すみあたま戦法せんぽう

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持駒もちごま なし
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こうかつらぎんきむおうきむ かつらこういち
     ぎんかく 
 さん
        よん
         
        ろく
 なな
 かく      はち
こうかつらぎんきむたまきむぎんかつらこうきゅう

すみあたま戦法せんぽう(かくとうふせんぽう)は将棋しょうぎにおける飛車ひしゃけい奇襲きしゅう戦法せんぽう序盤じょばん早々そうそう先手せんてであれば▲8ろくを、後手ごてばんであれば△2よんく。基本きほん先手せんてばんでの戦法せんぽうとされるが、後手ごてばんでもおこなうことが可能かのう

すみあたまとっきのだい1ごうきょく棋戦きせんかくあたまいた将棋しょうぎがこのはじめて誕生たんじょうしたのは、坂田さかた三吉さんきち(のち贈名おくりなじん王将おうしょう)が大崎おおさきくまゆう(当時とうじはちだん、のちおくきゅうだん)とのひだり落戦でもちいたのがそのだい1ごうとされる。ゆびしゅ初手しょて△3ぎんで、以下いか▲7ろく△2よんで、このいちせんしくも坂田さかたやぶれた。が、当時とうじ棋界きかいでは「古今ここんだいいち奇手きしゅ」としょうして、坂田さかたかくあたまとっきは驚倒きょうとうしつつ絶賛ぜっさんされた。

二人ふたり米長よねなが邦雄くにおよんだん時代じだい先手せんてばんで2きょくしている。

さき(かち)米長よねながよんだん(げんきゅうだん)たい西村にしむら一義かずよしよんだん(段位だんい当時とうじ)せん棋聖きせいせん・サンケイ棋戦きせん昭和しょうわさんじゅうきゅうねんがつはちにち)では、▲7ろく△3よん▲9ろく△1よん▲8ろくとした。さき米長よねながよんだんたい(かち)木村きむら義徳よしのりよんだん(段位だんい当時とうじ)せん東西とうざい対抗たいこうしょうせん大阪おおさか棋戦きせん昭和しょうわさんじゅうきゅうねんがつじゅうななにち)では、▲7ろく△3よん▲8ろくとしている。

坂田さかただい1ごうきょくこう落戦で、米長よねながだい2ごうきょくと3ごうきょく平手ひらてせんであり、米長よねなが史上しじょうはじめて平手ひらてせんかくあたまいたことになる。米長よねながりゅうだい2ごうきょくったが、だい3ごうきょくやぶれ、結局けっきょくいちしょういちはいおわった。

分岐ぶんき[編集へんしゅう]

初手しょて▲7ろくで、△3よんたいして▲8ろくく。もし後手ごてつぎに△8よんとしてくれば、▲2かくしげるどうぎんかく交換こうかんして▲7ななかつらとする(だい1)。以下いか先手せんては8はちぎん、8ななぎんからかくわりふうにしてもいいが、7はちきんや6ろくから飛車ひしゃ目指めざす。

持駒もちごま かく
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こうかつらぎんきむおうきむ かつらこういち
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こう ぎんきむたまきむぎんかつらこうきゅう
持駒もちごま なし
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こうかつらぎんきむおうきむ かつらこういち
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かくかつらなな
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こう ぎんきむたまきむぎんかつらこうきゅう

だい1から△8ななかくと8すじ隙間すきまかくってうまつくりにいく成立せいりつしない。△8ななかくには▲6かくち(だい2)、7ろくにひもをつけつつ4さんかくなりねらう。△5きんひだりとしてすみしげるければ▲7はちぎんかくりにいく。

以下いかたんに△どうすみしげるどうかねではかくぎん交換こうかんこまとく先手せんて有利ゆうり

△6よんとしてかくりに場合ばあい、▲8ななぎん△6かくったのちで7はちきん、6はち飛車ひしゃから6びすぎをとがめても先手せんて互角ごかくであるが、▲4さんかくなりりこむがある(だい3)。

