山田 久美
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1967 | |
プロ |
1982 |
6 | |
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2015 |
略歴
- 1981
年 第 5回 女流 アマ最強 戦 優勝 。 - 1982
年 第 1回 女流 アマ棋聖 戦 優勝 。 - 1982
年 4月 20日 女流 プロ入 り(女流 育成 会 発足 以前 に女流 プロ入 りした最後 の女流 棋士 ) - 1989
年 第 12期 女流 王将 戦 でタイトル初 挑戦 (林葉 直子 に0-2で敗退 ) - 1992
年 度 から1995年 度 まで、NHK杯 テレビ将棋 トーナメント」の司会 を務 める - 1992
年 8月 18日 -1993年 4月 23日 女流 棋戦 17連勝 (当時 の最多 連勝 記録 に並 ぶ) - 1994
年 第 8回 レディースオープントーナメント準 優勝 - 1996
年 度 から1998年 度 まで、 NHK「囲碁 ・将棋 ジャーナル」の司会 を務 める。 - 2014
年 第 22期 大山 名人 杯 倉敷 藤花 戦 で、25年 ぶりのタイトル挑戦 (47歳 8か月 での女流 タイトル戦 登場 は当時 の女流 棋戦 最年長 記録 [注釈 1]、甲斐 智美 に1-2で敗退 ) - 2017
年 6月より日本 将棋 連盟 女流 棋士 会 会長 を務 めている。
人物
- プロ
棋士 の多 くは小学生 の低 学年 までに将棋 を始 めている[3]が、山田 が将棋 を始 めたのは小学校 6年生 の三 学期 ごろと晩学 であった[4]。 中学 卒業 を機 に、師匠 である西村 一義 の内弟子 となる。内弟子 となったことで師匠 からたくさん将棋 を教 わることを期待 したが、当時 の西村 は連盟 理事 の要職 にあり多忙 を極 めていたことから、直接 教 わる機会 は少 なかった[5]。- 2002
年 、清水 市代 、中倉 彰子 、中倉 宏美 とともにユニット「原宿 将棋 通 り」でCDデビュー。
昇級 ・昇段 履歴
- 1982
年 4月 20日 -女流 2級
(女流 1級 、飛 び級 ) - 1983
年 4月 1日 -女流 初段 (女流 名人 位 戦 A級 リーグ入 り) - 1990
年 2月 28日 -女流 二 段 (タイトル挑戦 ) - 2000
年 4月 1日 -女流 三 段 (昇段 規定 改定 による昇段 [6][7]) - 2014
年 9月29日 -女流 四 段 (勝 数 規定 /女流 三 段 昇段 後 公式 戦 120勝 )
主 な成績
- タイトル
履歴
脚注
注釈
出典
- ^
女流 棋士 会 役員 のお知 らせ -日本 将棋 連盟 ・2017年 6月 29日 - ^ “
将棋 の清水 女流 六 段 がタイトル戦 登場 の史上 最年長 記録 を更新 49歳 8か月 ” (日本語 ). スポーツ報知 . (2018年 9月 10日 ). オリジナルの2018年 9月 10日 時点 におけるアーカイブ。 2018年 9月 10日 閲覧 。 - ^ “
将棋 は脳 を育 てる将棋 を始 めたのはいつ頃 でしたか”. アイデス株式会社 . 2012年 6月 2日 時点 のオリジナルよりアーカイブ。2020年 8月 6日 閲覧 。 - ^ “
山田 久美 女流 三 段 、女流 棋士 に憧 れた中学生 時代 ”. NHK出版 . 2020年 8月 6日 閲覧 。 - ^ “
揮毫 の「真心 」が西村 一義 九 段 の人柄 ……山田 久美 女流 三 段 の師匠 への思 い”. NHK出版 . 2015年 3月 26日 時点 のオリジナルよりアーカイブ。2020年 8月 6日 閲覧 。 - ^
記録 室 より(日本 将棋 連盟 ) - ^
女流 棋士 昇段 規定 .(平成 12年 4月 1日 改定 ・補足 )