千日手せんにちて

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千日手せんにちて(せんにちて)とは、将棋しょうぎにおいていちきょくちゅうどういち局面きょくめんなんあらわれる状態じょうたい、またはその状態じょうたい発生はっせいさせるのことである。ほん項目こうもくでは、そのチャトランガけいゲームにおける千日手せんにちて規定きていについてもべる。

将棋しょうぎにおける千日手せんにちて[編集へんしゅう]

基本きほんルール[編集へんしゅう]

公式こうしきせんにおいては、りょう対局たいきょくしゃこま配置はいちごま状態じょうたいばんまったおな局面きょくめんが4かいあらわれれば千日手せんにちてなす。もち将棋しょうぎことなりその勝負しょうぶをなかったことにし、先手せんて後手ごてえて初手しょてからなおしとなる。30ぶん休憩きゅうけいなおまえりょう対局たいきょくしゃかくのこ時間じかんがそのまま持時間もちじかんとなり、片方かたがたまたは両方りょうほう対局たいきょくしゃ持時間もちじかんが60ふんたない場合ばあいは、その対局たいきょくしゃ持時間もちじかんが60ふんになるように、りょう対局たいきょくしゃおな持時間もちじかんくわえる。持時間もちじかんが60ふん以下いか棋戦きせんではその棋戦きせん実行じっこう規定きていゆだねられ、はじめの持時間もちじかんえて加算かさんすることはない。再度さいど千日手せんにちてになった場合ばあい同様どうよう処理しょりをする。千日手せんにちてきょくは、タイトルせんのぞいて通常つうじょういちきょくとはかぞえない[1]

2にちせいばん勝負しょうぶでは別途べっと規定きていがあり、名人めいじんせん場合ばあい、1にちの15まえ千日手せんにちて成立せいりつしたら、成立せいりつ1あいだからなおしとなる。15まわって千日手せんにちて成立せいりつしたら、その時点じてんで1にち終了しゅうりょうとなり、ふう時刻じこく(1830ふん)までの時間じかん折半せっぱんした時間じかん最大さいだい105ふん)を両者りょうしゃ消費しょうひ時間じかん加算かさんし、のこった時間じかんで2にち対局たいきょくを1にちせいおこな[2]

タイトルせんばん勝負しょうぶにおいて千日手せんにちて成立せいりつした場合ばあいばん先後せんごかんしては、なおきょく決着けっちゃくしたとき完結かんけつあつかいとなる(いちきょく完結かんけつ方式ほうしき)。すなわち、だい1きょくこま挑戦ちょうせんしゃ先手せんてとなり、このだい1きょく千日手せんにちてとなった場合ばあいだい1きょくなおきょくではばん先後せんごえて挑戦ちょうせんしゃ後手ごてとなるが、だい2きょく以降いこうばん千日手せんにちて成立せいりつによる影響えいきょうけず、だい1きょくこま決定けっていした順序じゅんじょのままだい2きょくでは挑戦ちょうせんしゃ後手ごてだい3きょく最終さいしゅうきょくでない場合ばあいでは挑戦ちょうせんしゃ先手せんて、といったじゅん以後いごかえし、最終さいしゅうきょくでは再度さいどこまになる。この規定きていは2005ねん4がつより、ぜん棋戦きせんばん勝負しょうぶ適用てきようされた[3]

なお、「なおきょく先手せんて後手ごて交換こうかん」について、初期しょき名人めいじんせん挑戦ちょうせん手合てあいでは先後せんご交換こうかんがされていない(だい2(1940ねん)、だい6(1947ねん)、だい7(1948ねん))[4]名人めいじんせん挑戦ちょうせん手合てあいで、なおきょく先後せんご交換こうかんがされるのは、1954ねんだい13からである[4]

手順てじゅんれい[編集へんしゅう]

ごま ぎん(左側ひだりがわ) / なし(右側みぎがわ)
987654321 
こうかつら      こういち
おうぎんりゅう     
    りゅうおうさん
        よん
         
       ぎん ろく
         なな
         はち
         きゅう

左側ひだりがわ盤面ばんめんで、先手せんて後手ごてだませまるには▲7いちぎんってめろをかける。後手ごてみからのがれるためには△7さんぎんとするしかない。その▲8ぎんなりどうぎんすすむと、最初さいしょまったおな状態じょうたいになる。この状態じょうたいかえすと千日手せんにちてとなる。

どういち局面きょくめんが4かいあらわれなくてもりょう対局たいきょくしゃ合意ごういがあれば千日手せんにちて成立せいりつする。だい59名人めいじんせん丸山まるやま忠久ただひさ谷川たにがわ浩司こうじだい3きょく2001ねん5月8にち)では、これによる千日手せんにちて成立せいりつした。一方いっぽう千日手せんにちて気付きづかずに終局しゅうきょくした場合ばあい投了とうりょう優先ゆうせんされるため、さかのぼって千日手せんにちてとはならない。2006ねん7がつ2にちおこなわれた丸山まるやま忠久ただひさ深浦ふかうらやすしたたかえ将棋しょうぎ日本にっぽんシリーズ)では、どういち局面きょくめんが4かい出現しゅつげんしたが、対局たいきょくしゃふく関係かんけいしゃづかず[ちゅう 1]、そのままぎ、千日手せんにちてとならなかった(丸山まるやま打開だかいし、深浦ふかうら勝利しょうり)。

