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岩根いわねしのぶ

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 岩根いわねしのぶ 女流じょりゅうさんだん
平成へいせい30ねん11月、姫路ひめじおこなわれた人間にんげん将棋しょうぎにて
名前なまえ 岩根いわねしのぶ
生年月日せいねんがっぴ (1981-03-16) 1981ねん3月16にち(43さい
プロ年月日ねんがっぴ 2004ねん4がつ1にち(23さい
女流じょりゅう棋士きし番号ばんごう 32
出身しゅっしん 大阪おおさか大阪おおさか
所属しょぞく 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい関東かんとう
師匠ししょう 小林こばやし健二けんじきゅうだん
段位だんい 女流じょりゅうさんだん
女流じょりゅう棋士きしDB 岩根いわねしのぶ
2016ねん6がつ8にち現在げんざい
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岩根いわね しのぶ(いわね しのぶ、1981ねん3月16にち - )は、日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい所属しょぞく女流じょりゅう棋士きし小林こばやし健二けんじきゅうだん門下もんか大阪おおさか大阪おおさか出身しゅっしん女流じょりゅう棋士きし番号ばんごうは32(2011ねん3がつ31にちまでは56)。

棋歴

1994ねん女流じょりゅうアマ名人めいじんせん優勝ゆうしょうて、1995ねん奨励しょうれいかい入会にゅうかい

奨励しょうれいかい時代じだいの2002ねんに、だい60名人めいじんせんななばん勝負しょうぶだい1きょく記録きろくがかりを、女性じょせいとして史上しじょうはじめて単独たんどくおこなっている。

奨励しょうれいかいでは最終さいしゅうてきに1きゅうまでがるが2003ねん退会たいかいよく2004ねん4がつ1にち女流じょりゅう1きゅうとしてデビュー(女流じょりゅう棋士きし一般いっぱんてき登竜門とうりゅうもんである女流じょりゅう育成いくせいかい出身しゅっしんではなく、奨励しょうれいかいから直接ちょくせつ女流じょりゅう棋士きし転身てんしんしたはじめてのケースである[注釈ちゅうしゃく 1])。

2009ねんだい2マイナビ女子じょしオープンではトーナメントをすすみ、挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせん清水しみず市代いちよやぶってタイトルはつ挑戦ちょうせん当時とうじ岩根いわね出産しゅっさんひかえていたために延期えんき[1]て、6月18にちからの開幕かいまくになった[2]五番ごばん勝負しょうぶ結果けっか矢内やない理絵子りえこに3連敗れんぱいわりタイトル奪取だっしゅはならなかった。

2009ねん7がつ8にち棋士きし男性だんせい棋士きし)とのはつ公式こうしきせんはつ勝利しょうりげる(だい3かい朝日あさひはい将棋しょうぎオープンせんいち予選よせんたいかみ吉宏よしひろたかしせん)。

2010ねんだい18倉敷くらしき藤花ふじはなせんではすすみ、挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせん甲斐かい智美ともみやぶり、挑戦ちょうせんしゃとなる。さんばん勝負しょうぶでは里見さとみ香奈かな初戦しょせん勝利しょうり王手おうてをかけるもその2連敗れんぱいでタイトル奪取だっしゅはならなかった。

2013ねん一身上いっしんじょう都合つごうにより4がつから休場きゅうじょう[3]当初とうしょ半年はんとしあいだ休場きゅうじょう予定よていだったが、1年間ねんかん休場きゅうじょうした。

2016ねんだい27女流じょりゅう王位おういせんでは挑戦ちょうせんしゃ決定けっていリーグで4しょう1はいべにぐみ優勝ゆうしょう挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせんでは清水しみず市代いちよやぶり、挑戦ちょうせんしゃとなる。しかし5がつからのばん勝負しょうぶでは里見さとみ香奈かなに3連敗れんぱいさん度目どめ挑戦ちょうせんもタイトル奪取だっしゅはならなかった。

2018ねんだい11マイナビ女子じょしオープンでは挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせんすすむ。しかし挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせんでは西山にしやまともけいやぶれ、ほん棋戦きせん9ぶりの挑戦ちょうせんはならなかった。

