しょう将棋しょうぎ

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しょう将棋しょうぎ(しょうしょうぎ)は、日本にっぽん将棋しょうぎるいひとつであり、二人ふたりおこなボードゲーム盤上ばんじょう遊戯ゆうぎ)の一種いっしゅである。

ルール[編集へんしゅう]

987654321 
こうかつらぎんきむおうきむぎんかつらこういち
   ぞう  かく 
さん
         よん
         
         ろく
なな
 かく  ぞう   はち
こうかつらぎんきむたまきむぎんかつらこうきゅう

しょう将棋しょうぎ歴史れきしてき背景はいけいによってくわしいルールがうしなわれてしまい、文献ぶんけんにしかっていないものであるため、当時とうじ正式せいしきなルールは現存げんそんしない。簡単かんたん説明せつめいするなら、現在げんざいよくられたほん将棋しょうぎよいぞうくわえ、ごまさい使用しようルールをのぞいたものである。

基本きほんルール[編集へんしゅう]

  • 縦横じゅうおう9マスずつに区切くぎられた将棋しょうぎばんうえおこなう。
  • 自分じぶんから手前てまえさんだん自陣じじん反対はんたい相手あいてからさんだん敵陣てきじんという。
  • 競技きょうぎしゃ双方そうほう交互こうごに、盤上ばんじょうにある自分じぶんこまを1かいずつうごかす(ほん将棋しょうぎとはちがごまという概念がいねんはない)。
  • こまは、玉将ぎょくしょうたま)または王将おうしょうおう)・よいぞうぞう)・飛車ひしゃ)・角行かっこうかく)・金将きんしょうかね)・銀将ぎんしょうぎん)・桂馬けいまかつら)・香車きょうしゃこう)・歩兵ほへい)の10種類しゅるいあり、それぞれうごきがまっている。
  • 開始かいしには、みぎのように双方そうほうこまならべる。
  • 玉将ぎょくしょうまたは王将おうしょう金将きんしょう以外いがい以下いか方法ほうほうにより「る」ことができる。
    • 敵陣てきじん外側そとがわにあるこま敵陣てきじんない移動いどうさせたとき。
    • 歩兵ほへい香車きょうしゃ場合ばあい一番いちばんおくだんにたどりいたとき。
  • 自分じぶんこまうごかすときにうごさき相手あいてこまがあるとき、そのこまることができる。
  • ほん将棋しょうぎとはちがい、相手あいてこまっても自分じぶんごまにすることはできない

こまうご[編集へんしゅう]

  • ○はその位置いちうごける。
  • \│/─はその線上せんじょうこまたらないかぎりどこまでもうごける。
  • ☆はその場所ばしょまでえてうごける。
もとこま うご なりこま うご
玉将ぎょくしょう(ぎょくしょう)

王将おうしょう(おうしょう)

たま
ぜん方向ほうこうに1マスうごける。

られると[注釈ちゅうしゃく 1]

- - -
よいぞう(すいぞう)
ぞう
真後まうし以外いがい方向ほうこうに1マスうごける。 太子たいし(たいし)
ふとし
玉将ぎょくしょう同一どういつ
飛車ひしゃ(ひしゃ)
縦横じゅうおうなにマスでもうごける。

えてはけない。

龍王りゅうおう(りゅうおう)
りゅう
飛車ひしゃうごきにななめに1マスのうごきをしたもの。
角行かっこう(かくぎょう)
かく
ななめになにマスでもうごける。

えてはけない。

龍馬りょうま(りゅうめ[注釈ちゅうしゃく 2]
うま
かくうごきに縦横じゅうおうに1マスのうごきをしたもの。
金将きんしょう(きんしょう)
きむ
縦横じゅうおうななまえに1マスうごける。 - - -
銀将ぎんしょう(ぎんしょう)
ぎん
まえななめに1マスうごける。 なりぎん(なりぎん)
ちょん
きむおなじ。
桂馬けいま(けいま)
かつら
まえへ2、よこへ1の位置いち移動いどうできる。

そのさいこまえることができる。

成桂せいけい(なりけい)
けい
きむおなじ。
香車きょうしゃ(きょうしゃ)
こう
前方ぜんぽうなにマスでもうごける。

えてはけない。

成香なるか(なりきょう)
あんず
きむおなじ。
歩兵ほへい(ふひょう)
前方ぜんぽうに1マスうごける。 きん(ときん)
きむおなじ。

うえひょうでは便宜べんぎてきなりぎんを「あきら」、成桂せいけいを「けい」、成香なるかを「あんず」と表示ひょうじしている。

初期しょき配置はいち[編集へんしゅう]

