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丸山まるやま忠久ただひさ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
 丸山まるやま忠久ただひさ きゅうだん
名前なまえ 丸山まるやま忠久ただひさ
生年月日せいねんがっぴ (1970-09-05) 1970ねん9月5にち(53さい
プロ年月日ねんがっぴ 1990ねん4がつ1にち(19さい
棋士きし番号ばんごう 194
出身しゅっしん 千葉ちばけん木更津きさらづ
所属しょぞく 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい関東かんとう
師匠ししょう 佐瀬させ勇次ゆうじ名誉めいよきゅうだん
段位だんい きゅうだん
棋士きしDB 丸山まるやま忠久ただひさ
戦績せんせき
タイトル獲得かくとく合計ごうけい 3
一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう回数かいすう 13かい
2023ねん12月23にち現在げんざい
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丸山まるやま 忠久ただひさ(まるやま ただひさ、1970ねん9月5にち - )は、将棋しょうぎ棋士きしきゅうだん実力じつりょくせい11にん名人めいじん佐瀬させ勇次ゆうじ名誉めいよきゅうだん門下もんか棋士きし番号ばんごうは194。千葉ちばけん木更津きさらづ出身しゅっしん。いわゆる「羽生はぶ世代せだい」の一人ひとり

プロりと学業がくぎょう

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1983ねん奨励しょうれいかい入会にゅうかい試験しけん挑戦ちょうせんするが合格ごうかく[ちゅう 1]同年どうねんあらたに発足ほっそくした研修けんしゅうかい入会にゅうかいする。1984ねんだい9かい中学生ちゅうがくせい名人めいじんせん優勝ゆうしょうするが、研修けんしゅうかいではB1きゅう足踏あしぶみしてしまい奨励しょうれいかいへの編入へんにゅうはならず、奨励しょうれいかい入会にゅうかい試験しけんふたた受験じゅけんするがまたも合格ごうかく[1]翌年よくねん研修けんしゅうかいAきゅう昇級しょうきゅうしたことで奨励しょうれいかい6きゅうへの編入へんにゅうたした。

1986ねん志学しがくかん高等こうとう学校がっこうげん:志学しがくかん高等こうとう)に入学にゅうがく高校こうこう3ねんの11月にさんだんへの昇段しょうだんめ、次期じきさんだんリーグへのはつ参加さんかめる。1989ねんはる同校どうこう卒業そつぎょう早稲田大学わせだだいがく社会しゃかい科学かがく一芸いちげい推薦すいせん制度せいど入学にゅうがくする。大学だいがく生活せいかつ同時どうじに、さんだんリーグでのはつたたかいがはじまることとなった。

2度目どめさんだんリーグ(1989年度ねんど後期こうき)で14しょう4はい成績せいせきで1となり、大学だいがく2ねんになるのと同時どうじ1990ねん4がつ1にちけでよんだん昇段しょうだん(プロり)。

多忙たぼうなか高校こうこう大学だいがく留年りゅうねんしで卒業そつぎょうしている。

プロ

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プロデビュー初年度しょねんどである1990 - 1991年度ねんどから活躍かつやくだい4竜王りゅうおうせんでは6くみランキングせん優勝ゆうしょうし、本戦ほんせんでも5くみ優勝ゆうしょうしゃ畠山はたけやま勝利しょうりだい32王位おういせんでは4連勝れんしょうでリーグりするも、べにぐみ大島おおしまうつ勝利しょうりしたのみで1しょう4はい陥落かんらくだい41かいNHKはいせんでは予選よせん突破とっぱして本戦ほんせん準決勝じゅんけっしょうまですすみ、だい40王座おうざせんでも本戦ほんせんりをたした。そしてだい50順位じゅんいせんCきゅう2くみでは9しょう1はい成績せいせきおさめ、Cきゅう1くみへの昇級しょうきゅうとなった。

1992 - 1993年度ねんどだい14かいオールスターせんで6連勝れんしょう。5しょう以上いじょう優勝ゆうしょうあつかいであり、これが棋戦きせんはつ優勝ゆうしょうどう棋戦きせんとは相性あいしょうく、だい15かい、20かい、21かいでも5連勝れんしょう以上いじょう達成たっせいしている(だい15かいでは11連勝れんしょう)。だい5竜王りゅうおうせんでは昇級しょうきゅうしゃ決定けっていせんがり、4くみ昇級しょうきゅうだい52順位じゅんいせんCきゅう1くみでは9しょう1はい成績せいせきおさめるも、昇級しょうきゅうあらそいのライバルかつ順位じゅんい丸山まるやまひとじょうである有森ありもり浩三こうぞうに1はいしていたことおおきくひびき、順位じゅんいいちまい昇級しょうきゅうのがした(丸山まるやまは11有森ありもりは10)。

1994ねん順位じゅんいせんCきゅう1くみ在籍ざいせきの6がつ23にちから10がつ7にちにかけて、公式こうしきせん24連勝れんしょう記録きろく、2017ねん藤井ふじいさとしふとしかれるまでは歴代れきだい2記録きろく平成へいせい以降いこうとしては最長さいちょう記録きろくだった。その連勝れんしょう記録きろくなかには当時とうじ名人めいじんかんおう羽生はぶ善治よしはるとAきゅう棋士きし5めい加藤かとう一二三ひふみ谷川たにがわ浩司こうじ高橋たかはし道雄みちおみなみ芳一よしかず米長よねなが邦雄くにお)をかしている。また、当期とうきだい52順位じゅんいせんCきゅう1くみにてふたたび9しょう1はい成績せいせきおさめ、2でBきゅう2くみ昇級しょうきゅうとなった。にはだい13かい新鋭しんえいせんにて決勝けっしょう進出しんしゅつするも、畠山はたけやま成幸しげゆきやぶれてじゅん優勝ゆうしょうわった(ほん棋戦きせんではつぎだい14かいでも決勝けっしょう敗退はいたいし、じゅん優勝ゆうしょうとなっている)。