人物じんぶつ

愛称あいしょうはしーちゃん。

特技とくぎフィギュアスケートけんだまで、それぞれ「将棋しょうぎ世界せかい連載れんさい企画きかく岩根いわねしのぶ将棋しょうぎってたのしい」(岩根いわね毎月まいつき地方ちほう将棋しょうぎ道場どうじょうおとずれ、地元じもと子供こどもたちに指導しどう対局たいきょくする企画きかく。1年間ねんかん連載れんさい)で本人ほんにん実演じつえんシーンの写真しゃしん掲載けいさいされた。

デビュー直後ちょくご2004ねん4がつから9がつまでNHK Eテレ将棋しょうぎ講座こうざで「阿部あべたかしわる普通ふつう」のアシスタントをつとめた。このときアナウンサーのいずみ浩司こうじ出会であい、これをきっかけに2006ねん結婚けっこん

2004ねんから2ねんあまり、村田むらたさとしとのコンビで、関西かんさい将棋しょうぎ会館かいかんサイトないのコンテンツ「お気楽きらく日記にっき」を執筆しっぴつ以後いご「お気楽きらくコンビ」として、セットでの将棋しょうぎ普及ふきゅう活動かつどうおこなう。 また、日本経済新聞にほんけいざいしんぶんのサイトであるNIKKEI NET 将棋しょうぎ王国おうこくにおいて高橋たかはしかずのちいで、コラム執筆しっぴつおこなった。

昇級しょうきゅう昇段しょうだん履歴りれき

昇段しょうだん規定きてい将棋しょうぎだんきゅう参照さんしょう

  • 1995ねん00がつ00にち - 奨励しょうれいかい入会にゅうかい(6きゅう
  • 2003ねん11月00にち - 奨励しょうれいかい退会たいかい(1きゅう
  • 2004ねん04がつ01にち - 女流じょりゅう1きゅう女流じょりゅうプロ編入へんにゅう[4][5]
  • 2005ねん04がつ01にち - 女流じょりゅう初段しょだん年度ねんどけ〈7しょう以上いじょう・2004年度ねんど15しょう〉/女流じょりゅう通算つうさん15しょう5はい[6]
  • 2009ねん03がつ09にち - 女流じょりゅうだん(タイトル挑戦ちょうせん = マイナビ女子じょしオープン
  • 2016ねん02がつ22にち - 女流じょりゅうさんだんかちすう規定きてい女流じょりゅうだん昇段しょうだん90しょう

おも成績せいせき

タイトル履歴りれき
登場とうじょう回数かいすう 合計ごうけい:3かい
獲得かくとく合計ごうけい:0
非公式ひこうしきせん

将棋しょうぎ大賞たいしょう

  • だい37かい(2009年度ねんど)- 女流じょりゅう最多さいた対局たいきょくしょう

脚注きゃくちゅう

注釈ちゅうしゃく

  1. ^ 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい規定きていにより、はじめから女流じょりゅう棋士きし資格しかくがなく、奨励しょうれい会員かいいんとしてのみせきをおいていた女性じょせいが、奨励しょうれいかい2きゅう以上いじょう退会たいかいした場合ばあい退会たいかいだんきゅうでそのまま女流じょりゅう棋士きしになることができる。この規定きていは、岩根いわね女流じょりゅう棋士きしになるすこまえ制定せいていされた。

出典しゅってん

  1. ^ 日本にっぽん女子じょしプロ将棋しょうぎ協会きょうかい 2009ねん4がつ3にちだい2マイナビ女子じょしオープンばん勝負しょうぶ対局たいきょく日程にっていについて』
  2. ^ だい2マイナビ女子じょしオープンばん勝負しょうぶ開幕かいまく
  3. ^ 来期らいき休場きゅうじょうしゃのおらせ”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい (2013ねん3がつ28にち). 2019ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  4. ^ 2004ねん4がつ1にちづけ昇段しょうだん昇級しょうきゅう棋士きし
  5. ^ 女流じょりゅう棋士きし総則そうそくだい8しょう3」『はじめから女流じょりゅう棋士きし資格しかくがなく、奨励しょうれい会員かいいんとしてのみせきをおいていた女性じょせいが、奨励しょうれいかい2きゅう以上いじょう退会たいかいした場合ばあい、4がつ1にちづけまたは10がつ1にちづけ退会たいかいだんきゅうでそのまま女流じょりゅう棋士きしになることができる。』
  6. ^ 2005/3/31 対局たいきょくぶんまでの女流じょりゅう成績せいせき』。2005ねん4がつ6にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。

関連かんれん項目こうもく

外部がいぶリンク