連続れんぞく王手おうて千日手せんにちて[編集へんしゅう]

千日手せんにちて手順てじゅんにおいて連続れんぞく王手おうて一人ひとり手順てじゅんすべ王手おうてである)の場合ばあい王手おうて仕掛しかけているがわ千日手せんにちて成立せいりつ条件じょうけんたしたさい反則はんそくとなる。たとえば右側みぎがわ盤面ばんめんでも、▲2りゅう△2よんたま▲3さんりゅう△1さんたますすむともと局面きょくめんもどるが、この場合ばあい連続れんぞく王手おうて千日手せんにちてにあたるため、反則はんそく行為こういけるには先手せんて着手ちゃくしゅえなければならない。しかしさきほどの▲7いちぎん△7さんぎん▲8ぎんなりどうぎん手順てじゅん王手おうてふくむが連続れんぞく王手おうてではないため反則はんそく行為こういとはならない。

なお、過去かこ公式こうしき棋戦きせんでは1999ねん6月3にちいずみ正樹まさき-川上かわかみたけしたたかえ将棋しょうぎ選手権せんしゅけん)で、いずみ連続れんぞく王手おうて千日手せんにちて反則はんそくけとなった事例じれいがある。

両者りょうしゃ連続れんぞく王手おうて連続れんぞくぎゃく王手おうて)で千日手せんにちてとなった場合ばあいのルールは明確めいかく定義ていぎされていないが、公式こうしきせんでは前例ぜんれい存在そんざいせず、現在げんざいのところとく問題もんだいされていない。両者りょうしゃ連続れんぞく王手おうて千日手せんにちて手順てじゅん局面きょくめん)としてはおそらく存在そんざいしないだろうとられており、一応いちおう証明しょうめいこころみられてはいるが、完全かんぜん証明しょうめいはいまだなされていない。

ルールの変遷へんせん[編集へんしゅう]

千日手せんにちて概念がいねん将棋しょうぎにも存在そんざいしていたとかんがえられているが、くわしいルールについては解明かいめい部分ぶぶんおおい。ほん将棋しょうぎにおいては終盤しゅうばんこまい、状況じょうきょうでしか発生はっせいしないものとかんがえられていた。そのため、当初とうしょのルールとしては「千日手せんにちてとなったときにはかたえる。どちらがかた不明ふめいのときは、仕掛しかけたがわからえる」という曖昧あいまい規定きていにとどまっていた[ちゅう 2]

ところが1927ねん対局たいきょく宮松みやまつせき三郎さぶろうろくだんたい花田はなた長太郎ちょうたろうはちだんせん)で、序盤じょばんこまみの段階だんかいおなしゅかえ局面きょくめん発生はっせいし、対局たいきょく中断ちゅうだんして連盟れんめい裁決さいけつをゆだねることとなった。これが局面きょくめんかかわらず「どういち手順てじゅん3かい」という千日手せんにちて規定きてい明確めいかくにした端緒たんしょとなったとかんがえられている[5]。なお戦前せんぜんとくかたあるいは仕掛しかけたがわからえなければならないルールだった時代じだい書籍しょせきでは、「せんへんしゅ」「ひゃくにちしゅ」などの名称めいしょうもちいられていた。

だい41名人めいじんせん挑戦ちょうせんしゃ決定けっていリーグ
だい118 △7はちどうぎんなりまで
(こののちどういち局面きょくめんが9かい出現しゅつげん[ちゅう 3]
谷川たにがわ浩司こうじ 持駒もちごま:金銀きんぎん
987654321 
こう      かつらこういち
      きむたま 
 うま    きむさん
  かつら  よん
かくかつら    
 ぎん   ろく
        なな
たま ぎん     こうはち
こうかつら      きゅう

以前いぜんは「どういち局面きょくめんもどどういち手順てじゅん連続れんぞく3かい」というルールであった。しかし、どういち局面きょくめんもど手順てじゅん複数ふくすうある場合ばあい、このルールでは無限むげんつづけることが可能かのう[ちゅう 4]であるため、1983ねん5月に現在げんざいの「どういち局面きょくめんどういちばんが4かい」に改定かいていされた。改定かいていのきっかけになったのは1983ねん3月8にち米長よねなが邦雄くにお谷川たにがわ浩司こうじたたかえ名人めいじんせん挑戦ちょうせんしゃ決定けっていリーグ:現在げんざい順位じゅんいせんAきゅう)であり、この対局たいきょくでは60以上いじょう千日手せんにちて模様もようつづき、どういち局面きょくめんが9かい出現しゅつげんしている(谷川たにがわ打開だかいし、米長よねなが勝利しょうり[6]武者むしゃ勝巳かつみがルール改正かいせい提案ていあんし、可決かけつされた。どういち局面きょくめん4かいであれば、どういち手順てじゅんを3かいかえしたときおなじであることから4かい制定せいていされた。