1994、1995ねん新人しんじんおうせんで2連覇れんぱ決勝けっしょう相手あいてはそれぞれ郷田ごうだしんたかし深浦ふかうらやすしだい8竜王りゅうおうせんでは4くみランキングせんじゅん優勝ゆうしょうして3くみ昇級しょうきゅうだい45王将おうしょうせんでははつ王将おうしょうリーグりをたすも、中原なかはらまこと相手あいてに1しょうしたのみで陥落かんらく。しかし、この1しょうによって中原なかはら挑戦ちょうせんしゃ決定けっていプレーオフへの進出しんしゅつのがすことになった。

1996年度ねんどだい55順位じゅんいせんBきゅう2くみにて9しょう1はい成績せいせきおさめ、Bきゅう1くみへの昇級しょうきゅうめた。だい9竜王りゅうおうせんでは3くみランキングせん優勝ゆうしょうし、2くみ昇級しょうきゅうだい37王位おういせんでは3かい王位おういリーグをたすと、べにぐみを4しょう1はい成績せいせきえてはつくみ優勝ゆうしょうめたが、挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせんにて深浦ふかうらやすしやぶれた。だい46王将おうしょうせんでは王将おうしょうリーグに復帰ふっきすると、4しょう2はいはつ残留ざんりゅう成功せいこうした。

1997年度ねんどだい56順位じゅんいせん史上しじょうはつのBきゅう1くみ12せん全勝ぜんしょうAきゅうはつ昇級しょうきゅう)。そのだい2せんは、病苦びょうくえる村山むらやまきよし丸山まるやまとともにAきゅう昇級しょうきゅうしたのち死去しきょ)との深夜しんやおよぶ173激闘げきとうとしてられる。だい23棋王きおうせんでは準決勝じゅんけっしょうまですすむがそこから2連敗れんぱいして、挑戦ちょうせんとはならなかった。

1998年度ねんど、Aきゅうはつ参戦さんせんとなっただい57順位じゅんいせんでは6しょう2はい好成績こうせいせきおさめるも、プレーオフ出場しゅつじょうにあと1しょうりない結果けっかとなった。だい11竜王りゅうおうせんでは2くみランキングせん優勝ゆうしょうし、ついに1くみ昇級しょうきゅうした。だい48王将おうしょうせんでは4しょう2はい成績せいせきおさめるも、やはりプレーオフまで1しょうりない結果けっかになった。だい17かい全日本ぜんにほんプロトーナメントでは、1999ねん4がつおこなわれた決勝けっしょうばん勝負しょうぶ森内もりうち俊之としゆきを3-0でくだし、ぜん棋士きし参加さんか棋戦きせんでのはつ優勝ゆうしょう達成たっせいした。

1999年度ねんどだい12竜王りゅうおうせんでは本戦ほんせん突破とっぱして挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせん進出しんしゅつするも、鈴木すずき大介だいすけ相手あいてに1-2で敗退はいたいだい47王座おうざせん羽生はぶ善治よしはる王座おうざへの挑戦ちょうせんけんタイトルせんはつ登場とうじょうとなったがばん勝負しょうぶは1-3で敗退はいたいした。おなじく1999ねんJT将棋しょうぎ日本にっぽんシリーズ優勝ゆうしょう(この棋戦きせんでは2001ねん優勝ゆうしょう)。そしてだい58順位じゅんいせんではAきゅうリーグを8しょう1はいという圧倒的あっとうてき成績せいせき優勝ゆうしょうし、名人めいじんへの挑戦ちょうせんまった。

だい58(2000年度ねんど名人めいじんせん佐藤さとう康光やすみつを4-3でやぶり、はつタイトル名人めいじんくらいく(2000ねん6月28にち同日どうじつづけ規定きていによりきゅうだん昇段しょうだんだんからきゅうだんまですべ順位じゅんいせん昇級しょうきゅう昇段しょうだんしたのは谷川たにがわ浩司こうじつづ史上しじょう2にん。)。当時とうじ丸山まるやまは、先手せんてならばかくわり戦法せんぽう後手ごてならばよこり△8飛車ひしゃ戦法せんぽうで、無敵むてきともえるつよさをほこっていた。ところが佐藤さとう全局ぜんきょくで、えて、その丸山まるやま得意とくい戦法せんぽう誘導ゆうどうした。よって、せんがたが2種類しゅるいしかあらわれず、名人めいじん挑戦ちょうせんしゃ得意とくい戦法せんぽうためすというめずらしいシリーズになった。そのだい50王将おうしょうせんでは王将おうしょうリーグを3しょう3はいえるも5陥落かんらくし、だい46からつづいてたどう棋戦きせんのリーグ残留ざんりゅう途絶とだえた。

だい59(2001年度ねんど名人めいじんせん谷川たにがわ浩司こうじ挑戦ちょうせんを4-3で退しりぞけ、はつ防衛ぼうえいだい49王座おうざせんではふたた挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせんまですすむが、久保くぼ利明としあき相手あいて敗戦はいせん

2000、2001年度ねんど将棋しょうぎ選手権せんしゅけんせん名人めいじん肩書かたがきをっての出場しゅつじょうであったが、2連覇れんぱ決勝けっしょう相手あいては、それぞれ羽生はぶ善治よしはる屋敷やしき伸之のぶゆき

だい60(2002年度ねんど名人めいじんせんで、0-4で森内もりうち俊之としゆきやぶしつかんするが、どう年度ねんどだい28棋王きおうせん羽生はぶ善治よしはる挑戦ちょうせんし、3-2で奪取だっしゅ羽生はぶ棋王きおう連覇れんぱを12でめたことが評価ひょうかされ、将棋しょうぎ大賞たいしょう殊勲賞しゅくんしょう受賞じゅしょう。そのだい73棋聖きせいせんでも決勝けっしょうトーナメントをすすむが、挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせんにて佐藤さとう康光やすみつ相手あいて敗退はいたい

2003ねんだい74棋聖きせいせん佐藤さとう康光やすみつ挑戦ちょうせんするが、0-3で奪取だっしゅならず。だい29棋王きおうせんでは谷川たにがわ浩司こうじ相手あいてに1-3でしつかんし、ふたた無冠むかんとなった。

