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武者むしゃ勝巳かつみ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
 武者むしゃ勝巳かつみ ななだん
名前なまえ 武者むしゃ勝巳かつみ
生年月日せいねんがっぴ (1954-01-01) 1954ねん1がつ1にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (2023-05-08) 2023ねん5月8にち(69さいぼつ
プロ年月日ねんがっぴ 1979ねん3がつ22にち(25さい
引退いんたい年月日ねんがっぴ 2013ねん5がつ28にち(59さい
棋士きし番号ばんごう 137
出身しゅっしん 群馬ぐんまけん館林たてばやし
所属しょぞく 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい関東かんとう
師匠ししょう はな村元むらもとつかさきゅうだん
弟子でし 石高いしたか澄恵すみえ
段位だんい ななだん
棋士きしDB 武者むしゃ勝巳かつみ
戦績せんせき
通算つうさん成績せいせき 310しょう490はい
竜王りゅうおうせん最高さいこうクラス 4くみ(2
順位じゅんいせん最高さいこうクラス Cきゅう1くみ(6
2023ねん5がつ11にち現在げんざい
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武者むしゃ 勝巳かつみ(むしゃの かつみ、1954ねん1がつ1にち - 2023ねん5月8にち)は、将棋しょうぎ棋士きしはな村元むらもとつかさきゅうだん門下もんかで、棋士きし番号ばんごうは137。群馬ぐんまけん館林たてばやし出身しゅっしん

経歴けいれき[編集へんしゅう]

1971ねんにアマチュア名人めいじんせん群馬ぐんまけん代表だいひょうとなる。これが契機けいきとなり師匠ししょう花村はなむらすすめで同年どうねん4きゅう奨励しょうれいかい入会にゅうかいよく1972ねんより、日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい当時とうじ存在そんざいした「塾生じゅくせい制度せいどにより将棋しょうぎ会館かいかんんで修行しゅぎょうおこな[1]。1975ねん3がつさんだん昇段しょうだん当時とうじさんだんリーグ存在そんざいしなかったため、さんだん現行げんこうだん以下いか同様どうように、直近ちょっきん勝率しょうりつによって昇段しょうだん可否かひめられていた。1979ねん3がつ22にち規定きてい勝率しょうりつおさめ、25さいよんだん昇段しょうだん

プロり2ねんだい22王位おういせん予選よせんき、リーグり。当時とうじよんだんになったばかりの中村なかむらおさむから白星しろぼしげるも、その1しょう以外いがい全敗ぜんぱいであり、リーグ陥落かんらくとなった。全日本ぜんにほんプロ将棋しょうぎトーナメント朝日あさひはい将棋しょうぎオープンせんまえ)でも、だい1かい(1982年度ねんど)・だい3かい(1984年度ねんど)で4回戦かいせん(ベスト16)進出しんしゅつ活躍かつやくせた[2]だい33かい(1983年度ねんどNHKはいでは、予選よせんいて出場しゅつじょうし、3回戦かいせん(ベスト16)で中原なかはら誠二せいじかんむり当時とうじ王座おうざじゅうだん)にやぶれるまですす活躍かつやくせた。

順位じゅんいせんでは参加さんか6ねんだい43(1984年度ねんど)Cきゅう2くみで9しょう1はい好成績こうせいせきおさめ、Cきゅう1くみ昇級しょうきゅうした。よくだい44(1985年度ねんど)で、最終さいしゅうきょく自身じしんち、あんめぐみあきらつよし佐藤さとう義則よしのりしまあきらのうち2めいやぶれれば順位じゅんいがり連続れんぞく昇級しょうきゅうとなるところだったが、佐藤さとうのぞく2めいち、武者むしゃ昇級しょうきゅうにはいたらなかった。だい38かいNHKはい(1988年度ねんど)では3回戦かいせんまですすんだが、そこで敗退はいたいした。

だい45(1986年度ねんど以降いこう順位じゅんいせんでは成績せいせきるわず、だい49(1990年度ねんど)を最後さいごにCきゅう2くみ降格こうかくだい55(1996年度ねんど)にはCきゅう2くみにおけるくだきゅうてん累積るいせき2となり、どう年度ねんどかぎりで順位じゅんいせんへの参加さんか資格しかく放棄ほうきフリークラス転出てんしゅつした。