2019ねん10がつ1にち千日手せんにちてかんする対局たいきょく規定きてい改定かいていされ、「千日手せんにちて成立せいりつしていても、りょう対局たいきょくしゃいだ時点じてん千日手せんにちて打開だかいしたものとみなし、どういち局面きょくめんもどらないかぎり、なおしとはしない」ということが明文化めいぶんかされた[7]

千日手せんにちてかんする戦術せんじゅつ戦略せんりゃく[編集へんしゅう]

将棋しょうぎ定跡じょうせきには、両方りょうほう最善さいぜんつづけた場合ばあい千日手せんにちてにならざるをない定跡じょうせき複数ふくすうある。れいげれば矢倉やくら戦法せんぽうにおける先手せんて後手ごて同型どうけいそう矢倉やぐらかたちでは、仕掛しかけたほうがけるため千日手せんにちて選択せんたくせざるをない。米長よねなが邦雄くにおなど、このかたちでも千日手せんにちて打開だかいし、自分じぶん有利ゆうり方向ほうこうっていこうとするかんがえる棋士きしもいる。

また、伊藤いとうはて案出あんしゅつした風車かざぐるま戦法せんぽうでは、ひたすらまもるばかりで自分じぶんからはめず、千日手せんにちてでもかまわないという発想はっそう存在そんざいしている。千日手せんにちてなおしの場合ばあい先手せんて後手ごてがいれかわるため、若干じゃっかん有利ゆうりである先手せんてばんるために、後手ごてがわ千日手せんにちてにならざるをないような定跡じょうせき誘導ゆうどうすることがあるのである。

千日手せんにちてちこむことが可能かのうそうな局面きょくめんができた場合ばあい千日手せんにちてによらなければ劣勢れっせいとなるならば、意図いとてき千日手せんにちてちこんでけとし、つぎきょく期待きたいすることをかんがえることとなる。 他方たほう千日手せんにちてちこまなくとも優勢ゆうせいである場合ばあい千日手せんにちてにしてけにするのはそんであるため、手順てじゅんつことを模索もさくするのが通例つうれいとなる。

また、千日手せんにちてにできる局面きょくめんは、手数てかずだけがびて局面きょくめんには影響えいきょうおよぼさないため、4かいとどかないあいだ時間じかんわれる対局たいきょくしゃ時間じかんつなぎとしてもちいることも可能かのうである。

『イメージとみの将棋しょうぎかん』(2008ねん日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい)で藤井ふじいたけし戦略せんりゃくしゅ千日手せんにちて使つかう、後手ごてばん戦略せんりゃくとして先手せんて打開だかいせまるために使つかうのはきだとべ、飛車ひしゃとしては当然とうぜん作戦さくせん範囲はんいで、後手ごてばん不利ふりをカバーする意味いみ必要ひつようなルールだとしている[ちゅう 5]

千日手せんにちてめぐ出来事できごと[編集へんしゅう]

だい18じゅうだんせん予選よせん
だい109 ▲3きゅうかつらまで
(こののちどういち局面きょくめんが8かい出現しゅつげん[ちゅう 6]
加藤かとう一二三ひふみ 持駒もちごま:かねさん
987654321 
こうりゅう   かつら かつらこういち
    きむ おう  
かつら  ぎん  さん
    かく  よん
       