▲4さんかくなりに△どうかねは▲8ななぎんとしていちとく陣形じんけい先手せんて有利ゆうりだい4)。

▲4さんかくなりに△7はちかくなりは▲5うまかねりつつさき王手おうてをかけられるため後手ごては△どうかね(あるいは△どうたま)とおうぜざるをえず、▲7はちきんもどしてやはりいち陣形じんけい先手せんて有利ゆうりだい5)。

持駒もちごま なし
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こうかつらぎん おうきむ かつらこういち
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かくかつらなな
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こう  きむたまきむぎんかつらこうきゅう
持駒もちごま かく
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こうかつらぎん おうきむ かつらこういち
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ぎんかつらなな
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こう  きむたまきむぎんかつらこうきゅう
持駒もちごま かくぎん
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こうかつらぎん おう  かつらこういち
   きむ  ぎん 
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  きむ     はち
こう   たまきむぎんかつらこうきゅう


米長よねなが邦雄くにお1975ねん(1974年度ねんど)のだい24王将おうしょうせんだいいちきょくかくあたま戦法せんぽう採用さいようしたが、後手ごて中原なかはらまこと王将おうしょう四手よつでに△4よんとして奇襲きしゅう不発ふはつわった。

かくどうめられた場合ばあいは▲6ろくかくがりかい飛車ひしゃ移行いこうする。とく飛車ひしゃとうで、用心深ようじんぶかならなんとなく相手あいて得意とくい戦法せんぽう警戒けいかいし、4に△4よんかく交換こうかんけることがおおい。▲6ろくかく以下いかは△6ぎん▲8はち△7よん▲8△7さんぎん▲7ななかつら△4▲4はちたま△7きん▲6かつら進行しんこういちれい途中とちゅうの▲4はちたまはぶいていきなり▲6かつらねるのは△6よんぎん▲8よん△6ぎん▲8さんしげる△6ろくぎんどう△7ななかく王手おうて飛車ひしゃがある。

以下いか△6ぎん▲8よんどうどうかく△8さんならば、▲5さんかつらしげる△8よん▲4成桂せいけいどうかね▲8よんで、△8さんかつらもしくは△9かく▲8どうかねどうなり予想よそうされる。

△6よんぎんならば▲8よんどうどうかく△6いちたま▲5一角いっかくなりどうかねで▲8いちなりいちれい

以下いか△7いちきんなら▲9いちりゅう(▲9りゅうは△6ぎん)△8かくどうりゅうどうかね(△どうは▲4さんかく)▲5ろくこう△5きん▲8ろくかく△7どうかくどうぎん▲5さんかつらしげるなどがられる。

途中とちゅう、△8よんどうたいして▲8よんどうかくではなく、▲8よんどうでは△8さん▲7よん△7さんかつら▲5かく△4▲7三角みすみしげるどうぎんどうかつらしげる△4ろくどう△6かくとなる。△6いちたまで△5たまとかわしは、▲8さん△6ぎん▲8しげるどうかね▲6かくしげるどうたま▲8なりがある。▲5一角いっかくなりに△5一同いちどうだまは▲8いちなり△6たま▲8さん△6ぎん▲8なり。また△5きんで△6きん▲8ろくかく△7には▲7よんかつらがある。

なお、たいよん△4よん応用おうようで、▲7ろく△3よん▲2ろく後手ごてばんで4に△4四角よつかどがるかたは、▲6ろくなら△2よん▲2どうどう△2かい飛車ひしゃ移行いこうするが、▲どうかく場合ばあいに△どう▲4さんかく△3さんかつら(△3もある)▲3よんかくしげる△4かつらで、先手せんて飛車ひしゃよこきがまれば△5かくえているので、以下いか先手せんては▲4はちきんとしておき、以下いか△5かくならば▲9はちこう△9きゅうかくしげる▲7はちぎん△9はちうま▲4ろく△3こう▲4よんうま△3ななかつらしげるどうかつら△3ろく▲3さん進行しんこうれいとなる。途中とちゅうは▲4はちきんでは▲4はちぎんもあるが、▲3うまは△5かく▲8はちぎん△3ななかつらしげるである。

後手ごてかくあたま[編集へんしゅう]

初手しょて▲7ろく △3よん ▲2ろくたいして、△2よんくのが後手ごてかくあたまである。先手せんて飛車ひしゃさき交換こうかんするためにいているので、▲2くのが自然しぜんであるが、これには △どうどう △8八角やすみしげるどうぎん △3さんかつらねる(だい6)。