フリークラス転出てんしゅつは、だい11銀河ぎんがせん(2002ねん - 2003ねん)では予選よせん勝利しょうり、ブロックせんも3連勝れんしょう[3]決勝けっしょうトーナメントに進出しんしゅつした(決勝けっしょうトーナメントでは、1回戦かいせん丸山まるやま忠久ただひさけ)。

現役げんえき後期こうき後述こうじゅつとお不祥事ふしょうじおおく、2007ねんには日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめいから史上しじょうはつとなる引退いんたい勧告かんこくけたものの現役げんえき続行ぞっこう規定きていによりフリークラスに在籍ざいせきできる年数ねんすうすべ消化しょうかし、2013ねん5がつ28にちだい26竜王りゅうおうせん・6くみ昇級しょうきゅうしゃ決定けっていせん佐藤さとう義則よしのりはちだんやぶれ、引退いんたいした[4]

2023ねん5がつ8にち死去しきょ[5]。69さいぼつ

日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい理事りじとして[編集へんしゅう]

  • 1983ねんから1987ねんまで日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい理事りじつとめた。
  • 1983ねん千日手せんにちてルールが以前いぜんの「どういち局面きょくめんもどどういち手順てじゅん連続れんぞく3かい」から、現行げんこうの「どういち局面きょくめん4かい」に改正かいせい主張しゅちょうした。どういち局面きょくめんもど手順てじゅん複数ふくすうある場合ばあい以前いぜんのルールでは無限むげんつづけることが可能かのうであるため、同年どうねん3がつ8にちおこなわれただい41名人めいじんせん挑戦ちょうせんしゃ決定けっていリーグ(現在げんざい順位じゅんいせんAきゅう)8回戦かいせん米長よねなが邦雄くにお谷川たにがわ浩司こうじ対局たいきょくで60以上いじょう千日手せんにちて模様もようつづ問題もんだいとなっていた[6]

企業きぎょう経営けいえいしゃとしての活動かつどう[編集へんしゅう]

  • 1994ねん9がつ、パソコン通信つうしんホストきょく「ネットこまおん」を開設かいせつ。1995ねん12月にこまおんコーポレーション株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつ同社どうしゃのちに「株式会社かぶしきがいしゃ棋泉」に社名しゃめい変更へんこうしたが、インターネット発展はってんともな赤字あかじ累積るいせきし、2007ねん12月7にち破産はさん手続てつづき終結しゅうけつ
  • 成果せいかである有償ゆうしょうソフトであった棋譜きふ管理かんりソフト「棋泉」は完成かんせいひんだけをのこ第三者だいさんしゃ譲渡ゆずりわたされ[7]開発かいはつソースとう第三者だいさんしゃ所有しょゆう。フリーで公開こうかいされている。ただ、2015ねんのバージョンをベクター公開こうかいしたのを最後さいご公式こうしきサイトは2016ねん10がつ9にち[8]404エラーとなっている。

米長よねなが邦雄くにおとの裁判さいばん[編集へんしゅう]

  • 2005ねん5がつ武者むしゃ監修かんしゅうした将棋しょうぎソフトの著作ちょさくけん侵害しんがいされたとして、米長よねなが邦雄くにおおよびソフトウェア製作せいさく会社かいしゃサクセス」らにたいしてやく4100まんえん損害そんがい賠償ばいしょうもとめた訴訟そしょうこした。武者むしゃ社長しゃちょうつとめるソフトウェア会社かいしゃ「棋泉」が2000ねん製作せいさくし、だい部分ぶぶん著作ちょさくけん保持ほじしている『米長よねなが邦雄くにお将棋しょうぎセミナー21』と、「サクセス」しゃが2002ねん製作せいさくした『みんなの将棋しょうぎ』とに類似るいじられ、『みんなの将棋しょうぎ』の開発かいはつ米長よねなが関与かんよしていたことから、両者りょうしゃうったえたものである。当該とうがい訴訟そしょうは「フリークラス棋士きし連盟れんめい会長かいちょう(2005ねん棋士きし総会そうかい米長よねなが会長かいちょう就任しゅうにんした)をうったえた」ということで、一般いっぱん新聞しんぶん雑誌ざっしなどでもげられた。
  • 2006ねん12月22にちに、米長よねながが「解決かいけつきん」としてやく800まんえん支払しはらうことなどを条件じょうけんに、東京とうきょう地裁ちさい和解わかい成立せいりつした。

不祥事ふしょうじ[編集へんしゅう]