     ぎんろく
   うま ぎん  なな
     たまぎんはち
こう    きむかつら こうきゅう
  • 1906ねん明治めいじ39ねん)、関根せきね金次郎きんじろう坂田さかた三吉さんきちとのたたかい(関根せきねかおりち)で、終盤しゅうばん坂田さかた千日手せんにちての「かた打開だかい」のルールをらなかったとされ、無理むり打開だかいしてペースがくる惜敗せきはいしたとされる。しかし、坂田さかたが「千日手せんにちて当時とうじのルールをしらなかった」エピソードがあったのは、1903ねん明治めいじ36ねん)の関根せきねかくまたはこうとした一番いちばんだというせつもあり[8][9]、そちらのほうが、「関根せきねとの一番いちばんで、千日手せんにちて打開だかいをルールをらずに強制きょうせいてきけにさせられた」という坂田さかた著書ちょしょ将棋しょうぎ哲学てつがく』での記述きじゅつ一致いっちしている。また、戯曲ぎきょく映画えいが作品さくひんの『王将おうしょう』のなかでは、「坂田さかたが、関根せきねとのはつたたかいで、千日手せんにちてらずにし、ルールで強制きょうせいてきけにさせられた」と、誇張こちょうされた表現ひょうげんになっている(実際じっさいは、坂田さかた関根せきねせん初戦しょせんではない)。
  • 1940ねんだい2名人めいじんせんだい3きょくの、木村きむら義雄よしおたい土居どい市太郎いちたろういちせんで、きょく連続れんぞく千日手せんにちてとなって批判ひはんあつまり、関根せきね金次郎きんじろうじゅうさんせい名人めいじんが、それ以上いじょう千日手せんにちてつづくことを心配しんぱいして、「シンキイッテンシテサスベシ」と電報でんぽうった[10]つづ対局たいきょく千日手せんにちて模様もようとなったが、先手せんて土居どい打開だかいして勝利しょうり、このいちきょくきょくとされ「定山渓じょうざんけい決戦けっせん」とばれるようになった[11]
  • 1947ねんだい6名人めいじんせんでは、だい5きょく塚田つかだ正夫まさお先手せんて木村きむら義雄よしお後手ごて)はあい矢倉やぐらせん千日手せんにちて模様もようとなったが、木村きむら打開だかい優勢ゆうせいきずいた。しかし、木村きむらにミスがあり塚田つかだ勝利しょうりおさめた。当時とうじ将棋しょうぎ世界せかい掲載けいさいされた木村きむら塚田つかだ対談たいだん記事きじ(『将棋しょうぎ世界せかい将棋しょうぎ名人めいじんせん」~昭和しょうわ平成へいせい 時代じだいうつめい勝負しょうぶ~』(マイナビ出版しゅっぱん刊行かんこう)に収録しゅうろく)によると、塚田つかだは「作戦さくせんけの将棋しょうぎですから千日手せんにちてになれば成功せいこうおもっていました」、木村きむらは「ぼくほう千日手せんにちてにしてはわりわるいので、打開だかいみちかんがえたが、てきかくかたちわるいから、きゅうすじ強襲きょうしゅうしてもわるくないとしんじて9いた」とかたった。両者りょうしゃ2しょう2はい1将棋しょうぎむかえただい6きょく木村きむら先手せんて塚田つかだ後手ごて)は千日手せんにちてなおしとなったが、なおきょく当時とうじ先後せんごにゅうがえなし)では木村きむらが「千日手せんにちてきらって無理むりめ」(『将棋しょうぎ評論ひょうろん(1947ねん8がつごう)』(将棋しょうぎ研究けんきゅうかい刊行かんこう))あるいは「千日手せんにちてきらったのがしすぎ」(『将棋しょうぎじゅうねん』(菅谷すがたに北斗星ほくとせいちょ時事通信社じじつうしんしゃ刊行かんこう))となった結果けっか木村きむらやぶれた。このことをだい7きょく観戦かんせん担当たんとうした作家さっか坂口さかぐち安吾あんごきびしく指摘してき批判ひはんし、「千日手せんにちて回避かいひするとけてしまう状況じょうきょうなら、勝負しょうぶおもんじて千日手せんにちてにするべきだ」とろんじている(ちくま文庫ぶんこはん安吾あんご全集ぜんしゅうだい5かん収録しゅうろく日本にっぽん」より)。一方いっぽう、『将棋しょうぎ評論ひょうろん誌上しじょうでは、金子かねこ金五郎きんごろうが「名人めいじんせんつことより棋道かん忠実ちゅうじつに、果敢かかんに、遂行すいこうした木村きむらひかり耀かがやいている」とひょうしており、見方みかたかれている。なお、だい7きょく塚田つかだ先手せんて木村きむら後手ごて)も千日手せんにちてとなり、なおしとなったが、当時とうじ現在げんざいことなり、もち将棋しょうぎ双方そうほうの0.5しょうとしてあつかわれることにくわえ、千日手せんにちてが2かいつづ場合ばあいもち将棋しょうぎとする規程きていがあった。そのため、だい7きょくを2しょう3はい1将棋しょうぎむかえた木村きむらは、なおきょくでは千日手せんにちてけなければ、ばん勝負しょうぶ敗退はいたいまる状況じょうきょうまれた。なおきょくよこから63というたん手数てかず塚田つかだ快勝かいしょう名人めいじん獲得かくとくした。