持駒もちごま すみあゆみ
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こうかつらぎんきむおうきむぎん こういち
        
かつら さん
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こうかつら きむたまきむぎんかつらこうきゅう

先手せんては▲2いちせいか▲2さんなり自然しぜんで、▲2いちなり場合ばあい、△2(12)とぶつける。これには▲どうりゅう最善さいぜんであるが、もし▲1いちりゅうった場合ばあい、△2きゅうなり ▲1はちかくどうりゅうどうこう △4かつら絶好ぜっこうで、先手せんてつぎの△5ななかつらなりと△4よんかく同時どうじけることが出来できない。飛車ひしゃひもをつけつつ2まいえをねらった▲2いち冷静れいせいに△3ぎんかわしておいて後手ごてしやすい局面きょくめんになる。

12の△2に▲どうりゅうった場合ばあいに△どうぎんった時点じてんで、後手ごて桂馬けいまねる1とくをしている。以下いか、▲2さんどうぎん ▲2いち △3ぎん ▲1いちなり △2さんすすむ。先手せんてれなので、▲3はちぎんいちに△2はちなりすすみ、後手ごては△1きゅうりゅう、△4かつら、△4よんかく、△8よんなどおおく、優勢ゆうせいとなる。

だい6以下いか、▲2さんなり場合ばあいでも、やはり△2とぶつけ、▲3よんりゅうげるのは△4かく ▲3りゅう △6ななかくなりである。また▲どうりゅう先述せんじゅつ変化へんかおなじなので、△2には▲2よん工夫くふういちで、以下いか△2さんどうなり △4かつら ▲4はちきん △6たますすみ、先手せんてれが解消かいしょう出来できず、後手ごてしやすい局面きょくめんとなる。

2016ねん9がつ王位おういせん松本まつもと佳介けいすけたい田中たなか悠一ゆういちでも同様どうよう将棋しょうぎがあったが、△4かつらから▲2△3かくに▲2よんかくどうかくまでのなに誤算ごさんがあったのか、わずか20先手せんて投了とうりょうしている。

▲2よん に △3きん もあり、以下いか ▲2りゅうどうぎん ▲2さんかく には △3いちきん (△2さんどうぎんは ▲どうなりどうかね ▲2いち △4一角いっかく ▲3ぎん)▲3よんかくしげる △4かく で、▲どううま なら △どうかつら ▲2さんしげるどうぎん ▲3 △2かく に、▲7ななかく ならば △4よん、でつぎに △5ななかつらなり と △2ななねらいがのこる。一方いっぽうで ▲7きゅうかく ならば △4よん ▲4ろく △2ろく ▲2はち △4ろく であるが、▲4さんうま ならば、△5きん ▲4よんうま △6ななかくしげる ▲7ななかつら△6よんうまがどこにげても △4きゅうなり から △6きゅうなり ▲4 ならば △8八角やすみしげる、▲5はちたま ならば △2なな ▲2はち △2よんなり ▲1かくどうりゅうどう △5ななかつらしげるどうたま △2よんかくである。

だい6以下いからずに▲2はちいた場合ばあい、△2ななどう △4かく ▲2いちなり △6ななかくしげる ▲7きゅうきん △2 とやはり飛車ひしゃをぶつける。先述せんじゅつ変化へんかくわえ、うま出来できているので後手ごて有利ゆうり

したがって、先手せんて飛車ひしゃさき交換こうかんをせずに▲6はちたまや▲7はちきんまもっておくのが最善さいぜんだとされていた。△8八角やすみしげるどうぎん △3さんかつらたいしては ▲2さんかくまれてしまい、6ななまもっているために△4かくかえしがかなくなる。しかし、2016年度ねんどだい75Bきゅう2くみ順位じゅんいせん2回戦かいせん田村たむらやすしかいたい鈴木すずき大介だいすけいちせんで、後手ごて鈴木すずきが▲6はちたまたいして、△5よん新手あらてせた。そのかい飛車ひしゃかまえて後手ごて主張しゅちょうとおった(結果けっか鈴木すずき勝利かつとし)。しかし、プロあいだでの実践じっせんれいすくないために、研究けんきゅうがあまりすすんでいないのが現状げんじょうである。

