(Translated by https://www.hiragana.jp/)
島朗 - Wikipedia コンテンツにスキップ

しまあきら

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
 しま あきら きゅうだん
名前なまえ しま あきら
生年月日せいねんがっぴ (1963-02-19) 1963ねん2がつ19にち(61さい
プロ年月日ねんがっぴ 1980ねん9がつ18にち(17さい
棋士きし番号ばんごう 146
出身しゅっしん 東京とうきょう世田谷せたがや
所属しょぞく 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい関東かんとう
師匠ししょう 高柳たかやなぎ敏夫としお名誉めいよきゅうだん
弟子でし 水町みずまちみゆ
段位だんい きゅうだん
棋士きしDB しま あきら
戦績せんせき
タイトル獲得かくとく合計ごうけい 1
一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう回数かいすう 3かい
2017ねん1がつ21にち現在げんざい
テンプレートを表示ひょうじ

しま あきら(しま あきら、1963ねん2がつ19にち - )は、将棋しょうぎ棋士きし棋士きし番号ばんごう146。高柳たかやなぎ敏夫としお名誉めいよきゅうだん門下もんか東京とうきょう世田谷せたがや出身しゅっしん

来歴らいれき

[編集へんしゅう]

棋風きふう

[編集へんしゅう]
  • 基本きほんてききょ飛車ひしゃとうであるが、著書ちょしょには飛車ひしゃ詳細しょうさい解説かいせつした大著たいちょしまノート」がある[ちゅう 4]
  • 独特どくとく美意識びいしきった人物じんぶつであり、かつては形勢けいせい不利ふりになるとあっさり投了とうりょうしてしまうことから「はやげの代表だいひょうかく」ともばれた[2]。しかし「自分じぶん投了とうりょう将棋しょうぎソフトに調しらべさせたら、なんきょくも『優勢ゆうせい』と形勢けいせい判断はんだんされた」ことから、2019ねんに「これからははや投了とうりょうしないようにします」とかたっている[2][3]
  • だい61かいNHKはいテレビ将棋しょうぎトーナメント1回戦かいせんだい18きょく女流じょりゅう棋士きし甲斐かい智美ともみ対局たいきょく女流じょりゅう棋士きしとの公式こうしきせんはつ手合てあいとなった。結果けっか甲斐かいゴキゲンちゅう飛車ひしゃたいし、しまが4すじめずらしい作戦さくせんにでて快勝かいしょうした。流行りゅうこうがたしこなしつつも、矢倉やくらちゅう飛車ひしゃなどのふるくからある作戦さくせん独自どくじ工夫くふうくわえていくしまらしい戦型せんけい選択せんたくであった。

人物じんぶつ

[編集へんしゅう]

将棋しょうぎ

[編集へんしゅう]
  • 若手わかて棋士きしとの研究けんきゅうかいや、パソコンによるデータ管理かんりなど、将棋しょうぎかい新風しんぷうんだ[ちゅう 5]なかでも、羽生はぶ善治よしはる佐藤さとう康光やすみつ森内もりうち俊之としゆき参加さんかしていたしまけん(1986ねん(昭和しょうわ61ねん)ごろから1990ねん(平成へいせい2ねん)ごろまで)は伝説でんせつてき研究けんきゅうかいといわれる。しま名付なづけたのではないが、米長よねなが邦雄くにおかく方面ほうめん言及げんきゅうした結果けっか定着ていちゃくした。しまけんのメンバーはのちに全員ぜんいん竜王りゅうおう経験けいけん[4]しま以外いがい全員ぜんいん名人めいじんにつき、はちかんいずれかの永世えいせい称号しょうごう資格しかく保持ほじしゃとなった。
  • しまNHKはい解説かいせつで、されたたいしてすうねんまえ対局たいきょく棋譜きふならべだすこともよくあった。
  • 若手わかて時代じだい将棋しょうぎ定時ていじせい高校こうこう青春せいしゅん時代じだい反動はんどうからプレイボーイとなり[5]だい1竜王りゅうおうせんではブランドものアルマーニ)のスーツあらわれ、マスコミにぎわせた[ちゅう 6]。「高額こうがくばんこま購入こうにゅうするくらいなら、ブランドのスーツをう」とべたこともあった。2004ねん談話だんわでは、「スーツをるからにはへんなスーツをるわけにはいかなかった。和服わふくておけばらくだったものを、一体いったい当時とうじなにかんがえていたのか…」などと述懐じゅっかいしている[6]。ただ2018ねんのインタビューでは、「(ウィキペディアにいろいろかれているために)アルマーニのスーツをてタイトルせんのぞんだというイメージがあるようだが、1ちゃくしかっていない」「当時とうじ和服わふく着付きつけができなかったので、和服わふく着用ちゃくようはハンデとかんがえたから」ともべている[7]