  • 1963年度ねんどだい18順位じゅんいせんでの加藤かとう一二三ひふみはちだんたい丸田まるた祐三ゆうぞうはちだんの4回戦かいせんでは千日手せんにちてきょくが4かい成立せいりつした。当時とうじ新聞しんぶん掲載けいさいかん戦記せんきによると、3度目どめ千日手せんにちてまでは同日どうじつ実施じっし数日すうじつ実施じっしした4度目どめ対局たいきょくが4たびの千日手せんにちてとなり、その翌日よくじつ決着けっちゃくきょくとなる5度目どめ対局たいきょく実施じっしされた。加藤かとうは、どう年度ねんどだい18順位じゅんいせん6回戦かいせん熊谷くまがい達人たつひとはちだんとの対局たいきょくにおいても、4千日手せんにちて成立せいりつのち5度目どめ対局たいきょく再度さいどおこなっている。
  • だい18(1979年度ねんどじゅうだんせん大山おおやま康晴やすはる たい 加藤かとう一二三ひふみ王将おうしょういちせんでは、加藤かとうめを大山おおやまけ、95千日手せんにちて模様もようとなった。しかし加藤かとう打開だかいしようとせず、金銀きんぎん順番じゅんばんえる、うまはいる、なりにするなどでどういち手順てじゅん回避かいひしながら長引ながびかせた。これに大山おおやま激怒げきどし、時計とけいめて丸田まるた祐三ゆうぞう電話でんわ裁定さいてい依頼いらいするも、「現行げんこうのルールでは裁定さいていできないから、つづけてください」とあしらわれてしまった。結果けっか、この手順てじゅんかえしと電話でんわあいだ加藤かとう打開だかい手順てじゅんみ、179勝利しょうりしている。この対局たいきょくでは76千日手せんにちて模様もようつづき、最多さいたどういち局面きょくめんは8かい出現しゅつげんしていた。こののち前述ぜんじゅつ米長よねなが邦雄くにおたい谷川たにがわ浩司こうじせんでも同様どうよう事例じれい発生はっせいし、千日手せんにちてのルールが改定かいていされることになった。
  • だい40名人めいじんせん(1982年度ねんど名人めいじんせん中原なかはらまこと名人めいじんたいふじいちさんじゅうだんななばん勝負しょうぶは、もち将棋しょうぎ1きょく千日手せんにちて2きょくふくむ「じゅうばん勝負しょうぶ」となり、4しょう3はい加藤かとう悲願ひがん名人めいじん獲得かくとくした。もち将棋しょうぎ千日手せんにちて後日ごじつなおしとしていたため、1982ねん4がつ13にちだい1きょく1にち開始かいしの「じゅうばん勝負しょうぶ」が決着けっちゃくしたのは、3ヶ月かげつはんの7がつ31にちであった。
  • だい63棋聖きせいせんばん勝負しょうぶ(1993ねん12月-1994ねん2がつ)のだい3きょくでは千日手せんにちて成立せいりつなおきょくでも2度目どめ千日手せんにちてきょく成立せいりつ規定きていでは30ふんさいなおしだが、2きょく連続れんぞく千日手せんにちてのため特別とくべつ後日ごじつなおしとし、当初とうしょ日程にっていだい4きょくだい3きょくさいなおきょくにスライドさせる対応たいおうをした。
  • だい44王将おうしょうせんななばん勝負しょうぶ最終さいしゅうきょく(1995ねん3がつ)では、谷川たにがわ浩司こうじ王将おうしょう羽生はぶ善治よしはる竜王りゅうおう名人めいじんろくかん)を千日手せんにちてなおしのすえやぶり、羽生はぶななかん制覇せいは阻止そしした。
  • だい15竜王りゅうおうせんななばん勝負しょうぶ(2002ねん10がつ-2003ねん1がつ)の羽生はぶ善治よしはる竜王りゅうおうたい阿部あべたかしななだん)では、台北たいぺい実施じっしされただい1きょく千日手せんにちて2かいとなり、だい1きょくなおきょくだい2きょく日程にっていにずれませ、以降いこうげとなる異例いれい措置そちられた。
  • だい51王位おういせん(2010年度ねんどななばん勝負しょうぶでは、だい5きょくだい6きょくで、深浦ふかうらやすし王位おういたい広瀬ひろせ章人あきひとろくだん対局たいきょくで、いずれもそう穴熊あなぐま状態じょうたいから千日手せんにちて成立せいりつした。だい5きょくなおきょく両者りょうしゃ穴熊あなぐまかこわない対局たいきょく広瀬ひろせ勝利しょうりだい6きょくなおきょくは、広瀬ひろせ飛車ひしゃ穴熊あなぐま、あとがない深浦ふかうらぎんかんむりかこい、はげしいいとなったが、この対局たいきょく広瀬ひろせいをせいし、はつタイトル・王位おうい奪取だっしゅした。