2017年度ねんどだい76Cきゅう2くみ順位じゅんいせん10回戦かいせん増田ますだ康宏やすひろたい神谷かみや広志ひろしいちせんでも上記じょうき同様どうよう将棋しょうぎがあった。千日手せんにちてなおしがこり、後手ごてとなった神谷かみやは△5よんからかい飛車ひしゃかまえた。もつれた終盤しゅうばん先手せんてだまそくみがしょうじ、後手ごてちであったのだが、神谷かみやはそれに気付きづかず投了とうりょうしてしまった。

対談たいだん瀬川せかわ晶司しょうじろくだん×今泉いまいずみ健司けんじよんだん「Bきゅう戦法せんぽうは こんなにたのし」(『将棋しょうぎ世界せかいSpecial 将棋しょうぎ戦法せんぽう事典じてん100+』(将棋しょうぎ世界せかい編集へんしゅうへん、マイナビ出版しゅっぱん所収しょしゅう)でも△5よんはなかなか優秀ゆうしゅうで、以下いかかく交換こうかん飛車ひしゃのような将棋しょうぎになるので今後こんごえる可能かのうせいはあるかもしれないとしている。またかくあたまをやられたら自分じぶんらは▲2いてみたいとし、2さんのときんはたらしたらまずいから、後手ごていそがしいはずだとしている。

『トップ棋士きし頭脳ずのう勝負しょうぶ[1]では、▲7ろく△3よん▲6ろく後手ごてが△2よんとした局面きょくめん題材だいざいみを展開てんかいしている。同書どうしょげるまでに実際じっさい棋戦きせんで2きょくされており、後手ごてがわったのは田村たむらやすしかい近藤こんどう正和まさかずで、田村たむら敗戦はいせんした一方いっぽう近藤こんどうもち将棋しょうぎとなっている。ところが同書どうしょでは渡辺わたなべあきら佐藤さとう康光やすみつも、▲2ろくは6ろくいてしまっているのできづらいとし、以下いか△4よんかくや△3さんかくに▲2以下いか前述ぜんじゅつ進行しんこうであるので、結局けっきょくは▲7ななかく△3さんかくあい飛車ひしゃになるのが妥当だとうかつ自然しぜんとしている。先手せんては6ろくいてしまうと、▲2ろくから▲2先手せんてそこね、なので先手せんては2けないとしている。谷川たにがわ浩司こうじも、したがって、過剰かじょう反応はんのうしてもいいことがないので▲2ろく△3さんかく▲4はちぎん△2いちきょく、もしくは▲4はちぎん△3さんかく▲6はちたま△2▲2ろく普通ふつうこまぐみするとしている。久保くぼ利明としあきも、▲2ろく特段とくだん後手ごて不利ふりにはならない、あい飛車ひしゃならばここで△3や△3さんかくおおいが、△2よんもそれらのどう価値かちだとしている。広瀬ひろせ章人あきひとは、▲2けないとなると、最初さいしょから▲2ろくがどうかということになる、よって▲4はちぎん△3さんかく▲5ろく△2▲2ろく局面きょくめんおさめるようにするとしている。

えのき本流ほんりゅう[編集へんしゅう]

米長よねながつぎかくあたまいた戦法せんぽうもちいたのが榎本えのもとというアマチュア棋士きし後手ごてばんもちいたもので、加藤かとう治郎じろう将棋しょうぎ戦法せんぽうだい事典じてん』(大修館書店たいしゅうかんしょてん、1985ねん)によると、▲7ろくに△2よんと、えのき本流ほんりゅうなら4の△2よんを2はやめていることが判明はんめいする。なぜならこのあと先手せんてが▲2ろくなら、後手ごては△3よん。この局面きょくめん前掲ぜんけいとすっかりおなじとなるからである。

これについては、この戦法せんぽう他流たりゅう試合しあいには格好かっこう心理しんり戦法せんぽう側面そくめんがあり(後述こうじゅつ)、2と4かくあたまとっきでは、どちらがよりおおきく相手あいて感情かんじょううごかすかということをしめしている。