そして竜王りゅうおうせん賞金しょうきんふくくつくるまえた。当時とうじバブル景気けいきにぎわっていたと背景はいけいもあった。また、多額たがく税金ぜいきん支払しはらったとされている[6]翌年よくねん竜王りゅうおうせん羽生はぶ善治よしはるとの対戦たいせんであったが、初日しょにち終了しゅうりょうに、羽生はぶらとモノポリーきょうじた[ちゅう 7]

  • 王座おうざせんひとし観戦かんせん執筆しっぴつ棋士きし観戦かんせんには評論ひょうろんのような文章ぶんしょうおおいとされるなかで、独特どくとく文体ぶんたい描写びょうしゃ物語ものがたりのような文章ぶんしょうとなっている。

自著じちょの「かくわり腰掛こしかぎん研究けんきゅう」は1995ねんだい7かい将棋しょうぎペンクラブ大賞たいしょう著作ちょさく部門ぶもん大賞たいしょう受賞じゅしょうした。このほんはあまりに詳細しょうさいにわたる研究けんきゅうだったため、しま自身じしんわすれている部分ぶぶんがあり、若手わかて棋士きしとの対局たいきょくしまがある変化へんか手順てじゅんについてたずねたところ、「しま先生せんせいほんってました」とこたえられたというエピソードがあるほどである。

  • テレビ対局たいきょく銀河ぎんがせん[ちゅう 8]で、ごま銀将ぎんしょう裏返うらがえした状態じょうたいなりぎん)でって反則はんそくけとなった[ちゅう 9]しまは、「銀河ぎんがせん使用しようするこまひょううらとも1文字もじのもので、金将きんしょうなりぎん書体しょたいているためにこったハプニングである」と将棋しょうぎ世界せかい1998ねん9がつごう述懐じゅっかいした。
  • 従来じゅうらい将棋しょうぎこまばんわくないなかくものとされていた。それにたいしまこまわくない手前てまえせんにピッタリく。こまおんしずかであり、のちおおくの若手わかて棋士きししまのスタイルに追随ついずいしていった。中村なかむらおさむNHKはい解説かいせつで、「しまさんの功績こうせき功罪こうざい」とべていた。