  • だい61かいNHKはい1回戦かいせん佐藤さとう康光やすみつきゅうだんたい永瀬ながせたくよんだんせん(2011ねん6がつ5にち放送ほうそう)ではどう棋戦きせん史上しじょうはつ[12]となる2かい連続れんぞく千日手せんにちて発生はっせいし、さいなおきょくで131[13]永瀬ながせ勝利しょうりしている(対局たいきょく内容ないよう最初さいしょ先手せんてばん永瀬ながせ升田ますだしき石田いしだりゅうたい後手ごてばん佐藤さとうきょ飛車ひしゃでの飛車ひしゃ対抗たいこうがたなおきょく先手せんてばん佐藤さとうは、まえきょく同様どうようきょ飛車ひしゃでの対抗たいこうがたたい後手ごてばん永瀬ながせゴキゲンちゅう飛車ひしゃさいなおきょく最初さいしょ対局たいきょく同様どうよう先手せんてばん永瀬ながせ升田ますだしき石田いしだりゅうたい後手ごてばん佐藤さとうきょ飛車ひしゃでの飛車ひしゃ対抗たいこうがた)。
  • 2012ねん10月3にちだい60王座おうざせんだい4きょくの▲渡辺わたなべあきら王座おうざ羽生はぶ善治よしはるかんせんでは、羽生はぶが122に△6ろくぎんして局面きょくめん膠着こうちゃくする。229ふんまで142したところで千日手せんにちてとなった。2239ふん深夜しんや22ふんおこなわれたなおきょく羽生はぶ勝利しょうり渡辺わたなべは「最後さいごちになったのかとおもっていましたが△6ろくぎんとはすごいがあるものです」と感想かんそうべた[14]。なお、千日手せんにちてきょくなおきょくわせて2012年度ねんど将棋しょうぎ大賞たいしょうきょくしょう受賞じゅしょうした。
  • 2014ねん9月2にちだい27竜王りゅうおうせん5くみ昇級しょうきゅうしゃ決定けっていせん伊藤いとうしんわれたい宮田みやた敦史あつしせんは3かい連続れんぞくせんにち手指しゅしなおしとなった。1きょく序盤じょばん午後ごご53ふん千日手せんにちてに、2きょく午後ごご1130ふん中盤ちゅうばん千日手せんにちて、3きょくよく9月3にち午前ごぜん312ふん千日手せんにちてとなった。4きょくおわったのは午前ごぜん651ふん結果けっか宮田みやたち)。4きょく合計ごうけいすうは405だった[15]
  • 2019ねん4がつ10日とおかだい77名人めいじんせんだい1きょく佐藤さとうたかしたい豊島としま将之まさゆき一番いちばん千日手せんにちてとなった。名人めいじんせんでの千日手せんにちては16ねんぶりとなる[16]千日手せんにちて成立せいりつ時刻じこくが1にち午後ごご3以降いこうであったため、当時とうじ対局たいきょく規定きていもとづき1にち千日手せんにちて成立せいりつ終了しゅうりょう[ちゅう 7][17]。2にちあさから「いちにちせい」でのなおきょく開始かいしした。1にちけとならなかったためふうおこなわれなかった[18]
  • 2020ねん4がつ17にちだい33竜王りゅうおうせん2くみ準決勝じゅんけっしょう松尾まつおあゆみたい佐々木ささき勇気ゆうきせんにおいて午後ごご948ふん千日手せんにちて成立せいりつ新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう流行りゅうこうともな緊急きんきゅう事態じたい宣言せんげんでの対局たいきょくであり、対局たいきょくしゃ関係かんけいしゃへの安全あんぜんかんがえた両者りょうしゃ合意ごうい連盟れんめいがわ協議きょうぎした通常つうじょう休憩きゅうけいはさんでそのままおこなわれるなお対局たいきょく後日ごじつへの延期えんき決定けっていされた[19][20]。4月30にち午後ごご1よりおこなわれたなおきょくは、通常つうじょう千日手せんにちてなおしと同様どうようばんにゅうがえ時間じかん加算かさん調整ちょうせいおこなわれ、佐々木ささき勝利しょうりして1くみ昇級しょうきゅう決勝けっしょうトーナメント進出しんしゅつめた[21]
  • 2022ねん6月3にちだい93棋聖きせいせんだい1きょく藤井ふじいさとしふとし棋聖きせいたい永瀬ながせたく王座おうざせんは1にちで2かい連続れんぞくせんにち手指しゅしなおしとなった。1度目どめ千日手せんにちてきょくは1617ふん成立せいりつ、2度目どめ千日手せんにちてきょくは1738ふん成立せいりつした。タイトルせんでは異例いれいとなる、いちにちで3きょくとなるさいなおきょくが30ふん開始かいしされ、2142ふん永瀬ながせ王座おうざ勝利しょうり決着けっちゃくした。
  • 2023ねん5月28にちだい8あきらおうせんだい4きょく藤井ふじいさとしふとしあきらおうたい菅井すがい竜也たつやはちだんせんは1にちで2かい連続れんぞくせんにち手指しゅしなおしとなった。1度目どめ千日手せんにちてきょくは1051ふん成立せいりつ、2度目どめ千日手せんにちてきょくは1832ふん成立せいりつした。3度目どめなおきょくは1915ふん開始かいしされ、2108ふん藤井ふじいあきらおう勝利しょうり決着けっちゃく。3しょう1はい(2千日手せんにちて)であきらおうのタイトルを防衛ぼうえいした。

