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しょうばんのぼる

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 しょうばん のぼる はちだん
名前なまえ しょうばん のぼる
生年月日せいねんがっぴ (1950-02-18) 1950ねん2がつ18にち(74さい
プロ年月日ねんがっぴ 1973ねん10がつ1にち(23さい
引退いんたい年月日ねんがっぴ 2010ねん7がつ14にち(60さい
棋士きし番号ばんごう 112
出身しゅっしん 兵庫ひょうごけん神戸こうべ
所属しょぞく 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい関西かんさい
師匠ししょう ふじない金吾きんごはちだん
段位だんい はちだん
棋士きしDB しょうばん のぼる
戦績せんせき
一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう回数かいすう 1かい
通算つうさん成績せいせき 444しょう580はい(0.4336)
竜王りゅうおうせん最高さいこうクラス 4くみ
順位じゅんいせん最高さいこうクラス Cきゅう2くみ
2020ねん4がつ1にち現在げんざい
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しょうばん のぼる(こさか のぼる、1950ねん2がつ18にち - ) は、将棋しょうぎ棋士きし。2010ねん引退いんたいふじない金吾きんごはちだん門下もんか棋士きし番号ばんごうは112。兵庫ひょうごけん神戸こうべ出身しゅっしん

奨励しょうれいかいAぐみきゅうさんだんリーグ)で105ねん足踏あしぶみするが、1973ねん前期ぜんきだい10)に11しょう1はいというずばけた成績せいせきで1となり、関東かんとう1桐谷きりたに広人ひろととの東西とうざい決戦けっせんせいして、1973ねん10月1にちけでプロりする。

だい16(1975年度ねんど王位おういせんでリーグり。

1978ねんだい9かい新人しんじんおうせん決勝けっしょうさんばん勝負しょうぶ進出しんしゅつ相手あいては、弟弟子おとうとでし親友しんゆう[1]でもある森安もりやす秀光ひでみつであった。森安もりやす前回ぜんかい優勝ゆうしょうしゃであり2ねん連続れんぞく通算つうさん4かい優勝ゆうしょうねらっていたが、小阪こさかが1はいのちの2連勝れんしょう優勝ゆうしょうした。なお、中原なかはらまこと名人めいじんとの記念きねん対局たいきょく名人めいじんvs新人しんじんおうせん優勝ゆうしょうしゃ)ではやぶれた。

だい31かい(1981年度ねんどNHKはいせん本戦ほんせん出場しゅつじょう。1回戦かいせん宮坂みやさか幸雄ゆきおち、2回戦かいせんでは兄弟子あにでし内藤ないとう國雄くにお勝利しょうりする(3回戦かいせん大山おおやま康晴やすはるやぶれる)。

だい44(1985年度ねんど)のCきゅう2くみ順位じゅんいせんは、7しょう2はい最終さいしゅうきょくむかえ、自力じりきではないものの昇級しょうきゅう可能かのうせいがあった。これにって8しょう2はいとしたものの、ライバルのうち1めいったため次点じてん(4)にわった。よく年度ねんどだい45(1986年度ねんど)Cきゅう2くみ順位じゅんいせんでは、順位じゅんいせんデビューの羽生はぶ善治よしはる勝利しょうりするなどして、だい7せんまで無傷むきず全勝ぜんしょう。しかも、前期ぜんき次点じてん成績せいせきにより順位じゅんいひょう絶好ぜっこうのポジションにいた。しかし、そこから3連敗れんぱいして7しょう3はいの8となり、またも昇級しょうきゅうのがした。

1988年度ねんどだい1竜王りゅうおうせん4くみにおいては、てば早速さっそく3くみ昇級しょうきゅうという一番いちばん準決勝じゅんけっしょう)で羽生はぶたり、けている。

2010ねん引退いんたい。2009年度ねんど引退いんたい規定きてい改定かいていされ、引退いんたい年度ねんどまつ(3がつまつ)から最終さいしゅう対局たいきょく変更へんこうされた[2]小阪こさかは2010年度ねんどはいってから竜王りゅうおうせん6くみ昇級しょうきゅうしゃ決定けっていせんで3連勝れんしょうし、7がつ14にち千葉ちば幸生さちおやぶれるまで引退いんたいびた[3]

