(Translated by https://www.hiragana.jp/)
伊藤果 - Wikipedia コンテンツにスキップ

伊藤いとうはて

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
 伊藤いとうはて はちだん
名前なまえ 伊藤いとうはて
生年月日せいねんがっぴ (1950-09-16) 1950ねん9月16にち(73さい
プロ年月日ねんがっぴ 1975ねん6がつ19にち(24さい
引退いんたい年月日ねんがっぴ 2011ねん6がつ7にち(60さい)
棋士きし番号ばんごう 118
出身しゅっしん 京都きょうと京都きょうとみなみ
所属しょぞく 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい関東かんとう
師匠ししょう 高柳たかやなぎ敏夫としお名誉めいよきゅうだん
弟子でし 堀口ほりぐち一史かずし及川おいかわ拓馬たくま伊藤いとう明日香あすか竹部たけべさゆり上田うえだ初美はつみ野田のださわ彩乃あやの
段位だんい はちだん
棋士きしDB 伊藤いとうはて
戦績せんせき
通算つうさん成績せいせき 472しょう554はい(0.4600)
竜王りゅうおうせん最高さいこうクラス 1くみ(2
順位じゅんいせん最高さいこうクラス Cきゅう1くみ
2022ねん1がつ25にち現在げんざい
テンプレートを表示ひょうじ

伊藤いとう はて(いとう はたす、1950ねん9月16にち - )は、将棋しょうぎ棋士きし改名かいめいまえ氏名しめい伊藤いとう喜和きわ。2011ねん引退いんたい高柳たかやなぎ敏夫としお名誉めいよきゅうだん門下もんか棋士きし番号ばんごうは118。京都きょうと京都きょうとみなみ出身しゅっしん

11さい小学しょうがく5年生ねんせいころちちから無理むりやり将棋しょうぎおしえられる[1]

1963ねん実戦じっせん経験けいけんすくなくアマチュア5、6きゅうであったにもかかわらず[2]奨励しょうれいかい試験しけん受験じゅけんして合格ごうかくし、南口みなみぐち繁一しげかずきゅうだんもん関西かんさい奨励しょうれいかいに6きゅう入会にゅうかい。「記録きろく要員よういん」としての合格ごうかく[2]われた。ところが、1かげつで5きゅうがり、半年はんとしには2きゅう到達とうたつする。

旧制きゅうせいさんだんリーグ(奨励しょうれいかいAぐみ)への参加さんかは1967年度ねんど後期こうきからである。9・4ねんはんしたのち、1972ねん半年はんとし休場きゅうじょう。このころ喜和きわからはて改名かいめいし、また、南口みなみぐち一門いちもんから関東かんとう高柳たかやなぎ一門いちもんうつる。以降いこう、3・1ねんはんしたところでさんだんリーグ制度せいど廃止はいし。それからやく1ねん1975ねん6月19にち、よいとこり12しょう4はい規定きていによりよんだん昇段しょうだん( = プロり)。なお、さんだん時代じだいの1973年度ねんどだい17かい古豪こごう新鋭しんえいせんじゅん優勝ゆうしょうしている(優勝ゆうしょう森安もりやす秀光ひでみつ)。

1979年度ねんど、12連勝れんしょうぜん棋士きしちゅう1)を記録きろくし、将棋しょうぎ大賞たいしょう連勝れんしょうしょう受賞じゅしょう

だい21(1980年度ねんど王位おういせんでリーグり。

はつ参加さんかから4のCきゅう2くみ順位じゅんいせんだい39、1980年度ねんど)で、7しょう3はい成績せいせきながら前期ぜんき好成績こうせいせきによるこう順位じゅんいき、3でCきゅう1くみ昇級しょうきゅう[3]。また、だい12かい(1981年度ねんど新人しんじんおうせんじゅん優勝ゆうしょう優勝ゆうしょう田中たなか寅彦とらひこ)。さらには、本戦ほんせん出場しゅつじょうしゃが50にんとなってからはじめてのNHKはいせんだい31かい、1981年度ねんど)でじゅん優勝ゆうしょう優勝ゆうしょう加藤かとう一二三ひふみ)。これらの活躍かつやく原動力げんどうりょく[2]となったのが、きょ飛車ひしゃ穴熊あなぐまへの対策たいさくとして[2]みずか考案こうあんした「風車かざぐるま戦法せんぽうであった。相手あいてめにそなえることにとくした戦法せんぽうである。