2004年度ねんどだい54王将おうしょうせんにて王将おうしょうリーグに復帰ふっき。3しょう3はいえたが、予選よせんからがっていた郷田ごうだしんたかし阿久津あくつ主税ちからおな成績せいせきだったため、3にんでの残留ざんりゅう決定けっていせんおこなわれた。結果けっか丸山まるやま郷田ごうだ阿久津あくつ連勝れんしょうし、だい49以来いらい王将おうしょうリーグ残留ざんりゅうたした。

2005年度ねんどNHKはいせん優勝ゆうしょう渡辺わたなべあきらたたかった決勝けっしょうせんじょ中盤ちゅうばんからまぐるしい展開てんかいとなり、解説かいせつ米長よねなが邦雄くにおとききて千葉ちば涼子りょうこはなしはずんだ。

2006年度ねんどだい19竜王りゅうおうせんで1くみランキングせん優勝ゆうしょうし、本戦ほんせん突破とっぱして挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせん進出しんしゅつするが、佐藤さとう康光やすみつ相手あいてに2連敗れんぱい敗退はいたいした。だい56王将おうしょうせんでは王将おうしょうリーグを4しょう2はいえてプレーオフにはつ進出しんしゅつしたが、ふたた佐藤さとう康光やすみつ相手あいて敗退はいたいとなった。

2007年度ねんどだい48王位おういせんにて王位おういリーグりをすると、べにぐみにて3しょう2はい成績せいせき残留ざんりゅうした。また、だい1かい朝日あさひはい将棋しょうぎオープンせんだい1かい大和証券だいわしょうけんはいの2棋戦きせん決勝けっしょう進出しんしゅつするが、それぞれ行方なみかた尚史ひさし郷田ごうだしんたかし相手あいて敗退はいたいしてじゅん優勝ゆうしょうわった。

2007ねん5月11にち通算つうさん600しょう(290はい)を達成たっせい将棋しょうぎ栄誉えいよしょう)。

2008年度ねんどだい21竜王りゅうおうせんにて1くみランキングせんを2かい優勝ゆうしょうだい58王将おうしょうせんでは、王将おうしょうリーグにて3しょう3はいだったがリーグ陥落かんらくだい49王位おういせんではしろぐみふたたび3しょう2はい成績せいせき残留ざんりゅう次期じきにてリーグ陥落かんらく)。しかし、年度ねんど全体ぜんたい成績せいせきとしては19しょう21はいで、はじめてのしにわった。

2009年度ねんどはや棋戦きせん活躍かつやくし、NHKはい銀河ぎんがせんでそれぞれベスト4りをたした。

2010年度ねんどだい23竜王りゅうおうせんにて1くみランキングせんを3かい優勝ゆうしょう。NHKはいではふたたびベスト4にはいり、銀河ぎんがせんでは決勝けっしょう進出しんしゅつした(佐藤さとう康光やすみつやぶじゅん優勝ゆうしょう)。

2011ねん3月2にちだい69Aきゅう順位じゅんいせん最終さいしゅうきょく(「将棋しょうぎかい一番いちばんなが」)で渡辺わたなべあきら竜王りゅうおうち、渡辺わたなべ名人めいじんはつ挑戦ちょうせんはばむとともに、自身じしん通算つうさん700しょう(363はい勝率しょうりつ0.6585)を達成たっせいだい24竜王りゅうおうせんでは1くみランキングせんにて4かい優勝ゆうしょうたすと、挑戦ちょうせんしゃ決定けっていさんばん勝負しょうぶ久保くぼ利明としあきかんを2-1でくだはつ挑戦ちょうせんけん獲得かくとく竜王りゅうおうせん1くみ優勝ゆうしょうしゃ挑戦ちょうせんはじめてであった。しかし、タイトルせんにおいては1しょう4はい奪取だっしゅならず。

2012ねん3月2にちだい70Aきゅう順位じゅんいせん最終さいしゅうきょく久保くぼ利明としあきつも2しょう7はいとなり、連続れんぞく14在籍ざいせきしたAきゅうからBきゅう1くみへと降格こうかくとなる。9月11にちだい25竜王りゅうおうせん挑戦ちょうせんしゃ決定けっていさんばん勝負しょうぶ山崎やまざき隆之たかゆきななだんを2-1でくだし2ねん連続れんぞく挑戦ちょうせんけん獲得かくとくするも、1しょう4はい奪取だっしゅならず。

2014ねん11月18にち通算つうさん800しょう(433はい)を達成たっせい将棋しょうぎ栄誉えいよ敢闘かんとうしょう)。

2016年度ねんどだい29竜王りゅうおうせんの1くみランキングせんにて5かい優勝ゆうしょうたすが、挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせんにおいて三浦みうら弘行ひろゆききゅうだんやぶれる。しかし、三浦みうら出場しゅつじょう停止ていしとなり、げで竜王りゅうおうせんななばん勝負しょうぶ出場しゅつじょう渡辺わたなべあきら竜王りゅうおうとのななばん勝負しょうぶ最終さいしゅうきょくまでもつれむ。だい7きょく丸山まるやま果敢かかんめるも惜敗せきはいし、竜王りゅうおう獲得かくとくらなかった。

2017ねん当年度とうねんどよりタイトルせん昇格しょうかくしただい3あきらおうせんではきゅうだんせん予選よせんしまあきらきゅうだん郷田ごうだしんたかしきゅうだん本戦ほんせん進出しんしゅつ本戦ほんせんでも藤井ふじいたけしきゅうだん小林こばやし裕士ひろしななだん準決勝じゅんけっしょう進出しんしゅつ、ここで高見たかみ泰地たいじだんてば初代しょだいあきらおうけたななばん勝負しょうぶ出場しゅつじょうできるところだったが敗北はいぼくし、ベスト4にとどまった。

順位じゅんいせんでは、だい76Bきゅう1くみくだきゅうわく最下位さいかいの1めいのみであったが、最終さいしゅうきょくまえ最下位さいかい(Bきゅう2くみくだきゅう)が確定かくていした。名人めいじん在位ざいい経験けいけんしゃがBきゅう2くみくだきゅうするのは、加藤かとう一二三ひふみ以来いらい史上しじょう2にん

