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ツノぎんちゅう飛車ひしゃ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ツノぎんちゅう飛車ひしゃ(つのぎんなかびしゃ)は将棋しょうぎ戦法せんぽうのひとつ。飛車ひしゃを5すじちゅう飛車ひしゃとし、ひだりぎんを6なな後手ごて場合ばあいは4さん)におくかまえをいう。相手あいて急戦きゅうせん場合ばあいはこのまま対処たいしょする。この場合ばあいとくに「かたツノぎん」という[よう出典しゅってん]

987654321 
         いち
         
         さん
         よん
         
   ろく
 かくぎん ぎん  なな
  きむ   きむたま はち
こうかつら    かつらこうきゅう

持久じきゅうせん場合ばあいみぎぎんを4なな(6さん)に、みぎきむを3はち(7)ないし4はち(6)に、たまを2はち(8)ないし3はち(7)にかまえる(このがこいを木村きむら美濃みのう)。ひだりきんは7はち(3)にかまえることがおおい。左右さゆう対称たいしょうてきかまえである。本来ほんらいひだりきんがいるべき5はちには、飛車ひしゃがいるためこのようなかまえとなる。2つのぎんがツノのようにえることから、この名前なまえがついた。

たたかいながらひだり金銀きんぎん手順てじゅんたま守備しゅびまわすのがかつて大山おおやま康晴やすはる得意とくいとしたしまわし。また、3はち(7からのそで飛車ひしゃでの逆襲ぎゃくしゅう有力ゆうりょく手筋てすじ[1]。これにたいしてきょ飛車ひしゃがわたいよんあいだ飛車ひしゃときとはちがい、ぼうぎんなどの急戦きゅうせん仕掛しかけるのは非常ひじょう困難こんなんであるが[2]後手ごてちゅう飛車ひしゃたいしての加藤かとうりゅうそで飛車ひしゃきむ戦法せんぽう4ろくきん戦法せんぽう)がられている。また、持久じきゅうせんとしてはきょ飛車ひしゃ穴熊あなぐまたまあたま位取くらいど戦法せんぽうなどが有力ゆうりょく対策たいさくである[3]

5すじかない場合ばあいとく創始そうししゃ山口やまぐち英夫ひでお愛称あいしょうにちなみ「すぐるちゃんりゅうばれる[4]。また一段いちだん飛車ひしゃかまえたのちかくを5すじ移動いどうし、たまがこいはちゅうまいとすることもあるかたち風車かざぐるまい、伊藤いとうはてなどが得意とくいとしている[5]風車かざぐるまはツノぎんちゅう飛車ひしゃから発展はってんしてくみげるが[6]はじめから風車かざぐるまねらう(きょ飛車ひしゃいちだん飛車ひしゃみぎだま風車かざぐるまかたもある。

概要がいよう

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山田やまだみちによると、ツノぎんちゅう飛車ひしゃ原型げんけい江戸えど時代じだい後期こうきられ、それが流行りゅうこうしたのは戦後せんごになってからであるという[7]中原なかはらまこと編集へんしゅう山田やまだみち将棋しょうぎ著作ちょさくしゅうだい2かん近代きんだい戦法せんぽう実戦じっせん研究けんきゅう (1980ねん大修館書店たいしゅうかんしょてん)では、山田やまだ当初とうしょツノぎんちゅう飛車ひしゃ戦後せんごまれそだった戦法せんぽうであるとしていたが、原稿げんこういたのち研究けんきゅうかい仲間なかまである富沢とみざわ幹雄みきおから、ふる時代じだいにもツノぎんちゅう飛車ひしゃがあったことをおしえられたという。そのとき富沢とみざわ原稿げんこうをまとめるにあたり国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん日参にっさんしていたが、そこで著者ちょしゃ不明ふめいの『将棋しょうぎざつ』という実戦じっせんしゅう写本しゃほんしたさい、そのなかにツノぎんちゅう飛車ひしゃ棋譜きふきょく掲載けいさいされていたという。このほんによると対局たいきょくしゃ平手ひらて手合てあいで先手せんてばん渡瀬わたせ昇治しょうじ(のちの渡瀬わたせそう次郎じろう)、後手ごてばん勝田かつたせんきちとなっており、ときは1846ねんひろし3ねん)9がつ対局たいきょく場所ばしょ大橋おおはしはじめかつらたくとなっていた。ツノぎんちゅう飛車ひしゃしたのは2きょくとも後手ごてばん勝田かつたほうで、掲載けいさい棋譜きふによると1きょく勝田かつた快勝かいしょう、もう1きょく勝敗しょうはいまでの棋譜きふ記録きろくまではないとしている。