棋風きふう

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飛車ひしゃとうで、ちゅう飛車ひしゃよんあいだ飛車ひしゃさんあいだ飛車ひしゃかい飛車ひしゃあい飛車ひしゃのいずれもす。先手せんてばんでは時折ときおりきょ飛車ひしゃす。後手ごてばんではちゅう飛車ひしゃさんあいだ飛車ひしゃおおい。

きむぎん前線ぜんせんこうめに特徴とくちょうがある棋風きふうである。

人物じんぶつ

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昇段しょうだん履歴りれき

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おも成績せいせき

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通算つうさん成績せいせき

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444しょう580はい

棋戦きせん優勝ゆうしょう

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優勝ゆうしょう合計ごうけい1かい

在籍ざいせきクラス

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順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん在籍ざいせきクラスの年別ねんべつ一覧いちらん
開始かいし
年度ねんど
(出典しゅってん)順位じゅんいせん
出典しゅってん[5]
(出典しゅってん)竜王りゅうおうせん
出典しゅってん[6]
名人めいじん Aきゅう Bきゅう Cきゅう 0 竜王りゅうおう 1くみ 2くみ 3くみ 4くみ 5くみ 6くみ 決勝けっしょう
T
1くみ 2くみ 1くみ 2くみ
1974 29 C212
1975 30 C207
1976 主催しゅさいしゃ移行いこう問題もんだいにより中止ちゅうし
1977 36 C206
1978 37 C228
1979 38 C209
1980 39 C209
1981 40 C207
1982 41 C205
1983 42 C216
1984 43 C216
1985 44 C225
1986 45 C202
1987 46 C207 1 4くみ --
1988 47 C214 2 4くみ --
1989 48 C226 3 4くみ --
1990 49 C219 4 4くみ --
1991 50 C240 5 4くみ --
1992 51 C251 6 4くみ --
1993 52 C227 7 4くみ --
1994 53 C239 8 4くみ --
1995 54 C226 9 4くみ --
1996 55 C223 10 4くみ --
1997 56 C232 11 4くみ --
1998 57 C222 12 4くみ --
1999 58 C235 13 4くみ --
2000 59 C227 14 4くみ --
2001 60 C235 15 4くみ --
2002 61 C213 16 5くみ --
2003 62 C237 17 5くみ --
2004 63 C232 18 5くみ --
2005 64 Fへん 19 5くみ --
2006 65 Fへん 20 5くみ --
2007 66 Fへん 21 6くみ --
2008 67 Fへん 22 6くみ --
2009 68 Fへん 23 6くみ --
順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん わく表記ひょうき 挑戦ちょうせんしゃみぎらん数字すうじかち-はい(ばん勝負しょうぶ/POふくまず)。
順位じゅんいせんみぎ数字すうじはクラスない順位じゅんい ( x当期とうきくだきゅうてん / *累積るいせきくだきゅうてん / +くだきゅうてん消去しょうきょ )
順位じゅんいせんの「Fへん」はフリークラス編入へんにゅう /「Fせん」は宣言せんげんによるフリークラス転出てんしゅつ
竜王りゅうおうせん 太字ふとじ はランキングせん優勝ゆうしょう竜王りゅうおうせんくみ(添字そえじ)棋士きし以外いがいわくでの出場しゅつじょう

表彰ひょうしょう

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  • 現役げんえき勤続きんぞく25ねん表彰ひょうしょう(1997ねん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c 将棋しょうぎ世界せかい」2000ねん1がつごう付録ふろくより。
  2. ^ 引退いんたい棋士きしのおらせ|将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 2017ねん8がつ26にち閲覧えつらん
  3. ^ 小阪こさか のぼりななだん引退いんたい将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 2017ねん8がつ26にち閲覧えつらん
  4. ^ 近代きんだい将棋しょうぎ(1999ねん12がつごう近代きんだい将棋しょうぎしゃ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、168ぺーじhttps://dl.ndl.go.jp/pid/6047376/1/85 
  5. ^ 名人めいじんせん順位じゅんいせん」『日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい』。
  6. ^ 竜王りゅうおうせん」『日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい』。

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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