すみあたま時期じきは、坂田さかた初手しょてからかぞえて3べい長流ちょうりゅうはやくて3初手しょてからかぞえてわずか3か4に、いきなり奇手きしゅあらわれているが、先手せんてでのかくあたまは、えのき本流ほんりゅうのように相手あいてかくどうをあけてないことでかく交換こうかん不能ふのうなため、かりに、阪田さかたりゅうかい飛車ひしゃ坂田さかたりゅうかい飛車ひしゃ)で1上手じょうず△2よんなら、下手へたに▲2ろくかれてたちまち不利ふりになるし、米長よねながりゅう初手しょて▲8ろくでは後手ごてに△8よんかれて、同様どうよう形勢けいせい悪化あっかさせてしまう。いくらはやほう相手あいておどろかすからといっても、先手せんてでいきなりはつ手角たすみあたまくことはできない。

加藤かとうえのき本流ほんりゅうかくあたまとっ戦法せんぽう存在そんざいったのが1967(昭和しょうわ42)ねん正月しょうがつで、これを当時とうじ将棋しょうぎ連盟れんめい機関きかん将棋しょうぎ世界せかい同年どうねんきゅうがつごうどうじゅうがつごう発表はっぴょうする。これは同年どうねんはちがつすえ元祖がんそである榎本えのもとから手紙てがみいただいて[2]本人ほんにんからの解説かいせつ掲載けいさいした。榎本えのもとによると、「阪田さかたりゅうすみあたまとっ戦法せんぽうこう落でかくどうをあけるとかくきにあうため仕方しかたなくしたですが、わたし場合ばあい相手あいて有利ゆうり楽観らっかんさせてのち、一挙いっきょ終盤しゅうばんせんってゆくはげしいねらいをめている積極せっきょく戦法せんぽうなのです」「序盤じょばんせんに△2よんかれ、相手あいてがこれにむかってこないようでは、おそれているとわらわれてもしかたがないのです。△2よんくときはかんがえては効果こうかがありません。△2よんとしてから相手あいて表情ひょうじょうをそれとなく観察かんさつすると、ばいぐらいひらかれくびをひねり、気味悪きみわるそうにかんがえています。なかにはちがえたのだろうと、△2よんをわざわざ△3よんなおしてくれる親切しんせつひともいたくらいで、序盤じょばん間合まあいのとりかたには大変たいへん苦労くろうするのです。」とし、間合まあいをはかる、相手あいて表情ひょうじょうしんうごきをキャッチするなど、心理しんりせん手法しゅほうまで解説かいせつ。また手紙てがみ解説かいせつされるまで、えのき本流ほんりゅう手順てじゅんも▲7ろく△3よん▲2ろく△2よんのように、すみあたまとっきを四手よつでかんがえていたが、榎本えのもと手紙てがみ解説かいせつによって、すみあたまとっきは▲7ろく△2よん判明はんめいする。正確せいかくには先手せんて初手しょてに▲7ろくかくどうをあけた場合ばあいは、後手ごて(えのき本流ほんりゅう)はに△2よんく、先手せんて初手しょてに▲2ろくさきいた場合ばあいに、後手ごて一応いちおう△3よんとし、先手せんての▲7ろくってよんにはじめて△2よんく、である。

また榎本えのもとは「先手せんてけっして▲2ろくしてきたら、つぎをすぐにしてはいけません。はやすとかえって警戒けいかいされてダメです。いかにもこまったようなしぶかおをして1ふんぐらいかんがえるりをしなければ効果こうかがでません。△3よん▲2どうどうすすんだとき、すこ時間じかんをかけなければならないのです。なぜなら時間じかんをかけるほど、相手あいて表情ひょうじょうがゆるんでくるからです。そのかおも△8八角やすみしげるどうぎん△3さんかつらすすむと多少たしょうまります。が、そのうち、ときんができることがわかるので、それほどにはまらないのです。」と、時間じかん使つかかたしぶかお演技えんぎ相手あいて表情ひょうじょう観察かんさつなど、しんばん両面りょうめん秘技ひぎ公開こうかいしている。