得意とくいとした棋士きしとして、山田やまだ松田まつだしげるやくげる[8]大山おおやま康晴やすはる升田ますだ幸三こうぞうもこの戦法せんぽうおおいに得意とくいとしており、とく大山おおやまはいつのにかひだり金銀きんぎんたまがわっていく独特どくとくまわしで、山田やまだみち二上ふたかみ達也たつや加藤かとう一二三ひふみらの挑戦ちょうせん退しりぞけ、全盛期ぜんせいききずくことになった[9]。また、加藤かとうりゅうそで飛車ひしゃ戦法せんぽうで▲3はちから▲3どうどうたいし、△3いちきんいて△3まわり、△4や△2かくして対抗たいこうする手法しゅほうは、定跡じょうせきされている[10]

その大内おおうちのべかいもり雞二といった一線いっせんきゅう棋士きし愛用あいようしゃて、ながらくちゅう飛車ひしゃ代表だいひょうするかたであった。しかし左右さゆう金銀きんぎんかれており、たまがこいが金銀きんぎん1まいずつとうすく、ゆびしこなすのがむずかしい。きょ飛車ひしゃ穴熊あなぐまなどにたいして決定的けっていてき対策たいさくがなく、勝率しょうりつがった。そしてツノぎんちゅう飛車ひしゃ衰退すいたいとともにちゅう飛車ひしゃ自体じたいされなくなった。ちゅう飛車ひしゃ復活ふっかつゴキゲンちゅう飛車ひしゃ出現しゅつげんつこととなる。

現在げんざいでもツノぎんちゅう飛車ひしゃ風車かざぐるま戦法せんぽうがた常用じょうようする棋士きし伊藤いとうはてがいる。伊藤いとう王座おうざせんでこれをもちいたときに「加藤かとう一二三ひふみぼうぎんおなじように、長年ながねんおな戦法せんぽうつづけるめずらしい棋士きし」と東京とうきょう新聞しんぶんかれている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 現代げんだい将棋しょうぎ急所きゅうしょ』188ぺーじ山田やまだはこのかたを「ケンセイだま」と表現ひょうげんし、「てきあしをとめるというけの意味いみだけにとどまらず、ときにはたまあたまからめこむというするどさもめている」とひょうす。
  2. ^ ぼうぎん得意とくいとする加藤かとう一二三ひふみも、後手ごてちゅう飛車ひしゃたいするぼうぎんは「よくならない」とする。『加藤かとうりゅう飛車ひしゃ撃破げきは』124ぺーじ
  3. ^ なお、山田やまだみち著書ちょしょにおいて、みぎよんあいだ飛車ひしゃをツノぎんちゅう飛車ひしゃふく飛車ひしゃへの有力ゆうりょく対策たいさくべている。『現代げんだい将棋しょうぎ急所きゅうしょ』222ぺーじ
  4. ^ 現代げんだいきる大山おおやま飛車ひしゃ』48-49ぺーじ
  5. ^ えた戦法せんぽうなぞ』71ぺーじ
  6. ^ 高橋たかはし道雄みちお緊急きんきゅうレポートきょ飛車ひしゃvs飛車ひしゃプロあいだにおける最近さいきん序盤じょばん傾向けいこう研究けんきゅうだい2かい さんあいだ飛車ひしゃちゅう飛車ひしゃへん(『将棋しょうぎ世界せかい』1983ねん2がつごう所収しょしゅう
  7. ^ 現代げんだい将棋しょうぎ急所きゅうしょ』188ぺーじ
  8. ^ 現代げんだい将棋しょうぎ急所きゅうしょ』209ぺーじ
  9. ^ 現代げんだいきる大山おおやま飛車ひしゃ』54-55ぺーじ
  10. ^ 藤井ふじいたけしは「きな」、久保くぼ利明としあきは「印象いんしょうのこ」としている(『現代げんだいきる大山おおやま飛車ひしゃ』47ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 山田やまだみち現代げんだい将棋しょうぎ急所きゅうしょ』(日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい、1990ねん)…出版しゅっぱんねん復刊ふっかんのもの。
  • 勝又かつまた清和きよかずえた戦法せんぽうなぞ』(毎日まいにちコミュニケーションズ、1995ねん
  • 藤井ふじいたけし鈴木すずき宏彦ひろひこ現代げんだいきる大山おおやま飛車ひしゃ』(日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい、2006ねん