2020ねん1がつ22にちだい78Bきゅう2くみ順位じゅんいせん9回戦かいせんにおいて中川なかがわ大輔だいすけはちだん勝利しょうり。8連勝れんしょうでBきゅう1くみへの復帰ふっきたした。(最終さいしゅう成績せいせきは9しょう1はい)

同年どうねんにはだい33竜王りゅうおうせん挑戦ちょうせんしゃ決定けってい3ばん勝負しょうぶ進出しんしゅつしたが、羽生はぶ善治よしはるきゅうだんに1しょう2はいやぶれ50だいでのタイトルせん登場とうじょうはならなかった[2]

2021ねん2がつ4にちだい79順位じゅんいせん12回戦かいせん深浦ふかうらやすしきゅうだんやぶれ、4しょう8はいいちでのBきゅう2くみくだきゅうとなった。名人めいじん在位ざいい経験けいけんしゃがBきゅう2くみに2くだきゅうするのは史上しじょうはつ

2022ねん3がつ1にちだい80順位じゅんいせん10回戦かいせん昇級しょうきゅうあらそっていた鈴木すずき大介だいすけきゅうだん中村なかむら太地たいちななだんやぶれたため、ふたたいちでBきゅう1くみへの復帰ふっきたした(最終さいしゅう成績せいせきは8しょう2はい)。

2023ねん1がつ12にちだい79順位じゅんいせん11回戦かいせん屋敷やしき伸之のぶゆききゅうだんやぶれ、ふたたいちでのBきゅう2くみくだきゅうとなった(最終さいしゅう成績せいせきは4しょう8はい)。名人めいじん在位ざいい経験けいけんしゃがBきゅう2くみに3くだきゅうするのは史上しじょうはつ

どう2023ねん12月8にち通算つうさん1000しょう(600はい)を達成たっせい特別とくべつ将棋しょうぎ栄誉えいよしょう)。だい9あきらおうせん段位だんいべつ予選よせん九段くだんせん決勝けっしょうたい深浦ふかうらやすしせん)での勝利しょうりによるもので、2017ねん達成たっせい佐藤さとう康光やすみつ以来いらい史上しじょう10にん通算つうさん1000しょう達成たっせいとなる[3][4]

どう2023ねん12月23にちだい31銀河ぎんがせん決勝けっしょう囲碁いご将棋しょうぎプラス配信はいしんされ、藤井ふじいさとしふとし銀河ぎんが(はちかん)に勝利しょうり銀河ぎんがせんはつ優勝ゆうしょう[5]銀河ぎんがせん優勝ゆうしょう最年長さいねんちょう記録きろく(53さい1かげつ対局たいきょく基準きじゅん)更新こうしん[6]1993年度ねんどNHKはいテレビ将棋しょうぎトーナメント優勝ゆうしょうした加藤かとう一二三ひふみ以来いらいとなる50さいだい棋士きしによるぜん棋士きし参加さんか一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう達成たっせいした[7]。これらの好成績こうせいせきにより、どう年度ねんど将棋しょうぎ大賞たいしょう敢闘かんとうしょう受賞じゅしょうした[8]

棋風きふう

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きょ飛車ひしゃとうじょ中盤ちゅうばんでリードしてたたかかた接近せっきんせん得意とくいとする。優勢ゆうせいになってからもちをいそがず、相手あいてころ方針ほうしんつらぬ手堅てがた棋風きふうは、「激辛げきからりゅう」あるいは「友達ともだちくすたたかかた[9]われる。

かくわりよこ得意とくいとしている。1997年度ねんどNHKはいにおける兄弟子あにでし米長よねなが邦雄くにおとの対局たいきょくでは、後手ごてばん米長よねなが丸山まるやまかくわりをけ、かくわりのようなだしでありながらかくどうめてかく交換こうかん拒否きょひし、丸山まるやま飛車ひしゃさき交換こうかんゆるす、現代げんだいのプロ棋士きしからすれば奇異きい作戦さくせん採用さいようした。米長よねながきょく感想かんそうせんで「(丸山まるやまに)かくわりをさせたら、谷川たにがわ羽生はぶでもかなわないだろうから(かくわりの将棋しょうぎにしなかった)」とかたっている。だい24(2011年度ねんど)およびだい25(2012年度ねんど)竜王りゅうおうせんななばん勝負しょうぶでは、先手せんてならばかくわり、後手ごてならば一手いってそんかくわり全局ぜんきょくたたかった。

ゴキゲンちゅう飛車ひしゃ戦法せんぽうたいして早々そうそうかく交換こうかんするかたは「丸山まるやまワクチン」とばれる。これは丸山まるやま千里せんり開発かいはつした薬剤やくざい名前なまえちなんでいる。

最近さいきん[いつ?]丸山まるやま後手ごてばんで、一手いってそんかくわりの途中とちゅう、3先手せんてからかくどうめられた場合ばあい飛車ひしゃ採用さいようすることがおおくなった。

人物じんぶつ・エピソード

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  • 将棋しょうぎは「激辛げきからりゅう」でも、普段ふだんから愛想あいそく、会話かいわのときにみをかべることから「ニコニコりゅう」としょうされる。兄弟子あにでし米長よねなが邦雄くにおは、「まるちゃん」とんでいた。一方いっぽうで、口数くちかずすくなく、対局たいきょくほとんこまおんてずにすため「音無おとなしりゅう」ともばれる。
  • つまは、2001年度ねんどミス日本にっぽんフォトジェニックの村川むらかわ浩子ひろこ[ちゅう 2]入籍にゅうせきは2005ねん3がつ10日とおか挙式きょしき同年どうねん4がつ2にち[10]
  • 名人めいじんしつかんむり長野ながのけん軽井沢かるいざわまち在住ざいじゅうし、対局たいきょくのたびに新幹線しんかんせん上京じょうきょうする生活せいかつをしていたこともあったが、 現在げんざい都内とない転居てんきょしている。