榎本えのもと文中ぶんちゅうで「ときんができるので」と指摘してきしたのは、▲2いちなり△2どうりゅうどうぎん、もしくは▲2さんなり△2▲2よん△2さんどうなり△4かつら局面きょくめんである。

またこの戦法せんぽう榎本えのもと随分ずいぶんたたかったようであるが、△どうぎん局面きょくめんにはほとんどならないという。「それは先手せんて有利ゆうりさが大方おおかたえてなくなるかんじがするためでないかとおもいます。で、大体だいたいは△4かつらねる局面きょくめんへとすすみます。初手しょてからかぞえてわずかにじゅうろくですが、これからはもう終盤しゅうばんせんです。後手ごてはときんつくられていますが、先手せんてきょだまれがきずしゅで、後手ごてめやすい局面きょくめんです。」 ほかに、1かくめてくる場合ばあいもあるが、これは以下いか▲1かく△4よんかく▲7ななぎん△1よん▲2よんかく△2となり、「先手せんて不利ふりになります。」

そして榎本えのもとは「形勢けいせい混沌こんとんとしていますが、わたしのもっともきな局面きょくめんでほとんどっています。先手せんて一番いちばんひっかかりやすいのははやげの▲6はちたまです」以下いか▲6はちたま△2▲2よん△5ななかつらしげるどうたま△3かく。▲4はちたまなら△2よんかくどうと△2きゅうなり。▲4ろくかくなら△2よんかくどうかく△6たま。で両方りょうほうとも後手ごてがたしかに優勢ゆうせいになることになる。さらに「▲6はちたまのほかに、▲3さんかくや▲2いちめてくるひともあります。が、いずれの場合ばあいも△6たまがって、後手ごてがほとんど必勝ひっしょうとなります。いままでの経験けいけんでは、りょう局面きょくめん以下いかさんじゅうないしじゅうぐらいのたん手数てかず勝負しょうぶまっています」という。

榎本えのもと将棋しょうぎ世界せかい掲載けいさいねんがつ中旬ちゅうじゅん日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい道場どうじょうで、プロ棋士きしこう落でこころみてみたという。また加藤かとうはこのえのき本流ほんりゅうちょうちん戦法せんぽう存在そんざいおしえられてからしばらくして大内おおうちのべかい本戦ほんせんほうしめしたところ、大内おおうちは「じつすうねんまえ真剣しんけんにこの戦法せんぽう研究けんきゅうしたことがあるのです」と告白こくはくした。同時どうじに、いろいろな変化へんかぎゃくしめしたという。

その[編集へんしゅう]

