしょうしたことでおおきく注目ちゅうもくされた。佐藤さとうはその将棋しょうぎフォーカス講師こうしとして出演しゅつえんしこの戦法せんぽう解説かいせつした。

この戦法せんぽう特長とくちょうとしては、よんあいだ飛車ひしゃ藤井ふじいシステムにくらべてかくあたまねら急戦きゅうせんつよてん、および△5きんひだり保留ほりゅうすることにより展開てんかいによってはそで飛車ひしゃみぎよんあいだ飛車ひしゃちゅう飛車ひしゃなどへなおきょ飛車ひしゃ調しらべたたかいへ転換てんかんすることが容易よういであるてんげられる。一方いっぽうで△4威力いりょくげんじていることや、ミレニアム模様もようで▲6八角はっかくと▲2よん仕掛しかけをねらわれた場合ばあいに△2けることを強要きょうようされる[ちゅう 8]などのデメリットがある。

5すじかないきょ飛車ひしゃ穴熊あなぐまたいして、かくすじ相手あいてだまにらみつつたまがわ桂馬けいま香車きょうしゃ一気いっきはしめをねらさんあいだ飛車ひしゃは「トマホーク」としてられる。2016ねん奨励しょうれいかいさんだんリーグで山本やまもと博志ひろし藤井ふじいさとしふとしたいして採用さいよう快勝かいしょうしたれいなどがある。

藤井ふじいシステムのエピソード[編集へんしゅう]