チェスにおける千日手せんにちて[編集へんしゅう]

チェスでは千日手せんにちては、スリーフォールド・レピティション (Threefold repetition同形どうけいさんふく)、またはたんにレペティションとばれている。相手あいてばんどういち局面きょくめんが3かいしょうじたとき、または自分じぶんつぎばんどういち局面きょくめんが3かいしょうじるときに(パーペチュアル・ドロー)となる。ただし自動的じどうてきけになるのではなく、自分じぶんばんとき指摘してきしなければならない。公式こうしきせんでは、審判しんぱんいん(アービター)にもうてる必要ひつようがある。

連続れんぞくチェックの千日手せんにちては、とくパーペチュアル・チェック (perpetual check)とばれている。終盤しゅうばんせん不利ふりがわがパーペチュアル・チェックで強制きょうせいてきけにむのは、チェスの基本きほん戦術せんじゅつひとつである。一般いっぱんてきにパーペチュアル・チェックは、下図したずのようなクイーン・エンディングで登場とうじょうすることがおおい。

A
abcdefgh
8
a8 black king
c8 white queen
a7 white circle
a6 black pawn
b6 black pawn
a5 black pawn
a2 black queen
e1 white king
8
77
66
55
44
33
22
11
abcdefgh
Qc8+
B
abcdefgh
8
a8 white circle
a7 black king
c7 white queen
a6 black pawn
b6 black pawn
a5 black pawn
a2 black queen
e1 white king
8
77
66
55
44
33
22
11
abcdefgh
Qc7+

うえAで、くろのキングがげられるマスはa7だけである。しかしつぎしろがQc7+(うえB)とすると、またくろキングはa8にもどらなければならない。このうごき(A→B→A→B)は、しろえないかぎ永遠えいえんわらない。うごきを2かいかえし、Aが3しょうじた時点じてんくろ指摘してきすれば(またはしろ自分じぶんばんに、Qc8+とせばAが3しょうじることを指摘してきすれば)、ゲームはスリーフォールド・レピティションとなり、けが成立せいりつする。

記録きろくのこっているパーペチュアル・チェックの最古さいこれいとして、1750ねんおこなわれた対局たいきょくしゃ不明ふめい棋譜きふがある[22]棋譜きふ英語えいごばんperpetual check参照さんしょう)。

そののボードゲームにおける千日手せんにちて[編集へんしゅう]

シャンチー
連続れんぞく王手おうて千日手せんにちてちょうすすむ、チャンジャン)はきんしゅであり、王手おうてをかけているほうは3かいおな局面きょくめん出現しゅつげんするまでにえなければならない。連続れんぞく王手おうてでない場合ばあいは「一方いっぽうえなければならない場合ばあい」と、になる場合ばあい(棋、ホーチー)があり、状況じょうきょうによってどちらになるかの詳細しょうさいなルールは複雑ふくざつなものとなっている。
チャンギ
チェスとおなじく、どういち局面きょくめんが3かい出現しゅつげんすればどんな場合ばあいでもけとなる。
マークルック
けとなる。ただし、連続れんぞく王手おうて千日手せんにちて王手おうてをかけているがわえなければならない。
どうぶつしょうぎ
チェスとおなじく、どういち局面きょくめんが3かい出現しゅつげんすればどんな場合ばあいでもけとなる。

将棋しょうぎるいボードゲームではないが、囲碁いごでもさんコウ長生ちょうせいなどによってどういち局面きょくめん反復はんぷくされることがあり、日本棋院にほんきいん公式こうしきルールでは対局たいきょくしゃ同士どうし合意ごういによってけとする。

比喩ひゆとしての「千日手せんにちて[編集へんしゅう]