  • 加藤かとうが『将棋しょうぎ世界せかい』に掲載けいさいしたとしはちがつじゅうろくにち東京とうきょう大手町おおてまち産経さんけい会館かいかんおこなわれた山田やまだみちしん棋聖きせい就位しゅういしき出席しゅっせきしたさい突然とつぜんすみあたまのことで丸田まるた祐三ゆうぞうからこえをかけられたという。丸田まるたによると同月どうげつろくにち千葉ちばけん銚子ちょうし読売新聞社よみうりしんぶんしゃ主催しゅさい関東かんとうアマ名人めいじんせん千葉ちばけん東総とうそう地区ちく代表だいひょう決定けっていせんもよおされたさいに、地元じもと吉田よしだろく彦とともに審判しんぱんやくとしてどうかい出席しゅっせきした会場かいじょう選手せんしゅ一人ひとりかくあたまとっきのちん戦法せんぽうたたかっていて、丸田まるたはそれをてびっくりしたが、帰京ききょうに『将棋しょうぎ世界せかいきゅうがつごう加藤かとうおなかくあたまとっきのえのき本流ほんりゅうちょうちん戦法せんぽういてあるのをびっくりして、掲載けいさいすすめたという[3]丸田まるたによると「▲7ろく△3よんのとき▲8ろくかくあたまくのですよ。そこまでは米長よねながりゅうまったおながたです。が、そのあとがかわっています。」べい長流ちょうりゅうだと▲7ななかくのところは▲2かくしげるどうぎん▲7ななかつらであるが、その選手せんしゅは△8よんに▲7ななかくとあがるという。河原木かわらぎ信治しんじというで、当日とうじつ関東かんとうアマ名人めいじんせん東総とうそう地区ちく代表だいひょうしゃ決定けっていせんではだい3となっていたという[4]
  • つのだじろうによるはつ本格ほんかく将棋しょうぎ漫画まんが5りゅう』では、中学生ちゅうがくせい名人めいじんせん出場しゅつじょうした主人公しゅじんこうが、強豪きょうごう相手あいてかくあたま戦法せんぽうし、中盤ちゅうばんまで優勢ゆうせいむシーンがあり、この過程かていで(このエピソードひとつにかぎらず、ほとんどの対局たいきょくシーンでだが)すみあたま戦法せんぽうくわしい解説かいせつおこなわれている。げきちゅうでは参考さんこう文献ぶんけんとして米長よねなが邦雄くにおの棋書『かくあたま戦法せんぽう』が紹介しょうかいされ、「スバラシイほん」としょうしている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 森内もりうち俊之としゆき渡辺わたなべあきら谷川たにがわ浩司こうじ『トップ棋士きし頭脳ずのう勝負しょうぶ: イメージとみの将棋しょうぎかん 3』日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい、2014ねん 
  2. ^ 『(前略ぜんりゃく)。将棋しょうぎ世界せかいわたし戦法せんぽう発表はっぴょうされ、どうも有難ありがたとうございました。以前いぜんから海外かいがいにおける将棋しょうぎかい状況じょうきょうについておらせしたいとおもっておりましたので、これを機会きかいわたし経験けいけん新手あらてについて発表はっぴょういたします。日系にっけいじん活躍かつやくしているところはかならずといってよいほど俱楽があります。とくにロサンゼルスとホノルル両市りょうし会員かいいんおおく、大会たいかいひらかれています。じゅうねんほどまえ会計かいけい研究けんきゅうにホノルル留学りゅうがくちゅう、まだ初段しょだんにもならない棋力きりょくわたしはCぐみ出場しゅつじょうし、ウィスキーカップのような優勝ゆうしょうはいをいただいたのです。うまれてはじめての感激かんげきはこのしょうカップが純金じゅんきんのようにかがやき、ダイヤの宝物ほうもつのように大切たいせつなものにうつったのです。それからというものは浜野はまのようよんだん(ハワイ支部しぶちょう)の高級こうきゅうしゃむかえられ、道場どうじょうみがかれてはかえりに食事しょくじ映画えいが招待しょうたいされ、あまりの待遇たいぐうさにすっかり将棋しょうぎのトリになってしまったのです。やく半年はんとし帰国きこくしたわたし北海道新聞社ほっかいどうしんぶんしゃ主催しゅさい大会たいかいさんだんよんだんって優勝ゆうしょうし、みんなにどこでつよくなったのかと不思議ふしぎがられたくらいです。このことがあって以来いらい冬休ふゆやすみを利用りようし、毎年まいとしハワイの将棋しょうぎ大会たいかい出席しゅっせきしています。中学ちゅうがく高校こうこう首席しゅせき卒業そつぎょうし、官庁かんちょう会社かいしゃ銀行ぎんこうならびにかく高校こうこう講師こうしとして珠算しゅざん指導しどうしてきたわたし瞬間しゅんかんてき思考しこうりょく計算けいさんりょくには絶対ぜったい自信じしんっているため、相手あいて未知みち局面きょくめん棋風きふうとなってしまいました。』加藤かとう 1985による。なおきゅうがつごうでの榎本えのもと棋譜きふ掲載けいさい無断むだんでの掲載けいさいだったらしい
  3. ^ ちん戦法せんぽうにはびっくりかつ感心かんしん一度いちどよく調しらべてから『将棋しょうぎ世界せかい』にでも紹介しょうかいしようとおもい、帰宅きたくしてきゅうがつごうをみてびっくりさせられました。あなたがえのき本流ほんりゅうかくあたまとっきのちょうちん戦法せんぽう紹介しょうかいしていたのですからね。」加藤かとう 1985
  4. ^ 加藤かとう 1985。その同氏どうし消息しょうそくとう不明ふめい

参考さんこう書籍しょせき[編集へんしゅう]