だい8(1995年度ねんど竜王りゅうおうせん2くみ屋敷やしき伸之のぶゆきもり雞二って先崎まっさきがくやぶれたのち昇級しょうきゅうしゃ決定けっていせん決勝けっしょうまわり、森内もりうち俊之としゆきって2くみ31くみ昇級しょうきゅう次期じき(1996年度ねんど)は初戦しょせん米長よねなが邦雄くにおち、1くみ残留ざんりゅうだい10(1997年度ねんど)は残留ざんりゅう決定けっていせん羽生はぶ善治よしはるやぶれ、2くみくだきゅう

だい14(2001年度ねんど竜王りゅうおうせん3くみ昇級しょうきゅうしゃ決定けっていせんせいし、2くみ復帰ふっきどう年度ねんどだい20かい朝日あさひオープン将棋しょうぎ選手権せんしゅけん予選よせん突破とっぱするが、本戦ほんせん初戦しょせん羽生はぶやぶれる。

だい60(2001年度ねんど)Cきゅう2くみ順位じゅんいせん累積るいせき3つくだきゅうてんきっし、フリークラス陥落かんらく以降いこう順位じゅんいせんへの復帰ふっきたせないまま年齢ねんれい制限せいげんとなる還暦かんれきむかえ、2011ねん6月7にちたい佐藤さとう慎一しんいちたたかえ竜王りゅうおうせん6くみ)での敗戦はいせん最後さいご同日どうじつづけ引退いんたい[4]

人物じんぶつ

[編集へんしゅう]
  • 棋界きかいきっての詰将棋つめしょうぎ愛好あいこうであり、詰将棋つめしょうぎ作家さっかとして塚田つかだしょう受賞じゅしょう実績じっせきつほか、将棋しょうぎ世界せかい詰将棋つめしょうぎサロン審査しんさいんながきにわたつとめた。詰将棋つめしょうぎ題材だいざいとした著書ちょしょ数多かずおお出版しゅっぱんされているほか、ゲームソフトひとし問題もんだい制作せいさく担当たんとうしたことがある。創作そうさくはじめたのは15さいときであり、ちちからの影響えいきょうである[2]当時とうじから詰将棋つめしょうぎ作家さっかとして名高なだか若島わかしまただし上田うえだ吉一よしかずなら京都きょうと三羽烏さんばがらすばれた過去かこもあり、詰将棋つめしょうぎパラダイス幾度いくどとなく入選にゅうせんさくおくっている。トーナメント棋士きしとして引退いんたいしてからも「れてしん詰将棋つめしょうぎ作家さっかとなった」と発言はつげんしているほどで、連日れんじつのようにTwitterなどに自作じさく詰将棋つめしょうぎ記載きさいしている。詰将棋つめしょうぎきな理由りゆうとして、「けがなくて、だれにも邪魔じゃまされずに一人ひとりでもたのしめる。自分じぶんにとって最高さいこう趣味しゅみでもあり、実益じつえきにもつながる。さびしがり性格せいかくだが、詰将棋つめしょうぎすべてをわすれさせてくれる」と回答かいとうしている。
  • テレビ時代じだいげきの『しん必殺ひっさつ仕置しおきじん』のだい5王手おうて無用むよう」で将棋しょうぎし・伊藤いとうはじめやく出演しゅつえんし、げきちゅうけむりつめ披露ひろうしたことがある。
  • 兄弟子あにでし芹沢せりざわ博文ひろぶみ司会しかいの、ABCのテレビ番組ばんぐみ日曜にちよう天国てんごく』に「ハテナくん」という名前なまえでレギュラー出演しゅつえんしていた[5]
  • 1988ねんNHK将棋しょうぎ講座こうざ初級しょきゅう実戦じっせんクリニック」で講師こうし担当たんとうした。
  • 2000ねんつま死別しべつしている。しまあきら夫妻ふさいつま当時とうじ)が葬儀そうぎ受付うけつけをした[6]