対局たいきょく関連かんれんのエピソード

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  • 1991ねんだい32王位おういせん挑戦ちょうせんしゃ決定けっていリーグべにぐみで、大島おおしまうつ対戦たいせんしたさいは、あい矢倉やぐら序盤じょばんから後手ごて丸山まるやまたまがわからはしめし、66香車きょうしゃんだ。手薄てうすになったはしからの逆襲ぎゃくしゅうけるうちに成香なるかたま近付ちかづいていき、126成香なるかかんむり完成かんせいさせた。
  • 2002ねん挑戦ちょうせんしゃ森内もりうち俊之としゆきむかえた名人めいじんせんだい3きょくでは、126安全あんぜんちを目指めざしてかね成香なるかった(△7どうかね)がだい悪手あくしゅつぎの127森内もりうちしたは、飛車ひしゃ犠牲ぎせいにして王手おうてをしながらを1まい入手にゅうしゅする▲7いちりゅう(10までの11手詰てづめ)。丸山まるやまは、この一手いって投了とうりょう丸山まるやま勝勢しょうせい局面きょくめんであり、めのせば明快めいかいちだった。このシリーズは、4連敗れんぱいのストレートで森内もりうち名人めいじんうばわれることになる。
  • くだきゅう可能かのうせいもあった2010年度ねんどAきゅう順位じゅんいせん最終さいしゅうきょくでのたい渡辺わたなべせんでは、極度きょくどあつがりということもあってか対局たいきょくちゅう冷却れいきゃくジェルシート(NHKいわく、熱冷ねつさましのシート)を頭頂とうちょうるという一見いっけん奇妙きみょう行動こうどう[9]よくのAきゅう順位じゅんいせんだい2きょくでのたい羽生はぶせんでも冷却れいきゃくシートを使用しようしたが、これは後頭部こうとうぶに2まいがくにも1まいるというものであった。
  • おなじタイトル経験けいけんしゃ(初代しょだい竜王りゅうおう)かつAきゅう在位ざいい経験けいけんしゃしまあきらには公式こうしきせんはつ対局たいきょくから2017ねん8がつ28にちだい3あきらおうせん きゅうだん予選よせんでの対局たいきょくいたるまで20しょう0はい完封かんぷうしている。トップ棋士きし同士どうしでこれだけの大差たいさしょうじるのは非常ひじょうめずらしい。
  • 2016ねん7がつ下旬げじゅん以降いこう三浦みうら弘行ひろゆきたいして将棋しょうぎソフトを使用しようした不正ふせい疑惑ぎわく将棋しょうぎソフト不正ふせい使用しよう疑惑ぎわく)が発生はっせいし、疑惑ぎわくけられた4きょくうち2きょく対戦たいせんしゃ丸山まるやまだったが、その疑惑ぎわく否定ひてい[11]し「連盟れんめい対応たいおうには賛同さんどうしかねる」と発表はっぴょうした[12]。このこと騒動そうどう終息しゅうそくいたるまで一貫いっかんしていた。一致いっちりつ根拠こんきょとされたてんについては「コンピューターに支配しはいされるなんてまっぴらごめんだ」と発言はつげんした[13]
  • 藤井ふじいさとしふとし2023ねん10月11にちはちかん独占どくせん達成たっせいしたのち11月1にち銀河ぎんがせん決勝けっしょうせん丸山まるやま藤井ふじいち、藤井ふじいはちかん」にはじめてった棋士きしとなった。
しょくかんするエピソード
  • 2001ねん谷川たにがわ浩司こうじとの名人めいじんせんでは、夕食ゆうしょく休憩きゅうけいステーキ注文ちゅうもん谷川たにがわおどろかせた(2にち夕食ゆうしょくともなると、ほとんどの対局たいきょくしゃ緊張きんちょうからあまり食事しょくじらないことがおおい)[14]
  • 2011ねん渡辺わたなべあきらとの竜王りゅうおうせんでは、だい4きょく2にち朝食ちょうしょくふぐちり注文ちゅうもん関係かんけいしゃおどろかせた[15]
  • 東京とうきょう将棋しょうぎ会館かいかんでの対局たいきょくさいは、近隣きんりん飲食いんしょくてんみろくあん)から出前でまえさいに「唐揚からあ定食ていしょく唐揚からあげ3追加ついか」をたのむことがおおく、関係かんけいしゃあいだではこのわせが通称つうしょう丸山まるやま定食ていしょく」とばれている[16]。しかし本人ほんにんは2014ねん最後さいごに「丸山まるやま定食ていしょく」の注文ちゅうもんをやめ、以前いぜん注文ちゅうもんしていたヒレカツ定食ていしょく回帰かいきした。唐揚からあげをやめた理由りゆうは「唐揚からあげはおにくたっぷりのときとかわほねおおいときでムラが[ちゅう 3]」ためで、ヒレカツだとそのムラがすくないからだという[17]
  • 2016ねん竜王りゅうおうせん挑戦ちょうせんしゃ決定けっていさんばん勝負しょうぶ相手あいて三浦みうら弘行ひろゆき)では、だい1きょく昼食ちゅうしょくに「やし中華ちゅうかてんざるそば」[18]だい2きょくでは「やし中華ちゅうかのチャーシュー3まいし×2」[19]注文ちゅうもんし、相変あいかわらずの健啖けんたんぶりをせた。
  • カロリーメイト愛飲あいいんしている。対局たいきょくさいかんタイプすうほん用意よういしていたり、固形こけいタイプをむこともある[20]。その因果いんがで、後述こうじゅつのカロリーメイト(ゼリータイプ)のCMに出演しゅつえんした。