  • 藤井ふじいたけしは「重要じゅうようなのは動機どうきがあるかどうかなんです。わたししん戦法せんぽうしたくて『藤井ふじいシステム』をしたわけではないです。相手あいてつために、必要ひつようせいがあって『藤井ふじいシステム』をかんがえたのです。竜王りゅうおうになったときに『絶対ぜったいてきつよさはもとめない』とはなしているように、相手あいてつためにはどうすればいいのか、という思想しそうしてきたので、(藤井ふじいシステムには)コンピュータてきつよさはもとめないです。」とインタビューでかたっている[11]
  • 今後こんご藤井ふじいさとしふとし対戦たいせんすることになったら、藤井ふじいたけしは「藤井ふじいシステムをそうとおもいます」とかたっている[11]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 藤井ふじいは1998年度ねんどのNHK将棋しょうぎ講座こうざ本戦ほんせんほう解説かいせつおこない、その直後ちょくご谷川たにがわ浩司こうじから竜王りゅうおう無敗むはい奪取だっしゅ
  2. ^ 画期的かっきてき。この戦法せんぽうがすごいのは、藤井ふじいさんがひとりでシステムを構築こうちくしたこと」(佐藤さとう康光やすみつ)「みぎぎん桂香けいかめに使つかうという画期的かっきてき構想こうそう将棋しょうぎかいながれをおおきくえた戦法せんぽう」(谷川たにがわ浩司こうじ)「すご発想はっそう創世そうせいには藤井ふじいさんとよくたり、かされました(笑)かっこわらい優秀ゆうしゅうさををもって体感たいかん」(深浦ふかうらやすし)「飛車ひしゃがわきょだまたたかうという発想はっそうおもいつかなかったきょ飛車ひしゃがわ急戦きゅうせんさくや、その持久じきゅうせん対応たいおうするアイデアをひとりでつくげたのは驚異きょういてきだ」(室岡むろおか克彦かつひこ)「れんつねしん戦法せんぽうだれかのアイデアにたいし、つい走者そうしゃあらわれることで構築こうちくされていきます。藤井ふじいシステムの特異とくいてんは、だい1竜王りゅうおうせんられるように、すでに完成かんせいされたひとつの分野ぶんやとして提示ていじされたことです。藤井ふじいさん独自どくじ研究けんきゅうりょう·新手あらておおさでも際立きわだっており、今後こんごこのようなしん研究けんきゅうあらわれないのではないでしょうか」(飯塚いいづか祐紀ゆうき)などで、若手わかて棋士きし飛車ひしゃとうおおいのは、間違まちがいなくこの戦法せんぽう影響えいきょうである、という指摘してき数多かずおおせられた。「奨励しょうれいかい有段者ゆうだんしゃ時代じだいだい流行りゅうこうしていた戦法せんぽう。おかげさまで卒業そつぎょうすることができました」(島本しまもとあきら)「飛車ひしゃだい革命かくめい。この戦法せんぽうのおかげでプロになった棋士きしおおいはずです」 (長岡ながおか裕也ゆうや) 「世代せだいおおきな影響えいきょうけた戦法せんぽう。みんな、くるいそうなほど研究けんきゅうしました。将棋しょうぎ才能さいのうというめんでは、藤井ふじいきゅうだん現役げんえき一番いちばんではないかとおもいます」(大平おおひら武洋たけひろ)
  3. ^ 井上いのうえは「おかげでだいいちごうきょく犠牲ぎせいしゃと、この将棋しょうぎ有名ゆうめいになった」といっていたが、この年度ねんど順位じゅんいせん敗戦はいせんはこのきょくのみで、全勝ぜんしょうして昇級しょうきゅうする一方いっぽう藤井ふじい後手ごてばんでのシステムで苦戦くせんし、昇級しょうきゅうまでにあとようしている。
  4. ^ 田中たなか寅彦とらひこきょ飛車ひしゃ穴熊あなぐま得意とくいとしていた)は、「なにへんだな」となんもうなった。羽生はぶの△3たまて、司会しかい・ききて藤森ふじもり奈津子なつこおもわず「あ!もどった!」とこえげた。
  5. ^ 藤井ふじいたけし最強さいきょう藤井ふじいシステム』(1999ねん)によれば、▲1はしに2かける急戦きゅうせん相手あいてだとなるしゅになるとかんがえられがちであるが、終盤しゅうばんたまひろい(はしみちひろいている)ため、じゅうふんたたかえるとされている。
  6. ^ 決勝けっしょうトーナメントでは先手せんてばん後手ごてばんともにすべて藤井ふじいシステムをもちいた。
  7. ^ 後手ごてばん羽生はぶ善治よしはる王座おうざ挑戦ちょうせんしゃ糸谷いとたに哲郎てつろうはちだんたい採用さいよう糸谷いとたにたくみに対応たいおういち優位ゆういったが、終盤しゅうばん羽生はぶ逆転ぎゃくてんちをおさめた。
  8. ^ 初号しょごうきょくにおける佐藤さとうたかし対策たいさくでもある。その佐藤さとう康光やすみつが2016年度ねんどNHKはいせん決勝けっしょうにおいて類似るいじがた佐藤さとう和俊かずとしたいして採用さいようしたさい佐藤さとう和俊かずとしは△2けずにたたか不利ふりとなったが、のちに▲2よん仕掛しかけを失念しつねんしていたとかたった。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 将棋しょうぎ大賞たいしょう受賞じゅしょうしゃ一覧いちらん棋士きしデータベース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 2018ねん9がつ16にち閲覧えつらん
  2. ^ 将棋しょうぎ年鑑ねんかん2018 棋士きし名鑑めいかんアンケート』の「登場とうじょうしたときにもっともびっくりした戦法せんぽうはなんですか?」でも多数たすう棋士きしが「藤井ふじいシステム」をげている。棋士きしをも驚愕きょうがくさせたしん戦法せんぽうとは!?”. マイナビ将棋しょうぎ情報じょうほうきょく. 2023ねん2がつ4にち閲覧えつらん
  3. ^ 勝又かつまた清和きよかず最新さいしん戦法せんぽうはなし』(浅川あさがわ書房しょぼう、2007ねんISBN 978-4-86137-016-8)、108ページ。2006ねんはるまでのデータである。
  4. ^ 将棋しょうぎ世界せかい』2007ねん9がつごう、「新手あらてたましい」23ページ。青野あおのあきら勝又かつまた清和きよかず上野うえの裕和ひろかずによる対談たいだんより。
  5. ^ 河口かわぐち俊彦としひこしん対局たいきょく日誌にっし だいはちしゅう ななかん狂騒きょうそうきょくした)』(河出かわで書房しょぼう、2002ねんISBN 4-309-61438-8)、12 - 15ページ。
  6. ^ 1998年度ねんど竜王りゅうおうせんだい2きょく谷川たにがわなど。
  7. ^ 対談たいだん瀬川せかわ晶司しょうじろくだん×今泉いまいずみ健司けんじよんだん「Bきゅう戦法せんぽうは こんなにたのし」(『将棋しょうぎ世界せかいSpecial 将棋しょうぎ戦法せんぽう事典じてん100+』(将棋しょうぎ世界せかい編集へんしゅうへん、マイナビ出版しゅっぱん所収しょしゅう
  8. ^ 後手ごてばんについては勝又かつまた最新さいしん戦法せんぽうはなし』90 - 94ページ、先手せんてばんについては同書どうしょ118ページ。
  9. ^ 週刊しゅうかん将棋しょうぎ』2008ねん8がつ6にち、7ページ。
  10. ^ 勝又かつまた最新さいしん戦法せんぽうはなし』116ページ。
  11. ^ a b もと竜王りゅうおう藤井ふじいたけしきゅうだん藤井ふじいさとしふとししん竜王りゅうおうかたる「藤井ふじいさんにしん戦法せんぽうらない」”. スポーツ報知ほうち (2021ねん11月14にち). 2023ねん10がつ29にち閲覧えつらん


参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 将棋しょうぎ世界せかい』2006ねん3がつごう勝又かつまた教授きょうじゅのこれならわかる! 最新さいしん戦法せんぽう講義こうぎ藤井ふじいシステムはどこにえた? のまき
  • 勝又かつまた清和きよかず最新さいしん戦法せんぽうはなし』(浅川あさがわ書房しょぼう、2007ねんISBN 978-4-86137-016-8
    将棋しょうぎ世界せかい』の連載れんさいをまとめたもの。藤井ふじいシステムについては2しょういて解説かいせつしている(だい3こう 後手ごて藤井ふじいシステムのはなし(57 - 94ページ)、だい4こう 先手せんて藤井ふじいシステムのはなし(95 - 118ページ))。
  • NHK将棋しょうぎ講座こうざ 2017ねん10がつごう 「カズトシりゅう主導しゅどうけんをにぎる飛車ひしゃ 後手ごてばん緩急かんきゅう自在じざいさんあいだ飛車ひしゃ藤井ふじいシステム」

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]