  • 開始かいしにはこまつぎのようにならべる。

盤面ばんめんとして表示ひょうじする場合ばあいしたがわ先手せんて上側うわがわ後手ごてとなる。先手せんてからて、将棋しょうぎばんみぎじょうのマスを基点きてんとし、よこ方向ほうこうに1、2、3、…、9、たて方向ほうこういちさん、…、きゅうとマスの位置いちひょうする座標ざひょうめられている。棋譜きふはこの数字すうじもちいて表現ひょうげんする。

勝敗しょうはいかた[編集へんしゅう]

  • 相手あいて玉将ぎょくしょう王将おうしょう)をめて王手おうて回避かいひができない状態じょうたい)にした場合ばあいちとなる。
  • 双方そうほうこま消耗しょうもうこまれになった場合ばあい玉将ぎょくしょう2まい成金なりきん1まいだけがあったときは成金なりきんのあるそくちとなる。つまり、玉将ぎょくしょう以外いがいこまっていたほうちとなる。
    • こまれになっても相手あいて玉将ぎょくしょうますことができない場合ばあい合意ごういによってけとなる。(もち将棋しょうぎという)。たとえば、玉将ぎょくしょうだけになった場合ばあい合意ごういによってけとなる。
  • 太子たいしがいる場合ばあい太子たいし玉将ぎょくしょう両方りょうほうらないとちにならない。

対局たいきょくじょう規則きそく[編集へんしゅう]

  • どういち局面きょくめんすうかい発生はっせいした場合ばあい千日手せんにちて)、最後さいご局面きょくめんとなるもどべつにすること。
  • 連続れんぞくして王手おうてをし千日手せんにちて場合ばあい王手おうて仕掛しかけたほうべつにすること。
  • 1かいげたこまはかならずうごかさなくてはならない。
    • ただし、どうあがいてもうごかすことのできないこま場合ばあい無効むこうとなる。

千日手せんにちてについての詳細しょうさいなルールがうしなわれているため、なんかい千日手せんにちて成立せいりつするかは不明ふめいである。 現在げんざいほん将棋しょうぎのルールからかんがえれば同一どういつ局面きょくめん4かい発生はっせいであり、過去かこのルールでかんがえれば同一どういつ手順てじゅん3じゅんである。 まためているほうが打開だかい責務せきむ可能かのうせいもありうる。

歴史れきし[編集へんしゅう]

しょう将棋しょうぎというのは現在げんざいほん将棋しょうぎもととなったゲームであるが、時代じだい背景はいけいによっておおきく2つの種類しゅるいがある。平安へいあん時代じだいころ将棋しょうぎ類似るいじしたゲームが渡来とらいしてきて、日本人にっぽんじん使用しようされていたころのもの(通称つうしょう:平安へいあんしょう将棋しょうぎ)と、その時代じだい室町むろまち時代ときよころ)にあそばれたものがある。この記事きじ掲載けいさいしているものは後者こうしゃのものであり、前者ぜんしゃのものは平安へいあん将棋しょうぎ分割ぶんかつしておく。

平安へいあん将棋しょうぎしょう将棋しょうぎだい将棋しょうぎなどの要素ようそ吸収きゅうしゅう)→ほん将棋しょうぎこまさい利用りようよいぞう削除さくじょ

しょう将棋しょうぎ競技きょうぎされなくなった理由りゆうとして、『しょぞうおどけ図式ずしき』には2つのふくあいてき理由りゆう掲載けいさいされている。

しかし、これらの理由りゆうにはたしかな信憑しんぴょうせいけており、またいつごろこまさい利用りようくわえられたのかなど、不明ふめい部分ぶぶんおおい。

朝倉あさくら象棋しょうぎ[編集へんしゅう]

朝倉あさくら象棋しょうぎ(あさくらしょうぎ)は、将棋しょうぎ変則へんそくルール(ローカルルール)のひとつである。朝倉あさくら根拠こんきょであった福井ふくいつたわり、すたれていたが後述こうじゅつ発掘はっくつ以降いこう現在げんざいでもイベントとして対局たいきょくおこなわれている。