丸山まるやま忠久ただひさとの相性あいしょう

[編集へんしゅう]
  • 丸山まるやま忠久ただひさとの相性あいしょうわるく、公式こうしきせんはつ対局たいきょくから0しょう21はい完封かんぷうされている(2023ねん10月6にち現在げんざい)。ともにタイトル経験けいけんしゃ丸山まるやま名人めいじん2棋王きおう1)かつAきゅう在位ざいい経験けいけんしゃというトップ棋士きし同士どうしで、これだけの大差たいさしょうじるのは非常ひじょうめずらしい。非公式ひこうしきせんのため記録きろくには計上けいじょうされていないが、上述じょうじゅつ反則はんそくけのさい相手あいて丸山まるやまであった。
丸山まるやま忠久ただひさとの対局たいきょく一覧いちらん灰色はいいろ非公式ひこうしきせん[8]
対局たいきょく 棋戦きせん 先後せんご 戦型せんけい 結果けっか
1990ねん12月03にち だい13かいせん 予選よせん 後手ごて
1991ねん07がつ30にち だい10かい全日ぜんじつプロ 3回戦かいせん 先手せんて 陽動ようどう飛車ひしゃ 千日手せんにちて
3回戦かいせん千日手せんにちてなおきょく 後手ごて かくわり腰掛こしかけぎん
1992ねん01がつ10日とおか だい40王座おうざせん 予選よせん2回戦かいせん 後手ごて かくわり腰掛こしかけぎん
1992ねん09月14にち だい14かいせん 本戦ほんせん 後手ごて かい飛車ひしゃ
1995ねん06月27にち だい45王将おうしょうせん 予選よせん1回戦かいせん 先手せんて 矢倉やくら
1995ねん08がつ07にち だい45かいNHKはいせん 本戦ほんせん2回戦かいせん 先手せんて よこ
1995ねん09月11にち だい67棋聖きせいせん 予選よせん2回戦かいせん 後手ごて あいかり
1998ねん07がつ01にち だい6銀河ぎんがせん 本戦ほんせんAブロック22回戦かいせん 先手せんて 矢倉やくら ●(反則はんそく
1998ねん09月24にち だい57順位じゅんいせん Aきゅう4回戦かいせん 先手せんて よこ
1999ねん11月16にち だい58順位じゅんいせん Aきゅう5回戦かいせん 後手ごて かくわり
2002ねん03がつ06にち だい21かいせん 本戦ほんせん 後手ごて かい飛車ひしゃ
2002ねん07がつ25にち だい61順位じゅんいせん Aきゅう2回戦かいせん 後手ごて よんあいだ飛車ひしゃ
2003ねん02がつ10日とおか だい52かいNHKはいせん 本戦ほんせん準々じゅんじゅん決勝けっしょう 後手ごて ちゅう飛車ひしゃ
2003ねん06月22にち だい24かい日本にっぽんシリーズ 1回戦かいせん 先手せんて よこ
2004ねん02がつ03にち だい62順位じゅんいせん Aきゅう8回戦かいせん 後手ごて かい飛車ひしゃ
2008ねん02がつ07にち だい49王位おういせん リーグせんしろぐみ1回戦かいせん 後手ごて よこ
2009ねん11月04にち だい3かい朝日あさひはい 予選よせん1回戦かいせん 先手せんて さんあいだ飛車ひしゃ
2011ねん09月26にち だい61かいNHKはいせん 本戦ほんせん2回戦かいせん 後手ごて かくわり
2012ねん02がつ10日とおか だい25竜王りゅうおうせん 1くみランキングせん1回戦かいせん 後手ごて あいかり
2016ねん09月21にち だい58王位おういせん 予選よせん2回戦かいせん 後手ごて
2017ねん08がつ28にち だい3あきらおうせん きゅうだん予選よせん2回戦かいせん 先手せんて 対抗たいこうがた
2023ねん10月06にち だい1達人たつじんせん 予選よせん準決勝じゅんけっしょう 後手ごて 雁木がんぎ

理事りじ顧問こもんとして

[編集へんしゅう]
  • 2005ねん5月から2007ねん5がつまで、日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい理事りじ普及ふきゅう事業じぎょう出版しゅっぱん会館かいかん担当たんとう)を1つとめた。理事りじ在任ざいにんちゅう実績じっせきとして栄光えいこうゼミナール主催しゅさい小学生しょうがくせい将棋しょうぎ大会たいかい栄光えいこうゼミナールはい誘致ゆうちがある[ちゅう 10]
  • 2007ねん7がつ 渉外しょうがい普及ふきゅう特別とくべつ顧問こもん(東北とうほく担当たんとう)というあらたな肩書かたがきを将棋しょうぎ連盟れんめいつくってもらい、2008ねん4がつには自身じしん宮城みやぎけん仙台せんだいして、東北とうほく地方ちほう将棋しょうぎ普及ふきゅう本腰ほんごしれている。朝日新聞あさひしんぶん2008ねん10月17にちづけ朝刊ちょうかん宮城みやぎ県内けんないばん)の記事きじによると、対局たいきょくおとずれた仙台せんだいにほれんだといい、将棋しょうぎきな梅原うめはら克彦かつひこ仙台せんだい市長しちょう当時とうじ)にたのんで、仙台せんだい青葉あおばまつり青空あおぞら将棋しょうぎ教室きょうしつ毎年まいとし開催かいさいしている。
  • 2011ねん5がつ日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい非常勤ひじょうきん理事りじ就任しゅうにんあわせて、東北とうほく統括とうかつ本部ほんぶちょう就任しゅうにん
  • 2012ねん3がつ女流じょりゅう棋士きし鈴木すずきたまきと、やまがた特命とくめい観光かんこう・つやひめ大使たいし就任しゅうにん任期にんきさんねん。また、あったかふくしま観光かんこう交流こうりゅう大使たいしにも就任しゅうにんしている[9]
  • 2013ねん1がつ日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい常務じょうむ理事りじ就任しゅうにん[10]
  • 2016ねん10がつ10日とおか 自宅じたく会合かいごうひらき、三浦みうら弘行ひろゆききゅうだんのソフト不正ふせい使用しよう疑惑ぎわく問題もんだいについて協議きょうぎした。(参照さんしょう将棋しょうぎソフト不正ふせい使用しよう疑惑ぎわく
  • 2017ねん1がつ19にち体調たいちょう不良ふりょうにより、常務じょうむ理事りじ辞任じにんすると表明ひょうめいしていたけんが、理事りじかい承認しょうにんされた[11]