弟子でし

[編集へんしゅう]

棋士きしとなった弟子でし

[編集へんしゅう]
名前なまえ よんだん昇段しょうだん 段位だんいおも活躍かつやく
堀口ほりぐち一史かずし 1996ねん4がつ1にち はちだん一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう1かい
及川おいかわ拓馬たくま 2007ねん10がつ1にち ななだん

(2022ねん12月15にち現在げんざい

女流じょりゅう棋士きしとなった弟子でし

[編集へんしゅう]
名前なまえ 女流じょりゅうプロ 段位だんいおも活躍かつやく
伊藤いとう明日香あすか 1995ねん4がつ1にち 女流じょりゅう初段しょだん
竹部たけべさゆり 1995ねん10がつ1にち 女流じょりゅうよんだん、タイトル挑戦ちょうせん1かい
上田うえだ初美はつみ 2001ねん4がつ1にち 女流じょりゅうよんだん女王じょおう2一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう1かい、Aきゅう在籍ざいせき2
野田のださわ彩乃あやの 1999ねん10がつ1にち 女流じょりゅう初段しょだん

(2023ねん7がつ3にち現在げんざい

  • 伊藤いとう明日香あすかじつむすめであり、将棋しょうぎかいはつちちむすめプロ。はてよりも明日香あすかのほうがさき引退いんたいした。

昇段しょうだん履歴りれき

[編集へんしゅう]

おも成績せいせき

[編集へんしゅう]
通算つうさん成績せいせき
1026対局たいきょく 472しょう554はい 勝率しょうりつ0.4600
棋戦きせん

在籍ざいせきクラス

[編集へんしゅう]
順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん在籍ざいせきクラスの年別ねんべつ一覧いちらん
開始かいし
年度ねんど
(出典しゅってん)順位じゅんいせん
出典しゅってん[8]
(出典しゅってん)竜王りゅうおうせん
出典しゅってん[9]
名人めいじん Aきゅう Bきゅう Cきゅう 0 竜王りゅうおう 1くみ 2くみ 3くみ 4くみ 5くみ 6くみ 決勝けっしょう
T
1くみ 2くみ 1くみ 2くみ
1977 36 C215
1978 37 C207
1979 38 C211
1980 39 C203
1981 40 C119
1982 41 C111
1983 42 C102
1984 43 C110
1985 44 C107
1986 45 C109
1987 46 C113 1 4くみ --
1988 47 C113 2 4くみ --
1989 48 C110 3 4くみ --
1990 49 C112 4 4くみ --
1991 50 C114 5 3くみ --
1992 51 C110 6 3くみ --
1993 52 C113 7 2くみ --
1994 53 C109 8 2くみ --
1995 54 C118 9 1くみ --
1996 55 C115 10 1くみ --
1997 56 C113 11 2くみ --
1998 57 C123 12 3くみ --
1999 58 C202 13 3くみ --
2000 59 C236 14 3くみ --
2001 60 C237 15 3くみ --
2002 61 Fへん 16 3くみ --
2003 62 Fへん 17 3くみ --
2004 63 Fへん 18 3くみ --
2005 64 Fへん 19 4くみ --
2006 65 Fへん 20 4くみ --
2007 66 Fへん 21 5くみ --
2008 67 Fへん 22 6くみ --
2009 68 Fへん 23 6くみ --
2010 69 Fへん 24 6くみ --
順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん わく表記ひょうき 挑戦ちょうせんしゃみぎらん数字すうじかち-はい(ばん勝負しょうぶ/POふくまず)。
順位じゅんいせんみぎ数字すうじはクラスない順位じゅんい ( x当期とうきくだきゅうてん / *累積るいせきくだきゅうてん / +くだきゅうてん消去しょうきょ )
順位じゅんいせんの「Fへん」はフリークラス編入へんにゅう /「Fせん」は宣言せんげんによるフリークラス転出てんしゅつ
竜王りゅうおうせん 太字ふとじ はランキングせん優勝ゆうしょう竜王りゅうおうせんくみ(添字そえじ)棋士きし以外いがいわくでの出場しゅつじょう