昇段しょうだん履歴りれき

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  • 1985ねん01がつ20日はつか : 6きゅう = 奨励しょうれいかい入会にゅうかい通常つうじょう入会にゅうかいではなく研修けんしゅうかいから)
  • 1985ねん03月28にち : 5きゅう
  • 1984ねん09がつ10日とおか : 4きゅう
  • 1985ねん12がつ10日とおか : 3きゅう
  • 1986ねん02がつ10日とおか : 2きゅう
  • 1986ねん06がつ10日とおか : 1きゅう
  • 1986ねん08がつ28にち初段しょだん
  • 1987ねん02がつ10日とおかだん
  • 1988ねん11がつ10日とおかさんだん
  • 1990ねん04がつ01にちよんだんだい6かい奨励しょうれいかいさんだんリーグ 成績せいせき1) = プロ
  • 1992ねん04がつ01にちだん順位じゅんいせん]Cきゅう1くみ昇級しょうきゅう
  • 1995ねん04がつ01にちろくだん順位じゅんいせんBきゅう2くみ昇級しょうきゅう
  • 1997ねん04がつ01にちななだん順位じゅんいせんBきゅう1くみ昇級しょうきゅう
  • 1998ねん04がつ01にちはちだん順位じゅんいせんAきゅう昇級しょうきゅう
  • 2000ねん06月28にちきゅうだん名人めいじん獲得かくとく

おも成績せいせき

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タイトル

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棋士きしとの比較ひかくは、タイトル獲得かくとく記録きろく将棋しょうぎのタイトル在位ざいいしゃ一覧いちらん参照さんしょう

タイトル 獲得かくとく年度ねんど 登場とうじょう 獲得かくとくすう 連覇れんぱ 永世えいせい称号しょうごう備考びこう
竜王りゅうおう 3かい[ちゅう 4]
名人めいじん 2000-2001 3かい 2 2連覇れんぱ
王位おうい 0
王座おうざ 1かい
棋王きおう 2002 2かい 1
あきらおう 0
王将おうしょう 0
棋聖きせい 1かい
登場とうじょう回数かいすう 合計ごうけい10かいタイトル獲得かくとく 合計ごうけい3[ちゅう 4]
タイトルせん 登場とうじょう回数かいすう
  • 竜王りゅうおう:3かい(2011年度ねんど=だい24 - 2012、2016年度ねんど=だい29[ちゅう 4]
  • 名人めいじん:3かい(2000年度ねんど=だい58 - 2002年度ねんど
  • 王座おうざ:1かい(1999年度ねんど=だい47
  • 棋王きおう:2かい(2002年度ねんど=だい28 - 2003年度ねんど
  • 棋聖きせい:1かい(2003年度ねんど=だい74
登場とうじょう回数かいすう 合計ごうけい10かい[ちゅう 4]

一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう

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  • だい14かい(6連勝れんしょう・1992-1993年度ねんど
  • だい15かい(11連勝れんしょう・1994年度ねんど
  • だい20かい(8連勝れんしょう・1999年度ねんど
  • だい21かい(6連勝れんしょう・2001-2002年度ねんど
優勝ゆうしょう回数かいすう 合計ごうけい13かい

将棋しょうぎ大賞たいしょう

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  • だい22かい(1994年度ねんど連勝れんしょうしょう新人しんじんしょう
  • だい23かい(1995年度ねんど最多さいた勝利しょうりしょう連勝れんしょうしょう
  • だい27かい(1999年度ねんど最多さいた勝利しょうりしょう最多さいた対局たいきょくしょう連勝れんしょうしょう技能ぎのうしょう
  • だい28かい(2000年度ねんど殊勲賞しゅくんしょう
  • だい30かい(2002年度ねんど殊勲賞しゅくんしょう
  • だい39かい(2011年度ねんどきょくしょうだい24竜王りゅうおうせんななばん勝負しょうぶだい4きょくたい渡辺わたなべあきら竜王りゅうおう
  • だい46かい(2018年度ねんど升田ますだ幸三こうぞうしょう特別とくべつしょう一手いってそんかくわりをはじめとしたかくわりの研究けんきゅう
  • だい51かい(2023年度ねんど敢闘かんとうしょう

その

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対局たいきょく記録きろく
その記録きろく表彰ひょうしょう
  • 2000ねん11月00にち - 木更津きさらづ名誉めいよ市民しみんあきら受章じゅしょう[24]
  • 2014ねん11月17にち - 勤続きんぞく25ねん (だい40かい将棋しょうぎ表彰ひょうしょう)[25]

記録きろく歴代れきだい1のもの)

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  • 竜王りゅうおうせんランキングせん1くみ優勝ゆうしょう回数かいすう (5かい)
  • 竜王りゅうおうせんランキングせん優勝ゆうしょう回数かいすう (8かい=1くみ5かい、2くみ・3くみ・6くみかく1かい)
  • Bきゅう1くみ順位じゅんいせん12せん全勝ぜんしょう史上しじょうはつ、1997年度ねんどだい56順位じゅんいせん[ちゅう 5]
  • 銀河ぎんがせん最年長さいねんちょう優勝ゆうしょう(53さい1かげつ、2023年度ねんどだい31

