チャトランガ

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チャトランガ(インド、ラージャスターンしゅう

チャトランガサンスクリット: चतुरङ्गchaturaṅga)は、古代こだいインドボードゲーム一種いっしゅである。将棋しょうぎチェス起源きげんかんがえられている。チャトランガとはサンスクリットchaturは4、そしてaṅga部分ぶぶんという意味いみである。したがって、catur-aṅga現在げんざいではしんぞううまくるまの4つの戦力せんりょくのことをししているいうせつ有力ゆうりょくである。アラブ世界せかいシャトランジ源流げんりゅうでもある。

二人ふたりせいのものとよんにんせいのものとが存在そんざいした。近年きんねん発掘はっくつなどの成果せいかにより、二人ふたりせいチャトランガの成立せいりつほうさきだったとするせつ有力ゆうりょくとなっている。

以前いぜんは、紀元前きげんぜん327ねんころアレクサンダー大王だいおうがインドへ東征とうせいしたさいにチャトランガをたとかんがえられていた。しかしこれは、チェスの原型げんけいとはことなる盤上ばんじょう遊戯ゆうぎであったか、インドの戦術せんじゅつがチャトランガのそれにていたことを後世こうせい研究けんきゅうしゃがゲームの起源きげん誤認ごにんしたものとされている[だれによって?]

チャトランガにきょうじる英雄えいゆうクリシュナラーダー

戦争せんそうきのおう戦争せんそうをやめさせるため、たたかいをしたゲームを高僧こうそうつくっておう献上けんじょうしたのがはじまりとするせつがある[1][2]。チャトランガは現在げんざいでもインドにのこっているが、植民しょくみん支配しはいけていたころ禁止きんしされた影響えいきょうけ、プレイヤーがすくなくなっている。

よんにんせい二人ふたりせい[編集へんしゅう]

1790ねんにインドで裁判官さいばんかんつとめていたウィリアム・ジョーンズ発表はっぴょうした「インドのゲームのチェスについて」という論文ろんぶん[3]に、よんにんせいチャトランガがはじめて紹介しょうかいされている。この論文ろんぶんが、最古さいこのチェスはよんにんせいであったとする根拠こんきょとなり、19世紀せいきまでの有力ゆうりょくせつであった。

20世紀せいきはいり、1913ねんハロルド・マレー(H. J. R. Murray)の『チェスの歴史れきし英語えいごばん』が出版しゅっぱんされた。この書籍しょせき現在げんざいでもチェス聖典せいてんとされている。『チェスの歴史れきし』では、チェスの起源きげんよんにんせいとする従来じゅうらいせつ否定ひていしている(ただし二人ふたりせいであったとも断定だんていしていない)が、よんにんせいチャトランガについてくわしい解説かいせつがなされている。

だい世界せかい大戦たいせん、マレーが自説じせつ一部いちぶ修正しゅうせいしたことから、よんにんせい起源きげんせつふたた主流しゅりゅうとなった。1970年代ねんだいから1980年代ねんだいにかけて、よんにんせい起源きげんせつ定説ていせつとなり、この時期じき日本にっぽん出版しゅっぱんされた増川ますかわ宏一こういちによる書籍しょせき[4]でもよんにんせい起源きげんせつ紹介しょうかいされている。

1990年代ねんだいはいり、あらたな研究けんきゅう結果けっかしめされるようになった。ミュンヘン大学だいがく教授きょうじゅレナーテ・ザイエットは、1995ねん発表はっぴょうした論文ろんぶん「チャトランガ、チェスの起源きげん原型げんけい古代こだいへの観察かんさつ[5]なかで、これまでのよんにんせい原始げんしがたせつたいしいくつかの疑問ぎもんげかけている。また、ザイエットは、12世紀せいきはじめのサンスクリットの文献ぶんけんマーナソーッラーサ英語えいごばん』にチャトランガの記述きじゅつがあるのを発見はっけんし、これには二人ふたりせいのものが先行せんこうしてかれていることを指摘してきしている。