その

[編集へんしゅう]
  • 麻雀まーじゃん愛好あいこうであるが、先崎まっさきがく著書ちょしょには「ハマりすぎるために麻雀まーじゃんぱいかわてた」という記述きじゅつがある。しかし、2013ねん3がつ出版しゅっぱんされた自著じちょである「しまけんノート しんきたかた」には、麻雀まーじゃんぱいてたのは事実じじつでもかわにはてていないとするむね内容ないようがp222-223に記載きさいされている。また、だいパチンコきでもあると先崎まっさきがく著書ちょしょ[12]にある。
  • 社会しゃかい問題もんだいへの関心かんしんつよく、「THE・サンデー」や「しんぶん赤旗あかはた」のコメンテーターとしても活躍かつやくしていた。
  • 竜王りゅうおうせんだいいちきょく前夜祭ぜんやさい花束はなたば贈呈ぞうていしたミス川崎かわさき交際こうさいして結婚けっこんしたが、2016ねんくしている[13]。2018ねんごろ鈴木すずきたまき母親ははおや再婚さいこんした。配偶はいぐうしゃがんくしたもの同士どうし再婚さいこんだった[14]

弟子でし

[編集へんしゅう]

女流じょりゅう棋士きしとなった弟子でし

[編集へんしゅう]
名前なまえ 女流じょりゅうプロ 段位だんいおも活躍かつやく
水町みずまちみゆ 2018ねん5がつ1にち 女流じょりゅう初段しょだん

(2020ねん4がつ1にち現在げんざい

昇段しょうだん履歴りれき

[編集へんしゅう]
  • 1975ねん05月01にち : 6きゅう = 奨励しょうれいかい入会にゅうかい
  • 1975ねん05月01にち : 5きゅう
  • 1976ねん03がつ01にち : 4きゅう
  • 1976ねん05月01にち : 3きゅう
  • 1976ねん06がつ01にち : 2きゅう
  • 1976ねん12月01にち : 1きゅう
  • 1977ねん07がつ01にち : 初段しょだん
  • 1978ねん01がつ01にちだん
  • 1979ねん04がつ01にちさんだん
  • 1980ねん09月18にち : よんだん奨励しょうれいかい規定きていさんだん昇段しょうだん9連勝れんしょう) = プロ
  • 1984ねん05がつ10日とおか : だんかちすう規定きてい公式こうしきせん100しょう通算つうさん100しょう62はい
  • 1986ねん04がつ01にち : ろくだん順位じゅんいせんBきゅう2くみ昇級しょうきゅう通算つうさん180しょう97はい
  • 1988ねん11月17にち : ろくだんだい1竜王りゅうおう 獲得かくとく
  • 1989ねん04がつ01にち : ななだん特別とくべつ昇段しょうだん竜王りゅうおう獲得かくとくなど抜群ばつぐん成績せいせき通算つうさん291しょう156はい
  • 1994ねん04がつ01にち : はちだん順位じゅんいせんAきゅう昇級しょうきゅう通算つうさん419しょう246はい
  • 2008ねん04がつ17にち : きゅうだんかちすう規定きていはちだん昇段しょうだん公式こうしきせん250しょう通算つうさん669しょう513はい[15]

おも成績せいせき

[編集へんしゅう]

獲得かくとくタイトル

[編集へんしゅう]

 は2024ねん8がつ現在げんざい在位ざいい登場とうじょう連覇れんぱ 太字ふとじ 歴代れきだい最多さいた記録きろく

棋士きしとの比較ひかくは、タイトル獲得かくとく記録きろく将棋しょうぎのタイトル在位ざいいしゃ一覧いちらん参照さんしょう

タイトル 獲得かくとく年度ねんど 登場とうじょう 獲得かくとくすう 連覇れんぱ 永世えいせい称号しょうごう備考びこう
竜王りゅうおう 1988 2かい 1 1
名人めいじん 0
王位おうい 0
あきらおう 0
王座おうざ 2かい
棋王きおう 0
王将おうしょう 1かい
棋聖きせい 1かい
タイトル獲得かくとく 合計ごうけい 1 / 登場とうじょう回数かいすう 合計ごうけい6かい 