  • 2007ねん8がつ6にち対局たいきょく日程にってい勘違かんちがいし、だい16銀河ぎんがせん高野たかの秀行ひでゆきせん)で予選よせん当日とうじつ対局たいきょくじょうあらわれず不戦敗ふせんぱいとなった。武者むしゃ過去かこ20年間ねんかん当人とうにん注意ちゅういにより上述じょうじゅつふくめ6かい不戦敗ふせんぱいおかしており、かねてより所属しょぞく棋士きしから対応たいおうあまさを指摘してきされていた日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめいは、罰金ばっきん100まんえんおよ次期じき銀河ぎんがせんへの出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶんくだした。状況じょうきょう酷似こくじした中田なかたいさおおな処分しょぶんけた[9]
  • 上記じょうき処分しょぶんからあいだもない、同年どうねん9がつ11にちふたただい56王座おうざせんぬま春雄はるおせん)で不戦敗ふせんぱいとなったため、日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめいから史上しじょうはつとなる引退いんたい勧告かんこくけた[10][11]。 しかし、罰金ばっきん100まんえん除名じょめいについては、年次ねんじ棋士きし総会そうかい否決ひけつされた。
  • とう武者むしゃは、結局けっきょく上記じょうき引退いんたい勧告かんこくれず現役げんえき続行ぞっこうし、フリークラス在籍ざいせき可能かのう期間きかんすべ消化しょうかし、引退いんたいした。

その[編集へんしゅう]

  • きんしょうカップ(ナイタイ出版しゅっぱん発行はっこう将棋しょうぎ専門せんもん月刊げっかん・「近代きんだい将棋しょうぎ」の誌上しじょうイベントとしておこなわれた非公式ひこうしきせん)に出場しゅつじょうして、2003ねんから2005ねんまで3ねん連続れんぞく1回戦かいせんでアマと対戦たいせんしたが、その3きょくすべてにおいて黒星くろぼしきっしてしまった。

エピソード[編集へんしゅう]

  • 邦画ほうが「Sex and the 王手おうて」に監修かんしゅう出演しゅつえん
  • 高須たかすはじめひとししたしく、たびたび高須たかすのブログに登場とうじょうする。
  • 恰幅かっぷくさとたくわえられた口髭くちひげから、「マリオ」のニックネームを自称じしょうしており、前述ぜんじゅつ「ネットこまおん」ではこれをハンドルネームとしている。
  • あまり使つかわれていないものの、『マリオ武者むしゃ』の名称めいしょう登録とうろく商標しょうひょうとしている(登録とうろく4156492)。
  • 現役げんえき末期まっきには腹水ふくすいわずらい、歩行ほこうにも支障ししょうきたすほどであったという[12]

弟子でし[編集へんしゅう]

女流じょりゅう棋士きしとなった弟子でし[編集へんしゅう]

名前なまえ 女流じょりゅう2きゅう昇級しょうきゅう 段位だんいおも活躍かつやく
石高いしたか澄恵すみえ 1987ねん3がつ1にち 女流じょりゅうだん

昇段しょうだん履歴りれき[編集へんしゅう]

昇段しょうだん規定きていは、将棋しょうぎだんきゅう参照さんしょう(ただし、よんだん昇段しょうだんきゅう規定きてい)。

  • 1971ねん00がつ00にち : 4きゅう奨励しょうれいかい入会にゅうかい
  • 1974ねん00がつ00にち : 初段しょだん
  • 1979ねん03月22にち : よんだん = プロ
  • 1984ねん10がつ04にち : だんかちすう規定きてい
  • 1993ねん11月16にち : ろくだんかちすう規定きてい
  • 2008ねん04がつ01にち : ななだん(フリークラス規定きてい[13]
  • 2013ねん05月28にち : 引退いんたい(フリークラス在籍ざいせき可能かのう年数ねんすう満了まんりょう
  • 2023ねん05月08にち : 死去しきょ

おも成績せいせき[編集へんしゅう]

在籍ざいせきクラス[編集へんしゅう]