1973ねんいちじょうたに朝倉あさくら遺跡いせきから発掘はっくつされた174まい将棋しょうぎこまからよいぞうが1まいだけふくまれており、当時とうじよいぞうふくんだ将棋しょうぎされていたとされている[1]。このことから、福井ふくい朝倉あさくら象棋しょうぎされるようになった。こま初期しょき配置はいちしょう将棋しょうぎおなじで、よいぞう太子たいしのルールについてもしょう将棋しょうぎおなじである。ったこま玉将ぎょくしょうよいぞう太子たいし)、またはその両方りょうほうこまのぞき、ごまとしてさい利用りようできることがしょう将棋しょうぎとのおおきなちがいとなる。

2007ねん4がつ女流じょりゅう棋士きし山田やまだ久美くみたい安食あじき総子ふさこ対局たいきょくおこなわれた[2]

しょう象棋しょうぎよいぞうもうひょうのあるしょう将棋しょうぎ[編集へんしゅう]

  • ほん将棋しょうぎよいぞう1まい先後せんごしゅで2まい)のほかもうひょう2まい先後せんごしゅで4まい)をくわえたもの。したがってこますうけい46まい
  • 江戸えど時代じだいには、こま配置はいちに2とおり(もうひょう位置いちが「銀将ぎんしょう」のうえとされる[3]が、「金将きんしょう」のうえという異説いせつあり[4])の図面ずめんおよならかたおぼえるため詩歌しか[5])が現存げんそんし、ごまさい使用しよう可否かひ不明ふめい[6]
  • りは敵陣てきじんさんだん以内いないなり選択せんたくだが、「しょのないかつら」のあつかいについては記載きさいい。
  • もうひょう」のなりこまは「角行かっこう」、「よいぞう」が「太子たいし」だが、「金将きんしょう」はせいか「飛車ひしゃ[注釈ちゅうしゃく 3]るかかれた文献ぶんけんおよしょう象棋しょうぎ金将きんしょうこま出土しゅつど発掘はっくつによる現物げんぶつ確認かくにん)がない。
  • 上記じょうき理由りゆうにより、現在げんざいちゅう将棋しょうぎ[7]朝倉あさくら将棋しょうぎのようにせる競技きょうぎしゃ不在ふざいとなっている[8]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ よいぞう太子たいしると、玉将ぎょくしょう王将おうしょう)とおなはたらきをつ。玉将ぎょくしょう王将おうしょう)がられても太子たいし存在そんざいする場合ばあい太子たいしられるまでは試合しあい続行ぞっこうする。
  2. ^ 「りゅうま」ともう。
  3. ^ ちゅう将棋しょうぎちゅう象棋しょうぎ)では「金将きんしょう」はると「飛車ひしゃ」。さらに大型おおがた将棋しょうぎでは「奔金」。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 参考さんこう資料しりょうとして、増川ますかわ宏一こういち将棋しょうぎこまはなぜ40まいか』(集英社しゅうえいしゃISBN 4-08-720019-1)の65ページ以降いこうよんまいがたよんまいがた」をあげておく。よいぞう以外いがいなか将棋しょうぎこま発掘はっくつされておらず、おこなわれていたのがしょう将棋しょうぎであったことがつよ示唆しさされている。
  2. ^ 将棋しょうぎ心地ごこち 朝倉あさくら象棋しょうぎ
  3. ^ 山本やまもととおるかい将棋しょうぎ庶民しょみん』(朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1972ねん
  4. ^ 西澤にしざわふとし兵衛ひょうえ貞仁さだひとしょ象棋しょうぎたくみしょぞうおどけ図式ずしき)』(1696ねん元禄げんろくろくねん
  5. ^ りょう営玉おううえよいぞうざい左右さゆう金将きんしょうくびもうひょうゆう。」(伊藤いとうことぶき将棋しょうぎ図式ずしきぞうおどけ図式ずしき)』(1755ねんたかられきねん
  6. ^ 木村きむら義徳よしのり持駒もちごま使用しようなぞ 日本にっぽん将棋しょうぎ起源きげん』(日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい 2001ねん
  7. ^ ちゅう将棋しょうぎ大山おおやま康晴やすはるし、現役げんえきでも神崎かんざき健二けんじ安用やすもちてらこうこうが、教室きょうしつやブログ、テレビ・ニコせいなどで言及げんきゅうする場合ばあいがある。
  8. ^ 増川ますかわ宏一こういち 「ものと人間にんげん文化ぶんか (23‐1) 将棋しょうぎ (1)」 (法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく 、1977/11)

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]