(1997年度ねんど王座おうざせん終了しゅうりょうまで)

タイトルせん登場とうじょう
  • 竜王りゅうおう:2かいだい1=1988年度ねんど - 2
  • 王座おうざ:2かいだい44=1996年度ねんど - 45
  • 王将おうしょう:1かいだい38=1988年度ねんど
  • 棋聖きせい:1かいだい65=1994年度ねんど
登場とうじょう回数かいすう 合計ごうけい 8かい(1997ねん王座おうざせんまで)

一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう

[編集へんしゅう]
  • せん(5連勝れんしょう以上いじょう) 3かいだい5かい-1982年度ねんど・8かい・9かい

非公式ひこうしきせん優勝ゆうしょう

[編集へんしゅう]

将棋しょうぎ大賞たいしょう

[編集へんしゅう]
  • だい12かい(1984年度ねんど新人しんじんしょう最多さいた勝利しょうりしょう
  • だい16かい(1988年度ねんど殊勲賞しゅくんしょう

在籍ざいせきクラス

[編集へんしゅう]
順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん在籍ざいせきクラスの年別ねんべつ一覧いちらん
開始かいし
年度ねんど
(出典しゅってん)順位じゅんいせん
出典しゅってん[16]
(出典しゅってん)竜王りゅうおうせん
出典しゅってん[17]
名人めいじん Aきゅう Bきゅう Cきゅう 0 竜王りゅうおう 1くみ 2くみ 3くみ 4くみ 5くみ 6くみ 決勝けっしょう
T
1くみ 2くみ 1くみ 2くみ
1981 40 C228 6-4
1982 41 C211 6-4
1983 42 C208 7-3
1984 43 C207 10-0
1985 44 C118 8-2
1986 45 B220 6-4 ( 棋戦きせん創設そうせつまえ
1987 46 B209 7-3 1  3くみ  5-1 3-1
1988 47 B203 5-5 2 竜王りゅうおう -- --
1989 48 B209 6-4 3 1くみ -- 1-2
1990 49 B206 8-2 4 1くみ 0-1 4-0
1991 50 B113 7-5 5 1くみ -- 1-2
1992 51 B105 6-6 6 1くみ 0-1 4-0
1993 52 B105 8-3 7 1くみ -- 2-2
1994 53 A 09 4-5 8 1くみ -- 1-2
1995 54 A 07 5-4 9 1くみ -- 1-2
1996 55 A 05 4-5 10 1くみ -- 2-2
1997 56 A 05 4-5 11 1くみ -- 0-2
1998 57 A 07 3-5 12 2くみ -- 4-2
1999 58 A 06 3-6 13 2くみ -- 1-2
2000 59 A 08 3-6 14 2くみ -- 1-2
2001 60 B101 11-1 15 2くみ -- 1-2
2002 61 A 09 4-5 16 2くみ -- 1-2
2003 62 A 08 2-7 17 2くみ -- 0-3
2004 63 B101 6-6 18 3くみ 0-1 3-1
2005 64 B106 5-7 19 2くみ -- 2-2
2006 65 B109 7-5 20 2くみ -- 1-2
2007 66 B106 3-9 21 2くみ -- 0-2
2008 67 B201 7-3 22 2くみ -- 4-1
2009 68 B204 5-5 23 2くみ -- 2-2
2010 69 B210 7-3 24 2くみ -- 3-1
2011 70 B205 6-4 25 1くみ -- 0-2
2012 71 B207 4-6 26 2くみ -- 0-2
2013 72 B212x 1-9 27 2くみ -- 4-1
2014 73 B225* 5-5 28 2くみ -- 0-2
2015 74 B216*x 3-7 29 3くみ -- 1-2
2016 75 C101x 2-8 30 3くみ -- 1-2
2017 76 C133* 5-5 31 3くみ -- 0-2
2018 77 C121* 4-6 32 4くみ -- 1-2
2019 78 C125* 5-5 33 4くみ -- 0-3
2020 79 C118*x 1-9 34 5くみ -- 0-3
2021 80 C204 3-7 35 6くみ -- 2-2
2022 81 C242 4-6 36 6くみ -- 3-2
2023 82 C241 4-6 37 6くみ -- 1-2
2024 83 C238 38 6くみ --
順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん わく表記ひょうき 挑戦ちょうせんしゃみぎらん数字すうじかち-はい(ばん勝負しょうぶ/POふくまず)。
順位じゅんいせんみぎ数字すうじはクラスない順位じゅんい ( x当期とうきくだきゅうてん / *累積るいせきくだきゅうてん / +くだきゅうてん消去しょうきょ )
順位じゅんいせんの「Fへん」はフリークラス編入へんにゅう /「Fせん」は宣言せんげんによるフリークラス転出てんしゅつ
竜王りゅうおうせん 太字ふとじ はランキングせん優勝ゆうしょう竜王りゅうおうせんくみ(添字そえじ)棋士きし以外いがいわくでの出場しゅつじょう