順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん在籍ざいせきクラスの年別ねんべつ一覧いちらん
開始かいし
年度ねんど
(出典しゅってん)順位じゅんいせん (出典しゅってん)竜王りゅうおうせん
名人めいじん Aきゅう Bきゅう Cきゅう 0 竜王りゅうおう 1くみ 2くみ 3くみ 4くみ 5くみ 6くみ 決勝けっしょう
T
1くみ 2くみ 1くみ 2くみ
1979 38 C227
1980 39 C205
1981 40 C213
1982 41 C202
1983 42 C206
1984 43 C227
1985 44 C120
1986 45 C103
1987 46 C112 1 4くみ --
1988 47 C115 2 4くみ --
1989 48 C113 3 5くみ --
1990 49 C125 4 5くみ --
1991 50 C201 5 5くみ --
1992 51 C243 6 5くみ --
1993 52 C225 7 6くみ --
1994 53 C212 8 6くみ --
1995 54 C237 9 6くみ --
1996 55 C243 10 6くみ --
1997 56 Fせん 11 6くみ --
1998 57 Fせん 12 6くみ --
1999 58 Fせん 13 6くみ --
2000 59 Fせん 14 6くみ --
2001 60 Fせん 15 6くみ --
2002 61 Fせん 16 6くみ --
2003 62 Fせん 17 6くみ --
2004 63 Fせん 18 6くみ --
2005 64 Fせん 19 6くみ --
2006 65 Fせん 20 6くみ --
2007 66 Fせん 21 6くみ --
2008 67 Fせん 22 6くみ --
2009 68 Fせん 23 6くみ --
2010 69 Fせん 24 6くみ --
2011 70 Fせん 25 6くみ --
2012 71 Fせん 26 6くみ --
順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん わく表記ひょうき 挑戦ちょうせんしゃみぎらん数字すうじかち-はい(ばん勝負しょうぶ/POふくまず)。
順位じゅんいせんみぎ数字すうじはクラスない順位じゅんい ( x当期とうきくだきゅうてん / *累積るいせきくだきゅうてん / +くだきゅうてん消去しょうきょ )
順位じゅんいせんの「Fへん」はフリークラス編入へんにゅう /「Fせん」は宣言せんげんによるフリークラス転出てんしゅつ
竜王りゅうおうせん 太字ふとじ はランキングせん優勝ゆうしょう竜王りゅうおうせんくみ(添字そえじ)棋士きし以外いがいわくでの出場しゅつじょう

表彰ひょうしょう[編集へんしゅう]

おも著書ちょしょ[編集へんしゅう]

関連かんれん商品しょうひん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ だれわなかったきょ飛車ひしゃ穴熊あなぐま撃滅げきめつ戦法せんぽう』p.198
  2. ^ だい1かいの3回戦かいせんでは当時とうじ順位じゅんいせんAきゅう在籍ざいせきし、棋王きおうのタイトルをゆうしていた米長よねなが邦雄くにお勝利しょうり
  3. ^ 3連勝れんしょう内容ないようは、1回戦かいせん鈴木すずき輝彦てるひこ・2回戦かいせん安用やすもちてらこうこう・3回戦かいせん佐々木ささきまこと、4回戦かいせん松尾まつおあゆみやぶれた。
  4. ^ 武者むしゃ勝巳かつみななだん引退いんたい将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 2017ねん8がつ26にち閲覧えつらん
  5. ^ 訃報ふほう 武者むしゃ勝巳かつみななだん”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい (2023ねん5がつ11にち). 2023ねん5がつ11にち閲覧えつらん
  6. ^ 田丸たまるのぼる将棋しょうぎかい事件じけん簿毎日まいにちコミュニケーションズ、2005ねん、P142より。
  7. ^ [1]
  8. ^ [2]
  9. ^ 2007ねん8がつ10にち読売新聞よみうりしんぶん 20年間ねんかん不戦敗ふせんぱい6かい中田なかたななだん武者むしゃろくだん罰金ばっきんひゃくまんえん
  10. ^ 2007ねん9がつ12にち読売新聞よみうりしんぶん 将棋しょうぎ連盟れんめい不戦敗ふせんぱいかさねる武者むしゃろくだんはつ引退いんたい勧告かんこく
  11. ^ 武者むしゃろくだん不戦敗ふせんぱいについて|将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 2017ねん8がつ26にち閲覧えつらん
  12. ^ 武者むしゃ野本のもとじん運営うんえいする「こまおん掲示板けいじばん」に病状びょうじょう象徴しょうちょうする写真しゃしん掲載けいさいされている[1]
  13. ^ 2008ねん4がつ1にちづけ昇段しょうだん将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 2017ねん8がつ26にち閲覧えつらん
  14. ^ 武者むしゃをイメージキャラクターとしたごく普通ふつう将棋しょうぎソフト。
    株式会社かぶしきがいしゃQBQへん 『プレイステーションクソゲー番付ばんづけ』マイウェイ出版しゅっぱん発行はっこう、2018ねんISBN 9784865118346 p84

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]