さらに、紀元きげん4から6世紀せいき成立せいりつしたとされる『マハーバーラタ』のチャトランガについての記述きじゅつは、実際じっさい戦争せんそうにおける軍隊ぐんたい戦術せんじゅつかんするものであり、盤上ばんじょう遊戯ゆうぎのものではないとかんがえられている。さらに時代じだいがさかのぼった紀元前きげんぜん2から3世紀せいきよんにんせいチャトランガをはじめてしめしたとされるバールフートのレリーフも、現在げんざいではチャトランガの対戦たいせんしめしたものとはかんがえられていない。二人ふたりせいチャトランガの最古さいこ史料しりょうとされるブッダガヤのレリーフも、サイコロあそびであってチャトランガではないという意見いけん有力ゆうりょくとなっている。

現在げんざいでは、よんにんせいチャトランガは11世紀せいき以前いぜんにさかのぼることができないとかんがえられており、チェス・将棋しょうぎ起源きげんとなる盤上ばんじょう遊戯ゆうぎはサイコロをもちいない二人ふたりせいのものであったとかんがえられている。二人ふたりせいのチャトランガが成立せいりつした時期じき紀元きげんすう世紀せいき以降いこうなす立場たちば有力ゆうりょくである。前述ぜんじゅつ増川ますかわも、2003ねん出版しゅっぱんされた書籍しょせき[6]自説じせつ修正しゅうせいし、二人ふたりせい起源きげんせつ支持しじしている。

よんにんせいチャトランガのルール[編集へんしゅう]

歴史れきしてき背景はいけいによりくわしいルールがうしなわれているため、不正確ふせいかくである。

  • 縦横じゅうおう8マスに区切くぎられたばんうえおこなう。
  • 4にんが2くみになって勝負しょうぶし、そのったくみ同士どうし勝負しょうぶする。
  • 4にんのプレイヤーが順番じゅんばんに、サイコロる。によってさだめられたれつ自軍じぐんこまを1かいだけうごかすことができる(には、サイコロを使つかわず、自軍じぐん任意にんいこまを1かいだけうごかすことができるようになったとかんがえられている)。
  • こまラージャ(おう)、ガジャ(ぞう)またはハスティー(ぞう)、アシュワ(うま)、ラタ(くるま)またはローカ(ふね)、パダーティ(歩兵ほへいの5種類しゅるいで、それぞれうごきがまっている。プレイヤーごとにあかみどりくろ色分いろわけされたこまもちいる。
  • 歩兵ほへいさい前列ぜんれつ (いちばんこうのれつ) に到達とうたつした場合ばあいは、歩兵ほへいのあったれつこま昇格しょうかくすることができる。つまりしゃまえにいる歩兵ほへいくるまに、うままえにいる歩兵ほへいうま昇格しょうかくする。ただし、歩兵ほへいのあったれつこますでられている場合ばあいかぎる。
  • おうはゲームのなかで1だけ、うまうごきができる。
  • 自分じぶんこまうごかすさいうごさきのプレイヤーのこまがあれば、そのこまることができる。こますててで、ごま概念がいねんはない。
  • 自軍じぐんおうられたプレイヤーはけとなる。

こま初期しょき配置はいち[編集へんしゅう]

かくプレーヤーの手前てまえ2れつひだり4れつに、矢印やじるしきにこま配置はいちする。

くるま へい     おう

ぞう

うま

くるま

うま へい     へい

へい

へい

へい

ぞう へい            
おう へい            
            へい おう
            へい ぞう

へい

へい

へい

へい

    へい うま

くるま

うま

ぞう

おう

    へい くるま

二人ふたりせいチャトランガのルール[編集へんしゅう]

ルールはよんにんせいじゅんじるとかんがえられる。よんにんせい同様どうようくわしいルールはうしなわれているため、成立せいりつした当初とうしょ正式せいしきなルールとはかぎらない。

  • 二人ふたりせいではサイコロはもちいず、任意にんいこまうごかすことができたとかんがえられる。
  • こまラージャ(おう)、マントリ (しん大臣だいじん)、ガジャ(ぞう)またはハスティー(ぞう)、アシュワ(うま)、ラタ(くるま)またはローカ(ふね)、パダーティ(歩兵ほへい6種類しゅるいである。

こま初期しょき配置はいち[編集へんしゅう]