在籍ざいせきクラス

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順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん在籍ざいせきクラスの年別ねんべつ一覧いちらん
開始かいし
年度ねんど
(出典しゅってん)順位じゅんいせん
出典しゅってん[26]
(出典しゅってん)竜王りゅうおうせん
出典しゅってん[27]
名人めいじん Aきゅう Bきゅう Cきゅう 0 竜王りゅうおう 1くみ 2くみ 3くみ 4くみ 5くみ 6くみ 決勝けっしょう
T
1くみ 2くみ 1くみ 2くみ
1990 49 C252 6-4 4 6くみ 1-1 5-0
1991 50 C225 9-1 5 5くみ -- 4-1
1992 51 C122 6-4 6 4くみ -- 5-2
1993 52 C111 9-1 7 4くみ -- 1-2
1994 53 C102 9-1 8 4くみ -- 4-1
1995 54 B219 7-3 9 3くみ 0-1 4-0
1996 55 B205 9-1 10 2くみ -- 2-2
1997 56 B112 12-0 11 2くみ 1-1 4-0
1998 57 A 09 6-2 12 1くみ 3-2 4-1
1999 58  A03  8-1 13 1くみ -- 1-2
2000 59 名人めいじん -- 14 1くみ -- 1-2
2001 60 名人めいじん -- 15 1くみ -- 1-2
2002 61 A 01 4-5 16 1くみ -- 1-2
2003 62 A 05 5-4 17 1くみ -- 3-2
2004 63 A 04 4-5 18 1くみ -- 2-2
2005 64 A 06 4-5 19 1くみ 1-2 4-0
2006 65 A 05 4-5 20 1くみ -- 2-2
2007 66 A 05 6-3 21 1くみ 0-1 4-0
2008 67 A 04 5-4 22 1くみ -- 2-2
2009 68 A 04 5-4 23 1くみ 0-1 4-0
2010 69 A 04 4-5 24  1くみ  3-1 4-0
2011 70 A 06 2-7 25  1くみ  4-1 3-1
2012 71 B101 6-6 26 1くみ -- 2-2
2013 72 B105 8-4 27 1くみ -- 1-2
2014 73 B105 4-8 28 1くみ -- 1-2
2015 74 B111 7-5 29  1くみ  2-2 4-0
29 挑決敗退はいたいに、当初とうしょ挑戦ちょうせんしゃ欠場けつじょう挑戦ちょうせんしゃ[ちゅう 4]
2016 75 B107 4-8 30 1くみ 0-1 3-1
2017 76 B109 2-8 31 1くみ -- 2-2
2018 77 B201 6-4 32 1くみ -- 0-2
2019 78 B209 9-1 33 2くみ 4-2 3-1
2020 79 B112 4-8 34 1くみ -- 1-2
2021 80 B202 8-2 35 1くみ 0-1 3-1
2022 81 B113 4-8 36 1くみ 0-1 3-1
2023 82 B202 4-6 37 1くみ -- 2-2
2024 83 B218 38 1くみ --
順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん わく表記ひょうき 挑戦ちょうせんしゃみぎらん数字すうじかち-はい(ばん勝負しょうぶ/POふくまず)。
順位じゅんいせんみぎ数字すうじはクラスない順位じゅんい ( x当期とうきくだきゅうてん / *累積るいせきくだきゅうてん / +くだきゅうてん消去しょうきょ )
順位じゅんいせんの「Fへん」はフリークラス編入へんにゅう /「Fせん」は宣言せんげんによるフリークラス転出てんしゅつ
竜王りゅうおうせん 太字ふとじ はランキングせん優勝ゆうしょう竜王りゅうおうせんくみ(添字そえじ)棋士きし以外いがいわくでの出場しゅつじょう

年度ねんどべつ成績せいせき

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公式こうしき棋戦きせん成績せいせき
年度ねんど 対局たいきょくすう かちすう 負数ふすう 勝率しょうりつ (出典しゅってん)
1990 50 36 14 0.7200 [2]
年度ねんど 対局たいきょくすう かちすう 負数ふすう 勝率しょうりつ (出典しゅってん)
1991 60 45 15 0.7500 [3]
1992 52 35 17 0.6730 [4]
1993 45 30 15 0.6670 [5]
1994 64 51 13 0.7970 [6]
1995 64 46 18 0.7190 [7]
1996 58 41 17 0.7070 [8]
1997 46 31 15 0.6740 [9]
1998 44 31 13 0.7050 [10]
1999 68 50 18 0.7350 [11]
2000 46 26 20 0.5652 [12]
1991-2000
(小計しょうけい)
547 386 161
(るいけい) 597 422 175
年度ねんど 対局たいきょくすう かちすう 負数ふすう 勝率しょうりつ (出典しゅってん)
2001 45 32 13 0.7111 [13]
2002 61 36 25 0.5901 [14]
2003 48 26 22 0.5416 [15]
2004 41 22 19 0.5365 [16]
2005 45 30 15 0.6666 [17]
2006 48 30 18 0.6250 [18]
2007 48 28 20 0.5833 [19]
2008 40 19 21 0.4750 [20]
2009 45 26 19 0.5777 [21]
2010 47 31 16 0.6595 [22]
2001-2010
(小計しょうけい)
468 280 188
(るいけい) 1065 702 363
年度ねんど 対局たいきょくすう かちすう 負数ふすう 勝率しょうりつ (出典しゅってん)
2011 45 22 23 0.4888 [23]
2012 51 28 23 0.5490 [24]
2013 45 30 15 0.6666 [25]
2014 40 21 19 0.5250 [26]
2015 40 23 17 0.5750 [27]
2016 51 26 25 0.5098 [28]
2017 40 18 22 0.4500 [29]
2018 41 23 18 0.5609 [30]
2019 40 28 12 0.7000 [31]
2020 40 20 20 0.5000 [32]
2011-2020
(小計しょうけい)
433 239 194
(るいけい) 1498 941 557
年度ねんど 対局たいきょくすう かちすう 負数ふすう 勝率しょうりつ (出典しゅってん)
2021 41 28 13 0.6829 [33]
2022 32 11 21 0.3437 [34]
2023 41 24 17 0.5854 [28]
2021-2023
(小計しょうけい)
114 63 51
通算つうさん 1613 1004 609 0.6224 [35]
2023年度ねんどまで