年度ねんどべつ成績せいせき

[編集へんしゅう]
公式こうしき棋戦きせん成績せいせき
年度ねんど 対局たいきょくすう かちすう 負数ふすう 勝率しょうりつ (出典しゅってん)
1980 16 9 7 0.5625 [18]
1980
(小計しょうけい)
16 9 7
年度ねんど 対局たいきょくすう かちすう 負数ふすう 勝率しょうりつ (出典しゅってん)
1981 34 18 16 0.5294 [19]
1982 54 36 18 0.6667 [20]
1983 50 32 18 0.6400 [21]
1984 60 44 16 0.7333 [22]
1985 63 41 22 0.6508 [23]
1986 51 34 17 0.6667 [24]
1987 56 36 20 0.6429 [25]
1988 63 41 22 0.6508 [26]
1989 52 29 22 0.5686 [27]
1990 52 30 22 0.5769 [28]
1981-1990
(小計しょうけい)
586 341 245
年度ねんど 対局たいきょくすう かちすう 負数ふすう 勝率しょうりつ (出典しゅってん)
1991 37 23 14 0.6261 [29]
1992 40 22 18 0.5500 [30]
1993 38 24 14 0.6316 [31]
1994 41 17 24 0.4146 [32]
1995 39 22 17 0.5641 [33]
1996 40 21 16 0.5250 [34]
1997 37 17 20 0.4595 [35]
1998 36 16 20 0.4444 [36]
1999 45 24 21 0.5333 [37]
2000 33 14 19 0.4242 [38]
1991-2000
(小計しょうけい)
386 200 186
年度ねんど 対局たいきょくすう かちすう 負数ふすう 勝率しょうりつ (出典しゅってん)
2001 32 17 15 0.5313 [39]
2002 43 25 18 0.5814 [40]
2003 25 7 18 0.2800 [41]
2004 35 17 18 0.4857 [42]
2005 37 21 16 0.5676 [43]
2006 37 19 18 0.5135 [44]
2007 35 12 23 0.3429 [45]
2008 42 24 18 0.5714 [46]
2009 32 20 12 0.6250 [47]
2010 34 18 16 0.6765 [48]
2001-2010
(小計しょうけい)
352 180 172
年度ねんど 対局たいきょくすう かちすう 負数ふすう 勝率しょうりつ (出典しゅってん)
2011 34 18 16 0.5294 [49]
2012 26 8 18 0.3077 [50]
2013 28 10 18 0.3571 [51]
2014 25 9 16 0.3600 [52]
2015 24 7 17 0.2917 [53]
2016 23 4 19 0.1739 [54]
2017 28 11 17 0.3929 [55]
2018 23 6 17 0.2609 [56]
2019 27 10 17 0.3704 [57]
2020 24 3 21 0.1250 [58]
2011-2020
(小計しょうけい)
262 86 176
年度ねんど 対局たいきょくすう かちすう 負数ふすう 勝率しょうりつ (出典しゅってん)
2021 27 9 18 0.3333 [59]
2022 27 11 16 0.4074 [60]
2023 36 18 18 0.5000 [61]
2021-2023
(小計しょうけい)
90 38 52
通算つうさん 1640 859 781 0.5238 [62]
2023年度ねんどまで