かくプレーヤーの手前てまえ2れつに、矢印やじるしきにこま配置はいちする。

くるま

うま

ぞう

おう

しん

ぞう

うま

くるま

へい

へい

へい

へい

へい

へい

へい

へい

               
               
               
               

へい

へい

へい

へい

へい

へい

へい

へい

くるま

うま

ぞう

しん

おう

ぞう

うま

くるま

こまうご[編集へんしゅう]

こまうごかたのルールは唯一ゆいいつでなく、ルールは(文献ぶんけんのこっていないものふくめて)なん改良かいりょうされており、複数ふくすう文献ぶんけんことなる時期じきのルールがしるされているだけだというかんがかたもある[7]以下いかにあげるうごかたは、いくつかの仮説かせつのうちのひとつである。

ラージャ(おう[編集へんしゅう]

ぜん方向ほうこうに1マスずつうごける。チェスのキング将棋しょうぎ玉将ぎょくしょうマークルックのクンとおなじ。

         
   
おう
   
         

マントリ (しん大臣だいじん[編集へんしゅう]

ななめに1マスずつうごける。マークルックのメットおよびビアガーイとおなうごき。

         
     
しん
     
         

ガジャ(ぞう[編集へんしゅう]

文献ぶんけんによりうごかせる範囲はんいことなる。ななめ4方向ほうこうまえに1マスずつにうごけた(将棋しょうぎ銀将ぎんしょうやマークルックのコーンと同様どうよううごき)とするせつ

         
   
ぞう
     
         

ななめに2マスずつうごけたというせつ。(この場合ばあい自軍じぐん相手あいてこまえられる)

     
         
ぞう
         
     

アシュワ(うま[編集へんしゅう]

自軍じぐん相手あいてこまえて、前後ぜんごに2マス・よこに1マス、または前後ぜんごに1マス・よこに2マスすすめる。チェスのナイト・マークルックのマーと同様どうよううごきで、いわゆる八方はっぽうかつらである。

     
     
うま
     
     

ラタ(くるま[編集へんしゅう]

前後ぜんご左右さゆうなにマスでもすすめる。こますことはできない。チェスのルークシャンチー将棋しょうぎ飛車ひしゃ・マークルックのルアと同様どうよううごきである。

       
       
くるま
       
       

パダーティ(歩兵ほへい[編集へんしゅう]

前方ぜんぽうに1マスずつすすめる。将棋しょうぎ歩兵ほへい同様どうよううごきである。

         
       
へい
         
         

チェス、マークルック(タイ将棋しょうぎ)、シットゥイン(ミャンマー将棋しょうぎ)、オク・チャトラン(カンボジア将棋しょうぎ)の「歩兵ほへい」に相当そうとうするこまおなじで、相手あいてこまさいにはなな前方ぜんぽうすすむ。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ ジョルジュ イフラー『数字すうじ歴史れきし人類じんるいかずをどのようにかぞえてきたか』平凡社へいぼんしゃ、1988ねんISBN 978-4582532029 
  2. ^ 野崎のさき昭弘あきひろ『ロジカルな将棋しょうぎ入門にゅうもん (ちくまライブラリー)』筑摩書房ちくましょぼう、1990ねんISBN 978-4480051417 
  3. ^ Jones, William (1799). “On the Indian Game of Chess”. Asiatick Researches 2: 159-165. https://archive.org/stream/asiaticresearche02asia#page/n167/mode/2up. 
  4. ^ 増川ますかわ宏一こういち将棋しょうぎI』法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく〈ものと人間にんげん文化ぶんか 23-I〉、1977ねんISBN 4-588-20231-6 
  5. ^ Syed, R. (1995). “Caturanga, Anmerkungen zu Alter, Ursprung und Urform des Schachs”. Beiträge des Südasien-Instituts der Humboldt-Universität zu Berlin 8: 63–108. https://www.iaaw.hu-berlin.de/en/region/southasia/publications/contributions/contributions?set_language=en. 
  6. ^ 増川ますかわ宏一こういち『チェス』法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく〈ものと人間にんげん文化ぶんか 110〉、2003ねんISBN 4-588-21101-3 
  7. ^ 木村きむら 義徳よしのり持駒もちごま使用しようなぞ日本にっぽん将棋しょうぎ起源きげん日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい、2001ねんISBN 978-4819700672 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]