著書ちょしょ

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出演しゅつえん

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ 藤井ふじいたけし三浦みうら弘行ひろゆき一度いちど奨励しょうれいかい試験しけんちた経験けいけんつが、丸山まるやま同様どうよう、そのAきゅう棋士きし・タイトルホルダーにまでなっている。
  2. ^ ミス日本にっぽんフォトジェニック受賞じゅしょうのち、「川村かわむらとしさとめいグラビアアイドルとしての活動かつどうれきもあり”. web.archive.org (2003ねん12月6にち). 2024ねん8がつ9にち閲覧えつらん
  3. ^ 「みろくあん」の唐揚からあ定食ていしょくほねにく使用しようしている。
  4. ^ a b c d e げで挑戦ちょうせんしゃになっただい29竜王りゅうおうせんふくむ。
  5. ^ 2018年度ねんど渡辺わたなべあきら丸山まるやまいで史上しじょう2にんとなるBきゅう1くみ12せん全勝ぜんしょう記録きろくしている。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ 将棋しょうぎペンクラブログ (2013ねん11月10にち). “丸山まるやま忠久ただひさきゅうだん研修けんしゅうかい時代じだい”. 将棋しょうぎペンクラブログ. 2024ねん8がつ9にち閲覧えつらん
  2. ^ だい33竜王りゅうおうせん 決勝けっしょうトーナメント・ななばん勝負しょうぶ”. www.shogi.or.jp. 2024ねん7がつ20日はつか閲覧えつらん
  3. ^ a b 丸山まるやま忠久ただひさきゅうだん、1000しょう(特別とくべつ将棋しょうぎ栄誉えいよしょう)を達成たっせい日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい、2023ねん12月11にちhttps://www.shogi.or.jp/news/2023/12/1000_4.html 
  4. ^
  5. ^ 村瀬むらせ信也しんや藤井ふじいさとしたいはちかんはちかん達成たっせいはつ黒星くろぼし」 丸山まるやま忠久ただひさきゅうだん銀河ぎんがせん優勝ゆうしょう朝日新聞あさひしんぶんデジタル」『asahi.com(朝日新聞あさひしんぶん)』2023ねん12月23にち2023ねん12月23にち閲覧えつらん
  6. ^ 従来じゅうらい記録きろく藤井ふじいたけしの45さい10かげつ(だい24対局たいきょく基準きじゅん)
  7. ^ 将棋しょうぎ世界せかい 2024ねん3がつごう日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい、2024ねん2がつ2にち、81ぺーじ 
  8. ^ 藤井ふじいさとしたいはちかんが4ねん連続れんぞく最優秀さいゆうしゅう棋士きししょう 将棋しょうぎ大賞たいしょう各賞かくしょう発表はっぴょう”. スポーツ報知ほうち (2024ねん4がつ1にち). 2024ねん4がつ1にち閲覧えつらん
  9. ^ a b 将棋しょうぎペンクラブログ (2011ねん3がつ7にち). “美学びがくじゅんじた棋士きし前編ぜんぺん”. 将棋しょうぎペンクラブログ. 2024ねん8がつ9にち閲覧えつらん
  10. ^ 丸山まるやま忠久ただひさきゅうだん結婚けっこん日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい
  11. ^ 調査ちょうさ報告ほうこくしょ P13
  12. ^ だい29竜王りゅうおうせんななばん勝負しょうぶ挑戦ちょうせんしゃ変更へんこうについて【丸山まるやま忠久ただひさきゅうだんのコメント】」” (2016ねん10がつ29にち). 2016ねん10がつ29にち閲覧えつらん
  13. ^ 丸山まるやまきゅうだん「コンピューターに支配しはいされる世界せかいなんてまっぴらごめん」”. スポーツ報知ほうち (2016ねん10がつ21にち). 2016-10-211てんオリジナルよりアーカイブ。2016ねん10がつ2にち閲覧えつらん
  14. ^ 将棋しょうぎペンクラブログ (2014ねん11月17にち). “戦慄せんりつ早朝そうちょう三羽烏さんばがらす”. 将棋しょうぎペンクラブログ. 2024ねん8がつ9にち閲覧えつらん
  15. ^ 竜王りゅうおうせん王将おうしょうせん棋王きおうせん - 将棋しょうぎペンクラブログ・2011ねん12月3にち
  16. ^ みろくあんでは○○トッピングがブーム!?将棋しょうぎ会館かいかんちかくのおすすめグルメスポット7せん後編こうへん】|将棋しょうぎコラム|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい”. www.shogi.or.jp. 2024ねん8がつ9にち閲覧えつらん
  17. ^ なぜ丸山まるやま忠久ただひさ唐揚からあげではなくヒレカツをたのむのか?【あきらおうせん24棋士きし 白鳥しらとり士郎しろう 特別とくべつインタビュー vol.03】”. ニコニコニュース オリジナル (2018ねん10がつ13にち). 2024ねん8がつ9にち閲覧えつらん
  18. ^ 対局たいきょくしゃ昼食ちゅうしょく”. 竜王りゅうおうせん中継ちゅうけいplus. 2024ねん8がつ9にち閲覧えつらん
  19. ^ 昼食ちゅうしょく休憩きゅうけい”. 竜王りゅうおうせん中継ちゅうけいplus. 2024ねん8がつ9にち閲覧えつらん
  20. ^ だい29竜王りゅうおうせんだいきょく棋譜きふ解説かいせつ丸山まるやまはカロリーメイトのかんけた。終盤しゅうばんせんけて栄養えいよう補給ほきゅうする」など
  21. ^ 近代きんだい将棋しょうぎ』 2000ねん8がつごう近代きんだい将棋しょうぎ / 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、172ぺーじhttps://dl.ndl.go.jp/pid/6047384/1/88 
  22. ^ 丸山まるやま忠久ただひさきゅうだん、600しょう将棋しょうぎ栄誉えいよしょう達成たっせい!|将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい” (2007ねん5がつ12にち). 2023ねん12月8にち閲覧えつらん
  23. ^ 丸山まるやま忠久ただひさきゅうだん、800しょう将棋しょうぎ栄誉えいよ敢闘かんとうしょう達成たっせい将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい” (2014ねん11月19にち). 2014ねん11月19にち閲覧えつらん
  24. ^ 名誉めいよ市民しみん市民しみん栄誉えいよしょう - 千葉ちばけん木更津きさらづ公式こうしきホームページ”. 千葉ちばけん木更津きさらづ. 2012ねん7がつ30にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん3がつ10日とおか閲覧えつらん
  25. ^ だい40かい将棋しょうぎ表彰ひょうしょう感謝かんしゃ式典しきてん模様もよう将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい” (2014ねん11月18にち). 2014ねん11月18にち閲覧えつらん
  26. ^ 名人めいじんせん順位じゅんいせん”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 棋戦きせん. 2023ねん12月2にち閲覧えつらん
  27. ^ 竜王りゅうおうせん”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 棋戦きせん. 2023ねん12月2にち閲覧えつらん
  28. ^ [1][名無ななしリンク]

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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