その表彰ひょうしょう

[編集へんしゅう]
  • 2004ねん08がつ08にち - 将棋しょうぎ栄誉えいよしょう公式こうしきせん通算つうさん600しょう達成たっせい通算つうさん 1046きょく/ 600しょう445はいもち将棋しょうぎ1/ 勝率しょうりつ0.574)[63]
  • 2005ねん 現役げんえき勤続きんぞく25ねん
  • 2018ねん02がつ06にち - 将棋しょうぎ栄誉えいよ敢闘かんとうしょう公式こうしきせん通算つうさん800しょう達成たっせい通算つうさん 1471きょく/ 800しょう670はいもち将棋しょうぎ1/ 勝率しょうりつ0.544)[1]

おも著書ちょしょ

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ だい19から制度せいどわり、3くみからは優勝ゆうしょうしゃしか本戦ほんせんられなくなったため。
  2. ^ これが羽生はぶはつタイトル獲得かくとくとなった。
  3. ^ 599しょうげて以降いこう、12連敗れんぱいきっするという大変たいへん難産なんざんすえ達成たっせいであった。
  4. ^ もと囲碁いご名人めいじん依田よだきのはじめはこれにならって「依田よだノート」をあらわしている。
  5. ^ 当時とうじ棋士きし研究けんきゅう一人ひとりおこなうのが普通ふつうであった。
  6. ^ タイトルせんでスーツを着用ちゃくようしたれいしまほかには加藤かとう一二三ひふみおよ村山むらやまきよし(1993ねんだい24王将おうしょうせん谷川たにがわ浩司こうじ王将おうしょう挑戦ちょうせんしゃとなったが、和服わふく発注はっちゅうわず、だい1・2きょくのみスーツ姿すがた対局たいきょくのぞんだ。)、永瀬ながせたく藤井ふじいさとしふとし(2020ねんだい91棋聖きせいせん渡辺わたなべあきら棋聖きせい挑戦ちょうせんしゃとなったが、だい1・2きょくのみスーツ姿すがた対局たいきょくのぞんだ。)以外いがいられていない。
  7. ^ 対局たいきょくしゃ同士どうしべつ行動こうどう」がそれまでの常識じょうしきであった。
  8. ^ たい丸山まるやま忠久ただひさたたかえ1998ねん当時とうじ非公式ひこうしきせん
  9. ^ だい1新銀河しんぎんがせん非公式ひこうしき棋戦きせん)1回戦かいせん藤井ふじいさとしふとし竜王りゅうおう たい 田中たなか寅彦とらひこきゅうだん対局たいきょく(2022ねん4がつ2にち配信はいしん)にいても同様どうように、田中たなかきゅうだんこまだいにある「裏返うらがえした状態じょうたい銀将ぎんしょうなりぎん)」をとなり金将きんしょうちがえて盤面ばんめん反則はんそくけとなった。
  10. ^ しま理事りじ選挙せんきょ立候補りっこうほ公約こうやくひとつとして「教育きょういく業界ぎょうかいとの連携れんけいによる普及ふきゅう事業じぎょう推進すいしん」をかかげていた。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b しまろうきゅうだん、800しょう(将棋しょうぎ栄誉えいよ敢闘かんとうしょう)達成たっせい将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい”. www.shogi.or.jp. 2024ねん8がつ12にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 将棋しょうぎのはなし(75)信用しんようおおきな武器ぶき | カルチャー | カナロコ”. web.archive.org (2019ねん6がつ20日はつか). 2024ねん8がつ12にち閲覧えつらん
  3. ^ 2019ねん7がつ30にち~7がつ31にち ななばん勝負しょうぶ だいきょく 豊島としま将之まさゆき王位おうい たい 木村きむら一基いっききゅうだんだい60王位おういせん”. live.shogi.or.jp. 2024ねん8がつ12にち閲覧えつらん
  4. ^ 日本にっぽん将棋しょうぎ用語ようご事典じてん』pp.87-90, 93
  5. ^ 将棋しょうぎペンクラブログ (2013ねん7がつ26にち). “しまろうきゅうだんのルーツ”. 将棋しょうぎペンクラブログ. 2024ねん8がつ12にち閲覧えつらん
  6. ^ a b 日本にっぽん将棋しょうぎ用語ようご事典じてん』pp.175-178
  7. ^ 文春ぶんしゅんオンライン」編集へんしゅう. 初代しょだい竜王りゅうおうしまあきらきゅうだんかんがえる「コンピューター将棋しょうぎ」と世代せだい交代こうたい | 将棋しょうぎ将棋しょうぎ | 文春ぶんしゅんオンライン” (日本語にほんご). 文春ぶんしゅんオンライン. https://bunshun.jp/articles/-/9597 2018ねん11がつ10日とおか閲覧えつらん 
  8. ^ 将棋しょうぎ棋譜きふでーたべーす」”. ww38.wiki.optus.nu. 2024ねん8がつ12にち閲覧えつらん