おなじことをかえし、いつまでもわることない攻防こうぼう」を「千日手せんにちてのように」と比喩ひゆ表現ひょうげん使用しようされることがある(「いたちごっこ」、メビウスのさい河原かわら)。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ どういち局面きょくめんもど手順てじゅんAおよびBを、ABBのじゅんかえした。棋譜きふおよび図面ずめん[1](スポンサーである日本にっぽんたばこのサイト)の54から66参照さんしょう
  2. ^ 一説いっせつに、千日手せんにちて仕掛しかけたほうがけともされていたともいうが、公式こうしきルールなどの整備せいびおこなわれていなかったようである。
  3. ^ 先手せんては▲8ななぎんと▲8はちきん後手ごては△6ななぎんと△7きゅうきんで7はちこま展開てんかいつづいた。
  4. ^ どういち局面きょくめんもど手順てじゅんにAとBがあるとき、A-B-BA-BAAB-BAABABBA-... と、それまでの手順てじゅんぎゃくにしてつなげることで、どういち手順てじゅん3かい(すなわち、AAA, BBB, ABABAB, BABABA、など)を回避かいひしながら同一どういつ局面きょくめんかえすことができる。
  5. ^ ただし、のこり1あいだなおすのはさすがにきついとしている。
  6. ^ △5ななうま▲3きゅうかつら交換こうかんはいまえ千日手せんにちて模様もようつづいていた。こののち、△3ななぎんなりどうぎん△2ろくぎん▲2はちぎん…となりり、△2ろくきんなどをつづけた
  7. ^ だい77名人めいじんせんでの対局たいきょく規定きていでは基準きじゅん時間じかんは1にち午後ごご3。その規定きていあらたまり、現在げんざいは1にち午後ごご4まえ千日手せんにちて成立せいりつでは当日とうじつなおしとなる。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 対局たいきょく規定きてい抄録しょうろく”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 2017ねん6がつ29にち閲覧えつらん
  2. ^ 名人めいじんせんだい1きょく、1にち千日手せんにちて 11にちなお”. 毎日新聞まいにちしんぶん. 2019ねん4がつ10日とおか閲覧えつらん
  3. ^ よくある質問しつもん プロ棋戦きせん規定きていとうについて”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 2022ねん6がつ5にち閲覧えつらん
  4. ^ a b 将棋しょうぎ世界せかい将棋しょうぎ名人めいじんせん」~昭和しょうわ平成へいせい 時代じだいうつめい勝負しょうぶ~』(マイナビ出版しゅっぱん刊行かんこう)P.56
  5. ^ もずいろ 記憶きおくのこるあの千日手せんにちてによる。どうサイトは、この対局たいきょくについては『菅谷すがたに北斗星ほくとせい選集せんしゅう かん戦記せんきへん』から情報じょうほうたとしている。
  6. ^ 名人めいじんせんでは16ねんぶり 将棋しょうぎの「千日手せんにちて」ってなんですか?”. 将棋しょうぎ将棋しょうぎ | 文春ぶんしゅんオンライン. 株式会社かぶしきがいしゃ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう. p. 2 (2019ねん4がつ19にち). 2022ねん6がつ5にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん6がつ5にち閲覧えつらん
  7. ^ 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい よくある質問しつもん 対局たいきょく規定きてい抄録しょうろくだい2しょう 総則そうそく だい6じょうAの3。
  8. ^ 内藤ないとう国雄くにお阪田さかた三吉さんきちめいきょくしゅう』(講談社こうだんしゃ)P.21
  9. ^ 週刊しゅうかん将棋しょうぎへんきょく紀行きこう』(毎日まいにちコミュニケーションズ)P.55
  10. ^ 土居どい市太郎いちたろうだいいち名人めいじんせん戦記せんき』(恒文社こうぶんしゃ解説かいせつ加古かこ明光めいこう
  11. ^ 週刊しゅうかん将棋しょうぎへんきょく紀行きこう』(毎日まいにちコミュニケーションズ)P.88-89
  12. ^ 同日どうじつ放送ほうそうで、司会しかい・ききて矢内やない理絵子りえこだん
  13. ^ 2011ねん06がつ05にちだい61かいNHKはい1回戦かいせんだい10きょく 千日手せんにちてなおきょく決定けっていきょく”. NHK. 2013ねん6がつ18にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん4がつ23にち閲覧えつらん
  14. ^ 王座おうざせんだいきょく。- 渡辺わたなべあきらブログ
  15. ^ 田丸たまるのぼるのときんよこあるき』[2]、『将棋しょうぎ世界せかい」2014ねん11がつごう
  16. ^ 将棋しょうぎ名人めいじんせん、16ねんぶりに千日手せんにちて だいきょくなおしに 産経新聞さんけいしんぶん 2019ねん4がつ10日とおか
  17. ^ くわだかかつじき(くわっち) [@shallvino] (2024ねん2がつ5にち). "名人めいじんせん場合ばあい対局たいきょく1にち千日手せんにちて発生はっせいした場合ばあい、その発生はっせいタイミングによってなおきょく当日とうじつになったり翌日よくじつになったりします(いま午後ごご4になっていますが、だい77だい1きょく時点じてん午後ごご3でした)。". X(きゅうTwitter)より2024ねん2がつ5にち閲覧えつらん
  18. ^ 渡部わたなべ壮大そうだい佐藤さとうたかし彦名ひこなじんVS豊島としま将之まさゆきかん名人めいじんせんななばん勝負しょうぶかえる|将棋しょうぎコラム日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい、2019ねん5がつ21にちhttps://www.shogi.or.jp/column/2019/05/77meijin.html 
  19. ^ 4/17 竜王りゅうおうせん2くみ 松尾まつおあゆみはちだん たい 佐々木ささき勇気ゆうきななだんせんかんしてのおらせ 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい 2020ねん4がつ18にち
  20. ^ 緊急きんきゅう事態じたい宣言せんげん対局たいきょく千日手せんにちて異例いれい後日ごじつなおしへ 竜王りゅうおうせんくみ準決勝じゅんけっしょう松尾まつおあゆみはちだん佐々木ささき勇気ゆうきななだんせん 松本まつもと博文ひろぶみ 2020ねん4がつ18にち
  21. ^ 佐々木ささき勇気ゆうきななだん(25)竜王りゅうおうせん本戦ほんせん進出しんしゅつ決定けってい! 2くみ準決勝じゅんけっしょうなおきょく松尾まつおあゆみはちだん(40さい)にだい逆転ぎゃくてん勝利しょうり 松本まつもと博文ひろぶみ 2020ねん4がつ30にち
  22. ^ Levy, David; O'Connell, Kevin (1981). Oxford Encyclopedia of Chess Games. 1 (1485-1866). Oxford University Press. ISBN 0-19-217571-8 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]