将棋しょうぎ大賞たいしょう

[編集へんしゅう]
  • だい7かい将棋しょうぎ大賞たいしょう(1979年度ねんど連勝れんしょうしょう(12連勝れんしょう
  • だい46かい将棋しょうぎ大賞たいしょう(2018年度ねんど東京とうきょう記者きしゃかいしょう

表彰ひょうしょうとう

[編集へんしゅう]
  • 1999ねん - 通算つうさん400しょう達成たっせい(1999ねん6がつ3にち[10]
  • 1999ねん - 現役げんえき勤続きんぞく25ねん表彰ひょうしょう

おも著作ちょさく

[編集へんしゅう]

著書ちょしょ

[編集へんしゅう]

ゲームソフト

[編集へんしゅう]

出演しゅつえん

[編集へんしゅう]

ウェブテレビ

[編集へんしゅう]
  • チーム対抗たいこう 詰将棋つめしょうぎカラオケ(2018ねん4がつ9にちニコニコ生放送なまほうそう[11] - 詰将棋つめしょうぎ審査しんさいん問題もんだい作成さくせい
  • あきらおうせん記念きねん特番とくばん 東西とうざい対抗たいこう 詰将棋つめしょうぎカラオケ(2019ねん3がつ30にち、ニコニコ生放送なまほうそう[12] - 詰将棋つめしょうぎ出題しゅつだい解説かいせつ

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 平成へいせい10年版ねんばん将棋しょうぎ年鑑ねんかん」(日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい
  2. ^ a b c d e 将棋しょうぎ世界せかい」(日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい)2000ねん1がつごう付録ふろく
  3. ^ 当期とうきは、同様どうよう理由りゆう鈴木すずき輝彦てるひこも7しょう3はい成績せいせきでありながら2でCきゅう1くみ昇級しょうきゅうめた。3はいでのCきゅう1くみ昇級しょうきゅうめずらしく、鈴木すずきおよ伊藤いとう最後さいごていない。
  4. ^ 伊藤いとうはてななだん引退いんたい将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 2017ねん8がつ26にち閲覧えつらん
  5. ^ 能智のうちうつ愉快ゆかい痛快つうかい 棋士きし365にち」(日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい)P.133
  6. ^ 伊藤いとうはての2016ねん8がつ19にちのツイート. 2020ねん8がつ22にち閲覧えつらん
  7. ^ 昇段しょうだん引退いんたい棋士きしのおらせ|将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 2017ねん8がつ26にち閲覧えつらん
  8. ^ 名人めいじんせん順位じゅんいせん」『日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい』。
  9. ^ 竜王りゅうおうせん」『日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい』。
  10. ^ 近代きんだい将棋しょうぎ(1999ねん9がつごう近代きんだい将棋しょうぎしゃ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、187ぺーじhttps://dl.ndl.go.jp/pid/6047371/1/84 
  11. ^ ニコファーレ, 【あきらおうせん開催かいさい記念きねん】チーム対抗たいこう 詰将棋つめしょうぎカラオケ|スケジュール|nicofarre. “あきらおうせん開催かいさい記念きねん】チーム対抗たいこう 詰将棋つめしょうぎカラオケ|スケジュール|nicofarre ニコファーレ”. nicofarre.jp. 2018ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  12. ^ あきらおうせん記念きねん特番とくばん東西とうざい対抗たいこう 詰将棋つめしょうぎカラオケ”. ニコニコ生放送なまほうそう (2019ねん3がつ30にち). 2020ねん3がつ21にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]