  9. ^ しまろうきゅうだん鈴木すずきたまき女流じょりゅう初段しょだんがやまがた特命とくめい観光かんこう・つやひめ大使たいし就任しゅうにん将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい”. www.shogi.or.jp. 2024ねん8がつ12にち閲覧えつらん
  10. ^ しまあきら棋士きしデータベース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい”. www.shogi.or.jp. 2024ねん8がつ12にち閲覧えつらん
  11. ^ 連盟れんめい公式こうしきサイト(Japan Shogi Association) 「将棋しょうぎニュース:臨時りんじ総会そうかいのおらせ」(2017ねん01がつ19にち 12:25)
  12. ^ まわり将棋しょうぎ技術ぎじゅつだ p.183
  13. ^ 伊藤いとうはてのTwitter(2016ねん8がつ19にち)
  14. ^ 森内もりうちチャンネル♯19トークへん勉強べんきょうほうしまけんエピソードそしてかん重大じゅうだい発表はっぴょうあり!! (YouTube). 森内もりうち俊之としゆき森内もりうちチャンネル. 21 August 2020. 2020ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  15. ^ しまろうはちだんきゅうだん昇段しょうだん(2008ねん4がつ17にちづけ)|将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい” (2008ねん4がつ17にち). 2023ねん12月13にち閲覧えつらん
  16. ^ 名人めいじんせん順位じゅんいせん”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 棋戦きせん. 2023ねん12月2にち閲覧えつらん
  17. ^ 竜王りゅうおうせん”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 棋戦きせん. 2023ねん12月2にち閲覧えつらん
  18. ^ [1][名無ななしリンク]
  19. ^ [2][名無ななしリンク]
  20. ^ [3][名無ななしリンク]
  21. ^ [4][名無ななしリンク]
  22. ^ [5][名無ななしリンク]
  23. ^ [6][名無ななしリンク]
  24. ^ [7][名無ななしリンク]
  25. ^ [8][名無ななしリンク]
  26. ^ [9][名無ななしリンク]
  27. ^ [10][名無ななしリンク]
  28. ^ [11][名無ななしリンク]
  29. ^ [12][名無ななしリンク]
  30. ^ [13][名無ななしリンク]
  31. ^ [14][名無ななしリンク]
  32. ^ [15][名無ななしリンク]
  33. ^ [16][名無ななしリンク]
  34. ^ [17][名無ななしリンク]
  35. ^ [18][名無ななしリンク]
  36. ^ [19][名無ななしリンク]
  37. ^ [20][名無ななしリンク]
  38. ^ [21][名無ななしリンク]
  39. ^ [22][名無ななしリンク]
  40. ^ [23][名無ななしリンク]
  41. ^ [24][名無ななしリンク]
  42. ^ [25][名無ななしリンク]
  43. ^ [26][名無ななしリンク]
  44. ^ [27][名無ななしリンク]
  45. ^ [28][名無ななしリンク]
  46. ^ [29][名無ななしリンク]
  47. ^ [30][名無ななしリンク]
  48. ^ [31][名無ななしリンク]
  49. ^ [32][名無ななしリンク]
  50. ^ [33][名無ななしリンク]
  51. ^ [34][名無ななしリンク]
  52. ^ [35][名無ななしリンク]
  53. ^ [36][名無ななしリンク]
  54. ^ [37][名無ななしリンク]
  55. ^ [38][名無ななしリンク]
  56. ^ [39][名無ななしリンク]
  57. ^ [40][名無ななしリンク]
  58. ^ [41][名無ななしリンク]
  59. ^ [42][名無ななしリンク]
  60. ^ [43][名無ななしリンク]
  61. ^ [44][名無ななしリンク]
  62. ^ [45][名無ななしリンク]
  63. ^ しまろうはちだん通算つうさん600しょう達成たっせい日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめいからのおらせ)”. 2004ねん12月9にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2023ねん12月13にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]